🗾57〕─4─日露戦争で日本人と一緒に戦ったアイヌ人、戦わなかったアイヌ人。~No.185 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 日本とロシアの戦争は避けられない「やむをえない」戦争で、日本にとって正しい戦争・正義の戦争であった。
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 ロシア帝国に比べて兵力の少ない日本は、日本国内に住むすべての人間を徴兵した。
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 アイヌ人は朝鮮人同様に、日本民族と一緒に戦ってくれる命を預け頼りになる戦友か、戦争を嫌い平和を優先する良心的兵役拒否の他人か、さもなくば侵略してくるロシアに味方する敵か。
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 日本民族は、生死を共にする、苦楽を共にする、困難・苦難・逆境を共にする、「同じ釜の飯を食う」そうした人とだけ日本列島内で生きたいと願う人々である。
 日本民族が求める多様性とは、そうした相互補完共生が条件であって、一切合切無条件ではなかった。
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 国立公文書館
 アジア歴史資料センター
 明治・大正・昭和初期の生活と文化
先住民族近現代史 ~日露の狭間で翻弄された人々~
 北海道旧土人保護法
 アイヌ明治4年1871年)に和人式の姓名を付けることを強要され、耳輪、入れ墨などの独自の習俗も禁止されるようになります。そして、広大な北海道の土地が明治新政府によって、次々と奪われていきます。もともとアイヌのものであったこの土地は、政府による「保護」の名の下で、再度アイヌに「下付」(上の者から下の者に与えること)されます。そのことを決めたのが、明治32年(1899年)に制定された「北海道旧土人保護法」です。(レファレンスコード:A03020372200、件名:「御署名原本・明治三十二年・法律第二十七号・北海道旧土人保護法」)
 ただし、この分配にはさまざまな条件が付けられていました。すなわち、
(1)農業に従事すること
(2)15年以内に未開墾の場合は没収
(3)相続以外の譲渡や諸物件の設定の禁止
 という条件です。さらに、和人に対して既に10年以上も前に、大規模な耕作適地の払い下げが行われていたので、アイヌに分配された土地は、その残りの部分でしかなく、湿地や山間の傾斜地なども含まれた条件の悪い土地ばかりでした。旭川では、このような土地の分配さえも長い間実施されませんでした。同地のアイヌの粘り強い闘いの結果として、「北海道旧土人保護法」の制定から35年が経過した昭和9年(1934年)に、「旭川市土人保護地処分法」という新たな法律が制定されて (2)、ようやく旭川アイヌは土地を手にすることができたのです。
 また、この法律ではアイヌに対する教育に関しても規定されていて、アイヌ学校が北海道のあちこちで開校していきました。それに伴いアイヌの就学率や識字率は上昇していきましたが、そこでの教育内容は、アイヌ語を禁止し、生活文化を否定し、もっぱら日本語と修身教育をするというものでした。すなわち、それはアイヌの「劣等性」を克服するという名目で、アイヌを和人に同化していこうとする皇民化教育であったと言えます。
 差別と同化
 一方で、アイヌに対して過酷な差別が行われていた時期に、一部のアイヌが差別を克服するために、自らを和人と並ぶ皇国の臣民と位置付けようとする動きもありました。国家に対する兵役という義務を積極的に担おうとしたことも、その一つの表れです。日露戦争を間近に控えた明治35年(1902年)に、医師を通じて陸軍大臣アイヌ隊編成を求める陳情書を提出したアイヌもいました。(3)はその冒頭部分ですが、ここでは、「野蛮の心身を顧みず、大臣閣下に対し甚だ恐惶の至り候得共、聊か報国のためと存じの儘陳情仕候」と書かれており、自らを卑下しつつ、国家のために奉仕することを願い出て、国家への忠誠心を表明することを通じて国民の一員として自らを位置付けようとする姿勢がうかがえます。日露戦争時には、63人のアイヌが出征しました。ただし、前述のように、この出征も差別撤廃のための手段として選択されたという背景があったことに注意をする必要があります。
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 日本人のアイヌ人や琉球人に対する差別は、本人が如何に日本人らしくなろうとして努力しても賤民(非人・穢多)や部落民への差別同様に酷くなってもなくなりはしなかった。
 在日朝鮮人への差別も酷かった。
 日本社会は、人を人と思わない、人として扱わないブラック社会であった。
 日本人とは、薄情で冷血で冷淡である。
 アイヌ人は、日本人を信用できなかった。
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 「「北鎮」の墓碑銘:第七師団第二十五聯隊の記憶」渡辺浩平
 第十三回 旅順の陥落
 2020.02.07
 第七師団は第三軍への編入を命ぜられた後、順次大阪を出発した。師団の第一陣が大連に上陸したのは1904年(明治37年)11月18日だった。その数日前の御前会議ではすみやかなる旅順要塞の攻略がしめされ、11月20日満州軍総司令官の大山巌は、陸海軍ともその重大使命は、旅順の高地攻撃にあるとの訓令を発していた。バルチック艦隊は翌年はじめには台湾海峡に達すると見込まれていた。旅順要塞を占領し、港内の軍艦をたたかねば、帝国の安危に重大な影響をあたえる。そのような時期に、第七師団は第三軍に加わったのである。
 旅順要塞への第三回の総攻撃は11月26日からはじまった。その戦いにおいて、第十一師団歩兵二十二聯隊の櫻井忠温が負傷したことは前回述べた通りだ。第三軍の第一師団、第九師団、第十一師団は、多大な損害を受けることとなる。局面を打開するために特別な部隊が編成されることとなった。
 白襷決死隊
 白だすきをかけて出陣したために、後年「白襷隊」と呼ばれる別動隊は、総勢3,000からなっていた。指揮したのは第三軍の中村覚(少将)、編成は第一師団特別歩兵聯隊、歩兵十二聯隊(十一師団)、歩兵三十五聯隊(第九師団)、歩兵二十五聯隊などからなっていた。二十五聯隊から選ばれた人員の指揮をとったのは二十五聯隊長の渡辺水哉(大佐)だった。二十五聯隊の人員は約1,500人、白襷隊の半数が、二十五聯隊の将卒だったのだ。
 日中の攻撃であれば、砲弾で敵に損害をあたえ、それから歩兵が進攻するのが常道だ。しかし、白襷隊は、夜間の奇襲作戦だった。軍服の上に十字にかけた白だすきは、同士討ちをさけるためのもの。「白だすきをかけての出陣」と聞くと、赤穂浪士の討ち入りを思い出す向きも多いのではないか。後年「白襷決死隊」と呼ばれる所以は、四十七士と無関係ではないだろう。さらに、旅順要塞攻略という至上命令に身を挺してこたえるという士気の鼓舞もあったのではないか。
 11月26日の夜間、3,000余名の兵は部隊にわかれて出陣。先んじた隊(第一特別歩兵聯隊)が、松樹山第四砲台に突撃した。松樹山は旅順要塞の東正面の堡塁で、旅順要塞の最高地点・望台をまもっていた。
 鉄条網が進攻を阻害する。日本軍の急襲に気づいたロシア軍から、探照灯をあてられ、小銃、機関銃、手榴弾があびせられる。加えて地雷が爆発し、決死隊は難攻を強いられる。指揮官の中村覚は、三十五聯隊、二十五聯隊の突撃を指示するが、死傷者が続出、退却を余儀なくされる。後続部隊が進攻するも、指揮官の中村自身も脚に重傷を負うこととなる。かわって指揮をとったのは歩兵二十五聯隊長の渡辺水哉だった。
 しかし、将校も数多く負傷し、対してロシア軍には援軍が加勢し、白襷隊は暗闇の中、現位置を保持することさえも困難になる。司令部は夜襲攻撃の続行は困難と判断、深夜2時に、撤退命令をくだすのである。指揮官をつとめた渡辺水哉は勇敢な兵をえらんで伝令として出し、撤退を指示した。
 白襷隊に参加した二十五聯隊のうち、戦死者は9名、負傷者は300名を超えたという。その二十五聯隊白襷決死隊1,500余名の一人に北風磯吉という兵がいた。北風は二十五聯隊の一等卒でアイヌ民族の兵士だった。
 白襷決死隊となった北風磯吉は、敵弾の掃射をかわし、味方を鼓舞して敵を攻撃した。撤退の折は、負傷した中隊長を背負って帰還したと伝えられている。北風は後の奉天会戦では銃弾がとびかう戦場を伝令として走り、傑出した活躍をし、その場で上等兵への昇進がつげられた。北風は、日露戦後、金鵄勲章を受章し勲三等を得ることとなる。その後、アイヌ兵北風磯吉の英雄譚は多くの書物でえがかれることとなる。
 帝国の臣民
 歴史学者の榎森進によれば、日露戦争には63名のアイヌ兵が出征し、うちその戦功により勲章を授与されたものは51名(うち金鵄勲章は3名)におよんだという。その意味するところは、「戦場に出征したアイヌが、戦場でいかに積極的に危険な任務につき、生命を賭して戦ったのかを示している」という(榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館、2007年)。その代表が北風磯吉だった。
 北風磯吉は北海道上川郡上名寄に生まれた。名寄は旭川の北に位置する地だ。北風は戸籍上1880年明治13年)生まれとなっているが、実際の出生年月日は不明だ。北風は少年時代から青年時代にかけて測量人夫として過ごし、1900年(明治33年)に徴兵され、二十五聯隊第二大隊第五中隊へ入隊する。その前に、芽室生まれの女性と結婚している(佐藤幸夫『北風磯吉資料集』(名寄叢書第6巻)名寄市教育委員会、1985年)。
 北風の武勲を称揚する文章には、目に一丁字なかったとしるされている(左剣生(陸軍中尉)「功七級のアイヌ人北風磯吉」『明治戦争文学集』(明治文学全集97)筑摩書房、1969年)。彼は学校に通わず、読み書きは軍隊で習った。但し、アイヌの民を「目に一丁字なし」とする表現は、しばしば使われるものだという。なお、先に述べた通り、名寄は旭川より北部にあり、月寒よりも、旭川に近い地だが、同地は二十五聯隊の徴兵区域だった。北風は新聞も読めるようになった。また書もたくみになり、著名な書道家中林梧竹が来道した折は、北風の手蹟を称賛したという。北風は高い学習能力をもっていたのであろう。彼は1903年明治36年)に一旦除隊となるが、七師団に動員下命があった1904年(明治37年)8月4日に予備役(一等卒)として再び召集された。
 前掲書『アイヌ民族の歴史』(榎森進)の「日露戦争アイヌ」の項では二人の人物が紹介されている。一人が北風磯吉であり、もう一人が弁開凧次郎だ。弁開は兵ではなく「八甲田山死の行軍」の捜索をした民間人だ。
 日露戦争がはじまる2年前の1902年(明治35年)、第八師団(弘前)に属する歩兵第五聯隊(青森)と歩兵第三十一聯隊(弘前)は八甲田山の雪中行軍をおこなった。来るべきロシアとの戦いに備えたものだった。しかし、第五聯隊は暴風雪にみまわれて、目的地に着く前に遭難した。
 その一報を受けた第五聯隊は函館要塞司令部に連絡、雪山登行にひいでたアイヌに捜索をもとめたのである。道南の茅部郡森村の医師村岡格を通して、落部村のアイヌ弁開凧次郎らに捜索が依頼された。弁開らは、遭難現場をさがしあて、死体や武器装具を回収し任務を果たした。事件では210名の隊員のうち199名が死んだ。
 その後、弁開は陳情書を提出し、アイヌ独自の軍隊の編成を提案した。榎森はその提言の背後には、和人の医師村岡の誘導があったと推測する。その後も、弁開凧次郎は村岡を通じて、村、そして道とお上の政策に協力する。弁開の行動について榎森は以下のように書く。
 こうした弁開凧次郎の一連の行動に目をやるとき、われわれはそこに、みずからはアイヌたることに誇りをもちつつも、天皇制国家にたいしてはアイヌたることを「蛮奴」として卑下し、他方で異常ともいえるほどの忠誠心を示しつつ、「帝国の臣民」になりきるために涙ぐましいほどの努力をしている一老アイヌの姿をみることができる(榎森進『アイヌ民族の歴史』草風館、2007年)。
 同様の地点に、北風磯吉の行動を位置づける。おそらく、北風も軍隊内で尋常ならざる努力をしたことだろう。また、戦場においても、危険を冒して困難な仕事をかってでたのかもしれない。ただ、弁開凧次郎と北風磯吉の異なる点は、北風は軍隊内で読み書きを習い、基礎教育を受けた点だ。北風は復員後、アイヌの子どもたちが通う学校(特別教授場)の設立に私財を投じている。地域の名士となったのだ(佐藤幸夫『北風磯吉資料集』(名寄叢書第6巻)名寄市教育委員会、1985年)。奉天会戦での軍功を含めた彼のその後については次号で触れる。
 二〇三高地と艦隊の運命

 著者略歴
 渡辺浩平(わたなべ・こうへい)
 1958年生まれ。東京都立大学大学院修士課程修了。1986年から97年にかけて博報堂に勤務。この間、北京と上海に駐在。その後、愛知大学現代中国学部講師を経て、現在、北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院教授。専門はメディア論。主な著書に『吉田満 戦艦大和学徒兵の五十六年』(白水社)、『中国ビジネスと情報のわな』(文春新書)、『変わる中国 変わるメディア』(講談社現代新書)他。
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 松浦武四郎安政人別によると、蝦夷地に住んでいるアイヌ人は1万5,000人で和人は8万6,000人であった。
 人別帳に記載されない、出稼ぎの和人は約3万5,000人で多くは被差別部落民や無宿者であったとされている。
 つまり、幕末から明治にかけて蝦夷地に多く住んでいたのは和人つまり日本人であった。
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 日本とロシアの戦争は、江戸時代後期から決まっていた事で避けられない戦争であった。
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 日本国の生存を脅かす最悪の脅威は、北から侵略してくる軍事大国ロシアであり、その最前線が蝦夷地・樺太北方領土であった。
 そこには日本人とは違う、敵か味方か分からないアイヌ人達が住んでいた。
 深刻な不安材料は、アイヌ人が日本人と共に戦ってくれるのか、あるいはロシア人に味方して日本を攻撃してくるかであった。
 つまり、アイヌ人には戦争に巻き込まれない為に中立を保つという事は「絶対に不可能」であった。
 アイヌ人が、日本とロシアの戦争に関与せず高みの見物を決め込めば、両国から確実に生き続けるという「生存権」が剥奪された。
 敵対する国の間にある小国・地域住民は、何れかに属さねばならない、二者択一の運命にあった。
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 歴史の事実として、白人至上主義・敬虔なキリスト教徒(ロシア正教)主義のロシアが非白人非キリスト教アイヌ人を人間として扱う事はあり得なかった。
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 明治新政府は、ロシアの侵略軍と戦う為に入植した旧藩士(士族)の開拓民や屯田兵と区別する為に以前から住んでいた和人をアイヌ人同様に全て土人(非戦闘員)と呼んだ。
 日露戦争時、北海道の師団は甚大なる犠牲者を出しながらも、目覚ましい戦果を上げ日本勝利に貢献した。
 近代天皇と日本国を守る日本軍兵士の中にアイヌ人が加わっていた。
 つまり、日本国籍を押しつけられたアイヌ人は、同じ日本国籍を強制所持させられた朝鮮人とは違い、国籍の責任と義務から日本人の戦友として天皇とお国の為に共に戦場で戦った。
 国籍には、敵から国家と民族、家族と故郷を命を捨てても守るという兵役義務が伴っていた。
 兵役義務を拒否する者には、国籍は与えられなかった。
 近代日本は、ロシアの侵略から日本を守る為に日本列島の全ての住人に国籍を押しつけ、同時の国民皆兵として徴兵制で日本国民を兵士として戦場に送り出した。
 庶民は命が大事として、国や天皇を守る兵士を拒否して一揆を起こしたが、国家権力で弾圧され、強制的に兵士にさせられ、死ぬ事を命じられた。
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 一緒に戦って戦死する戦友を、人種・民族・身分・出自・宗教などで多く面で違いがあるとして差別する人間はバカである。
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 帰化人は共に戦い、渡来人は共に戦う事を拒否した。
 戦う戦わないのは自由であったが、共に戦わない者は戦友・親友・友達ではないとして差別された。
 それが、戦前の日本社会であった。
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 何時の時代でも、日本では兵士になる若者が少なかった為に、日本国籍も持っていて共に戦ってくれる戦友が一人でも欲しく、それがアイヌ人であろうが琉球人であろうが部落民であろうが誰でも良かった。
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 現代日本国内には、日本を分断し分裂させ崩壊させようとする見えない勢力が存在し、その勢力は海外勢力とつながっている。
 つまり、反天皇反日陰謀論である。
 その振動源は、中国・中国共産党である。
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 中世後期に北海道北部に移住してきたアイヌ人と、古代・中世中期以前に東北地方・北海道に住んでいた蝦夷とは別人であった。
 残虐極まるヤマト王権の侵略にアテルイのよに抵抗して敗れ、源義経のように蝦夷地へ逃げたとうい蝦夷物語はない。
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 アイヌ人には、ヤマト王権に追われた古代蝦夷の伝統・文化・宗教・習慣・風習その他多くの面での痕跡はない。
 それに対して、琉球語には古ヤマト言葉の痕跡が残っているし、伝統舞踊・宗教・風習その他でも何となく似通ったところがある。
 アイヌ蝦夷説は、何の根拠もなくくだらない、日本民族ユダヤ民族十二士族の消えた二士族説に似ている。
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 徳川幕府におけるアイヌ人問題は、江戸時代後期のロシアの日本侵略が現実味を帯びてくる事に合わせて表面化し深刻度を増してきた。
 つまり、アイヌは日本に味方するのかロシアに味方するか、である。
 アイヌ人は、日本の友・友人、親友、戦友となるのか、日本の敵になるかであった。
 徳川幕府は、一時、蝦夷地を松前藩から取り上げ直轄地としたが、何時攻めてくるか分からないロシアに備えるのも大変だし、未開地の蝦夷地を持て余して松前藩に返した。
 松前藩は、ロシアの日本侵略など他人事であり、支配下アイヌ人が幕府に寝返ったと逆恨みして以前よりも酷い差別・弾圧を行った。
 アイヌ人と和人=日本人との関係は、ロシアの侵略で日本消滅の危機という国難をそっちのけで険悪化し、北の守りは弱まっていった。
 もし、本気で日本を侵略する意思があれば、この時が絶好この好機であった。
 だが、ロシアはナポレオンとの戦争で東方遠征・日本侵略どころではなかった。
 日本は、ナポレオンに救われたのである。
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 江戸時代の日本を例えるのなら、皇帝独裁体制の清国(中国)ではなくマハラジャ(マハラージャ)のムガル帝国(インド)である。
 薩摩藩は、幕府の許可を得ず琉球を通じて中国や東南アジアと密貿易を行って莫大な利益を得ていた。
 伊達政宗徳川幕府に隠れて、スペイン国王に密書を送り日本を統一するための軍事同盟と軍隊派遣を依頼し、ローマ教皇に日本の唯一の統治者である事を承認する日本国王の称号を求めた。
 もし、アイヌ人が日本から独立する為にロシアに援軍を要請すれば、ロシアは大義名分を得て正義の戦争として日本侵略を行った。
 親英派マハラジャは、ムガル帝国は滅んでも先祖からの領土支配を求められた。
 琉球人とアイヌ人が日本から独立する為に、ロシア・アメリカ・イギリスなどの西欧列強と同盟を結び軍隊を引き入れて国防を一存する事は支配された人々の正当権利である。
 朝鮮も、日本を滅ぼす為に、清国軍そしてロシア軍を国内に引き入れよ軍事要塞建設を黙認した。
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 現代の日本史教育は、日本人の蝦夷地とアイヌ人の支配を犯罪行為と教えている。
 つまり、日本人とアイヌ人は友人・親友・戦友ではなく敵対関係にあった敵であると。
 それは、琉球琉球人でも同様である。
 つまり、日本に多様性という分裂状態を作り出す事である。
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 奈良時代から平安時代前期頃まで、関東や東北地方で半島系渡来人による反天皇反日本の暴動や反乱が頻発し、朝廷は討伐軍を派遣して帰化人達の協力を得て鎮圧し日本統一を維持していた。
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 ロシアが侵略してきたらアイヌ人は日本人と共に戦う事なく奥地へと逃げ、蝦夷地がロシア領土になった可能性が高い。
 時代は、西洋のキリスト教列強による植民地帝国主義時代であった。
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 アイヌ人にとって日本がロシアに侵略され征服され消滅しても気にはしなかった。
 つまり、アイヌ人にとって自分たちに関係なければ、日本人がロシア人に殺されようが奴隷にされようが何方でも良かったのである。
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 白人至上主義・キリスト教絶対主義の人種差別を正義とするロシアは、日本人はもとよりアイヌ人を文明を持った人間とは認めてず、「神の御名と皇帝の命」を奉じて領内あるいは敵地で虐殺している異教徒蛮族の一員と見下していた。
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 江戸後期・明治の日本は、世界規模の軍事大国ロシアの侵略から小国日本を死守する為に蝦夷地(北海道)・アイヌ策を迅速にそして強権を用いて強引に進めた。
 開国・幕末、近代化の始まりをアヘン戦争やペリー黒船艦隊と考えている歴史力のない現代日本人には理解できない。
 その傾向は、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者の高学歴知的エリートに多い。
 後年、ロシアの日本侵略は、反宗教無神論天皇制度廃絶・民族伝統文化消滅のソ連コミンテルン中国共産党などの国際的共産主義勢力による日本侵略に変わる。
 そして、左翼・左派・ネットサハと反天皇反日的日本人達。
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 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、日本人をアフリカ人同様に奴隷として中国、東南アジア、南アジア、中南米アメリカ、ヨーロッパなど世界中に輸出して大金を稼いでいた。
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 子供達に教えられている現代の歴史教育とは、マルクス主義史観・キリスト教史観・儒教史観に基ずく、日本人は生まれながらにして極悪非道の凶悪犯罪者であるという自虐史観である。
 日本の歴史教育とは、「日本人は悪人・犯罪者・罪人であって善人ではない」を教え、子供達を洗脳する事である。
 その証拠は、近代天皇や軍部・陸軍が行った数々の人類史的人道貢献は否定され、歴史の闇に葬られ、子供達に知られないように消されている。
 それを実行しているのが、最優秀な高学歴知的エリートの政治家や官僚達である。
 彼らは、リベラル派・革新派そして一部の保守派である。
 それを強力に後押ししているのが、日本のメディア・報道機関である。
 彼らの後ろに、中国共産党政府、韓国・北朝鮮そして一部のキリスト教会などの反天皇反日勢力が蠢いている。
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 人種差別主義者という点に於いて、左翼・左派・ネットサハも右翼・右派・ネットウハも同じ穴のムジナである。
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 江戸時代後半から明治にかけて、宗教的白人至上の人種差別主義者であるロシア人は、日本国を侵略して滅ぼし、日本人やアイヌ人を迫害・弾圧・虐殺して土地を強奪しようとした。
 近代天皇と日本国が最も恐れたのは、大国に媚び諂い、日本国を裏切り、日本民族を大国に売り渡す「利に聡い日本人」が現れる事であった。
 それは、戦国時代、中世キリスト教会や白人キリスト教徒商人に日本人を奴隷として売って金儲けした冷血な日本人の復活である。
 つまり、日本国と日本民族を売る日本人である。
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 ロシアの侵略を警戒する日本は、戦場となる北海道や北方領土4島の地形に精通していた地元のアイヌ人を道先案内人として味方にする必要があり、間違ってもロシアの手先となって侵略軍を引き込む事を阻止しなければならなかった。
 それは、南の国境最前線の沖縄・琉球でも同じ事であった。
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 中国共産党による対日謀略。
 国内外の反天皇反日本勢力による日本分断・日本分裂・日本分割という陰謀。
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 反日中国共産党系中国軍系中国資本の日本企業や香港企業は、人口が減って過疎化し始めている北海道の土地を爆買いしている。
 日本の親中国派・媚中派は、中国共産党に忖度し、中国の利益になるように行動している。
 彼らによって、日本は中国化されつつある。
 日本国内では、外国人移民(主に中国人移民)が静かに増え始めている。
 日本は、少子高齢化による日本民族の人口激減を食い止め人口を回復させる為に外国人移民政策(1,000万人移住計画)を進めている。
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 中国共産党は、チベットウイグル・モンゴルなど少数民族を消滅させる非人道的ジェノサイドを行っている。
 反宗教無神論マルクス主義は、政党の党則・利益を個人の権利、人の命の上に置いている。
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