🗾57〕─5─ロシアは北方領土交渉の為にアイヌ民族をロシアの先住民族と認定した。~No.186 

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 アイヌ民族は、日本の先住民か、ロシアの先住民か。
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 アイヌ人は、鎌倉時代に出現した約1000年の歴史を持つ若い民族であった。
 文字を持たない口承文化であった為に詳しい事が分からず、その為に記録がなく民族の総人口が何人いたのかも分からない。 
 つまり、謎多き民族である。
 日本民族が明治になって作られたように、アイヌ民族も明治になって生まれた。
 明治になるまで、日本列島には倭人・和人・ヤマトンチュウはいたが日本人はいなかったし、日本民族大和民族)も存在しなかった。
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 ロシアは、日本を含む東アジアを領土にするべく攻めてきた侵略者であった。
 ロシア正教などキリスト教会は、異教徒が住む文明を持たない野蛮人の未開地をキリスト教化する為に宗教侵略を行っていた。
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 先住民族関連のニュース
 ーチン大統領が認定方針
 2018-12-20 | アイヌ民族関連
 北海道新聞 12/19 17:53 更新
 【モスクワ小林宏彰】ロシアのプーチン大統領は、クリール諸島(北方領土を含む千島列島)などに住んでいたアイヌ民族をロシアの先住民族に認定する考えを示した。11日にモスクワで開かれた人権評議会で参加者から提案があり、プーチン氏は「同意する。正しいことだ」と述べた。
 評議会では、人権活動家のアンドレイ・バブシキン氏が「ロシアは多民族国家だが、国が認めていない民族もいる。その一つが極東の島々の最も古い民族であるアイヌ民族だ」と指摘。ロシアの先住民族として認めるよう提案し、プーチン氏は支持を表明した。バブシキン氏は、現在のロシアのアイヌ民族について「カムチャツカ地方に105人しかいない」と説明した。
 ロシアは旧ソ連時代を含め、アイヌ民族の存在を公式には認めてこなかった。一方、日本国内には、日本の先住民族であるアイヌ民族北方四島に住んでいたことから、四島は歴史的にも日本固有の領土だとする考え方もある。
 プーチン氏がアイヌ民族をロシアの先住民族として認める考えを示した背景には、日本側のこうした主張をけん制する狙いがある可能性もある。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/259605
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 日本の脅威は、江戸時代後期からロシアの日本侵略であった。
 ロシアは、千島列島・北方領土を南下して日本の安全を脅かしていた。
 日本の最大の懸案は、日本とロシアの間にいるアイヌ人の動向であった。
 つまり、日本の味方になるのか、さもなくば日本を敵になるかであった。
 アイヌ人がロシアの味方をしてロシア軍の侵略を手引きすれば、日本は大敗北して北方領土はおろか蝦夷地(北海道)はロシア領になっていた。
 日本とロシアの間には、アイヌ人が住む未開の居住地域はあったが、アイヌ人が団結して主権を主張する統一国家は存在しなかった。
 その為、当時の国際情勢下では、アイヌ人は日本国かロシア帝国か何れかの国籍を取得しなけばなず、日本もロシアも拒否して無国籍を貫く事はできなかった。
 アイヌ人には、国際法を無視し、全ての国の干渉を拒絶して無国籍状態を貫けるだけの軍事力・武力はなかった。
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 2020年2月12日 朝日新聞デジタル「「樺太アイヌ強制移住の悲劇 集落壊滅、危惧が現実に
 斎藤徹
 川面が一部凍結した石狩川下流。対雁の集落は奥の左岸付近に築かれた。現在は流域が変わり、一部は川底になっている=2020年1月28日午後4時26分、北海道江別市
 札幌市中心部から北西へ車を30分ほど走らせると、北海道一の大河・石狩川下流にたどり着く。暖冬と言われる今冬だが、川岸は冷たい風が吹きすさび、川面には氷が張っている。
 石狩大橋と新石狩大橋に挟まれた左岸に、江別市・対雁(ついしかり)地区はある。今は川沿いに工場や住宅が並ぶ一帯は、元々は約150年前、明治政府によって人工的に作られた集落が始まりだ。住民は、樺太(現ロシア・サハリン)から強制的に連れてこられた「樺太アイヌ」の人々だった。
 地区内にある市営墓地・やすらぎ苑の小高い場所に、2基のお墓が立つ。一つには「乗仏本願生彼国」、もう一つには「樺太移住旧土人先祖之墓」と刻まれている。
 樺太に住んでいたアイヌの人たちが、対雁に移住してきた背景には、現在につながる領土問題がある。
 アイヌはじめ先住民族、ロシア人、日本人が雑居していた樺太は、日露和親条約1855年)では国境が画定できず、両国間でトラブルが頻発。明治政府は樺太千島交換条約(75年)を締結し、得撫(うるっぷ)島以北の千島列島を取得する代わりに樺太を手放した。
 江別市郷土資料館によると、政府はこの時、日本人漁業者らと関係が深かった樺太アイヌに対し「日本へ移住しない限り日本人としての権利を認めない」との布告を出し、北海道への移住を促した。農業開拓や炭鉱労働に従事させ、北海道の開拓を進めたいとの魂胆があったという。
 度重なる説得を受け、樺太アイヌの人々はいったんは樺太を望める道北の宗谷地域に移った。その後、対雁を視察した代表者は、開拓使に対し「多人数が移住すると集落が混雑し、疫病が流行すれば全滅しかねない」などと嘆願した。
 だが開拓使は、1876年6月…
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 産経新聞iRONNA
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 「先住民族アイヌの次は沖縄だ!
 アイヌを「先住民族」と初めて明記した新法が先月施行された。閣議決定から3カ月、議論が深まらないまま成立した感があり、批判の声も根強い。国連は沖縄の人々も先住民族と認めるよう勧告しているが、沖縄では「独立論」もはびこる。それだけに、振興は重要とはいえ、安易な先住民認定は国家の分断を助長しかねない。
 北方領土引き渡しに反対する集会が開かれ、参加者は「島はロシアの領土だ」などと訴えた=2019年1月20日、露モスクワ(小野田雄一撮影)
 北方領土は返さない! ロシア「反日アイヌ民族」の正体
 『中村逸郎』 2019/06/07
 中村逸郎(筑波大学教授)
 「クリル諸島(千島列島と北方領土)は、私たちのものだ。ずっと住み続けよう」
 これは北方領土に住むロシア人の声だが、プーチン政権は北方領土を支配する正当性を躍起になって主張している。ラブロフ外相は2019年1月17日の年頭会見の席で、「日本が第2次世界大戦の結果を受け入れる」ように強く求めた。さらに「北方領土」という名称を使用することに不快感をあらわにした。このように北方領土に対するロシアの主権をなりふり構わず打ち立てようとしている。
 ラブロフ外相が繰りだす強硬発言に先立つ昨年12月17日、私はロシア国内で報じられたニュースに驚いた。プーチン大統領が「アイヌ民族をロシアの先住少数民族に指定することに賛成した」というのである。プーチン大統領の発言を引き出したのは、ロシア大統領府に設置されている「市民社会と人権擁護評議会」の1人、アンドレイ・バブシキン氏だ。プーチン大統領と面会の際、彼はこう訴えた。
 「ロシア国内に住んでいるすべての民族の権利が認められているわけではありません。クリル諸島と極東のアムール川流域にかつて住んでいたアイヌ民族は、ロシア政府が作成している先住少数民族リストに記載されていません。いまアイヌ民族が暮らすカムチャツカ地方知事に、彼らをリストに追加するように要請してください」
 こうして北方領土交渉でロシア政府が日本への強硬姿勢を崩さないなかで、最近、これまで知られることがなかったロシア国内のアイヌ民族が注目を浴びるようになったのだ。
 でも2010年の時点で、ロシア国内でアイヌを名乗る(おそらく純血)のはわずか109人、そのなかの94人がカムチャツカ半島の南端に暮らすが、まさに民族の消滅に直面している。カムチャツカ半島に開設されている市民団体「アイヌ」の代表はアレクセイ・ナカムラ氏だ。彼のインタビューが、ロシアの通信社が運用するサイト(astv.ru、2017年5月15日)に掲載されている。
 「ロシアのアイヌ民族は、日本がクリル諸島の返還を要求していることに全面的に反対しています。実は、アイヌ民族と日本人との間には悲劇的な歴史があるのです。ずっと昔のことですが、日本人はクリル諸島に住んでいたアイヌ民族を殺害しました。アイヌ民族の釣り道具や漁船を奪い取り、日本人の許可なくして漁業にでることを禁止しました。いわば日本人によるジェノサイドがあったのです。このためにアイヌ民族の歴史は損なわれ、日本と一緒に行動することが嫌になりました」
 ナカムラ氏の語意は、日本批判をにじませている。ロシアのアイヌ民族は日本人に財産を略奪され、民族差別を受けたと訴えている。自分たちが先住民族なので、北方領土の返還を求める日本政府に真っ向から反対している。
 歴史をさかのぼると、江戸時代の松前藩歯舞諸島から色丹島国後島択捉島まで本格的に進出し、先住民族アイヌ民族接触した。ただナカムラ氏が声を荒げるほどに、日本人によるアイヌ民族への迫害があったのかどうか、真偽のほどは不明な点が多いが、当初、北方領土に約2000人のアイヌ民族が住んでいた。
 いずれにしてもアイヌ民族は、北方領土をめぐる激動の歴史に翻弄された。1855年の日露和親条約で、択捉島と得撫島(ウルップ島)の間に初めて国境線が引かれた。この結果、北方領土アイヌ民族は日本、得撫島以北のアイヌ民族はロシアの支配権に入った。
 1875年の樺太・千島交換条約では、千島列島の全域が日本に編入された。得撫島以北のアイヌ民族も日本の支配下に移り、かれらの多くは色丹島強制移住させられた。ナカムラ氏のインタビューでは、この強制移住を「日本人によるジェノサイドだ」と非難している。ただ、樺太がロシア領土に編入された際に、樺太に住む多くのアイヌ民族が北海道に移住した。
 1905年のポーツマス条約で千島列島に加えて樺太の南部が日本領土になり、北海道に渡ったアイヌ民族の一部は故郷の樺太に帰還できた。でも、第2次世界大戦で侵略してきたソ連軍から逃れるために、ほとんどのアイヌ民族が日本人といっしょに北方領土樺太から北海道に避難した。このようにアイヌ民族は日露の攻防のなかで居住地の変更を余儀なくされたが、彼らの日本への帰属性は強いのは間違いない。
 他方で、第2次世界大戦の直後に少数のアイヌ民族は侵攻してきたソ連側につき、カムチャツカ半島に移り住んだ。だが、戦後のソ連社会で不遇の時代を迎えることになった。彼らは「ソ連人」に統合され、1953年にはソ連の刊行物からアイヌの民族名が消されてしまった。日本に移住した多くのアイヌ民族ソ連を裏切ったと見なされることが多く、ソ連国内にとどまったアイヌ民族はほかの少数民族と結婚するケースが相次いだ。アイヌ民族を名乗る人は減少し、すでに紹介したように109人ほどにすぎない。
 ロシアの市民団体「アイヌ」は北方領土返還を求める日本政府への不信感を強めており、日本国内のアイヌ団体との交流はないようだ。
 私が強調したいのは、アイヌ民族をロシアの先住少数民族に加えるプーチン政権の動きは日本政府との北方領土交渉のなかで浮上してきた点にある。ロシア政府の狙いは、領土交渉をより複雑化することにあるのは確かだ。
 ロシア政府は、北方領土に進出した日本人がロシアのアイヌ民族を虐待したと言い立て、ロシア世論を領土返還反対の方向により強硬に誘導したいのだろう。外交的には日本政府が唱える「わが国固有の領土」の見解に対抗するために、ロシアのアイヌ民族北方領土先住民族に仕立てようとするもくろみも感じられる。
 だが本来、北方領土は国家主権にかかわる問題であり、日本外務省の指摘するように「今日に至るまでソ連、ロシアによる法的根拠のない占拠が続いている」といえる。領土主権の問題は、プーチン政権が提起する「北方領土先住民族」のテーマとは根本的に次元が異なる。日本政府は、「北方領土の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という従来の方針(2001年、森喜朗首相とプーチン大統領が合意したイルクーツク声明)を変更する必要はない
 先住民族と国家主権の問題を絡めて議論すれば、世界各地で主権の獲得にむけて民族紛争が噴出し、収拾のつかない、まさに「パンドラの箱」を開けることになる。
 日本政府はアイヌ民族先住民族と明記する「アイヌ法案」を成立させた。これにより「アイヌの人々の民族としての誇りが尊重される社会の実現」を目指すことになる。これを契機にアイヌ民族に対する日本世論の関心が高まるだろう。これをテコに、アイヌ民族と元島民が共同して「日本の国家主権」を回復させる北方領土返還運動をより促進すべきである。
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 ウィキペディア
 ロシアにおけるアイヌではロシア連邦の領内における先住民族としてのアイヌ民族の歴史および現状について記す。
 概要
 サハリン州ハバロフスク地方、カムチャツカ地方に居住している。ロシア語ではアイヌ(Айны)、クリル(Куриль)、カムチャツカ・クリル(Камчатские Куриль)、カムチャツカ・アイヌ(Камчадальские Айны)、エイン(Ейны)などと呼ばれ、6つの集団に分けられる。2010年の国勢調査ではロシア国内で自らがアイヌであると回答した人数は100人程度であるが、少なくとも1,000人はアイヌを祖先に持つと考えられている。アイヌを名乗る人数が少ないのは、連邦政府に「現存する」民族集団としての承認を受けられていない結果であると考えられる。アイヌを祖先に持つ人が最も多いのはサハリン州であるにも関わらず、自らをアイヌと定義する人の大多数はカムチャツカ地方に居住している。

 集団
 ロシア領内に居住するアイヌは6つの集団に分けられ、うち4つは民族集団としては消滅している。

 カムチャツカアイヌ
 「カムチャツカ・クリル」として知られる。1706年にロシア帝国に敗北したことに加えて天然痘が流行した事により、現在では民族集団としては消滅している。現在では後述の北千島アイヌ、もしくはイテリメン族に同化している。18世紀のロシアの探検家の記録が最後である。

 北千島アイヌ
 詳細は「千島アイヌ」を参照
 「クリル」として知られる。千島列島は1875年に樺太・千島交換条約が締結されるまではロシア帝国の統治下であった。大多数は占守島に、他は幌筵島に少数居住し、1860年段階で人口は221人であった。彼らはロシア式の名前を名乗り、流暢なロシア語を話し、ロシア正教を信仰していた。日本領になってからは100人以上のアイヌがロシア人と共にカムチャツカに移住した。最近では100人近くがウスチ・ボリシェレツキー地区(英語版)に居住している。日本の統治下に留まった集団は第二次世界大戦後、大部分が北海道に移り住み、公的に存在が知られていた田中キヌが1973年に北海道で亡くなり、日本における北千島アイヌの存在は公的な場に登場することはなくなったが、各地に子孫が存在すると推測される。

 南千島アイヌ
 詳細は「メナシクル」を参照
 18世紀時点では国後島択捉島、得撫島を中心に約2,000人が居住していたが1884年には500人前後まで減少した。1941年には太平洋戦争開戦に伴い50人(大部分が混血)が北海道に避難した。現在は6人がロシアに居住している。

 アムールアイヌ
 ブロニスワフ・ピウスツキの調査によると、20世紀初頭に数人がロシア人もしくはウリチ人と結婚していた。1926年のソ連国勢調査ではニコラエフスキー地区に純血は26人しかおらず、多くはスラブ系民族の中に同化したと考えられる。今日ではハバロフスク地方で自らをアイヌと定義する者はほとんどいないが、ウリチ人の相当数がアイヌの血を引き継いでいる。

 北樺太アイヌ
 1926年の国勢調査では北サハリン州に純血は5人だけであった。ブロニスワフ・ピウスツキの調査によると、大部分の樺太アイヌは1875年に北海道に移住させられ、樺太に留まったごく少数のアイヌはロシア人と結婚したものと考えられる。民族集団としては消滅したが、アイヌの血を引き継いだ人は現在もいると考えられる。

 南樺太アイヌ
 詳細は「樺太アイヌ」を参照
 大部分の樺太アイヌソ連対日参戦後に日本の当局により北海道に避難させられた。現在のサハリン州にも個人としてはアイヌが存在している可能性はある。1949年の時点では約100人のアイヌがサハリンに残っていた。ソ連当局はサハリンにおいて子供にアイヌを名乗らせないように圧力を掛けた。1980年代には3人の純血のアイヌが亡くなり、数百人ほどの混血者だけが現在も居住している。しかし彼らは先祖であるアイヌに関する知識はほとんどない。

 歴史
 カムチャツカ半島アイヌが最初にロシア人と接触したのは17世紀末である。18世紀には北千島のアイヌが征服された。アイヌコーカソイドであるロシア人を赤い隣人「フレシサム」と呼び、日本人も当初、これを訳してロシア人の事を「赤蝦夷」と呼んでいた(赤蝦夷風説考)。これに対しロシア人探検家は古モンゴロイドであるアイヌ人の事を「毛深い」「浅黒い」「髪と目が黒い」と認識し、顎髭のあるロシアの貧農、もしくはロマに似ていると記している。
 既に文化的にロシア人と同化しロシア正教に改宗させられていた北千島のアイヌは19世紀には多くがロシア帝国に帰属した。しかしソ連時代には数百人のアイヌが処刑されたり、強制移住させられた。日ソ中立条約破棄によるソ連対日参戦後、ソ連占領地への残留を選択したアイヌは極少数に留まり、90%以上のアイヌは故郷を離れ日本へ引き揚げた。

 カムチャツカへの移住
 樺太・千島交換条約の結果、千島列島は日本領に戻り、そこで暮らすアイヌ人は日露何れかに帰属する選択を迫られ、83人の北千島アイヌが1877年9月18日にペトロパブロフスク・カムチャツキーに渡り、ロシアの統治下で生活することを決断した。彼らはロシア当局によるコマンドル諸島への移住の提案は拒絶した。最終的には1881年にヤヴィン村に移ることになった。1881年3月にはペトロパブロフスクを離れ、ヤヴィンまでの徒歩で渡った。4ヶ月後になってようやく新たな居住地にたどり着いた。もう一つの村であるゴリヴィノ村は後から形成された。1884年には9人のアイヌが日本から移住した。1897年の調査では、ゴリヴィノに57人、ヤヴィンに33人のアイヌが居住していた[8]。ソ連体制下では両集落は再整理され、ロシア人が居住するウスト・ボルシェレツキー地区のザポロージエ集落に移住させられた。異民族との通婚の結果、3つの部族はカムチャダールと同化した。

 帝政ロシア時代のアイヌは自らを「アイヌ」と名乗ることは禁じられていた。大日本帝国側はアイヌ民族が居住している、もしくは過去に居住していた全ての地域は日本領であると主張していたためである。代わりに「クリル」や「カムチャツカ・クリル」などの表現が用いられた。ソ連時代にはアイヌの姓を名乗る者はしばしば日本人と間違われてグラグや労働キャンプに送られた。その結果、アイヌの大多数はスラブ式の姓に改姓した。 第二次世界大戦後の1953年2月7日には当局によりソ連国内に居住するアイヌに関するあらゆる情報を出版することを禁じられた。この指令は20年後になって取り消された。

 最近の動向
 北千島アイヌが居住するカムチャツカのザポロージエ集落は現在のロシアにおけるアイヌの部族では最大規模である。父方が南千島アイヌのナカムラ一族は6人であり、ペトロパブロフスク・カムチャツキーに住んでいる。サハリン島では数十人が自らをアイヌと名乗るが、大部分は片親が他民族であり、アイヌの伝統文化を習得していない。2010年調査では888人の「日本人」が居住しており、その大多数がアイヌとの混血であるが、彼らもまたアイヌの伝統文化を習得していない。同様に、ハバロフスクには片親がアイヌの子孫が居住しているが、アムールアイヌは誰も自らをアイヌと名乗ることはない。なお、カムチャツカアイヌの生存者はいないと言われている。1979年にはソ連政府はロシアの領域から民族集団としてのアイヌが消滅したとして、現存する民族集団から「アイヌ」の項目を削除した。ソビエト連邦の崩壊後の2002年の国勢調査では調査票に「アイヌ」と記載する者はいなかった。
 
 アイヌ民族自身は自らは千島列島の先住民であり、日本とロシアの両方が侵略者であると主張してきた。2004年にはカムチャツカ地方の小規模なアイヌ人団体がウラジミール・プーチン大統領に日本との間での北方領土における一連の動きついて再考することを求める手紙を出した。その手紙では日本、帝政ロシアソビエト連邦の全てをアイヌ民族の殺害と同化政策を行なったとして糾弾していた。しかしながら、その要請はプーチン大統領に拒否された。その団体はアイヌ民族をめぐる悲劇の規模と激しさはアメリカ先住民が直面したジェノサイドに匹敵すると主張している。2010年の国勢調査ではその集落の100人近くがアイヌ民族と申告したが、カムチャツカ地方議会はそれを拒否してイテリメン族として取り扱った。2011年にはカムチャツカのアイヌ民族団体のリーダー、アレクセイ・ウラジミロヴィッチ・ナカムラがウラジミール・イリューヒン(カムチャツカ地方知事)とボリス・ネフゾロフ(連邦下院議員)に政府の北方・シベリア・極東地方少数先住民族のリストに加えるように要求した。 しかしながらこの提案も拒否された。

 サハリン州ハバロフスク地方のアイヌ人は政治的主張を行う団体を結成していない。アレクセイ・ナカムラは2012年時点でロシア領内にアイヌ人は205人しかいない、そのうち2008年段階で自らがアイヌ人であると主張していたのは12人であり、「千島列島のカムチャダール族」と共に少数民族としての認定のために活動していると主張している。アイヌがロシア政府の少数民族の公式リストから外されて以来、彼らは無国籍人、ロシア人、カムチャダール人のいずれかに定義されている。なお、2012年時点では北千島アイヌと千島列島のカムチャダールは共にロシア政府から北方少数先住民族としての漁業権・狩猟権は認められていない。最近になってボリス・ヤラヴォイによってロシア極東アイヌ協会(RADA)が設立された。

 人口
 2010年のロシア国勢調査では109人のアイヌ人が存在するとしている。このうち94人はカムチャツカ地方、 4人は沿海地方、3人はサハリン州、1人はハバロフスク地方、4人はモスクワ市、1人はサンクトペテルブルク市、1人はスヴェルドロフスク州、1人はロストフ州という内訳である。実際のアイヌ人口は更に多いと考えられるが、サハリンの数百人のアイヌは自らをアイヌと定義する事を否定している。

 ロシア政府の見解
 ロシア連邦当局の国勢調査ではアイヌ民族はロシア国内では既に絶滅した民族集団とされている。アイヌ民族を名乗る人もアイヌ語を話すことは出来ず、生活における民族の伝統文化の要素も失われており、社会的・風習的にロシア人とほぼ同化している。それゆえ、イテリメン族に与えられているような少数民族としての権利はカムチャツカのアイヌ人には認められていない。アイヌ語はロシア国内では話し言葉としては既に消滅している。カムチャツカのアイヌは20世紀初頭にはアイヌ語を用いなくなった。1979年時点でわずか3人の流暢なアイヌ語話者がサハリン州にいたのみであり、1980年代には消滅した。
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