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金沢大学
縄文人ゲノム解析から見えてきた東ユーラシアの人類史
登録日:2020年9月3日
金沢大学人間社会研究域附属国際文化資源学研究センターの覚張隆史助教と東京大学やコペンハーゲン大学,ダブリン大学などの国際共同研究グループは,古くから縄文遺跡として知られる伊川津貝塚(※1)遺跡から出土した縄文人骨(IK002,※2)の全ゲノム・ドラフト配列を詳細に解析し,アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り,ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであることを明らかにしました。
アフリカで誕生したホモ・サピエンスが,ユーラシア大陸の東端までどのような経路(ルート)を通って到達したかは,いまだ明らかになっておらず,ヒマラヤ山脈以北および以南の2つのルートが考えられています。東アジアに最初にたどり着いた人々は,考古遺物から北ルートを通ってきたと想定されてきましたが,最近のゲノム研究は,現在東ユーラシアに住んでいる全ての人々が南ルートであることを示しています。つまり,考古遺物から考えられてきた人類史とゲノム研究から考えられる人類史には矛盾がありますが,それについてこれまであまり議論されてきませんでした。
そこで本研究グループはその矛盾の解決に向けて,IK002は日本列島にたどり着いた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫であるか,IK002は南ルートの子孫であり北ルートでやってきた人々の遺伝的影響はないかの2つを明らかにするためにIK002の詳細な全ゲノム解析を行いました。
過去から現在の東ユーラシア人類集団のゲノム情報をもちいて系統樹を構築した結果,IK002だけではなく,現在の東アジア人や北東アジア人,アメリカ先住民も,南ルートのゲノムを主に受け継いでいることを示しました。そして,IK002は日本列島にたどり着いた最初のホモ・サピエンスの直接の子孫である可能性が高いことが判明しました。
また,先行研究(Jinam et al. 2012)で発表された北海道アイヌの人々のデータなど日本列島周辺の人類集団とIK002の関係を分析した結果,本州縄文人であるIK002は,アイヌのクラスターに含まれることが判明しました。この結果は北海道縄文人の全ゲノム解析(Kanzawa-Kiriyama et al. 2019)と一致し,アイヌ民族が日本列島の住人として最も古い系統であると同時に東ユーラシア人の創始集団の直接の子孫の1つである可能性が高いことを示しています。
さらに,IK002と現在および過去の東ユーラシア人へのマルタ人骨(MA-1)からの遺伝子流動(集団間の交雑)の痕跡をD-testと呼ばれる統計解析で検証しました。これまでの研究から,現在の北東アジア人およびアメリカ先住民へは,MA-1からの遺伝子流動が有意な値で示されています(Raghavan et al. 2014)。しかし,本解析では,現在の東アジアおよび東南アジア人類集団へのMA-1からの遺伝子流動はほとんど検出されず,IK002へもMA-1からの遺伝子流動の統計学的に有意な証拠は示されませんでした。つまり,北ルートでやってきた人々のゲノムの影響は,IK002のゲノムで検出されませんでした。
本研究により,日本列島・本州に約2千500年前に縄文文化の中を生きていた女性が,約2万6千年前より以前に,東南アジアにいた人類集団から分岐した「東ユーラシア基層集団(東アジア人と北東アジア人が分岐する以前の集団)」の根っこに位置する系統の子孫であることが明らかとなりました。つまり,縄文人が東ユーラシアの中でも飛び抜けて古い系統であることを意味し,ひいては,縄文人ゲノムが現在のユーラシア大陸東部に住む人々のゲノム多様性を理解する鍵を握っていることを示しています。しかし,本研究はIK002という1個体の詳細なゲノム解析であるため,これらの結果はIK002という個体について言えることであり,全ての地域・時代の縄文人について言えるわけではありません。
現在の東ユーラシアの人々の遺伝的ランドスケープを理解するためには,より高精度の縄文人ゲノム解読が不可欠であり,今後,高精度縄文人ゲノム解読を進めることによって,日本列島人ゲノムの総合的理解に貢献することが期待されます。
本研究成果は,2020年8月25日に国際学術誌『Communications Biology』のオンライン版に掲載されました。
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生命誌ジャーナル 2015年間つむぐ
縄文人の核ゲノムから歴史を読み解く
神澤秀明(国立科学博物館)
現在の日本列島に住む人々は、形態や遺伝的性質から大きく3つの集団、アイヌ、本土日本人、琉球に分かれる。この3集団にはどのような成立ちがあるのだろう。数千年、土に埋もれていた縄文人のDNA配列解析から現代へとつながる歴史が見えてきた。
目次
1.アフリカから日本列島へ、祖先の長い旅
2.縄文人核ゲノム解析への挑戦
3.世界中の人との比較から見えてきた縄文人の独自性
4.私たち現代日本列島人3集団と縄文人の関係
1.アフリカから日本列島へ、祖先の長い旅
アフリカを起源にもつ私たちヒト(ホモ・サピエンス)は、およそ5~10万年前に故郷を出て世界中に拡散していった。出アフリカの時期とルートは現在も議論のあるところだが、一部の集団がおよそ4~5万年前に東アジアに進出したことは、化石の証拠などから明らかとなっている(図1)。このようなヒトの歴史を探る研究には、これまで人骨や土器などを発掘し観察する考古学と古人類学の手法が用いられてきたが、1980年代以降DNAから歴史を読み解く遺伝学的研究も盛んに行なわれるようになった。私たちヒトが100万年以上前にアフリカを出て世界に拡散した原人の子孫ではなく、およそ20万年前にアフリカで誕生した系統の子孫だという「アフリカ単一起源説」の証明も遺伝学的研究による成果の1つである。
図1:アフリカから世界へ ヒトの拡散
遺伝学的研究と化石証拠を重ねて、人類の歴史を探る研究が進んでいる。
Scally and Durbin, Nature Reviews Genetics 13, 745-753 (2012)を参照し作成した。
東アジアの中でも東端に位置している日本列島にも、およそ4万年前からヒトが住んでいたことが石器の記録からわかっている。文化的要素をもとに、最初にヒトが日本列島に住んでから16,000年前までを後期旧石器時代、16,000~3,000年前を縄文時代、3,000~1,700年前を弥生時代と呼ぶ。後期旧石器から縄文時代は狩猟採集による生活であったが、弥生時代に入ると大陸(北東アジア)から渡来民がやってきて水稲が伝来し、水稲耕作が始まった。弥生時代の開始に合わせて、これまでの彫りの深い顔立ちの縄文人とは明らかに異なる、平坦な顔立ちで高身長の人々(渡来系弥生人)が日本列島に現れ始めたことが化石からも明らかになっている(図2)。縄文人、渡来民と私たちはどのような関係にあるのだろう。
図2:縄文人と渡来系弥生人
縄文人(左)は彫りの深い顔立ちで、歯が小さい。渡来系弥生人(右)は平坦な顔立ちで歯が大きい。
出土:縄文人 宮野貝塚 、弥生人 金隈遺跡 / 写真撮影:酒井孝芳
2.縄文人核ゲノム解析への挑戦
現代日本列島人の成立ちを説明する学説として、1991年に形態研究に基づいて提唱された「二重構造説」がある(図3)。これは、縄文人と渡来民が徐々に混血していくことで現代の日本列島人が形成されたという説で、列島の端に住むアイヌと琉球の集団は、縄文人の遺伝要素を多く残すとしている。近年、行なわれた日本列島人の大規模なDNA解析からも、基本的にはこの説を支持する結果が得られている。(図4)しかし、これはあくまで現代人のDNAからの推定である。
図3:日本列島人の成立ち「二重構造説」
埴原和郎(人類学者)が多くの人骨を分析し、統計データに基づいて提唱した学説。埴原は縄文人の起源は東南アジアであると考えていた。
図4:現代日本列島人と大陸の東アジア人の比較
Jinam et al. Journal of Human Genetics 60, 565–571(2015)を参照し作成した。
現在の日本列島人は本当に縄文人のDNAを受け継いでいるのか、そして、縄文人はいつ、どこから来たのかを直接知るために、1980年代から縄文人のミトコンドリアDNA解析が行なわれてきた。しかし、ミトコンドリアDNAは母系遺伝であり、ゲノムサイズも小さいので遺伝情報が限られている。私たちはより詳しい歴史を知りたいと考え、縄文人の核ゲノム解析に挑戦した。東京大学総合研究博物館に所蔵されているおよそ3,000年前の縄文人骨(福島県三貫地貝塚から出土)から大臼歯を取り出し、作業途中に実験者のDNAが混入しないよう細心の注意を払い、専用のクリーンルームでDNAを抽出した。配列を調べると大部分は死後に歯の内部に侵入したバクテリア(真正細菌、古細菌)などに由来すると思われるものだったが、わずか数%程度、縄文人に由来するであろうDNAが含まれていた(図5)。ここから、縄文人ゲノムの4%ほどを占める、1億塩基を越える配列データを得ることができた。これを現代人の配列と比較することで、縄文人の独自性と日本列島人の成立過程が見えてきた。
図5:縄文人の歯からDNAを抽出
縄文人のDNAがどれだけ含まれているかは、人骨が発掘された場所の環境や保存状態により大きく変わる。温度が高いとDNAの分解速度が早くなるので、寒い場所の方がDNAは残りやすい。
3.世界の人々との比較で見えてきた縄文人の独自性
近年、ゲノム研究ではヒトの遺伝学研究を促進するために様々な民族のゲノムを解読するプロジェクトが進んでおり、公共データベースに登録されている。これらのデータを用い、アフリカ、ヨーロッパの集団を含む世界中の人々と縄文人の核ゲノムを比較したところ、縄文人は東ユーラシアの集団と遺伝的に一番近いことがわかった(図6)。
図6:世界中の集団と縄文人の比較
これは、地理的関係から考えて予想通りの結果である。さらに東ユーラシアの集団にしぼっての比較により、現代日本列島人は大陸集団と比べてより縄文人に近縁であることがわかった(図7)。加えて、集団間で遺伝子が移動したかを調べる遺伝子流動(gene flow)解析をすることで、現代日本列島人が縄文人のDNAを受け継いでいることが証明できた。
図7:東ユーラシアの集団と縄文人の比較
この解析は公共データベースを活用したため、アイヌ、琉球との比較は行なっていない。
縄文人の祖先は、どこから日本列島にやってきたのだろう。これまで、縄文人の起源が東南アジア、北東アジアのいずれかについての議論が長く行われてきた。形態的には東南アジア人に近いが、縄文人のミトコンドリアDNAと現代人のDNAを用いた遺伝学的研究からは北東アジア人に近いという結果が出ていたのである。今回私たちが得た配列を現代人と比較したところ、縄文人はいずれにも属さず、東アジア人の共通祖先から分岐したという系統関係になった(図8)。
図8:世界の現代人と縄文人の系統関係
つまり縄文人は、これまで考えられていたより古い時代に他の東アジア人集団から孤立し、独自の進化をとげた集団である可能性が出てきたのである。縄文人がいつ、どこから日本列島にやってきたのかを知るためには、今後、多くの縄文人と他の地域の東アジア古代人の核ゲノムを解析することが必要である。
4.私たち現代日本列島人3集団と縄文人の関係
次に、現代の日本列島人3集団と縄文人との関係を見たところ、アイヌ、琉球、本土日本人の順に縄文人の遺伝要素が強いことがわかった(図9)。二重構造説で指摘されていたことを、縄文人の核ゲノムを用いて直接的に証明した初めての成果である。
図9:現代日本列島3集団と縄文人の比較
ところで最近、アイヌの集団の形成には南シベリアのオホーツク文化人(5〜13世紀)が関与していることが、ミトコンドリアDNAの解析などから提唱されている。私たちの結果もそれを示唆しており、日本列島人の成立ちは単純な二重構造ではないこともわかってきた(図10)。これについては、今後オホーツク文化人の核ゲノム解析による証明が必要である。
図10:縄文人の核ゲノム解析から見えてきた日本列島人の成立ち
私たちはさらに縄文人核ゲノムの解析を進めており、最近では別の縄文人個体の核ゲノムの90%程度の解読に成功している。ただ、縄文時代は1万年以上と長く、文化圏も北海道から沖縄本島までと広いため、時期や地域を通して均質な集団であったとは考えにくい。今後多くの時期と地域を分析・比較して検証する予定である。
縄文人は、狩猟採集と定住生活とを実現し、独自の文化を築きあげたことで世界からも注目されている。縄文人の核ゲノム研究はまだ始まったばかりだが、解析を積み上げていくことで彼らがどのような人々であったのかを知り、私たちの歴史を明らかにしていきたい。
神澤秀明(かんざわ・ひであき)
2009年新潟大学理学部卒業。2014年 総合研究大学院遺伝学専攻博士課程修了。博士(理学)。2014年より国立科学博物館 人類研究部研究員。第67回日本人類学会大会 若手会員大会発表賞受賞。
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遺伝学電子博物館
DNA人類進化学 ~ 5.日本人の起源
日本人の起源
集団間の近縁度をみる尺度として、塩基多様度のネット値(DA)というものを利用することができる。このDA値の理論的説明は難しくなるので省略するが、この値が大きいほど二集団間の遺伝距離は遠く、小さければ遺伝距離が近いと理解していただきたい*。
* DAは以下の式で求めることができる。DA=DXY-(DX+DY)/2.これは集団Xと集団Yを比較した場合で、集団内の塩基多様度としてDXとDYが得られ、集団間の塩基多様度としてDXYが得られる。このDXYは、集団間での配列の総当たりの塩基置換数を計算したときの平均値である。
図25に、八集団(アフリカ人、ヨーロッパ人、アメリカ先住民、アイヌ、中国人、琉球人、韓国人、本土日本人)において総当たりで計算したDAの値の分布を調べた。アフリカ人は、他のどの集団と比較しても大きな遺伝距離をもっている。これとは対照的に、東アジアの五集団は、それぞれの集団間の遺伝距離が非常に小さい。特に、韓国人と本土日本人の二集団間の遺伝距離はゼロであった。やはりこの分析でも、韓国人と本土日本人は遺伝的にきわめて近縁な関係にあることが明らかとなったのである。
つぎに、集団間で求めた遺伝距離をもとに集団の系統樹を作成した(図26)。この系統樹では、アフリカ人が他の人類集団に先がけて分岐し、続いてヨーロッパ人が分かれ、さらにアメリカ先住民が分岐している。最後に、東アジアの五集団が単一系統のクラスターを形成して枝分かれしてくる。東アジア人のクラスターでは、アイヌが最初に分岐し、続いて中国人が枝分かれしてきたことが読み取れる。続いて琉球人が枝分かれし、最後に韓国人と日本人が緊密なグループとして分岐してくる。この系統樹で見られた主要な特徴は、従来のタンパク質多型や最近の核DNAの多型によって明らかにされた人類集団間の系統関係と大筋において一致する。
日本の三集団(本土日本人、琉球人、アイヌ)と韓国人や中国人からなる二九三人の東アジア人における、ミトコンドリアDNAの塩基配列のデータの詳細な分析を通して、私は三つの日本人の集団の遺伝的背景を推理し、現在の日本人がどのようにして形成されたかを考察してきた。日本以外の東アジア集団の塩基配列のデータを得ることにより、現代日本人の成り立ちの歴史の洞察が可能となってきている。本土日本人は、縄文人という日本の先住民の子孫と考えられるアイヌや琉球人と、ある程度遺伝的に近い関係にあるものの、本土日本人における遺伝子プールの大部分は、弥生時代以後のアジア大陸からの渡来人に由来するものであった。したがってこの結果は、現代日本人の起源についての混血説を支持するものである。さらに、アイヌと琉球人は互いにある程度の遺伝的近縁性はあるが、弥生期の移住が始まったころには、別々の集団として存在していたと考えられる。
人類集団全体の系統分析によって、東アジア人の集団間のより緊密な遺伝的関係が明らかになった。しかし、たとえばアイヌは、東アジアの集団では最初に枝分かれすることから独自な系統と考えられるが、その遺伝的な起源はいまだ明確ではない。今後、さらに多くの地理的なサンプリング―特に東南アジアやシベリア―をすることによって、私たちは新石器時代の縄文人の現代における子孫としてのアイヌの系統的な位置付けをより深く理解することができ、日本人全体についてより明確なイメージを持てるようになるだろう。
宝来聰著「DNA人類進化学」(岩波科学ライブラリー52)より引用
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『最新科学で探る日本史』 宝島社 TJmook (無許可抜粋)
「縄文人核ゲノム解析で判明した縄文人の謎
ゲノムの解析で明らかになる縄文人の謎
約20万年前にアフリカ大陸に出現した現生人類は、何万年かけて地球全体に拡散した。その歴史の中で、日本列島に現生人類がやって来たのは約4万年前のこと。
日本列島へやって来たルートとしては、シベリア経由と琉球列島経由、そして朝鮮半島経由の3つがある。そこから船を使ったり、陸続きで来たことは想像に難くない。この3つのルートでやって来た人びとが混ざり合って、日本人が形成されたのである。
最初に日本に現生人類がやってきた4万年から1万6000年前が『後期旧石器時代』、1万6000年から3000年前が『縄文時代』、3000年から1700年前が『弥生時代』で、狩猟生活であった縄文時代に対し、弥生時代は農耕文化が普及した。
縄文人と弥生人が交わり日本人に近づいていく
現在の日本人は、縄文人と弥生時代やそれ以降に流入した渡来民が混ざり合って形成されているという説がある。その説を立証し、縄文人の由来を検証するためのミトコンドリアDNA解析が、1980年から行われている。
ただ、ミトコンドリアDNA解析はゲノムサイズが小さく、遺伝情報が少ない。そのことから、国立遺伝学研究所を中心とした研究グループ、より詳しい歴史を知るため、東京大学研究博物館に所蔵されている縄文人の歯からDNAを抽出し、核ゲノム解析を行っている。その解析の結果、縄文人は大方の予想通り、東ユーラシアのアジア人と近いDNA配列を持っていることがわかった。さらに現代の日本人のDNA配列は、大陸の東ユーラシア人よりも縄文人のDNAに近いことも判明。つまり現代の日本人は、縄文時代以降に現れた渡来人より、縄文人の遺伝子を色濃く残しているのである。
そして、その縄文人の由来の話は、東ユーラシア、つまり東アジアからの3つのルートの中で、東北アジア由来が多いのか、または東南アジア由来が多いのかという問題で数々の議論が交(か)わされてきている。
ミトコンドリアDNAの解析から核DNAの解析へ
日本の縄文人は容姿から判断すると、タイやインドネシアなどの東南アジア系に近いように見える。だが、現代日本人のDNAを用いた解析からは、シベリアやモンゴルなどの東北アジア由来のDNAにより近いとされてきた。
ところが、国立遺伝学研究所による歯の核ゲノム解析で、実は北東アジア由来でも東南アジア由来でもなく、もっと古い東アジア共通の祖先に近いDNA配列を持つことが判明した。
つまり、縄文人の祖先は人類が東アジアに到達し、東アジアのどこかで一定期間の進化を遂げたのちに日本列島にやって来たのではなく、人類が東アジアに到着した比較的初期に日本列島に渡って来て、独自の発展を遂げた可能性があるということだ。縄文人は、朝鮮半島を渡ってきた朝鮮半島由来の人間であるとか、シベリアを渡って来たから核ゲノム解析から見えてきた日本列島の人類の成り立ち由来の人間である、という単純な話ではないということになる。
さて、現代人に話に戻ると、縄文時代のあと、弥生時代に北東アジアからやって来た渡来民がさらにミックスされて形成されていくわけだが、その比率にも当然興味がわいてくる。
礼文島の縄文人から全ゲノムの解析に成功!
現在の日本人を琉球とアイヌ、本土日本人に分けて分析してみると、縄文人の遺伝的要素が一番強いのはアイヌの70%近くあり、その次ぎが琉球で30%、最後に本土日本人がわずか10%だった。この結果は、虎移民との混血が本土では進み、南北ではあまり進まなかったことを証明するデータにもなり得る。
また、縄文人の遺伝的要素が最も強いとされるアイヌは、南シベリアのオホーツク文化人の遺伝的要素が強いことが、ミトコンドリアDNA解析でわかっており、アイヌが縄文人に一番近い遺伝的要素を持っていながら、北方から流入してきた民族とも混じり合ってきたこともわかってきた。
現代においても、海外からの人の流出入がある一定の場所に限られていることからもわかるように、法規制や領土の認知がなかった時代ならば大陸の各地から随時列島に渡って来たであろうことは想像に難くない。そこに住むことができる植生や気候があり、他民族との軋轢などないのであれば、移動を覚えた人類が移り住むという選択は自然な流れである。
朝鮮半島やシベリア、琉球列島など、地理的に大陸が近い場所から人が渡来し、それらが逐一混血し合って現代日本人が形成されているという推測は、シンプルに考えれば当然といえば当然だ。
ただ、これまでに縄文人のゲノム解析から得られた情報は、まだすべての謎を解くには充分とはいえない。縄文人の謎はまだ残されているのだ。
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弥生時代 監修 篠田謙一
DNAが解明する弥生時代の大量殺戮の謎
発掘された倭国大乱の証拠
鳥取市青谷町『青谷上寺地遺跡(あおやがみじちいせき)』は、弥生時代の中期~後期に栄えた集落遺跡。出土遺物から木製の容器類や管玉(くだたま)などの生産が行われていたことで知られる。1998年度から3年かけて行われた発掘では、多量の土器や木製品などの考古遺跡とともに、約5,300点の人骨が発掘された。
これらの人骨は狭い領域に集団埋葬されたことや、多くの人骨に殺傷痕が認められること、泥湿地ゆえに遺物の保存状態がよく、中には脳が残っているものもあることなどから大きな注目を集めた。しかし、なぜこれだけの人数が殺されたのかなどは判明しておらず、依然として謎が多く残っている。
近年、この人骨の詳細なDNA分析が行われた。その結果、殺された人びとの間に血縁関係はほとんどないことが判明。彼らがこの遺跡に居住した人々だったならば、多くの他人同士がまとめて殺傷されたということになる。そこから、青谷上寺地遺跡は多くの人々が流入や離散を繰り返している都市のような場所で、殺された人々は部族間の闘争ではなく、都市を襲った戦争の犠牲者だったことが明らかとなった。
DNA分析によって遺伝譲歩が明らかになったことで、青谷上寺地遺跡は当時の混乱した社会状況を示す代表的な遺跡と考えられるようになった。
ミトコンドリアDNAと核ゲノム分析の結果 調査では、最初に青谷上寺地遺跡から出土した人骨32体のミトコンドリアDNAを分析し、それぞれの個体の全塩基配列を決定。ミトコンドリアDNAは母系に遺伝するので、同じ配列を持つものは母系の血縁があることがわかるのである。
その結果、母系の血縁がある可能性のある個体はわずか6体のみであった。つまり、全体の8割は『関係ない』ことが判明したのだ。
現代日本人は、縄文人と大陸の集団の中間に位置する。つまりこれは、現代日本人が大陸集団と縄文人の混血であることを意味する。
一方の青谷上寺地遺跡の人々だが、特定の領域に固まることはなく、広く現代日本人と同じ範囲の中に散らばって分布。これらの結果から、彼らは特定の血縁集団ではなく、この都市に集まった血縁関係のない人々であったことが明らかになった。そしてこの事実が、青谷上寺地遺跡の人々の死因が倭国大乱の争いだったことを示すものとなったのである。」
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日本人は秀でたところを持った賢く優れた才能豊かな能力が高い人である、はウソである。
実態は、褒められたところなどない才能乏しき有り触れた凡人であり、煩悩愚息の凡夫である。
日本人を褒めて持ち上げる、一部の保守派や右翼・右派・ネットウヨクは嘘を繰り返している。
日本が世界で信用され、日本人が世界で愛されている、はウソである。
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ガラパゴス諸島に棲息するゾウガメやイグアナなどの陸上動物は、自然災害で中南米大陸から流れ着いた子孫である。
絶海の孤島のゾウガメやイグアナは、厳しい自然環境で生存する為に独自の進化を遂げ、その結果として中南米大陸のゾウガメやイグアナとは違う生態系で生きている。
つまり、中南米大陸のゾウガメやイグアナとガラパゴス諸島のゾウガメやイグアナは、別種ではなく別系統である。
ダーウィンは、ガラパゴス諸島のゾウガメやイグアナを研究して1859年に純粋に種の保存・種の生存としての進化論を導きだした。
1883年 イギリスの遺伝学者ゴードンは、種の優劣を導き出す優生学・優生思想を提唱した。
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中国共産党系の権威ある専門家・研究者・学者は平気で嘘を吐き、彼等の公式発言・研究発表は中国共産党の検閲で認められた事柄のみで、客観的科学的合理的な事実はもとより真実は少ない。
日本国内に、中国共産党・共産主義勢力に媚びを売る親中国派・媚中派が増えている。
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東ユーラシアのアジア人(原初の東アジア人)は、定住して縄文人・東南アジア人・東北アジア人に分かれた。
東北アジア人から、漢族中国人や朝鮮人が分かれ生まれた。
つまり、アジア人といっても日本民族と中国人・朝鮮人は別系統のアジア人である。
日本人と中国人・朝鮮人は、同種同文はウソであり、一衣帯水もウソである。
中国人と朝鮮人は、同種同文や一衣帯水は本当である。
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男系父系を遡ると縄文人に行きつくが、女系母系は遡ると何処に行きつくのか分からない、何処の馬の骨とも知れない。
唯一ハッキリしている男系父系の一族が、万世一系の天皇である。
それ故に、神の裔なのである。
国民世論の70%以上が、天皇即位条件として女系母系を支持し男系父系に反対して、伝統文化を捨てて変更する事を求めている。
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現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力が乏しいか、もしくはない。
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現代の日本人と昔の日本人は違う日本人である。
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日本民族と日本人とは違う人間である。
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日本民族は、侵略者ではなく、征服民族ではなく、日本列島に住んでいた唯一の土着民族・先住民族である。
日本民族と琉球人・アイヌ人は、血の繋がった兄弟種・姉妹種つまり同種である。
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中国人や朝鮮人は争い奪う事を生き甲斐にするに好戦的な人間なら、日本民族は争う事を嫌う非戦的な人々である。
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日本民族は、人類史的に特異な、特殊な、国家、伝統、文化、宗教、言語、その他など広範囲な面で単一性が強い民族である。
グローバル的高学歴の知的エリートや進歩的インテリは、日本民族の単一性を野蛮な未開として嫌悪し否定している。
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縄文人は、南・北・西から日本列島に流れ着いた異人と見境なく乱婚を繰り返して生まれた血が汚れた混血の雑種民族である。
流れ着いた異人とは、先取り精神のある才能溢れた勇気ある挑戦者・冒険者・開拓者ではなく、ただ偶然に好運に恵まれて運良く日本列島に漂着した何かの理由で故郷を追い出された・追放された、逃げ出した敗者である。
縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷(北海道)・北方領土・樺太・千島列島・カムチャツカ半島・北米北部太平洋岸、西は朝鮮半島南部に住み着き、手漕ぎ舟で日本海を主要航路として往来していた。
弥生人は、縄文人が揚子江系黄河系半島系の異邦人(渡来人でも帰化人でもない)と乱婚して生まれた列島人である。
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縄文人は、西日本で起きた数多くの巨大な自然災害で幾度も大量な犠牲者を出し絶滅の危機に襲われていた。
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数万年間平和に生きていた縄文人に、弥生人は大陸・半島の「勝利は正義」の論理を持ち込み、奪い合う、殺し合うを日本列島に植え付けた。
御霊・和魂・よき御魂・和の心で生きていた縄文人に、弥生人は怨霊・荒魂・悪い御魂・荒れた心を持ち込んだ。
そして「弥生の大乱」が起き、殺戮が繰り返され、その結果として各地に軍事王国が生まれ乱立した。
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渡来人と帰化人は違う。
渡来人は、天皇への忠誠を拒絶し、ヤマト王朝・日本国に対して暴動や反乱を繰り返していた。
現代の日本人は、天皇に忠誠を誓い、粉骨砕身してヤマト王権・日本国の為に尽くした帰化人を「悪い人間」として切り捨てている。
その証拠が、歴史教育から「帰化人」と言う用語が抹消されている。
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日本文明は、長江文明の後継文明で、黄河文明の亜流文明ではない。
好戦的な黄河文明は、揚子江流域を軍事侵略し長江文明を滅ぼし、暴力で長江文明人を不毛な南や西の山岳奥地へ東の海へと追放して肥沃な土地を強奪した。
黄河流域民の北高南低という中原文化意識による揚子江流域民への偏見・差別はこうして生まれた。
朝鮮人の日本人に対する偏見・差別も、黄河流域を中心とする中原文化意識が影響いている。
中原文化意識が、後に儒教によって中華思想・華夷秩序・中華主義になり、越えてはならない上下関係・身分関係の差別階級を生みだした。
中国共産党が提唱する「中華帝国の偉大な栄光」とはこの事である。
それを拒絶し破壊したのが日本文明の天皇中心国家日本であった。
中国共産党が「中華帝国の偉大な栄光」を取り戻す為には、戦争で日本に勝利するか、軍事力で日本を屈服させ朝貢国として支配し臣下の礼と忠誠を誓わせるしかない。
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日本民族の祖先にとって中国大陸や朝鮮半島は、戦争が絶えない、殺し合いや奪い合うことが当然の様に行われる地獄であった。
中国大陸や朝鮮半島を支配していたのは、「強者必勝・弱者必敗」の原則であった。
弱者や敗者であった日本民族の祖先は、地獄の中国大陸や朝鮮半島を見捨てて争いのない平和な日本列島に逃げ込んだ。
つまり、日本民族は生物の大原則である「弱肉強食」では生きられない弱者もしくは負けた敗者であった。
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日本文化は、縄文文化を源として弥生文化に変化し、ナラ文化や隼人文化・出雲文化・吉備文化・尾張文化・越文化・毛野文化・蝦夷文化・その他など多種多様な文化が混じり合ってヤマト文化を生み出し、それが海の外かの大陸文化・半島文化・東南アジア文化そして西洋文化・その他の多種多様な文化を取り入れて現在に至っているが、完成を目指して変化を続け未成熟文化である。
日本文化が未完成のままなのは、絶えず新しい何かを持って渡ってくる「客人神(まろうどがみ)」が原因である。
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日本文化と親和性が強いのは、儒教の中国文化や朝鮮文化ではなく、仏教のインド文化である。
日本民族が憧れるのは、東や南の海の彼方にある神の国・常世の国とインド・ヒマラヤ・チベット・ガンダーラの仏の国であって、中国や朝鮮の聖人君主の国ではない。
中国で憧れたのは非漢族の唐王朝と南宋の一時期で、それ以外の時代・王朝は敬して遠ざけていた。
まして、嘘八百で真実性が乏しく他人を軽蔑して見下す傲慢な朝鮮など高麗人参や陶器以外は嫌っていた。
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日本文化の特徴は、絶対価値観で善悪・正邪・美醜など白黒をハッキリ区別して分離させず、相対価値観で曖昧な灰色の部分を大事にする事である。
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日本の価値観は完成した価値観ではなく、絶えず新た価値観に影響され右往左往する定まりのない落ち着かない未完成価値観である。
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日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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日本の自然は、心癒やされるほどに豊で美しい。
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日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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日本の凶暴な自然災害に比べたら、如何なる戦争も子供の火遊びに過ぎない。
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日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
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日本を襲う全てを破壊する大地震と高さ15メートル以上の巨大津波と広範囲な埋め尽くす山体崩壊に、如何なる哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして宗教も無力で役に立たない。
もし、唯一絶対神・全知全能の神・万物創造の神・愛と奇跡と恩寵の神がいるのなら、その中の一つでもなくす事ができれば信仰される。
東日本大震災後。ローマ教皇は、テレビ中継で被災地に神の癒しを宣べ隣人愛の信仰の大切さを説いたが、被災少女の「何故、津波で死なねばならなかったのか?」という問いに絶句し答えられず、キリスト教会はテレビ中継を遮断・中止した。
同じ意味で、哲学や思想は受容されても、主義主張(イデオロギー)は信用されなかった。
故に、日本民族にとってキリスト教やマルクス主義・共産主義はいらなかった。
日本に必要だったのは、日本神道・日本仏教(葬式仏教)・日本儒教(論語儒教)であった。
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日本民族は、民族中心神話・血の神話を源とする血筋・血統を正統する男系父系天皇が存在する事で、安心し落ち着く。
日本の最高神は、女性神・天照大神であり、天皇家・皇室の祖先神である。
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自衛隊員は、被災地に入り被災者を救い犠牲者を収容し、昼夜兼行でよく働いた。
アメリカ軍も、同盟国として「トモダチ作戦」で大量の救援物資を被災地に運んだ。
その時、反日行動・敵日行動を止める事なく続けるロシア、中国共産党政府、韓国・北朝鮮を日本人は忘れない。
その反対に、日本人は親日行動を行う台湾に感謝する。
困った時に助けてくれる人が、本当の友・友人・親友・戦友である。
現実のリベラル派・革新派そして一部の保守派による民主党政権は、中国共産党政府や韓国・北朝鮮を優遇し、台湾に冷淡であった。
護憲派、人権派、反自衛隊派、反戦平和団体、反米派・反安保派・反米軍基地、左翼・左派・ネットサハそして反天皇反日的日本人も同様であった。
彼らにとって最優先すべきは、他人の命ではなく自分の主義主張(イデオロギー)であった。
故に、主体性を持った一個の人間としてアメリカ軍や自衛隊に感謝しない。
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日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
日本は、異種異文の朝鮮や中国を差別して排除し、同種同文に近い琉球人とアイヌ人を同化させた。但し、特権を有していた高級知識階級の久米三十六姓は区別し差別した。
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日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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日本民族の集団主義は、中華や西洋とは違い、共感と共有のる運命共同体である。
日本には、西洋的ボランティアがいない。
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昔の日本は、人口微増の人生50年時代で、若者が多く老人が少なかった。
現代の日本は、人口激減の人生100年時代で、老人が多く若者が少なく、年ごとに少子高齢化が加速していく。
日本政府は、人口回復の為に外国人移民(主に中国人移民)1,000万人計画を進めている。
現代日本は、世界だ第4位の移民大国になり、一番多いのが中国人移民で、次ぎに多いのが韓国人・朝鮮人の移民である。
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正統な男系父系天皇を嫌い、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を消滅させようとする、左翼・左派・ネットサハ、日本共産党、マルクス主義の高学歴知的インテリ(グローバルな進歩的知識人)などの反天皇反日的日本人達。
彼らは、アイチトリエンナーレ2019での「昭和天皇の肖像画写真を燃やし踏みつける映像」を表現の自由として擁護し、ジェンダーフリーで正当な女系母系天皇即位を目指している。
国民世論は、それを支持している。
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日本は、偏見・差別、蔑視、イジメ・嫌がらせ・意地悪などが多く、そして自粛警察などの陰湿陰険な同調圧力、場の空気が強いブラック社会である。
北海道・東北地方に対する偏見・差別、蔑視。
放射能関連での福島に対するイジメ・嫌がらせ・意地悪。
口では真面らしく絆、繋がりを言うが、実際の行動はその正反対である。
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