🚣5〕─1─3万年前に最初の「日本人」が乗り越えた大きな壁。〜No.17No.18No.19 

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 出アフリカで世界中に散らばった人類は、移動する先で海・川組と陸地組の二つに分かれ、海・川組は舟で速く遠くまで移動し、陸地組は歩いて少しずつゆっくりと移動した。
 より速く、より遠くへ、それが船乗りであった。
 海・川組は、陸に上がって歩いて移動する事はあった。
 陸地組は、目の前に現れた山脈・深谷・森・砂漠・他を歩いて越え、川を下り湖や入江を筏で渡る事はあっても、舟で海に乗り出す事はなかった。
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日本人はどこから来たのか? (文春文庫)
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 2022年3月15日 「3万年前に最初の「日本人」が乗り越えた大きな壁
 丸木舟で最強クラスの海流を超える
 海部 陽介東京大学総合研究博物館 教授
 「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」代表プロフィール
 あなたは、日本史の授業で「氷期の頃の日本とアジア大陸は陸続きだったので、最初の日本人はナウマンゾウを追って陸路を歩いて日本にやってきた」と教わりませんでしたか?
 じつは、最近の研究でこの説が「誤り」だということがわかったのです。では、太古の日本人はどうやって来たのか。彼らが小舟を漕ぎ、命がけで荒波を越えた姿を再現しようとする冒険が、昨夏におこなわれました──。
見えない島を目指した祖先たち
 最新の研究によって、日本史のはじまりは3万年以上前にさかのぼること、そしてそれは壮大なドラマだったことが、わかってきました。最初の日本列島人は、その頃、困難な海を越えてこの土地へやってきたのです。
 祖先たちはなぜ、どのような挑戦をしたのか──実態を探るため、国立科学博物館は、2019年夏に、推定される古代の舟で実験航海をおこないました。
 実験航海の様子
 私たちが実験の舞台に選んだのは、琉球列島の海。沖縄島を中心に広がるこの列島のほぼ全域に、今から3万5000~3万年前に突然人が現れ、遺跡を残しました。
 島へ渡ってきたのは、ホモ・サピエンス。つまり“私たち”です。それは、縄文時代より前の、「後期旧石器時代」と呼ばれる時代の出来事でした。
 しかし不思議です。琉球の海は、今も昔も「超」をつけるべき難関。ここには、秒速1~2メートルで流れる、世界最強クラスの海流である黒潮が入り込んでいます。
 そして100~200キロメートルを越える2つの海峡(台湾~与那国島宮古島~沖縄島)では、相手の島が水平線の向こうにあるため、目標が見えない航海に挑まざるを得ません。それでも祖先たちは、こうした海に乗り出し、越え、これらの島々に暮らすようになりました。
 では、3万年前の海は渡るのが簡単だったのでしょうか? 古海洋学などの証拠は、決してそうではなかったことを示しています。琉球列島の海は昔も今とほぼ同等に広く、黒潮も間違いなく存在していました。
 「古代史の常識」に潜む1つの誤解
 こう聞いて、違和感を覚える方がおられるかもしれません。「当時の人は、その時存在した陸の橋を歩いて、大陸から渡ってきたのではないか」と。
 確かに一昔前はそう信じられていたのですが、地質学、古海洋学、人類学、考古学などの研究が大きく進んだ今では、この説は誤りであったことがわかっています。
 「旧石器人が海を渡ったとしても、それは漂流によるものだったのでは」と疑ってみることも、必要でしょう。私たちはいくつかの検討をおこない、漂流物のデータなどを調べた結果、その可能性はとても低いということを突き止めました。
 漂流ではなかった Illust by Getty Images
 つまり、最初の日本列島人は、意図して島を目指した「航海者」だったと考えられるのです。
 これは、私たちが今まで想像していた祖先像と、どうも違います。3万年以上前に、ホモ・サピエンスの男女の集団による壮大な海への挑戦があり、そこから日本列島の人類史がはじまったようなのです。
 アジアにおける人類史を研究していた私は、このはじまりの歴史に、とても興味を覚えると同時に、この知られざる過去を徹底的に調べたいと思うようになりました。
 ご先祖の舟って、どんな舟?
 そこからスタートしたのが、日本の国立科学博物館と台湾の国立台湾史前文化博物館が共同で実施した「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」。
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 舟の候補は、3種類
 約60名の研究者、探検家、運営スタッフが協力し、「完全再現」は無理でも、現代人の知恵と工夫で「徹底的に突き詰めて可能な限り再現」しようという試みです。
 2度のクラウドファンディングで6000万円近くを集めて実現した、一大プロジェクトでした。
 『サピエンス日本上陸 3万年前の大航海』では、その一部始終を記しましたが、ここでその一端を紹介します。
 旧石器時代の舟は遺跡に残っていないため、それを絞り込む実験から、プロジェクトがスタートしました。
 候補となるのは、草・竹・木の3種類。それぞれを試作し、黒潮の海を越えられるか海上でテストします。
 2016年の与那国島での実験では、草の舟が浮力に優れ、高い安定性を示すことに驚かされました。
 ヒメガマという草で作った舟・どぅなん号とシラス号
 2017~2018年に、台湾で原住民のアミ族の方々に作ってもらった竹のいかだ舟は、山での竹の探索、伐採、運搬、前処理、組み立て、維持などの工程に予想外の時間と労力を要することを知り、奥深さを実感しました。
 これらは海に出る前にすべきことを教えてくれた、得難い経験でしたが、残念ながらどちらの舟も強大な黒潮に行く手を阻まれ、海上でのテストはうまく行きませんでした。
 2つの舟がうまくいかず、最後に残ったのは、当初ありえないと考えていた丸木舟。しかし旧石器時代の石斧で、直径1メートルの木の伐採が可能であることが確かめられ、私たちはこの最後の可能性に、プロジェクトの命運をかけることになりました。
 太古の祖先の冒険に、ロマンを感じる
 さらに台湾から「見えない」とされていた与那国島が、本当は現地の山から見えることを現地調査で確認し、黒潮の海を何度も体験して、私たちは、「祖先たちがどのように島を発見し、どのように黒潮の海を知り、どういう作戦を立てて島を目指したか」というシナリオを作っていきました。
 そうして2019年の夏に挑んだ、台湾から与那国島を目指す200キロメートル以上の実験航海は、現代の道具を使わず、星や波から方角を探る古代ナビゲーションによる航海です。
 それは当初想定を大幅に上回る45時間をかけ、予期せぬ荒れた海、曇天で星が見えない厳しい夜をくぐり抜け、睡眠不足の中、いつまでも島が見えない不安に悩まされた男女5人が、最後は見事に島にたどり着いた、感極まる冒険でした。
 ついに与那国島にたどり着いたプロジェクトチーム 〈写真:太田達也〉
 太古の祖先たちも、こうして島へやってきたのかと想像すると、思わず胸が熱くなります。
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