⛵5〕─1─日本民族は琉球人・港川人の子孫である。琉球は日本民族の生誕の地。〜No.11No.12No.13 * 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 琉球人が先住民族であるのは、同族の日本人ではなく、異族である中国人や韓国人・朝鮮人である。
   ・   ・   ・   
 日本・日本人による、琉球・沖縄、琉球人・沖縄県民への偏見・差別は愚かな事である。
 自分と血の繋がった命・身体・心を分け合った祖先を貶し辱める穢れた現代日本人は、救いようのない、許し難い、遠ざけ排除すべき、下劣で低能でバカである。
 現代の日本人は、昔の日本人に比べて民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はない。
   ・   ・   ・   
 日本民族琉球民族は同じ血を引く同種同族である。
   ・   ・   ・   
 琉球民族日本民族は、宗教を大事にし、血の繋がった命・身体・心を分かち合う祖先を神として祀り仏として拝む人々である。
 琉球民族日本民族のローカル宗教とは、祖先神・氏神の人神崇拝宗教であって、グローバルな絶対神の信仰宗教ではない。
   ・   ・   ・   
 現代日本では、祖先が嫌いなキリスト教徒や反宗教無神論マルクス主義者による神殺しと仏殺しが進んでいる。
   ・   ・   ・   
 日本文明と琉球文明は、手漕ぎ丸木舟で航海する長江文明の流れを引く島嶼文明であり、草原大陸を軍馬で疾走する黄河文明や朝鮮文化とは縁が薄い。
   ・   ・   ・   
 沖縄県立博物館・美術館
 博物館特別展「港川人の時代とその後-琉球弧をめぐる人類史の起源と展開」にむけて (2)
 最終更新日:2016.08.31
 平成28年11月15日(火)より、博物館特別展「港川人の時代とその後-琉球弧をめぐる人類史の起源と展開」がスタートします。今回は、展示会の概要とみどころをご紹介します。
 沖縄では、日本列島の旧石器人を代表する港川人骨(約2万年前)が発見されていますが、石器などの遺物が発見されておらず、当時の人々の文化や生活の様子については詳しいことがわかっていませんでした。しかし、近年の南城市サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷内)の調査などによって、少しずつ当時の文化が明らかになりつつあります。
 この展覧会では、人類の起源と進化のあらましを紐解き、旧石器時代の日本列島と沖縄の出土品を比較しつつ、アジアの中での沖縄の旧石器人の特徴とその位置づけを紹介します。また、サキタリ洞遺跡をはじめとする、近年の沖縄における調査研究成果についても、わかりやすく展示します。さらに、旧石器時代以降、九州以北の日本とは異なる展開を遂げた沖縄の人類史についても、沖縄と日本各地の出土品を通してその特徴を紹介します。
 なぜ沖縄の旧石器人骨が注目されているのか、彼らはどこから来たのか、沖縄の旧石器時代の文化はどのようなものだったのか。さらに、日本の中でも最も南に位置する沖縄で発達した個性的な先史文化と、日本本土の旧石器文化縄文文化との類似点や違いについて、実物資料を通して紹介します。また、沖縄の南に広がる西太平洋の島々の文化についても紹介します。ぜひご期待ください。
   ・   ・   ・   
 2021年6月13日15:00 MicrosoftNews 琉球新報「<書評>『奇跡の島々の先史学 ―琉球列島先史・原史時代の島嶼文明―』 持続可能な祖先の営み
 © 琉球新報社 本書は琉球の島々の遺跡を俯瞰(ふかん)し、世界の島の先史文化と比較する著作である。そこでたどり着いた一つの結論が「島嶼文明」である。
 著者高宮広土は沖縄で生まれ、アメリカの大学で先史人類学を学んだ。1993年に北海道で大学教員生活をスタートさせ、2015年より鹿児島大学国際島嶼教育研究センターに移り、現在奄美大島を拠点に研究活動を行う。長年遺跡の土中に含まれる炭化した植物遺体の回収を行い、琉球列島におけるヒトの植物利用の歴史を明らかにしてきた。
 遺跡の調査成果はしばしば新聞でも目にする。しかし、その調査結果がどんな意味を持ち、評価されているのかについて紹介される機会は少ない。05年著者によって書き下ろされた前作『島の先史学』(ボーダーインク)は沖縄の先史時代を活写し、世界史的視点から評価した一書となった。しかし、刊行後批判もあった。そこで、『奇跡の島々―』はこれら批判を紹介し、自身の見解を述べるとともに、刊行後約15年の間の新たな発掘成果と研究によって構成される。
 島は一般にヒトが住みはじめるとバランスが崩れ荒廃するという。琉球列島の島々に遺る遺跡は、ヒトと自然が長きにわたって調和していたことを著者は強調する。旧石器時代には既にヒトが住み、数千年にわたって狩猟採集民が暮らし、狩猟採集社会から王国を形成する複雑な社会を誕生させた島は、世界にあまたある島を探しても存在しない「奇跡」と形容する。島と文明はいささか程遠い存在に聞こえる。しかし、持続可能な開発が求められる今だからこそ、自然と調和した島の暮らしこそ「文明」と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
 本書には島々の地元研究者の名前がたびたび登場する。研究者としての真摯(しんし)な姿勢と地元沖縄に対する愛が、著者約30年の研究に奇跡的な出会いがあったのであろうことを想像させる。
 私たちの住む島の遺跡が、人類史に新たに加えられる一ページとなるか、本書を通し先史学が描く祖先のサスティナブルな営みにぜひ注目いただきたい。
 (宮城弘樹・沖縄国際大学准教授)
 たかみや・ひろと 1959年那覇市生まれ、鹿児島大学国際島嶼教育研究センター教授。主な著書に「島の先史学 パラダイスではなかった沖縄諸島の先史時代」「奄美沖縄諸島先史学の最前線」(編著)など。
   ・   ・   ・   
 6月13日18:00 MicrosoftNews 朝日新聞デジタル「日本人の祖先は「港川人」? 旧石器時代、DNAで解析
 港川人の顔の想像図=国立科学博物館提供、山本耀也氏作画© 朝日新聞社 港川人の顔の想像図=国立科学博物館提供、山本耀也氏作画
 沖縄県で約2万年前の旧石器時代の遺跡から見つかった港川(みなとがわ)人が、現代の日本人に遺伝的に直接つながる祖先だった可能性がDNA解析からわかった。日本人のルーツは、縄文人や大陸から渡来した弥生人による「混血説」が有力だが、さらに古い港川人までさかのぼることになる。総合研究大学院大や東邦大などの研究チームが、13日付の科学誌サイエンティフィック・リポーツに論文を発表する。
 港川人は、1970年に沖縄県で人骨が複数発見された。日本では数少ない旧石器時代の人骨で、出土した場所の地名から港川人と呼ばれる。身長は150センチ程度と小柄。肩幅は狭いが、下半身の骨格は丈夫で、荒れた土地を走るのに適していたとされる。
 日本人の起源は、約1万5千年前から約3千年前にかけて、北海道から沖縄まで広く居住していた縄文人と、その後に大陸から渡来した弥生人が混血したことがDNA解析などから裏付けられてきた。
 一方、縄文人より古くからいた港川人との関係はこれまで不明だった。というのも、出土した人骨や遺跡だけでは、港川人が別の土地へ移ったり、途絶えたりした可能性もあり、直接の祖先とは限らないためだ。港川人の顔の骨格が縄文人とあまり似ていないこともあり、論争になってきた。
 研究チームは、解析が比較的容易な細胞の小器官ミトコンドリアのDNAを分析する手法を採用。母から子に受け継がれるミトコンドリアDNAは、突然変異によって地域特有の痕跡を残すため、比較すれば集団の由来をさかのぼれる。
 保存状態がよく全身骨格が残る港川人1号(成人男性)の人骨からDNAを抽出して分析した結果、港川人1号は、現代日本人や縄文人弥生人に多く見られるタイプの祖先型の遺伝子を持つことがわかった。港川人の集団が、日本人の遠い祖先にあたることを示唆している。一方、分析した現代日本人約2千人の中に、港川人1号と同じ遺伝子の特徴を受け継ぐ直系の子孫はいなかった。
 港川人の遺伝情報を調べることに成功したのは今回が初めて。総研大の五條堀淳講師(自然人類学)は「日本列島のヒトの集団は、旧石器時代から現代に至るまで、遺伝的につながっていそうだとわかった」と話す。今後、研究が進めば、現代日本人の中から港川人の直系の子孫が見つかる可能性もあるという。
 五條堀さんは「旧石器人の人骨をさらに調べ、日本人のルーツの理解を進めていきたい」と話している。
 論文は以下のサイト(https://doi.org/10.1038/s41598-021-91357-2)で読むことができる。(石倉徹也)
   ・   ・   ・   
 先史沖縄/旧石器時代の沖縄
琉球列島の起源
 中国大陸の東、九州と台湾をむすぶ約1200kmにおよぶ琉球列島の、ほぼ中間から南の島々が沖縄県です。そして、大小146の島からなる沖縄県と、中国大陸との間には東シナ海が広がっています。
 約2億5000万年前から約1億3000万年前にかけての琉球列島は、まだ海底にありました。約1500万年から1000万年前ごろに陸地化して中国大陸や九州とつながると、ゾウやヤマネコ、シカなどが移ってきました。このことは、「生きた化石」とよばれるイリオモテヤマネコの生息や、アジア大陸や日本列島にすむ動物の化石が琉球列島から数多く発見されていることからもうかがえます。
 約1000万~200万年前には琉球列島は再び切り離され、約150万年前に中国大陸とつながりますが、約2万年前に3つの島嶼群に別れ、氷河期の終了で海水面が約100mほども上昇したあと、現在のような姿になったといわれています。
琉球列島の旧石器人と旧石器文化
 地球上に人類が誕生したのは、今からおよそ400万年前といわれています。日本では、群馬県岩宿遺跡から約3万年前の打製石器が発見されたのをきっかけに、旧石器時代の遺跡は全国でおよそ5000カ所も発見されています。
 このように、道具類が出土する旧石器時代の遺跡は全国でも多数発見されていますが、化石人骨の発掘例はきわめて少なく、旧石器時代の人類については具体的なことはほとんど分かっていませんでした。
 その旧石器人の全貌を明らかにしたのが、1967(昭和42)年、沖縄県で発見された港川人(みなとがわじん)でした。この化石人骨は、頭や手足のそろった完全なもので、年代測定の結果およそ1万7000年前の現世人類であることが分かりました。この発見によって、日本の旧石器人の容姿が具体的に説明できるようになり、旧石器人の研究を飛躍的に発展させました。
 沖縄ではこのほかにも、山下洞人(那覇市)・下地原人(久米島)・ピンザアブ人宮古島)などの旧石器時代の化石人骨が発見されています。
■山下洞人と港川人
 山下町第一洞穴遺跡は、1962(昭和37)年、那覇港に近い奥武山(おうのやま)の南側にある琉球石灰岩台地で発見されました。この遺跡から出土した化石人骨が山下洞人(やましたどうじん)とよばれるもので、約3万2000年前の、8歳ぐらいの女児と測定されました。
 いっぽう、1967(昭和42)年、沖縄県具志頭村(ぐしかみそん)港川の石切場から、シカやイノシシなどの化石とともに、約7体の化石人骨が発掘されました。
 こうして、発掘場所の地名にちなんで名付けられた港川人(みなとがわじん)は、年代測定の結果、およそ1万7000年前の人類であることが分かりました。頭や手足のそろった完全な旧石器人骨の発見は、日本はおろかアジアでもはじめてのことで、国際的に紹介されました。
 港川人は、北京原人や中国大陸南部の柳江人(りゅうこうじん)に似ているとか、現代沖縄人の遠い祖先であるといわれていますが、港川人のルーツはいまだに謎に包まれたままです。また、港川人が使用した旧石器などがまったく出土してこないため、この時代の生活形態はよく分かっていません。
 化石人骨と旧石器文化
 国内では、旧石器時代の化石人骨の多くが沖縄の島々で発見されています。それは、沖縄の琉球石灰岩洞穴(鍾乳洞)からにじみ出る地下水が、炭酸石灰分を多くふくみ、洞穴内の人骨を化石化するためです。
 いっぽう、遺跡が多く見つかっている関東地方の関東ローム層は、火山灰が堆積してできた酸性土壌なので、長い年月の間には人骨が溶けてしまいます。
 沖縄県内では現在までに洞穴が600余も確認されていますが、調査されないまま埋められたり、破壊されたりしている例も多くみられます。これらは、旧石器人骨が保存されている可能性もあるだけに、丹念な調査が望まれます。鍾乳洞の探検や発掘の進展によっては、化石人骨の発見が増加することは確実だと考えられているのです。
   ・   ・   ・   
 ウィキペディア
 港川人(Minatogawa people)は、約20000~22000年前に日本の沖縄県に存在していたとされている人類。
 概要
 港川人(港川1号)の化石(レプリカ)。国立科学博物館の展示。
 1967年から1970年頃、アマチュア考古学研究家の大山盛保により、沖縄県島尻郡具志頭村港川(現在の八重瀬町字長毛)の海岸に近い石切場で骨が発見され、東京大学鈴木尚により確認された(港川フィッシャー遺跡)。
 身長は男性で約153~155cm、女性は144cmと小柄で、筋肉質のしっかりとした体型ではあったようだが肩や腕の力は弱く、握力と咀嚼力は強かったことが骨から読み取れるという。
 この人骨は、石垣島白保竿根田原洞穴遺跡で約2万7千年前の人骨が発見されるまで、全身骨格の形で残っている日本の人骨の中で最も古いものであった。
 縄文人との関係
 かつて港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきたが、2009年の研究で、港川人を縄文人の祖先とする考えに疑問を投げかけるような分析結果が出ている。港川人は現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いのではないかという説である。国立科学博物館海部陽介研究主幹によると、港川人は本土の縄文人とは異なる集団だった可能性がある。つまり、港川人は5万~1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来したことになる。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたのではないかと述べられている。
   ・   ・   ・    
 デジタル大辞泉「港川人」の解説
 【港川人】
 昭和45年(1970)から昭和47年(1972)にかけて沖縄県具志頭村(現在の八重瀬町)の採石場で発見された数体分の化石人骨。更新世末期の約1万8000~1万7000年前のものとされる。石器などの人工物は見つかってない。のちの調査により、港川人は縄文人の祖先ではなく、アジア大陸の南方に起源し、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いと考えられている。
 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
   ・   ・   ・   
奇跡の島々の先史学