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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本人が、東アジアで生きてこれたのは日本民族が持っていた特殊で特別な遺伝子の御陰である。
日本民族の遺伝子とは、数万年前の旧石器人(ヤポネシア人)、縄文人(日本土人)の祖先から直系子孫として受け継いだDNAである。
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2023年1月19日号 週刊新潮「脳科学者・中野信子さんが見たセメントの底力
セメント協会理事 増田浩氏 対談
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日本人を生き延ばせた不安能力
中野 日本は地球の総陸地面積の1%ぐらいですね。そこに20%の災害が集中しているという大変な国です。その災害に耐えうる資質は何か。実は不安になりやすい性質の方が耐えやすいんだということを、日本人の遺伝子プールの特殊性を見ていると摘出できそうだ、というのがおもしろいと思うんですね。先々、こういうことが起こるかもしれないから、あらかじめこんな準備をしておこうと。別に電車が1分以上遅れたって、人は死なないかもしれないけど、やはりあってはならないことで、事故のようなものなんだというこを言っていくことが私たちの武器だったと思ういつもと違うこと思うんですね。いつもと違うことが起きた。もしかしたら大きな事故の前ぶれかもしれないから気をつけようね、ということの価値が私たち高かったんだと思うんです。
不安になりやすい遺伝子と、そうでない遺伝子というのがあって、不安になりやすい遺伝子の持ち主というのが、どういう割合で入っているのか。ざっくり言うと、日本人の97%の人が不安になりやすい遺伝子を持っているんですね。こんあ国、他にないですね。アメリカだと7割切るぐらい。移民の国ですから、あまり不安になっていては、生きていけないわけです。明日は明日の風が吹くという人でないと生き残れない国だったんだと思うんですね。でも、日本は明日何が起こってもいいように準備しておかないと、そういう国なんです。そこでその社会インフラを支える仕事ということの意味はすごく大きいと思います。
増田 日本人ってそうですよね。常に何が起こりそうなことを準備しとかないと心配で、だからお金あるんだけど、100まで生きるかもしれないから、とっておかなきゃ、みたいな。
中野 そうですよね。心配する能力とでも言いますか。災害によっておそらく抽出されてきたであろう不安能力というものが、作る製品のクオリティの高さになっていたり。……」
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民族ごとに特有の遺伝子を持っていて、その遺伝子から日本民族は中国民族(漢民族)・朝鮮民族・韓民族とは全然違う。
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同じ日本人といっても、江戸以前と明治以降とバブル崩壊後では別人のような日本人である。
そして、反宗教無神論・反天皇反民族反日本人を標榜するリベラル左派日本人は、中国化、韓国化・朝鮮化して日本民族遺伝子は薄いか持っていない。
そうした日本人が増えている。
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同時多発的に頻発する複合災害多発地帯の日本列島で生きる日本人と中国人、韓国人・朝鮮人の違いは、遺伝子にあった。
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日本民族は遺伝子から喜怒哀楽がハッキリしていたが、不機嫌な日本人、キレる若者はもちろんキレる老人、暴走シニア、暴力シニア、凶暴シニアは少なかった。
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1月19日号 週刊新潮「変見自在 高山正之
韓国人化
日本に逗留中のキプリングは今でいう震度5弱ほどの地震に遭った。
床も壁も天井も踊り出し、死ぬ思いで表に這い出したら、その家の女たちが『とっくに終わっていますよ』とにこにこ笑っていた。
『日本人は最後の審判すら笑って通るのだろう』がキプリングの感想だった。
下田に来たプチャーチンは安政の大津波に遭った。彼のディアナ号はあの港の中をぐるぐる42回も回されて大破した。
風が吹けば江戸の半分が焼ける大火を生み、長雨が続けば鉄砲水か、下手すれば川が氾濫して村ごと消えてなくなる。
地震も噴火も台風もない白人世界から来たら日本はまるでリバイアサンの巣窟に見えたかもしれない。
しかしキプリングが見たように日本人はどんな災害も笑顔で受け入れる。
エドワード・モースは大火に遭った人々が笑いながら町の再建に力を合わせる姿を記録している。
後にスイス大統領となるエメ・アンベールは維新前の日本に来ている。
母国と違って女の子も一緒に読み書きを習っているのに驚いたが、もっと驚いたのが子供たちが最初に習ういろは歌だった。
色に匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常にならむ有為の奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず
こんな小さいころから世の無常と死を教え、身勝手な夢に酔うことなく心安らかになれと諭す。
日本人の心にそれが根付いているのをモースはたまたま大火の焼け跡で垣間見たことになる。
世界も3・11大震災のときにそれを目撃した。
救援物資を届けられた被災者が『私たちはいいからもっと困っている人に』と固辞する姿だ。
『救援物資』とは世界では『我先に略奪するもの』を意味する。トルコの山奥でクルド人難民にトラック1台の救援物資が届いた現場を見たことがある。
群衆が我勝ちに荷台によじ登り、トルコ兵が銃の台尻で殴りつけ、空砲まで撃つが誰もひるまなかった。
その日本人は今もいろは歌の心を持っているのか。
この国はいつも火山が噴火してきた。阿蘇も雲仙普賢岳も有珠山も。
御嶽山も噴火して、登山客63人が犠牲になった。山もまた無常だった。
ただ犠牲者の家族は無常を拒んだ。火山警報を出さなかった気象庁に責任がある、4億円の賠償を払えと訴えた。
一審は訴えを却下した。世は無常だと。
この裁判と前後して東電福島の被災住民が『国が原発政策を導入し、加えて大津波を予測したのに東電に防波堤を作れと命じなかった』から一人当たり3,000万円を払えと訴えた。
最高裁は国が原発導入を決めたことは認め、だから『無答責』と答えた。
これが世界の通念なのに日本では敗戦利得者の南原繁がGHQに阿って国家賠償法を成立させた。
それが殺人鬼にも悪用されたが、やっと最高裁が正気付いたことになる。
何でも国にたかろうとするなというわけだ。
二点目の防波堤も、仮に予測に従って作ったところで『あの津波は(人知を)遙かに超えた規模で被害は免れなかった』と。
人間が津波を予測しコントロールできると思うこと自体が尊大だ。いろは歌にある大自然に対する畏敬の念を忘れた思い上がりだと判示した。
東電福島事故の被害者は確かに耐え難い苦痛を嘗めてきた。だから東電は莫大な賠償を支払い、全国民も所得税の2%増額を負担し、国も特別会計を組んで支援は11年を超えた。
それでも国民に感謝するでなし、津波まで国の責任と言い張る。
最高裁の判決からまもなく産経新聞にソウル発の黒田勝弘のコラムが載った。
『日本では自然災害は天災だが韓国では災難はすべて人災にしたがる』
だから旱魃を恐れる王様は毎日雨乞いし、今の大統領は船の転覆にも責任を問われる。
日本人もあちらさんににてきたのかもしらん。」
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