🎌14〕─1─日本の皇族・皇室には基本的人権がない。~No.103No.104No.105 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 現代の日本人は、昔の日本人の様に命を捨てても天皇・皇族、皇室・天皇制度を本気で守る気があるのか疑わしい。
 つまりは、口先論が多く、本心は別にある。
 その証拠が、国民世論=民意である。
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 2022年5月26 MicrosoftNews プレジデントオンライン「日本の皇族には「基本的人権」がない…その恐ろしい事実に日本人がまるで違和感をもたない根本原因
 © PRESIDENT Online 日本国際賞授賞式に出席された天皇、皇后両陛下=2022年4月13日
 日本の皇族には、人間が人間として当然持っている基本的な権利、つまり「基本的人権」がない。九州工業大学名誉教授の佐藤直樹さんは「そもそも日本語の権利や人権には『正しい』というニュアンスがない。権利や人権はタテマエだと思われており、だから皇族の基本的人権がないことにも、多くの人が違和感をもたない」という――。
 ※本稿は、佐藤直樹『「世間教」と日本人の深層意識』(さくら舎)の一部を再編集したものです。
 キリスト教の普及で「個人」の意識が誕生した
 法律上の「契約」という概念があります。
 これは『新約聖書』や『旧約聖書』にあるように、神との約束が原型です(『新約』は神との新しい約束。『旧約』は古い契約の意味)。
 法律上の契約は、そこからきているといわれています。
 欧米の場合、キリスト教が、近代法が成立するときに大きな影響を与えました。
 またアメリ憲法修正1条では、「政教分離」や「宗教の自由」や「表現の自由」がうたわれています。
 あれは明らかに、キリスト教の自由な布教のために、国家権力にその活動を邪魔されないようにすることを意味していると思います。それがアメリ憲法に反映された。
 憲法基本的人権がそこから生まれてきたわけです。人権は、個人とワンセットになっているものです。
 日本では「個人」と「社会」が生まれなかった
 では、個人が生まれなかったのは、日本だけなのでしょうか。
 世界標準は「一神教」といっていいと思います。一方、日本は「多神教」で、宗教的なあり方が異なっています(とはいえ、本書は「世間教」というある種の一神教である、という立場で述べていますが)。
 「社会」は、基本的に一神教を基礎にしてつくられています。おそらくイスラム教でも、神様との関係で個人が形成され、それで社会ができてきたという歴史があると思います。
 中国は儒教の影響がありますが、中国人はものすごく自己主張が激しい。あれは、個人だと思います。インディビジュアルです。そういう意味では、やっぱり中国も「社会」なのだろうと思います。
 韓国は3分の1がキリスト教徒です。つまり個人。韓国は儒教の影響もありますが、一神教の影響がものすごく強いところではないかと思っています。ですから個人と社会が生まれたのは、キリスト教の普及の影響が一番大きい。
 そしてもう一つは、「都市化」です。農村が解体して、農村の次男、三男が都市に流れていき、いろいろな仕事を新たにはじめました。都市でさまざまな人間関係を新しくつくっていくことになり、社会が形成されるきっかけになります。
 都市化は、日本にもやはり同じようにありました。
 第二次大戦後、集団就職で上京する若い労働者を「金の卵」といったりしましたが、その日本になかったのはキリスト教です。キリスト教が支配するという伝統が、歴史の中で日本にはありませんでした。そのため、個人と社会が生まれず、「世間」は維持されていったのです。
 明治になってようやく近代法が入ってくる
 統一国家が成立する前の中世ヨーロッパは、法分裂の時代であるといわれます。
 法は地方法、領邦法、都市法、家人勤務法、荘園法などに分裂し、同じ地域に種々の法が並立して存在していた。とにかくいろいろな法律があったわけですが、その後近代国家に統一されてゆく過程で整理され、憲法などの近代法ができます。
 一方、日本でも江戸時代には、幕府の武家諸法度とか、伊達藩など各藩が定めた藩法もありました。が、これらは一応法とはいえますが、近代法とはまったく別のものです。
 すでにふれたように、日本に近代法が入ってくるのは明治時代です。
 現在の日本に「人権はない」といえるワケ
 近代法の重要な概念として、「権利」や「人権」という言葉がありますが、「権利」という言葉は「Right」の翻訳で、「Human rights」が「人権」です。
 江戸時代にはなかった言葉・概念ですから、それを翻訳したわけですけれども、では、現在の日本に権利、人権があるかといわれれば、はっきりいって、ないと思います。
 辞書を引けばすぐわかりますが、英語の「Right」は、権利以外にもう一つ「正しい」という意味があります。「You are right.」といったら、「あなたは正しい」。権利を持っているだけで正しいわけです。
 でも、そういうニュアンスが日本語の権利の中にはない。人権ももちろん「正しい」権利です。
 「感染者差別は人権侵害ですよ」が通じない
 ところが日本人の感覚では、「あいつは権利ばっかり主張する嫌なヤツだ」みたいな言い方をふつうにするわけです。日本語の権利には「正しい」というニュアンスがほとんどない。
 それゆえ、人権にも「正しい」というニュアンスがない。「人権屋」などと蔑むような言い方をしたりします。
 プロローグで、長電話をするドイツの男性が「私には権利がある」といったエピソードを紹介しましたが、日本人はふつう生活の中で「私は権利を持っている」とはいわないし、ましてや「あなたには権利がある」なんていいません。
 そこが、個人と社会のあるエリアと全然違うところで、依然として、本来の意味での「人権」とか「権利」という概念が定着していない。
 いくら法務省が「感染者差別は人権侵害ですよ」といっても、誰もそんなことは信じていない。困ったことに、そういうことが日本では依然として起きているのです。
 法律よりも世間のルールが大切
 現代の日本は、人権侵害が頻発するような状態になっています。
 やはり法律より「世間」。人々は「世間のルール」を信じているので、「人権侵害」といわれても、そんなことはまるで念頭にない。
 日本人が人権という言葉を本格的に聞いたのは、憲法の「基本的人権」によってでしょう。それまでは、一般的ではなかったし、憲法自体も、敗戦によって、いわば上から降ってきた憲法です。人々が勝ち取ったものじゃない。
 フランス革命も、アメリカの独立革命もそうですが、憲法というものを彼らは血を流して勝ち取っています。血で血を洗う争いをやって勝ち取ったという意識が、いまだに非常に強い。だから権利を侵害されたとなれば、デモなどで徹底抗戦するのです。
 日本人はその感覚が全然ないわけです。これは当たり前といえば当たり前の話で、「世間教」を信じるこの国では、初めから「法のルール」というものはタテマエだったのです。当然のことに、憲法基本的人権だっていまだにタテマエなわけです。
 日本の皇族には基本的人権がない
 日本の皇族には、基本的人権がありません。また天皇・摂政だけですが、犯罪をおかしても訴追されません。
 秋篠宮家の長女、眞子さんの結婚の際には、外野がやめろ、やめろ、許さない、みたいに大騒ぎをしましたが、そういうこと自体が基本的人権の侵害ではないのでしょうか。
 日本には皇室があり、イギリスには王室があります。天皇制は他の国の王室となにが違うかというと、歴史の長さが違うというのが一つあります。
 もう一つは神との関係です。エリザベス女王にはイギリス国教会というものがあって、神が存在します。一神教ですから、神は一人しかいないし、当然のことながら女王は神ではない。
 ところが、戦前の天皇は「現人神(あらひとがみ)」だった。これは、「この世に人となって現れた神」という意味で、人間ではなく神そのものだったのです。天皇という存在が頂点にあって、それと一体になっているのが「世間」です。
 「世間教」の教義の一つに、「身分制」ルールがあります。
 この身分制の中で、一番身分が高いのは天皇。そこからミルフィーユみたいに、重層的にずっと下まで、上下の身分というものが積み重なっている構造になっているのが日本です。そのいちばん下に存在しているのが被差別部落の人々となる。
 「世間」においては、天皇被差別部落が表裏一体となっているのです。部落問題の根底には、「世間教」の「身分制」が存在しているわけです。
 法律的に矛盾を抱える天皇
 ところで、憲法の1条から8条までは天皇の話ですが、この部分で例えば2条には、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とあります。つまり、天皇というお仕事は世襲であるといっている。
 ところが、同じ憲法にある「職業選択の自由」を規定する22条は、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」とあります。
 そうすると天皇は自由に自分の職業を選べないのだから、天皇世襲制を規定する2条は、22条の「職業選択の自由」に反しないのか。
 これは日本の憲法の中に、世襲制という本来は「世間のルール」であるものと、基本的人権としての「職業選択の自由」という「法のルール」が、矛盾をかかえながら混在していることを意味していると思います。
 なぜ天皇だけそんな特別扱いをするのか。天皇は「世間のルール」である「身分制」の頂点に立つ、そういう特殊な存在だからです。日本の天皇制というものは、非常に不思議な制度です。そこのところが、他の国の国王とは決定的に違う点です。

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 国家と民族の成立は、日本とヨーロッパと中国・朝鮮とでは三者三様で全然違う。
 現代の日本人には、その歴史的事実が理解できない。
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 世界の開かれた王家とは、人種・民族、出自・出身、身分・家柄、血筋・血統に関係なく、個人の才能・能力・実力で即位できる事である。
 王位の正統性は、宗教による王権神授説・帝位神授説である。
 王位の正当性は、憲法・法律による社会契約説である。
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 世界の王国・帝国は、自国民でなくても他国民でも国王に即位させ、他国の女性でも自国の女王・女帝に即位させた。
 そこには、外国人に対する偏見や差別は存在しなかった。
 その意味において、日本の皇室は閉ざされた王家として世界の非常識で、人種差別・民族差別・宗教差別そして女性差別を含んでいる。
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 西洋諸王国の即位する正当必須条件とは、人種は白人、民族はゲルマン系、宗教は西欧キリスト教、職業が王族か軍人、人物・才能・能力優先で血筋・家柄・身分・階級は二の次、女性でも即位可能である。
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 イギリスの歴代国王の出身部族は、先住民ケルト人を征服したアングロ・サクソン系、ノルマン系、フランス系、スペイン系、ドイツ系であった。
 ヴィクトリア女王の共同統治者である夫アルバート公子は、ドイツ人でザクセンコーブルク=ザールフェルト公エルンスト(後のザクセンコーブルク=ゴータ公エルンスト1世)の次男。
 イギリス人のヴィクトリア女王は、インド皇帝を兼ねてインドを統治した。
 女王エリザベス2世の夫フィリップ (エディンバラ公)は、ギリシャ人(古代ギリシャ人との血の繋がりはない)でギリシャ王家の王子。
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 ロシア皇帝エカテリーナ2世は、ドイツ人でプロイセン軍少将の娘。
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 メキシコ皇帝マクシミリアンは、ドイツ人でオーストリアハンガリー皇帝フランツ=ヨゼフ1世の弟。
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 オーストリア皇帝は、スペイン国王を兼ねた。
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 スペイン国王は、ポルトガル国王を兼ねた。
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 フランス・平民階級出身のジャン=バティスト・ベルナドット将軍は、スウェーデンノルウェー連合王国国王に即位してカール14世ヨハンと名乗った。
 スウェーデンの政治家や国民は、フランス人国王を認め受け入れた。
 フランス・マルセイユの絹商人フランソワ・クラリーの末娘デジレ・クラリーは、ベルナドット将軍と結婚して王妃となる。
 カール14世ヨハンとクラリー王妃の王太子がオスカル1世として即位し、フランス系ベルナドッテ王朝第2代のスウェーデン国王およびノルウェー国王となった。
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 ギリシャは、15世紀以後イスラム教国オスマン帝国に支配されていたが、1829年に独立戦争に勝利し、1832年にキリスト教ギリシャ王国を建国して独立した。
 ギリシャ国会は、国王に南ドイツ・バイエルン王国を支配するヴィッテルスバッハ家出身のオソン1世を迎えた。
 ギリシャ軍は、1862年にクーデターを起こしてドイツ人オソン1世を退位させた。
 ギリシャ国会は、次の国王にデンマーク王(グリュックスブルク家)クリスチャン9世の息子ヴィルヘルムが迎えた。
 1863年 ヴィルヘルムは、ギリシャ正教に改宗してゲオルギオス1世として即位し、王妃にロシア大公女オリガ・コンスタンチノヴナを迎えた。
 男ドイツ系女ロシア系のグリュックスブルク朝ギリシャ王国は、1974年までギリシャを統治した。
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 グリュックスブルク家は、オルデンブルク家の流れを汲む由緒ある名家で、現在のデンマーク王国ノルウェー王国の王家で、一族からはギリシャ国王も出している。
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 オルデンブルク朝は、1448年から1863年まで続いた、デンマークを中心とした北欧の王朝で、祖先はドイツ・ニーダーザクセン州オルデンブルクの出身であった。
 オルデンブルク伯エギルマール1世(1108年没)はザクセン公家の家臣であったが、1180年に独立した。
 オルデンブルク家は、13世紀に同家はオルデンブルク伯系とデルメンホルスト伯系に分かれたが、15世紀前半のオルデンブルク伯ディートリヒがデルメンホルスト伯の女相続人アデルハイトと結婚し、デルメンホルスト伯領は本家に復帰した。
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 ウィキペディア
 ケルト人は、以前は中央アジアの草原から馬と車輪付きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパに渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派の言語を用いていた民族であると考えられていた。ケルトとは古代ローマで「未知の人」を意味し、もともとは民族を示す言葉ではない。
 大陸のケルト
 ケルト人はおそらく青銅器時代に中部ヨーロッパに広がり、その後期から鉄器時代初期にかけて、ハルシュタット文化(紀元前1200年 - 紀元前500年)を発展させたと考えられてきた。当時欧州の文明の中心地であったギリシャエトルリアからの圧倒的な影響の下、ハルシュタット文化はラ・テーヌ文化(紀元前500年 - 紀元前200年)に発展する。ちなみに、イギリスの世界遺産であるストーンヘンジはより古い新石器時代青銅器時代(紀元前3千年~2千年) の建造と以前は考えられていた。
 島のケルト
 ケルト人がいつブリテン諸島に渡来したかははっきりせず、以前は鉄製武器をもつケルト戦士集団によって征服されたとされていたが、遺伝子などの研究から新石器時代の先住民(ケルト以前の巨石文化の担い手)が大陸の文化的影響によって変質したとする説もある。いずれにしてもローマ帝国に征服される以前のブリテン島には戦車に乗り、鉄製武器をもつ部族社会が展開していたがこれらはケルト人とはいえない。
 現代のケルト系諸言語
 ケルト語派の言語が話される国はアイルランドスコットランドマン島ウェールズ、及びブルターニュである(これにコーンウォールを加えることもある)。しかし、その5ヶ国の人々の中で、まだケルト系言語を使って日常的生活を送る人の数は30%程度を超えない。
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 ゲルマン民族は、東方の文明・文化を持たない野蛮な蛮族であった。
 現代の西洋白人は、ゲルマン人の子孫である。
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 インド・ヨーロッパ語族は、東はインドから西はヨーロッパまでの起源を共有する言語で、イタリック語派(現代のロマンス諸語)、ゲルマン語派、スラブ語派 、インド語派(インド–イラン語派)など幾つかの語派が存在する。
 イタリック語派の一つであるラテン語には、古代ローマ帝国時代に民衆が話していた俗ラテン語(ラテン口語)があり、後にローマ・カトリック教会が正式に使用していた公用語である古典ラテン語がある。
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 古代ローマ時代、アルプス山脈の北、ピレネー山脈ライン川の間のガリアにはケルト人が居住していた。
 紀元前58年頃 カエサル(英語名シーザー)はガリアを侵略し、ケルト人のガリアとブリタニアゲルマン人ゲルマニアを征服してローマの版図を広げた。
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 古代ローマ帝国は、広がった帝国属領に総督・軍団長を派遣して支配しが、皇帝の権威が弱まると地方の総督・軍団長が帝位を求めて反乱を繰り返した為に帝国は弱体化し、有力な総督・軍団長が皇帝に即位し帝国はさらに衰退した。
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 4世紀頃から6世紀頃まで、ヨーロッパではゲルマン人による民族の大移動が起きていた。
 476年 西ローマ帝国は、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルの反乱で滅亡した。
 その後の異民族の侵略で、ローマは大火に包まれ大虐殺で死者の都となった。
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 ザクセン人(サクソン人)は、ゲルマン民族のうち西ゲルマンに属する一部族で、ゲルマン民族大移動でエルベ川北岸のホルシュタイン一帯に移住して定着し集落を営んだ。
 2世紀から4世紀にかけて徐々に生存圏を拡大していった。5世紀には一部のザクセン人がユトランド半島のアングル人・ジュート人と共にイギリスに上陸し、いわゆるアングロ・サクソン人の元となった。
 ザクセン人は、ザクセン公家として、中世から近世にかけて北部ドイツ地方一帯を支配してザクセン公国を樹立した。
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 フランク人は、ゲルマン民族の一部族で、民族大移動でフランス北部とベルギーに移住し、5世紀末に原住民のケルトガリア人(ゴール人)を攻めて征服してメロヴィング朝フランク王国を建てた。
 ヨーロッパの階級ピラミッドの原型は、征服した部族によって積み重ねられて築かれた。
 732年 メロヴィング朝の宮宰カール゠マルテルは、イベリア半島から侵略してきたイスラム軍をフランク領トゥール゠ポアチエで撃破して宗教侵略からキリスト教とヨーロッパを守り、メロヴィング朝における統治権を握った。
 751年 カール゠マルテルの子ピピン(小ピピン、短軀王。)は、フラン国王の王位を簒奪し、メロビング朝を廃してカロリング朝を開いた。
 768年 ピピンの長子シャルルマーニュ(大ピピンカール大帝、チャールズ大帝。)は、ザクセン公国と北イタリ・ランゴバルド王国(東ゲルマン族の一部族ランゴバルド人)を滅ぼして中部ヨーロッパとイタリアに領土を拡大してゲルマン諸部族をまとめ、イスラム勢力をピレネー山脈以西に追いやり、800年にローマ教皇から西ローマ皇帝の冠を授かり西洋キリスト教文明世界の守護者に任じられた。
 フランク王国が、現代ヨーロッパの原形であり、西洋キリスト教文明を成立させた。
 フランク王国は、後に西フランク(フランス)、東フランク(ドイツ)、中部フランク皇帝領(イタリア・オランダ・ベルギー)に3分割され、後に数多くの王国や公国が建国され領土を巡る戦争を繰り返して起きたが、再統一される事はなかった。
 ヨーロッパ人とは東方の侵略者・征服者ゲルマン民族の事で、古代ギリシャ古代ローマ古代ローマ共和国、古代ローマ帝国との直接的な繋がりは薄い。
 ヨーロッパ人に正統な統治者としての権威を与えたのは、西欧キリスト教文明のローマ・カトリック教会であった。
 当時、現代のようなフランス人、ドイツ人、イタリア人、オランダ人、その他の人々は存在しなかった。
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 ヨーロッパを政治的に統合されたのがEU(欧州連合)であるが、イギリスは離脱した。
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 962年 ドイツ王オットー1世は、ローマ教皇ヨハネ12世から皇冠を戴いて神聖ローマ帝国を建国し、西洋キリスト教文明圏の保護者となった。
 現代に繋がる欧州大陸部であるドイツ、フランス、イタリア、その他の諸国は、この混乱状況の中から建国され、各民族や諸国民が生まれた。
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 ヒトラーが自称した第3帝国ナチス・ドイツとは、アーリア人ゲルマン民族ドイツ人の事である。
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 ローマ教皇に即位する絶対条件は、西洋系欧州系白人男性である事であった。
 コンクラーベ教皇選挙会議)を構成する枢機卿になる資格は、敬虔な経験と教会活動の実績があれば人種や民族は問わないが、性差別として女性には資格が認められていなかった。
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 皇室の血族優先(ネポティズム)は、血縁・地縁による依怙ひいき、縁故、身びいきとは違う。
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 中国・朝鮮は、公・忠より私・孝を優先する一族・家族中心の宗族主義で、公然と賄賂による不正が蔓延る依怙ひいき、縁故、身びいきである。
 楊逸「王朝時代の中国は、『家国』意識が強かった。漢王朝は『劉家天下』、唐王朝は『李家天下』と、国土と人民も皇帝家の『私有物』という考え方でした。」
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 黄河文明を創った農耕民の漢族中国人による中華王朝は、三国時代と司馬朝晋までの古代の諸王朝、趙朝宋王朝、朱朝明王朝で、その他は北方・西方の遊牧民の異民族征服王朝であった。
 異民族征服王朝時代、漢族中国人は奴隷であった。
 東方の朝鮮人は、一度も中華帝国をつくった事なく、中華帝国の属国の地位に甘んじ、礼法の国として、命じられるままに宮廷内奴隷(宦官)や宮廷内慰安婦(キーセン)を数を揃えて献上していた。
 南方の越南人(現・ベトナム人)には、中華世界には関心がなく、むしろ幾度も侵略してくる中華帝国の侵略と熾烈な防衛戦争を繰り返していた。
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 中国皇帝は、漢族中国人だけでなく人種・民族、宗教、出自・出身、身分・家柄、血筋に関係なく能力があれば誰でも即位できた。
 それは、朝鮮半島の諸王朝・諸王家でも同様であった。
 禅譲放伐
 中国皇帝の正統性は、儒教道教の天人相関説・受命思想で、天(天帝)の子であり天命により天下を治める事が認められる。
 天命を失って帝位を去った旧帝室の一族は皆殺しにされ、旧主に忠誠を誓う者は女子供に関係なく家族全員・一族全員・身近に住んでいた住民も含めて大虐殺された。
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 戦前までの天皇・皇族、皇室は、命は大逆罪で、名誉は不敬罪で守られていた。
 現代日本では天皇・皇族、皇室を守る特殊な法律はなく、あるとすればプライバシー侵害・スキャンダル捏造・事実に基づかない悪意報道などに対する名誉毀損罪や侮辱罪などの軽犯罪であるが、国民を犯罪者・罪人として告発する事ができない。
 世界史における事実として、王侯貴族が正当な理由で国民・領民を告発したせいで、逆に国民世論が反王侯貴族となって暴動から革命に発展し王朝・王家・貴族が追放されるか処刑された例は数多存在する。
 故に、戦後の天皇・皇族、皇室は反天皇反民族反日本的な悪意に満ちた報道に耐え忍び、我慢を強いられて美智子上皇后陛下も雅子皇后陛下秋篠宮家紀子殿下その他の皇族も精神的苦痛から病気になられた。
 だが、そうした悪意の記事を載せた雑誌はよく売れ、敵意に近い酷評を書き込んだSNSのクイック数・閲覧数は増加し、如何に日本人の関心が高いかを示している。
 現代の日本人とは、昔の日本人とは違うのである。
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 一部の日本国民は、天皇・皇族、皇室を税金泥棒・穀潰し、特権階級・上級市民、その他と口汚く罵っている。
 彼らの多くが、政治家、官僚、学者、教育者、メディア関係者などの高学歴な知的エリートや進歩的インテリに存在する。
 そして、彼らには民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はない。
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 日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは、昭和天皇や皇族を惨殺する為に付け狙っていた。
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 昭和天皇肖像画の写真を燃やす動画が日本の現代アートに、賛成する日本人が多数で、反対する日本人は少数であった。
 昭和天皇は、歴代天皇の中で最も日本人に嫌われている天皇である。
2020-02-18
🦲4〕─18─表現の自由。日本の現代アートは「人の写真(例えば皇族の写真)を燃やす」こと。〜No.19  
2020-11-07
🦲4〕─21─あいちトリエンナーレ2019。愛知県知事リコール運動敗北。〜No.22 
2021-10-14
🦲4〕─24─昭和天皇肖像燃やす動画と「表現の不自由展かんさい2021」。〜No.25 
 韓国・北朝鮮中国共産党アメリカ、ロシア、その他、多くの国々は昭和天皇ヒトラーと同罪の非人道的戦争犯罪と認めている。
 アメリカの一部では、昭和天皇が住んでいる東京・皇居の上に原爆を投下して焼き殺す事を望んでいた。
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 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
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 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
 八百万の神々の正統な神性は、天皇神話は保証している。
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 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
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 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
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 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、1,神の民族神話、2,人類の文明発展・進化・進歩、3,人間の英雄伝説の3つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
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 神代の民族固有神話を持っている国家や国民は、古代の古層を受け継ぐ日本以外に存在しない。
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 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻し、幸せと豊かさを求めたムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、いつ終わるか分からない弥生の大乱に辟易とした古代日本民族が、争いを避け、起きた争いを短期間で終わらせ、偽りでもいいから平穏無事を維持する為の歴史的叡智である。
 つまり、白黒を、善悪を、正邪を、ハッキリ区別しない為の宗教的正統な万世一系の男系父系天皇制度であった。
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 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中にはより過激に無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 徳川幕府は、目の見えない視力障害者・検校が行う高利貸しを保護していた。
 検校の中には、御家人株を買って子供を武士にし、上司や同輩に賄賂を贈っていた幕臣にしていた。
 百姓や町人も、金を使って武士の身分を手に入れ、才覚で町奉行勘定奉行などの役職について出世した。
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 数千年前の弥生時代古墳時代から、日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
 そんな文化力の天皇の御威光を滅ぼうと忍び寄ってきたのが、キリスト教の宗教とマルクス主義共産主義イデオロギーであった。
 そして、現代日本人は日本のグローバル化の為にローカルな日本の文化力をゴミのように捨てようとしている。
 反天皇反民族反文化的行動を行っている日本人の多くが高学歴な知的インテリや進歩的インテリ達である。
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 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 レーニンは、世界人民革命戦略から、中国共産党日本共産党など極東アジア共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
 つまり、軍国日本が戦った日中戦争や太平洋戦争はレーニンが仕組んだ謀略であった。
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 スターリン日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
 イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
 ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党共産主義者にも同様の文言を送った。
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 昭和7(1932)年 ソ連コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
 日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を惨殺して大虐殺を伴うロシアのような共産主義暴力革命を起こすべく活動を本格化させた。
 そして、キリスト教朝鮮人テロリストも天皇と皇族を惨殺するべく暗躍した。
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 良い日本人は2割、悪い日本人は3割、良くも悪くもなく信念を持たず同調圧力付和雷同的に流される日本人は5割。
 右翼・右派・ネットウハと左翼・左派・ネットサハは、悪い日本人である。
 戦後民主主義教育で、そうした日本人が急増した。
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 日本人は、惻隠の情を持ち心優しく親切である、はウソである。
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 日本人は、いい事もしたが悪い事もした。
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 日本は世界で信用されている、日本人は世界で愛されている、はウソである。
 日本は世界で信用されていない、日本人は世界で嫌われている、は本当である。
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 日本人は賢く優れいている、はウソである。
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 自慢して自惚れる日本人は、醜悪なほどに愚かである。
 日本人は、しょせん、猿マネである。
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 日本人は、過度に褒めるとバカになり、おだて持ち上げると調子に乗って図々しくなる。
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 日本人の本性は、論より証拠、百聞は一見にしかず、現代日本人を見ていればわかる。
 その代表的な現代日本人とは、高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、親中国派・媚中派である。
 現代の日本人と昔の日本人とは別人のような日本人である。
 現代の日本人は、武士や庶民でもなければ、武士や庶民の子孫でもない。
 現代日本には、民族的な武士や庶民は存在しない。
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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日・知日は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日・敵日・侮日は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国、韓国・北朝鮮
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子の軽はずみな戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
 渡来人の中国人や朝鮮人には、皇室に対する畏れはなく、天皇や皇族を殺す事に罪悪感はなかった。
 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や差別はここから始まっている。
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 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
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 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
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 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
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 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
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 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
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 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。
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