🔂2〕─2─「韓国人は、日本人と別人種」と考える人の超盲点 「私もモンゴル人力士に似ている」と思ったら…~No.3 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本人、中国人、韓国人・朝鮮人は、人種として東アジアに住むモンゴロイド黄色人種)であるが異系であり、民族としては歴史・文化・伝統・宗教・言語・その他のルーツを別にする異種民族である。
 最大の違いは、生きてきた孤立した列島、大陸、半島という自然環境である。
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 2022年9月11日 MicrosoftNews 東洋経済オンライン「「韓国人は、日本人と別人種」と考える人の超盲点 「私もモンゴル人力士に似ている」と思ったら…
ムーギー・キム
 © 東洋経済オンライン 日本人のルーツに関する「科学的・学術的な論文に基づく教養と国際感覚獲得の旅路」へ、ムーギー氏がご案内します(写真:Fast&Slow/PIXTA
 「グローバルな視点」で見た時、日本は他国に比べ、どのような国なのだろうか?
 これに答えるのが、『最強の働き方』『一流の育て方』などのベストセラーでもよく知られる、著作累計70万部のムーギー・キム氏。京都に生まれ、日韓両国の文化の中で育ち、フランス・香港・シンガポールで学び働いてきた。
 そのムーギー氏が「人生を通じて最も書きたかった1冊」という新著『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。:文化・アイドル・政治・経済・歴史・美容の最新グローバル日韓教養書』が発売された。「韓国へのイライラ、日本へのモヤモヤが、同時に解消する」「両国の視点で、フェアに書かれている」「都合のいい部分ばかりつなげず、確かな学術論文に依拠している」と多方面で反響を呼んでいる。
 本記事では、ムーギー氏が「『韓国人は、日本人と別人種』と考える人が陥りがちな超残念な深刻盲点」について解説する。
 日本人と韓国人は「DNAはほぼ一緒」という科学的常識
 まず、エリザベス女王陛下が崩御されたことに、心から哀悼の意を表したい。私ですら悲しいのだから、イギリスの皆様の心痛はいかほどのものだろうか? 2週間以内に国葬の見通しとのことだが、国葬とはこのような方に対し、広いコンセンサスがあるなかで静かに執り行われるべきものであろう。
 【グラフ】1人あたりGDP、日本と韓国を比べると?
 さて、日本と韓国「歴史問題がどうも決着しない」深い訳、「豊臣秀吉=虐殺者」韓国人がまだ許せない深い訳など、私が本連載のコラムを書くたびに、ヤフコメランキングや雑誌アクセスランキングでしばしば1位に輝くが、同時にコメント欄が激しく炎上し、焦土と化す。
 気弱な私のハートにグサッとくる言葉でいえば「韓国人は日本人と違う人種だから、付き合わないほうがいい」。
 しかし毎回「ちょっと待ってよ!」と思うのは、日本人と朝鮮半島の人々は人種的には同じ黄色人種モンゴロイドである。DNA検査でも、ほとんど塩基配列が一緒だということはご存じだろうか?
 言語や伝統的な宗教哲学、政治体制の違いと文化の違いから、「民族的には異民族」だが、
 日本と朝鮮半島で、人種は同じである。
 だからこそ両国を比較すると、人種はほぼ同じなのに、「日本のこのような独自の文化はどこから発達したのか」という興味深い問いへの答えが浮き上がるのだ。
 今回は新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』から、日本人のルーツに関する、(ネットの無責任な書き込みではなく)科学的・学術的な論文に基づく教養と国際感覚獲得の旅路にご案内しよう。
 更新世末期(3万年~1万年前)の日本列島には、大陸系や南方系と考えられる人々が分布していた。
 DNA解析でわかった、日本人のルーツとは?
 そんな先住民の子孫である縄文人と、その後に朝鮮半島や大陸からさまざまな経路で渡来してきた人々との混血により、現代日本人が成立したという「二重構造モデル」は、学術的には広く受け入れられている。
 渡来してきた人々の移動開始時期は、紀元前2500年とも1000年とも500年とも言われる。
 そしてとくに、長期にわたって主に朝鮮半島から鉄と稲作を持って渡ってきた人々と、その前からいた縄文人は一部混血をしたり、その文化を受け入れたりして、弥生人が形成された。
 つまり弥生人には、主に朝鮮半島から渡来した人、縄文人との混血、そして新たな文化を受容した縄文人が含まれる。
 弥生人に対しては、突然、日本列島に降ってきたか湧いてきたような認識の人が少なくないが、元をたどれば、総じてアジア大陸の影響を受けた民なのである。
 一方、アイヌ系と沖縄系では混血があまり進まず、実際にも縄文人の遺伝子特徴を強く残すのは、北海道のアイヌの人々であることも、アカデミックの世界では常識である。
 この意味で、「縄文人こそ日本のオリジナリティの証だ」と主張する方には特に、ぜひ北海道のアイヌ文化の保護に、より尽力してほしいところである。
 (これをお読みの皆様にも、砂澤ビッキの作品をはじめとしたアイヌ文化の素晴らしい彫り物に、ぜひ触れてほしいところだ)
 2012年、日本人類遺伝学会が編集する国際専門誌電子版に、「1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、非常に高い信頼性で、先住民の縄文人と、朝鮮半島から来た弥生人が混血を繰り返して現在の日本人になったとする混血説が裏付けられた」と、総合研究大学院大学(神奈川県)などのチームが発表している。
 古代の倭国と、伽耶百済の特別な関係
 また、近年では2019年5月13日に国立科学博物館により発表された話だが、いまの日本人のDNAを全ゲノム解読できるようになった結果、縄文人由来のものは10%程度にすぎず、紀元前から朝鮮半島より渡来した弥生人と混血したことが示されている。
 じつは、ほかにもさまざまな人々が日本列島に渡って混血してきたという説も唱えられているが、その後も弥生時代から飛鳥時代にかけて、多くの人々が百済高句麗などから渡来し、大和政権で大きな役割を果たしていたことはよく知られているとおりだ(この時代に大量に流入した東アジア系の人々を古墳人と呼び、現在の日本人の遺伝子と最も近いという研究も存在する)。
 1984年、全斗煥(チョンドゥファン)大統領の初訪日時の晩さん会で、昭和天皇が、日本建国当時の朝鮮半島国家による役割について言及したのも検索可能なので、ご参照いただきたい。
 なお、「朝鮮半島には人がおらず、日本列島から朝鮮半島に人が渡って百済などを建国してその後、日本列島に戻ってきた」という説を唱える人がいるが、さすがにこれは無理があるだろう。もとはといえばアフリカ大陸にいた私たちの祖先を、どれだけ不自然なルートで移動させるのだろうか。
 実際のところ、中国の文献にも、朝鮮のほうが日本より何百年も前から登場している。また、百済のほうが倭国より上国として書かれており、百済から倭国に文化が伝えられたことも記載されているのである(ただこれは当然で、当時アジア文明の中心地であった中国に近いほど先進文化があるのは、当たり前のことだろう)。
 ともあれ、日本と朝鮮半島南部(とくに伽耶百済)との間では、何百年もの間、人の往来が盛んだったのは確かである。
 「純ジャパ」も「純コリ」も存在しない
 このような人口移動や交流の歴史を考えると、よく聞く「純ジャパニーズ」という概念が、空想の産物であることがわかるだろう。
 これまで述べてきたように、日本人の多くは、縄文系と朝鮮半島や大陸系の混血であり、また混血の程度は地域によってさまざまに異なるのだ。
 もちろん朝鮮半島の人々の祖先も、もとから朝鮮半島にいたはずはない。その先祖には、たとえば北方民族だけでなく、ヒマラヤ山脈南の南方ルートで東南アジアを経て、いまの中国北東部から朝鮮半島に移り住んだ人々もいる。
 また、韓国人の遺伝子には中国人に近い遺伝子や、モンゴル人に近い遺伝子も入っている。私もお風呂に入るときに鏡を見ると、モンゴル人力士に実に似ている。
 ちなみに、『Genome Biology and Evolution』に掲載されている論文「The Origin and Composition of Korean Ethnicity Analyzed by Ancient and Present-Day Genome Sequences」によれば、これらの混血は、朝鮮半島への移住前から起こっていたとされている。
 これらの研究が示唆するのは、「どこどこの国の人は、もとはといえば何人などと、ひとつの源流に遡ることなど不可能」だという事実だ。
 中国人やモンゴル人に関しても、結局のところ、みんなアフリカからさまざまなルートを辿って巡り合った人と交配して子孫を残してきた。
 自国の祖先は進化論やアフリカ起源を無視して、天から降ってきたか地から湧いてきたとでも言い張らない限り、これは動かせない事実である。
 つまるところ、「純コリアン」というのも想像上の存在で、「純中国人」「純モンゴル人」にしても、またしかりなのである(ただ、自分のDNAや由来の一部を憎み蔑むという謎の習性は、多くの民族で見られる現象でもある)。
 もちろん、国家や民族は、生物的DNAではなく、自分および自分が所属する集団は何であるかという主観的認識と、政治的プロパガンダに大きく左右される。また、どこの民族も「内集団バイアス」があり、隣近所より自分たちが優れていると思いたがるし、どこの国にもその起源を語る神話がある。
 だからこそ、教養ある態度を身につけるには、歴史と神話の境を知ることが重要なのだが、2022年の今になっても、古代の神話と歴史を混同し、排他的アイデンティティをつくってしまった人たちが、ヤフコメなどで人種差別的な書き込みをしては、規約違反で消去されてしまうのである。
 あなたもムーギー・キムさんも、DNAはほぼ同じ!
 ともあれ今回は、科学的なファクトに基づく数多くの学術論文をまとめた日韓の人種的共通性について、新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』から抜粋して紹介させていただいた。
 これを機に、「この記事を読んでいる自分と、ヤフコメ欄で黒焦げに炎上しているムーギー・キムさんのDNAは、ほぼ一緒かぁ……」と、私への親近感と好感度が爆上がりすることを、祈念する次第である。」
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 日本民族とは、数万年前の旧石器時代縄文時代からの歴史・文化・伝統・宗教・言語・風土そして生活習慣を同じくする日本列島の住人である。 
 乱暴に言えば、日本人とは日本列島に住む人間であり、人種や民族に関係なかった。
 何故なら、日本民族・日本人とは、日本列島に流れ着いた・逃げて来た人種・民族、言語、宗教、その他一切に関係ない弱者、気候変動による難民(たとえば飢餓)、政争・戦争の負け組(敗北者、逃亡者、犯罪者、亡命者)、その他が乱婚を繰り返して生まれた混血の雑種だからである。
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 日本民族は、数万年前の旧石器時代(岩宿時代)・縄文時代にしろ、数千年前の弥生時代古墳時代にしろ、中国大陸や朝鮮半島に恩義を感じる必要はない。
 何故なら、渡来人とは、日本人のたっての願いで来てもらったのではなく、勝手に逃げて来た難民や敗者・亡命者・逃亡者・犯罪者などの弱者であったからである。
 当然の事ながら、現代の中国人や朝鮮人は昔の中国人や朝鮮人の子孫でもなければ血の繋がらない全くの別人である以上、日本人はことさら卑下して現代の中国人や朝鮮人に感謝する必要はない。
 むしろ、日本列島は中国大陸や朝鮮半島から感謝されて当然である。
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 日本人と言っても、血の繋がった日本民族と血の繋がらない日本国民とは違う。
 帰化人は心や志・精神・思いなどで深く繋がっているが、渡来人には如何なる繋がりもない。
 それ故に、日本民族帰化人を友・仲間・身内として受け入れたが、渡来人は他人として差別し排除して遠ざけた。
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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人の共産主義者無政府主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日・知日は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日・敵日・侮日は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国、韓国・北朝鮮
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や差別はここから始まっている。
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 大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、第32代崇峻天皇を暗殺した。
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 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
 834年 日本人百姓は、偏見と差別、新羅系渡来人への憎悪から武器を持って新羅村を襲撃した。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
 894年9月 唐の将軍を加えた新羅船100隻、2,500人が、対馬を襲撃した。 対馬の文屋義友は約500人の手兵で迎え撃ち、敵の大将を含む302人を撃ち取った。 捕虜となった新羅人の自白「朝鮮半島は不作により人民は飢えに苦しみ、治安が悪化していたため〝王の命令により〟襲撃した」
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
 『韓国人に不都合な半島の歴史』 著者 拳骨たくみ「太宰府が4月16日に送った報告書が『朝野群載』(巻20)に記載されている。
 その記述によると、彼らは畠を食いつくし、馬や牛、犬の肉まで食べたという。年寄りから子供らはみな惨殺され、壮年の男女400~500人は船に乗せられ拉致された。
 ……
 高麗海軍による攻撃を受ける最中、賊たちは日本人捕虜たちを殺したり、す巻きにして海に投げ込んだりした。
 高麗は日本人を救出し、300人余りが助かったと生存者の供述書に書かれているが、この時点で拉致された人々の80%近くが死亡していることがわかる。
 ……
 一方の日本は、高麗に対して不信の念を強くしていた。
 権大納言藤原実資は、『賊は刀伊ということだが、捕虜を尋問したところ『高麗国が刀伊を防ぐために自分たちを派遣したが、刀伊に捕縛された』と答えている。数千もの賊がいて、なぜ捕まったのが高麗人だけなのか。賊は高麗人が嘘をついて刀伊人であるとしているのではないか』との見解を示した(『小右記』)。
 この不信感には先述したように、かつて新羅による海賊行為がしばしば見受けられたことで、裏で高麗が糸をひいているのではないかと考えられたからに他ならない。
 これらの事例からも、日本が韓国を古来から尊敬していたなどという話は、まったくの架空であることがわかるだろう。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
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 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
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 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
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 1405年~1433年 明の永楽帝イスラム教徒で宦官の鄭和は、大艦隊を率いて南海遠征を行った。
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 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
 朝鮮軍、227隻、1万7,285人。
 島民114人を虐殺し、民家1,939戸を焼いた。
 対馬守護代宗貞盛は反撃し、朝鮮軍2,500人(一説では3,700人)を撃ち取り、日本側の戦死者は123人。
 朝鮮軍は、台風を恐れて全軍撤退し、事実上の敗走であった。
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 1428年 世宗大王は、日本からコメ作りや水車の製造など多くの事を学んだ。
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 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
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 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。
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