🎍7〕─1─古代の地名が示している「古代豪族」が得意とした”技能”とは?~No.17 

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 2022年9月1日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「古代の地名が示している「古代豪族」が得意とした”技能”とは?
 写真・図表:歴史人
 大和王権が確立し、国家としての体制を作り上げる4世紀から6世紀にかけて、各地で実力を蓄積していた豪族たちとは、どんな集団だったのだろうか? 紀伊の国を中心とした岩橋千塚古墳群を歩きながら、考えてみたい。
 豪族たちの勢力範囲は現在の行政区分を外して広く考えてみよう
 奈良県大阪府には巨大な大王墓が群れをなして残されています。
 そして、その王権を支えた大豪族たちの存在の痕跡は、大王墓エリアを囲むように広大な地域に残されています。
 例えば、和歌山県北部を東西に流れる紀ノ川周辺にも、古代に繁栄した人々の営みの跡が数多く残されています。
 古代には大阪府奈良県和歌山県といった行政区画はありませんので、豪族たちの勢力範囲はもっと広大な区域として理解しなければなりません。
 奈良県中西部には葛城市(かつらぎし)と御所市(ごせし)があります。
 そして地名の語源は不明ですが、和歌山県の北部にも「かつらぎ町」と「ごせ」という場所が現在もありますし、大阪府北部の高槻市には「御所の町(ごしょのちょう)」もあります。
 地名の語源を調べても良い資料に出会えませんでしたので何とも言えませんし、短絡的に古代と結びつけるのは危険でもありますが、気にはなります。
 大阪府茨木市には「奈良」という地名もあります。ここには一応のいわれがあって、奈良から春日大社を招聘して「奈良春日大社」としたのが語源だといわれていますが、渡来人の大根拠地だった、茨木市から高槻市にかけての三島地域に「ナラ(朝鮮語で「国」の意味)」という地名があるのはなんだか魅力的です。
 また、奈良県桜井市や京都などには「出雲」という地名もあります。
 地名は後の時代に移動したり変わったりすることがよくありますので、そのまま古代史に重ねるのは危険です。例えば『魏志倭人伝』から邪馬台国の位置を探るときに、糸島半島が伊都國(いとこく)で、松浦半島に末盧國(まつらこく)を比定するのも危険だと私は考えています。
 和歌山県にも「伊都」という地名が今もあります。他にもあるでしょうね。
 遺跡から探れる職業特性を持った豪族の根拠地
 しかしながら、古代豪族名が地名とリンクすることも枚挙に暇なく、古代の何らかの事情を現代に伝えている場合が多いのも事実です。
 それらを見抜く眼力が私にはありませんが、古代に栄えた地域には必ず痕跡としての遺跡が存在しています。それらを俯瞰して大胆に眺めると、大和王権を支えた各地域の豪族の役割も何となく見えてきます。
 例えば農業で食料を大量に生産する豪族、製鉄金属加工に長けた豪族、造船外洋航海に長じた豪族、武力を誇る豪族、外交ルートを持つ豪族、神々を司る豪族、製塩や狩猟に適した地域を支配する豪族などなど、王権を支える得意分野を誇る豪族集団が広い地域に存在します。
 中でも食料生産技術と製鉄加工技術、遠洋航海術、そして強大な武力を持つ豪族集団は大切にされたに違いありません。
 みなさんがお住いの地域にある遺跡から、どんな豪族の根拠地だったのかを探るのも面白いでしょう。
   柏木 宏之」
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