⛵4〕:─1─宮古島で出土の人骨、本土縄文人のDNAと同じ特徴。〜No.8No.9No.10 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2021年11月12日22:07 MicrosoftNews 読売新聞「宮古島で出土の人骨、本土縄文人のDNAと同じ特徴…「交流なし」の通説に影響
  沖縄県先島諸島宮古島の長墓遺跡で出土した約1200~4000年前の人骨が、日本列島本土の縄文人のDNAと同じ特徴を持っていたという研究結果を、ドイツなどの研究チームがまとめた。先史時代の先島には、本土や縄文文化を受け入れた沖縄本島と交流がなかったとする考古学の通説に、見直しが求められる可能性が出てきた。
 研究チームが英科学誌ネイチャーに10日付で発表した論文で明らかにした。2008年に発掘された性別不明の骨片から核やミトコンドリアDNAを採取して分析したところ、伊川貝塚(愛知県)や船泊遺跡(北海道)で出土した縄文時代の人骨とほぼ同じ特徴を示した。
 本島から300キロ近く離れた先島諸島で出土する先史時代の土器は、本土や沖縄本島とは形が大きく異なる。共通する遺物が出土するのは10世紀からで、それまでは本土や沖縄との交流はなく、台湾やフィリピンなど南方文化の影響が考えられていた。長墓遺跡の人骨の放射性炭素年代は幅があるが、古い値をとれば本土の縄文時代に遡る。
 国立科学博物館の篠田謙一館長(分子人類学)は、「本土の縄文人沖縄本島を経由して宮古島まで移動したことを裏付ける新たな発見」と評価している。」
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 琉球民族日本民族アイヌ民族は、縄文人を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種・異血族のアジア人であった。
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 縄文人は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部まで、西は朝鮮半島南部、日本海を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と軽蔑していた。
 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 日本列島と琉球縄文人が分断され、日本民族琉球民族が別々の道を辿った原因は、約7300年前の鬼界カルデラの超巨大噴火など九州の火山で発生した幾つかの大噴火が原因であった。
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 日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
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 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
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