💐1〕─1─何故これほど日本人に国葬不支持が多いのか。〜No.3 

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 2022年9月26日 MicrosoftNews 現代ビジネス「なぜこれほど国葬不支持が多いのか、悲観的な視点│国葬と“将軍的欲望”を考える【政治思想史・片山杜秀】 「国葬を考える」(3)
 片山 杜秀 2022/09/26 17:30
 9月27日、安倍晋三元首相の国葬が行われる。メディア各社が9月に実施した世論調査では、すべての媒体で反対が半数を超えている。そうした状況を受け、9月19日に東京大学國分研究室の主催で、東大駒場キャンパスで「国葬を考える」と題したシンポジウムが開催された。国葬の持つ意味とは何か、安倍元首相が国葬に値する人物なのか。シンポジウムでの個々の発言を、連続で再録する。
 第3回は慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀氏(政治思想史)だ。
 「天皇よりも偉い」権力
 “将軍的欲望”などと、おかしな言葉を持ちだしますが、これは私の造語です。天皇という装置が権威を独占する国家体制において、権力が権威を浸蝕し、あわよくば占有しようとする、欲望の形態。これを“将軍的欲望”と呼びたいと思います。古代以来、裏に回ることもあれば、表に出てくることもある。天皇に抑圧されていることも多い。この“将軍的欲望”がどれだけ抑止されているかいないかで、日本の歴史を見ることができる。そんな図式です。
 “将軍的欲望”の将軍とは、近代陸軍の将軍ではなく、征夷大将軍を想定しているわけですけれども、王朝時代の藤原氏の摂政でも、同じく法皇上皇でも将軍に代入できます。近代以降でも内閣総理大臣や元老や、それを担ぐ権力機構が“将軍的欲望”に駆り立てることはあるでしょう。
 極めて概念的な話なのですが、場合によっては実際的に考えてもおかしくありません。たとえば徳川家康です。徳川光圀の生んだ水戸学だと家康を尊皇家に仕立ててしまいますが、実際の家康は“将軍的欲望”のラディカルな体現者とみなすことができる。死して東照大権現になるわけですけれども、大権現というのは、天台宗系の神仏習合思想である山王一実神道の思想から言えば、天皇よりも偉いんですね。偉さは実力を伴ってこそという考え方が山王一実神道にはあって、あの世もこの世も実力で支配するのが大権現ということですから。
 神道では一般に高天原を統べる天照大神が偉い。でもさすがの天照大神もこの世の統治者とは言えない。天照大神の子孫の天皇も実力によって現実を支配しているわけではない。実力によって現実を支配しているのは江戸幕府である。その初代将軍である徳川家康が大権現として久能山とか日光とかに奉られるということになると、天皇や神々よりも徳川将軍のほうが偉いということをはっきり打ち出しているとも考えられる。
 こういう、古代の藤原氏以来の“将軍的欲望”を如何に引っ込ませるか。明治維新が考えたことです。何しろ王政復古ですから。権威も権力も天皇に集めるというのが明治国家の表向きのデザインです。ただし実際は天皇を輔弼する者が力を持つのですが、政府、議会、軍と、タテ割りをきつくすることで、天皇大権を脅かすほどの将軍的権力者を天皇の下に育てぬようにする。権威の方は現人神として天皇が独占する。これが戦後民主主義の時代になると一応変わります。現人神から象徴になる。象徴はやはり一種の権威ではありますまいか。
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 ここで誤解のないように付け加えると、無政府主義者が理想として夢見るような政治形態を除けば、国家の統治は権威と権力の両方なくして成り立ちません。ゆえに戦後民主主義的な統治でも権威と権力は両方なくてはうまくない。しかし権威をミニマムにすることはできるはずだ。それが戦後民主主義的理想でありましょう。しかし、やはり昭和天皇だと戦後も、ありがたいとか、反発を感じてパチンコで撃ちに行く人が出るとか、いろんなことがありました。それはつまり伝統的でもありカリスマ的でもある権威が昭和天皇には戦後も濃厚にあったということでしょう。昭和天皇は1945年まで現人神ですからいくら「人間宣言」をしても普通の人だとはなかなか思われません。当たり前です。
 そこが本当に変わるのは次代の平成を待たねばならなかったでしょう。今の上皇上皇后ご夫妻は、戦後民主主義というものを共和制にまで進めないで立憲君主制的と言いますか、イギリス型で落ち着かせるための最適な振る舞い方を皇太子時代から周到に考えてこられたのだろうと、私は思っています。宗教的・伝統的権威、あるいはカリスマ的なものを感じさせるものを最低限のところまで退けていく方向で、戦後民主主義天皇の関係を追求したのではないでしょうか。
 権威の下駄をはく権力
 その姿勢がひとつ行き着いたのが、平成28年8月8日の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」でありましょう。たとえばこういうくだりがありましたね。天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、国民に迷惑をかけたり、毎日の病状の中で自粛しろとか、ああいうような社会的作用が起きることは大変よろしくないのだという考え方が示されて、さらに、天皇崩御に伴う皇族が伝統的な喪のつとめを担うことが本当に大変で、天皇が現役のうちに退けばそういうことも変えられるのではないか、というニュアンスのことまで述べられている。
 国葬の問題は日本の場合、共和国のドイツなどとは天皇の問題ゆえにだいぶん異なってきます。共和国には共和国の権威が必要で、権威は権力者を英雄化することにひとつの発出源を持つ。フランス革命時代も逝ける革命英雄のために大規模な葬礼を繰り返すことで革命権力に権威を付与しようとした。
 ところが日本の場合はそういう部分は天皇がとってしまっていて、下々の者を国葬にはしないぞという建前がそれなりに機能してきた。でも、天皇自らがそういうところから撤退していくという意志を示したのが平成の終わりで、ある種の仰々しい、指導者を英雄化するような式典というものは、戦後民主主義の中では避けられるべきだという価値が示されているというふうに私は見るわけです。国葬になるのが天皇だけで、上皇天皇に准ずるということで法的には国葬になる立て付けになっております。だからあくまでもするのですが、天皇すら仰々しくやってくれるなと本人が希望している。権威をミニマムしようとする流れの中でとらえられるべき事柄でしょうね。
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しかし、天皇戦後民主主義を両立させるための最終局面に踏み込んできているかのようなこのユートビア的なビジョンは、やはり裏切られる。天皇が権威を自ら下げていくかのような過程に対応する権力のありようとは、権威がほんとうに小さくなってきたら、もう威光を笠に着ることはできないのだから、ひたすら権力を透明にし、公明正大にし、「こういう政策をやります」と国民と約束して、失敗したら「すみません」と言って「次の人に譲ります。政党も替わります」みたいなことになるはずなのです。北欧のデモクラシーで、何だか普通にしかみえない人が首相になって、何の権威もないみたいだけれど大丈夫なのかなあという、ああいう感じでしょうか。
 けれども、そっちの方向で天皇と政権の平仄が合うということに平成後期の政治はならなかったのではないでしょうか。やっぱり日本がうまく行っていない。そういうことが多い。うまく行っていれば権威を笠に着なくても権力は回る。そうではないので、権力は権威の下駄をはいて自らを大きく見せたい。そのとき皇室が権威を切り下げにきたら、世俗的権力は自らを自らによって権威づけ、権力が権威を兼ねようとする。“将軍的欲望”が露出してくる流れが平成後期の政治を特徴づけ、令和に及んでいると考えています。

シンポジウム「国葬を考える」© 現代ビジネス シンポジウム「国葬を考える」
たとえば政権による、まさに平成から令和の変わり目に“元号制定権力”という、もちろん元号を制定する権力というものは政府にあるわけですけれども、それがどういう見え方をするかという問題に注目したいのですが、これはもう平成の元号が決まったときとは全然違う。令和の命名の経緯が内閣主体で総理大臣やその周辺の人が決めて、そこにどういうメッセージを込めようとしたかということが非常にアピールされるかたちでした。
 そして今度の国葬も、元総理大臣を国葬にするということでは戦後においては吉田茂、次は安倍晋三となりますが、両者の性質は、やっぱり私は違うと思うのですね。吉田茂の場合は、1945年までの臣下の国葬の習慣の復活を図りたい。これは吉田茂とか岸信介とか佐藤栄作とか、1945年までに既に天皇の下で、それなりの地位をもっていた人たちは、天皇の臣として大功のあった人間は天皇陛下に弔ってもらいたいという欲望にとらわれ続けていた。臣吉田茂であり臣佐藤栄作であり臣岸信介であり臣池田勇人であったのでしょう。戦後においても本人たちの心の中では。
 天皇なき愛国の時代で
 しかるに2022年の国葬とは、やはり“将軍的欲望”の発露、権力による権威の奪取としてとらえられる面があるだろうと。アメリカの大統領的なるもの、あるいは中国やロシアの指導者的な長期にわたっての強い権力というものを権威も含めて一元的に持ちたいということですね。権威の領域に踏み込みすぎるのは天皇に対して畏れ多いという感覚が、やはり平成の途中で政治家の世代交代もあって、なくなってしまった。その意味でついに戦後は終わったわけであります。
 戦後日本の右派的心情のありようも、もうすっかり変わったのですね。かつては国体護持であり、天皇擁護であり、反共であったものが、現在においては日本の国際的地位の低下してゆくことへの不安、強い存在感の希求という赤裸々なものに転換している。指導者には目立つパフォーマンスをしてもらいたい。日本の衰退を止めて、中国や韓国に負けない、アメリカともそれなりにサシで話せるような、ロシアともサシで話せるような国としての、戦後日本の強い栄光の時代というものを護持してもらいたいという願望が日本の国民のあるパーセンテージにあるとすれば、結局、戦後民主主義との共生をはかる「弱い天皇」なんかには興味がなくなって、戦後民主主義の完成もどうでもよくなって、「強い将軍」というものに興味がいっていると思います。
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 天皇なき愛国の時代に入ったというふうに私は思っているのですが、つまり天皇イメージやその他の伝統に吸収されない一枚岩的、現在至上主義的......マンハイムの定義によればファシズムなわけですが、ファシズム的な愛国運動が誕生できる段階に日本は立ち至って、自然に安倍晋三さんが国葬だと言って、それが当たり前だと思っている人たちがそれなりにたくさんいる。
 上皇陛下もああいう引いていくような言い方をしていれば、国葬という発想は畏れ多いということに昔の世代の政治家だったらなったでしょう。日本に天皇という良くも悪くも権力の増長を食い止めるブレーキになってきたものが効かなくなってきたことによって、ついに民衆愛国一枚岩大運動としてのファシズム運動による新しい政権などが誕生する基礎というものが、そういう前提が整いつつある。その一里塚としての天皇でない者の国葬ということかと私は思うのです。
 となると、国葬不支持の盛り上がりは戦後民主主義の大反撃と呼べるのかということなのですが、私はここで悲観的な視点を示したいのですが。戦後民主主義者が合理的な支配に目覚め、透明な権力に憧れて、権威とか神がかったものとかヒロイックなものを政治に入れないようにしようという、いかにも戦後民主主義的な判断を国民の多くがしているとはどうしても私には思えない。そういう人はいるけれども、そんなに多いわけではあるまい。
 今のような世論調査のパーセンテージに行くには別の力を想定すべきではないだろうか。いわゆる愛国者の失望が加わっていないとこの数字にはならない。国葬不支持率の高さというのは、戦後民主主義的な天皇の存在によってもはや中和されないところの、「真の指導者」「真の独裁者」「真の将軍」、「真の安倍晋三」という言い方はちょっとどうかわからないけれども、つまり愛国者が仮託してきた安倍晋三のイメージを、今度は徹頭徹尾裏切らずに未来へと続けてくれる新しい人が出てくることを待望している人たちの数字が入っていないと、今の反対の数字は出てこないんじゃないか。「超安倍晋三」を求める国民の声が一部入っていないとこの数字にはなるまい。そう私は考えています。
 だからこの後が問題で、たとえば自民党の右派的なものが他の政党とくっついて、これまでの自民党よりももっとずっと右寄りというか、そういうような政権を国民が支えていくような方向に日本が行く可能性は、ある程度あるだろうと。そうじゃないと今の状況というものを私は理解できない。ついにファシズム前夜、天皇を不在として、ひたすら強い日本を求める愛国運動が盛り上がりうる時代になってきたのではないかのではないかということで、私の今日に寄せる見解を終わりたいと思います。
 (2022年9月19日、シンポジウム「国葬を考える」にて)
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