🗾18〕─1─日本の石器時代。~No.56 

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 縄文時代早期に2万人前後しかいなかった日本(北海道・沖縄を除く)の人口は、温暖期に入ってナッツ類が豊富に実るようになると順調に増え始める。
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 2021年5月23日 MicrosoftNews 共同通信「長野の「石刃」、国内最古と発表 現生人類、流入の手掛かり
 © KYODONEWS 長野県佐久市の香坂山遺跡で出土した(左から)大型石刃、小石刃、尖頭器=2020年10月
 長野県佐久市の香坂山遺跡で昨年出土した旧石器時代の石器「大型石刃」が、石刃として国内最古となる3万6800年前のものであることが、遺跡を発掘した奈良文化財研究所の国武貞克考古第一研究室長の研究で明らかになった。国武氏が23日、日本考古学協会の総会でオンライン発表した。
 遺跡からは大型石刃含め、アフリカで誕生しユーラシア大陸を東に拡散した現生人類特有の石器群が、国内で初めてそろって出土。同様の石器群は、中央アジア、南ロシア、中国などで5万~4万年前のものが出土。朝鮮半島でも4万1千年前の大型石刃が見つかっている。日本列島への現生人類の到達にも関わる事例だ。
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 毎日新聞
 日本最古の人類の姿が分かる? 長野・香坂山遺跡で「ホモサピエンス」の石器がザク
 2020/8/28 14:00(最終更新 8/28 14:00)
 日本列島で人類の歴史が始まった時、その最初の姿はどのようなものだったのだろう?
 この、考古学・人類学の一大テーマに答えを出す可能性のある旧石器時代の遺跡が現れ、研究者の関心が高まっている。長野県佐久市の香坂山(こうさかやま)遺跡である。出土した石器を見ると、アフリカを出てユーラシア大陸を西から東へと拡散していった現生人類(ホモサピエンス=新人)の大きな流れが、まさにそのまま直結した形で日本列島に姿を現したかのようなのだ。
 国武貞克・奈良文化財研究所主任研究員をリーダーとする研究グループが8月初めから調査している。
 日本列島では約3万8000年前、大陸から新人が渡ってきて、人の歴史がスタートしたと考えられている。世界的な考古学の枠組みでは、後期旧石器時代と呼ばれる時代だ。それよりも前に人が住んでいたかどうか、つまり、日本列島にも前期・中期の旧石器時代が存在したかどうかについては、ちょうど20年前に発覚した発掘捏造(ねつぞう)事件も絡んで、議論が分かれている。こうした事情から、研究者が一致して存在を認めるのは3万8000年前以降の時代であり、その最初がどのような状況だったのかが、旧石器時代研究の最大関心事の一つなのである。
 日本列島で最古の「石刃」遺跡
 香坂山遺跡は実は、1997年に一度発掘されている。
 浅間山の東南約15キロ、八風山(はっぷうさん)山麓(さんろく)南側の標高1080メートルの地点に位置する。群馬県境に近い。上信越自動車道の八風山トンネルの建設工事に伴って発見され、長野県埋蔵文化財センターによって調査が行われた。
 その時、後期旧石器時代を特徴づける石器製作技術である「石刃(せきじん)」技法でつくった石器などが見つかった。石刃技法とは、石器になる原石を他の石などでたたいて割り、ナイフのような鋭い刃をもつ縦長の素材を効率よく獲得する技術である。
 当時、同時に出土した炭化物の放射性炭素年代測定によって、遺跡の年代は3万6000年~3万5000年前とわかった。この年代は、石刃が出土した遺跡として国内最古とされている。
 ただ、年代測定の技術進歩はめざましい。最初の発掘から20年以上たっているため、国武氏は今回、さらに精度の高い年代測定を念頭に発掘を思い立った。「墨粒(炭化物)が取れればいいな」と臨んだわけだ。
 大小の石刃、尖頭器がザクザク出土 ユーラシア大陸と同じ
 ところが、3週間足らずの間に、望外といえる収穫が連続することになった。
 出土した石器は約400点。中でも注目されるのが、長さ10センチを超えるものも含む大型の石刃と、長さ3~4センチほどと小さくて薄い小型の石刃の2種の石刃。大型石刃は97年の調査でも発掘されたが、この時代の小型石刃が見つかったのは初めてのことだ。さらに、尖頭器(せんとうき)と呼ばれる先のとがった大型の石器も見つかった。
 この3種の組み合わせが日本列島で見つかったこと自体が初めてなのだが、興味深いのは大陸で発掘された石器との比較だ。
 国武氏によると、「大型石刃・小型石刃・大型の尖頭器」の3種のセットは、アフリカを出た新人がユーラシア大陸に入り、西から東へ拡散していく時に持っていた石器の組み合わせという。言い換えると、大陸で後期旧石器時代が始まった時の最古の石器の組み合わせである。
 その時期と地域は、おおよそで中東(レバント=4万8000年前)、中央アジア(4万5000年前)、中国北部(4万4000年前)、朝鮮半島(4万2000年前)などと時代を下りながらつながってゆき、それぞれ同じ内容の石器のセットが見つかっている。
 それと同じ3種セットが今回見つかったわけだ。そこで、焦点となるのが遺跡の年代である。
 これまで香坂山遺跡の年代は3万6000年前とされてきたので、朝鮮半島の同種の遺跡とは6000年の時間差があり、やや離れている。今回、高精度の年代測定によって年代がさかのぼることになれば、時間の溝が縮まる。
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 酒々井町
 旧石器時代とは
 2019年7月2日
 旧石器人達の暮らし
 旧石器時代とは今から約3万8千年前から1万6千年前の約2万2千年間をいいます。人々はまだ土器を持たず、主に打ち欠きによって作られた石器(打製石器)や動物の骨や角を用いて作られた骨角器(こっかくき)を使い、狩猟や採集活動を行っていました。定住はせずに、テントのような軽易な住居によって食料となる獲物(今では絶滅して見られない大型哺乳類など)や木の実等を求めてたえず移動を行いながら生活をしていた時代です。しかも当時は氷河期という寒冷な気候であり、また火山活動も活発で頻繁に火山灰が降り注ぐ非常に厳しい環境下での暮らしでもありました。
 ○後期旧石器時代前半期(想像図)_RGB.jpg
 【後期旧石器時代前半期(墨古沢遺跡の頃)の風景(想像図)】
 年間平均気温は7~8度低く、台地上には針葉樹を中心とした森林帯が広がり、現在でいえば標高約1500mの風景が広がっていたと考えられます。
 墨古沢遺跡でも発掘調査で出土した炭化材の樹種同定やプラント・オパールの分析などから、周辺に針広混交林が広がっていたと推察されています。
 (図は2004『印旛の原始・古代-旧石器時代編-』印旛郡文化財センターより引用)
 ○旧石器時代に生きていた大型哺乳類_RGB.jpg
 【旧石器時代に生きていた大型哺乳類】
 陸続きとなった大陸から、現在では絶滅して見られないマンモス・ナウマンゾウ・オオツノジカなどの大型獣が渡ってきて生息していました。これらの動物は重要な食料源であったばかりではなく、骨や角は加工して道具として使われました。
 (図は2004『印旛の原始・古代-旧石器時代編-』印旛郡文化財センターより引用)
 墨古沢遺跡の時代、後期旧石器時代前半期
 墨古沢遺跡に旧石器時代の環状ブロック群があった時代は、気候が寒冷化に向かい年ごとに大きく変動していました。海抜は現在よりも約80mほど低く、本州・四国・九州は地続きになり一つの島を形成していましたが、この島は大陸や北海道とは海で隔てられていました。
 そして、この時代こそ、私たちの祖先ホモ・サピエンスが海を越え日本列島に到来・定着した時代なのです。ホモ・サピエンスは30万年~20万年前にアフリカで誕生し、8万年~5万年前にアフリカから世界中へ拡散を開始します。約4万5千年前にはヨーロッパや中央アジア・オーストラリアへ到達し、約3万8千年前に朝鮮半島から海を越えて日本列島へ到来しました。(なお、ホモ・サピエンスの拡散については今日も精力的な研究が続けられており、これからの年代についても今後の研究成果により大きく変わることが予想されます。)
 (図は印旛郡文化財センター 2004 『印旛の原始・古代-旧石器時代編-』、国立科学博物館編 2016 『世界遺産ラスコー展』、NHKスペシャル「人類誕生」制作班編 2018 『人類誕生』をもとに作成)
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 石器時代(せっきじだい)とは先史時代の区分のひとつで、人類が石材を用いて道具や武器をつくっていた時代を指す。
 概要
 石器時代という時代区分は、デンマークの考古学者クリスチャン・ユルゲンセン・トムセンによって名付けられた。彼は一定の原理に基づいて、人類は、石以外に金属を知らない石器時代、鉄をまだ使っていない青銅器時代鉄器時代の順に発達した、と1836年に「北方古物学の手引き」でまとめた。そして、この時代区分はスカンジナビアとその周辺地域に適用できることを述べている。この三時代区分によって、考古学的な整理がつくが、世界のどの地域でも当てはまるかというとそうではなく、青銅器時代を経ない地域も存在する。
 旧石器時代
 詳細は「旧石器時代」を参照
 旧石器時代は、200万年前から紀元前1万年の間とされている。地質学的にいうと、人類が絶滅した動物と共存していた更新世に属する。また、ホモ・ハビリスが石で道具を作り始めた時期でもある。考古学的にいうと、打ち欠かれた石の道具である打製石器という単純な石器を使用して狩猟・採集生活を営んでいた時代でもある。
 旧石器時代をさらに前期、中期、後期に区分する時代区分が行われる。
 弓矢が無かった為、石を削り獲物に投げつけて狩をしていた。

 後期旧石器時代
 後期旧石器時代の年代は、地域によって異なるが、約3.5万年前~約1.2万年前の期間とされている。西ヨーロッパでは、「発展した旧石器時代(アドバンスト・パレオリシック)」とも呼んでいる。約3万年前から2万4000年前にはネアンデルタール人が絶滅し、ヒト属に属する生物は現生人類のみとなった。このころ打製石器はさらに精巧なものとなり、石刃技法を用いたナイフ形石器が普遍的に生産されるようになった。また骨角器の制作や衣服の着用、装身具の使用、洞窟壁画の登場やこれに代表される呪術的な行為の発生が認められている[2]。
 この時代から、日本列島に人類が住んだ遺跡や遺物が多く発見されている。北海道から九州までの遺跡の数は5000箇所にのぼっている。

 新石器時代
 詳細は「新石器時代」を参照
 地域によって違うが、オリエントの肥沃な三日月地帯では、紀元前8000年頃に、中米やメソポタミアでは、紀元前6000年頃に始まった。 地質学的にいうと、人類が現生動物と共存する完新世に属し、磨かれた石の道具である磨製石器を主な道具としていた時代でもある。この時期のもっとも重要な出来事は定住の開始であり、さらにこれに伴って土器の使用、農耕や家畜の飼育が始まり、自給自足の生活へと変わっていったことから「新石器革命」とよぶことがある。もっとも、定住を開始したために農耕や土器製作などがはじまったのか、それとも農耕などの各種技術の発見によって定住を開始することになったのかはわかっていない。とくにこの時期に行われたオオムギやコムギなど穀物の栽培化は人類の食糧基盤となり、家畜は食糧源や輸送・労働力として重要なものとなり、また土器は石器に比べはるかに製作・成形しやすいものであり、より高度な道具の制作が可能となった。こうした発明は以後の技術発展の基礎となるものであり、人類の繁栄の基盤となった。また、この新石器革命は社会を複雑化させるきっかけとなった。効率的な食料生産はそれまでよりもはるかに大きな人口を扶養することが可能になり、莫大な社会余剰を生み出した。この社会余剰を元に、食料生産に直接的に従事しないスペシャリストが生まれ、さらに食糧生産をより増大させるために灌漑などの土木工事が始まり、それを実行するために社会の組織化が始まった。しかしはじまりの時期が違うように、生活様式は、地域で大分違っていた。例えば日本の縄文時代新石器時代に位置づけられるが、日本で農耕が発達するのは縄文時代中期以降であり、牧畜は縄文時代を通じて存在しなかった。
 金石併用時代と石器時代の終焉
 やがて、自然状態で存在する金属を加工することを覚えた人類は、自然銅や自然金といった天然の鉱石を発見し、銅や金といった加工の容易な金属を使用するようになっていった。ただしこうした金属は硬度が不足しており、石器を完全に駆逐することはできなかった。この時代のことは銅器時代、または金石併用時代と呼ばれる。やがて冶金を覚え、スズと銅の合金である青銅を手にした人類は、完全な金属器文明である青銅器時代を迎えることとなった。ただし、石器時代の終焉は地域によって時期が非常に異なり、なかには紀元後に入っても石器時代のままであった文明も存在した。こうした文明のうちでもっとも代表的なものはメソアメリカ文明インカ帝国といった新大陸の諸文明であり、国家を形成し文明と呼ぶに足る高度な文化を築き上げていたにもかかわらず、冶金技術は非常に遅れており、銅や金などを装飾品として使用する金石併用時代から進歩することのないまま16世紀初頭にスペインの侵略を受け、滅亡することとなった。
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 旧石器時代(きゅうせっきじだい、英語: Pal(a)eolithic Age)とは、ホモ・ハビリスなどヒト属による石器(打製石器)の使用が始まった時代で、石器時代の初期・前期にあたる。年代的には200万年前に始まる。旧石器時代は石器の出現から農耕の開始までの時代(完新世)をさす。旧石器時代の語源はギリシャ語で παλαιός (palaios, 古い)+ λίθος (lithos, 石)である。
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 日本列島の旧石器時代(にほんれっとうのきゅうせっきじだい)は、人類が日本列島へ移住してきた時に始まり、終わりは1万6500年前と考えられている。無土器時代、先土器時代、岩宿時代ともいう。
 終期については青森県外ヶ浜町大平山元遺跡出土の土器に付着した炭化物のAMS法放射性炭素年代測定暦年較正年代法では1万6500年前と出たことによる。
 日本列島での人類の足跡も12万年前(島根県出雲市多伎町砂原 砂原遺跡)に遡る。この時代に属する遺跡は、列島全体で数千ヵ所と推定されている。
 地質学的には氷河時代と言われる第四紀の更新世の終末から完新世初頭までである。ヨーロッパの考古学時代区分でいえば後期旧石器時代におおむね相当する。
 日本列島の形成
 日本に不完全ながらも弧状列島の形が出来上がりつつあったのは、今からおよそ1500万年前で、現在のテクトニクスは約300万年前にほぼ出来上がった。更新世氷期間氷期が交互に繰り返す氷河時代には地形の変化が起こった。
 しかしながら、従来の学説では氷期に日本列島は大陸と陸続きになり日本人の祖先は獲物を追って日本列島にやってきた[2]とされてきたが、近年の研究では氷期の最寒期でも津軽海峡対馬海峡には海が残り陸続きにならなかったことが分かってきた。また舟を使わないと往来できない伊豆諸島・神津島産の黒曜石が関東地方の後期旧石器時代の遺跡で発見されていることなどから、「日本人の祖先は舟に乗って日本列島にやってきた」という研究者の発言も新聞で報道されている。しかし、この時期には船の遺物は発見されていないため少数の意見である。
 一方、約4万年前の後期旧石器時代早期より黒曜石の採掘が続けられた栃木県高原山黒曜石原産地遺跡群では知的で効率的な作業の痕跡も確認されている。
 また、4万年〜3万年前には世界最古の磨製石器が製作されており、すでに日本では独自の文化が形成されていたことがうかがえる。
 石器
 前・中期旧石器の発掘
 相沢忠洋の像。日本の旧石器時代の存在証明に貢献した。
 日本は酸性の土壌が多いため、骨などが残りにくく前中期の遺跡は発見が難しい。しかし、数は少ないものの、近年の考古学研究の発展により、岩手県遠野市の金取遺跡(9〜8万年前)から中期旧石器が、島根県出雲市の砂原遺跡(約12万年前)では前期旧石器などの遺物が発見されている。
 日本では縄文時代より前の時代を先土器時代、または無土器時代と呼んでおり、土器の時代を遡る時代の遺跡や遺物が長い間発見されず、土器以前に日本列島に人類は居住していなかったと考えられていた。ところが、1949年(昭和24年)に、相沢忠洋が、岩宿(群馬県新田郡笠懸村、現・同県みどり市笠懸町阿左美地内)で関東ローム層中から旧石器を発見した。日本の旧石器時代の調査・研究は、ここから始まった。現在までに、日本列島全域で4000カ所を超える遺跡が確認されている。これらの遺跡のほとんどが約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代に残されたものである。
 後期旧石器の特徴
 後期旧石器時代の石器群を概観する。日本列島の後期旧石器時代は、約35,000年前に始まり、縄文時代へと移行する約15,000年前までの約20,000年間続いた。遺跡は樺太から沖縄まで約10,000ヵ所以上が確認されている。これらの遺跡で出土する遺物のほとんどは石器であり、遺構は礫群以外が出土することは極めてまれである(他に陥し穴などがある)。石器ばかりが発見されるのは有機質の材料で作られた道具が土中で分解されて残りにくいためであり、遺構についてもその可能性が高い[要出典]。ただし遺構はおそらく大変簡素な作りだったと推測されている。

 土器の出現
 詳細は「土器」を参照
 日本で最初の土器がどのようにして出現したのかははっきり分かっていない。しかし世界でも最古級(約1万6500年前)の土器が青森県の大平山元I遺跡から出土していることから日本で出現した可能性が高い。旧石器時代の終末に、長崎県で豆粒文土器(佐世保市泉福寺洞窟)、本州では無文土器が出現している。一般に土器は、運搬・貯蔵・煮炊きに使われるが、出現期の土器の役割はまだ十分解明されていない。

 木の文化
 石器時代の文化といえば、石器を思い浮かべるが、日本列島の豊かな森林資源を忘れてはならない。これまでに、板状の木製品と木の柱を使った住居跡が見つかっている。

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