🎌13〕─1─日本国・日本民族の1年は祭祀王・天皇陛下が宮中で行う元旦の皇室祭祀から始まる。~No.94No.95No.96 * 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 全ての日本民族日本人は、天皇陛下に感謝しなければならない。
 それ以外の日本人は、感謝するも感謝しないも自由ではあるが、日本国に住む以上は礼儀として天皇陛下に敬意を払う必要がある。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人は、古代から反天皇反日諸国に包囲されて、天皇を護持する事が日本国と日本民族を維持する事と信じて戦い続けていた。
 その意味で、日本は昔から戦闘国家であった。
   ・   ・   ・   
 2018年2月号 正論「よしなしこと  相澤正久
 第25回 『神の国』のお正月
 ……
 そもそも12月31日をなぜ『大晦日』というのだろうか?これはもちろん『30日』を『ミソカ』とよむことに由来している。もともと、月の30番目の日を指す意味だったが、月の最終日を指す意味になり、そこから1年の最終日を『大ミソカ』、つまり『大晦日』となったのである。だから、『大』という言葉に『大きい』という意味はない。歌番組最後に歌う歌手を『大トリ』というのと同じ用法だ。
 では『大晦日』とは何をする日だったのか。これは『年神さま』をお迎えするための1日で、日本人は古来、大晦日から元旦に掛けて一晩中起きて過ごしていた。間違ってこの日、寝てしまうと白髪になる、シワが増えるなどと真面目に信じられていたし、起きて年神さまをお迎えしなければならない、と信じられてきたのだ。ちなみにこの日の夜は夜ではないから、夜から除くという意味で除夜という言葉で除夜という言葉になったのだろう。
 除夜の鐘が108回で、これは人間の煩悩の数に由来する、という話と知られていて、鐘の音に耳を澄ますことで、心迷わし、身を悩ませる煩悩を取り除くことができた、清らかな心で正月を迎えることができると信じられている。ちなみに除夜の鐘だが、108回目の鐘、最後の鐘だけは年が明けてつく、というのが本来のルールで、新たな年も煩悩に悩まされことがないように、との願いからそうなっていた、ということまではあまり知られていない。
 年が明けると『正月』が始まるのだが、以上の流れを踏まえると『正月』とは年神さまをお迎えして、その年の豊作を祈る、というのが目的となる。
 ちなみに『あけましておめでとうございます』という年の初めの挨拶だが、何をめでたい、と言っているのだろう。新しい年が明けたことか。そうではない。年が明けて年神さまをお迎えできることが『おめでたい』のであって、こうした感謝、祝福を人々の間、神前で交わし合ったのだ。
 とことで、元旦という言葉は1年のはじめ、国民の無病息災、豊作を願って天皇陛下が毎年なさっておられる宮中祭祀四方拝』が行われる日という意味である。これに対して元旦は『元日の朝』を指す言葉であって、1月1日終日を指す言葉ではない。ちなみに元旦の『旦』の字をよーくみてほしい。下に一本横線を引くだろう。これは地平線であり、水平線を意味する。そのうえに『日』の字が宙に浮いている・・・もうわかったと思うが、これは登りつつある太陽『Rising sun』を意味する象形文字なのだ。つまり、元旦とは元日に昇る太陽だから、『初日の出』を意味しているのだ。『おせち料理』についてはどうか。これは季節の変わり目である節句のさい、お供えされたで『ごちそう』ある。定番の『田作り』は当然、『田を作る』から豊作を願う料理。『数の子』も簡単で子孫繁栄である。では『黒豆』の意味は!これは『まめにはたらけるように』との願いを込めた料理だ。勤勉は古来美徳だった。というわけである。
 『お屠蘇』についても述べておくと、これは元来、薬酒だった。平安時代、不老長寿を授かると信じられていた漢方薬を公家がお酒に浸してこれを正月に天皇に献上、長生きを祈ったという習慣があって、それが庶民に浸透したのが始まりである。
 こうして見てくると日本人がいかに神様を大事にしてきたか(裏返せば今、その神様を忘れているか)がわかる。また私たちが農業をいかに大事にし、天皇が庶民を大事に、庶民は天皇の暮らしを大切にしたのか、もわかるだろう。元号も同じで、『平成』は『平安』同様、国民の平和な暮らしを案じて定められたものだ。やがて『平成』は終わる。次の時代にはどんな思いを込めるのだろう」
   ・   ・   ・   
 天皇陛下は、祖先神=天皇霊である皇祖・天照大神伊勢神宮祭神・女性神)に対し国家の安泰と国民(日本民族を含めた全ての国民)の安寧と世界の平和そして五穀豊穣・無病息災を願い奉る。
   ・   ・   ・   
 日本神道最高神は、汗水垂らして働く労働を美徳とする女性神である。
 祖先神に対する祭祀を行う必須条件、最低条件は、祖先神と血・命・心・志が繋がる直系子孫であり、血統・血筋絶対条件からすれば血・命・心・志が繋がらない赤の他人では祭祀はできない。
 この血筋が皇統である。
   ・   ・   ・   
 血・命・心・志が異なる別の血筋から天皇が即位したら、2000年以上続いてきた伝統的宮中祭祀・皇室祭祀は途絶える。
 女系天皇の即位とは、神代から受け継いできた天孫降臨神話・日本中心神話に基ずく民族祭祀の廃止を宣言する事である。
 女系天皇擁立派とは、ローカル民族宗教である祖先神・氏神の人神崇拝廃止派である。
   ・   ・   ・   
 実在した自分の祖先を神として崇め祭るのは、祖先と血・命・心・志が確かに繋がっている子孫のみである。
 それ故に、日本神道には、教祖も、聖典・経典もなく、戒律も律法もなく、そして信者・信徒・教徒もなく、布教活動もない。
 あるのは、崇拝であって信仰ではない。
 日本神道には、原理主義はないし、狂信や偏狂もない。
   ・   ・   ・   
 純粋・純血な正しき日本民族とは、天皇・皇室・皇族の事である。
 皇統・血統・血筋正しい天皇・皇室・皇族のみが、全ての日本民族と日本国、国土と自然の事を祈る事ができる。
 それが、一子相伝宮中祭祀・皇室祭祀である。
 一子相伝の権利者が皇統・血統・血筋正しい神の裔の天皇御一人である。
 それ故に、反宗教無神論的な民族否定派・民族廃滅派は反天皇反日として天皇制度廃絶を悲願としている。
   ・   ・   ・   
 日本の習慣風習の大半が、天皇を中心として宮中行事宮中祭祀に由来する。
 天皇を否定すると言う事は、宮中行事宮中祭祀に由来する習慣風習を否定する事になる。
   ・   ・   ・   
 江戸時代まで日本民族大和民族は存在していなかった。
   ・   ・   ・   
 江戸後期、ロシアの侵略による日本滅亡の危機に目覚めた人々の間、特に下級武士や庶民(百姓や町人)の間に天皇を中心とした民族意識が生まれた。
 勤皇派や尊皇派は、上級武士ではなく、下級武士や庶民、さらには卑賤視されていた非人・エタなどの賤民や海の民・山の民・川の民らが主力であった。
 上級武士階級は、今ある安穏とした生活を破壊するような勤皇や尊皇には反対であった。
 下級武士や庶民(百姓や町人)そして賤民である非人・エタや海の民・山の民・川の民は、天皇・皇室を中心とした変革を求め、対ロ防衛戦略から幕藩体制を崩壊させ、権力を独占して安眠を貪る無能無策な上級武士の特権や地位を剥奪した。
 それが倒幕であり、明治維新である。
 明治維新によって日本民族大和民族が誕生した。
   ・   ・   ・   
 尊皇・勤皇が下賤を拠り所としているがゆえに、日本には人民解放のマルクス主義や貧困者救済のキリスト教は馴染まず、その思想・主義や信仰は広まらず支持者や信仰者を増やす事ができなかった。
   ・   ・   ・   
 マルクス主義に染まり、キリスト教に改宗したのは、名門・名家で地位も財力もあるグローバル知識を持った知的エリートが大半であった。
   ・   ・   ・  
 日本固有の領土は、北は北方領土と千島列島、南は琉球・沖縄・尖閣諸島から小笠原諸島南鳥島沖ノ鳥島であった。
 ロシアによる、千島列島・北方領土蝦夷地(北海道)ヘの侵略。
 清国(中国)のアジア一の海軍力による、国家主権を脅かし、対ロ防衛戦略を危うくさせる軍事的恫喝。
 朝鮮の清国やロシアと組んだ反日敵日的不穏な行動。
 日清戦争で台湾を領有し、日韓併合で朝鮮を併合し、日露戦争南樺太を国土に加え、対ロシア(対ソ)戦略から遼東半島と満鉄付帯地を手に入れて、国際的な国民国家へと規模を拡大した。
 全ての発端は、江戸時代末期のロシアの日本侵略にあった。
   ・   ・   ・  
 ロシアが崩壊後は、日本をマルクス主義的人民国家に大改造しよとする邪悪なソ連コミンテルン中国共産党などの共産主義勢力の日本侵略であった。
   ・   ・   ・  
 戦前までの天皇主義者・軍国主義者・民族主義者・国粋主義者などの右翼・右派とは、江戸時代末期の下級武士や庶民そして賤民である非人・エタや海の民・山の民・川の民の子孫であった。
 天皇・皇室・皇族が嫌いな日本人や天皇制度廃絶を求める日本人とは、勤皇・尊皇意識が強く天皇・皇室・皇族を守る為に命を捨てた下級武士・庶民・賤民とは無縁な日本人である。
 戦後の右翼・右派とは別の人間である。
 戦後の部落民・同和の民とは別の賤民である。
 賤民は日韓併合後に徐々に変わり、大正・昭和に入ると反天皇天皇意識が強くなった。
   ・   ・   ・   
 ロシア(ソ連)・清国(中国)・朝鮮は、反日敵日勢力であり、心を許す友好関係はなく、相手を信用せず疑ってかかる政治的軍事的な見せ掛けのニセ友好のみがあった。
 それが、古代から変わらない日本の基本外交である。


   ・   ・   ・