🎌3〕─2─正統男系父系天皇が途絶えなかったのは偶然であって必然ではない。〜No.14No.15No.16 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2021年6月28日 MicrosoftNews 時事通信社 日刊SPA!「これまで皇室が途絶えなかったのは何故か/倉山満
 © 日刊SPA! 3月に安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会議の初会合が開かれた際の菅義偉首相と座長の清家篤慶應義塾塾長(手前)。菅首相は次世代の危機を救う宰相となるのか 写真/時事通信社
◆これまで皇室が途絶えなかったのは何故か
 なぜ皇室は続いてきたのか。
 偶々(たまたま)である。
 この場合の「偶々」とは、軽い意味ではない。「これさえやっておけば絶対に大丈夫」などという方法は無い。
 たとえば、一部保守に蔓延している「天皇は国民の為に祈り続けてきたから、滅ぼされなかったのだ」などという謬論だ。長い皇室の歴史には、幼くして崩御された六条天皇四条天皇のように、歴代天皇と同じようには儀式を行えなかった方々もいる。近代でも国事に忙殺された明治天皇は祭祀に御熱心ではなかったし、ご病気に悩まされた大正天皇も「祈る天皇」ではありえなかった。
天皇は祈っているから滅ぼされないのだ」という主張が正しいなら、伊勢の式年遷宮をはじめ多くの祈りが途絶えた戦国時代に皇室は断絶していなければならない。
 祈り(祭祀)に限らず、「○○をしたから皇室は続いてきたのだ」などという絶対の原理はないのだ。皇室が途絶えそうな危機は何度もあったが、そのたびに皇室を守ろうとする人々が現れて、タマタマ、その人々の意思が勝っただけなのだ。
◆皇室が途絶えそうな危機のたびに、守ろうとする人々が現れた
 古代、自ら「王」を名乗る蘇我入鹿の専横に対し、中臣鎌足が立ち上がり勝利した。
 奈良時代皇位を窺った弓削道鏡の野望を、和気清麻呂が阻止した。
 鎌倉時代末期、もはや統治能力を失った北条氏から政治を取り戻そうとした後醍醐天皇を、楠木正成が倒幕に導いた。
 室町の動乱期、足利義教後花園天皇の英才教育に心血を注いだ。後花園天皇の時代は、三種の神器が強奪され、応仁の乱で国中が疲弊する暗黒の時代だった。だからこそ、英邁な天皇に民は心を寄せた。
 そして江戸時代、新井白石閑院宮家を創設した。約100年後、後桃園天皇には皇子が無かったため、閑院宮家から兼仁親王を迎えた。英主として名を遺す光格天皇であり、今の皇室の直接の祖である。
 中臣鎌足和気清麻呂楠木正成足利義教新井白石、そして菅義偉
菅総理、300年に一度の名宰相として、歴史に名を遺す気はありませんか
 ここで呼びかけたい。「菅総理新井白石以来300年ぶりの名宰相として歴史に名を遺す気はありませんか」
 新井白石の例に見るように、皇室の問題は100年後を見据えて政策を考えねばならない。そして菅内閣は皇室の危機を救おうとしている。
 先日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議は、専門家からのヒアリングを行ったが、二つの画期的な議論が行われた。
 一つは、この20年間、猛威を振るった「女系天皇」論を葬り去る一歩手前まで来た。賛成7に反対14。今や、訳の分からない民間人の男を皇族にし、その子供が天皇になってはならないと考えるのが、日本人の多数派だ。
◆今、「女系天皇」を言う論者は、秋篠宮家から皇位を取り上げたいのか
 そもそも「女系天皇」とは何か。昭和末期、皇族の激減、特に秋篠宮殿下を最後に男の子が生まれず、このままでは皇室が滅びるとの危機感が生じた。
 そこに愛子内親王殿下がお生まれになった。愛子内親王殿下にご即位していただく「女帝」、その御子が皇位を継ぐ「女系天皇」を認めねば、皇室が途絶えてしまうとの論が強まった。そして時の小泉内閣が日本史上に先例のない「女系天皇」を容認する皇室典範の改正に着手した直後、悠仁親王殿下がお生まれになった。
 この平成18年の宮中歌会始秋篠宮ご夫妻は「こうのとり」の歌を詠まれている。紀子妃殿下39歳、決死の覚悟が伝わる。そして、偶々、男の子がお生まれになった。
 いわゆる「女系天皇」論は、後継者が愛子様しかいなかった時代の「そうでもしなければ」の議論であり、終わった話だ。悠仁親王殿下がおわす以上、論じること自体が有害だ。今、「女系天皇」を言う論者は、秋篠宮家から皇位を取り上げたいのか。壬申の乱源平合戦両統迭立南北朝の動乱のように皇位をめぐる争いを招来したいのか?
悠仁親王殿下が70歳になられた時に後継者がいなかった場合に備えよ
 現在、15歳の少年がたった一人で、神武天皇の伝説以来一度も途切れたことが無い伝統を背負われている。では、どのようにお支えするか。
 有識者会議でも「悠仁親王殿下が70歳になられた時に後継者がいなかった場合に備えよ」との議論が、続出した。
 そこで今回の有識者会議の画期的な議論の二つ目だ。「旧皇族の男系男子孫の皇籍取得」に関しても意見聴取した。質問が複雑で多くの専門家が回答に条件を付けたので単純には断定できないが、あえて分けると、賛成が12で反対が9だった。
 そもそもGHQに力ずくで皇籍を剥奪された元皇族の子孫で、本来ならば皇族として生まれるはずだった方々を旧皇族と呼ぶ。この方々の皇籍取得が、政府の公式の会議で議題になること自体が、初めてだ。
旧皇族とは本来ならば皇族としてお生まれになるはずだった方々
 ここで多くの人々が誤解をしているのではないだろうか。今の今まで一般国民として暮らしていた旧皇族の方々が突如として親王宣下をされて皇族となり、明日には天皇になるかもしれない、と。
 違う。
 繰り返すが、旧皇族の方々は、本来ならば皇族としてお生まれになるはずだった方々だ。まずその方々に皇籍を取得していただく。そして、その方々のお子様たち、まだこの世に生まれておられない方々に、生まれた時から皇族としての自覚を持ち、悠仁親王殿下をお支えしていただく。
 50年後に何かを始めるのでは遅すぎるので、今からお備えするべきなのだ。
◆「“旧皇族の男系男子孫の皇籍取得”は法の下の平等に反する」本気か?
 ところで、有識者会議で少数派だった憲法学者の宍戸常寿東京大学教授と大石眞京都大学名誉教授は、「旧皇族の男系男子孫の皇籍取得」は憲法14条が定める法の下の平等に反し差別に当たると述べた。本気で言っているのだろうか。
 現在の日本国憲法の教科書には必ず「人権の例外」が記されている。すなわち、天皇・皇族、未成年、外国人、法人である。天皇・皇族は日本国の法では、国民ではない。国民と違い戸籍はなく、皇統譜があるのみだ。知らぬはずなかろう。
 ところで、女性の民間人は結婚により国民から皇族になっている。宍戸氏と大石氏は、これも憲法違反と言うのか。美智子太后陛下、雅子皇后陛下、紀子東宮妃殿下を違憲の存在とでも言う気か。
 菅首相には謬見を排し、正論を通し、皇室をお守りいただきたい。
 【倉山 満】
 ’73年、香川県生まれ。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務め、’15年まで日本国憲法を教える。現在、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を行っている。ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』のほか、最新著書に『保守とネトウヨ近現代史』がある]
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教科書では絶対教えない 偉人たちの日本史
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 日本列島と日本民族を支配しているのは、「たまたま」の偶然であり、「こうあるべき」という必然ではない。
 日本列島と日本民族には、不変的不可欠な必須はない。
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 正当女系母系天皇実現派と反宗教無神論・反天皇マルクス主義者は、ここ十数年で国際正義に格上げされたジェンダー・フリーをかざして、数千年の弥生時代以来、日本民族が「ひとり孤独」に守ってきた唯一正統な血筋である男系父系天皇を廃絶・消滅しようとしている。
 彼らにとって、石器時代縄文時代以来の、日本民族の歴史・文化・伝統・宗教は無価値であり、唾棄すべき廃棄すべき「悪」である。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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