☴11〕12〕─1─1970年の漢字廃止宣言。1980年代半にはハングル世代は漢字が読めなくなった。~No.41No.42No.43No.44No.45 @ 

イラストでわかる はじめてのハングル

イラストでわかる はじめてのハングル

  • 作者:八田 靖史,hime
  • 発売日: 2017/08/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ハングルは平仮名と似ている。
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 韓国人は、漢字が読めなくなっている。
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 李氏朝鮮王朝までの漢字で書かれた歴史書は、今の韓国人では読めない。
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 2018年3月25日 産経WEST「【今週の注目記事】韓国政府は馬鹿なことをした…漢字排した韓国語は「斜め読みが難しい」 蓮池薫氏翻訳本に感動する日韓バイリンガルの声
 韓国の首都ソウルでハングル文字などで書かれた垂れ幕を掲げて抗議する人々(AP)
 ▼(6)日本の帝大や陸士を卒業、サムライ魂で韓国建国に尽力した朝鮮の秀才たち…から続く
 米ボストンでは、日本から手に入れた本を読み終えると、去年7月に亡くなった韓国出身の友人、Hさんに貸していた。日本の文学を愛し、本の好みも私と同じだったからだ。
 そして、2人で読後感を話し合うのが常だったが、いつも内容だけでなく、彼女は人物名まで覚えているので「恐るべき記憶力ですね」と感銘したことがある。
 すると、Hさんは「日本語ほど情緒深い表現ができる言葉はありません。ですから私は3度読み返し、作者の意を解釈するようにしています」と語り、私は敬服させられていた。
 6年前に蓮池薫氏の初めての翻訳本である「孤将」を日本から取り寄せた。
 原作は、韓国の有名な作家、金薫氏の大ベストセラーである歴史小説「刀の詩」。
 文禄・慶長の役で、怒涛(どとう)のごとく押し寄せる豊臣秀吉の大軍と、朝鮮水軍を率い巧みな戦術でついに勝利を治めた李舜臣(イ・スンシン)の物語だ。
 李舜臣は、派閥争いに明け暮れている無能な大臣の讒言(ざんげん)や愚鈍(ぐどん)な王に翻弄され、兵の数で劣る自軍を勝利に導く方法として潮の流れと満ち引きを緻密に計算した作戦すら、戦闘経験もない愚かな大臣たちの反対にあい、ついには、拷問され牢につながれてしまう。
 息子を案じる80歳を過ぎた母親が乗った小舟が沈み消息を絶ち、1人息子も戦死をする。
 李舜臣文禄の役から戦死直前まで書き続けていた日記が残っており、1人の人間として苦悩し葛藤し、そして絶望に陥る様を、蓮池氏は見事な日本語で描き出している。
 ■ハングルは読みづらい
 この翻訳本を読み始めるやいなや、取りつかれたようにのめり込んでしまい、早速、Hさんに電話をして「急いで読み上げますからね」と興奮して言った。
 すると、「日本からもう1冊、手にいれることはできますか。蓮池さんの売り上げに協力したいのです」と申し訳なさそうに返事が返ってきた。
 毎月、取り寄せている文芸春秋で、蓮池氏の事情を知る彼女は、売り上げに少しでも協力したいとの思いだった。
 ある年配の韓国人の話によると、韓国語の70%以上は中国の漢字からなのだそうだ。
 漢字を排した韓国では、全てハングルで書かれているため、一字、一字は平仮名を読むのと同じことで、戦前の日本語教育を受けた年配者たちは、非常に読みづらく時間がかかると嘆き、日本の本を好む。
 韓国に住む友人のR教授などは、「漢字が使われている日本の本は、急いでいるときなど斜め読みができますが、韓国の本は難しい」と話す。久しぶりに“斜め読み”という言葉を、それも韓国人から聞かされた。
 ≪話は脱線するが、こんなことを聞いたことがある。
 学生で混み合うバスの中、名札をつけた1人の男子生徒の胸元を見た女生徒たちがヒソヒソ話をしている。
 「林信中(はやし・のぶなか)」という立派な彼の名は、漢字禁止令となったためハングルで「イムシンジュ」と書かれ、意味は「妊娠中」となってしまうという。漢字禁止の影響はいろんなところに出ていたようだ≫
 蓮池さんの本を読み終えたHさんは、私たち日本人が決して気づくことのない点を指摘した。
 「原作には、同じ発音の地名や場所が多く、名前も発音が同じ人物が登場するので、どこの地か、誰が誰なのか分からなくなってしまうのです」
 「これが漢字ですと、一目瞭然なのですが、政府は実にばかなことをしました。ですから蓮池さんは、まず初めに朝鮮半島の歴史、文化、風習、地理、土地名等々、そして数多く出てくる兵や大臣たちの漢字名を探し出さないといけません。それから訳が始まるのです」
 ■著者に「翻訳本の方が面白い」と手紙
 Hさんは「想像を絶する忍耐と苦難に挑戦されたのですね」と話していた。
 「原作よりも日本訳の方がはるかにひきつけるものがあります。勇猛な武将だけでなく人として身近に感じられるのです。能無し大臣や愚かな王に翻弄される苦悩や孤独、それは蓮池さんが題名とした「孤将」そのものです」
 「長いとらわれの身で、日本語から遠ざかっていながら、これほど格調ある日本語を書けるとは、生まれながらの文学的素養があるのですね」と感銘していた。
 Hさんの感想を聞いた私は思わずこう語りかけた。
 「Hさん、あなたが言われたことを日本語で蓮池さんに書いてください。気づいた読者が1人でもいることを知らせましょう。彼の苦労が報われます。きっと喜ばれますよ」
 下手な日本語だと尻込みするHさんを叱咤(しった)激励して手紙を書かせた。
 半月ほどして、思いもかけず蓮池氏から、Hさんと私にも、自筆で返事をいただいた。
 人柄を表す優しい字体と、誠実さが伝わる内容の手紙だった。
 Hさんへは横書、私へは縦書きで書かれ「額縁に入れるのには、縦書きの方がきれいですよ。かえっこしましょう」と冗談を言うほど感謝をしていた。
 それからしばらくして「実は、勢いに乗って、韓国の金薫作家にも手紙を出しました」と恥ずかしそうに言うのには「えっ?」と絶句。
 数か月経っても返事はなかったそうで、「蓮池さんの翻訳本の方が面白かったと書いたでしょう。それなら返事がくるわけないですよ」と言って2人で笑っていたのが、昨日のように思える。
   ◆       ◆
【プロフィル】新田多美子(Tamiko Arata) 大分県津久見市生まれ。72歳。1983年に米ボストンに移住し、日本などからの留学者向けに住居の手配、生活用品の買い物、車購入と自動車保険など生活の立ち上げサービスの仕事をしている。
 現在は、がん治療を受けながら働く毎日。治療では、スイスのロッシュ社による新薬の免疫チェックポイント阻害剤「アテゾリズマブ」を使っている。日本ではまだ認可が下りていない。早く認可が出た米国で、実際の治療を通して知見が得られている最新治療を受けることを聞いた私の回りの日本医師たちは、口をそろえたように「幸運だ」と言う。
 日本が恋しいわけではないが、誰よりも日本を愛し誇りに思う。ボストンから見る日本や、少し変わった日常の出来事などをコラムにし、日本ではまだ認可されていない最新のがん治療の様子も紹介していきます。(3月22日掲載)」
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 漢字における近代用語の7割近くは、明治時代に日本人が作り出した和製漢字である。
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 ハングル(朝: ??)は、朝鮮語を表記するための表音文字である。1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が「訓民正音」(朝: ????、Hunmin Jeong-eum、略称: 正音)の名で公布した。
 意味は「偉大なる(ハン)・文字(グル)」であるが、「ハン」を「大韓帝国」の「韓(ハン)」とする説もある。
 歴史
 ハングルの創製
 「訓民正音」および「朝鮮における漢字」を参照
 朝鮮半島では、15世紀半ばまで、自民族の言語である朝鮮語を表記する固有の文字を持たず、知識層は漢字を使用していた。口訣(こうけつ・くけつ)・吏読(りとう)など漢字を借りた表記法により断片的・暗示的に示されてきた。
 李氏朝鮮第4代王の世宗は、朝鮮固有の文字の創製を積極的に推し進めた。しかし、その事業は当初から事大主義的な保守派の反発を受けた。世宗が設立した諮問機関の集賢殿副提学だった崔萬理は1444年に上疏文で、「昔から中国の諸地は風土が異なっても方言に基づいて文字を作った例はない。ただモンゴル・西夏女真・日本・チベットのみが文字を持つが、これらはみな夷狄(野蛮人・未開人)のなすことであり、言うに足るものではない」「漢字(中国文字)こそ文字であり、民族固有の文字など有り得ない」と反対した。しかし、世宗はこのような反対を「これは文字ではない(中国文化に対する反逆ではない)、訓民正音(漢字の素養がないものに発音を教える記号)に過ぎない」と押し切り[9]、鄭麟趾など集賢殿内の新進の学者に命じて1446年に訓民正音の名でハングルを頒布した。「民を訓(おし)える正しい音」の意である。

 近代開化期におけるハングル[編集]
 「朝鮮における漢字」、「日本統治時代の朝鮮」、および「ハングル学会」も参照
開化期になると民族意識の高揚とともにハングルが広く用いられるようになる。開化派と井上角五郎の協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城周報』(1886年創刊)が発行され、これには漢文のほかにハングルのみによる朝鮮文が採用された。それまで公的な文書においてハングルが正式に用いられることがなかった朝鮮において、政府の関与した文書にハングルで記された朝鮮文が採用された意義は大きい。
 また、『漢城周報』では漢文的要素の強い朝鮮文である「国漢文」と呼ばれる新たな文体も同時に創作・採用された。国漢文の創作・採用に当たっては日本の漢文書き下し文の文体を参考にしたと見られるが、そのような経緯には福澤諭吉門下の井上角五郎の助力があったと見られる。しかしながら、国漢文は漢文の素養を必要とする文体であったため、一般に広く流布するには至らなかった。
 1896年に創刊された『独立新聞』はハングルと英文による新聞であった。これは分かち書きを初めて導入した点でも注目される。公文書のハングル使用は、甲午改革の一環として1894年11月に公布された勅令1号公文式において、公文に国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まった。

 ハングルの由来をめぐる諸説
 詳細は「ハングル優越主義#ハングルの起源に対する学説」を参照
 ハングルの由来をめぐって諸説があるが、1446年9月上旬に発刊した『訓民正音解例本』にはハングルを創製した理由と陰陽の原理に基づいて子音と母音を造ったと明らかにしている。今更ハングルの字形の由来に関する直接的な論争はないが漢字とパスパ文字の起源説がある。
 漢字の影響
 ハングルの音体系は子音字母が三十六字母に対応するように作られているなど、中国音韻学に則っており、『訓民正音』にはハングルの字形について「象形而字倣古篆」、宋・鄭樵の『六書略』の「起一成文図」を起源とする説もある。字母の字形などについては、『訓民正音』の「制字原理」に書かれていることが全てか、更に原形となるものがあるのかについて議論がある[要出典]。

 その他
 ハングルに関する誤解
 「ハングル優越主義」を参照
 「ハングルは世界中の言語を表記できる文字である」とする主張があるが、例えば英語のfとp、zとjがともに?(p)、?(j)と表記されるように、少なくとも現行の外来語表記法ではこれらを原音通りに表記するのは不可能である。
 また、ハングルがユネスコ記憶遺産に登録されていると報じられることがあるが、ユネスコ記憶遺産に登録されているのは「ハングル」ではなく「訓民正音解例本」である。

 インドネシア少数民族チアチア語へのハングル導入
 詳細は「チアチア語」を参照
 2009年には、ハングル世界化プロジェクトによって、インドネシア少数民族チアチア族がチアチア語の文字表記にハングルを導入した。韓国の訓民正音学会が中心となって、チアチア語のハングル表記をすすめた。
 チアチア語にはアルファベットやアラビア文字では表せない音があるが、ハングルなら表記が可能であるかもしれないと採用された。チアチア語は「固有の文字を持たず、固有語を失う危機にあった」ため、韓国の団体が提案し、2009年7月、バウバウ市にてハングル普及覚書を交わした。しかし、これらの表記法はチアチア語の音韻を反映するものではなく、朝鮮語の事情にあわせて作成されたものであり、趙義成は「アジアの一半島とその周辺でしか用いない文字をあえて採用する必要はない」として、世界的に汎用性のあるラテン文字でチアチア語を表記した方がはるかに合理的で効率的であるとした。
 バウバウ市はインドネシア政府と相談せずに導入を決定しており、インドネシア政府もハングルを公式文字として採用していないと発表している。世界日報も、実際には現地に韓国教師は派遣されていない上、ハングルがチアチア族の公式文字に採択されたという事実もないとしている。
 2011年10月、このプロジェクトが頓挫していると報じられた。黒田勝弘は、これらの情報は実際には現地の学生がハングルを学習する程度の話であったのであり、同市が公式文字を採択したという韓国マスコミの報道は、ハングルの優秀性を示す「ハングル愛国主義」のために誇張された虚報だったとした。
 知られているものとは異なる2018年1月にインドネシアの新聞によると、現地にハングルはよく定着したものと見られる。
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 朝鮮における漢字では、朝鮮で使用される漢字。
 韓文漢字とも呼ばれ、朝鮮語では??/漢字(ハンチャ)または、????/漢文漢字(ハンムナンチャ)という。

 日本語の訓読みの熟語由来のもの
 「漢字語 (朝鮮語)#日本起源の漢字語」を参照

 朝鮮語独自の漢語
 「漢字語 (朝鮮語)#朝鮮起源の漢字語」を参照

 「文字戦争」
 朝鮮戦争の際に、アメリカ軍によって作成された宣伝ポスター。漢字とハングルが混用されている。
 韓国海軍のかつての軍服の帽子のペンネントには「大韓民國海軍」と漢字が書かれていた。現在は「??????」とハングルに変更されている。
 日本統治時代の朝鮮で発行された、ハングルと漢字で書かれた新聞(1945年8月14日)。
 第二次世界大戦終結後、連合国による信託統治構想に抗議する朝鮮人たちのデモ行進。漢字や英語はあるが、ハングルは見られない。
 日本統治時代の朝鮮での創氏の法院公告。ひらがなを読めない人のために、ハングルが振り仮名として振られているが、一方で漢字には振り仮名がない。
 ハングル専用か漢字混用か。世論調査でも国論を二分している韓国にあっては政治家も争点にすることに難色を示す。独立以来続いているこの論争を、月刊朝鮮は「五十年文字戦争」(1998年当時)と名付けた。
 李氏朝鮮時代には、漢字の知識の有無が知識人と大衆を分け隔てる一線とされた。李朝末期に一部の民族主義団体がハングル振興運動を起こし(「ハン-グル(偉大な-文字)」という呼称もその当時に「諺文(オンモン)」という卑称から改められたもの)、日韓併合以降は民間のハングル学会などに引き継がれた。1886年には、朴泳孝ら開化派が発行し井上角五郎らが編集指導に加わった純漢文の新聞、「漢城旬報」の後を継ぎ、彼らによって、漢字とハングル混交文による初めての新聞、「漢城周報」が発行された。
 朝鮮における常用の言葉として朝鮮語と漢文の2種が日本統治時代の学校における教科目とされた。漢字を学ぶ漢文は、朝鮮教育令に於いて「朝鮮語及び漢文」という一科目で当初規定されたが、1922年の教育令改正後には独立した二科目となり、漢文は高等科の教科に課され、朝鮮語は普通学校の必須科目として据え置かれた。
 第二次世界大戦中には公教育におけるハングルの授業は中止され、1940年には朝鮮日報東亜日報は廃刊され、ハングルの新聞は毎日新報一紙のみとなった。

 漢字教育の廃止
独立後は、日本統治時代に漢字を使用していたことや、中華帝国による古代からの冊封体制への不満といったナショナリズムの台頭により漢字を排斥し、国語をハングルのみで表記しようとする機運が盛り上がった。1948年施行の「ハングル専用に関する法律」(略称: ハングル専用法)により、漢字廃止に法的根拠が付与される。「大韓民国の公文書はハングルで書く。ただし、当面の間、漢字をかっこに入れて使用することができる」が法律の全文だが、公文書の定義も当面の間の定義もなく、施行規則もなく、違反者に対する罰則規定もないこの法律は、法律でなく宣言文だと解釈する法律家もいる。
 李承晩の時代には、小学校段階から漢字教育が行われたが、朴正煕は漢字廃止に傾斜を強め、1970年には漢字廃止宣言を発表、普通教育での漢字教育を全廃した。しかし言論界を中心に全廃への反対が強く、1972年には漢字廃止宣言を撤回し、漢文教育用基礎漢字(約1,800字)を定め、中学校及び高等学校の「漢文」の教育の一環として漢字教育を復活させた。が、あくまで選択科目であり、受験にもほとんど関係がなく、実社会でもほとんど使用されない漢字は、学生らの学習動機を呼び起こさなかった。また小学校での漢字教育は禁止され、児童に個人的に漢字を教えた小学校教員は、国策に協力しない者として懲戒免職などの重い処分を受けた。
 1980年代半ばから、韓国の新聞・雑誌も、次第に漢字の使用頻度を落とし始めた。漢字教育をほとんど受けていないハングル世代が多数を占め、漢字を使用した出版物が売れなくなったためである。漢字の使用を禁止するのではなく、漢字教育を禁止することにより、一世代かけて漢字を緩やかに消滅させようとしたのがハングル専用派の狙いだった。実際、一漢字が一音節である朝鮮語にあっては、ハングル専用でも日本語における平仮名専用のように長くならないので、漢字廃止は可能かと思われていた。」
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