🗻95〕─1─誰も助けてくれない超ダークな平安時代。「羅生門」と「今昔物語」。~No.238 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 9月12日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「芥川龍之介が描いた「超ダークな平安時代」の迫力 「羅生門」と「今昔物語」読み比べてわかったこと
 イザベラ・ディオニシオ
 © 東洋経済オンライン 日本人なら誰でも知っている古典『今昔物語』がネタ元となっている、芥川龍之介の『羅生門』。2つを読み比べて見えてきたことは(写真:Pro_KYOTO/PIXTA
 「平安朝」という言葉に、どのようなイメージを抱くだろうか。
 ほとんどの人は、『源氏物語』や『枕草子』に描かれているようなきらびやかな世界を思い起こすことだろう。金色の雲に包まれた優雅な庭園、簾の内側に隠れてひそひそ話す女たち、満月を仰ぎながら初恋に想いを馳せる殿方、勤行に勤しむ尼君……。現実とも虚構ともつかない物語の断片や絵巻から切り取られた名場面の数々が、次から次へと現代人の脳裏を過(よぎ)る。
 しかし、それはあくまでも平安貴族の(頭の中の)理想にすぎず、実際面での日々の暮らしはそう雅ではなかったはずだ。たとえ金持ちに生まれたとしても、住んでいる屋敷は寒くて暗い、食べ物は質素で、誰だろうとつねに疫病と共存せざるをえなかった。にもかかわらず、芸術を通して垣間見える「平安朝」は、われわれの目にはキラキラと輝く、洗練された時代として映る。
 「普通の人々」に微塵の興味も示さず
 貴族プライドの権化とでもいうべき清少納言姐さんは「にげなきもの」という段で、次のように書いている。
 にげなきもの 下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるも、くちをし。〔…〕下衆の、紅の袴着たる。このころは、それのみぞあめる。
 【イザ流圧倒的訳】
 釣り合わないもの。下々の家に雪が降りかかっている景色。そういう家に月の光が差し込んだりして、なんかもう台無し!〔…〕紅の袴を着た下衆女も耐えられない。近頃はそればっかりでうんざりだ。
 姐さんにとって、貴族以外は人に非ず、庶民の姿をわずかに見ただけで虫唾が走るほどだったようだが、そうした彼女は特別にお高くとまっていたわけではない。自尊心が強かったというのはいうまでもないが、紫式部和泉式部赤染衛門など、同時代を生きたレディースたちもみんな、貴族同士の小さな社会にしか視線を向けようとせず、「普通の人々」に対して微塵も興味を示さなかった。
 彼女らが書き残した作品には、恋に思い悩む殿上人の世話を焼き、休みなく動き回る侍女や女房は無数に登場するけれど、畑を耕す百姓、モノを売る商売人などはめったに姿を現さない。道をさまよう乞食や暗闇に隠れてじっと待っている泥棒なんてもってのほかだ。
 こうしていわゆる「卑しい者たち」は、グラマラスな日記や物語から注意深く消去され、その結果、現代人が抱く「平安朝」というファンタジーの中にも顔をのぞかせることはない。
 では存在すら隠蔽され続け、その日暮らしの生活を余儀なくされていた「普通の人々」の声は、永遠に失われてしまったのだろうか。否、おかげさまで、そんなことはない。宮廷の外に広がっていた、物騒で、生々しい世界の一端を見せてくれる貴重な作品が1つ生き残っている。それは壮大な説話集、『今昔物語集』だ。
 日記とは違う『今昔物語』の魅力
 収録されている説話のすべてが「今ハ昔」という書き出しから始まっていることを理由に、そのような名称で知られているけれど、正式なタイトルはない。正確な成立過程や執筆された時期も不明で、平安時代の終わりごろに編集されたものだと思われる。
 全31巻のうち、現存しているのは28巻。大きく分けて、天竺(インド)、震旦(中国)、本朝(日本)の3部で構成される。つまり、地理についてごく限られた知識しか持っていなかった当時の日本人からすれば、知られている世界が完全に網羅されている。
 スタイルも内容も異なる無数の小さな物語のアンソロジー、印刷技術のない時代に生まれた作品なだけに、途中でばらばらになって断片的にしか残らなかったとしてもおかしくないが、『今昔物語集』は1つのまとまりとして現在までしぶとく生き延びてきたのだ。28巻もわれわれに届けられている奇跡こそが、何よりもその人気ぶりを物語っている。
 簾や屏風によって細かく細分化された物語や日記の空間と違って、『今昔物語集』が見せてくれる光景は無限に広がり、いつまでも尽きない。それは本作の最大の特徴であると同時に、最大の魅力であるとも言える。
 いわゆる因果応報譚や仏教関連の説話も多く含まれているけれど、ユーモアに富んだ小話や背筋の凍る怪談や切ないラブストリーなど、『今昔物語集』のページの中にはありとあらゆる人間像が生き生きと描き込まれていて、その数々の登場人物たちは3カ国を舞台に目覚ましく飛躍する。私のような文学オタクであれば、その全世界を眺望する誘いをどう断ることができようか。
 『源氏物語』に比べると知名度も愛好家人口も少し落ちるものの、やはり『今昔物語集』は今もなおそれなりのファン層を誇る。そして、その「野生の美しさに充ち満ちている」超大作に魅了された読者には、芥川龍之介先生のようなVIPもいらっしゃるではないか!
 芥川は『今昔物語集』をはじめ、古典文学に出典をあおいだ十数編の短編小説を世に送り出しているが、それらの作品に触れることによって、平安vs近代の読み比べを楽しみながら、実に胸躍る文学的テイスティングを堪能できる。たとえば、文豪の学生時代の産物である『羅生門』。
 『今昔物語』と『羅生門』それぞれの出だし
 『今昔物語集』の出だしはこんな感じだ。
今は昔、摂津の国の辺りより盗みせむがために、京に上りける男の、日のいまだ暮れざりければ、羅城門の下に立ち隠れて立てりけるに、朱雀の方に人しげく行きければ、人の静まるまでと思ひて、門の下に待ち立てりけるに、山城の方より人どものあまた来たる音のしければ、それに見えじと思ひて、門の上層に、やはらかきつき登りたりけるに、見れば火ほのかにともしたり。
 【イザ流圧倒的訳】
 今は昔、摂津の国あたりから、盗みを働くために上京してきた男がいた。まだ日が暮れていないので、彼は羅城門に隠れていた。朱雀大通りに人がうようよいて、静かになるまで門の下で待とうと思ったら、南のほうから大勢がやってくる声が聞こえる。見られるとやばいと思って、彼は門の2階によじ登ったが、そのときに微かな明かりが見えた……。
 女流文学の代表的な作品とまるで正反対の雰囲気が醸し出されている。死体置き場と化した都の城南の正門を舞台に、最初に出てくるのは、悪事を働こうと決心した男だ。周りには人通りが激しく、やかましい。「もののあはれ」の世界はどこへ消えてしまったのだろうかという感じである。
 さて、芥川先生バージョンと比べてみよう。
 ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
 ストーリーは同じ場所を背景に動き出すが、出典からは感じとれないメランコニックな空気が漂い、その中からある「下人」の姿がぽつりと現れる。彼は、盗みをするか餓死するかと思い悩み、窮地に追い込まれている。周り一面は静まり返っており、男の頭の中にさまざまな思いが浮かんでは消えている音までが聞こえるほどだ。
 どちらの主人公も門の2階に上がって、放置されていた死体の中に小さな明かりを灯して、蹲っている怪しげな老婆に出くわす。悪寒が走るような地獄絵図だ。
 『今昔物語集』の老婆は女性の死体の頭の近くに座り、その髪の毛を乱暴に抜き取っている。男にその変わった行動の理由を尋ねられると、老婆はすぐに手を合わせて命乞いする。死んだ女性はかつての主人、彼女の髪を使って鬘を作りたいという。
 その一方で、『羅生門』の老婆は赤の他人、詐欺まがいの商売をしていたらしい女の髪の毛を1本ずつ、丁寧に引っこ抜いている。そして、その理由を聞かれるや否や、自分の行動を正当化しようとして捲したてる。わずかな違いだが、なんとなく芥川の老婆の方が悪質という印象を受ける。
 さて、究極の選択だ。悪の道に踏み込んで少しでも生き延びるか、それとも餓死を選ぶか。
 それぞれの「下人」はどう振る舞うのか
 『今昔物語集』の主人公は、盗みを謀るというはっきりとした目的を持って都を訪れている。せっかくの機会を逃すまいと、彼は微塵の躊躇いもなく、それを素早く実行してみせる。
 〔…〕盗人、死人の着たる衣と嫗の着たる衣と、抜き取りてある髪とを奪ひ取りて、下り走りて逃げて去にけり。
 【イザ流圧倒的訳】
 盗人は、死体の着物と老婆の着物を剥ぎ取り、抜き取ってある髪の毛も奪い取ると、階段を駆け下りて逃げ去っていく。
 老婆の言葉を無視して、男は取れるものを全部奪い、暗闇の中に消えていく。盗まれた品は淡々と羅列されるだけだが、それがかえって出来事のスピードを感じさせ、臨場感溢れる文章になっている。死体が転がっている中で裸にされた挙句に、1人残された老婆のことを考える暇もなく、私たちの視線は走り出す男の後ろ姿を追いかけるのに気を取られてしまう。
 では、芥川の下人の方はどう振る舞うのだろうか。
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪を倒にして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
 下人の行方は、誰も知らない。
 顛末は出典とほぼ同じ。死ぬか盗むかという二者択一に迫られて、下人は生き延びることを選ぶ。老婆の言い訳に背中を押されたかのように、わずかに残っていた良心が消え失せる。しかし、ふとした瞬間、下人の盗品が気になる。
 少しでも金になりそうなものを手当たり次第に奪い取る『今昔物語集』の泥棒と異なり、下人は老婆の薄汚い着物だけ剥ぎ取って逃げる。本物の盗人だったら、できる限り多くの品を持ち去るはずだが、彼は何の足しにもならなそうな使い古した着物だけに思いとどまる。『今昔物語集』の男と違う「盗人」になるわけだ。
 物語に新しい命を吹き込んだ芥川版
 目の前に開いている2冊の本を行き来しつつ、なるほど!と納得する。
 芥川先生は古典の小話の骨格をほとんど変えていない。出来事の順番も、登場人物も、結末も出典に沿っているが、それを再現するとともに、描かれている内容に一歩深く踏み込んでいくのだ。
 「今昔物語鑑賞」という文章の中で、芥川本人は、自らの執筆動機を次のように説明している。
 「尤も『今昔物語』の中の人物は、あらゆる傳説の中の人物のやうに複雜な心理の持ち主ではない。彼等の心理は陰影に乏しい原色ばかり並べてゐる。しかし今日の僕等の心理にも如何に彼等の心理の中に響き合ふ色を持つてゐるであらう。」
 芥川は緻密な職人のように、はっきりとした原色に透明感、立体感、奥行きや強弱をつけて、すでに存在している物語の中に新しい命を吹き込む。1つひとつの違いを吟味していくと、それぞれの世界観がより鮮やかに浮かび上がり、その奥底に隠れていた意外なものが表に現れる。
 ワインなどのテイスティングをする際に、好きなお酒のタイプがわからない人は、まずいろいろな人気銘柄を飲み比べて、自分の好みに合う味や香りの傾向をつかむといいらしい。そして、辛口や甘口、キレやふくらみの無数のグラデーションなど、さまざまな特徴がわかってきたら、それを手掛かりにしてコントラストを楽しめるようになるそうだ。
 文学も同じような「飲み方」をすれば、ワンランク上の大人の嗜みを身につけられるかもしれない。一度にたくさんの文字量に目を通すというより、チビチビと口に含むように味わう。そこにはきっと新たな出会いと不思議な発見が待っているはずだ。」
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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 庶民にとって、領主が誰であったも関係ない。
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 戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
 武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
 日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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 日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
 町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などの陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
 町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
 百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
 百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
 合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
 百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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 武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
 乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、奴隷として買った日本人を世界中に輸出して金儲けしていた。
 日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
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 現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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