🗻16〕17〕─1─日本に「建国記念日」が存在しない本当の理由。~No.56No.57No.58 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ヤマト大王家、天皇家、日本国は、古代豪族達が平和と安定、安全と発展を希望して自然に生まれ支配領域を争わず静かに広めていったのでありのであって、武力で日本を占領した征服王朝ではなかった。
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 ヤマト王権ヤマト大王は、建国宣言の詔を発していない。
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 ヤマト王国の建国は、世界の古代文明で滅亡した古代王国同様に神話が根拠になっていた。
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 2021年12月27日 MicrosoftNews プレジデントオンライン「日本に「建国記念日」が存在しない本当の理由【2020年BEST5】
 © PRESIDENT Online ※写真はイメージです
 2020年(1~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。教養部門の第4位は――。(初公開日:2020年2月11日)2月11日は「建国記念の日」であり、「建国記念日」ではない。東京大学史料編纂所教授の本郷和人氏は「明治政府は初代・神武天皇の『即位日』を建国記念日に決めたが、史料的な裏付けはなく、戦後廃止された。復活を望む保守派は、みんなを納得させる苦肉の策として『の』を挿入した。いわば『配慮の結晶』なのです」という——。
 ※本稿は、本郷和人『空白の日本史』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
 「の」から紐解く“空白の日本史”
 2月11日の「建国記念の日」。この日は、日本の建国を祝う祭日として、明治6年1873年に定められました。当時は「紀元節」といっていました。世界各国で「建国記念日」は存在しますが、なぜ現在の日本では「建国記念“の”日」と称されるのか。
 その背景にある「皇紀の虚偽」を紐(ひも)解くことで、新たな「歴史史料の空白」を検証してみたいと思います。
 まず、この「建国記念の日」ができた当時、明治政府は日本が万世一系(ばんせいいっけい)の天皇を頂点にした統治国家であることを、強烈にアピ―ルをしようと考えていました。当時の日本は、近代国家として誕生したばかり。
 そのため、明治政府は、国内外に向けて、海外にはない日本のオリジナリティや存在感を示すため、日本という国が、長年に渡って天皇家というひとつの系譜に連なる血筋が治めていることを、最大限利用しようとしたのです。
 「エンペラー」の称号を得た明治政府の猛アピール
 こうした明治政府の活動が功を奏し、現在でも日本の天皇は、海外では「皇帝(Emperor)」という称号を得ています。たとえば、英国王室のエリザベス女王の称号でさえも「女王(Queen)」であって、「皇后(Empress)」ではない。世界有数の伝統を誇る王室でさえも、「King/Queen」と呼ばれるなか、日本の皇室は「Emperor/Empress」という特別な称号を使用することが認められています。
 明治時代には、エチオピア王室も「Emperor/Empress」の呼称が使われていたそうですが、現時点では世界中でこの呼称が使われているのは、日本の皇室だけ。これは、明治政府が世界中に「日本の天皇家万世一系である」と訴えた主張が、見事に影響していると言えるのでしょう。
 諸説ありますが、少なくとも26代の継体天皇(450?-531年)以降は、天皇家は一つの血筋でつながっているのだと考えられています。それだけとってみても、世界一古い王家であることは、間違いありません。英国王室以外のヨーロッパ王室の血統は、古くとも18~19世紀前後のナポレオン戦争くらいから始まったものが大半です。
 国内外で利用された皇室の“伝統”
 欧州の王室は、1800年代ごろに外国から来た人が、王となるケースが多い。そう考えると、日本の皇室がいかに古く、歴史と伝統を持っているかという話は、外国に向けて発信してもたいへんに誇らしいものです。また、この主張は、国外だけではなく、国内に向けても、明治政府が中央集権国家を作る上での大きな武器になりました。
 「天皇家は世界でも類を見ないほどに、古く、伝統がある。長い間、日本を見守ってきた天皇のために、国民が力を集めて頑張ろう」
 こうした、非常にわかりやすいスローガンがうまく作用し、明治政府によって、日本という国はひとつの国へとまとめられていきました。この例を見てもわかるように、「我が国には長い歴史がある」と主張することは、国内外に強い影響力をもたらします。
 紀元前660年が「元年」になったワケ
 現在の日本では、元号や西暦が使われていますが、明治時代に正式に採用されたのが、「皇紀」という暦(こよみ)でした。
 「皇紀」とは、神武天皇が最初に即位した年を元年とした暦のこと。紀元前660年を元年として数えられており、東京五輪が開催される2020年は皇紀2680年にあたります。なぜ、紀元前660年が神武天皇即位の年になったのかというと、そこには少し複雑な経緯があります。
 まず、古来から日本の暦は「甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き)」を表す十干(じっかん)、「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」を表す十二支を組み合わせた、十干十二支で表していました。
 そして、両者を組み合わせた数字である60(10×12÷2)が、一つの周期になります。60歳を「還暦」と称するのは、60年という周期が一度巡ることで、また「暦が還る」から。そして、還暦の人に真っ赤なちゃんちゃんこを贈るのは、「赤子に戻って、もう一度人生を生まれ直すから」だと言われています。
 中国由来の「十干十二支」
 さて、十干十二支には様々な組み合わせがありますが、その中の58番目の組み合わせである「辛酉(かのととり)」は革命の年とされています。これは、中国由来の考え方で、漢の時代に生まれた儒教の考え方をまとめた書物『緯書(いしょ)』で唱えられた予言「讖緯(しんい)説」に由来するものです。
 「讖緯説」によれば、60年に1回の辛酉の年には、何かしら革命が起こる。さらに、60年が21回続いたときの辛酉の年には、ただの革命ではなく、とてつもない大革命が起こると言われていた。60年×21回ということは、1260年に1回のペースで大革命が起こるという計算になります。
 その説に基づき、明治初頭の歴史学者たちは「前回、大革命が起こった辛酉の年はいつだったのか」を検証します。そして、「聖徳太子がいた頃に起きた辛酉が、大革命の年だろう」と結論づけたのです。なぜ、聖徳太子がいた頃に、大革命が起きたとされたのか。その理由は、当時の日本では、日本の基礎を作ったのは聖徳太子だと考えられていたからです。
 近年の研究では「聖徳太子は本当にいたのか?」という論争もある上、日本という国の基礎ができたのは、天智天皇天武天皇の時代だと考えられています。ただ、明治当初、彼は、十七カ条の憲法や官位十二階の制定、遣隋使の派遣、仏教の普及などに貢献し、日本の基礎を作った人物として、非常に重要視されていました。
 「皇紀」を生んだ辛酉大革命という思想
 だからこそ、「聖徳太子がいた時代こそ、日本という国ができた年である。日本ができた年こそ、辛酉の大革命が起こった年である。では、そのもう一つ前の辛酉の大革命の年とは何だ? 聖徳太子クラスの人物の関与ということであれば、こここそが、神武天皇が即位した年次であるに違いない」と、明治の歴史学者たちは考えた。
 わかりやすく言うと、1回目の辛酉の大革命では神武天皇の即位があり、その1260年後となる2回目の辛酉の大革命で、聖徳太子が国を作った。そう当時の研究者たちが結論づけた結果、神武天皇即位を原点とした「皇紀」が誕生しました。逆に言えば、この辛酉大革命という思想を受け入れていなかったら、皇紀というものは生まれなかったとも言えます。
 その結果、紀元前660年1月1日こそが日本建国の日になりました。ただ、これは太陰暦の日付なので、太陽暦に直すと2月11日です。そこで、明治6年となる1873年に、2月11日を「紀元節」とし、日本の建国記念日として定めました。
 「この日を本当に日本の建国記念日としてよいのか」
戦前は紀元節に盛大なお祝いをしていたのですが、戦後になると、より冷静な考えが広まり、「この日を本当に日本の建国記念日としてよいのか」という疑問が浮かんできます。先に挙げたように、文献史料は何もないので、当然立証できない。GHQの意向もあり、戦後しばらくの間、建国記念日は日本から消えました。
 ところが、1950年代初頭、日本の国力が勢いを増したことで、日本に再び建国記念日を復活させようという動きが始まります。アメリカの独立記念日(7月4日)や、韓国が日本の統治から離脱した日を祝う光復節(8月15日)のように、世界各国にその国の誕生日があり、それなりにお祝いをしている。ならば、日本にも国の誕生日があっていいだろう、と。
 ただ、いざ日にちを決めるとなると、右派と左派の間で、かなり大きな論争が繰り広げられることになります。右派としては、「紀元節」に則(のっと)って、以前と同じ2月11日を推薦する。でも、左派側は、「2月11日が建国記念日である科学的根拠がない」として猛反対する。
 たしかに、紀元前660年に神武天皇が存在したという話自体が、まったくの神話世界の中の話であるため、何の根拠もない。こうした主張については、右派側も認めざるを得ません。
 「の」は大人の配慮の結晶だった
 神話の世界の話を「これぞ、日本の歴史」だと主張することは、さすがに近代国家では通用しません。そこで、苦肉の策として生まれたのが「建国記念の日」です。つまり、「建国記念日」とは言わず、「建国記念“の”日」とすることで、日本の建国をお祝いする日にしよう。それならみんなが納得できるのではないか。そんな事情で、「建国記念日」の間に、「の」という一文字が入ります。この「の」はいわば、大人の配慮の結晶だったと言えるでしょう。
 そして、こうした苦心の末、1966年、安倍晋三首相の祖父・岸信介の弟である佐藤栄作内閣の下で、「建国記念の日」が制定されました。
 時に「日本は神の国だ」と言い出す政治家がいますが、日本の皇室が、神の子孫だというのはあくまで神話の中のお話で、科学的根拠はまったくありません。ただ、26代の継体天皇以降は、現代に至るまで血がつながっていることは、間違いない。紀元前660年ではないにせよ、それでも世界的に見たら群を抜いて古い王家であることは、きちんと僕たち日本人は踏まえておいたほうがよいのではないでしょうか。
 もちろん「古いものが優れているわけではない」という議論も当然上がってきますが、長ければ長いほど伝統は育まれますし、時の積み重ねは重いものです。皇室に関する新たな議論が出るたびに、そこは冷静に話し合っていくべきではないかと僕は考えます。
ーーーーーー本郷 和人(ほんごう・かずと) 東京大学史料編纂所教授 1960年、東京都生まれ。文学博士。東京大学、同大学院で、石井進氏、五味文彦氏に師事。専門は、日本中世政治史、古文書学。『大日本史料 第五編』の編纂を担当。著書に『日本史のツボ』『承久の乱』(文春新書)、『軍事の日本史』(朝日新書)、『乱と変の日本史』(祥伝社新書)、『考える日本史』(河出新書)。監修に『東大教授がおしえる やばい日本史』(ダイヤモンド社)など多数。 ーーーーー」
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 日本の歴史には2つあって、民族の伝承・宗教によるローカルな神話物語とアフリカを源流とする科学的根拠によるグローバルな人類史である。
 神話物語と人類史の2つを持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
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 日本人とは、たまたま偶然に流れ着いて日本列島に住み着いた人間の総称であって人種や民族に関係なく、特定の民族つまり日本民族の事ではない。
 よって、日本人が海外に出て他国に住みはじめれば日本人ではなくなる。
 日本人とは、生まれ現れ、死んで消える、自己主張が苦手で、自我が希薄で、個性が弱く、見える形での姿を持っていても存在感が乏しく影が薄く、空気みたいな、淡い人間の事である。
 色即是空・空即是色、日本人そのものが「一切皆空」なのである。
 つまり、日本人を問うても空しいだけで、それ故に日本人論は無意味である。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血の雑種である。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
 数万年続いた日本列島の石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 アイヌ民族は、ヤポネシア人・縄文人にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいた人々が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 琉球民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
 日本列島には、血が汚れていない単一の純血種はいない。
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 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
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 ヤポネシア人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
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 建国記念日とは、文字通り「建国を記念する日(祝日)」である。何をもって建国の日付とするかは、国家により異なる。
 日本では実際の建国日が明確でないため、建国神話をもとに建国を祝う日を定めている。すなわち、日本神話の登場人物で古事記日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日(紀元前660年1月1日 (旧暦))より、その即位月日を明治期に新暦で推定した2月11日を「建国記念の日」とした。
 法律で定められた「建国記念日」(祝日)がない国家としてはイギリスが挙げられるが、伝統的にイングランド守護聖人・聖ジョージを記念したゲオルギオスの日(St. George's Day、4月23日)が宗教的な国家の日である。
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 建国記念の日は、日本の国民の祝日の一つ。祝日法により存在は定められたが、祝日法ではなく政令で定められた日付は2月11日。1966年(昭和41年)制定。
 制定
 世界で「建国記念日」を法律で定めて祝日とする国家は多いが、何をもって建国記念日とするかは、国によって異なる。日本では、建国の日が明確ではないが、建国をしのぶ日として法律に基づき「建国記念の日」が定められた。日付は政令に基づき、建国神話(日本神話)を基に日本建国日とされている旧紀元節と同じ日にされた。
 2月11日は、日本神話の登場人物であり、古事記日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀によれば辛酉年春正月、庚辰朔、すなわち、1月1日 (旧暦)(『日本書紀』卷第三、神武紀 「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」)とあり、その月日を明治に入り、グレゴリオ暦での具体的な日付として推定したものである。
 1872年(明治5年)11月15日太政官布告第344号「神武天皇御即位祝日例年御祭典」によって、旧暦1月1日に当たる1月29日が祝日とされた。翌1873年明治6年)1月4日太政官布告第1号「五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム」によって、神武天皇即位日という名称となり、1月29日に諸式典が斎行された。同年3月7日太政官布告第91号「神武天皇御即位日ヲ紀元節ト称ス」によって、紀元節という名称に改称された。同年7月20日太政官布告第258号によって、紀元節の日付は2月11日に改められ、翌1874年(明治7年)2月11日から適用された。 この紀元節は1948年(昭和23年)にいちど廃止されたものの、改めて1966年(昭和41年)に「建国記念の日」として国民の祝日となり、その翌年から適用された。
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 日本文化いろは辞典 
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 建国記念の日
 読み方:けんこくきねんのひ
 同義語:紀元節
 建国記念の日のイメージ画像
 2月11日は「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、1966年に「建国記念の日」に定められました。
 意味・目的建国を記念する日
 神武天皇が即位した日を日本の建国された日として祝うこと(紀元節〔きげんせつ〕)は、戦後占領軍の意向で祝日ではなくなりました。しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記念するための祝日を設けることとなりました。その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正されました。そして、1966年に国民の祝日に認められ、翌年から適用されました。
 「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからだと言います。
 起源・歴史紀元節から記念日へ
 日本の起源を祝日にしようという動きは、明治時代、神武天皇(初代天皇)即位の初日を日本の紀元(歴史が始まる最初の日)としたことから始まります。この、日本の紀元の日を「紀元節」といいます。紀元節は全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれ祭事が催されていたほか、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていました。しかし戦後になり「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるのではないか」というGHQの意向で、紀元節は廃止されました。しかしその後テレビ局が行ったアンケート調査により、全国民の80%以上の人が「建国を記念する日」を望んでいるということがわかりました。その結果、1966年になり建国記念の日に関する提案が承認され、翌年1967年から適用されることとなりました。建国記念の日が成立するまでには「日本の正確な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」など専門家による多くの議論があったようです。
 行事建国は神話の中に
 建国記念の日は特別な行事は特にありません。ですので、この休日に日本の歴史を勉強してみることも面白いかもしれません。
 日本書記では、日本国を統一したカムヤマトイワレビコノミコトとは、初代天皇になった神武天皇であると書かれています。イワレビノミコト(神武天皇?)は、現在の建国記念の日にあたる、辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、大和の橿原〔かしはら〕の宮で即位したとされ、そこから2月11日を「建国記念の日」に定めたという説もあります。しかし、歴史学上では神武天皇は実在の人物ではなく「神話」として位置づけられているようです。
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