🎍53〕─1─墨書土器に陰陽道や修験道の「呪符」も。~No.165No.166No.167 

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 2023年3月20日 YAHOO!JAPANニュース ALL REVIEWS「地中から出土する文字史料が語る古代社会とは?―『墨書土器と文字瓦: 出土文字史料の研究』
 『墨書土器と文字瓦: 出土文字史料の研究』(八木書店
 日本全国から出土する墨書土器。その数は20万点に及ぶといわれている。全国の発掘調査により出土した多様な墨書土器・文字瓦を読み解き、東アジア漢字文化圏での事例など、多彩な論点から古代社会を再現する。
◆文字の歴史を明らかにするために
 人類は、文字の使用によって、文明社会に入るといわれる。文字が発明される以前には、絵画や記号文などが存在し、個人・集団の意思表示の役割を担っていた。このように「話すこと・聞くこと」の段階から、さらに「書くこと・読むこと」が付け加わり、文明社会に到達するのである。
 国家的支配が問題になる時期には、各種の情報を伝達し、蓄積するために文字は必要・不可欠な存在となった。書く(刻むことも含める)ためには、文字を書く紙・木材・土財・石材・金属などの素材(媒体)と、筆・ヘラ(篦)などの書く道具が必要となる。これらが文字関係の史・資料ということになる。
 文字の歴史を明らかにするためには、文字そのものの考察のほか、文字関係の史・資料研究が必要となる。これらのなかには伝世品も存在するが、その多くは地中から出土する遺物である。したがって、もともと残存しやすいものと、しにくいもの、残存できないものとがある。
◇東アジア共通語としての漢字
 さて、地球上では各地域で文字が発明されたが、日本列島では独自の文字を創りだすことはできなかった。しかし、中国大陸から海を隔てて東縁に位置する列島では、直接あるいは朝鮮半島を介して、中国で発明された漢字を受け入れることができた。そして、漢字文化圏に属することによって、中国で発展していた政治思想としての儒教や礼制度、そして漢訳仏典を通じて仏教などの宗教思想、さらに律令を受容して律令制国家を築くことができた。
 漢字は、漢字文化圏である「東アジア世界」の共通語の役割を果たしており、漢字の取得によって東アジアの一員となる。列島と大陸とでは、そもそも使用される言葉の意味が違うばかりか、文法構造も異なっていた。しかし、漢字・漢語・漢文を利用することによって、自らの意思や国家意思を表現できるようになり、個人・国家間の意思伝達も可能となった。
◇20万点近く出土した墨書土器
 日本古代では、世界的には希有ともいわれる正倉院文書が存在する。これは『大日本古文書(編年文書)』(東京大学出版会)として、刊行されている。ここには厳密にいえば、「文書」のほか、「帳簿・書類」などが含まれている。
 地中から出土する文字史料(資料)としては、木簡が最大の史料群である。その数は五十万点近いといわれるが、奈良文化財研究所のデータベース「木簡庫」で公開されている。ただし、文字が判読できるものは限られている。古代史研究では、『日本書紀』『続日本紀』などの六国史や、『令集解』『類聚三代格』などの法令集を使うことが多い。しかし、編纂物であり、同時代史料としての木簡などとは、史料の性格に違いがある。
 木簡についで多いのが、墨書土器(刻書土器を含む)であり、実際には20万点近いと思われる。本来ならば国家的機関によって集成し、データベースを構築するような研究業務である。こうした兆しがなかったため、我々のチームが主に文部科学省日本学術振興会)の科学研究費の支援を受け、1999年(平成11)から、墨書土器のデータベース構築を進めてきた。当初は手探り状態であったが、現在は双方向性をもち、ネットワーク環境を利用した、オンラインによる日本墨書土器データベースを構築している。科研費という公的資金によって作成しているデータベースなので、原則的に公開するかたちで運用している。
 そして第三に、文字瓦や紡錘車(紡輪)の類と漆紙文書である。それぞれ詳細な研究やデータの集成が行なわれている。文字瓦は、明治大学日本古代学研究所のホームページで公開している。紡錘車(墨書・刻書紡輪)については、高島英之「紀年銘刻書紡錘車の基礎的研究」(『日本古代の国家と王権・社会』塙書房、2014年)と本書第三部所収の「7 刻書紡輪」をあげておきたい。また、漆紙文書に関しては、古尾谷知浩『漆紙文書と漆工房』(名古屋大学出版会、2014年)に、漆紙文書の出土遺跡一覧と釈文集成が掲載されている。これらは地道な研究作業を通じて集成されており、出土文字史料としてはきわめて貴重なデータといわなければならない。
◇多様な墨書土器を読み解くために
 本書『墨書土器と文字瓦―出土文字史料の研究―』は、出土文字史料のうち、木簡・漆紙文書を除き、墨書土器・文字瓦・紡錘車に照準をあてて編集した研究論集である。これまでは、墨書土器データベースの構築を中心に力を注いできた。古代史研究に資するためには、全国各地の墨書土器を集成し、ある程度のボリュームが必要と考えてきたからである。
 ところが、毎年のように出土する墨書土器のデータ集成には、限りがない。データベースの構築と並行して、中間的なかたちでも研究総括が必要と考えるようになった。そのためチーム内で相談し、研究小括を成果として刊行しようということになったのである。
 本書では、列島が漢字文化圏ということもあり、文字どおり東アジア世界を網羅しようと試み、中国・朝鮮半島ベトナムに視野を拡げている。実際にも、中国・半島・ベトナムには墨書土器が存在しており、南京・慶州・ハノイの各博物館・研究所において実見してきた。現在のところ、墨書土器の点数は日本とは異なって少なく、研究者も限られている(ほかに魅力的な遺跡・遺物が多いということかもしれない)。
 本書では、多様な墨書土器と文字瓦・紡錘車という史・資料を考慮して、全体を4部構成(第1部 出土文字史料としての墨書土器・文字瓦/第2部 日本と東アジアの墨書土器/第3部 墨書土器の諸相/第4部 遺跡のなかの墨書土器/附 墨書土器ガイド)として必要なテーマを設定した。我々のチームだけでは必ずしもカバーできないので、墨書土器・出土文字史料に精通している最適の研究者の協力を得ることにした。以上、収録した諸論考と、冒頭の口絵により、墨書土器・文字瓦の研究がより活発となることを願っている。
 [書き手]
 吉村武彦(よしむらたけひこ)
 1945年生。明治大学名誉教授。日本古代史。
 〔主な著作〕
 『墨書土器と文字瓦―出土文字史料の研究―』(共編著、八木書店、2023年)
 『律令制国家の理念と実像』(編著、八木書店、2022年)
 『古代王権の展開』〈日本の歴史3〉(集英社、1991年)
 『日本古代の社会と国家』(岩波書店、1996年)
 『日本社会の誕生』〈日本の歴史1〉(岩波ジュニア新書、1999年)
 『聖徳太子』(岩波新書、2002年)
 『律令制国家と古代社会』(編著、塙書房、2005年)
 『ヤマト王権』〈日本古代史2〉(岩波新書、2010年)
 『女帝の古代日本』(岩波新書、2012年)
 『古代山国の交通と社会』(共編、八木書店、2013年)
 『日本古代の国家と王権・社会』(編著、塙書房、2014年)
 『蘇我氏の古代』(岩波新書、2015年)
 『大化改新を考える』(岩波新書、2018年)
 『新版 古代天皇の誕生』(角川ソフィア文庫、2019年)
 『明治大学図書館所蔵 高句麗広開土王碑拓本』(共編、八木書店、2019年)
 『シリーズ古代史をひらく』全6冊、(共編著、岩波書店、2019-2021年)
 『日本古代の政事と社会』(塙書房、2021年)他多数。
 [書籍情報]『墨書土器と文字瓦: 出土文字史料の研究』
編集:吉村 武彦,加藤 友康,川尻 秋生,中村 友一 / 出版社:八木書店 / 発売日:2023年02月7日 / ISBN:4840622612
 八木書店
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 陰陽道修験道の「呪符」も-墨書土器 解釈さまざま
 「盈」と墨書きされた土師器皿(「県埋蔵文化財報告」94―1より
 墨書土器というのは、書いて字のとおり、遺跡から出土する遺物のうち、墨書された土器のことを指している。書かれているのは、文字や記号がほとんどであるが、まれに絵や花押なども見受けられる。その意味するところは多様であり、さまざまな解釈が可能である。その一端を紹介してみよう。
 古代の墨書土器の場合、「平安」「富」「福」といった、いわゆる吉祥文字が目につく。多気明和町に位置する斎宮跡からは、「水司」や「目代」など、使用役所や個人を特定するような墨書例も確認されている。中世の墨書土器の中にも、事例としては少ないが、個人名と考えられるものもある。しかし、最も多いのは、おそらく呪いや何らかの儀式などに際し、お供えなどを盛るために使用されたものであると考えられる。
 このことは、吉祥文字の多さがよく示しているが、津市大里窪田町大垣内遺跡の、平安時代の井戸跡から出土した土師器皿には、刻書(墨ではなく、ヘラなどで削って書いたもの)で「饗」と書かれており、神への供物を思わせる。多気多気町上ノ垣外遺跡から出土した「盈」(みちる)と書かれた平安時代初めの土師器皿も同様の意味を持つ。また、平安時代末から鎌倉時代にかけてよく見られる「上」と墨書された器も、供物を「たてまつる」ことを意味すると見てよいであろう。実際、安芸郡芸濃町大石遺跡からは、個人名とセットになった「国枝上」(国枝たてまつる)と書かれた陶器碗も発見されている。
 次に、刻書ではあるが、松阪市射和町鴻ノ木遺跡や同市朝田町堀町遺跡からは、星形や格子模様の入った平安時代の土器が出土している。星形は木・火・土・金・水の「五行」を、格子は臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の「九字」を示し、陰陽道修験道に直結する記号、いわゆる「呪符」と見て間違いない。これらの「呪符」は、現在でも志摩地域の海女道具などに見られるものである。さらに、松阪市阿形町の遺跡からも、「乾」「坤」「艮」と書かれ室町時代の土師器の小皿が出土しており、同じく陰陽道に関わるものと判断される。
 このほか、より実用的と考えられる墨書例もある。度会郡玉城町蚊山遺跡から出土した鎌倉時代の陶器碗には、「よね」と墨書されていた。個人名とも解釈されるが、当時の女性名として「よね」はあり得ないことから「米」のことと見て、耐久性と規格性の高い陶器碗が、計量のための升の代用にされた可能性が指摘されている。
 同様のことは、花押の据えられた陶器碗にも言えることである。おそらく、鎌倉時代の領主や地主が、自分の花押を据えた陶器碗で、年貢の穀物等を計量させたのではないだろうか。
 ちなみに、当時の領主らは、特に年貢納入の完了をもって、地域の顔役らを集めて饗宴を開くことがあった。先に挙げた大石遺跡では、鎌倉時代の領主層の屋敷跡と考えられる遺構から、「侍器」あるいは「僧器」と書かれた碗が複数出土しており、器の使用が社会的立場により区別されていた可能性があり、その関連が注目される。
 ただ、このように墨書の意味やその器の用途をある程度特定できる例はさほど多くない。墨書土器の大部分を占める「○」や「×」などの単純な記号は、何を意味するのか。今後の課題である。
 (県史編さんグループ 小林 秀)
 問い合わせ先:三重県環境生活部文化振興課県史編さん班
 〒514-0004 三重県津市栄町1丁目954 三重県栄町庁舎2階/電話:059-224-2057/ ファックス:059-224-2059
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 墨書土器 ぼくしょどき
 土器に文字を墨書したものと、人の顔を描いたもの(人面墨書土器)と2種類ある。
 墨書文字には、坂田寺跡(奈良県明日香(あすか)村)下層出土の土器に「知識」と書かれた文字をはじめ、「掃守(かにもり)」「宇尼女ッ伎(うねめっき)」などと記された藤原宮跡(橿原(かしはら)市)発見の墨書土器群などが初現期のものと考えられ、7世紀代から10世紀代ころまで盛行するが、以後急速に衰退する。その内容は、官衙(かんが)名、寺名、官職名、地名、人名など所属・所有を示すもののほかに「鳥埦(わん)」「油坏(あぶらつき)」など用途を記したもの、また、「福饒」「平安」のごとく吉祥文字と考えられるもの、そのほかに公文書の下書きや手習い、戯(ざ)れ書きなどもある。しかし、一字銘や記号のものが一般的で、意味不明瞭(ふめいりょう)のものが非常に多いが、それらも以上の分類のいずれかに属するものであろう。これらのなかには、まれに片仮名、平仮名の文字もみられ、国字発達の跡を知る好資料であるとともに、紀年銘によって年代が判定されたり、「志太(しだ)」「大領」の墨字から志太郡衙跡との決定をみるなど、考古学研究上の重要な鍵(かぎ)となる場合がある。
 人面を墨書した土器は、外側の器面を顔に見立て、輪郭を省略して耳、眉(まゆ)、目、鼻、口のみを描いたものが一般的であるが、なかにはひげをかくなどして表情に変化がある。一つの土器に一面もしくは二面、四面と偶数倍に描かれたものが多く、ときには底部にかかれる場合もある。時代は8世紀から11世紀に及ぶと思われるが、9世紀代ころまでが最盛期で、時代が下ると、薩摩(さつま)国庁跡発見のもののごとく、画法も意味も異なるものが含まれてくる。
 出土分布は畿内(きない)に集中的であるが、広く岩手県南部から北九州に及び50か所内外の発見例(1985)が知られ、斎串(さいぐし)などとともに川、溝、池沼など水辺に多く検出される。10世紀に編纂(へんさん)された『延喜式(えんぎしき)』に、6月と12月に執り行われる「大祓(おおはらえ)」の宮廷儀式には、坩(かん)形土器を用いて川に邪気を祓(はら)い流す行事のあることが記されていて、状況がよく符合することから、道教的色彩の強い古代祭祀(さいし)に関連する遺物と考えられる。
 [小出義治]
 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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 ウィキペディア
 秋田県大仙市半在家遺跡(はんざけいせき)出土の墨書土器。
 志太郡衙跡出土の「志太」墨書銘土器。
 鳥坂寺跡出土の「鳥坂寺」銘墨書土器。
 墨書土器(ぼくしょどき)とは、古代日本において、漢字などの文字や道教の符号などの記号・絵を土器の表面に墨で書き記したもの。広義では土器の焼成前後に篦や釘などを用いて記した刻書土器(こくしょどき)も含める。
 概要
 古代において製造・使用されたものが多く、木簡や漆紙文書、文字瓦とならんで貴重な出土文字資料となる。墨書は主に奈良・平安時代の土師器や須恵器に見られ、東海地方で焼かれた瓷器(灰釉陶器)にも存在する。組織や官職、地名、人名など、所有者に関する情報や目的・用途などが記されているものが多く、仏寺や祭祀・儀礼に関連したものや廃棄後に習書用に転用されたものなども含まれている。なお、須恵器よりも吸水性の高い土師器の方が墨との相性から習書用として用いられた。
 中世・近世においても墨書・刻書された陶磁器は存在しているが、日本列島において儀式・信仰に関係する墨書土器は10世紀以降に姿を消す。墨書土器が姿を消す10世紀半ばには庶民の間に土俗性を有した浄土教が流行し、古代から中世にかけての信仰形態の変化が墨書土器が消失した要因であると考えられている。
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