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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
『教養として知っておきたい「宗教」で読み解く世界史』
宇山卓栄 著 日本実業出版社
「序文 宗教地政学」
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第1部 東アジア
─中華秩序の脅威─
Chapter1
中華の膨張に誰が屈し、誰が屈しなかったのか
【コア地域=中国】儒教文化による中華思想
♦儒教が生んだ『三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼』
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Chapter2
儒教が覆い隠した属国の哀れ
【a地域:従属】朝鮮の儒教
♦左手で口元を隠して飲む儒教の習慣
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Chapter3
神道と天皇を中核として日本文明の独自性
【b地域:対抗】日本の神道
♦神道というリアリズム
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Chapter5
受難のチベット仏教は国家の暴虐に打ち勝てるか
【d地域:対立】チベットの仏教
♦中国の宗教抹殺と大虐殺
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歴史的事実として、天皇制度国家日本は中国や朝鮮とは違って歴史的な人道貢献や平和貢献を幾つも行っていた。
それは、利権・利益・金儲けの為にチベット、ウイグル、内モンゴルを見捨てる現代日本と較べても勇気ある偉大な行為であった。
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『教養として知っておきたい「宗教」で読み解く世界史』
宇山卓栄 著 日本実業出版社
「序文 宗教地政学」
Chapter1
中華の膨張に誰が屈し、誰が屈しなかったのか
【コア地域=中国】儒教文化による中華思想
♦儒教が生んだ『三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼』
中国はその覇権を強固としたものにするために、独特の思想体系を生み出しました。それが、儒教に基づく中華思想である。
清王朝時代、皇帝に対し、臣下たちは『三跪九叩頭の礼』で拝謁しました。皇帝の内官(宦官)が甲高い声で『跪(ホイ)!』と号令をかけると、臣下たちは土下座し、『一叩頭(イーコートゥ)再叩頭(ツァイコートゥ)三叩頭(サンイコートゥ)』という号令の度に頭を地に打ち付け、『起(チー)』で立ち上がります。そして、また『跪(ホイ)!』で、土下座して同じ行動をします。この土下座行為が計3回繰り返されるため、『三跪九叩頭の礼』といいます。
儒教では『長幼の序』のような上下関係の秩序が重視されます。とくに、君主と臣下のわきまえるべき分を説く『君臣の別』が重視されるため、『三跪九叩頭の礼』のような極端な拝礼スタイルが確立されました。『天』の意を受け、この世を支配した皇帝の権威は絶対的なものでした。
この『君臣の別』は『華為の別』という考えを生みました。『華為の別』とは、中国の周辺異民族(夷)に対する優位を説く考えです。この世の中の中心に中国があり、周辺異民族は中国の恩恵に平伏し、進んで臣従することが美徳とされました。つまり、中国は『華為の別』によって、中国とその周辺国との関係を君臣の関係と規定し、諸外国に臣下の礼尽くすよう求めたのです。
朝鮮王は中国の要求に従い、自ら中国皇帝の臣下となりました。朝鮮王は皇帝に対してはもちろん、皇帝の遣わした使節に対しても、『三跪九叩頭の礼』で拝謁しました。
日本は明治時代の1873年、副島種臣が北京に赴き、皇帝に拝謁した際、『三跪九叩頭の礼』を行なうよう要求されましたが、これを拒否しています。副島は膝を屈することなく、立礼で通しました。
18世紀末に中国を訪れたイギリスの外交官マカートニーは『三跪九叩頭の礼』を拒否し、英国流に片膝だけを屈して、皇帝に拝礼しました。
『華為の別』は中華思想を根拠にしています。『華』というのは文明のことであり、中国人は文明の『中』にいる『中華』であり、周辺の他の民族は文明の『外』にいる夷狄({いてき}野蛮人)であるとされます。北宋(ほくそう)の宰相で歴史家の司馬光は1804年、『資治通鑑(しじつがん)』の中で、中華思想を体系的に論じ、これを定着させました。司馬光は日本や朝鮮などの国を『東夷(とうい)』と呼び、周辺の野蛮人の一派に位置づけています。
南宋時代、儒学者の朱熹(しゅき)が司馬光の中華思想を継承し、『資治通鑑』を礼賛して『資治通鑑綱目』を著し、中華思想が儒学の世界観の中に統合されます。そして、『華為の別』は儒教的な礼の中でも、最重要の徳目とされます。
中華思想において、周辺民族は『化外(けがい)の民』と呼ばれました。これは儒教文化を教化できない民という意味です。『化外の民』と呼ばれました。『化外の民』は禽獣(きんじゅう)に近い存在で、ほとんど人間と見なされなかったのです。
♦儒教は宗教なのか
中国人は古来、農村社会を背景とした農耕民族であり、その村社会にふさわしい規律や規範意識を説く儒教が民族の思想として受け入れられました。年配者や支配者に逆らってはならぬ、先祖を敬わねばならぬ、約束を守らねばならぬなど、共同体に従順であることなど、農耕というルーティン・ワークに沿った枠組みが、儒教によって提供されます。
その枠組みとは具体的に、年功序列、君臣の情、祖先祭祀、自然賛美など、農耕を日常とする共同社会に適合するものであり、個人主義や個性などを排除しました。このような中国人の共同体意識は、農耕社会を営んできた日本人にもそのまま当てはまるでしょう。
儒教は宗教なのでしょうか。儒教は孔子によって開かれ、人間の生き方や精神について説いた倫理、あるいは哲学です。孔子は神の教えを説いたわけではありませんので、厳密にいえば儒教は宗教ではありませんが、実質的には、やはり宗教なのです。
古代中国の人々は超自然的な『天』への信仰をもっていました。『天』は万物を司るものであり、人間は『天』によって地上に遣わされ、死ねば『天』に帰るという世界観をもち、自らの祖先が『天』に最も近い存在、あるいは『天』という抽象物を具現化するものとして、信仰の対象となりました。
そこで、祖先の血脈でつながる氏族が重視され、宗法という祖先崇拝の規律・規則が定められ、社会全体の秩序となりました。われわれは何か失敗したり、罪を犯したりすると『ご先祖様に顔向けできない』と言いますが、この感覚こそ、潜在的に受け継がれた儒教の精神文化の表出(ひょうしゅつ)です。
儒教は祖先崇拝を思想の中核としており、その意味において、宗教といえるのです。儒教は倫理的に正しいかどうかを問うだけでなく、倫理規範を与えている『天』を信じるかどうかを問う信仰でもあるのです。
以前、日本のカトリック教会が儒教の儀式主義を批判して、『宗教を離れた社会秩序や道徳は、その根底を失ったものであって、実践的には甚だ不完全である』(カトリック中央協議会『公教要理』1958年)と指摘しました。儒教はあくまでも宗教です。『天』や『祖先』への信仰や儀式的な『礼』によって体現しようとする宗教的動機を強く有し、その倫理世界を打ち出しています。キリスト教やイスラム教と同じように、教義も聖典も戒律もあります。
儒教には、厳格な倫理規定が先行する傾向があるため、『宗教を離れた』ように見えますが、そうではありません。
♦日本は中華文明から独立した文明圏
朝鮮は儒教の影響を最も強く受けた地域で、自ら進んで、儒教的な華夷秩序に沈潜(ちんせん)し、中国の属国となりました。4世紀後半、朝鮮に儒教が伝わり、統一王朝の新羅は7世紀に儒教を国学とします。14世紀に、李氏朝鮮は朱子学(南宋の朱熹によって再構築された儒教の一派)を国学とし、中国への従属を強めています。
儒教は日本に6世紀に伝わり、7世紀、天武天皇が構築した統治制度(律令制)に、身分制などの儒教的要素が組み込まれました。江戸時代の17世紀に、朱子学を幕府公認の学問(官学)としました。しかし、日本は朝鮮と異なり、儒教文化を取り入れながらも、中華思想への服従を一貫して拒否し、中国に対抗しました。
日本は儒教をはじめ、中国から文化的影響を強く受けたことから、広義の意味で、儒教文化圏の中に入るとする説もあります。イギリスの歴史家アーノルド・トインビーは『日本は中国文明の衛星文明である』と主張しています。
しかし、日本と中国を詳細に比較すれば、日本は根本において、中国文明とは異質であることがわかる。日本には、もともと神道や天皇が存在し、独自の文化が形成されていました。これに着目し、アメリカの国際政治学者サミュエル・ハンティントンは著書『文明の衝突』で、日本を中華文明から独立して成立した文明圏と位置づけています。
ベトナムには、早くも紀元前2世紀に儒教が伝わります。その後も、11世紀に成立するベトナム北部の統一王朝の李朝をはじめ、各王朝は朝鮮文化の影響を強く受けるとともに儒教を尊重します。
ベトナムの儒教の取り入れ方は日本とよく似ており、祖先祭祀などの儒教精神を基盤に、仏教も信奉されました。ベトナムもまた、朝鮮と異なり、儒教の影響を受けながらも、中国の支配には屈服しませんでした。
これらの儒教の影響力が途切れるのがタイやミャンマー一帯です。この地域はインドの影響が強く、インドから伝わったヒンドゥー教、その後は仏教が定着しました。中国王朝がこれらの南方地域を従属させるには、地理的に遠すぎたのです。
儒教を生んだ国が儒教を拒否する奇怪
1949年、毛沢東は中華人民共和国を建国します。共産党政権は儒教思想を封建社会の遺物として全面否定しました。さらに、1966年からはじまる文化大革命で、儒教をはじめ道教や仏教などの過去の文化のすべてが、『社会主義の敵』とされて否定されます。
とくに、孔子は『人間のクズ』とコキ下ろされます。孔子は君臣や長幼などの序列関係を社会にもたらし、階級支配と民衆搾取の思想家と断じられたのです。他方、『焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)』を断行した秦の始皇帝を高く評価しています。皇帝制という封建的身分制の原点となった制度を生み出した始皇帝を評価するなど、矛盾に満ちた話です。
儒教文化を一掃するため、毛沢東支持者たちは孔子廟(びょう)や祠(ほこら)を斧やハンマーで叩き壊して回りました。子供に孔子の人形が渡され、それを叩いたり蹴ったりして遊ぶように教えたといいます。また、孔子をバカにする歌を学校で合唱させました。
2500年間、『聖人』と崇められた人物をここまで貶める中国人には呆(あき)れるばかりです。社会主義が導入されて20年も経たない当時の中国が2500年の歴史を一朝一夕に壊そうとしたのです。
しかし、鄧小平時代の1980年代以降、改革開放が進むとともに、儒教は再評価されていきます。
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日本には、こうした『宗教ヘの外国勢力の支配』を排除する法規制がなく、海外(とくに日本と敵対する国)に本拠を置く宗教勢力が日本国内に入り込み、政界などに影響力を行使しています。
2018年、ローマ教皇庁は中国当局が任命した7人の中国国内の司教を正式に承認することで合意しました。かつて、11世紀に、ヨーロッパで聖職叙任権闘争というものがあり、司教などの人事任命権を巡って、教皇と神聖ローマ皇帝が激しく争いました。今日、中国における聖職叙任権は中国当局にあることを、バチカンがあっさりと認めて妥協したのです。
およそ1,000万人はいるとされる中国のカトリック信者は事実上、中国当局の監督下に置かれています。ちなみに中国当局が認めない聖職者を立てるキリスト教会は宗教ヘの外国勢力の支配の排除を規定した『宗教事務条例』第36条に基づき、閉鎖させられいます。
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Chapter5
受難のチベット仏教は国家の暴虐に打ち勝てるのか
【d地域:対立】チベットの仏教
♦中国の宗教抹殺と大虐殺
中国共産党のチベット人への監禁、拷問、虐殺。これは昔の話ではなく、いまの話です。チベット人は日々、苛烈な弾圧を受けていますが、その実態について報道されていません。中国政府によって、外国人記者がチベット自治区に入ることを禁止されているからです。どのくらいの数の人々が強制収容所に入れられ、どのような虐待を受けているのか、正確なことがわからないのです。
チベットは18世紀に、清王朝に併合されました。1912年、清王朝が崩壊すると、チベットの独立機運が高まりましたが、孫文や蒋介石らの国民党政府は『一つの中国』を標榜し、チベット人の独立を認めませんでした。
1949年、毛沢東らが中華人民共和国を建国すると、人民解放軍がチベットへ侵入します。
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10月22日 産経新聞「司教任命権で合意再延長 バチカンと中国、協調継続
ローマ教皇フランシスコ(AP=共同)
キリスト教カトリックの総本山バチカン(ローマ教皇庁)は22日、司教任命権を巡る中国との暫定合意を2年間延長すると発表した。国交のない両国は長年対立してきたが、2018年に暫定合意を結び歴史的和解を果たした。延長は20年に続き2度目。本合意への切り替えは見送ったが、引き続き協調することを決めた。
暫定合意の詳細な内容は明らかでないが、バチカン公式メディアなどによると暫定合意が発効して以降の4年間で、中国では双方の同意の下、6人の司教が新たに任命された。暫定合意を結ぶまで、中国は国内の司教を独自に任命し、バチカンと対立していた。
教皇フランシスコは早々に暫定合意延長の意向を示し、今年9月には改めて「中国に行く用意は常にある」と発言するなど歩み寄りの姿勢を鮮明にしていた。暫定合意は今月22日が期限だった。
バチカンは欧州で唯一、台湾と外交関係を持つが、近年は中国に接近。国交樹立となれば台湾との断交を迫られるのは必至で、台湾は警戒を強めている。(共同)
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日本は朝鮮とは違って、古代から日本の中国化を怖れ、日本を守る為に中国と深く交わる事を拒否してきた。
反天皇反民族反日的日本人は、儒教や道教、仏教やキリスト教、道徳や倫理、心や精神などを破壊しようとした中国共産党に似ている。
現代日本は、各方面で中国化(中国共産党化)が進んでいる。
その証拠が、中国共産党がチベット・ウクライナ・内モンゴルなどで行っている猟奇的残虐行為・非人道的ジェノサイドが報道される事なく意図的に隠蔽されている。
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日本はもちろん世界は「儒教」を読み違えた、と言うより、日本式論語儒教と中華式朱子学儒教を全然違う事が理解できない。
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日本民族には、漢族中国人や朝鮮人と分かり合う事ができない。
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古代から現代に至るまで歴史的事実として、日本を支配・統治・君臨した中国系や朝鮮系の異民族渡来人による天皇や将軍は誰一人として存在しないし、人口が激減し社会崩壊を起こすほどの大虐殺も起きていない。
反天皇反民族反日的日本人の正体は、親中国派や媚中派である。
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中国共産党は、反宗教無神論から如何なる宗教も許さず、認めず、弾圧して抹殺する、が、神の信仰より共産主義の大義を受け入れ、中国共産党に媚び諂い従属する官製宗教は認めた。
それが、中国人の微笑みの正体である。
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西洋では、ロシア人など多くのスラブ民族は欧州のスレーブであった。
同様に、漢族系中国人は征服騎馬民族・異民族にとってのスレーブであった。
朝鮮王朝は中華帝国の属国で、半島系朝鮮人は漢族系中国人の臣下・下僕つまり儒教的スレーブであった。
日本文明・日本民族日本人は、一度も世界文明や大国のスレープになったことはない。
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三跪九叩頭の礼とは、儒教的華夷秩序における野蛮人・無教養を押しつける上下関係と明確にする、偏見と差別による屈辱の作法であった。
昔の日本人は、天皇・国・民族の名誉と自分の体面から「三跪九叩頭の礼」を拒否した。
現代の日本人は、名誉も体面もなく、権益・利益・金儲けの為ならば「郷に入れば郷に従う」として「三跪九叩頭の礼」を受け入れる。
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儒教は、日本を蔑称の「東夷(とうい)=野蛮人=人間以下の獣」と吐き捨てるように呼んで偏見と差別で見下していた。
つまり、儒教文化・儒教価値観からすれば漢族系中国人ではない異民族日本民族日本人は禽獣の類いであった。
中国文明圏における日本を救う手段とは、日本の中国化であった。
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が、徳川時代は儒教を正しく読み深く理解したが故に、江戸の日本は中国や朝鮮とは異なる道を歩んで発展しアジアでいち早く近代化に成功した。
その中国認識、儒教読解力は、現代日本・現代日本人とは雲泥の差がある。
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日本国・日本民族と中国・漢族、朝鮮・朝鮮族とは別種のアジア人であり、日本文明・日本文化は中国文明・中国文化と朝鮮文化とは異質な文明・文化である。
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中国と朝鮮は世界の中華文明圏であるが、日本は田舎の日本文明であった。
日本文明は、大陸で大繁栄した多方面で優れた高度な中華文明(中国や朝鮮)の亜流文明ではなく、貧しいながらも独立した孤独・孤立な田舎文明でその源流は数万年前に日本列島に存在した縄文文明である。
縄文文明の種は、揚子江流域に栄えていた平和的な長江文明であって黄河流域に栄えた好戦的な黄河文明=中華文明ではなかった。
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