🗾25〕─1─アイアンロード。鉄器の古代文明の道。トルコ・ヒッタイト人から倭国・弥生人まで。~No.113No.114No.115 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 古代鉄器製造法は、中央アジアの草原地帯から中国の揚子江流域へ、東シナ海沿岸を北上し朝鮮半島南部を経て日本に伝えられた。
 黄河流域から朝鮮半島北部は、アイアンロードに入っていない。
 日本へのアイアンロードは、縄文人に関連があり、黄河系漢族や古朝鮮人には関係なく、弥生系帰化人による日本への移民の道である。
 弥生系帰化人と弥生系渡来人は違う。
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 最新の発見で、古代の中国、日本、韓国・北朝鮮の歴史が新しく書き換えられていく。
 一番変わりやすいのは日本の歴史で、次に変わるのが中国の歴史で、一番変わりづらいのが韓国・北朝鮮の歴史である。
 古代史に魅力を抱き興味があるのが日本人で、魅力も興味も少ないのが中国人で、魅力も興味もなく拒否すのが韓国人と朝鮮人である。
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 日立金属トップページ > たたらの話 > 製鉄の始まり
 たたらの歴史
 製鉄の始まり
 日本で製鉄(鉄を製錬すること)が始まったのはいつからでしょうか?
 弥生時代に製鉄はなかった?
 弥生時代の確実な製鉄遺跡が発見されていないので、弥生時代に製鉄はなかったというのが現在の定説です。
 今のところ、確実と思われる製鉄遺跡は6世紀前半まで溯れますが(広島県カナクロ谷遺跡、戸の丸山遺跡、島根県今佐屋山遺跡など)、5世紀半ばに広島県庄原市の大成遺跡で大規模な鍛冶集団が成立していたこと、6世紀後半の遠所遺跡(京都府丹後半島)では多数の製鉄、鍛冶炉からなるコンビナートが形成されていたことなどを見ますと、5世紀には既に製鉄が始まっていたと考えるのが妥当と思われます。
 弥生時代に製鉄はあった?
 一方で、弥生時代に製鉄はあったとする根強い意見もあります。それは、製鉄炉の発見はないものの、次のような考古学的背景を重視するからです。
 1)弥生時代中期以降急速に石器は姿を消し、鉄器が全国に普及する。
 2)ドイツ、イギリスなど外国では鉄器の使用と製鉄は同時期である。
 3)弥生時代にガラス製作技術があり、1400~1500℃の高温度が得られていた。
 4)弥生時代後期(2~3世紀)には大型銅鐸が鋳造され、東アジアで屈指の優れた冶金技術をもっていた。
 最近発掘された広島県三原市の小丸遺跡は3世紀、すなわち弥生時代後期の製鉄遺跡ではないかとマスコミに騒がれました。そのほかにも広島県の京野遺跡(千代田町)、西本6号遺跡(東広島市)など弥生時代から古墳時代にかけての製鉄址ではないかといわれるものも発掘されています。
 弥生時代末期の鉄器の普及と、その供給源の間の不合理な時間的ギャップを説明するため、当時すべての鉄原料は朝鮮半島に依存していたという説が今までは主流でした。しかし、これらの遺跡の発見により、いよいよ新しい古代製鉄のページが開かれるかもしれませんね。
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 NHKスペシャル「アイアンロード~知られざる古代文明の道~
 2020年1月13日(月) 午後9時00分~9時59分
 歴史・紀行
 「いま、あのシルクロードより古い「文明の道」が姿を現し始めている。それは、現代社会に欠かせない「鉄」を伝えた道。西アジアから日本列島にいたるその道は、「アイアンロード」と名づけられた。このルートに沿うようにユーラシア各地の大草原や山岳地帯などで進む発掘調査からは、謎にみちていた古代国家の実像が次々と明らかになり、エジプトやギリシャなど、いわばメインストリームの古代文明とは異なる“未知の世界史”が浮かび上がっている。
 また、これまで武器を中心に考えられてきた古代の鉄の役割が、時代が進むなかで次々と広がっていった事実も分かってきた。鉄は和平を促す“交渉品”となり、異文明を結ぶ“交易品”となり、馬具を生んで“移動革命”をもたらし、工具として“芸術革命”を導き、農具となって“生産革命”を起こしていた。鉄は、武器による「征服と破壊」の一方で、「融和と建設」の主役でもあったのだ。
 番組は、俳優の江口洋介さんをナビゲーターに迎え、アイアンロード研究の最前線を追いながら、知られざる古代世界のダイナミズムを壮大なストーリーで描く。」
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 NHKスペシャル「アイアンロード~知られざる古代文明の道~」
 [総合]
 2020年1月13日(月) 午後9:00~午後10:00(60分)
 ジャンル
 ドキュメンタリー/教養>歴史・紀行
 ドキュメンタリー/教養>カルチャー・伝統文化
 ニュース/報道>特集・ドキュメント
 番組内容
 シルクロードより古い「文明の道」が姿を現した。人類に「鉄」を伝えたこの道をたどると、「未知の世界史」が見えてくる。江口洋介さんをナビゲーターに、壮大な物語を描く
 詳細
 あのシルクロードより古い「文明の道」が、姿を現している。西アジアから日本列島まで、各地に「鉄」を伝えたこの道は、研究者によって「アイアンロード」と名づけられた。舞台となるのは、ユーラシア大陸の大草原や山岳地帯など、人影もまばらな、辺境の地。発掘調査から、エジプトやギリシャなどメインストリームの古代文明とは異なる、「未知の世界史」が浮かび上がっている。江口洋介さんをナビゲーターに、壮大な物語を描く。
 出演者ほか
 【司会】江口洋介,【語り】守本奈実
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 AIメタデータ登録商標 JCC株式会社
 【最新のTV情報】
 2020/01/13 NHK総合 【NHKスペシャル】
 アイアンロード・スキタイ・謎の古代文明
 新たな研究によってスキタイの人々は西のビルスヒルフォートから東のアルタイ地域に及ぶ広大な国を築いていたことが分かった。
 「鉄の遺跡」。
 それらを並べていくとユーラシアの西から東へと延びる長い道が浮かび上がる。
 人類は長い間馬を乗りこなすことができず長距離の移動は不可能だった。
 これを実現したのがスキタイが生み出した鉄のはみ。
 これによって人類は初めて馬を思いどおりに操り長時間長い距離を行き来することができるようになった。
 いわば「移動革命」が起きた。
 前代未聞の軍事組織「騎馬軍団」も生み出していた。
 スキタイが繁栄した時代、人類が使っていた金属の中心は「青銅」だった。
 古くからの大国だったギリシャも武器をはじめさまざまな青銅器にあふれていた。
 しかし多くの物が青銅で作られ人々が満足していたがゆえにかえって鉄器の普及が遅れたとも考えられている。
 新興国だったスキタイは新たな素材である「鉄」をあらゆる物に利用。
 愛媛大学・村上恭通教授らの研究による。
 語り・江口洋介
 2020/01/13 NHK総合 【NHKスペシャル】
 アイアンロード・鉄の起源を探して
 人類は長い間鉄を作り出すことができなかった。
 人類が最初に出会った鉄は空から降ってきた隕鉄
 最新の調査によって人が作ったと考えられる世界最古の鉄が発見された。
 スキタイの時代よりはるかに古い紀元前24世紀から23世紀のもの。
 トルコ中央アナトリア地方はアイアンロードの出発点だと考えられている。
 ヒッタイトの人々がアナトリアの荒野に国を築いたのは紀元前17世紀のこと。
 遺跡から出土したヒッタイトの鉄器。
 ヒッタイトの人々は世界に先駆けてさまざまな鉄器の量産に成功していたと考えられ る。
 語り・江口洋介
 デミリの映像。
 中近東文化センターアナトリア考古学研究所長・大村幸弘、京都造形美術大学専任講師・増渕麻里耶、鍛冶屋・キョカンパクラ、治金考古学者・ウルサンヤルチュンのコメント。
 2020/01/13 NHK総合 【NHKスペシャル】
 アイアンロード・鉄の先駆者
 中近東文化センターアナトリア考古学研究所長・大村幸弘はヒッタイトの鉄づくりのカ ギになったのは厳しい自然環境だと考えている。
 強い風の力を利用して製鉄炉を高温に保ち鉄の量産に成功した。
 鉄を手にしたヒッタイトの人々はこれまでは主に武器に使っていたと語られてきたがところが意外な方法で鉄を利用していたことが明らかになってきた。
 紀元前18世紀。
 地の王族がつづった一通の書簡には貴重な鉄を贈ることでほかの国と結び付こうとする様子が記録されていた。
 鉄は当時銀の40倍金の8倍もの価値があった。
 この貴重な鉄をヒッタイトは外交の切り札に利用していたことが分かってきた。
 当時ヒッタイトの周囲では超大国エジプトに加えアッシリアという新興国が大きな脅威となっていた。
 しかし領土拡大をもくろむ超大国エジプトが攻め込んできたがヒッタイトは同盟国から援軍を得ることに成功。
 エジプトを撃退し領土を守り抜いた。
 ドイツ考古学研究所・アンドレアスシャハナー、中近東文化センターアナトリア考古学研究所長・大村幸弘のコメント。
 2020/01/13 NHK総合 【NHKスペシャル】
 アイアンロード・ヒッタイトからスキタイへ
 鉄を武器だけではなく外交の道具に使うことで大国エジプトに対抗できるほど発展していった。
 ヒッタイトの滅亡が紀元前12世紀。
 コーカサス山脈を越えるのが紀元前10世紀。
 スキタイが鉄を本格的に利用するのは紀元前8世紀。
 スキタイは瞬く間に製鉄技術を勢力圏の東側へと伝えた。
 「アイアンロード」はシルクロードの北側を通っている。
 理由はユーラシアの「自然条件」によるものだと考えられている。
 鉄を作るには燃料となる木材が必要。
 人々は森林地帯の麓の草原に暮らしながら鉄の生産技術を伝えていったと考えられている。
 語り・江口洋介
 2020/01/13 NHK総合 【NHKスペシャル】
 アイアンロード・匈奴vs漢・イノベーション戦争
 世界最大の建造物、万里の長城の壁を隔てた2つの国が世界史上まれに見る長い期間、壮絶な戦いを繰り広げた北の匈奴と南の漢。
 紀元前3世紀から続いたこの争いの中で鉄はスキタイの時代とは次元の異なる進化を遂げていく。
 匈奴の遺跡から進化を重ねた鉄の武器が見つかっている。
 一つが「鉄の矢じり」。
 紀元前200年、両国の間に大規模な戦争が勃発。
 漢を率いるのは初代皇帝劉邦
 対するは国王の「冒頓」に率いられた匈奴
 匈奴は漢に圧勝。
 匈奴の強さを支えた鉄はアイアンロードによってもたらされていたことが最新の調査で分かってきた。
 去年驚くべき事実が明らかになった。
 草原の中から見つかった巨大な「王の宮殿」の近くから鉄の武器を作り出す大規模な「軍需工場」が姿を現した。
 モンゴル科学アカデミー・歴史考古学研究所部局長・ツァガーントゥルバト、愛媛大学准教授・笹田朋孝のコメント。
 2020/01/13 NHK総合 【NHKスペシャル】
 アイアンロード・匈奴vs漢・イノベーション戦争
 一方、匈奴に圧倒され続けてきた漢。
 最先端の武器を生み出すため鉄のイノベーションに挑んでいた。
 漢には匈奴より早く西から製鉄技術が伝わっていた。
 高炉でできる鉄は脆いため武器には適していなかった。
 漢の人々は「強い鉄」を手に入れるため弱点を克服。
 高炉で生産した鉄から炭素を抜く技術は現代にも受け継がれる驚くべき発明だった。
 戦争を激化させた鉄のイノベーション
 その一方でかつてない豊かさを生み出していた。
 強靭な鉄が作れるようになったことで犂カの性能は飛躍的に高まった。
 大量に作られた鉄の犂カは堅い土地を素早く深く掘り起こすことができ、農地に恵まれなかった人々の生活を一変させた。
 鉄の犂カが農業革命を導いた。
 愛媛大学・アジア古代産業考古学研究センター長・村上恭通のコメント。
 鉄牛村、甘粛省ヨウハ村の映像。
 2020/01/13 NHK総合 【NHKスペシャル】
 アイアンロード・人類が手にした鉄の恵み
 アイアンロードをたどる中で感じた古代の人々の「挑戦」の歴史。
 荒野の地で鉄づくりに成功したヒッタイト、鉄の馬具で未開の地を切り開いたスキタイ、鉄のイノベーションを成し遂げた匈奴と漢。
 ユーラシアを横断したアイアンロードは日本列島に到達する。
 日本は弥生時代
 鉄は日本人の暮らしや社会も一変させていく。
 大型船によって長距離の航海が可能になり日本各地が結ばれ日本人は海を渡り朝鮮半島や中国の人々と交易を始める。
 鉄の力が日本と世界をつなげていった。
 語り・江口洋介
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 鉄と星の物語「たたらと羽衣伝説」
 2017/09/02
 宮崎駿監督のアニメ『もののけ姫』には「たたら場」が、物語のカギを握る重要な場所として登場します。たたら場とは砂鉄から鉄を取りだす作業を行う場所で、いわば昔の製鉄所です。
 たたら場は古代より日本各地に存在し、長く日本の鉄需要を賄ってきましたが、明治になって西洋式の近代的製鉄法に押され、徐々に姿を消していきます。現存するのは島根県雲南市吉田町にある「菅谷(すがや)たたら」のみで、『もののけ姫』に登場するたたら場のモデルも、この菅谷たたらと言われています。
 一般に女性は製鉄作業に従事しない。彼らが祀る金屋子神(かなやごかみ)が女性神で嫉妬深く、たたら場に女性が入ると祟りがあると言われたからです。
 『もののけ姫』で宮崎駿がタブーとされる女性を製鉄作業に従事させたのは、祟りを恐れないエボシ御前の近代的な精神をセリフで説明するのではなく一目で表現してみせた秀逸な演出なのです。
 「ヤマタノオロチ伝説とたたら製鉄
 「たたら場」で使用される砂鉄は、含まれる不純物が少ないほど良質とされました。上質な砂鉄は中国山地の中でも、特に出雲地方でのみ採れました。
 出雲と言えば国譲りの物語に代表される日本神話に多く登場する重要な地域ですが、スサノオノミコトヤマタノオロチを討伐したのも出雲になります。
 ヤマタノオロチ伝説は日本書紀古事記において、「目はホオズキのように真っ赤でその腹は血にただれ、頭が八つ」「尾を割り裂いて見ると、中にひとふりの剣があった。「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」である。スサノオノミコトはこの剣をアマテラスオオミカミに献上する。」とあります。
 ヤマタノオロチは出雲を流れる斐伊川流域とその支流を表すとする説があり、斐伊川流域は古来より製鉄文化の盛んな地域でした。ホオズキのように赤い目はタタラ製鉄に関わる人たちの炎を凝視する目を現し、血にただれた腹の記述は製鉄で燃え盛る炉のなかの溶けた鉄を現している。すなわち古代出雲の製鉄を示しているとする説です。
 スサノオノミコトとは当時の中央集権国家であったヤマト政権のことであり、スサノオ草薙剣をアマテラスに捧げる行為は、出雲のヤマト政権への屈伏を意味し、しかもそれが今日に到るまで皇室の三種の神器の一つなっていることからも、当時の日本で最新テクノロジーであった出雲たたらの製鉄技術を征するということは日本を征することに繋がったことが伺えます。
 その証拠にヤマト政権はスサノオオオクニヌシヤマトタケルと三度も出雲を攻めています。
 ヤマトタケルもまたヤマト政権を象徴する日本神話の登場人物。西の熊襲(くまそ)、出雲、それから東の蝦夷(えみし)を征伐した英雄として描かれていますが、このヤマトタケルが征服した地には2つの共通点がありました。一つは「鉄の産地であったこと」もう一つは「羽衣伝説が語り継がれている」ことです。
 「羽衣伝説とそのルーツ」
 羽衣伝説とは、天から舞い下りた天女が松の枝にかけていた羽衣を通りすがりの漁師が隠したので、天女はやむなくその漁師と結婚するが、のちに羽衣を取り戻して天に帰っていくという話。
 この羽衣伝説に似た寓話は世界中に見られるのですが、元々は中央アジアで広まっていた「白鳥処女説話」が中国や朝鮮から日本に伝わり形を変えて定着していったようです。
 中央アジアに伝わる「白鳥処女説話」は、
 森の泉に七羽の白鳥が舞い降り、そこで羽衣を脱ぎ捨てると美しい娘たちに変身し、水浴びをはじめました。 それを森の中から見ていた若い猟師は、娘たちの美しさに惹かれ一枚の羽衣を隠してしまいます。 六人の娘は再び白鳥に化身して天空に飛び去り、裸で取り残された娘は仕方なく猟師と結婚して地上にとどまることになりました。というもの。
 さらに、この白鳥伝説のそもそもの起源は古代ギリシャのオリオンとプレアデスの神話だという。
 「プレアデスとは美しい七人の姉妹の名だった。いつも森の中で遊んでいたが、ある日猟師のオリオンに襲われた。シリウスという犬を連れて迫るオリオンにプレアデス七姉妹は逃げ惑い神々に助けを求めた。神々は姉妹を鳥に変えて空に逃がしてやった。そしてそのまま天に昇らせて七つの星にしたのだという。その後、七つの星は六つの星になった。それは姉妹の一人が人間に恋して姿を隠したとも、あるいは流れ星となって飛び去ったためとも言われる。」
 プレアデスとはプレアデス星団のことで日本では昴(すばる)星団と言われています。古くは枕草子にもその記述があり、肉眼で六つの星が見えることから「六連星(むつらぼし)」と呼ばれれていました。
 プレアデスと言えば六つの星なのですが、奇妙なことに古代では七つの星が見えていたらしいのです。
 アッシリア帝国の粘土板にははっきりと七つの星が刻まれており、古代中国でも「昴宿七星(ぼうしゅくしちせい)」と呼ばれていたのです。
 何故、一つの星が忽然と消え去ったのだろうか。
 星の寿命が終わり、超新星爆発で消滅してしまったとする説が有力ですが、いずれにしても星の一つが失われるのを目撃した古代の人々によって生み出されたのがプレアデスの神話でした。
 「星から鉄を生み出した民族」
 このプレアデス神話から白鳥伝説を作り出したのがヒッタイトという民族です。
ヒッタイトといえば、青銅器しか持たなかった人類に最初に鉄器文明をもたらした民族。
彼らが作った最初の鉄剣は隕鉄が原料でした。隕鉄とはすなわち、宇宙からやって来た隕石に含まれる鉄です。
 空から降ってきた隕石を目撃したヒッタイトの人々は、そこに流れ星となって消えたプレアデスの星の一つを連想したのかもしれません。
 やがてヒッタイトの民族も他の民族に滅ぼされ世界中に散らばっていきます。
 ヒッタイト人は世界の鉄の産地を求めて移動していくのですが、その歩んだ道のりは不思議なことに白鳥の生息地と一致しているのです。
 鉄鉱石や砂鉄は磁性を帯びていることが多い。白鳥などの渡り鳥は一説によると、地磁気から方角を知るという。鉄あるところに白鳥あり…とすれば、白鳥の姿を目印として追い求めた人々がいたかもしれない。
 そして彼らヒッタイト人は隕鉄を授けてくれたプレアデスの神話から、鉄の産地へと誘ってくれる白鳥伝説へと昇華させていったのではないだろうか。
 やがてヒッタイト人はタタール人と呼称を変え、製鉄技術と伝説を伝えながら白鳥を追って世界を旅していきます。
 プレアデス星団超新星爆発から始まった神話は白鳥の翼に乗って海を渡り、やがて羽衣伝説となり、タタール人の伝えた製鉄方法は「たたら製鉄」と呼ばれるようになったのではないだろうか。
 進士 素丸
 たたら製鉄タタールとの関係研究へ タタルスタンから視察団
 http://www.sankei.com/region/news/150123/rgn1501230056-n1.html
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 文化
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 紀元前23世紀から紀元前24世紀、トルコで最古の人工鉄が作られた。
 カマン・カレホイック遺跡。
 紀元前17世紀前 ヒッタイト人は、トルコで荒野の厳しい自然環境を利用して鉄鉱石から鉄を生産して鉄器を作り帝国を建設して栄えていた。
 ヒッタイト人は、貴重な良質な鉄を大国に対抗する外交道具として利用し、古代エジプト敵対していた。
 鉄は、金銀よりも貴重であった。
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 中央アジアの森林地帯と砂漠地帯の間の草原地帯が、鉄の道となった。
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 紀元前7世紀 アルタイ山脈に文明と王国が繁栄していた。
 紀元前5世紀の王家の古墳から、金髪のミイラが発見された。
 ウクライナの遺跡からスキタイ人の短剣が発見され、その短剣がアルタイ遺跡から発見された。
 古代ギリシャや古代ペルシャは青銅器を用いていた。
 スキタイ人は、高度の技術で鉄器を作り、鉄製武器で強大な軍事力を持ち中央アジアを支配していた。
 スキタイ人は、馬の口にくわえさせる「鉄のはみ」を作って馬を移動手段と軍馬に利用した。
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 匈奴に鉄が伝えられ、匈奴は大規模な製鉄工場を建設し大量の鉄製武器を大量生産した。
 匈奴は、青銅製武器の漢帝国と激しい攻防戦を繰り返していた。
 紀元前200年 匈奴劉邦の漢軍を撃退した。
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 漢には匈奴より早く製鉄技術が伝わっていたが、匈奴の鉄より脆かった。
 漢は、製鉄の強度を増す技術革新を行った。
 紀元前133年 漢の武帝は、匈奴を撃退した。
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 鉄製農具によって農業革命が行われ、農作物の大量生産を可能にした。
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