🦉6〕─1─老化を防ぐ「前頭葉」日本人がほぼ使えていない訳。~No.11No.12No13 

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 2022年12月10日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「老化を防ぐ「前頭葉」日本人がほぼ使えていない訳 未経験のことに挑戦する時に使うのだが…
 和田 秀樹 の意見
 日本という国は、前頭葉の機能が低下しやすい社会だといいます(写真:Fast&Slow/PIXTA
 © 東洋経済オンライン
 年齢を重ねると、脳は「前頭葉」から萎縮しはじめる。だから、前頭葉を鍛えることが脳の老化を防ぐことになる。前頭葉は意欲などをつかさどる部位で、経験したことがないことに挑戦するときなどに使う。しかし、日本ではとかく「前例踏襲」が好まれ、日本人は前頭葉を使っていないと、精神科医和田秀樹氏は指摘する。日本の教育も前頭葉を鍛えるものになっていないという(本記事は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』の一部を抜粋・編集したものです)。
 詰め込み教育は「悪」ではない
 日本という国は、前頭葉の機能が低下しやすい社会構造を持っています。簡単に言うと、前頭葉を働かせて新しいことをしようとすると、前頭葉を使わない「前例踏襲」の人たちにはじかれるという構造です。
 少し考えただけでも思い当たるはずです。大多数の意見とは逆のことを言う人は、しばしば「異分子」として白眼視されます。人より目立ちすぎると、「出る杭」として打たれます。新しいアイデアを出しても、「前例がないから」と却下されることが多々あります。そうした社会から、新規性のある面白いビジネスが生まれるのは難しく、日本の国際競争力は落ちるばかりです。
 その諸悪の根源は、教育システムにあると私は考えています。日本では、前頭葉を鍛える教育をまったくしていないのです。
 こう言うと、50代の方は「詰め込み教育」を連想されるかもしれません。この世代は人数が多く、受験戦争が熾烈だったので、10代のころの猛勉強がつらい思い出になっている人もいるでしょう。そして、大量の知識を一律にインプットする初等・中等教育こそが「悪者」だとみなしがちです。
 しかし、それは違います。小中高校での詰め込み教育は悪ではなく、むしろ不可欠なものです。この段階で詰め込まなければ、語彙も増えない、計算もできない、世の中のしくみにもまったく無知という状態で成人してしまいます。初等・中等教育において、必要な知識をひたすらインプットするのは、理にかなったことなのです。
 「とはいえ、好奇心やクリエイティブな感性を伸ばすことも重要では?」と考えた方もいるでしょう。「個性重視の教育」を対置して「詰め込み教育」を批判する声も、よく耳にするところです。
 では、その考えはどこから来たものでしょうか。「欧米の教育は個性重視だから」ではないかと思います。しかしここにもまた、大きな誤解があります。
 たしかに、1960年代~80年代初頭までのアメリカやイギリスでは、個性を重んじ、好奇心を伸ばすことを優先した教育が行われていました。しかしその結果、深刻な学力低下が起こり、アメリカもイギリスも方針転換せざるを得なくなりました。
 その際に手本にしたのが、日本の詰め込み教育です。1980年代の日本の隆盛の基盤は初等教育にあるとして、教育改革を行ってテコ入れをし、学力を回復させています。つまり英米において、「詰め込み=悪」という考えは時代遅れとなって久しいのです。ついでに言うと、その後、アメリカからは世界的なIT企業が、イギリスでもダイソンのような昔の日本を彷彿させる企業が生まれています。
 「ゆとり教育」が失敗した理由
 ところが日本は、アメリカやイギリスとは逆の道をたどりました。詰め込み教育に対して要らぬ反省をし、「ゆとり教育」へとシフトしたのです。これは、文部省(現・文部科学省)の中央教育審議会委員を務めた大学教授陣が、1960~70年代のアメリカに留学していたことが影響しています。
 彼らは、教育改革をする「前」のアメリカの教育を理想化し、帰国後、それに倣うことを目指しながら着々と出世しました。そして教授になると「ゆとり教育」の基本方針を答申。1990年代半ばにゆとり重視の学習指導要領が導入され、2002年から現場で施行されます。
 そのころ、日本はすでに台湾や韓国に中学生の数学力で後れをとりはじめているということが調査結果で明らかになっていました。にもかかわらず、わざわざ学力を落とす改悪をしたことが、現在のIT分野での惨敗を招いていることは火を見るよりも明らかです。
 アメリカが1980年代に捨てた方針を、21世紀になってから踏襲するという的外れな施策が、なぜ行われてしまったのでしょうか。それは、教授たちの知識が留学時代から更新されていなかったからです。
 いやしくも教育のプロならば、帰国後も勉強を続けて、常に最新の知識を得ておくべきところです。しかし日本の学界には、教授になれば勉強しなくても地位を保てるという、悪しきシステムがあります。この既得権益に、権威を得た教授たちが何十年もしがみつき、決定権を握って離さないのです。
 日本の大学教育の質の低さは世界ワースト
 この「偉い方々」は、世界で高く評価された日本の初等・中等教育を捻じ曲げただけでなく、小学校~高校の教員資格に免許更新制も導入しました。大学教授の資格こそ更新制にしろと、声を大にして言いたい思いです。
 教員免許の更新制は弊害があまりにも大きく、2022年に廃止になりました。そして、最新の知識が必要な大学教授たちの免許更新はいまだに実現していません。日本が前頭葉の機能が低下しやすい社会構造を持っている元凶は、小中高校の詰め込み教育ではなく、大学教育にあります。
 日本の大学教育の質の低さは世界ワーストレベルだと私は考えています。大学は本来、それまでインプットした知識を使って、自ら思考を組み立て、アウトプットする力を養う場です。諸外国での大学教育では、そこに力点が置かれます。だから、教授の言うことに逆らって議論できる学生が優秀とされます。
 対して、日本のほとんどの大学で行われているのは、教授が教えた通りのことを試験で答えればよいという教育です。どちらが前頭葉を鍛える教育であるかは、言うに及ばないでしょう。
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