☲17〕─1─李氏朝鮮王族李垠殿下は、陸軍少将に進級し、日本人兵士を指揮命令した。昭和13年~No.43No.44 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 
 昭和天皇は、朝鮮人を差別しない為に、李氏朝鮮王族李垠殿下に皇族待遇を与え、皇族会議への出席を許していた。
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 *日本国内における食糧供給補破綻    
 1938年 満鉄奉天図書館長衛藤利夫は、ポーランド地質学者オッセンドウスキイ博士の「血染めの白鳥」の逸話を著書の『韃靼』に載せた。
 血染めの白鳥とは、ロシア国境を守るコサック兵に、獣のように射殺される半島北部の貧しい朝鮮人の事である。
 「路端で待っていると、朝鮮人の奴お互いに信用していない不信用なものだから、一人一人離れて、こそこそ一番小さな径を行くんです。……」
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 2月 第二次人民戦線事件。大内兵衛ら教授グループ一斉検挙。
 朝鮮人は、朝鮮半島より高賃金で労働条件が良い日本へ仕事を求めて押し寄せていた。
 2月17日 福岡日日新聞(夕刊)「レプラ患者の密航鮮人団」
 レプラ病とは、癩(ライ)病、ハンセン病の事である。
 朝鮮人ハンセン病患者が、日本で入院治療を受ける為に密航していた。
 2月23日 朝鮮軍司令部は、特別志願兵令を公布し、半島で天皇と国家の為に戦う兵士を募集した。
 日本人は、一等国民として「赤紙」一枚で、本人の意志に関係なく強制的に徴兵された。
 日本人で、御国の為として喜んで戦場に赴いた者は皆無で、ほとんどの者は嫌々であった。
 朝鮮人は、愛国心や忠誠心に疑問があるとして、二等国民として志願制にとどめた。
 朝鮮人は、兵士としてではなく、軍属や通訳などの軍要員として現地軍との個人契約で雇用された。その数は、45年までに36万人以上に達した。
 在日朝鮮人総連合会は、600万人以上が軍属・軍夫・労務者として戦場に強制連行され、日本の侵略戦争に強制的に協力させられたと公式発表した。
 兵力数において劣る日本軍は、朝鮮人を仲間と信用して後方を任せるしかなかった。
 日本産業界も、労働不足を朝鮮人で補わなければ、戦争はおろか日常生活もままならない情況に追い込まれていった。
 儒教価値観では、国家への忠誠より家族への義務感が強く、天皇への忠誠より親への孝が優先されていた。
 6年間で80万人以上が応募したが、採用したのは約1万7,000人だけであった。
 日本軍部は、日中戦争による兵力不足を補うべく兵卒の志願を朝鮮人に認めたが、忠誠心を疑い武器を持たせる事には懐疑的であった。
 日本政府も、朝鮮人を兵士にするよりも労働資源として活用するべきだと考えていた。
 日本人は、国家元首昭和天皇を暗殺しようとしたテロリストを出した朝鮮人に対する根強い不信感を持っていた。
 朝鮮人は日本人に比べて、体力や学力を厳しく検査すると思ったほどの数の合格者は出なかった。
 朝鮮人は、大言壮語の口先だけで実がなく、目上の者におべっかを使い胡麻をする事に長け、利益や金儲けの為の労働者にむいても、信義や道義の為に命を捨てる兵士にはむかなかった。
 日本軍は兵士に求めたのは、状況に応じて自分で判断して行動する不言実行の人間であって、命令や指示を得ないと行動しない有言不実行な人間ではない。
 自然災害多発地帯の日本では、目の前で決壊している堤防を上官の命令を待たずに修繕活動を自分達で実行するかどうかであった。
 命令・指示がなければ堤防を修復しないとあって、突然、別の災害が発生した時、絶望的状況に陥るからである。
 日本人の思考は、対人間ではなく、対自然である。
 2月23日 内務省警保局長は各庁府県長官に宛てて、軍当局の了解で売春婦(慰安婦)周旋していると偽る悪徳業者がいるが放置する事は帝国の信用に関わる為、注意し、監視し、取り締まるように通達した。
 「最近、支那各地において秩序の回復に伴い、渡航者が著しく増加している。料理店、飲食店、『カフェー』、または貸座敷類似の営業者と連係をして、これらの営業に従事することを目的とする婦女たちが少なからずいる」
 「また内地において婦女の募集周旋をする人間の中には、まるで軍当局の了解あるかのような言辞を弄(ろう)する者も最近各地に頻出(ひんしゅつ)しつつある状況である」
 「これら婦女の募集周旋等の取り締まりをして適正を欠けかないようにするが、帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を害するだけに止まらず、銃後国民、特に出征兵士遺家族に好ましくない影響を与えるとともに、婦女売買に関する国際条件の趣旨にも悖(もと)ることがないようにするのは難しい」
 「醜業を目的として渡航する婦女その他一般風俗に関する営業に従事するのを目的として渡航する婦女の募集周旋等に際して、軍の了解またはこれと連絡あるような言辞、そのほか軍に影響を及ぼすような言辞を弄する者はすべて厳重にこれを取り締まること」
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 3月 多くの日本人青年が、日中戦争勃発で徴兵された為に、国内の工場や鉱山や建設現場で労働者不足をきたした。 
 3月1日 国家総動員法は、近衛内閣が第73議会に提出して制定された法律である。
 総力戦遂行の為、国家の全ての人的・物的資源を政府が統制運用できる旨を規定したものである。
 日本政府は、総力戦に備えて国家総動員令を制定した。
 貧困階層の朝鮮人は、子供に最低限の読み書きを覚えさせる為に学校に通学させたが、それ以上の知識は必要ないとして稼業を手伝わせた。
 その為に、朝鮮人青年の多くの日本語は未熟で日本人との会話ができず、中程度以上の近代的知識を理解する学力もなかっった。
 女性は、儒教価値観から男の道具とされ、金に困ったら売られた。
 遺産相続できない長男以外の朝鮮人青年は、朝鮮半島で働ける仕事がない為に日本に渡ったが、教育不足で単純労働の肉体仕事に就いた。
 日本人労働者は、低賃金で働く朝鮮人労働者に職場を奪われて、朝鮮人への敵意を露わにした。
 日本人経営者で、経費節減を考える者は朝鮮人労働者を雇い、日本人労働者を大事にする者は朝鮮人労働者を差別した。
 朝鮮人労働者は、日本人の差別に不満を抱き、解雇されても半島に帰れない為に犯罪組織に加わった。
 朝鮮人による犯罪は、年々増加し、その手口も巧妙化しかつ凶悪化していた。
 日本政府は、労働不足で産業が停滞しようとも国内の治安と労務環境守る為に、身許引受人がいても就職先や自立生活の見通しのない朝鮮人の日本への渡航を制限した。
 朝日新聞は、朝鮮内で朝鮮人犯罪団が女性に化けて少女28名を誘拐した事を報じた。
 朝鮮では、女性絡みの犯罪が絶えなかった。
 3月2日 朝鮮人誘拐団による人身売買が明るみに出た。、
 3月4日 台湾や朝鮮で志願制が導入され、戦地に慰安施設が設置され日本と朝鮮で慰安婦の募集が始まった。
 当時の朝鮮半島では、人さらい・誘拐の朝鮮人犯罪者が跋扈し、多くの朝鮮人女性を騙して、満州や上海等に売り飛ばしていた。
 朝鮮総督府と地元警察は、誘拐された朝鮮人女性を売られる前に発見して救うべく、朝鮮人の権利を踏みにじる様に強権をもって誘拐団を取り締まっていた。
 貧困階級の朝鮮人は、売られた娘達がどういう運命を辿るかを知りながら、家族が食べていく為に朝鮮人女衒に売った。
 朝鮮総督府や地元警察は、合法な手段で集められた朝鮮人女性達が悲惨な境遇に陥らない様に、朝鮮人娼妓の待遇改善を求めた。
 陸軍は、朝鮮半島で悪徳な朝鮮人女衒が皇軍の名を語って女性を騙して慰安婦にしている事に対して、「陸文密2197号。軍慰安所従業婦等募集に関する件」という通達を発した。
 軍部は、戦時中の兵力不足を朝鮮人青年の志願兵で補う必要があった為に、朝鮮に於ける反日感情の盛り上がりを警戒し、朝鮮人女性を慰安婦にする為に騙したり誘拐したりの非人道的不法行為で強制連行する事を禁じていた。
 悪徳な朝鮮人女衒が誘拐紛いの方法で朝鮮人女性を集めて多額の報酬で各地の軍慰安所に売りさばいているので、憲兵や警察に協力して取り締まるように命じる内容であった。
 軍部は、戦闘部隊の戦闘能力維持と占領地での治安維持には慰安所が不可欠との認識から、合法的な慰安所運営と朝鮮人商売慰安婦への配慮を現地部隊に命じた。
 『陸支密大日記』「副官ヨリ北支方面軍及中支那派遣軍参謀長宛通牒案」「軍慰安所従業婦等募集二関スル件」「慰安婦募集にあたって軍部の名を不正に利用したり、誘拐に類する方法を用いてはならない」「違反する者は処罰する」
 朝鮮に蔓延る、人身売買の朝鮮人悪徳業者の一斉摘発を始めた。
 総督府は、朝鮮人のを日本人化するために、日本国内と同じ教育を行うために朝鮮教育令を全面的に改正した。
 中学校で公用語の日本語を必修とし、正しい日本語の発音を徹底的に教え込み、日本人以上に綺麗な日本語が話せる様に語学教育を強制した。一部の学校では、校内での会話は日本語のみと指導し、朝鮮語を全面禁止として、私語でも朝鮮語を話せば容赦なく制裁を加えた。
 矢内原忠雄「私は、朝鮮普通学校の授業を参観し、朝鮮人教師が朝鮮人の児童に対して、日本語を持って日本の歴史を教授するを見、心中涙を禁じ得なかった」(『植民及植民地』)
 朝鮮語になかった近代用語は、中国語同様に日本語から借用した。創作的和製漢字がなければ、漢字文化圏では現代文は漢字表記できない。
 朝鮮語に日本語に似た発音があるのも、日本発の和製漢字をハングル表記に転換したからである。
 つまり、中国にせよ朝鮮にせよ、創作的和製漢字がなければ、近代化はもちろん文明開化も不可能であった。
 この点において、外国語を流暢に操る現代の日本人よりも、当時の日本人の方が外国語を話せなくとも尽きる事なき語彙を持ち、無限の発想力と旺盛な創作力を有していた。
 3月30日 大阪毎日新聞(福岡版)「鮮人密航団」
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 上海の大韓民国臨時政府は、朝鮮人慰安婦問題を何故か無視した。
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 5月 金九の韓国独立党は、蒋介石の仲介で民族革命党との合併について話し合う為に長沙で会合を開いた。
 その会合の場に、暴徒が乗り込んで銃を乱射し、金九ら4名が重傷を負ったが、金九は一命を取り戻した。
 犯行は金元鳳の民族革命党の一部と見なされ、両派の派閥抗争は激しくなった。
 蒋介石は、民族革命党への支援を続けたが、党首の金元鳳への支援は打ち切った。
 朝鮮独立運動は一本化されず、大韓民国韓臨時政府内部は韓国独立党や民族革命党など5つの党が存在したまま重慶に移った。
 金九の韓国独立党は、蒋介石を支持を得て大韓民国臨時政府の主導権を握ったが、民族革命党は依然として影響力を保持して侮れない勢力であった。
 5月5日 日本政府は、日中戦争の勃発に伴い国家総動員法を成立させた。
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 6月8日 大阪毎日新聞(朝鮮版)「警官隊が乗込み密航船内で大格闘」
 6月19日 「支那渡航婦女の取締に関する件」大鷹正次郎青島総領事から宇垣外務大臣に宛てた書簡
 「一方、当地海軍側は陸戦隊並びに第四艦隊乗組員数を考慮し『芸酌婦合計150名増加』を希望しており、陸軍側は兵員70名に対し、1名位の酌婦を要する意向であるが、当地は警備軍の移動頻繁にして所要特殊婦女数の算定困難であるということだが、当業者等の希望を参酌し、今後更に芸妓40名、酌婦50名(内鮮妓15名)位、新規渡航を御許可くださっても差支えないものと思料できる」
 外務省は、当業者の希望に従って芸酌婦の中国渡航を認め、女性は日本人が大半で、朝鮮人は少数であった。
 現地の警察は、芸酌婦の渡航が増える事で悪徳業者が介入しているので、渡航者増加を抑え込むよう要請していた。
 6月20日 佐々木高山海関副領事から宇垣外務大臣への書簡。
 「憲兵隊からの通報によれば、満21歳未満の婦女6名は、いずれも料理店星月楼で酌婦稼業に従事しているようである。これれは渡航後の職業を詐(いつわ)り、所轄警察署より身分証明書を得たものであると推定される。その通過地である当地において、内地官庁の身分証明書を携行している人を行先地で醜業に従事する疑いがあるとして、入国を拒否することは困難だから、内地官庁において証明書発給の際、特に行先地における稼業であることも考慮し……」
 日本の警察や憲兵隊は、朝鮮人悪徳業者によって大陸で売春婦・慰安婦にされそうな
21歳未満の朝鮮人少女の保護に努めていた。
 6月20日 有野学済南総領事から宇垣外務大臣への書簡。
 「本年1月、当館再開後、当地で特殊婦女、すなわち芸酌婦の数は皇軍の進出に伴い逓増(ていぞう)している。事変前はわずかに46名に過ぎなかったが、5月末現在、料理店業者48軒(内地人30,朝鮮人18)、芸酌婦438人(内地人芸妓101,内地人酌婦110、朝鮮人酌婦228)の多さになっている。これは営業者が皇軍の駐屯地を目指して蝟集(いしゅう)してくるからだ………」
 外務省と憲兵隊・特務機関は、軍の移動と共に増える芸酌婦・売春婦・慰安婦を減らすべく、身分証明書の有無で取り締まった。
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 7月15日 陸軍予科士官学校教授部長・李垠殿下は、少将に進級した。
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 8月 朝鮮人留学生50人が、築地本願寺に集まり、日本政府に対して朝鮮人への徴兵を求める嘆願書を提出した。
 だが、朝鮮人の8割以上が日本語を話せない為に徴兵は不可能であった。

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 9月8日 大阪毎日新聞(山口版)「(朝鮮人)船長を脅して30名を密航さす」
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 10月 軍部は、多少でも兵員不足の足しにするべく朝鮮で400人の志願兵を募集した。
 朝鮮人青年約3,000人が殺到したが、日本軍は健康状態や体力及び日本語の理解能力などを検査して約400人のみを入隊させた。
 志願兵に採用されなかった朝鮮聯合青年団(団員約15万人)代表5,000人は、志願兵となって戦う意気込みを示す為に、旭日旗」を掲げて南次郎総督(A級戦犯)の前で団旗を先頭にして分列行進を行った。(アサヒグラフ、10月19日号)
 写真誌「アサヒグラフ」は、10月19日号で朝鮮人特別志願兵に関する特集記事を掲載した。
 余りにも自主志願者が多い為に、3,000人の兵員補充で兵士募集を行ったところ14万5,000人以上が殺到した。
 だが。兵役検査をしたら、不適格者の方が多く、兵士として戦場に送れる朝鮮人青年は極ほんの少数であった。
 志願兵に採用されなかった朝鮮人青年約15万人は、昭和天皇に忠誠を誓い軍国日本を守って戦う為に「朝鮮聯合青年団」を結成した。
 朝鮮聯合青年団は、存在を誇示する為に、各報道機関の記者の前で、4,300人を動員して旭日旗を掲げて行進する姿を披露した。
 海軍も、朝鮮人の海兵団入団を歓迎し、入団式には旭日旗を掲揚した。
 朝鮮人将兵は、日本人将兵のような徴兵ではなかったし、強制連行でもなく、全てが自主志願であった。
 日本軍は、志願者を全て兵士にしたわけではなく、戦争に耐えられる朝鮮人だけを厳しく選別していた。
 軍部は、1944年に朝鮮で徴兵制を実施する為に、43年7月に最後の志願を受け付けた。
 地獄も様な戦場で役に立ちそうもない朝鮮人を、各工場で徴兵でいなくなった日本人労働者の穴埋めとして徴用した。
 各企業は、戦時の中、増えに増えた朝鮮人労働者が賃金や食事等に不平不満を抱きサボタージュや暴動を起こす事を恐れ、戦争に支障をきたさないように細心の注意を払い、出来うる限りの待遇改善に努めた。
 現地軍の今村均将軍など心ある日本軍軍人は、日本人兵士と倶に戦う朝鮮人兵士が差別され虐待されないように、朝鮮人兵士を庇った。
 差別的民族主義者の日本人は、名誉ある戦争は生まれながらの日本人のみがおこなうものであるとして、俄日本人である朝鮮人天皇陛下から下賜された武器を持ったせて戦場に立つ事が許せなかった。
 朝鮮人に偏見を持つ日本人軍人は、朝鮮人兵士は役に立たない不良品であるとし、武器は支給するが補給や通信や捕虜収容所などの後方勤務に飛ばしていた。
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 12月4日 良家の子女が朝鮮人によって誘拐され、売春婦として満州に売り飛ばされた。
 釜山警察は、朝鮮人誘拐犯を逮捕し、余罪を厳しく追及した。
 12月11日 総督府は、糞尿汚れた朝鮮を改善すべく、平壌に糞尿地下タンクを新設し、近代都市を建設する為に同様の施設を各地に設置した。 
 12月15日 李氏朝鮮王族李垠少将は、 北支那方面軍司令部附高級将校として大陸に渡った。
 

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