🎍4〕─1─歴史教科書の“嘘”と多様な古代史。「中央集権」は形だけ。~No.8 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 ナラのヤマト王権が日本を統一するまでは、日本全国には大小幾つもの王国が存在して覇を争い、特に九州や中国地方の諸王国は中国大陸や朝鮮半島の反倭国反日)敵対勢力との関係を持ってヤマト王権と反目していた。
 中国大陸や朝鮮半島の反倭国反日)敵対勢力が脅威と感じるのは、ヤマト王権による日本統一で、分断・分裂による反目で群雄割拠の戦乱と混乱状態が好ましかった。
 ヤマト王権の下で日本を統一するか、中国や朝鮮のように諸王国が戦争を繰り返す混乱状態を続けるかであった。
 ヤマト王権・日本天皇による日本統一が周辺諸国に如何なる影響をもたらしたかは、歴史が証明している。
 それ故に、反日敵日の周辺諸国とのつながりを持った反天皇反民族反日本的日本人は古代から存在していた。
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 ヤマト王権には、日本を統一するまで日本を支配し統治する正統性はなかった。
 中国や朝鮮の支援を受けた九州や中国地方の諸王国が日本を統一すれば、日本は統一新羅以降の朝鮮と同じ運命を辿った事であろう。
 つまり、倭国の運命はヤマト王権大和朝廷)・ヤマト大王(日本天皇)にかかっていた。
 それは、無能な渡来人を排除し、有能な帰化人のみを登用し適材適所で日本統治に活用するかであった。
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 2022年9月7日 MicrosoftNews 現代ビジネス「「中央集権」は形だけ、最古の貨幣「和同開珎」は鉄クズ! 歴史教科書の“嘘”と多様な古代史
 本郷 和人
 「一つの国家としての日本」は本当なのだろうか。
 「一つの言語」「一つの民族」「長い歴史と伝統のある国」……それは歴史の一側面に過ぎないのではないか。
 そう考え始めたきっかけは、歴史教科書の“嘘”。歴史学者として40年以上のキャリアを積み重ねた今、本郷和人氏が考える、多様で豊かな“たくさんの”日本史とは? 新刊『歴史学者という病』から抜粋します。
 (※本稿は本郷和人歴史学者という病』を一部再編集の上、抜粋しています)
 歴史教科書には「嘘」が交ざっている
 おそらく会社勤めの方ならば共感してくださるのではないかと思うが、40代も後半に差しかかってくると、自分が最終的にどのようなポジションに達し、どのようなコースを歩むのかが分かってくる。早い話、どのくらい出世するのか否か、定年まで楽しく仕事できるのか否かが見えてくるのだ。
 私は史料編纂所の中で仕事に対してそれなりに頑張ったし、人一倍努力もしたと思う。だが、それで報われたかというと、残念ながらそうでもなかったように思う。
 「無用者を気取っていたくせに、立身出世を気にするのはおかしいではないか」という読者諸氏のお叱りの言葉が飛んできそうである。
 だが、私も人間だ。自分より「?」と思っていた人間が自分を追い越して昇進したりする姿を見て、何も感じずにいることはできなかった。
 職場で感じる一抹の空しさと諦観、そして歴史学界隈での孤独──。
 このころの私は、研究対象である「歴史」のみならず、「歴史学」という存在について、いろいろ思索を深めていくことになった。
 良い機会なので、歴史学についての私の考えについて、少しまとめてみたいと思う。
 それは、「一つの国家としての日本」は本当なのだろうか? という話だ。
 © 現代ビジネス Photo by iStock
 通常、我々は歴史の教科書などで、日本という国について次のように学び、イメージを与えられることになる。
 「一つの言語」
 「一つの民族」
 「一つの国家」
 「長い歴史と伝統のある国」
 だが、それは一つの見方に過ぎないのではないだろうか。
 そのように考え始めたきっかけは、我が国の歴史の教科書に記された事柄には「嘘」としか思えないようなものが数多く交ざっているように感じたことだった。
 「和同開珎」は流通していなかった!?
 たとえば、現行の教科書的叙述によれば、日本で最も古いお金は和同開珎だとされている。「708(和銅元)年から日本で鋳造・発行されたと推定される銭貨で、日本で最初の流通貨幣……」といった記述が大半だ。
 しかし、それでは和同開珎はどこまで「銭」だったのだろう。史実を眺めると、711年に「銭を貯めた者には官職をやろう」という蓄銭叙位令が出されている。集めた者には褒美をやると言っているわけだが、正式に流通している貨幣ならば、わざわざ官職など与えなくても皆がこぞって集めるはずである。
 これは和同開珎が、現実世界では銭=貨幣としては機能していないことの証左だ。アニメ映画『紅の豚』における名ゼリフ、「飛ばねえ豚はただの豚だ」ではないが、「使われない銭はただの鉄クズ」なのである。そもそも日本ではこんなに早い時代から貨幣制度が整っていたわけではない。
 全国に国は2つだけ? “中央集権国家”の嘘
 教科書では、「701年の大宝律令、つまり刑罰や政治を行う決まりを定めたことによって、天皇を中心とした中央集権的な国家体制ができあがった……」というようなことが必ず書いてある。素直に読めば、日本という国が古代の早期から法律制度を整え、全国を天皇がしっかり治めていたかのようである。
 だが、古代においては律令というものはまったく守られていなかった、と言ったほうが正確ではないか。
 © 現代ビジネス 現在の奈良盆地 Photo by Getty Images
 大宝律令を定めたとされる天武天皇は「全国に国を置き、地方行政に力を入れた」とされているが、当時の地図によると、東北地方には太平洋側に陸奥国日本海側に出羽国というたった二つしか置かれていない。
 しかも平安時代の中期になると、国司自身が任地に赴くことさえ希になる。武蔵守は武蔵国に赴任せず、実情として、家来を派遣して税金だけ徴収するというリモートワークの仕組みが中心だった。
 要は、かくあるべしという「建前」の律令と、では実際どう運用されていたのか、という「本音」の実情の両者が非常にかけ離れていたのが実態だ。
 律令の権威の弱さは、令外官の占める割合からも明らかである。律令政治においては、朝廷の主要な官職は律令に基づいて任命されるのだが、主要な中央官は、半分が律令に規定のない者、すなわち令外官であったことが分かっている。
 これは数的に把握できるため、推測などではない。
 日本の歴史学に残る“皇国史観
 私は和同開珎や大宝律令の歴史上の意義を真っ向から否定したいのではない。だが、歴史をつぶさに研究してきた立場からすると、和同開珎や大宝律令の意義を日本の歴史教科書は持ち上げすぎではないかと考える。
 日本の歴史、少なくとも古代と呼ばれる大和朝廷成立から奈良〜平安時代の日本においては、中央集権体制などと呼べるような状態にはなく、地方ではもっと豊潤で個性豊かな歴史が存在したはずなのだ。
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 日本の歴史教科書が教えるように、日本は古代から「一つの国家」として機能していたわけではない。
 それでは、なぜ、日本の教科書はそのような記述になっているのか。
 私はそこに、戦前の日本の歴史学の主流を占めた「皇国史観」の残滓、しっぽのようなものを感じる。「天皇を中心とした政治体制こそ正義の時代である」といったような概念だ。
 もっとはっきり言えば、そこまで露骨ではないけれども「古代至上主義」「京都至上主義」といった形で現在の日本の歴史学の中に生き残っているのではないだろうか。
 戦前の日本は歴史学を構築する際に、中国との関係もあり、「我が日本の歴史も古くあらねばならない」という切迫した思いに駆られていた。明治時代の元勲は、日本人の心をひとつにするために、天皇を日本のアイデンティティとした。
 「万世一系」の天皇を戴く国家である、ということを最大の売りにして、国家の統一をはかったわけである。こうした国家的アイデンティティの構築は、多かれ少なかれどこの国家でもやっていることだろう。
 ところが、日本では、軍部が台頭すると、「万世一系のオレたちは偉い」と自らの力を過信するに至った。時代が昭和になると、八紘一宇大東亜共栄圏といった概念を重用しはじめた。
 こうなると、いよいよ日本は歴史が古くないとマズい、隣国の中国との比較において、また東アジアにおける日本のプレゼンスを示すためにも、歴史が古い国であると、ことさら強調したのだ。
 〈日本は紀元前660年神武天皇が即位し建国された〉と平気で教えるのが戦前という時代であった。そして、この思想を強化するためにも、戦前の教育では、「輝ける古代」を称揚した。天皇中心の歴史という建付けにして、さも当然のように教科書に反映させ、国民に学ばせていたわけである。
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 「古代」「京都」「天皇」は一本の線でつながっている。そして、その三つの要素をつなげている線の正体は、おそらく「エリート主義的な歴史観」ではないかと思う。一部のエリートが、「日本の歴史として望ましい」方向にもっていった結果、デファクト・スタンダードとなった歴史である。
 だがこの歴史観は、実際の日本の歴史の一断面に過ぎないのではないだろうか。
 少なくとも、こうしたエリート主義的な歴史観とは異なった「歴史」が多数存在するのではないだろうか。我々歴史研究者は、もっとその事実に目を向けなければいけないのではないだろうか。」」
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