🦲3〕─1─メディアの陰謀。世俗化する天皇制。覗き見される皇室。アイドル化する皇族。〜No.5No.6No.7 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 昭和天皇は、日本国の統治者として最終決定権を行使していたが、大日本帝国憲法において政治的責任は免除されていたが人としての道義的責任はあった。
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 現代のメディア・報道機関及び学者・教育関係者は、間接的に人道貢献に関与した昭和天皇の名誉や尊厳を回復させる意思はない。
 昭和天皇戦争犯罪及び戦争責任という恥辱・汚名を晴らすきがないどころか、天皇否定的歴史教育を子供たちに教え天皇・皇族、皇室、天皇制度への疑問・嫌悪を植え付けている。
 反天皇反日の象徴が、国歌「君が代」と国旗「日の丸」反対である。
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 日本民族日本人に、思想や哲学はあっても、宗教や主義主張はなかった。
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 日本人には歴史力がなく、架空の作り話的時代劇は好きだが、事実に基づいた歴史は嫌いである。
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 2020年2月14日号 週刊ポスト「ネットのバカ 現実(リアル)のバカ
 呉智英
 世俗化する天皇
 1月25日、国技館天皇一家の大相撲観戦があった。天覧である。場内放送があると拍手が湧き上がった。ラジオのニュースを聞いていると、口笛まで混じっていたようだ。
 いやあ、驚いた。口笛は親しみの表現であり、からかいの表現でもある。友人の結婚式のパーティーで口笛が鳴るのも、こんな美人を嫁さんにしやがって、このヤロー、という気持ちからだ。戦後の象徴天皇性は、女性誌に見られるように芸能人天皇制になり、さらにトモダチ天皇制にまでなった。天皇制の世俗化である。
 私は尊皇の気持ちがあるわけはないが、別な意味で天皇制の歴史や真実が知られなくなるのはよくないと思う。令和改元以来、マスコミも世論も、俗世天皇制の風潮に呑み込まれているようだ。
 産経新聞では昨年来『記紀が描く国の始まり 天皇の肖像』を連載している。昨年2月22日付『国生みと神生み神話』とする囲み記事にこんな一節がある。
 『〔女神〕イザナミから声をかけて国生みしようとした。しかし、しっかりした子が生まれなかったため、高天原に相談すると、男神から声をかけるように言われた』
 この『しっかりした子が生まれなかった』て何だろう。
 岩波古典文學大系『古事記祝詞』では『生まれる子は、水蛭子(ひるこ)。此(こ)の子は葦船(あしぶね)に入れて流し去(う)てき』とし、水蛭子とは『手足はあるが骨無しの子の意』と注釈する。要するに『不具の子』が生まれたので葦船み入れて生みに捨てたのである。
 産経の記事では世論に迎合して原典を改変している。だが、神が『不具の子』を海に捨てようが捨てまいが、俗人が口出しすべきことではないだろう。
 朝日新聞は今年1月5日付で、伊勢神宮の初詣が昨年より4万7,000人増えたと報じ、『令和初』効果だとする。新帝が昨年11月22日に伊勢神宮に参拝したことも大きいだろう。
 しかし、天皇伊勢神宮を参拝するようになったのは、明治以後のことである。明治より前は、天皇伊勢神宮に参拝することはなかった。このことを私は学生時代に直木孝次郎の著作で知った。比較的新しい本では溝口睦子『アマテラスの誕生』(岩波新書)に、こうある。
 『天皇伊勢神宮参拝は』『明治天皇の参拝が』『史上最初のものである』。『持統天皇聖武天皇の伊勢行幸はあったが、その時も神宮への参拝はなかった』。
 理由は、系統が違うからだ。
 溝口は、日本神話の最高神は次の3つを考える。タカミムスヒ、アマテラス、オオクニヌシである。それぞれ由来が別系なのに最高神として扱われている。明治新政府の『人民告諭』は『天子様ハ天照皇大神宮サマノ御子孫様』とする。だが、溝口はアマテラスは『海路』に関する神様だと考える。
 伊勢神宮参拝の記事でこれに触れたものを見ることはなかった」
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 産経新聞iRONNA「眞子さま「早まった婚約」の裏にある皇族女子のアイドル化
 『小田部雄次
 小田部雄次静岡福祉大教授)
 古代社会において、皇族女子の結婚相手は主に皇族であり、律令(りつりょう)の継嗣令では、内親王天皇より五世未満の女子)の相手は、天皇もしくは五世未満の皇族(皇親)とした。時代を経る中で、皇族以外の男子と結婚する事例もみられるようになる。江戸幕府の14代将軍、徳川家茂に嫁いだ和宮親子内親王のように、嫁いでも皇族の身分や称号は保持された。
 一方、皇族男子の相手は、皇族のほか有力豪族の娘などの場合もあった。近代になっても、明治の旧皇室典範第39条には「皇族ノ婚嫁ハ同族又ハ勅旨ニ由リ特ニ認許セラレタル華族ニ限ル」とあり、皇族男子の結婚相手は皇族か特定の華族(旧公家や旧武家の上流階層)に限定されていた。こうした伝統と法令により、明治天皇大正天皇はそれぞれ旧公家の一条、九条、昭和天皇は皇族の久邇宮(くにのみや)の女子を皇后とした。
 また、明治天皇の成人した4人の内親王の嫁ぎ先も、みな皇族であった。大正天皇に女子はなく、昭和天皇には4人の成人女子がいた。
 昭和天皇の長女の成子内親王は、戦前に結婚し、皇族の東久邇宮に嫁いだ。次女以下は戦後の結婚となり、新憲法や新皇室典範のもと、皇族ではないが、それぞれ旧華族につながる鷹司家、池田家、島津家に嫁いだ。中でも四女の貴子内親王は昭和35(1960)年に結婚する若い戦後世代であり、結婚直前の誕生日会見で語った「私の選んだ人」は流行語になった。
 当時はまだ見合い結婚が一般的であり、自由恋愛はどちらかといえば「ふしだら」とみられがちなころで、皇族女子が新時代の結婚のあり方をリードした形となった。貴子さんは戦後の自由な社会を体現した皇族女子の代表的存在であったが、誘拐されて身代金を要求された事件もあり、皇族が一般社会に溶け込む難しさの一面もみせた。
 昭和天皇の長男である今上天皇の結婚も大きな話題となった。将来の皇后たるべき女子は皇族あるいは旧華族上流の出身であるべきことという慣行とは異なり、新興財閥の令嬢を皇太子妃としたからである。このため旧上層階層の一部では反発する動きもあったが、民間からは歓迎された。この結婚も、大衆化する日本社会を一歩リードする形となった。
 その後、今上天皇の次男の文仁親王が大学教授の長女である川嶋紀子さんと、長男の徳仁親王が外交官の長女である小和田雅子さんと結婚するなど、天皇家の男子の婚姻相手はいわゆる旧上層階層の家柄に限定されなくなった。今上天皇の長女である紀宮清子内親王も地方公務員の妻となるなど、天皇の女子が民間に嫁ぐ道も開かれた。
 現在、未婚の内親王は皇太子家の愛子内親王秋篠宮家の眞子内親王佳子内親王の3人、女王は三笠宮家の彬子女王瑶子女王高円宮家の承子女王絢子女王の4人の計7人である。今回の眞子内親王の結婚延期は、これらの皇族女子の今後の結婚のあり方にいくつか課題を投げかけたともいえる。
 まず、結婚は両性の合意によって成り立つものであるが、それぞれの属する両家の関係も重要な要素であることだ。これは皇室のみならず、民間でも同様であり、結婚直前になって両家の行き違いなどでトラブルが起きるケースは少なくない。
 次に、皇族の身分を離れる際に支出される一時金は国庫金であり、その使用には一定の国民の理解が必要になることである。今回の延期の理由の一つと推測される週刊誌報道の「400万円」の借財は、一般の資産家の令嬢であれば、その親元などから支出することも可能である。しかし、皇室の場合は、収入の基礎を国庫金としているため、結婚相手の借財返済に充てることに対する国民の理解は難しい。
 結婚相手の金銭トラブルは、皇室側にとって大きな障害となる。結婚した後に、婚家が金銭トラブルに巻き込まれるケースもありうるわけだが、その場合も皇室から婚家に救済の手をさしのべることは容易ではなかろう。
 加えて、結婚前の事前調査の可否が挙げられる。戦前には、警察などを介して相手の家系などを詳細に調査することもあった。民間では今でも結婚前に相手の家庭調査をすることがあるが、皇室は公然とは行えないだろう。
 戦後の新皇室典範第10条には、「立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経る」とあり、皇族男子の結婚には一定の審議がある。しかし、皇族女子は第12条に「天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる」とあるのみで、婚姻相手に関する合法的な審査機関はない。相手側の事前調査を誰がどのように行えるかは、大きな課題である。
 さらに、現典範第12条にある「天皇及び皇族」と結婚できる皇族女子が現在いるのかといえばいない。皆近親であり、独身の皇族男子は悠仁親王ひとりなのだ。現典範のままでは、皇族女子は婚姻ですべて皇族の身分を離れることになる。
 しかし、女系容認や女性宮家創設の議論は決着がつかず、この十数年の間、内親王や女王たちは、自身の将来の生き方を自ら決めがたく、政治の流れに翻弄(ほんろう)されている状態にある。眞子内親王の「早まった婚約説」も聞かれるが、そうした心理的焦りを誘発した一因には、内親王や女王が置かれた不安定な法的立場もあったろう。
 最後に挙げておきたいのが、皇族女子の「アイドル化」である。適齢期の女子が雑誌などで話題になるのは、戦前にもあった。しかし、情報化が進む現代にあっては、かなりプライベートな事項まで尾ひれ付きで伝達されてしまう。
 アイドル化して皇室と民間との交流が親密になるのは、プラス面もあろうが、マイナス面も生じよう。過剰に脚光を浴びる存在に複雑な感情を持ち、あらぬ攻撃を加える者も現れよう。アイドル化自体を抑えるのは難しいとしても、アイドルにされる側の脇を固めないと、スキャンダルのターゲットになりやすいというのも、今回の教訓ではないだろうか。
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 南方系海洋民の子孫であった縄文人は、舟に乗って日本海と太平洋の海岸線沿いを西から東へ、そして北へ、蝦夷地・北方領土4島・千島列島・樺太に移っていき、その途にあった川を遡り平らな土地に定住していった。
 その後から、大陸から渡ってきた弥生系帰化人が舟を使い歩いて峠や山を越えて移動し、平和に暮らしていた先住民も縄文人と交わり雑居し乱婚して混血し同化していった。
 鉄器を持った弥生系帰化人の移動は、日本列島の中だけに止まり、そして弥生の大乱が始まった。
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 天皇家・皇室は、政治機関ではなく、宗教組織でもなく、家族集団である。
 皇室祭祀・宮中祭祀とは、天皇の国事行為・公的行事ではなく私的行事で、一子相伝の秘儀としての子孫が祖先を敬う無私無欲な祖先神・氏神の人神崇拝である。
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 明治維新まで、日本民族は存在しなかったし、日本人としてのアイデンティティーなどなかった。
 江戸時代まで、自分は日本民族あるいは日本人と考える人間は、日本には一人もいなかった。
 南から北にかけ言語=方言や生活習慣=文化の違う、琉球人、薩摩人、熊本人・日向人・長崎人・・・出雲人・吉備人・・・土佐人・讃岐人・徳島人・・・難波人・奈良人・京都人・・・江戸人・水戸人・上総人・・・越後人・秋田人・米沢人・・・南部人・津軽人・八戸人・アイヌ人が地域ごとに別れ、交わる事なく没交流的に閉鎖的な生活をして、甚大な災害が発生しよと、大量の餓死者が出ようと、助けもせず我関せずで見捨てていた。
 日本民族日本人が誕生したのは、明治からであってそれ以前にはいなかった。
 当然、日本国語も日本文化もなかった。
 南の薩摩弁と北の津軽弁は外国語のように話が通じなかった。
 日本国語は、明治政府が日本を統一する為に無理して作った新しい言語である。
 何故、日本が、日本人が1つにまとまらなかったかと言えば、日本列島の険しい地形と厳しい自然環境が原因であった。
 そんな中で日本人の移動手段は、自分の足で歩くか小舟に乗るかの2つしかなかった。
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 天皇・皇族・皇室、天皇制度に対して、永遠の弥栄と継続を願う日本人は2割、嫌悪して廃止を求める日本人は3割、有っても無くても何方でも構わないという無関心な日本人は5割。
 つまり、日本人の本心は、天皇・皇室、天皇制度など有っても無くても何方でもかまわないのである。
 特に、江戸時代までの一般庶民には勤皇も尊皇も無縁であり、誰が領主になろうが興味がなく、天皇・帝が誰なのかその名前を知ろうとも思わなかった。
 だが、天皇・皇族・皇室が庶民から忘れられた存在が、両者にとって最も幸せな事である。
 つまり、天皇京都御所に軟禁され世間から忘れ去られて状態が日本は平和で安定しているのである。
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 日本には、俗欲に塗れた強欲な政治権力と宗教権威、そして穢れなき爽やかな空気のような無私無欲の天皇の御威光があった。
 政治権力と宗教権威は、血と死を好んで引き寄せていた。
 天皇の御威光は、血や死を嫌って遠ざけた。
 日本で中華や西洋のような地獄の様な虐殺が起きなかったのは、天皇の御威光が空気のように日本国土に充満していたからである。
 勝者・強者・実力者、征服者・支配者・占領者が自分の力に基づく絶対正義を正当性として、科学的宗教的男系父系Y染色体神話を起源を正統性とすの現天皇家・皇室を廃止して天皇に即位しなかったのはその為である。
 日本は船であり、天皇・皇室はマストに高らかと掲げられた夢と希望を与えてくれる唯一の旗である。
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 永遠のアイドルなど存在しない。
 アイドルは何時かは人気を失い魅力をなくし表舞台から消され、光り輝く活躍をしていた事さえ忘れ去られ、話題にもされなくなり、悪くすると人格さえ否定され嫌われる。
 日本人とは、自分本位で我が儘で傲慢で、そして情が薄く冷たい。
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 戦後の教育は、戦前の教育とは違う。
 特に、1980年代後半からの教育は日本民族を嫌悪どころか怨嗟に近い内容である。
 つまり、日本民族日本人極悪非道な凶悪犯史観に基づく教育である。
 日本人の戦争犯罪を教えても、日本軍の人道貢献は教えない。
 高学歴出身知的エリートは、そうした学校教育を高得点で卒業した優秀な人材である。
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 メディアは、昔ほどの影響力はなくなったといっても、今もなお巧みに国民世論を誘導している。
 国民の知る権利として、ウソの情報や捏造した情報を流している。
 特に、反論できない天皇・皇族、皇室、天皇制度に対し、日本人が憎悪をかり駆り立てるような批判記事や中傷記事などが絶えない。
 それは、メディア・報道機関の中に天皇制度廃絶や天皇家・皇室消滅を目指している勢力がいるように感じる。
 万世一系男系天皇を、科学的宗教的伝統文化的男系父系Y染色体神話を廃止し新作女系母系X染色体物語に変えようという動きに表れている。
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 命を捨てても守るたいと思う熱烈な尊皇派・勤皇派は、下級武士、貧しい庶民(百姓、町人)、差別された芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、曲芸師、傀儡師、その他)、軽蔑された賤民(非人、穢多)、差別された部落民(山の民・海の民・川の民)であった。
 上級武士には、尊皇や勤皇という気持ちは薄く、江戸幕府打倒の明治維新天皇中心とした中央集権には消極的であった。
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