🗾24〕─1─1万6000年前、縄文人は手漕ぎ丸木舟で古代アメリカ大陸に渡った?~No.110No.111No.112 * 

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 DNA分析「ケネウィック人はネイティブアメリカンの祖先である」。
 ペンハーゲン大学研究チームの論文、ケネウィック人のアイヌ人およびポリネシア人との遺伝的関係性を否定。
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 カナダ・ブリティッシュコロンビア州から発掘された1万数千年前の骨製の釣り針と沖縄県で発掘された2万7000年前ごろの世界最古の貝製の釣り針は似ている。
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 2020年1月号 学研月刊誌ムー「禁断の考古学 文=有賀訓
 次々と発見される石器で新たな展開
 古代アメリカの縄文人
 アメリカの先住民のルーツがアジア人にあるのではないかということは以前からいわれていたが、それがなんと、縄文人であったことがわかったという。
 長年にわたる謎を解き明かす決め手となったのは遺跡から発掘された石器だった。
 アメリカ大陸に最初に足を踏み入れたのは本当に縄文人だったのか?
 だとすれば、われわれの祖先はどのようにしてかの大陸にわたったのだろうか。
 1万6000年前の最も古い遺跡
 遠い昔に南北アメリカ大陸へ初めて足を踏み入れた人々が〝アジア種族〟だった可能性は、インディアンなどアメリカ先住民のルーツを探る研究が始まった19世紀前半から指摘されていた。その後、この〝アメリカ先住民=アジア起源説〟は科学的に裏づけられた定説となったが、一方でいくつかの難題もつきまとってきた。それはアメリカへ渡ったアジア人種の出発地、移動時期、旅の経路はどうだったかという最も基本的な問題で、専門家たちもなかなか解明できないまま年月が過ぎて21世紀に至った。
 ところがつい最近、これらすべての謎解きにつながる画期的な展開があった。それは、オレゴン州立大学の人類学者ローレン・デイビス博士が、2009年から2018年にかけて実施した遺跡発掘調査の報告書内容で、今秋にCNNテレビなどが報道して大きな話題を呼んだ。
 その遺跡は、アメリカ北西部アイダホ州の、太平洋岸から約800キロ内陸に入った。クーパーズ・フェリーという山岳地域の渓谷沿いにあり、河川名のサーモン・リバー(鮭川)が示すように食料調達に適し、昔から先住民が暮らしてきたと見られる場所だ。
 この『クーパーズ・フェリー遺跡』の調査では、炉跡の炭化物、魚や動植物の食べかす、骨・貝・石器の道具類など大量の生活遺物を含む地層が延々と下まで続き、掘り下げていくほど予想以上に古い歴史をもつ居住地だとわかった。そして、何度も繰り返した『炭素14年代法』による年代測定では、クーパーズ・フェリー遺跡に初めて人が住みついた推定年代は〝1万6000年前ごろ〟と判明した。また、この最下層には『尖頭器』と呼ばれる先端を尖らせた狩猟・漁猟・工作用と推定される打製石器が数多く埋もれていた。
 この報告書内容の最重要ポイントは、1万6000年前という年代値が、これまでに南北アメリカ大陸で調査されてきたどの遺跡よりも古いことだ。そして、この地層から出土した尖頭器を手がかかりに、ローレン・デイビス博士は驚くべき新見解を導きだした。クーパーズ・フェリー遺跡にすみついた〝最初のアメリカ人〟の正体は、なんと、日本列島の『縄文人』だったというのだ。
 以上のローレン・デイビス博士による新発見の内容、とくに尖頭器型の石器と縄文人の関係を十分に理解するためには、最初のアメリカ人をめぐる研究史のあらましをたどる必要がある。
 ウルム氷期末にアメリカへ渡った?
 まず19世紀前半に遡るアジア種族と南北アメリカ先住民についての研究は、提唱されてまもない、人種ごとに形の特徴が異なる頭骨の比較から始まった。しかし、まだ人類史の年代幅そのものが不明で、いつ、どのようにして海洋で隔てられた大陸間を先史人類が移動したのかについては科学的判断の下しようもなかった。
 そんななか、1840年にハーバード大学の地質学・古生物学者ルイ・アガシーらが、先史時代の人間社会に絶大な影響を及ぼしたと考えられる『古気候』について、人類学の発展に役立つ重要な発表を行った。それは高山地形と地層内部調査、古生物化石の分析などをベースにした研究内容で、かつてユーラシアと北米大陸の高緯度地帯が広範囲にわたって厚い『氷床(氷河)』に覆われていたと結論づけたのだ。
 ただし19世紀中には、そうした『氷期(氷河期)』の開始・終了時期までは推理が及ばなかった。
 次いで氷期の解明に関するめざましい進展があったのは、ルイ・アガシーの時代から半世紀以上が過ぎた20世紀初頭のことだった。旧ユーゴスラヴィアの天才科学者ミルティン・ミランコヴィッチが、地球の公転運動と気温変化の連動を精密に分析して、過去約200万年間に9回の氷期が繰り返されたことを突き止めたのだ。
 ミランコヴィッチが10年以上を費やして成し遂げた計算結果によると、最新の『ウルム氷期』は7万年前から1万年前ごろまで続いた。そのうち2万年前から1万8000年前ごろが最も寒く、当時の地球平均気温は今よりも10度以上も低かった。むろん南北両極地域には、生物が棲めなかっただろう。この極寒期には氷床(氷河)が最大化し、逆に平均海面は今よりも最大150メートル近く下がっていたとされる。
 そして、このミランコヴィッチの業績を基礎にして、ウルム氷期のいずれかの年代にアジア種族がアメリカへ渡ったという仮説が現実味を強めた結果となった。なぜなら現在まで、ウルム氷期以前の人間活動を裏づける住居や道具類などの遺跡・遺物は、南北アメリカ大陸のどこからも見つかっていないからだ。さらに、のちほどあらためて触れる陸上氷床の増大に伴う大幅な海面低下は、一方で陸地面積を広げ、人間を含めた生物たちの大陸間移動を促したと想像できる。
 ただし、この大旅行が極寒のさなかに敢行された可能性は低く、気温が上昇しはじめたウルム氷期の終わりごろと見るのが現実的だろう。
 ふたつの尖頭器とケネウィック人
 ミランコヴィッチに続いて、最初のアメリカ人に関する研究を大きく前進させたのが、北米中央部ニューメキシコ州の平原地帯の2か所から相次いで見つかった、形の異なる2種類の石器だった。まずひとつめは、1926年に同州北東部のフォルサムという農村で洪水後の地面に姿を現し、狩猟用投げ槍の先端に装着する尖頭器と鑑定された。
 もうひとつはフォルサムから約300キロ南のクロービス地域で1932年に出土した『クロービス型尖頭器』だが、こちらは『フォルサム型尖頭器』よりも倍以上も大きく、異なった先史文化の道具と推定された。これら2種類の尖頭器は20世紀中ごろまでに北米各地で見つかり、クロービス型は南米の一部地域でも出土した。
 そして1950年以降には、多くの学術研究に絶大な恩恵をもたらす各種の化学年代測定法が実用化され、フォルサム型尖頭器が1万2000年から1万1000年前ごろ、クロービス型尖頭器1万3000年から1万2000年前ごろの道具だとわかった。
 つまりフォルサム型とクロービス型の製作・使用時期には1000年の時間差があったが、いずれにしろ、このふたつの石器文化を各地に広げた人々が、アジアから来た最初のアメリカ人だろうという意見が強まった。実際、クロービス/フォルサム型尖頭器をはじめとした、黒曜石・フリント(火打ち石)・メノウなどの石材を小刻みに打ち欠いて鋭利な『剥片(はくへん)石器』に仕上げる特殊技術は、30万年前にまで遡る旧人類の時代からユーラシア大陸で発達してきたことがわかっている。
 ところが20世紀終盤の1996年になって、〝アメリカ先住民=アジア起源説〟を覆しかねない出来事が起きた。それは、アメリカ北西端のワシントン州ケネウィックで発見された一体分の男性人骨がきっかけだった。
 ケネウィック地域を流れるコロンビア川沿いの土手から偶然に掘り出された正体不明の全身人骨は、まず保安官事務所へ持ち込まれたが、事件性が認められないため人類学者たちの手に委ねられた。その当初の鑑定では頭骨の形に『コーカソイド(白人種)』の特徴が見られると判断され、身長が175センチ以上の大柄なので、開拓時代に入植したヨーロッパ人狩猟者の可能性が挙げられた。
 ところが、CTスキャン検査で骨盤に突き刺さった大昔の尖頭器の一部らしきものが撮影され、また骨組織全体の化石化が進んでいたことから、炭素14法による高精度の年代測定が行われた。
 その結果、示された数値はだれもが予想だにしないものだった。この男性が死亡した年代はアメリカ開拓時代どころか、実に1万年前ごろと判明したのだ。通常、土に埋まった人骨は100年以内に完全分解し、よほどの偶然がかさらなければ紀元前の骸骨が現代まで姿をとどめることはない。ましてや1万年前の全身人骨の発見は、奇跡中の奇跡なのだ。
 すでに紹介したように、アメリカ各地では1万数千年前のクロービス/フォルサム型尖頭器が数多く発掘されてきたが、それらを製作した人々の遺骨は20世紀末時点では見つかっていなかった。そこで、この『ケネウィック人』こそ、年代値から考えてもクロービス/フォルサム石器文化を担った最初のアメリカ人そのもの、または直系の人物ではないのか?という見方が出てきた。
 しかし、もし本当にケネウィック人がヨーロッパ起源のコーカソイドだったとすれば、最初のアメリカ人がアジアから来たという定説が崩れ去り、19世紀から積み重ねられた南北アメリカ先住民に関する研究を根本から組み立て直す必要がある。そこで、最初にケネウィック人とコーカソイドの類似性を指摘した人類学者グループは骨化石を調べ直し、1996年末に2回目の結果発表を行った。
 ところが、その内容はまたしても驚くべきものだった。すなわちケネウィック人の頭骨にはコーカソイドに似た若干の特徴が認められるが、それ以上に類似するのは、日本列島に1万年以上前から暮らしていた『縄文人』だと結論づけたのだ。これは単に訂正という以上に、〝最初のアメリカ人〟のルーツをピンポイントで絞り込んだ、かつてない発表内容だった。
 縄文人に近い人骨が次々に発見
 歴史学や考古学には何か人知を超えた古代人の遺志が働きかけでもするのか、ケネウィック人の登場と示し合わせたかのように、今日にかけて南北アメリカ大陸では1万年以上前の人骨化石11体分が見つかってきた。そしてそのうちの11体分については、現代のシベリア地方などに暮らす北東アジア人と南北アメリカの先住民よりも、むしろケネウィック人と縄文人に近いことがわかった。
 それに加えて、復元されたケネウィック人の頭部は、彫りが深い顔つきが現代のポリネシア人と日本列島のアイヌ人とも近似しているという。
 縄文人の血筋がポリネシア人アイヌにも色濃く受け継がれたことは遺伝子系統樹の研究でも解明ずみで、この科学的事実もまた縄文人とケネウィック人の関係性を補強する有力な証拠といえる。そしてもうおわかりのようにケネウィック人の登場は、縄文人というキーワードを通じて今回の本題であるオレゴン州立大学の人類学者ローレン・ディビス博士の最新研究に結びつくのだ。
 このへんで、ふたたびクーパーズ・フェリー遺跡をめぐる説明にもどろう。この河川沿いに営まれた居住遺跡では、9年間の発掘作業でようやく人が住みはじめたころの地層に達し、そこから採取した生活遺物の炭化物試料からアメリカの考古学調査史上最古の1万6000年前という年代値が出た。
 しかしクーパーズ・フェリー遺跡の1万3000年~1万1000年前ごろの地層からは、その期間に南北アメリカ大陸各地に栄えたクロービス/フォルサム型尖頭器は出土しなかった。また、どの地層にも人骨化石は見当たらなかった。その意味では、縄文人と同族の可能性が高いケネウィック人とクーパーズ・フェリー遺跡の関係性は立証しがたいともいえる。
 にもかかわずローレン・ディビス博士が、この土地へ1万6000年前にやってきた最初のアメリカ人の正体を縄文人だと結論したのは、冒頭に述べたとおり最古の遺跡地層から数多くみつかった『尖頭器』が根拠だった。
 アメリカに伝わった日本の尖頭器技術
 クーパーズ・フェリー遺跡の尖頭器も、明らかに石材を小刻みに打ち欠いて仕上げた剥片石器だ。しかし、その3000年後から現れたクロービス/フォルサム型尖頭器とは基本構造が違っていた。かといって、まったく未知の形式というわけではない。南北アメリカ以外の場所にも、この『クーパーズ・フェリー型尖頭器』と同じ形の石器が存在したと、ローレン・ディビス博士は主張する。それは、後期旧石器時代の2万7000年前ごろから縄文時代早期の1万年前ごろの日本列島で使われた尖頭器だ。なかでも北海道大雪山麓の『白滝遺跡群』から大量に発掘された黒曜石の尖頭器は、偶然の一致では説明できないほど酷似しているという。
 つまりローレン・ディビス博士は、この尖頭器の比較研究から、クーパーズ・フェリー遺跡の1万6000年前の地層にアメリカ最古の尖頭器を残したアジア人種は、縄文人に違いないと結論づけたのだ。
 筆者も東北・北海道の各地の縄文時代の遺跡から出土した1万年以上前の尖頭器を何度も見学したが、確かに柄の穴に松ヤニまたは天然アスファルトで尖頭器を固定したと推定される独特の突起構造は、クーパーズ・フェリー型尖頭器と瓜ふたつだ。さらに縄文時代草創期の始まりが1万6000年前だったことも、日本列島の尖頭器技術が北アメリカへ伝わったという新仮説と矛楯しない。
 そしてもうひとつ、この1万6000年前という年代は、最近のアメリカ人がクーパーズ・フェリー渓谷へたどり着くまでの道筋と移動方法を解き明かす鍵にもなる。
 なぜなら、先述したようにアジア人種の移動時期はウルム氷期の終わりごろだった可能性が高く、その当時の気温・氷床量・海水面の位置が旅の内容に大きく影響したに違いないからだ。重ねていえば20世紀には、その移動時期を北アメリカにクロービス型尖頭器が現れた年代と考える研究者が多く、『クロービス・ファースト(最優先)』という表現さえ使われる。
 つまり1万3000年前ごろのウルム氷河期末に、まだ北極圏から南へ大きく張りだした巨大氷床でひとつづきになっていた千島列島→アリューシャン列島→アラスカ地域の最短コースを選び、徒歩による大移動が行われたというのだ。
 ところがクーパーズ・フェリー遺跡の発掘調査によって、アジア人種が最初にアメリカへ渡った時期は確実に3000年過去に遡ることになった。この1万6000年前、2大陸間はどんな状態だったのか。
 縄文人は海岸沿いに移動した
 2万年前ごろから1万8000年前ごろにかけての極寒期が終わると、かつて人類が経験したなかで最も急激な温暖化が進み、1万6000年前には平均気温が5度近く上昇したことが古気象の研究で分かっている。その一方で氷床が溶け、極寒期には150メートル近く下がっていた海水面が50メートルも上昇した。当然、海に面した地域では海没が進んだが、まだ多くの海岸は氷床に覆われていた。この陸側へ後退する海岸線の間際(まぎわ)まで氷床が迫る状態は、さらに2000年後の1万3000年前になってもさほど変わらなかっただろう。
 クロービス・ファーストの考え方が主流だった20世紀末までは、アジア人種は氷期に陸化した『ベーリング地峡』を大型哺乳類を狩りながら東進し、2世紀以上の歳月をかけて北アメリカへ渡ったという風説が信じられていた。
 しかしアジアから北アメリカまで4,000キロ以上も続く不毛の氷雪地帯に先史人が食料として利用できるほど多くのマンモスやバイソンなどが生息した可能性は低いという見方が近年では強まっている。
 そのためローレン・ディビス博士は、縄文時代草創期の人々は陸上の狩猟よりも漁労に頼りながら、地面が露出した川の河口部などを伝わって旅をしたと推測している。その移動手段も、徒歩ではなくカヌーやカヤックのような小型舟による沿岸航行だった。
 実際、21世紀に入ってから博士の説を証明する、1万5000年前以上前の宿営地跡がアラスカ沿岸部などでいくつも見つかった。尖頭器だけでなく骨や貝製の釣り針も出土したが、それら漁労道具も日本列島で縄文時代以前から使われていたものと酷似している。
 以上が最近のアメリカ人をめぐる最新情報である。その移動開始年代が、1万6000年前よりも古いウルム氷期の極寒期まで遡る可能性は低い。しかし、この先だれもが予想だにしない新展開が訪れる可能性も決して否定はできない」
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 カナダ・ブリティッシュコロンビア州から発掘された1万数千年前の骨製の釣り針と沖縄県で発掘された2万7000年前ごろの世界最古の貝製の釣り針は似ている。
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 アメリカ先住民=アジア起源説。
 AFP「米先住民に2系統の祖先、DNA分析で示唆
 2013年11月22日 15:15 発信地:パリ/フランス [ ヨーロッパ フランス ]
 米首都ワシントン(Washington D.C.)の連邦議会議事堂で開かれた式典に出席するアメリカ先住民の男性(2013年11月20日撮影、資料写真)。(c)AFP/Brendan SMIALOWSKI
 【11月21日 AFP】人類の「アフリカ起源説」では、ホモサピエンスは誕生の地である東アフリカを5万年ほど前に去り、北と西、南へと広まっていったとされる。東アジアに住み着いた子孫たちはその後、約1万5000年前にシベリア(Sibera)から凍り付いたベーリング海峡(Bering Strait)を越えてアラスカ(Alaska)に渡り、北米大陸に定住したとされてきた。
 だが、英科学誌ネイチャー(Nature)に掲載された最新の研究によると、人類のたどった道はもっと複雑で、同じくらい興味深いものだった。
 2万4000年前のシベリアに生きていた子どもの骨から取り出したDNAの分析結果は、あらゆる予想を裏切るものだった。アメリカ先住民の祖先のルーツが、アジアの西端付近である西ユーラシアにもさかのぼることを示していたのだ。
 分析されたのは、シベリア中南部のマリタ(Mal'ta)で1920年代に発掘され、現在はサンクトペテルブルク(St Petersburg)のエルミタージュ博物館(State Hermitage Museum)に保管されている化石標本「MA-1」。
 MA-1のミトコンドリアと細胞の核から取り出されたわずか0.15グラム分のDNAサンプルからは、2系統の祖先の痕跡が発見された。一方は現代の東アジア人、もう一方は現代の西ユーラシア人に関連がみられた。同じ結果は、シベリアで発掘された約1万7000年前の別のサンプルでも確認された。
 論文は、アメリカ先住民の祖先の14~38%は西ユーラシアから来た人々を起源としていた可能性があると述べている。
 この発見は、人類の移住がこれまで考えられていたよりも複雑だったことを示唆している。北へ向かったホモサピエンスはその後、これまで考えられていたよりもはるか東へと移住していたようだ。
 また過去の研究で指摘されていた、初期アメリカ先住民の一部の頭蓋骨に東アジア人と異なる特徴が見られた点についても、説明が付くかもしれない。
 調査を率いたデンマークの地理遺伝学センター(Centre for GeoGenetics)のエスケ・ビラスリウ(Eske Willerslev)教授は「この結果は完全な驚きだった。東アジアから来たと学校で教えられてきた現代のアメリカ先住民が、最近まで西ユーラシア人と進化の歴史を共有していたなんて、誰が想像できただろう」と述べている。(c)AFP」
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 3月8日 msnニュース Forbes JAPAN 「古代人が食べた魚から検出された「水銀やカドミウム」の謎
 David Bressan
 © Forbes JAPAN 提供
 近年人気の健康メソッドの1つが、旧石器時代の人類と同じ食生活を送り、野草や野生動物のみを食べる「パレオダイエット」と呼ばれるものだ。しかし、9500年前の人々はかなり有害な物質を、食べ物から摂取していたことが明らかになった。
 2015年の研究で、約6500年前に北米沿岸で採られたタラに含まれていた水銀の量は、現在の上限値の20倍以上だったことが判明していた。この件をさらに深く調べるため、考古学者たちは沿岸に住んでいた人類の食生活について研究した。
 研究対象となった場所はノルウェー北部にある6300~3800年前の8つの遺跡で、ゴミ捨て場で発見されたタイセイヨウダラやタテゴトアザラシなどの骨が分析された
 その結果、タラの骨からは安全とされる上限値の20倍以上のカドミウムと、最大4倍の鉛が含まれていた。カドミウムは内蔵疾患を引き起こし、鉛は神経に影響を及ぼす。アザラシの骨には推奨値の最大15倍のカドミウムと、最大4倍の鉛、そして多くの水銀が含まれていた。
 水銀やカドミウム、鉛は、他の有害金属と同様に、岩や水の中に自然に含まれている。およそ2万年前の最終氷期極大期には海面が300メートル以上低く、大陸棚地域の多くが露出していたため、岩石が風化したり侵食されたりして重金属が土壌に流出した。
 その後の1万4000年から6000年前の最終氷河期の終わりごろ、海面が再び上昇し、それまで露出していた場所が浸水し、重金属は海水に溶け込んでいった。古代の人々は、海に流れ込んだ重金属を、魚を経由して摂取していたと考えられる。
 しかし、それが人々の健康にどのような影響を与えたかは分かっていない。ゴミ捨て場では魚やアザラシの骨が多く見つかったが、当時の狩猟採集民は多様な食べ物を摂取しており、それが重金属の有害性の中和につながった可能性もある。
 また、当時の人間の寿命が30~40歳だったため、重金属が体に影響を及ぼす前に死んでいたのかもしれない。研究者らは次のステップとして、当時の人骨の化学成分を分析し、骨に含まれる有害物質の量と、魚介類に含まれていた有害金属の量に相関関係があるかどうかを分析しようとしている。」
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 ケネウィック人。
 BIGLBEニュース「先住民か渡来人か? 「ケネウィック人」のルーツ論争が遂に決着!?=アメリ
 7月14日(火)20時15分 tocana
 1996年に米・ワシントン州ケネウィックのコロンビア川湖畔で偶然発見され謎の人骨——。「ケネウィック人」と名づけられたこの骨の生前の姿はインディアンの祖先なのか、あるいは別の場所からやってきた渡来人なのか、長く続いていた論争に一応の決着がつけられようとしている。
【その他の画像はこちらから→http://tocana.jp/2015/07/post_6797.html
 ■DNA分析「ケネウィック人はネイティブアメリカンの祖先である」
 デンマークコペンハーゲン大学の古生物学者エスケ・ウィラースレフ氏が主導する研究チームが6月18日の「Nature」オンライン版で発表した論文は、「骨の遺伝子を分析した結果、ケネウィック人はネイティブアメリカンの祖先である」と結論づけた。ネイティブアメリカンの中でも特にコルビル族(Colville tribe)ときわめて近い関係があり、ケネウィック人が直接の祖先であると考えられるということだ。
 アメリカで発見された9000年前の骨がネィティブアメリカンの祖先のものだった——。特に疑問もないことのように感じられるニュースだが、なぜこんなにも大きく報じられているのか......。そこには発見当初から巻き起こった激しい論争があったのだ。
 発見当初の「ケネウィック人」はせいぜい数百年前のアメリカ人の遺体と思われていた。頭蓋骨の形や高い鼻から白人のものだと見なされていたのである。
 しかし炭素年代測定を行なってみると9000年ほど前の古代人の骨ということが明らかになり、学者たちの注目を集めることになった。そこには、ケネウィック人がネイティブアメリカンよりも先にアメリカ大陸にいた"正真正銘の先住民"であるかもしれないという期待が無かったと言えば嘘になるだろう。
 しかしネイティブアメリカンの団体は、このケネウィック人は当然我々の祖先であると主張。開拓時代以前の遺体はネイティブアメリカンに帰属するため、その伝統に従ってこのケネウィック人は再び手厚く埋葬されなければならないというのが彼らの言い分だ。
 しかし、スミソニアン研究所のダグラス・アウズリー氏をはじめとする科学者たちはさらなる調査分析が必要であるとして、ケネウィック人の骨を研究継続のために保管すべきであると反論。これが最終的には法廷闘争に持ち込まれ、2002年に裁判所は、「ネイティブアメリカンの祖先がケネウィック人であるとは判断できない」として、科学者たちの言い分に軍配をあげることになる。上訴の末に2004年に再び同じ判決が下され法律上の決着を迎える。
 以来、長らくケネウィック人の骨は謎のまま学術資料として保管されることになったが、事が動いたのは昨年のことだった。今回の論文を発表したコペンハーゲン大学の研究チームが、ケネウィック人の骨のDNA調査に乗り出したのだ。そして昨年の段階で「ケネウィック人はネイティブアメリカンの先祖であることが濃厚である」という見解を発表している。この発表により、ネイティブアメリカンの団体、特にワシントン州居留地のある「コルビル族保護部族連合(Confederated Tribes of the Colville Reservation)」が再びケネウィック人の骨の返還要求を検討しはじめたのだ。
 ■ケネウィック人と一番近縁なのはやはりネイティブアメリカン
 しかしこれにはダグラス・アウズリー氏も黙ってはいなかった。
 「彼のデータは挙証にならない」としながら、ケネウィック人とネイティブアメリカンにとても近しい関係があるとするならば、他の古代人のDNAとも比較すべきだと研究の信憑性に疑問を投げかけている。そして仲間の研究者らと出版した共著『Kennewick Man: The Scientific Investigation of an Ancient American Skeleton』で、ケネウィック人は日本のアイヌ人およびポリネシア人と深い関係があると結論づけた。
 しかし今回のコペンハーゲン大学研究チームの論文では、ケネウィック人のアイヌ人およびポリネシア人との遺伝的関係性を否定している。
 「(ネイティブアメリカンの人々のDNAのほかに)我々は特にポリネシア人アイヌ人、ヨーロッパ人のDNAを入念に調べましたが、やはりケネウィック人と一番近縁だったのがネイティブアメリカンでした」と論文主筆のモータン・ラスムッセン氏は「Washington Post」の記事で言及している。頭蓋骨の形が白人種に似ているのはどうしてなのか? という疑問に対しては"単なる個体差"であるとラムッセン氏は説明している。
 2004年に判決が下りいったんは決着を見たはずの"ケネウィック人論争"はまたこうして再燃することになった。今後、ネイティブアメリカン団体が再びケネウィック人の骨の返還を求めて訴えを起こすかどうかに注目が集まる。
 ■ケネウィック人の骨が弔われる日は来るのか...
 実は近年、アメリカのネイティブアメリカンの団体と各地の博物館との関係は何かと物議を醸すものになっているという背景がある。
 1990年に米国で「先住民人骨遺物の返還」を定める「アメリカ先住民埋葬地保全返還法(Native American Graves Protection and Repatriation Act、NAGPRA)」が制定され、先住民族の遺跡などの発掘で収集された文化遺産を当該の先住民部族に返還する法律が制定され、特に先祖の"遺骨"は再び埋葬して供養しなければならないという部族の主張が受け入れられるようになった。しかし1994年にはハワイの「ビショップ博物館」の保管庫からハワイアンの人骨標本が謎の消失を遂げるなど、博物館と特定の先住民コミュニティとの間に秘密裏に取引が行なわれていた疑惑も浮上。その土地に根ざす先住民文化や貴重な歴史的・文化的史料を保存したい博物館側と、一刻も早く先祖の霊を弔いたい先住部族の側に様々な軋轢を生み出すことになった。2000年には古代ハワイアンの遺物を収集した「フォーブス・コレクション」をめぐって激しい返還闘争も起った。
 アメリカばかりではない。2012年にはフランス・パリの歴史自然博物館で展示されていたマオリ族のミイラの頭部20体がニュージーランドに返却されたり、イギリス・ロンドンの自然史博物館はこれまで展示していたオーストラリアの先住民・アボリジニの人骨をオーストラリアに返還することをこの3月に発表している。
 "ケネウィック人"と名づけられたこの遺骨もいずれ弔われる日がやって来るのだろうか。アメリカの人類学、歴史学を揺るがしたケネウィック人の先行きが気になるところだ。
(文=仲田しんじ)
 ※画像は「Indian Country」の記事より」
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