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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
縄文人は、日本民族・アイヌ民族・琉球民族の祖先で、揚子江流域や南方海洋から渡って来た人々であり、黄河流域の漢族中国人や朝鮮人・韓国人とは別系統のアジア人である。
日本民族は、数万年前から日本列島に住んでいた土人・先住民であった。
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石器時代・縄文時代において、日本は中国大陸北部・中部や朝鮮半島中部以北に感謝する所は皆無に等しい。
日本が縄文文化で感謝すべきは、揚子江流域で栄えた長江文明と、長江文明を滅ぼした黄河文明の漢族中国人によって中国南部の山岳地帯へと暴力で追いやられた女系少数民族である。
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天皇家の宮中祭祀や日本民族の宗教は、石器時代・縄文時代から受け継がれてきた永遠の命を大切に護り伝えるという自然崇拝である。
そこには、「人を殺す」という野蛮は存在しなかった。
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2021年11月18日号 週刊文春「文春美術館
東洋美術逍遥 橋本麻里
千古の人々の暮らしぶりを再現
特別展『縄文2021──東京に生きた縄文人──』
大和朝廷の成立以来、鎌倉が政治的首都になることはあったにせよ、江戸時代までは、基本的に西日本を中心に歴史は展開してきた。だがより大きなスケールで見ると、日本列島の歴史は『東高西低』の時代が圧倒的に長い。
最終氷期が終わった約1万6000年前の縄文時代草創期、南九州~西日本では、いち早く多様な器形の土器が多数つくられはじめていたが、約7300年前、鬼界カルデラの超巨大噴火(直近1万年間で世界最大の噴火とされ、九州の縄文人は滅亡、火山灰は東北地方南部や朝鮮半島南部まで降り積もった)以降、活動が沈静してしまう。そして温暖化がピークに達した縄文時代前期(約6500~5500年前)には、人口もずいぶん増えたらしく、大規模な環状集落や大型建物が出現。続く縄文時代中期(約5500~4500年前)には大型土偶や環状列石が作られ、『縄文時代の日本の首都』とも称される中部高地では、遺跡数が爆発的に増加した。これらはいずれも東日本での動きで、東西の隔たりは前・中期に特に著しい。縄文文化は長い間、東日本を中心に発展してきたのだ。
ならばその時代の東京の姿は──?という疑問に答えるのが、今回の展覧会だ。東京都に縄文時代の遺跡が約3,800ヵ所もあること。4部構成の展示のはじまりは、その中から選ばれた7つの遺跡、1877年に動物学者のE・S・モースによって、日本初の近代的発掘調査が行われた大森貝塚を基点とする、東京の『発掘史』から。
こうした遺跡から出土した土器や石器は、長い時間をかけてどのように、そしてどんな要因から変化していったのか。長大な展示ケースを活かし、大量の遺品を時系列で並べ、詳細に解説を付した展示は圧巻だ。またずらりと並べられた糸魚川産の翡翠は、遠隔地(えんかくち)との交易を通じてもたらされ、都内24ヵ所で発掘されたもの。域内だけで完結していたわけではない、縄文の人々のネットワークの広大さにも驚かされる。
彼らの『暮らしに』着目したパートでは、全長約6メートルの木製の丸木舟を冒頭に置き、『祭祀』『生業』『服飾』などの切り口から遺物を展示。また展示室中央には、多摩丘陵で発掘された遺跡をモデルとする。環状集落の復元模型が。死を禁忌として居住地から遠ざけることをせず、墓地を兼ねた広場を中心に営まれた集落を、そこで暮らす20人ほどの人々の姿と共に、生き生きと再現した。そして八ヶ岳南麓からは国宝の『縄文のビーナス』(~11月14日)と『仮面の女神』(11月16日~12月5日)をゲストに迎えつつ、東京代表として『多摩ニュータウンのビーナス』(!)と名付けられた縄文時代中期の土偶、さらに小型の土偶約100点も。意識してこなかっただけでずっと足下にあった、『東京の縄文』を見直すまたとない機会となるだろう。
〔江戸東京博物館にて12月5日まで〕」
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縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土、南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部まで、西は朝鮮半島南部、日本海を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と軽蔑していた。
日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
数万年続いた日本列島の石器時代・縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
日本民族・琉球民族・アイヌ民族は、縄文人を共通の祖先とする同種・同血族民族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
生への渇望。
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日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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