🎍目次〕─9─ナラ豪族連合。ヤマト王権の日本国統一。倭の五王~白河法皇。朝鮮の日本侵略史。~No.1 * 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
   ・   ・   ・   
 日本の人口。
 奈良時代は約550万人(公地公民で農地が急増)
 平安時代は約644万人
 鎌倉時代は757万人
 室町時代は約818万人
 戦国から江戸時代(1600年代)は約1,227万人(農地を増やして年貢米取り立てた)
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではない、中国や朝鮮は加害者であって被害者ではない。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人には、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はなく、その為に日本民族の歴史が理解できない。
 戦争に反対する現代の日本人には、死を覚悟し命を賭けて戦った武士・サムライと百姓や町人を語る資格はない。
   ・   ・   ・   
倭国大乱(弥生の大乱)。
2021-01-10
🎍2〕─1─倭国大乱(弥生の大乱)は気候変動で食べ物がなくなったからであった。環濠集落は城。146年〜189年。~No.2No.3No.4・ 
   ・   ・   ・   
ナラ豪族連合。
2022-07-16
🎍3〕─1─蘇我、大伴、物部.....「豪族」と「氏族」の違いとは?? 古代の日本を動かしてきた人々。~No.5 
2018-05-26
🎍3〕─2─ヤマト王権はナラ豪族連合である。第10代から第16代仁徳天皇までの天皇日本武尊神功皇后応神天皇。~No.6・ @ 
2023-03-10
🎍3〕─3─日本初の本格的な国造りの地はなぜ「飛鳥」の地だったのか。~No.7 
   ・   ・   ・   
ヤマト王権の日本統一。
2022-09-08
🎍4〕─1─歴史教科書の“嘘”と多様な古代史。「中央集権」は形だけ。~No.8No.9No.10 
2023-11-04
🎍4〕─2─学校で習った中国の歴史書日本書紀はデタラメばかり。~No.9No.10 
2021-01-07
🎍5〕─1─日本全国にあった古代王国。ヤマト王権征服王朝。~No.11・ 
2023-10-29
🎍5〕─2─ヤマト王権に従わなかった人々は虫けらのように扱われた。蔑称・「土蜘蛛」。~No.12 
2024-02-14
🎍5〕─3・A─なぜ京都は「平野が少ないのに繁栄した」のか?地理的条件と古代の勢力図。~No.13 
2024-03-29
🎍5〕─3・B─現代の歴史学者は「神武天皇」を無視している。~No.13 
   ・   ・   ・   
古代国家形成。
2021-11-05
🎍6〕─1─倭国、古代国家ヘの道。天皇を犠牲にする天皇下駄論、天皇人身御供(生け贄)説。~No.14No.15No.16・ 
2022-09-01
🎍7〕─1─古代の地名が示している「古代豪族」が得意とした”技能”とは?~No.17 
2023-08-05
🎍7〕─2─謎に満ちた古代日本の王権争奪戦を考察! 古代日本列島各地の王の序列とは?~No.18No.19 
2023-12-07
🎍7〕─3─大和王権はどのような制度でどのような範囲を支配したのか?~No.19 
   ・   ・   ・   
倭の五王。広開土王。
2018-05-27
🎍8〕─1─倭の五王。広開土王。日本生まれの武寧王南宋は、倭王武朝鮮半島南部の統治を認めた。400年~No.20・ @ 
2023-10-31
🎍8〕─2─推古天皇よりも古い “幻の女帝” 『飯豊青皇女(いいとよあおのおうじょ)』。~No.21No.22 
   ・   ・   ・   
百済第25代武烈天皇武寧王
2018-12-28
🎍9〕─1─日本生まれの百済王子・武寧王は、武烈天皇の軍事支援で百済王国に帰国して、百済王に即位した。502年~No.23No.24No.25・ 
   ・   ・   ・   
奈良時代
2023-10-28
🎍10〕─1─日本書紀は天帝・中華帝国に対する天皇家と日本国の独立宣言書であった。~No.26 
2018-11-30
🎍10〕─1─日本における「愛国」の始まりは奈良時代であった。『日本国紀』。~No.26・ @ 
   ・   ・   ・   
2022-08-09
🎍11〕─1─独裁者「隋の煬帝」の悲惨すぎる末路。~No.29No.30No.31 
   ・   ・   ・  
2018-05-29
🎍12〕─1─日本と朝鮮半島の関係は、想像以上に活発だった古代の国際交流。〜No.32No.33No.34 
   ・   ・   ・  
第32代崇峻天皇
2018-05-29
🎍13〕─1─磐井の乱任那滅亡。崇峻天皇暗殺。百済の賄賂事件と仏教・ヨガの日本伝来。507年〜No.35No.36No.37・ @ 
   ・   ・   ・   
第29代欽明天皇
2019-05-26
🎍14〕─1─欽明天皇。日本人は、越国で難破した高麗使節船の乗組員を助けた。573年。〜No.38No.39No.40・ 
   ・   ・   ・   
仏教の日本伝来。 
2018-05-30
🎍15〕─1─中国仏教は、異民族が漢族の儒教中華帝国を征服し漢族を支配する為の革命宗教・革命思想であった。仏教の日本伝来。~No.41No.42No.43・ @ 
   ・   ・   ・   
聖徳太子斑鳩宮。
2018-06-05
🎍16〕─1─聖徳太子は、仏教を導入する為に使節を隋の煬帝に送った。隋王朝は、高句麗などの周辺諸国を侵略していた。隋の滅亡。592年〜No.44No.45No.46・ @ 
2019-10-11
🎍16〕─2─聖徳太子は、神道価値観に仏教の行動的規範と儒教の道徳的慣習を加えた。法華経。~No.47・ 
2022-01-16
🎍16〕─3─聖徳太子の第1回宗教改革とは日本の仏教国家化と仏教寺院の総合病院化であった。~No.48 
2022-02-11
🎍16〕─4・A─聖徳太子は仏教を利用して諸改革を行い日本を中国化から救った。~No.49 
2023-12-14
🎍16〕─4・B─聖徳太子が目指した理想の国家とは男系父系天皇が統治する国であった。~No.49 
   ・   ・   ・   
第33代推古女帝。飛鳥。
2018-06-07
🎍17〕─1─第33代推古天皇。男系女性が天皇に即位して統治する国・日本は、世界の非常識である。~No.50・ @ 
2024-02-07
🎍17〕─2─飛鳥は国際都市としてギリシアやペルシアの影響を受けていた。~No.51No.52 
   ・   ・   ・    
唐仏教。
2018-06-09
🎍18〕─1─玄奘三蔵法師。唐王朝の侵略に対する倭国百済新羅高句麗自衛戦争。万葉仮名。624年 ~No.53No.54No.55・ @ 
   ・   ・   ・  
斑鳩。第35代皇極女帝。大化改新
2023-12-01
🎍19〕─1─百済を滅ぼした唐・新羅連合軍。大化改新百済を助ける日本。白村江の戦い百済の滅亡。645年~No.56No.57No.58 @ 
   ・   ・   ・   
中国の領土拡大戦争と仏教。
2018-06-12
🎍20〕─1─唐(中国)は強国吐蕃チベット)を弱体化させる為に仏教を伝えた。~No.59No.60No.61・ @ 
   ・   ・   ・   
大津宮
第38代天智天皇。第40代天武天皇藤原鎌足
2018-06-14
🎍21〕─1─天智天皇天武天皇壬申の乱親日派高句麗の滅亡。667年~No.62No.63No.64・ @ 
2018-06-15
🎍22〕─1─古代史15の新説。古代豪族・蘇我氏と新興豪族・藤原氏。兄天皇から弟皇太子への譲位表明と壬申の乱。~No.65No.66No.67・ @ 
   ・   ・   ・   
2022-07-11
🎍23〕─1─則天武后は中国史上唯一の女帝。唐王朝帝位簒奪者。~No.68No.69No.70 
   ・   ・   ・   
第41代持統女帝。
2018-06-16
🎍24〕─1─持統天皇渤海国の建国。則天武后と革命宗教・仏教。687年~No.71・ @ 
2022-02-01
🎍24〕─2─藤原京に外国人居住の可能性 水洗トイレ遺構を調査。~No.72No.73 
   ・   ・   ・   
記紀神話
2020-12-08
🎍25〕─1─正統男系父系天皇神話の『古事記』は滅びの物語であり滅びの美学の手本である。~No.74・ 
2024-01-22
🎍25〕─2─6世紀半ばに感染症天然痘」は朝鮮から日本に伝来した。『古事記』『日本書紀』~No.75 
2024-03-06
🎍25〕─3─記紀神話における天孫降臨物語には2系統あった。~No76 
   ・   ・   ・   
2020-12-07
🎍26〕─1─男系父系天皇を正統とする正史『日本書紀』と皇国史観。~No.78No.79No.80・ @ 
   ・   ・   ・  
万葉集
2018-06-17
🎍27〕─1─帰化系日本人・山上億良。『万葉集』巻五(八九四)好去好来(かうきよかうらい)の歌。~No.81No.82No.83・ @ 
2018-06-20
🎍27〕─2─大伴家持萬葉集』。「君が代」と大君の思想。保田與重郎小川榮太郎。~No.84No.85No.86・ @ 
   ・   ・   ・   
第45代聖武天皇
2018-06-18
🎍28〕─1─聖武天皇は、日本を仏教国家にする為の宗教改革を行った。行基東大寺の大仏。神仏混合の始まり。723年~No.87No.88No.89・ @ 
2018-07-16
🎍29〕─1─天平9(737)年の疱瘡(天然痘)大流行(パンデミック)。死屍累々の死の島国日本。~No.90・ @ 
2021-03-29
🎍29〕─2─聖武天皇は自然災害の「責めは予(われ)一人にあり」との詔を宣布した。自然災害は神の天罰。~No.91・ 
2023-11-20
🎍29〕─3・A─聖武天皇の汚点。罪なき人々を自害に追い込んだ「残酷な処世術」。 ~No.92 
2023-11-30
🎍29〕─3・B─奈良時代に100万人以上が病死した経済を回復させたのが『墾田永年私財法』である。 ~No.92 
   ・   ・   ・   
2022-07-30
🎍30〕─1─藤原氏のルーツは地方豪族で常陸・中臣氏その前が卜部氏。日本神話では天児屋命。~No.93No.94No.95  
   ・   ・   ・   
天平時代は自己責任。
2018-07-17
🎍31〕─1─天平時代。平城京の窃盗事件。盗まれた品物は自己責任として自分で探した。~No.96No.97No.98・ @ 
   ・   ・   ・   
第46代孝謙女帝=第48代称徳女帝。血統断絶の危機。
2018-06-19
🎍32〕─1─称徳女帝は天皇弓削道鏡に譲り弓削系皇室を作ろうとした。751年~No.99No.100No.101・ @ 
   ・   ・   ・   
半島系渡来人と奈良仏教。
2018-10-18
🎍33〕─1─新羅と奈良仏教。半島系渡来人のドス黒い怨念・憎悪が東日本、関東に渦巻いていた。~No.102No.103No.104・ @ 
新羅仏教。
2020-07-26
🎍33〕─2─新羅仏教は弥勒菩薩弥勒信仰は救世主(メシア)信仰で革命宗教。~No.105No.106No.107・ 
   ・   ・   ・   
平城京
第50代桓武天皇
2018-06-21
🎍34〕─1─桓武天皇蝦夷独立戦争坂上田村麻呂アテルイ空海最澄玄宗皇帝。平安京遷都。密入国していた新羅人難民達。770年~No.108No.109・ @ 
2022-10-24
🎍34〕─2─何故、平安京京都盆地の北部につくられたのか。~No.110 
  ・  ・  
2018-06-23
🎍35〕─1─新羅の日本侵略。関東での弘仁新羅の乱。古代新羅と統一新羅高野山金剛峯寺比叡山延暦寺。806年~No.111No.112No.113・ @ 
   ・   ・   ・   
2019-10-12
🎍36〕─1─王土王民思想は、独立国家の統治理論であり国防思想である。〜No.114No.115No.116・ 
   ・   ・   ・   
平安仏教。
2023-01-20
🎍37〕─1─日本密教は政治権力と結びついて国家宗教となった。〜No.117No.118 
空海。 
2019-06-27
🎍38〕─1─空海を旅する芸能の心髄をめざして。〜No.119No.120・ 
最澄
2021-07-28
🎍38〕─2─平安時代、才能も地位もあった僧が出世できなかった理由。〜No.121No.122・ 
仏教思想
2024-03-09
🎍38〕─3─平安時代の仏教思想が窃盗・強盗の犯人に対する死刑を廃止した。弘仁9年(818)。〜No.121No.122 
   ・   ・   ・ 
平安時代。王朝文化。公家文化。
2018-06-24
🎍39〕─1─貞観の入寇。渡来人や反天皇派日本人の反乱。日本の女流作家と身分卑しい庶民の和歌。元慶関東地震。824年~No.123No.124No.125・ @ 
2022-06-17
🎍40〕─1─平安時代の歴代天皇の御憂慮が日本史の大転換点。清和・陽成・光孝の御代。~No.126No.127No.128 
2023-11-17
🎍40〕─2─百済系渡来人・興世書主が嵯峨天皇に認められ、破格の出世をした理由。~No.127 
2024-02-27
🎍40〕─3─大和朝廷渤海王国は東アジア戦略から国交を開いていた。~No.128 
  ・  ・  
2018-06-26
🎍41〕─1─統一新羅の日本侵略と虐殺・略奪・強制連行。日本は加害者ではなく被害者であった。~No.129No.130No.131・ @ 
  ・  ・  
2018-06-28
🎍42〕─1─菅原道真遣唐使廃止。寛平の韓寇。高麗建国。平将門契丹族の高麗侵略。渤海国滅亡。亀州大捷。894年~No.132・ @ 
2023-02-12
🎍42〕─2─承平天慶の乱藤原純友の乱平将門の乱。~No.133 
2023-11-22
🎍42〕─3・A─平安貴族は下賎の国民から税金を吸い上げる事しか考えていなかった。~No.134 
2024-02-12
🎍42〕─3・B─平安貴族らの栄華を可能にした「律令制」という“中央集権システム”の本質。~No.134 
2024-02-20
🎍42〕─3・C─上級貴族の年収は3億円超、下級貴族は680万円以下…平安貴族たちの給与格差の実態。~No.134 
2024-04-18
🎍42〕─3・D─尾張国郡司百姓等解文。永延2年(988)11月8日。~No.134 
  ・  ・  
2023-12-03
🎍43〕─1─朝廷を裏から牛耳る闇の女帝藤原詮子藤原氏の全盛期。~No.135 
2018-06-29
🎍43〕─2─女系で出世した藤原道長刀伊の入寇天皇に反逆する日本人達。1015年~No.136・ @ 
2024-02-19
🎍43〕─3・A─藤原道長が「我が世の望月」という言葉に込めた2つの意味。~No.136 
2024-03-03
🎍43〕─3・B─天皇家を世界最古の王家としたのは藤原道長の功績。~No.136 
 ・  ・  
2019-01-09
🎍44〕─1─刀伊の入寇。古代から日本民族は被害者である。国防の為に九州武士団が誕生した。1019年~No.138・ @ 
🎍44〕─2─武士の起源とは。正統な武士は武装貴族だった。~No.139No.140 
  ・  ・  
2018-07-01
🎍45〕─1─平安時代は魔界の時代で、都大路には無数の死体が転がる地獄であった。安倍晴明。~No.141・ @ 
2024-04-22
🎍45〕─2─天然痘平安時代の人口の30%前後が死亡。正暦4年(993)。~No.142No.143 
   ・   ・   ・  
平安武士。
2018-07-02
🎍46〕─1─日本武士は死の穢れに満ちた卑しい芸能者で、最初の仕事は用心棒・護衛・警護であった。~No.144・ @ 
2024-01-23
🎍46〕─2─藤原道長刀伊の入寇後一条天皇。老人子供は虐殺され壮年の男女は拉致された。~No.145 
2024-02-26
🎍46〕─3─道長に敗れたほうの藤原氏、左遷先で海賊から日本を救ったのに恩賞はゼロ。~No.146 
   ・   ・   ・   
平安京はブラック社会であった。
2021-04-07
🎍47〕─1─平安時代は地獄。平安京は群盗が横行する無法なダークサイドシティであった。~No.147・ 
2022-07-27
🎍47〕─2─平安時代。血筋・家柄に関係なく努力を怠る貴族は簡単に没落した。~No.148 
2023-11-21
🎍47〕─3─優雅な上流階級のイメージはウソだらけ。平安貴族のヤバすぎる裏の顔。~No.149 
2024-01-12
🎍47〕─3・B─平安時代の総人口1,000万人に対して貴族は500人足らず。~No.149 
2024-01-28
🎍47〕─3・C─平安時代の貴族は「藤原だらけ」。平安貴族のヤバすぎる「裏の顔」。~No.149 
2024-01-29
🎍47〕─3・D─平安貴族にお金持ちはいなかった。平安社会は物々交換経済。~No.149 
2024-02-21
🎍47〕─3・E─平安時代の「貴族ではない人たち」は何をして暮らしていたのか?~No.149 
2024-03-05
🎍47〕─3・F─地方都市のなかった平安社会、なぜ「国府」は発展しなかったのか?~No.149 
2024-03-11
🎍47〕─3・G─平安時代の「雅び」の闇はどす黒い。~No.149 
   ・   ・   ・   
院政時代。
2018-07-04
🎍48〕─1─白河天皇鳥羽天皇後白河天皇平清盛安徳天皇法然親鸞。高麗と『三国史記』。岳飛と秦檜。1052年~No.150No.151No.152・ @ 
   ・   ・   ・   
平安時代の天災。
2021-09-25
🎍49〕─1─1000年前「未知の巨大地震」が発生か、九十九里浜に大津波の跡。~No.153・ 
2024-01-20
🎍49〕─2─ 清和天皇の被災者救済の為の「減税」。平安時代の災害。~No.154 
2024-01-21
🎍49〕─3─仁和大地震と仁和大洪水。東西同時多発の南海トラフ巨大地震。~No.155 
   ・   ・   ・   
漢族系宋(北宋)王朝。
2018-07-05
🎍50〕─1─科挙で近代的官僚システムを完成させた漢族系宋(北宋)王朝。~No.156No.157No.158・ @ 
   ・   ・   ・   
2022-01-22
🎍51〕─1─古代から反中=知中・保守と崇中=親中・革新との死闘が続いている。~No.159No.160No.161 
   ・   ・   ・   
2022-02-20
🎍52〕─1─日本は「民族の血統」を大事にする世界でも珍しい国である。~No.162No.163No.164 
   ・   ・   ・   
2023-03-21
🎍53〕─1─墨書土器に陰陽道修験道の「呪符」も。~No.165No.166No.167 
   ・   ・   ・   


 戦争反対で戦う事を放棄した現代の日本人と死ぬのを覚悟で戦った昔の日本人は、別人のような日本人で、現代の日本人が昔の日本人を語る資格はない。
   ・   ・   ・   
 平安時代初期。日本国内で新羅系渡来人による反乱や暴動が続発していた。
 帰化人とは、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた人々である。
 渡来人とは、天皇への忠誠を拒否し、日本国ではなく自分の為のみに仕事をした人々である。
   ・   ・   ・   
 世界観と善悪の判断基準は、中国・朝鮮と日本に全く違う。
 中国・朝鮮と日本の間には越えられない壁がある。
 中国・朝鮮の中華儒教と日本の論語儒教は交わる事がない異質なものである。
 日本と中国・朝鮮は理解できない異なる存在である。
   ・   ・   ・   
 日本天皇と日本国と日本民族日本人は一心同体である。
 日本天皇が廃絶されると日本国と日本民族日本人も死滅する。
   ・   ・   ・   
 日本は、加害者ではなく被害者であった。
 中国と朝鮮は、被害者ではなく加害者である。
   ・   ・   ・   
 朝鮮の反日派諸王朝による日本侵略が絶えなかった。
 反日派敵日派、統一新羅、高麗、朝鮮、大韓帝国
 親日派知日派古朝鮮百済、古新羅高句麗渤海
 加羅任那)は、縄文時代から倭族が多く住み、ヤマト王権の支配地であった。
   ・   ・   ・   
 日本の歴史には2つあって、民族の伝承・宗教によるローカルな神話物語とアフリカを源流とする科学的根拠によるグローバルな人類史である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語と人類史の2つを持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は日本を統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
   ・   ・   ・   
 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
   ・   ・   ・   
 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子に軽はずみの戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
   ・   ・   ・   
 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行が草薙剣を盗んで新羅に逃げるが捕まる。
   ・   ・   ・   
 668年~780年 新羅朝貢の為の日本に遣新羅使を派遣し、遣日本使が30回以上。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
   ・   ・   ・   
 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
   ・   ・   ・   
 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
   ・   ・   ・   
 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
   ・   ・   ・   
 820年 弘仁新羅の乱。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
   ・   ・   ・   
 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
   ・   ・   ・   
 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
   ・   ・   ・   
 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
   ・   ・   ・   
 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
   ・   ・   ・   
 906年 延喜の新羅の賊。
   ・   ・   ・    
 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
   ・   ・   ・   
 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
   ・   ・   ・   
 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本の子供約300人を捕らえ忠烈王に戦利品として献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
   ・   ・   ・   
 1419年 応永の外寇李氏朝鮮軍による対馬侵略。
   ・   ・   ・   
 ロバート・D・カプラン「揺るぎない事実を私たちに示してくれる地理は、世界情勢を知るうえで必要不可欠である。山脈や河川、天然資源といった地理的要素が、そこに住む人々や文化、ひいては国家の動向を左右するのだ。地理は、すべての知識の出発点である。政治経済から軍事まで、あらゆる事象を空間的に捉えることで、その本質に迫ることができる」(『地政学の逆襲』朝日新聞出版)
   ・   ・   ・   
 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
   ・   ・   ・   
 柏木由紀子「主人(坂本九)を亡くしてから切に感じたのは、『誰もが明日は何が起こるからわからない』というこよです。私もそうですが、私以外にも大切な人を突然亡くしてしまった人が大勢います。だからこそ、『今が大切』だと痛感します。それを教えてくれたのは主人です。一日一日を大切にいきたい、と思い、笑顔になれるようになりました」
 神永昭夫「まずはしっかり受け止めろ。それから動け」
   ・   ・   ・   
 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
   ・   ・   ・   
 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
   ・   ・   ・   
 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
   ・   ・   ・   
 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の「情緒的情感的な文系的現実思考」はここで洗練された。
 死への恐怖。
   ・   ・   ・   
 日本の本音。日本列島の裏の顔は、甚大な被害をもたらす雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、禍の神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の「理論的合理的な理系論理思考」はここで鍛えられた。
 生への渇望。
   ・   ・   ・   
 仏とは、悟りを得て完全な真理を体得し正・善や邪・悪を超越し欲得を克服した聖者の事である。
 神には、和魂、御霊、善き神、福の神と荒魂、怨霊、悪い神、禍の神の二面性を持っている。
 神はコインの表裏のように変貌し、貧乏神は富裕神に、死神は生神に、疫病神は治療神・薬草神にそれぞれ変わるがゆえに、人々に害を為す貧乏神、死神、疫病神も神として祀られる。
   ・   ・   ・   
 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
   ・   ・   ・   
 日本の宗教とは、人智・人力では如何とも抗し難い不可思議に対して畏れ敬い、平伏して崇める崇拝宗教である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
   ・   ・   ・   
 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、科学、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして奇跡と恩寵を売る信仰宗教・啓示宗教は無力で役に立たない。
   ・   ・   ・  
 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
   ・   ・   ・   
 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
   ・   ・   ・   
 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
   ・   ・   ・   
 松井孝治「有史以来、多くの自然災害に貴重な人命や収穫(経済)を犠牲にしてきた我が国社会は、その苦難の歴史の中で、過ぎたる利己を排し、利他を重んずる価値観を育ててきた。
 『稼ぎができて半人前、務めができて半人前、両方合わせて一人前』とは、稼ぎに厳しいことで知られる大坂商人の戒めである。阪神淡路大震災や東日本震災・大津波の悲劇にもかかわらず、助け合いと復興に一丸となって取り組んできた我々の精神を再認識し、今こそ、それを磨き上げるべき時である。
 日本の伝統文化の奥行の深さのみならず、日本人の勤勉、規律の高さ、自然への畏敬の念と共生観念、他者へのおもいやりや『場』への敬意など、他者とともにある日本人の生き方を見つめなおす必要がある。……しかし、イノベーションを進め、勤勉な応用と創意工夫で、産業や経済を発展させ、人々の生活の利便の増進、そして多様な芸術文化の融合や発展に寄与し、利他と自利の精神で共存共栄を図る、そんな国柄を国内社会でも国際社会でも実現することを新たな国是として、国民一人ひとりが他者のために何ができるかを考え、行動する共同体を作るべきではないか。」
   ・   ・   ・   
 昭和・平成・令和の皇室は、和歌を詠む最高位の文系であると同時に生物を研究する世界的な理系である。
 武士は文武両道であったが、皇室は文系理系双系であった。
   ・   ・   ・   
 徳川家康は、実理を優先し、読書を奨励し、経験を重視し、計算の数学と理・工・農・医・薬などの理系の実利で平和な江戸時代を築いた。
 が、馬車や大型帆船は便利で富をもたらすが同時に戦争に繋がる恐れのあるとして禁止し、江戸を守る為に大井川での架橋と渡船を禁止した。
 つまり、平和の為に利便性を捨てて不便を受け入れ、豊よりも慎ましい貧しさを甘受した。
 それが、「金儲けは卑しい事」という修身道徳であったが、結果的に貧しさが悲惨や悲劇を生んだ。
   ・   ・   ・   
 日本で成功し金持ちになり出世するには、才能・能力・実力が必要であった。
 日本で生きるのは、運しだいであった。
 日本の運や幸運とは、決定事項として与えられる運命や宿命ではなく、結果を予想して自分の努力・活力で切り開く事であった。
 それは、自力というより、神か仏か分からない他者による後押しという他力に近い。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、いつ不運に襲われて死ぬか判らない残酷な日本列島で、四六時中、死と隣り合わせの世間の中で生きてきた。
 それ故に、狂ったように祭り繰り返して、酒を飲み、謡い、踊り、笑い、嬉しくて泣き、悲しくて泣き、怒って喧嘩をし、今この時の命を実感しながら陽気に生きていた。
 「自分がやらなければ始まらない」それが、粋でいなせな江戸っ子堅気の生き様であった。
 江戸時代は、自助努力のブラック社会であった。
 田代俊孝(仁愛大学学長)「『人は死ぬ』という厳然たる事実を、誰しも普段の生活では見て見ぬふりをしているものです。しかし、自分がいずれは『死すべき身』だということを意識すれば現在の生への感謝が生まれ、生きる気力が湧いてくる。つまり天命、死というものを知ることによって人生観が変わる。祖父母、父母、そして自分と、連綿と続く流れのなかで思いがけず命をいただいたのだ、と気づくのです」
 植島敬司(宗教人類学者)「人生は自分で決められることばからりではありません。不確定だからこそ素晴らしいのです。わからないなりに自分がどこまでやれるのか、やりたいことを追求できるのかが大事で、それが人生の豊かさにつながるのだと思います」
 平井正修(全生庵住職)「コロナ禍に襲われるずっと以前から人類は病に悩まされてきました。病気やケガで自由な身体が動かなくなり、人に介抱してもらうと、当たり前のことのあるがたさに気づきます。何を当たり前として生きていくのか、それは人生でとても大切なことであり、すべての人に起こる究極の当たり前が、死なのです」
 「現代では死というものが過剰に重たく受け止められていますが、そもそも死はもっと身近にあるものです。考えようによっては、現世に生きているいまのほうが自分の仮初(かりそめ)の姿とさえ言える。
 最終的には、誰もが同じところへと生きます。みんなが辿る同じ道を、自分も通るだけ。そう思えば、死も恐れるものではありません」
   ・   ・   ・    
 日本文化とは、唯一人の生き方を理想として孤独・孤立・無縁を求める文化である。
 日本の宗教とは、虚空・虚無という理想の境地に入る為に自己や自我など自分の存在を肯定も否定もせず、ただただ無にして消し去る事である。
 それ故に、日本文化や日本の宗教は男が独占していた。
 日本民族の伝統的精神文化は宮仕えする男性の悲哀として、行基西行、一休、鴨長明兼好法師芭蕉葛飾北斎など世捨て人・遁走者、隠者・隠遁者・遁世者、隠居、孤独人・孤立人・無縁人への、一人になりたい、一人で生きたいという憧れである。
 そして日本で女人禁制や女性立ち入り禁止が多いのは、宗教的社会的人類的民族的な理由によるジェンダー差別・女性差別・性差別ではなく、精神力が弱い日本人男性による煩わしい女性の拘束・束縛からの逃避願望である。
   ・   ・   ・   
 日本民族心神話において、最高神天皇の祖先神である女性神天照大神で、主要な神の多くも女子神である。
 日本民族は、あまた多くの女性神に抱かれながら日本列島で生きてきた。
   ・   ・   ・   
 鎖国下の江戸時代、日本の文化はあるがままでの共存と共生であり、日本の生き方は身の回りでの絆と繋がりであり、日本の生活は目の前の地産地消であった。
   ・   ・   ・