☵67〕─1─韓国左派与党文在寅政権の反日政策で日韓関係は最悪となった。~No.494No.495No.496 

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 歴史的事実として、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者である。
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 2022年1月3日 MicrosoftNews  JBpress「日本に謝罪を要求する権利もないのに債権国のように振る舞う韓国
 © JBpress 提供 日本が韓国の謝罪要求に応じて謝罪と補償を繰り返す中で、それが韓国の惰性になったと筆者は指摘する(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)
 (ファンドビルダー:韓国コラムニスト)
 特定の行動を繰り返せば、それは習慣化する。ひとまず習慣化すれば、その行動は無意識に(自動的に)なりやすい。すなわち、慣性ができるのだ。慣性による行動は、止めるのが難しい。韓国が日本に謝罪を要求して、日本が謝罪するという現象は、このような慣性における行動パターンの典型だ。
 日本はこれまで、韓国に対して天皇、首相、官房長官などの名義で謝罪を何度も繰り返してきた。世界的に見て、特定国が特定国に向かって、国家の次元による謝罪をこれほど数多くしたケースはほとんど例がない。それでも、今日の韓国政府と韓国人は満足せずに、相変らず日本に向かって「謝罪しろ!」と要求している。
 このような韓国の態度は、あたかも債権者が債務者に向かって、法的な取り立てをするのに似ている。しかし、これまで韓国が謝罪を受けたのは、韓国に法的権利があったためでは決してなかった。日本は、韓国に謝罪しなければならない法的義務は全くない。日本はその間、道義的な次元で謝罪したのだ。
 明らかなのは、誰も韓国に「謝罪を要求する権利」を与えたことがないという点だ。同じように、誰も日本に「謝罪する義務」を課したことはない。
 過去、韓国(朝鮮)は日本に併合された。当時の韓国は、日本と戦争をしたわけではなかった。戦争をした場合ならば、戦勝国と敗戦国に区分され、敗戦国は戦勝国に向かって謝罪したり、賠償金を支払うことが普通だ。ところが、韓国は戦勝国でもないのに、今まで何度も日本から謝罪を受け、補償も受けてきた。運が良い方だ。だが、運が良いといって、分別をわきまえない行動をしてはならない。
 残念なことに今日の韓国は、あたかも自身が戦勝国にでもなったかのように行動する。債権者でもあるかのように、日本に向かって常に高姿勢で叱り飛ばす。今日の韓国人は、あたかも自分が生まれた時から、「謝罪を受ける権利」のようなものを、天から与えられたかの如く行動するのだ。
 日韓関係悪化の一因である「過度の謝罪」
 謝罪を受ける権利がないにもかかわらず、韓国人は謝罪を受ける権利を自らに与えた。すなわち、慰安婦問題に関連する韓国の謝罪要求は、2011年の韓国内の憲法裁判所判決(「韓国政府が日本に向かって慰安婦問題の措置を要求しないのは違憲」という判決)を根拠としている。徴用工問題に関連する謝罪要求の根拠は、2018年の韓国内の大法院判決(日本企業に賠償を命令した判決)だ。このように、韓国は極度の自己中心的な態度で、日本に謝罪を強要している。
 謝罪を受ける権利がない韓国が、暇さえあれば、日本に向かって謝罪の真正性などを云々し、追加謝罪を強要する現在の姿は、まさにコメディだ。このような水準の韓国に、国際法遵守などの理性と常識を期待するのは、初めから無理であった。
 権利と義務が存在しない「謝罪」というものによってもたらされた、日韓関係の悪化は深刻な水準だ。韓国がもし正常国家ならば、日本の道義的な謝罪に対し、適正な範囲で受け入れ、円満に関係悪化を終えただろう。
 逆説的に、今日の日韓関係が悪化した原因は、「過度に多かった日本の謝罪」も挙げることができる。不必要な日本の謝罪が繰り返されて、惰性(あるいは慣性)が生じ、結果的に韓国人は、日本の謝罪を当然のことと見なすようになったのだ。
 ここに、ある1カ月間の実験について話そう。毎日、各家庭に1万ウォンずつを無償で与え、町内の人々の反応を観察する実験だ。
 初めは、町内の人々は、戸惑った様子で無償金を受け取った。これが何日か繰り返されると、すぐに町内の人々は気分が良くなった。10日ほど経つと、町内の人々は、無償金を受け取る時間を心待ちにするようになった。あらかじめ家の前に出てきて、待機するようになったのだ。
 さらに20日ほど経つと、町内の人々は、無償のお金を当然だと考えるようになった。そして実験の最終日、お金を分け与える人が、町内をそのまま通り過ぎていった。すると町内の人々はとても怒り、「私のお金はどこへ行ったのか?」「どうして私のお金、1万ウォンをくれないのか?」と不満を吐き出した。
 好意がつづけば、それを権利と勘違いすることになる。今日、韓国が見せる姿は、まさにこれである。今の最悪の日韓関係も、「日本の持続的好意」と「これを権利と勘違いした韓国」が、合作で作り出した不幸だといえる。
 日本に免罪符を与えない韓国の「堕落」
 好意を権利と勘違いすることとともに、少なくない韓国人が、中世の堕落した聖職者よりずっと堕落した態度を見せるのも、日韓関係の悪化の大きな原因になっている。何のことかといえば、今日の多くの韓国人が、「日本に免罪符を与えてはいけない」という言葉を頻繁に使うということだ。
 1995年に発足した日本の「アジア女性基金」では、日本の首相の謝罪手紙とともに、1人当たり約500万円の慰労金を元慰安婦に支給した(61人の韓国人元慰安婦が受領、一部前慰安婦は受領拒否)。ところが、これに対し、当時の挺身隊対策協(慰安婦関連反日団体)は、アジア女性基金の慰労金を受領しないように元慰安婦に圧力をかけて、以下のように警告した。
 「罪を認めない日本の同情金を受け取るならば、被害者は、自発的に出て行った公娼になることであり、日本に『免罪符』を与える結果を招く」
 2015年の慰安婦問題合意の時も、韓国のメディアや国民は「今回の合意で日本に『免罪符』を与えることになるようで心配だ」という反応を見せた。
 「免罪符」(indulgentia:贖宥状)は、中世のローマカトリック聖職者が、金銭や貢物を捧げた人々に、罪を赦免するという意味で発行した証書だ。堕落した聖職者を象徴する表現でもある。
 結局、日本に免罪符をあげたくないということは、日本がいくら謝罪し補償しても、韓国人は日本を非難して断罪することを、永遠に楽しみたいということだ。これは、中世の堕落した聖職者よりもはるかにたちが悪い。なぜなら、中世の聖職者は、たとえ堕落していても、金を受け取れば、最小限、免罪符を与えるのに対し、今日の韓国は、謝罪と補償を受けながらも、免罪符を与えていないためだ。
 金を受け取とることによって免罪符を渡した中世の聖職者と、謝罪と補償を受けても免罪符を渡そうとしない今日の韓国人では、どちらがより悪辣だろうか。
 債権者のように振る舞う隣国の醜態
 旧約聖書箴言にはこのような一節が出てくる(30章、21~23節)。
 誰からも謝罪を受ける権利を与えられたことのない者が、錯覚と妄想に陥って、あたかも自身が債権者であるかのように、謝罪する義務がない隣人に向かって、絶えず謝罪を強要することは、まったくもって非常識だ。さらに、強要するだけでは飽き足らず、世界中のいろいろな所に出向いて策略し、隣人を貶すという悪習まで日常化された状況ならば、もはや最悪だろう。
 日本に対する韓国のこのような病的な状態を、聖書にある「地は三つのことによって震う、いや、四つのことによって、耐えることができない」に、新しく追加するとしても、全く問題ない。個人でも国家にしても、自身の身の丈を知り、それ相応の行動をしなければならない。そうでなければ、醜態をさらすことになるだろう。
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