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2022年10月2日 YAHOO!JAPANニュース NEWSポストセブン「【現地レポート】ベトナム戦争中の民間人殺害事件で新証言「韓国軍は味方側の村を焼き払った」
8月上旬、韓国政府を訴えた裁判の口頭弁論出席のために韓国へ渡航したグエン・ティ・タンさん(左)と、おじのグエン・ドゥック・チョイさん(クアンナム省、2022年9月)
ベトナム戦争中に起きた韓国軍による民間人殺害事件について、韓国政府に賠償を求めて係争中のベトナム人女性グエン・ティ・タンさん(62歳)。去る8月上旬、タンさんのおじが、ベトナム人として初めて韓国・ソウル中央地裁で当時のことを証言した。韓国社会で50年近くも“タブー”とされてきた、ベトナムでの韓国軍による加害の実態が、少しずつ明らかになりつつある。10数年にわたり同事件の取材を続けるフォトジャーナリストの村山康文氏が、ベトナムに渡りタンさんらに話を聞いた。
【写真9枚】ベトナム戦時民間人虐殺事件の生き残り被害者たちに再会
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過去20年以上、毎年1~4度はベトナムを訪れていた私にとって、およそ2年半ぶりとなる2022年8月下旬からのベトナム滞在。その旅は、屋台での法外な請求で幕を開けた。
夕方、予約していたホテルに到着した私は、休む間もなく、近くの屋台に夕食を取りに向かった。店員に勧められるまま席に座り、「ミエンガー(蒸し鶏が載った春雨スープ)」を注文。もちろん、最初に商品の値段を確かめていた。
しばらくして出てきたものは、1杯の「ミエン(春雨スープ)」と、別皿に山のように盛られた鶏肉だった。「この店は鶏肉を別皿で出してくれるのだ」と思い、このとき、別段気に留めることもしなかった。
食事を終え、清算のために店員を呼ぶと、注文した1杯の「ミエン」の代金と、別皿に盛られた鶏胸肉の金額(最初に確認した約5倍)が請求された。注文したもの以外には箸を付けず突き返せば良かったのだが、別皿の鶏肉に箸を付けていた私は、「やられたぁ」と、頭を抱えて苦笑した。
長年ベトナムに住む日本人の友人にその話をしたら、「ベトナムと長い付き合いでもやられるんですか? 相当感覚が鈍っていますね」と、ケタケタと笑った。到着直後、私は、以前と変わらないベトナムに洗礼を受けた。
新型コロナ「ロックダウン」の爪痕
一方で、私のなかで大きく変わったベトナムの現実があった。
20年以上の付き合いになるバイクタクシーとシクロ(ベトナムの3輪自転車タクシー)のドライバーをしていた友人3人が、新型コロナウイルスに感染し、この2年半の間に相次いで亡くなっていたのだ。彼らはいずれも、ベトナム戦争時代、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)などの北側勢力と戦った、ベトナム共和国(南ベトナム:当時)軍の元兵士だった。激戦を生き抜いてきたにもかかわらず、今回、南部ホーチミン市で蔓延した新型コロナウイルスには勝てなかった。
彼らの死のことを教えてくれた、別のある南ベトナム軍元兵士は、辺りに聞こえないような小さな声で、ゆっくりとこう話した。
「今回、新型コロナウイルスでのホーチミン市で行われたロックダウン(都市封鎖)は異常だったよ。政府は庶民の意見に聞く耳を持たず、軍を使って圧力だけで人びとを抑え込んだ。補償もろくになく、病院に行くこともできず、新型コロナに感染したこの付近の貧困層は、次々と死んでいったんだ。約2か月間続いたロックダウン中に、糖尿病を患っている人らは、治療も受けられず、手の指を切断し、足を切り落とした。解除になった今後も、この影響はまだしばらく続くと思うね……」
彼が話した現実は、「軍を使って抑え込んだのは新型コロナウイルスだ」という、私が日本で確認していたベトナム政府の見解とは大きくかけ離れていて、ショックを受けた。
事件の被害者らに再会
私は今年8月、ベトナム戦時下で起きた韓国軍による民間人殺害事件や、ライダイハン(韓国人男性とベトナム人女性の間に生まれた子どもを指す蔑称)問題を約13年かけて記録した拙著『韓国軍はベトナムで何をしたか』を上梓した。
米軍とともに南ベトナム側で参戦した韓国軍だが、その韓国軍による民間人殺害事件は、当時の南ベトナムで80件余り起き、犠牲者は9000人以上とされている。しかし、この問題について公的機関による調査は行われておらず、事件から50年以上が過ぎた今も、全容は不明のままだ。
私は同書で、事件で九死に一生を得た被害者やその家族、加害者とされる韓国軍元兵士ら数十名に会って集めた証言をまとめ、事件の真相に近付こうとした。
今回のベトナム渡航では、同書に登場する事件の被害者や取材協力者らに再会し、本を進呈したいと思っていた。コロナ禍の間に会えなかった彼らの近況を確認し、書籍の内容を伝え、感想を聞くことが旅の大事な目的でもあった。
ベトナム中部に位置するフーイエン省の取材で、いつもお世話になっているレンタカーのドライバー、ホー・ミン・サン兄(43)に拙著を渡すと、「この取材に同行できていることを私は誇りに思います。昔、この省で起きた事件のことを、妻や子どもたちに伝えます」と語ってくれた。
また、1966年にフーイエン省ドンホア県ホアヒエップナム社(社はベトナムの行政区画の単位)トーラム村で起きた韓国軍による民間人殺害事件に遭遇し、左頬に大きな傷跡が残るファム・ディン・タオさん(65)は、「事件を起こした韓国人が謝罪のためにここに来るのは当然ですが、事件と関係のない日本人のあなたが何度も何度も訪問してくれることに感謝します。このように事件を書籍にして残すことは意味があります」と、心から再会を喜んでくれた。
ひとりの韓国兵が殺害され、事件は起きた
そして、旅の目的はもうひとつあった。クアンナム省フォンニ村に住むグエン・ティ・タンさん(62)に会うことだ。
タンさんが住むフォンニ村と隣村のフォンニャット村で起きた韓国軍による民間人殺害事件(1968年2月12日発生)では、74名が犠牲になったとされる。タンさんの家族は、左わき腹に銃弾を受け意識朦朧となったタンさんと、腹と尻を銃で撃たれて立てなくなった兄を除く5人がこの事件で命を落とした。なお同事件は韓国軍と米軍の共同作戦中に起きたとされ、米軍側の調査報告により虐殺の実態が明らかになっている。
タンさんは、事件から半世紀以上が過ぎた2020年4月、韓国政府を相手取り、「民間人虐殺に責任がある大韓民国政府は3000万ウォン(約300万円)を賠償せよ」と、ソウル中央地裁に訴えを起こした。ベトナム人被害者自身による訴訟は、これが初めてとなった。しかし、韓国政府は、「韓国軍によって被害を受けた事実が十分に立証されていない」「米軍に対抗した南ベトナム民族解放戦線(ベトコン)が心理戦のために韓国軍に偽装し、民間人を攻撃した可能性がある」などと、未だにこの事件への関与を認めていない。
今年8月上旬、タンさんは裁判の第8回口頭弁論ために韓国に渡航していた。事件を明らかにしようと全力を注いでいるタンさんは、4度目となる今回の韓国渡航でどのような動きをし、どんなことを感じたのか。私はそれを確認したかった。
突然の訪問にもかかわらず、タンさんは笑顔で私を迎えいれてくれた。
「私は、嘘は言っておらず、真実を伝えているだけです。しかし、今回の口頭弁論でも、元兵士や韓国政府が事件を認めていないことが改めてわかりました。私はいつも良い結果を望んでいます」と、タンさんは冷静に語った。
今回の渡韓には、フォンニ村の事件現場から約100メートル離れた場所で韓国軍の暴虐ぶりを目撃したというタンさんのおじ、グエン・ドゥック・チョイさん(82)も同行した。事件当時27歳で、南ベトナムの農村開発団員だったチョイさん(のちに南ベトナム共和国軍民兵隊)は、「無線機を通じて韓国軍がフォンニ村の住民らを殺しているとの知らせを聞き、現場の近くに向かった。そして、望遠鏡で韓国軍人が住民らを殺害している姿を見た」と、証人尋問で述べていた(『ハンギョレ新聞』、2022年8月10日付)。
私は、韓国に同行したチョイさんにも話が聞きたいと、タンさんに伝えた。タンさんは快諾し、チョイさんの家まで案内してくれた。
チョイさんは、フォンニ村で起きた事件について、次のように話した。
「……事件前、この村でひとりの韓国兵が殺されました。本来、(韓国軍と敵対していた)ベトコンは山のほうで身を潜めているのですが、韓国兵が殺されると、『村人がベトコンを匿っているんじゃないか』と疑いを持ち、怒り狂ったんです。そして、次々と村人を殺し、村を焼き払っていきました。この村は事件当時、南側の勢力圏でした。韓国軍とは味方であるにもかかわらず、このような事件が起きてしまった。悲しすぎます」
ベトナム戦時下で起きた民間人殺害事件に関する私の取材は、今年で14年目になる。今まで「味方側を殺害した」という表現を、インターネットなどで確認したことはあったが、事件を知る関係者の証言を聞いたのは、これが初めてのことだった。そしてチョイさんは、苦笑しながらこう付け加えた。
「当時、韓国軍兵士は臆病になっていたのではないでしょうか。ゲリラであるベトコンは、その韓国軍兵士の性格を利用して、南ベトナム側勢力の内部分裂を図ろうとしたのかもしれません……」
今回のベトナムは、私にとって通算52回目の渡航になった。今までの渡航では、街や人びとの大きな変化を感じることは少なかった。しかし、今回のベトナムは違った。やはり2年半の時間は大きかった。観るもの、聞くもの、感じるもの、そのすべてが私の心を揺さぶった。新型コロナウイルス感染症による友人の死。フォンニ村の事件を見ていたというチョイさんの証言。
チョイさんの証言内容で新たに知った事実を思うと、事件に関する取材もまだ道半ばだと実感する。私は、これからもベトナムを追い続ける。」
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