🏹24〕─1─中国義務教育は日本人被害者の元日戦争(元寇)を一切教えない。~No.76No.77No.78 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 中国・中国共産党、韓国には、正しい歴史・事実の歴史などはなく、あるのは歪曲・捏造・改竄された嘘の歴史・作り話の歴史しかない。
 それを信じるのは、馬鹿か、低能である。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本は被害者で、中国と朝鮮は加害者である。
 侵略戦争を仕掛けたのは中国と朝鮮である。
 日本の戦争は、中国と朝鮮に対する防衛戦争と復讐戦争・報復戦争であった。
   ・   ・   ・   
 中国・元・蒙古、高麗連合軍は、日本を侵略し、日本人を虐殺し、日本人を強制連行して奴隷にした。
   ・   ・   ・   
 2021年7月5日 MicrosoftNews JBpress「元寇をどう思う? 中国人に聞いたら誰もが見せた意外な反応
 )© JBpress 提供 中国の学校で「元寇」はどう教えられているのか?(写真はイメージです)
 © JBpress 提供 元寇で元軍が上陸した鷹島のモンゴル草原(長崎県松浦市ホームページより)
 © JBpress 提供 「蒙古襲来絵詞」に描かれた元軍
もっと知られてほしい元寇
(花園 祐:上海在住ジャーナリスト)
 短期集中連載「覆される元寇の常識」の第3回をお届けします。前回、前々回は、中世日本における唯一の国際戦争である元寇(1274年、1281年)について、近年の研究を紹介するとともに、従来説が見直されていることを解説しました。
 最終回となる今回は、現代中国人が元寇をどのように見ているのかについて紹介したいと思います。
 中国ではほとんど知られていない
 日本人にとって元寇は、承久の乱(1221年)とともに鎌倉時代における2大事件の1つです。また、台風が結果的に日本に味方したことから、後年の「神風」信仰の発端ともなりました。そうした背景もあり、日本では小学校の段階から元寇が教えられ、元寇を知らない日本人はほとんどいないと思われます。
 では、もう一方の当事者である中国側はどうなのか?
 筆者は友人の中国人に「元寇(中国語では「元日戦争」)を中国人はどう見ているの?」と尋ねてみました。すると、友人の反応は、あまりにも意外なものでした。「元寇って何?」と逆に聞き返してきたのです。
 戸惑いを覚えつつ「元朝が日本に侵攻した時の戦争だ」と説明しても、「本当にそんなことがあったの?」と真顔で言い返されました。その友人は、「日清戦争日中戦争があったことはもちろん知っているけれど、中国が鎌倉時代の日本へ攻め込んだなんて一度も聞いたことがない」とのことでした。
 義務教育では一切教えず
 友人の思わぬ反応に筆者は戸惑い、すぐさま他の中国人の知人たちにも、元寇について尋ねてみました。結果から言えば全滅でした。元寇について知っている中国人は、少なくとも筆者の周りには誰一人としていませんでした。ある友人は両親に「元寇を知っているか」と尋ねてみてくれましたが、年配の両親も知らなかったそうです。
 友人曰く、元朝ことモンゴル帝国がヨーロッパや東南アジアを征服したという事実は、確かに学校の授業で習ったそうです。しかし、「日本にまで攻め込んだという事実はこれまでまったく習ったことがない」「義務教育ではまず教えられていない」とのことでした。
 またその友人によると、そもそも中国の学校で教える歴史は中国共産党の設立(1921年)以降が中心とのことです。それ以前となると、比較的時代の近い明朝や清朝を取り扱うことはあっても、他の時代はごくあっさりとしか教えていないそうです。つまり、元寇は、中国の学校では基本的に教えられていないのです。
 筆者が思うに、中国の王朝の中で元朝は人気が低いということも影響しているかもしれません。漢民族ではなくモンゴル民族による王朝ということもあり、現代中国人は「元朝は別枠」と捉えているようにも見受けられます。そのため、元朝の歴史自体にあまり関心がない、ということはあり得ます。
 ゲームをきっかけに元寇を知った人も
 身近な中国人で元寇を知っている人はいませんでしたが、インターネットの世界ではどうか。ネット上で中国人の元寇への反応を探ってみました。
 さすがにネットの世界には歴史マニアの中国人がごろごろおり、元寇について解説しているサイトもいくつか存在しました。
 中には、ゲーム「ゴースト・オブ・ツシマ(Ghost of Tsushima)」に絡めて元寇を紹介しているサイトもみられました。「ゴースト・オブ・ツシマ」とは、ソニー・インタラクティブエンタテインメントが2020年7月に発売したプレステ用のアドベンチャーゲームです。文永の役(1274年)で元軍の侵略を受けた対馬を舞台としており、世界的に大ヒットして中国でも人気を博しています。
 このゲームをきっかけに元寇を初めて知ったという中国人は少なくないようです。実際にゲームを紹介しながら元寇を解説する新聞記事もみられました。
 なお「ゴースト・オブ・ツシマ」の中国語タイトルは「対馬島之魂」です。筆者は個人的に、日本語版もこっちの方が良かったのではないかと思います。
 「神風」は鎌倉幕府が喧伝?
 さて、ゲーム紹介サイトも含めて元寇に言及している中国語サイトを見渡してみると、現代中国人が元寇をどう捉えているかが見えてきました。
 結論から言えば、「日本への遠征は大失敗だった」という見方が大半のようです。失敗の原因としては、「神風」こと台風によって致命的な被害を受けたこともありますが、最大の原因は日本武士団の頑強な抵抗だと指摘する意見が多いようです。
 その神風について、あるサイトでは「鎌倉幕府が喧伝したのではないか」という指摘がありました。鎌倉幕府は元軍を追い払ったものの、新たに獲得した領土がなく恩賞のやり繰りに困り、意図的に流布したのではないか、という意見です。つまり「元軍に勝てたのは神風のおかげである」という雰囲気を作ることで、恩賞を与えられない武士の不満を鎮めようとしたのではないか、ということです。
 実際、神風信仰は、元軍に勝利した直後ではなく、しばらく経ってから徐々に広まったという研究もあります。「幕府が『神風』を喧伝した」という説は十分に検討に値する興味深い指摘だと思います。
 范文虎はスケープゴート
 もう1つ、中国語サイトの元寇に関する記述を読んでいて興味を引かれたのは、「范文虎(はん・ぶんこ)スケープゴート説」です。
 范文虎は南宋の元将軍で、南宋の滅亡時に元に降伏しました。その後の「弘安の役」では旧南宋軍(江南軍)を率いる司令官となり、日本に侵攻しました。しかし台風に見舞われた後、鷹島長崎県松浦市)に残った多くの将兵を見捨てて、わずかな手勢とともに逃げ帰ったことが史料に記されています。
 この范文虎の行動について、ある中国語サイトでは「滅亡した南宋の将軍だった范文虎が、並み居るモンゴル人大将を差し置いて撤退の決断を行えただろうか」という疑問が呈されていました。また、逃げ帰った范文虎はなぜか処罰されることはなく、その後も出世を果たしています。それはあまりにも不自然であり、「将兵を見捨てる決断をした他の将軍のスケープゴートにされたのではないか」とも推論していました。
 范文虎は「兵を見捨てた、だらしがない武将」として伝えられていますが、そういう見方もあるのかと感心させられました。中国人による元寇の論考はあなどれません。
 以上、中国で元寇がどう認知され、評価されているかについて紹介しました。前述の通り、中国では一般的に元寇はほとんど知られていません。
 なにも日本を侵略しようとした歴史を忘れるなと言うつもりはさらさらありませんが、やはり、現代中国人にも元寇をもっと知ってほしいところです。元寇が中国で広く知られるようになれば、研究がもっと深まるはずだと思うからです。
 元寇に限らず、日本の鎌倉時代は戦国時代や江戸時代ほど人気がありません。しかし研究が深まれば、もっと面白い事実が出てくるはずです。日中双方で鎌倉時代の研究が広く行われ、新たな事実が発見されることを願っています。
 ◎「覆される元寇の常識」バックナンバー
 (第1回)元寇幕府軍が一騎打ちでボコボコにされた』は本当か
 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65695
 (第2回)元寇「神風のおかげで日本がミラクル大勝利」は本当か
 https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/65791
   ・   ・   ・   
アンゴルモア 元寇合戦記(1) (角川コミックス・エース)
アンゴルモア 元寇合戦記 博多編 (2) (角川コミックス・エース)
アンゴルモア 元寇合戦記 博多編 (4) (角川コミックス・エース)