🦉2〕─1─人生は遺伝5割、生まれた環境3割で決まっている。9割近くが「親ガチャ」。~No.2 

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 2022年11月9日 MicrosoftNews 現代ビジネス「人生は遺伝5割、生まれた環境3割で決まっている――これは希望か絶望か? 9割近くが「親ガチャ」
 飯田 一史
 「親ガチャ」と言うときには「実家の太さ」のような環境要因が主に語られる。しかし「遺伝」も選ぶことができないガチャ要素であり、知能や学業成績、学歴、収入にも遺伝が影響している。「遺伝はどうにもできないが、身を置く環境は行動によって変えられる」とよく言うが、しかし、その人がどんな環境を好ましいと思うかにも遺伝が影響している。
 遺伝の影響はどのくらいあるのか。それを踏まえて保護者や学校にできることはあるのか。『生まれが9割の世界をどう生きるか 遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋』(SB新書)を著した行動遺伝学者の安藤寿康・慶應義塾大学教授に訊いた。
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 遺伝と本人にはどうにもできない環境要因で8割は決まる
――遺伝も環境もどちらも「運」で決まってしまうガチャだ、というのは当たり前の生物学的必然であると安藤先生は書かれています。
 安藤 遺伝と環境の影響は半々です。「環境は自分で選べる」「教育や政策で環境を変えれば人生を変えられる」と信じている人にとっては「半分」遺伝で決まっていると聞くと、大きく感じるかもしれません。
 ただしたとえば数学の天才やプロスポーツ選手の両親から、数学の才能や運動能力をそのまま受け継いだ人が生まれるわけではありません。同じ父親と母親からでも、どんな人間が生まれるのかはかなりバラつきが生じます。その度合いは、社会全体で見たときの遺伝的なバラツキ具合の5~8割に及びます。ですから稀代の起業家の子どもがまったくの放蕩息子で親の財産を食い潰す、ということも起こりうるわけです。
――どんなパラメータを持った人間が生まれてくるかは親がどんな存在であれバラツキが大きいけれども、持って生まれた遺伝の部分は変えられないと。
 安藤 環境に関しても本人がどうにもできない部分があり、行動遺伝学ではこれを「共有環境」と言います。どんな家庭に生まれるかといった要素ですね。学業成績や運動能力の場合、これの影響が約3割です。
 本人でなんとかなる部分を「非共有環境」と呼びますが、たとえばIQに関して見ると非共有環境が左右する部分は1、2割しかありません。ですから遺伝5割+共有環境3割でおおよそ8割以上、9割近くは親ガチャで決まる。
 さらに言えば、人間の持つ形質は遺伝的な影響を強く受け、ある一定範囲内に確率的に収まります。これを「セットポイント」と呼んでいます。たとえば足の速さや言語能力のセットポイントが3の人は、一時的な努力やたまたま出会う環境や状況によっては4になることもあるし、2になることもある。でも1や5にまでなることは、きわめてまれです。
 知能、学力、学歴も本人の意思や環境より遺伝の影響の方が大きい
――SES(社会経済的地位)が高い家庭では本が多く、家にある本が多い家庭の子どもは成績が良いという相関がある、だから小さいころから本を与えれば頭が良くなる、みたいな話がありますが、そもそも本好きになるかどうかも遺伝で半分は決まっているわけですよね。
 安藤 その人が何に興味関心を持つかは素質(遺伝)に依存します。これに関して行動遺伝学では1980年代から腐るほどエビデンスがあります。
 遺伝要因と環境要因は足し算で考えてください。生まれつき本を読む素質があったとして、なおかつ家に本がそれなりにあるとか図書館に連れて行く親であれば環境要因は素質に対してプラスとして効く。しかし素質がまったくのゼロであれば、おそらくいくら用意してもほとんど読まない。同じ環境を与えたとしたら素質が高い人の方が伸びます。ゼロの人は1ある人よりも本を読まないし、学力も伸びません。
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――2016年頃から学歴に影響を与えていると思われるSNP(一塩基多型。遺伝子の配列)が大量に見つかり、ゲノム検査の結果で個人の学歴について12~16%説明できるようになってきたそうですね。
 安藤 はい。これを聞くと「生まれがダメだとうまくいかないのか」と悲観論に陥るかもしれませんが、逆に言えば、仮に劣悪な環境に生まれたとしてもポリジェニックスコア(遺伝的なスコア)が高ければ階層間移動が生じている、才能があれば貧乏だろうが僻地の生まれだろうが素質を伸ばして這い上がっていくこともわかってきたんですね。そしてどんな階層の出身であっても、社会的に評価される能力に優れた人は一定の確率で生まれています。
 こう言ってもまだ「自分は(あるいは自分の子どもは)勉強ができないからダメだ」と思う人もいるかもしれません。どうしてもみなさん知能や学歴のことを考えがちです。しかし、どんな能力も知能と同じように持って生まれた素質があり、そして人によってバラツキがあります。世の中で使われている能力は非常に多様です。人に対する気配り、実行し続ける能力、トレンドを見抜く能力、それぞれの業界や職場で評価されるセンスなどといったものの背後にも遺伝に由来する素因がある。ですから持って生まれた素質を活かせる場所を見つけられれば、どこにでも階層移動のチャンスがあり、あるいは充実した人生を送る可能性があると信ずる根拠にもなりえます。
――学校の教育によって将来が変わるのではなくもともとの能力が学校を選ばせているとか、エリート大学に受かったが行かなかった人と実際に入学した人を比較したところ将来的な賃金は変わらないという研究が本では紹介されていました。学力の差も50%は遺伝、30%は家庭環境で決まるわけであって、学校がその人に与える影響はそんなに大きくないと。中国や韓国、シンガポールなどでは幼少期からの受験戦争が苛烈ですし、日本でも都市部で中学受験熱が高まっていますが、そんなに親が熱を入れてお金を投じなくてもそこまで変わらないということですよね。
 安藤 ただもちろん、学力が高くなる素養を持った子であっても、勉強する意思が完全にシャットダウンしてしまえば伸びません。第一志望の学校に落ちたことで腐ってしまうといったことがあると、そちらの方が問題かもしれません。環境決定論に立つと「環境がダメだからもうチャンスがない」というあきらめにつながるわけですが、行動遺伝学の研究はむしろ、「あと一歩で受かった」「たまたま受験日に体調を壊して落ちた」という人なら、その程度の失敗はその後の人生をそれほど大きく左右しないことを示しています。もっとも、学歴や社名のネームバリューを重んじる場所に行けばどの学校や会社に入ったかがその後の人生にも影響するでしょう。でも、それよりも実力が評価される場もありますから。
 「非認知能力」は鍛えて伸びる「能力」ではなくその人の「パーソナリティ」(性格)
――巷の教育本には、就学前教育の効果が大きいという教育経済学者のジェームズ・ヘックマンの研究や、目の前にあるマシュマロをガマンできた自制心ある子どもが大人になったときに社会的に成功する傾向があるというマシュマロテストの話がよく引かれますが、どちらの話にしても遺伝の影響が半分あると。
 安藤 そういうエビデンスが行動遺伝学では出ています。「地道にコツコツできる人間は知能、学校の成績が良くなくてもうまくいく」みたいな話が最近の流行りですね。そしてそういういわゆる学力以外のものが「非認知能力」と呼ばれています。しかし、私に言わせればそれは能力ではなく「非能力」、パーソナリティなのであって、鍛えれば鍛えるほど累積的・蓄積的に増えていく筋肉のようなものではありません。
 たとえば最近GRITなどと呼ばれている「やりぬく力」の遺伝率は37%で、ビッグ・ファイヴ(人間の性格を「外向性」「調和性」「誠実性」「神経症的傾向」「経験への開放性」という5つの因子でスコア化したもの)と呼ばれるパーソナリティの遺伝率と同程度です。共有環境の影響はなく、学力との相関もごくわずかで、その相関を生んでいるのは遺伝なのです。人によってセットポイントが異なり、低い人も工夫すれば実行力をなんとか持続できますが、高い人は生まれつきかなり持続できます。生後に与える環境や本人の行動次第で劇的に伸びるといったものではありません。
――どういう環境を好むのか、何をするのが好きか・得意かにも遺伝の影響が大きいということは、その人が「これが好き」「これはイヤ」と直観的に思うことは遺伝的な適性を反映している可能性がそれなりに高いので、習い事や進路は好き嫌いで決めた方が能力を発揮できる可能性がある?
 安藤 総論としてはイエスなのですが、注意点があります。その人が「好き」というものが何に表れるのかは、保護者や教育者が期待するようなユニットでは出てこないかもしれない、ということです。たとえば「ピアノを弾くのが得意」というレベルではなく、「ピアノの鍵盤を叩いたときの感覚が好き」とか「この和音が好き」というレベルで出てくるものもある。そういうことは日常の中ではなかなか意識化されず、周囲にもたいしたことではないとみなされやすい。しかし、遺伝の影響は微妙なところに出てきます。細部、些細に思えるような部分に表れているものに注意を払ってみるといいでしょう。
 以前、テレビ番組の制作者から取材を受けた際に、その方が「そういえば私、大学生のころにキャベツの千切りにハマって、もし世界大会があったら優勝するくらい自信があったんです」と言っていましたが、たとえばそういうことです。ご本人は「普通の人がこだわらないようなものにこだわるタチで、そこが番組制作でも評価されている気がする」とおっしゃっていましたが、その方の脳の配線はそういうときに刺激の入力に対していいバランスで脳の活動がアウトプットされるのでしょう。
 脳の配線はたくさんの遺伝子の影響で決まります。小さいころから「文章を書くのが得意」といったわかりやすい表れ方をする人もいるでしょうが、ひとつひとつは取るに足らない何気ない好みや得意不得意の集まりとして表れると思っていた方がいい。そういうものの集まりが、うまくハマって発揮できるような場とマッチできれば、他人から人と比べて「いいね」と思われる「才能」になるのではないかなと思います。
 長崎の壱岐に猿岩というものがあります。才能は猿岩のようなものです。基本的にはランダムに、自然にそれぞれの人に脳の配線のネットワークが割り振られます。たまたま偶然、見事に猿に見えるような配置になることもある。それが天才と呼ばれるような人たちです。
 しかしたとえば、野球がない文化では、大谷翔平は野球の才能を発揮することはできません。野球というスポーツがあったから大谷はものすごい選手になれた。多くの人はそれと比べるとかたちが明瞭ではない岩ではありますが、それぞれがその人なりの独特のかたちをしている。そしてその岩がある環境やタスクにうまくハマることができれば、他者からも評価される。そういう感じなのではないかなと。
――遺伝と持って生まれた環境で8割は決まってしまう、という事実を踏まえて、教育関係者や保護者はどう考えていけばいいでしょうか。
 安藤 行動遺伝学では「どんな教え方もしてもそんなに変わらない」ことが示されています。20%を占める非共有環境のうちのほんの少しの部分だけを先生や塾講師は影響を与えることができる。ちゃんと学習する機会を与えている限りにおいて、学習者は自分の遺伝的素養に見合ったものを最終的には学習してくれます。言い換えればたとえ教師の力量がそれほど優れていなくても、間違ったことを教えるとか、学級崩壊させるようなことがなければ、あとは子どもの素質次第であり、教師の力量の差は一過的なものにすぎません。ということは流行の教授法やカリスマ教師の教え方などにとらわれなくとも、先生自身が自分らしく教えていれば、どんな先生も十分仕事を果たしていると言えます。
 学校はなんでも抱え込み、子どもにできるだけ良い環境を作ろうとします。「その子らしさを見よう」というかたちで評価方法もどんどん複雑になっている。でも、そんな改善なら、やってもやらなくてもそんなに変わらないのです。「今の学校教育はまずい」ととかく言われがちですが、冷静に見ればこれまでだって日本はノーベル賞をアジアで一番輩出し、PISAOECD加盟国の15歳を対象にした学力到達度調査)だってトップレベルです。「今の日本の教育」のすばらしさを自覚し、もっと自信をもっていいのではないでしょうか。
 保護者にしても、小さいうちから無理やり塾に行かせたりしても、その子にとっての一生の財産にならない可能性がある。親は自分で考えているほど子どもの人生を決められるわけではない。子どもにあれもこれもやらせなきゃと抱え込んでいたり、いろいろ与えてあげられなくて申し訳ないと思っている人は、気持ちをラクにしてもらえればと思います。そのときその子が楽しい、できると思うことを、その家庭でできる範囲でやらせてあげれば十分です。あとは子ども次第です。これを読んでいるあなた自身がそうだったように。」
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