〖目次〗貼り付ける記事。:海外編。中国、朝鮮。中国共産党。 2023年版。

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。

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 中国は、衣の下の鎧であり、信用して気をゆる事はできない。

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 中国共産党国防動員法。国家情報法。反外国制裁法。

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 東アジア大陸には、南の大河川流域にあった黄河文明長江文明、北の寒冷地にあった草原文明、西の乾燥地域にあった砂漠文明の環境条件が異なる4つの文明が存在し、生き残る為に熾烈な攻防戦をくり広げていた。
 「人と道具と文化は動く」という人類史からいうと、動かない黄河文明長江文明は地域文明であり、動く草原文明と砂漠文明は広域文明である。
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 草原文明(遊牧文明)の1つが遼河文明であった。

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 東アジア世界は内陸の世界・草原の世界・海の世界の3つが三竦みとして共存共生していた。
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 東アジアは日本・中華帝国朝鮮半島諸王国の3国とは違う、3つの世界、3つの文化、3つの価値基準、3つの歴史観、3つの歴史風土が存在する。
 ただし、言語・文字・宗教は3つ以上で複雑多岐であった。
 1つ目が中国(黄河流域・揚子江流域)・朝鮮・ベトナムなどの農耕内陸で、2つ目が満州・モンゴル・チベットウイグル中央アジアなどの遊牧草原で、3つ目が千島列島・樺太蝦夷地・日本・琉球・台湾・フィリピンなどの漁労海洋である。
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 乗り物は、農耕内陸は馬車・戦車で、遊牧草原は馬で、漁労海洋は舟であった。
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 西洋やオリエントと繋がる道は、農耕内陸は絹の道で、遊牧草原は草原の道で、漁労海洋は海の道であった。
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 歴史風土とは、農耕内陸は儒教道教・法家などの諸子百家、遊牧草原はマニ教イスラム教・他、漁労海洋は自然・精霊の崇拝とインド由来仏教であった。
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 歴史観とは、儒教道教による天帝の内陸史観、マニ教による天の草原史観、神話による神の海洋史観である。
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 東アジアの大地・海原・天空そして人から生物・有機物や無生物・無機物までの森羅万象の全てに、多種多様の宗教が存在する。
 現代科学風に言えば、東アジアの宗教とは、宇宙に存在する目に見えない暗黒物質ダークマター)と暗黒エネルギー(ダークエネルギー)である。
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 三竦みを個々にまとめて秩序と治安を与え安定させているのは磁石のような儒教中華思想である。 
 その意味で東アジアには、2つの大きな磁石(農耕内陸と遊牧草原)と1つの複合磁石(1つの中規模な磁石{日本}と幾つかの小規模な磁石{琉球アイヌと東南アジア諸国}の寄せ集め)が存在する。
 世界の核となる中華主義中華思想は、一つしか認めないという独裁では間違いで、複数が同時に共存共生するにおいては正しい。
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 農耕内陸には、南船北馬といわれる北の黄河文明と南の長江文明の2つがあった。
 遊牧草原には、馬の草原文明とラクダの砂漠文明の2つがあった。
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 徳川幕府鎖国をする事で、国内に対立・反発する異質な海の世界・内陸の世界・草原の世界を縮小して移植し、混ぜ合わせながら必要なモノは取り入れ必要のないモノは容赦なく切り捨て排除し、安定・落ち着くように改良・改善を繰り返して根付かせた。
 それが、江戸時代、日本の近世であった。
 つまり、日本は見た目は小さな島国であったが、国内には地球規模の世界と数多くの国と地域の要素を内包している。
 それを例えるなら、日本は全てを兼ね備えた「箱庭」である。

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 古代東アジアには、黄河流域の馬の文化、揚子江流域の船の文化、日本近海の舟の文化の3つの文化が存在していた。

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 中華農耕民族は、北方遊牧民族と戦えば十中八九は敗北し、中華帝国の大半が異民族が打ち立てた征服王朝で、漢族は小人として貧しく惨めな身分に落とされていたが、教養・道徳・精神では勝っているという「阿Q」(魯迅)的思考で優位に立っていた。
 その意味で、漢民族歴史観は虚勢・虚栄の被害者史観で、栄光ある輝かしい史観などはない。
 それを誤魔化す為に政治用語として「中華民族」がつくられ、そこには歴史・文化・伝統・宗教などを持った生きた民族は存在しない。

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 共産主義には、共通認識で団結する万国の人民は存在しても地域の伝統文化を共有する民族は存在せず、解明される科学があっても解明不可能な宗教はなかった。
 つまり共産主義にとって、文明・文化を生み出した民族と宗教は滅ぼすべき敵であった。
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 中国の民族主義共産主義は、周辺の諸国や地域に対する残虐な侵略思想であり、虐殺を正当化するイデオロギーであった。
 その被害者が、モンゴル人、チベット人ウイグル人などの少数民族である。
 歴史的事実として、中国人の残虐行為、暴挙・虐殺は山の様に腐るほどに嫌になるほどに辟易するほどに見たくも聞きたくないほどに存在する。
 それは、今も昔も変わる事がなく、「百年河清を俟(ま)つ」である。

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 中国の歴史は、古代から戦争による虐殺と強奪の生き地獄であった。
 平和の時代は短く、侵略戦争や内戦・反乱の時代は長かった。
 中華の思想・哲学の諸子百家が現れた、古代中国である前770年~前221年の春秋戦国時代である。
 中華帝国儒教を国教とした統治制度が定まったのは、古代の隋(581~619)と唐(581~907)前期であった。
 日本が中国に学んだのは唐前期までで、それ以降はインドの仏教を中心に学んだ。
 朝鮮は、日本と違って儒教を真剣に学び、仏教は中国に倣って弾圧した。
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 古代中国人は、ほんの極少数だけが一族・家族中心の宗族主義で生き残ったが、大半は死に絶えた。
 現代に残っている漢族中国人は、周辺異民族が大量に移住し混血を繰り返して生まれた混血中国人である。
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 清王朝 1616~1912年。
 第6代乾隆帝:1711~1799年、在位1735~1795年。
 1755年 清軍はジュンガル帝国を滅ぼした。
 1757年 ホイト部長のアムルサナーは叛乱を起こした。
 清軍は反乱掃滅を行い、反乱軍はもちろん非戦闘員も全て捕獲、男性は殺害、婦女子はハルハ部に与えられた。
 清国軍が天然痘をもちこみ、オイラトの人口は激減し、ジュンガル人はほぼ全滅した。
 虐殺、疫病により数十万の人々が死亡した。
 ウイグルの苦難の歴史はこの時から始まった。
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 乾隆帝は、さらに四川・安南・ビルマを侵略して中国最大の版図を築いたが、この時が清朝の最盛期であった。
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 1793年 イギリス最初の中国への使節として清に派遣し、乾隆帝に直接面談して、自由貿易を認める通商条約締結の交渉を行おうとした。清朝側は皇帝への最敬礼である三跪九叩頭の礼をとることを要求。マカートニーはそれを拒絶、謁見は果たしたが、交渉に入れず、自由貿易も認められず帰国した。
 世界史の窓
 マカートニー
 イギリスの外交官で、1793年、広州以外の開港などを自由貿易を要求するため清朝に派遣された。
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 1796〜1805年 仏教系弥勒菩薩信仰白蓮教の乱。
 総人口は、1791年の3億435万人が1801年に2億9,750万人に減っていた。
 中国仏教は、仏陀弥勒菩薩という救世主が世の中を救うという反儒教反体制の革命宗教であった。
 中華儒教は、天帝・天子・皇帝の権威や聖人君主の人徳を否定し脅かす仏教などの奇跡と恩寵を売る宗教を弾圧した。
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 1840~42年 阿片戦争
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 1851~64年 プロテスタントキリスト教徒中国人の反乱である太平天国の乱で2,000万人以上が虐殺され、中国全土では人口の約4億3,000万人中1億6,000万人以上に激減したという。
 無宗教の日本人は、神の為なら人殺しを正当化するキリスト教に恐怖した。
 大陸世界では、信仰宗教をめぐる戦争による虐殺が繰り返さる殺戮地獄であった。
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 1853〜66年 捻匪(ねんひ)の乱。
 1852年に発生した華北の飢饉が引き金となった。
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 回教の乱。1856〜73年 雲南省のパンゼーの乱。1862〜73年 陝西省甘粛省のドンガン人(中国系ムスリム)の蜂起。
 漢人と回教徒の両方が報復として虐殺を繰り返し、戦乱を恐れて多くの住人が逃亡した。
 1861年 甘粛省の人口は、1,945万9,000人が1,394万人に減った。
 1880年 甘粛省では495万5,000万人、陝西省では772万人に激減した。
 陝西省の回教は70〜80万人いたが10年後にはおよそ9万人まで減少した。
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 1796年から1873年までの宗教結社による「教党の反乱」だけで、5,000万人~1億人が虐殺されたと言われている。
 日本人が憧れた中国は、血に飢えた中国人による猟奇的虐殺で地獄と化していた。
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 世界の常識は、友好的な少数派で反抗的な多数派を支配するであり、その為に少数派には権力と富を与えて裕福な教養ある上流階級にし、多数派からは奪える限りを奪って極貧の無学な下層階級とした。
 1856年 ビルマ王国はイギリスの侵略で滅亡した。
 国王は国外追放後に殺害され、王子は皆殺にされ、王女は奴隷・娼婦・下層民の妻に去れ、ビルマ王家は消滅した。
 ビルマの各少数民族は、多数民族ビルマ人による長年の偏見・差別・抑圧への報復として、イギリスから与えられた警察権を行使して仏教徒ビルマ人を弾圧し、復讐として不当に逮捕して拷問死や処刑を繰り返していた。
 1858年 ムガル帝国はイギリスの侵略で滅亡した。
 イギリス女王がインド皇帝に即位し、インド人皇帝は国外追放後に殺害され、男子皇族は皆殺にされ、女子皇族は奴隷・娼婦・下層民の妻にさ、ムガル帝室は消滅した。
 開明的な藩王(マハラージャ)は親英派として、300年以上の歴史を持つムガル帝室を時代遅れとして見捨て、忠誠心を捨てて裏切り、イギリスの植民地支配に協力した。
 植民地支配を受けていたインドは、自然災害が発生すれば広範囲で甚大な被害が発生し、被災地では数十万人から数百万人が犠牲となる地獄であった。
 イギリスと親英派は、独立運動を武力で鎮圧して虐殺し、反英派や独立派を弾圧していた。
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 1853年 アメリカのペリー黒船艦隊は浦賀に来航した。
 1898(明治31)年 アメリカはハワイ王国を併呑した。ハワイ王家はアメリカ移民とキリスト教会の侵略で消滅した。
 日本海軍は、アメリカの軍事侵略を警戒した。
 日本の戦争は、攘夷で、外国の侵略に対する積極的自衛戦争であった。

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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子の軽はずみな戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
 渡来人の中国人や朝鮮人には、皇室に対する畏れはなく、天皇や皇族を殺す事に罪悪感はなかった。
 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や差別はここから始まっている。
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 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
 834年 日本人百姓は、偏見と差別、新羅系渡来人への憎悪から武器を持って新羅村を襲撃した。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
 894年9月 唐の将軍を加えた新羅船100隻、2,500人が、対馬を襲撃した。 対馬の文屋義友は約500人の手兵で迎え撃ち、敵の大将を含む302人を撃ち取った。 捕虜となった新羅人の自白「朝鮮半島は不作により人民は飢えに苦しみ、治安が悪化していたため〝王の命令により〟襲撃した」
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
 『韓国人に不都合な半島の歴史』 著者 拳骨たくみ「太宰府が4月16日に送った報告書が『朝野群載』(巻20)に記載されている。
 その記述によると、彼らは畠を食いつくし、馬や牛、犬の肉まで食べたという。年寄りから子供らはみな惨殺され、壮年の男女400~500人は船に乗せられ拉致された。
 ……
 高麗海軍による攻撃を受ける最中、賊たちは日本人捕虜たちを殺したり、す巻きにして海に投げ込んだりした。
 高麗は日本人を救出し、300人余りが助かったと生存者の供述書に書かれているが、この時点で拉致された人々の80%近くが死亡していることがわかる。
 ……
 一方の日本は、高麗に対して不信の念を強くしていた。
 権大納言藤原実資は、『賊は刀伊ということだが、捕虜を尋問したところ『高麗国が刀伊を防ぐために自分たちを派遣したが、刀伊に捕縛された』と答えている。数千もの賊がいて、なぜ捕まったのが高麗人だけなのか。賊は高麗人が嘘をついて刀伊人であるとしているのではないか』との見解を示した(『小右記』)。
 この不信感には先述したように、かつて新羅による海賊行為がしばしば見受けられたことで、裏で高麗が糸をひいているのではないかと考えられたからに他ならない。
 これらの事例からも、日本が韓国を古来から尊敬していたなどという話は、まったくの架空であることがわかるだろう。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
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 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
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 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
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 1405年~1433年 明の永楽帝イスラム教徒で宦官の鄭和は、大艦隊を率いて南海遠征を行った。
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 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
 朝鮮軍、227隻、1万7,285人。
 島民114人を虐殺し、民家1,939戸を焼いた。
 対馬守護代宗貞盛は反撃し、朝鮮軍2,500人(一説では3,700人)を撃ち取り、日本側の戦死者は123人。
 朝鮮軍は、台風を恐れて全軍撤退し、事実上の敗走であった。
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 1428年 世宗大王は、日本からコメ作りや水車の製造など多くの事を学んだ。
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 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
 後期倭寇は中世のバイキングに似たところがあった。
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 豊臣秀吉朝鮮出兵・唐入り。
 1792年文禄の役、1797年~98年慶長の役。 
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 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。

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 民族を分けるのは、集団としての言語・文化・伝統・習慣・風習ではなく、共同体を一つにまとめる宗教であった。
 日本民族をまとめる宗教とは、天皇心神話である。
 天皇への畏敬・敬愛・崇敬そして忠誠が、「ある」者は日本民族帰化系日本人で、「ない」者は日本民族ではなく日本人・渡来系日本人である。
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 日本民族の、自然崇拝・精霊宗教は数万年前の石器時代縄文時代まで遡り、最高神・女性神の神の裔・天皇神話は数千年前の弥生時代古墳時代に原型があった。
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 ゾロアスター教拝火教)は、紀元前6世紀頃から始まった。
 エジプト文明の宗教・神話は、5000年前。
 メソポタミア文明の宗教・神話は、紀元前3000年頃。
 インド仏教教祖の釈迦の生没年は、紀元前463~383年、同560~480年など諸説ある。エジプト神話
 ユダヤ教は、紀元前4世頃に発展したと言われている。
 キリスト教は、イエス・キリストが紀元前4年頃から始めた。
 イスラム教教祖のマホメットは、570~632年まで生きていた。
 中華儒教孔子は、紀元前551~同479年に生きていた。
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 1847(弘化4)年 マルクスエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
 マルクス主義社会主義共産主義は歴史の浅い、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。

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 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
 日本の大陸政策は、領土拡大の侵略戦争ではなく母国防衛の積極的自衛戦争であった。

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 古代。中国大陸や朝鮮半島で繰り広げられていた血で血を洗う凄惨な戦争での敗者や弱者は、地獄の中華世界から逃げ出すように難民となって日本列島に逃げ込み、ヤマト大王倭国の庇護を受け、忠誠を誓う者は帰化人として、忠誠を拒否する者は渡来人として、日本に定住した。
 ヤマト大王倭国は、彼らから大陸や半島の悲惨な現状を知るや、中華の侵略から軍事力で日本を守る為に、全国の諸王国を一つにまとめる統一を急ぎ、極力軍事力を用いない平和的な手段を取っていた。
 何故なら、暴力的手段で平定しては、ヤマト大王倭国への恨みが残り、大陸や半島の諸勢力と軍事攻守同盟を結び、大陸や半島の軍事支援・援軍を受けて反ヤマトで徹底抗戦に及ぶ恐れがあったからである。
 中華世界の脅威の前で倭人同士による弥生の大乱を再演させない事、それが至上命題であった。
 日本天皇・日本国・日本民族の歴史とは、そうした歴史である。

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 皇室の血族優先(ネポティズム)は、血縁・地縁による依怙ひいき、縁故、身びいきとは違う。
   ・   ・   ・   
 中国・朝鮮は、公・忠より私・孝を優先する一族・家族中心の宗族主義で、公然と賄賂による不正が蔓延る依怙ひいき、縁故、身びいきである。
 楊逸「王朝時代の中国は、『家国』意識が強かった。漢王朝は『劉家天下』、唐王朝は『李家天下』と、国土と人民も皇帝家の『私有物』という考え方でした。」

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 黄河文明を創った農耕民の漢族中国人による中華王朝は、三国時代と司馬朝晋までの古代の諸王朝、趙朝宋王朝、朱朝明王朝で、その他は北方・西方の遊牧民の異民族征服王朝であった。
 異民族征服王朝時代、漢族中国人は奴隷であった。
 東方の朝鮮人は、一度も中華帝国をつくった事なく、中華帝国の属国の地位に甘んじ、礼法の国として、命じられるままに宮廷内奴隷(宦官)や宮廷内慰安婦(キーセン)を数を揃えて献上していた。
 南方の越南人(現・ベトナム人)には、中華世界には関心がなく、むしろ幾度も侵略してくる中華帝国の侵略と熾烈な防衛戦争を繰り返していた。
  ・  ・  
 中国皇帝は、漢族中国人だけでなく人種・民族、宗教、出自・出身、身分・家柄、血筋に関係なく能力があれば誰でも即位できた。
 それは、朝鮮半島の諸王朝・諸王家でも同様であった。
 禅譲放伐
 中国皇帝の正統性は、儒教道教の天人相関説・受命思想で、天(天帝)の子であり天命により天下を治める事が認められる。
 天命を失って帝位を去った旧帝室の一族は皆殺しにされ、旧主に忠誠を誓う者は女子供に関係なく家族全員・一族全員・身近に住んでいた住民も含めて大虐殺された。
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 ウィキペディア
 天人相関説(てんじんそうかんせつ)とは儒教で主張される教義の一で、天と人とに密接な関係があり、相互に影響を与えあっているという思想。天人感応説とも言う。
 前漢儒学者董仲舒は『春秋繁露』で森羅万象と人の営みには密接な関係があると説いた。
 概説
 天子の所業は自然現象に象られ、悪政を行えば、大火や水害、地震、彗星の飛来などをもたらし(→「災異説」)、善政を行えば、瑞獣の出現など様々な吉兆として現れるという。こういった主張は君主の暴政を抑止するために一定の効果があったと考えられる。
 天変地異や疫病流行などの災害を防ぐため、君主は善政を布くことが模範として求められ、特別に行うそれらの施策は「徳政」と言われた。元寇に見舞われた鎌倉時代を中心に中世の日本で行われた徳政の神領興行も、寺社の復興や祭礼・祈祷の勧奨など、本来はこのような意味を持っていたが、次第に朝威官権による債務の帳消し、土地所有権の回復などを意味するようになった。
 中国の過去の王朝の歴代皇帝は、地震や干ばつが長引いた場合など、災害が起きた時には、必ず「罪己詔」を発し、自らを才の無い、徳の無い人間であると称し、正殿を避け、食を減らし、己を罪とし、助言を求め、罪を犯した者を赦し、隠すことのない直言を求める詔を下し、誤ちを補った。
 天人相関説はやがて俗信と化し、占卜の域を出なくなる。後漢では王充により「天文は純然たる気の運行にすぎず」として批判された。
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 日本大百科全書(ニッポニカ)「中華思想」の解説
 中華思想 ちゅうかしそう
 一般的に、自己の文化が最高で天下の中心に位置するとみて、それと異なる周辺の文化を蔑視(べっし)する考え方をいう。こういう思想がとくに根強く存在したのは、東アジアでは中国であり、「中華」の周辺に「夷狄(いてき)」を配するところから「華夷思想」とよぶこともある。この思想は、もともと儒教の王道政治理論の一部として形成された。儒教は天子(王者)がその徳によって民をあまねく教化することを理想とするから、王者の住む中華の土地はむろんのこと、辺境や塞外(さいがい)も「王化」が及ぶはずの地域であり、たとえ現在は夷狄であっても、将来いつの日にか中華の文化に同化する可能性があることになる。
 こういう王者の徳を基準にした文化的な同化思想が中国で形成されたのは、戦国時代(前5~前3世紀)から秦(しん)・漢時代にかけてのことであった。それ以前の春秋時代(前8~前5世紀)ごろまでは、戎(じゅう)、狄、蛮(ばん)、夷の異種族は中華の諸侯から政治的に排除されるだけであった。ところが「戦国の七雄」とよばれるような、比較的広い領域を支配する国家が出現するようになると、それまで戎、狄、蛮、夷として排除されていた異種族もその郡県制領域支配のなかに取り込まれ、「王者」の徳が及べば中華に上昇する可能性があるとみなされるようになった。中華思想が、異なった種族の文化の存在を認めるのは、彼らの文化の独自の価値を認めるからではなくて、あくまで中華文化に同化する可能性をもつ限りにおいてである。したがって外国からくる使節も、中華を慕って「朝貢」したという形をとることによって、わずかに受け入れられた。
 中華思想は、自己を天下で唯一の最高の中心と考えるから、隣接する対等の国の存在を認めない。ここまでが中国だと自らを限定する国境や領土の観念をもつことは、「王化」の拡大する可能性を否定することになるからである。しかし、そうした国境や領土に関する観念のあいまいさが、近代以降になり、列強による中国領土・利権の分割を容易にさせたことは否定できない。
 [小倉芳彦
 『小倉芳彦著『中国古代政治思想研究』(1970・青木書店)』
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 中華儒教は身分差別主義で、民を読書人と小人に分け、小人を下等人と軽蔑して人命・人道・人権を認めず完全否定した。

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 中国共産党を含む共産主義が目指す理想的共産党独裁民主主義体制とは、ジョージ・オーウェルの小説『1984年』『動物農場』であり映画の『未来世紀ブラジル』の世界である。
 映画『マトリックス』、ストーリー「平凡な日々を送っていたトーマスは、ここ最近、起きているのに夢を見ているような感覚に悩まされ「今生きているこの世界は、もしかしたら夢なのではないか」という、漠然とした違和感を抱いていたが、それを裏付ける確証も得られず毎日を過ごしていた。」(ウィキペディア

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 日本軍部、日中戦争で、戦場で中国人を殺すという戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で中国人兵士を助けるという人道貢献もしていし、裏で中国国民党と停戦交渉の平和貢献も行っていた。
 日本陸軍は、昭和18年の河南省攻防戦で、飢えに苦しむ1,000万人以上の中国人を餓死から救った。

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 レーニンは、世界共産主義革命戦略から、中国共産党日本共産党など極東アジア共産主義者に対して、日本とアメリカを戦争させ世界戦争に拡大し、西洋列強の富と力の源であるアジアの植民地を解放するように示唆した。
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 1921年 日本留学組の李大釗らを中心とした中国人共産主義者らは、共産主義を日本国語飜訳本で学び、レーニンの協力を得て中国共産党を結成した。
 日本がアメリカに恐怖したのは、アメリカによるハワイ王国侵略とハワイ王家滅亡、そして自由・民主主義の大義キリスト教の正義によってと民族の宗教・言語・文化・風習・その他がハワイ諸島から根刮ぎ消滅させられたことである。 1912年(明治45年) 孫文は、日本の右翼や国粋主義者らの資金援助を得て辛亥革命を成功させて中華民国を樹立した。
 1924(大正13)年 孫文は、中国武力統一の為にソ連からの軍事支援を得る為に中国共産党と手を組んだ。第一回国共合作である。
 日本政府と日本陸軍は、広大な中国を幾つかの政権が分割統治した方が安定し平和を維持できるとして、孫文への軍事支援を控えていたが、孫文ソ連と組み中国共産党を認め共産主義者を引き込んだ事を裏切り行為とみなして切り捨てた。
 日本軍の大陸戦略は、天皇・日本国・日本民族共産主義勢力から軍事力で守るという対ソ満州戦略であって中国ではなかった。
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 マルクス主義共産主義は、人類史上もっとも血に飢えた凶悪・凶暴なイデオロギーである。
 共産主義ファシズム、ナチズムは、マルクス主義から生まれた悪の三つ子である。
 共産主義から、レーニン主義スターリン主義毛沢東主義などが発生した。
 日本の高学歴な知的エリートや進歩的インテリにはレーニン信奉者が存在する。
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 天下の悪法である治安維持法は、大正14(1925)年に公布され、昭和3(1928)年に改正され、昭和16(1941)年に全面改正され、反宗教無神論天皇制度打倒の共産主義運動を抑圧し、反天皇反民族反日本の共産主義者を弾圧した。
 が、天皇暗殺に失敗した不忠者は大逆罪・不敬罪で処刑されたが、それ以外の者は禁固刑として処刑されなかった。
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 明治後期・大正・昭和初期のテロには3種類あって、右派系日蓮宗原理主義者、左派系共産主義勢力・無政府主義者、宗教系キリスト教原理主義者(主に朝鮮人)であった。
 テロリストになる日本人は、高学歴者が多かった。
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 スターリン日露戦争で屈辱的な敗北を喫したのは、日本に天皇制があったからだ。これを打倒しなければ、日本はいつまでたっても極東においてロシアの脅威になる。権力の中枢である天皇制に何としても打撃を与えなければならない。日本共産党の任務はそこにある」
 イギリス、イタリア、ベルギーなど西洋諸国の各国の共産党は、自国の王室を人民の敵とは認めず、それ故に一度も「王室打倒」とは叫ばなかったし、ソ連・国際共産主義勢力も命じなかったし求めなかった。
 ロシア人理論家のニコライ・ブハーリンスターリンの意向を受けて、日本共産党・日本人共産主義者マルクス主義者らに送られる書簡に「天皇打倒」を書き加え、同時に各国の全ての共産党共産主義者にも同様の文言を送った。
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 昭和7(1932)年 ソ連コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
 日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を殺すべく活動を本格化させた。
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 三十二年テーゼ
 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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 1930年代後半 極左組織フランクフルト学派の哲学者達(主にユダヤ系)は、ナチス・ドイツの弾圧から逃れてアメリカに亡命し、アメリカ政府を反ヒトラーナチスと反天皇反日本へと誘導し戦争へ暴走させ、世界大戦を引き起こした。

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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
   ・   ・   ・   
 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ヒトラーから逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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 日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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 現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
 現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
 つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
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 昔の日本人は、戦場で人殺しの戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人助けの人道貢献や平和貢献を行った。
 現代の日本人は、戦争犯罪を行わないが、人道貢献や平和貢献も行わない。
 事実、中国共産党ウイグル内モンゴルチベットで行っている人道に対する犯罪であるジェノサイドから目を逸らしている。
 興味も関心もないと公言する親中国派・媚中派の政治家や官僚が存在する。

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 中国政府は、中国共産党の承認を得て成立・施行させた国内法を国際法や他国との条約・協約・合意よりも上位に置いて優先している。
 2014年施行、『反スパイ法』。
 2017年施行、『国家情報法』。
 2021年施行、『国防動員法』、『反外国制裁法』、『データセキュリティ法』『個人情報保護法』。
 中国共産党が一帯一路構想で世界基準として広めようとしているのは、国際ルールや国際法ではなく中国共産党が定めた中国ファーストである。
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 中国共産党は、国内外で活動する総べての中国企業と中国資本系外国企業に共産党支部を設ける事を義務化している。
 外国で活動する総べての中国企業と中国資本系外国企業は、中国共産党の監督・管理・監視下にある。
 中国資本傘下の日本企業もその例外ではない。
   ・   ・   ・   
 中国企業は、日本などで売られているインターネットに繋がっている中国製の家電商品やソフトウェア製品からブックデータを集めて中国国内に送っている。
 中国共産党・中国軍は、何時でも、必要な情報を合法的に中国企業から得る事ができる。
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 中国共産党は結党以来、中国軍(人民解放軍中国共産党民兵)は創設以来、変わる事がない反日・敵日である。
 中国共産党の統治と中国軍の存在の正統性は、抗日戦に勝利したという作られたニセ神話である。
   ・   ・   ・   
 中国共産党・中国軍は、日本国内に多数のスパイや工作員を潜入させている。
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 中国共産党は、尖閣諸島・沖縄、沖ノ鳥島、北海道を狙っている。
 中国軍は、日本に対して復讐戦の為に軍備を強化している。
   ・   ・   ・   
 中国共産党は、反日教育・敵日教育・憎日教育を徹底させている。
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 日本国内の反天皇反民族反日本的日本人とアイヌ独立派・琉球独立派、そして反米派・反日米安保派、護憲派・反自衛隊派らは、アジアの平和の為に中国共産党との繋がりを強めている。
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 中国共産党の中国国防動員法で、日本国内の中国人(華僑・旅行者・留学生)や日本国籍取得中国人(華人)らによる暴動・騒乱・内乱の危険性がある。
 日本国内には、200万人以上の中国人が存在する。
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 NETIB NEWS
 濱口和久「本気の安保論」
 知られざる中国国防動員法の恐怖(前) 拓殖大学客員教授 濱口 和久
 濱口和久「本気の安保論」2014年6月26日 16:04
 <日本人はほとんど知らない>
 ch2.jpg 日本のマスコミではほとんど報道されなかったが、中国では2010年7月1日に国防動員法が制定された。同法は、1997年3月に施行された国防法を補完するものである。中国が有事の際に「全国民が祖国を防衛し侵略に抵抗する」ため、金融機関、陸・海・空の交通輸送手段、港湾施設、報道やインターネット、郵便、建設、水利、民生用核関連施設、医療、食糧、貿易など、あらゆる分野を統制下に置き、これら物的・人的資源を徴用できるとしている。
 実際には、すでに国防法を補完する形で国防交通条例、民用船舶動員法、交通動員法などの条例や法律が作られている。たとえば、民用船舶の動員で言えば、中国軍は90年に瀋陽軍区で、初めて旅客船・貨物船を使用した海上輸送訓練を行なっている。
 中国は82年に英国がアルゼンチンとのフォークランド紛争で商船などを動員し、兵員の輸送と上陸作戦に活用したことに早くから着目し、民用船舶の動員を軽視できない第2の海軍と位置づけてきた。そのため民用船舶動員法の制定後は、1年のなかで1カ月間は、民用船舶を動員・徴用し、訓練・演習を実施している。
 中国の軍事力を評価する場合、民間資産(民用船舶等の輸送力)も加味して判断する必要性があるのである(『海国防衛ジャーナル』2011年1月18日号)。
 <日本人が人質に?>
 一方、「有事」の規定が曖昧である国防動員法について、国防動員委員会総合弁公室主任・白自興少将(当時)は、国防動員法が発令された場合、「日本を含めた外資合弁会社も法律の適用対象になる」と明言し、国防動員法の条項にある「民間企業には、戦略物資の準備と徴用、軍関連物資の研究と生産に対する義務と責任がある」に該当するとしている。
 国防動員法には「国防の義務を履行せず、また拒否する者は、罰金または、刑事責任に問われる」とう条項がある。この条項も日本を含めた外資企業に適用されるのだろうか。適用されれば、もし中国が日本に対する攻撃を仕掛け、国防動員法が発令された場合、中国に協力する義務が生じることになる。日本企業は、中国に人質にされたも同然となる。
知られざる中国国防動員法の恐怖(後) 拓殖大学客員教授 濱口 和久
濱口和久「本気の安保論」2014年6月27日 07:00
 <中国人が蜂起?>
 さらに厄介なのが「国防義務の対象者は、18歳から60歳の男性と18歳から55歳の女性で、中国国外に住む、中国人も対象となる」という条項だ。現在、日本には68万の中国人が住み、年間約100万人(香港を合わせると約150万人)の中国人が観光目的で日本に来ている。
 これらの中国人に国防動員法が発令された場合には、その瞬間から人民解放軍の兵士として日本国内で一斉に蜂起することが予想される。中国の政治体制から考えれば当然起こりうる行動である。2008年の北京五輪の際に、長野市で行なわれた聖火リレーの沿道に集まった中国人の集団行動(暴動)を思い起こせば、その恐ろしさがわかるはずである。
 <中国人観光客と日本のビザ発給要件の緩和>
 china_img6.jpg 国防動員法が制定された同じ日に、日本では、これまで富裕層に限っていた中国人の個人観光客向けの査証(ビザ)の発給要件が中間層にまで緩和された。年収ベースでは従来の年収25万元(約340万円)程度から、10万元程度まで引き下げられた。要件を満たす人口は世帯ベースで従来の10倍に当たる1,600万人になる計算だ。
 さらに11年7月1日からは、沖縄を訪れる中国人個人観光客に対して、マルチビザ(有効期限内であれば、何度でも出入りできる査証)が発給されるようになった。日本政府が観光を目的で入国する外国人に対してマルチビザを発給するのは中国が初である。ビザの有効期限は3年間で、ビザ保有者はこの間に何度でも日本を訪問することができる。1回の訪問につき最長90日まで日本に滞在可能で、中国人訪日客の個人観光ビザによる最大日数は、これまでの15日から大幅に伸びることになった。
 マルチビザ発給は、第1回目は沖縄から入国することが条件となっているが、2回目以降は、日本のどこからでも入国することが可能となっている。また、観光に限らず、親族・友人訪問や遊学などさまざまな活動も、日本訪問の目的として認められることになった。
 日本政府は16年には中国(香港を含む)から675万人の中国人観光客を見込んでいる。中国の国防動員法をふまえて、中国人観光客を当てにした経済効果を期待する前に、中国人観光客が大挙して人民解放軍の兵士として蜂起(暴動)した場合の恐ろしさを考え、ビザ発給の要件の緩和や、マルチビザ発給に関し、再度見直しをする必要があるのではあるまいか。
 <プロフィール>
 hamaguti_p.jpg濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
 昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。現在は、日本防災士機構認証研修機関の(株)防災士研修センター常務取締役。著書に、『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)。11月25日には、夕刊フジに連載中の企画をまとめた『探訪 日本の名城 上-戦国武将と出会う旅』(青林堂)を発売。公式HPはコチラ。

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 国家・国民を支配するのに51%以上の多数派になる必要はなく、3%~5%の少数派で充分である。
 つまり、同調圧力・空気圧に影響されて動く日本(人口約1億2,000万人)を支配するなら3%(約360万人)の同志がいればこと足りる。
 長野中国人騒動事件。在日中国大使館は、中国共産党の命令に従って在日中国人数千人を長野市に動員して、北京オリンピック聖火リレーチベット弾圧に抗議する日本在住チベット人や日本の人権・人道市民団体を襲わせた。
 保守派自民党政権は、中国共産党の御機嫌を損ねる事を怖れ、襲撃する中国人ではなく抵抗するチベット人や日本人を逮捕した。
 親中国派・媚中派のメディア報道機関は、報道しない自由・国民に知らせない権利から、中国のイメージ悪化を恐れて中国人暴動事件を詳しく報道せず闇に消した。
   ・   ・   ・   
 少子高齢化による人口激減を解消する為に、1,000万人外国人移民計画(主に中国人移民)を実行さている。
 現実問題として、移民大国となった日本では中国人移民が増え始めている。
 中国共産党は、中国人移民が多く住み地域に支部が開設し、日本国への忠誠より共産党への忠誠を求め、共産党の支配を強化している。
 中国人移民に日本国籍を取らせ、参政権投票権・立候補権)と地方公務員(役人)・国家公務員(官僚)登用権を獲得する事で、日本国内部に深く根を張らせる。
 それは中国式陣地取り、つまり「碁」である。
 中国人移民を日本に送り込むのは「トロイの木馬」で、日本人支援者の協力を得て日本を中国人が住みやすい環境に内部から改造しようとしている。
 それは、ウイルス感染とウイルス増殖に似ている。
 では、誰が中国共産党と中国人移民・中国人留学生を引き入れたかと言えば、反天皇反日本人のリベラル派戦後民主主義教育世代とその薫陶を受けた有能・優秀な次世代、高学歴な知的インテリや進歩的インテリである。
 中国共産党の影響は、日本の最難関優秀大学・教育機関とメディア報道機関に深く根付いている。
 敵の敵は味方、というわけである。
   ・   ・   ・   
 石平「敵の内部に入り込み、次第に乗っ取る浸透工作は中国のお家芸です。周恩来がやったことを思い出してください。
 1924年、コミンテルン共産党の活躍が期待外れあったため、孫文率いる国民党の乗っ取りに乗り出します。コミンテルンは国民党の支援や武器を提供する見返りとして、共産党幹部が共産党員のまま国民党幹部に参画することを受け入れるよう要求。かなり無理な要求ですが、どいしてもコミンテルンの支援が欲しかった孫文はこれを承諾したのです。国民党はコミンテルンの全面支援を受けて、革命本拠地で黄埔(こうほ)軍官学校を創設し、その重要ポストである政治部主任に周恩来が就任しました。
 周恩来はそのポストを利用し、国民党の軍官を共産党の信奉者に転向させ、暴動を起こさせました。これが、1927年のいわつる南昌蜂起(なんしょうほうき)で、この日、8月1日は人民解放軍建軍記念日とされています。
 共産党の浸透工作は、国共内戦の趨勢を決した三大戦役(遼瀋{りょうしん}戦役、淮海(わいかい)戦役、平津{へいしん}戦役)でも活かされています。
 淮海戦役は徐州で2カ月もの間、国共双方が何十万人もの兵士を投入して戦った、いわば天下分け目の関ヶ原の戦い。なぜ、ここで共産党が勝てたかと言えば、国民党軍の最高司令部に周恩来の放ったスパイが十数年前から潜入していたからです。このスパイによって、国民党軍の作戦はすべて共産党に筒抜けでした。
 国民党の最高司令部が立てた作戦計画が、戦地の国民党軍の司令官に伝わる前に、毛沢東は情報を摑んでいたなんて伝説もあるくらいです。
 敵のなかに深く入り込んで徹底的に情報を盗み、策動し、潰すのは中国共産党お家芸なのです。永田町にもそういう人物がいるのではないか、……」
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 親中国派・媚中派は、現代でも周恩来が日本に仕掛けた巧妙な陰謀・謀略の罠にはまり、毛沢東よりも周恩来を偉大な指導者と崇めている。
   ・   ・   ・   
 独立王国時代のチベットで、政権中枢にいた親中国派・媚中派中国共産党政府との友好関係を築く為に、条約を結び、中国人移民を受け入れた。
 中国共産党は、中国人移民を保護する名目でチベットを侵略し、法王派、反中国派、民族主義、親英派、新インド派、宗教勢力を武力で排除して占領してチベット王国を滅亡させ、チベット宗教を弾圧し、死と暴力の恐怖支配を続けた。
 中国軍は、共産主義による人民解放を大義として200万人以上のチベット人を虐殺した。
 中国人の微笑みには、血に飢えた残忍な真顔が隠れている。
 親中国派・媚中派は、自国の国益や自国民の権利よりも中国共産党の利益を優先している。
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 一般中国人と中国共産党員・中国軍人・武装警察官・民兵・海民兵・秘密結社構成員・中国人犯罪者・その他は別人である。
   ・   ・   ・   
 ロシア革命は、少数派であるボルシェビキのさらに少数派であるレーニン率いるロシア共産党が勝利して成功した。
 レーニンは、ソ連ロシア共産党を支配する為に少数精兵として党内のレーニン派以外の多数派・反主流派を粛清した。
 スターリンも、独裁支配を完成させる為にライバルのトロッキーレーニン派など1,000万人以上を粛清して独自の少数派を維持した。
 共産主義とは、人民多数派ではなく党少数派、少数派の中の少数精兵のイデオロギーである。
 それは、中国共産党も同様である。

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 人類の誕生と大移動。
 日本人の祖先は、アフリカのサルである。
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 600万年前~700万年前 人類(ヒト属)の祖先はチンパンジーボノボの祖先である類人猿から別れて進化していき、幾つかの人類種が枝分かれするが一つの系統を残して全て絶滅した。
 10万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は、アフリカで誕生し、世界中に移住していった。
 数万年前 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
 数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して移住してきた。
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 日本土人である縄文人ヤポネシア人=旧石器人の子孫=岩宿人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
 中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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 日本文明は、揚子江流域(江南地域)にあった漁労農耕の温和で平和志向の長江文明の後継文明であって、黄河流域で軍事優先で栄えたの領土拡大・侵略志向の好戦的黄河文明の亜流文明ではなかった。
 朝鮮文化は、黄河文明の亜流であった。
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 ヤポネシア人=岩宿人とは、東南アジアの南方系海洋民と長江文明揚子江流域民が乱婚して生まれた混血した雑種である。
 数万年続いた日本列島の旧石器時代縄文時代は、争いのない、戦争のない平和な時代であった。
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 日本民族琉球民族アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)を共通の祖先とする同種・同血族であって、中華民族、漢族、韓国人・朝鮮人とは血の繋がりが薄い別種・異種のアジア人であった。
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 日本民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)、弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 アイヌ民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)にシベリア・沿海州樺太北方領土4島・千島列島・カムチャツカ半島などオホーツク海沿岸に住んでいたオホーツク文化人が南下してきて、混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。
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 琉球民族は、旧石器人(ヤポネシア人=岩宿人)、縄文人(日本土人)に揚子江流域・東南アジアから渡って来た人々と混じり合い乱婚し混血して生まれた雑種である。

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日中戦争
2019-05-13
💖18)─1─河南省黄河防爆破と大洪水。溺死100万人以上。日本軍は中国人10万人以上を助けた。1938年〜No.68No.69No.70No.71・ 
2019-05-15
💖18)─2─河南省大飢饉。日本軍は戦争をしながら飢餓民約1,000万人を助けた。日本軍の敵兵虐殺事件。1940年No.72No.73No.74No.75・ 
2019-05-16
💖18)─3─日本軍は河南省救援物資輸送路を死守した。大陸打通作戦。泰緬鉄道。日本軍兵士の餓死・病死。1944年〜No.76No.77No.78No.79・ 

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毛沢東
2017-12-09
🐉13」─1─長春包囲戦と12万人の餓死。中国共産党と大虐殺。~No.47No.48No.49・ @ ⑩ 
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2017-12-16
🐉14」─1─大躍進政策の餓死者1,700万人~5,000万人。1958年~No.50No.51No.52・ @ ⑪ 
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2017-12-17
🐉15」16」─1─文化大革命で2,000万人が虐殺された。中印国境戦争。毛沢東周恩来の死亡。中国共産党の核拡散戦略。~No.53No.54No.55No.56No.57No.58・ @ ⑫ 

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臓器売買
2020-07-04
🐉27」─1─中国共産党の臓器提供。~No.98No.99No.100・ 
2017-12-27
🐉28」─1─中国共産党の身の毛がよだつ猟奇的錬金術。~No.101No.102No.103・ @ ⑱ 

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 2022年2月号 Voice「『若者の危機』と身体への帰還 田口茂
 『もし○○だったら』──。『仮想』の呪縛から抜け出せず、苦しみ若者たちへ
 『親ガチャ』とその背景にある空気
 ……
 ここまで注目したいのは、現代日本の若者たちのあいだに、ある種の無力感が重苦しさが一定程度広がっているように思われる点である。『自分たちが置かれている苦境は、からり根深い社会構造や日本の経済的現況などに根差しているため、自分たちの力では容易に変えることができない』といった認識が、若者たちの意識に暗い影を投げかけているようにみえる。
 ……
 こうした調査からみても、日本の若者たちのあいだに、将来に対する悲観的な空気や、ある種の無力感ににたものが漂っていることが推測できる。
 しかし筆者は、無力が漂う若者の状況を非難しようとは思わない。むしろ現状の日本を見みて、能天気に将来を楽観している者のほうが危うい。観察力の鋭い者ほど、現実に含まれる細かな不安要因を冷静に見抜き、それを考慮に入れて慎重に行動できると思われるが、その意味では、日本の置かれた状況を冷静に見抜く現代日本の若者は、なかなか優秀であるといってよいかもしれない。
 ただ、若者たちがある種の『無力感』を強く抱いているという点は気になる。
 ……
 結論からいえば、簡単な処方箋はない。しかし、人間が生きるということの基本的な条件やあり方から、この難しい課題に対応するきっかけを探ることは不可能ではない。
 ……
 『反実仮想』の能力は救いでも呪いでもある
 ……
 それでは『もし仮に・・・だったら』という『反実仮想』は端的に悪なのだろうか。そうではない。『反実仮想』とはむしろ人間にとって重要な能力である。進化の歴史のなかで、大分部分の動物は『いま眼の前にあるもの』に単純に反応することで環境を生き抜くしかなかった。しかし、絶え間なく変化する環境を生き抜くには、いま現にある状態とは別の状態を思い描き、その状態から生じる結果を仮想的にシミュレーションできたほうが有利である仮想的な想定が詳細に行えるようになるほど、環境の多様性に対応したり、環境に介入してよる好都合な結果を引き起こしたりできるようになる。
 ところが、人間が心理的能力を豊に発展させ、高度な文化を築いてゆくにつれ、いつしか『反実仮想』の能力は人間を苦しめるものにもなってきた。『せっかくここまで育ててきた農作物が、どうして実を結ばないのだ?いまごろ豊作を喜んでいたはずなのに!』といった具合である。事実ではないが『ありえたかもしれない』可能性を想定することが増えれば増えるほど、それらの可能性は頭のなかを占有し、われわれを苦しめるものにもなる。われわれに環境を生き延びるための力を与えてくれたその同じ能力が、われわれの生の呪いともなる。生存において『反実仮想』が役立ってきたという一種の成功体験ゆえに、われわれはそれにしがみつき、ますます自分の窮状を悪化させてしまう。
 ……
 膨れ上がる仮想的身体
 現代人にとって、『反実仮想』の能力を拡張するように働いている条件は何か、と考える時、比較的自然に浮かんでくるのは、われわれの日常を多分に支配するようになった情報ツールの数々である。古くはマスメディアが、遠くの地域や、世界各地で起こっていることを刻一刻と伝え、『あたかもその場に居合わせているような』感覚をわれわれに与えるようになったが、インターネットの発展はその展開に拍車をかけている。Eメールは、遠くにいる人びとと瞬時にやりとりすることを可能にして、ビデオ通話サービスは、『いま自分がいない場所に、あたかも居合わせているかのような』感覚をますます強める。
 さらに、SNSはそのような感覚を常態化する。その利用者は四六時中、『いまここ』にいるだけでなく、世界中の至るところに同時にいるかのような感覚をもつようになった。実際には自分の身体がそれら無数の場所にあるわけではないから、それは一種の『反実仮想』的な感覚といってもよい。
 ……
 われわれは、この膨れ上がった身体や、膨張した可能性の世界全体を、『いまここ』に生きる自分の身体的生とうまく関係づけられなくなっているのではないか。いびつに膨れ上がった自分の仮想的身体を、われわれはコントロールしきれなくなっているのではないか。自分と関係づけられた『可動的(反実仮想的)自己』の急速な膨張は、人類の歴史のなかではごく最近の出来事であり、われわれがそれに簡単には適応できなくても不思議ではない。
 フッサール現象学と身体への帰還
 ……
 当然のことだが、人類が科学技術とともに作り上げてきた文明の価値を否定しようというのではない。問題は、現代の情報ツールを通していびつに膨張した『反実仮想の世界』を、いかにして『環境を生き抜く有用な能力』としてのもともとの『反実仮想』へと再び反転させるか、ということだと思われる。そこでは、『生きられた身体への帰還』という現象学の中心思想が、それなりに寄与する面があるかもしれない。
 『私の身体から見た世界』
 そのような現象学の可能性を強調しているのが、認知科学者F・J・ヴァレラ(1946~2001)である。彼の提唱する『エレクティヴ・アプローチ』は、人工知能脳科学を含む現代の科学を、生きた身体の現象学、ならびに仏教に代表されるような、東洋的な内的生の探究の伝統を結びつけようとしている。
 ヴァレラは、『身体的主体』と『客観的世界』(あるいはわれわれが主観的に『知ること』と、世界が実在的に『あること』)とが、お互いを条件づけ合い、お互いを含み合う『根源的循環』こそがわれわれにとっての現実を成していると考えた。つまり、われわれの身体は世界のなかで、世界によって生みだされるが、一方で、まさにその身体を生き、身体的に行動することによって、世界が創られ、『生み出されていく』ともいえる。
 われわれが見ている特定の世界の姿は、自分が現にもっている身体によってしか、見ることができない。私の身体は他の動物の身体と異なるし、他の人間の身体とさえまったく同じではないからである。あなたが見ている世界の姿は、あなたがいま生きている身体なしには、およそこの世界に存在しなかったのだ。
 ドリアン助川の小説『あん』には、次のような一節が出てくる。生涯のほとんどをハンセン病の療養所で過ごしてきた主人公の徳江には、教師になって世のため人のために働いてみたいという夢があった。しかし、ハンセン病の隔離政策によって夢は叶(かな)わず、『世の役に立たない人間は生きている価値がない』と苦しんでいた。それがある出来事をきっかけに変わることになる。
 美しい月に眼を奪われていたとき、自分を照らす月が『お前に、見て欲しかったんだよ。だから光っていたんだよ』とささやいてくれたように思えた。そのときから、徳江にはあらゆるものが違って見えるようになった。『私がいなければ、この満月はなかった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう』『私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。この世はただそれを望んでいた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある』。このように徳江は気づく。
 私にしか生きられない現実の身体を生きるということによって、その身体を通して見る世界は『はじめて存在するようになる』。そのかぎりで、自分の身体を生きるということは、それだけですでに比較不可能な価値を実現している。これは、他の『ありえたかもしない無数の可能性』と比較して、自分の生の価値の『ランキング』を行なおうとする考え方の対極にある。ここに、『親ガチャ』のもたらす無力感から脱するための一つの手がかりが潜んでいないであろうか。
 『仮想』の呪縛を解く
 もし『ありえたかもしれない無数の可能性』が自分を苦しめ、ほかのことが考えられないほどに思考を麻痺させるなら、それがたんなる『仮想』ないし『妄想』にすぎないと看破し、生きた自分の身体へと立ち戻ることが、『仮想』の呪縛を解くきっかけとなりうる。そうして、自己の『生きた身体』から出発して、そこから広がるさまざまな可能性との関係をつなぎ直す。
 そのような仕方で、『ありえたかもしれないが、現実にはそうでない自分』に固着するのではなく、自分の現状を変えるための小さな現実的可能性に集中することが可能になる。たとえば『どうして自分は裕福な家庭に生まれなかったのか』と地団駄(じだんだ)を踏み続けるのではなく、『もし仮に自分の生活を変えるべき何か小さな一歩を踏み出したら、少し経済的に余裕が出てくるかもしれない』というふうに、現実の自分から出発して、現実的な未来を考えるツールとして『反実仮想』を使う。これは、肥大化した『反実仮想』の方向性を反転させ、『反実仮想』をその本来の役割へと還(かえ)してやることを意味するだろう。
 あるいは、『自分にしか実現できないこと』を追求するには、経済状態はあまり関係ないことに気づくこともあるかもしれない。たとえば『手を使ってものをつくる』ことこそ自分の生きる道だった、と気づくなら、親の経済状態を比較する意味はあまりなくなるかもしれない。いずれにせよ、まず自分にしか生きられない身体的現実を受け止め、『あん』に出てくる月が語ったように、『世界であなただけに見て欲しがっている』風景を見ようとすることが出発点となる。
 それは本当にささやかなことでもよい。休日の午後、風呂に入って窓から空を眺めながらそよ風を感じる。身体に感じる温かさや、眼に映る風景の穏やかさは、いまこの瞬間、あなたが生きていなければ消えてしまうものだ。そのようにいま現に体感している以外のものは、すべてあなたが頭の中で『思っている』ことにすぎない。それらは、『いまここ』で眼の前に存在するわけではない。
 『マインドフルネス』が現代社会にじわじわと浸透し続けているのも、こうした感覚を自分の生活の出発点となることの重要性に人びとが気づき始めているからだろう。
 フッサールに倣(なら)って考えるなら、現代の若者は、学問・科学の偏(かたよ)りを受けていびつに発展した文明の課題を一身に引き受けて苦しんでいる面もあるかもしれない。だが、こうした壮大な課題は、ヴァレラのいう『根源的循環』という一種の『ループ』を通って、私の身体につながっている。そのような文明的課題の解決は、もっと身近でささやかな『私の身体的生』を感じることから秘やかに始めるものかもしれない。」

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