☷29〕─1─5月の独立運動家は「日本人」…朝鮮を愛した2人。~No.77No.78 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
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 今月の独立運動家(朝鮮語: 이 달의 독립운동가)は、大韓民国国家報勲処によって定められる朝鮮独立運動家の名簿である。
 国家報勲処では1992年から毎月一人独立運動家を指定し、その人物の追慕行事や展示などの記念事業を展開している。
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2018-10-04
☲10〕─1─昭和天皇爆殺テロ失敗、警視庁前桜田門爆弾テロと第一次上海事変。昭和7年1月~No.21 @ 
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 天皇・皇后、皇族が訪れてはいけない国は、中国共産党政府、ロシア、韓国・北朝鮮である。
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 2023年5月1日9:49 YAHOO!JAPANニュース ハンギョレ新聞「5月の独立運動家は「日本人」…朝鮮を愛した2人
 朝鮮とともに日帝に対抗した 金子文子と布施辰治
 「5月の独立運動家」金子文子=国家報勲処提供
 国家報勲処は毎月、独立運動家を選定してその精神をたたえているが、5月の主人公は「日本人」だ。いずれも日本による強制占領期の植民地朝鮮の側に立ち、日本に立ち向かってきた人たちだ。
 朝鮮を愛した日本国籍アナーキスト昭和天皇暗殺を謀議し逮捕された死刑囚の金子文子氏が「5月の独立運動家」に選ばれたと、国家報勲処が30日明らかにした。「日本のシンドラー」と呼ばれた人権弁護士の布施辰治氏も同じく名を連ねた。
 1903年、横浜で生まれた金子は、数奇な家族史によって朝鮮に住んでいた叔父の養女として育った。1919年、朝鮮で3・1運動の熱気を身をもって体験した金子は、日本の実家に戻り、1922年、在日朝鮮独立運動家の朴烈(パク・ヨル)と同志かつ恋人として関係を持った。金子はアナーキスト共産主義者で構成された在日朝鮮人団体「黒濤会」に所属し、労働者の後援と親日派への報復活動、無政府主義運動を展開した。
 金子は1923年、朴烈ともに大正天皇と皇太子(昭和天皇)の暗殺を謀議した容疑で逮捕され、苦難に直面した。金子は当時、法廷尋問で「私は、天皇が私たちと少しも違うところのない同じ人間であり、決して神ではないということを立証するため、爆弾を投げ、天皇も私たちと同じように死ぬということを示そうとしたのだ」と述べた。獄中で朴烈と婚約した金子は、1926年2月に東京で開かれた初公判で白い韓服のチョゴリと黒いチマ(スカート)を着て出頭し、自身の名前を「朴文子(パク・ムンジャ)」だと明らかにした。同年3月26日の最終公判で死刑を言い渡されると、「マンセー(万歳)」と叫んだ。
 獄につながれ調査を受けていた頃、二人が仲良く抱き合っている正体不明の写真が流布したエピソードが有名だ。当時、裁判所が証拠確保を目的に二人の歓心を買うため写真を撮った事実が明らかになり、日本の政界では司法権の紊乱として内閣総辞職を要求するなど、後に騒動を引き起こした。これをめぐる話が、2016年の韓国映画金子文子と朴烈』で扱われ話題にもなった。
 金子はその後、無期懲役減刑されたが、獄中生活中の1926年7月、23才の年齢で死亡した。当時、日帝は金子の死を自殺と発表したが、今なお疑惑として残っている。金子の遺骨は朴烈の故郷である慶尚北道聞慶(ムンギョン)に埋葬され、獄死してから92年後の2018年、独立有功者に認定され、建国勲章愛国章を叙勲された。
 金子の弁護人だった布施辰治も5月の独立運動家に選ばれた。布施は後に「日本のシンドラー」と呼ばれた人権弁護士で、生涯かけて弱者のために闘ってきた。1879年、大阪で生まれた彼は、1919年の2・8独立宣言に参加した在日朝鮮人留学生を弁護し、朝鮮との連帯活動に乗りだした。布施は数多くの朝鮮人独立運動家の弁護人を自認し、天皇暗殺謀議の容疑をかけられた金子と朴烈のために法廷で闘った。金子の遺体を引き取り韓国に運んだのも布施だった。
 独立運動家を弁護する過程で、布施は1932年に法廷冒とくで弁護士資格を剥奪され、1933年には新聞紙法と郵便法違反で禁固3カ月の実刑を宣告された。日帝崩壊後にふたたび弁護士として活動した彼は、新しい平和憲法の普及と在日朝鮮人の権利を保護する闘争にまい進し、1953年に死去した。韓国政府は2004年、布施に建国勲章愛族章を追叙した。
 イ・ジヘ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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 昭和天皇は、親ユダヤ派、差別反対主義者、避戦平和主義者、原爆は非人道的大量虐殺兵器であるとして開発中止を厳命した反核兵器派、難民・被災者・弱者などを助ける人道貢献を求め続け、戦争には最後まで不同意を表明し、戦争が始まれば早期に講和して停戦する事を望むなど、人道貢献や平和貢献に努めた、勇気ある偉大な政治的国家元首・軍事的大元帥・宗教的祭祀王であって戦争犯罪者ではない。
 同時に、日本の歴史上最も命を狙われた天皇である。
 昭和天皇や皇族を惨殺しようとしたのは、日本人の共産主義者無政府主義者のテロリストとキリスト教朝鮮人テロリストであった。
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 靖国神社の心・志・精神とは、人道貢献と平和貢献の事である。
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 歴史的人道貢献とは。昭和天皇A級戦犯である東条英機松岡洋右松井石根らは、ソ連ポーランド侵略から逃げてきた数万人のポーランドユダヤ人を保護し、ナチス・ドイツゲシュタポと日本人の反ユダヤ派、親ドイツ派の上海ホロコーストを阻止しユダヤ人難民数万人を敗戦後まで守り続けた。
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 昭和天皇の平和貢献とは、戦争には不同意であったが政府と軍部が決定すれば裁可するが、戦争が始まれば早期に講和を行って戦争を止める事を求め続けた。
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 日本国内には、天皇制度を廃絶しようとしている反天皇反民族反日的日本人達が超エリート層の高学歴の知的エリートや進歩的インテリに数多く存在している。
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 現代の日本人、政治家・官僚・学者そしてメディア関係者も誰も重大問題とはせず、沈黙、つまりは黙認している。
 現代の学校歴史教育では、昭和天皇が行った数々の歴史的偉大な功績は否定され抹消されている。
 つまり、生徒・学生で昭和天皇は嫌いが大多数で、昭和天皇が好きだという子供は異常・おかしいとされている。
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 5月1日 YAHOO!JAPANニュース HANKYOREH「抗日運動の導火線となった「2・8独立宣言」記念式典、東京で開かれる
 登録:2023-02-08 06:08 修正:2023-02-08 08:14
 2021年2月8日午前、東京都にある在日本韓国YMCA会館で、2・8独立宣言第102周年記念式が開かれている/聯合ニュース
 3・1独立運動の導火線となった2・8独立宣言記念式典が8日、東京で開かれる。
 韓国の国家報勲処は7日、第104周年2・8独立宣言記念式典が東京にある在日本韓国YMCA会館で開催されると発表した。
 記念式典には政府代表のチャン・ジョンギョ国家報勲処報勲宣揚局長をはじめ、光復会の会員や留学生代表、在日本韓国青年会のメンバーなど150人余りが出席する。記念式典は2・8独立宣言の歌、国民儀礼、記念演説、聖書奉読および祈祷、2・8独立宣言書朗読、万歳三唱の順で進められる。
 2・8独立宣言は在日韓国人留学生たちが結成した「朝鮮青年独立団」の名義で崔八ヨン(チェ・パルヨン)、宋継白(ソン・ゲベク)、金度演(キム・ドヨン)、金尚徳(キム・サンドク)など代表委員11人が署名し、留学生600人余りが参加したなか、1919年2月8日に東京で祖国独立を宣言したもの。同宣言は3・1運動の導火線となり、1920年代の青年・学生抗日闘争に大きな影響を与えた。これを機に国内外に数多くの独立運動団体が組織され、大韓民国臨時政府が樹立されるきっかけになるなど、抗日独立運動の口火となった。
 パク・ミンシク報勲処長は「2・8独立宣言は朝鮮半島の青年留学生たちが日本の首都の真ん中で堂々と大韓独立を宣言した誇らしい歴史」だとしたうえで、「その偉大な愛国の歴史を忘れず、未来世代に継承することはもちろん、異域万里の他国で犠牲・献身した独立運動家を発掘し続けることにも最善の努力を尽くす」と述べた。
 シン・ヒョンチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
 https://www.hani.co.kr/arti/politics/defense/1078608.html
 韓国語原文入力:2023-02-07 11:46
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 昔の日本人は、戦場で人殺しの戦争犯罪を行ったが、同時に戦場で人助けの人道貢献や平和貢献を行った。
 現代の日本人は、戦争犯罪を行わないが、人道貢献や平和貢献も行わない。
 事実、中国共産党ウイグル内モンゴルチベットで行っている人道に対する犯罪であるジェノサイドから目を逸らしている。
 興味も関心もないと公言する親中国派・媚中派の政治家や官僚が存在する。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、反天皇反日敵日として日本人の共産主義者無政府主義者のテロリスト同様に昭和天皇や皇族を惨殺するべく狙っていた。
 歴史的事実として、日本は被害者であり、朝鮮は加害者である。
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 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
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 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
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 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
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 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子の軽はずみな戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
 渡来人の中国人や朝鮮人には、皇室に対する畏れはなく、天皇や皇族を殺す事に罪悪感はなかった。
 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や差別はここから始まっている。
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 663年 唐は、白村江で日本軍を破り、日本侵略の為に山東半島などに大船団を終結させた。
 愛国者大伴部博麻は、白村江の戦いで捕虜となって唐に連れて行かれ、唐軍の日本侵略情報を日本に知らせる為に自分を奴隷に売って資金を作り、唐に残っていた遣唐使に渡して急ぎ帰国させた。
 天智天皇は、唐軍の侵略に備えて北九州から瀬戸内海にかけて水城(みずき)を築き、全国から防人を集めて配置し、万全な防備体制を固めた。
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 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
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 672年 壬申の乱天武天皇の反唐派(反中派)・保守派は、近江朝廷を滅ぼし、大友皇子を自害に追い込み(追謚・弘文天皇)、親唐派(親中派)を政治の中枢から追放した。
 「大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ」(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 生き残った親唐派(親中派)の日本人や渡来人達は、地方ヘと逃げて土着した。
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 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
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 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
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 764年 藤原仲麻呂の乱帰化人対渡来人の攻防。
 親唐派の藤原仲麻呂は、新羅討伐を計画して軍備を整えていた。
 孝謙上皇(女帝)は、唐から帰国した吉備真備坂上氏など帰化人軍事勢力らと図って藤原仲麻呂を滅ぼした。
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 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
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 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
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 820年 弘仁新羅の乱。東国・関東には半島から逃げて来た移民・難民が多数住んでいた。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
 が計画的な反乱ではなかったので、朝鮮半島の統一新羅は動かず日本を侵略しなかった。
 同様に、日本各地に定住していた新羅系渡来人や百済帰化人・高句麗帰化人も反乱に同調せず、日本を揺るがす内乱・内戦に発展しなかった。
 834年 日本人百姓は、偏見と差別、新羅系渡来人への憎悪から武器を持って新羅村を襲撃した。
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 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
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 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
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 893(寛平5年)および 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
 894年9月 唐の将軍を加えた新羅船100隻、2,500人が、対馬を襲撃した。 対馬の文屋義友は約500人の手兵で迎え撃ち、敵の大将を含む302人を撃ち取った。 捕虜となった新羅人の自白「朝鮮半島は不作により人民は飢えに苦しみ、治安が悪化していたため〝王の命令により〟襲撃した」
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 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
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 906年 延喜の新羅の賊。
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 935年 統一新羅は、高麗の王建によって滅ぼされた。
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 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
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 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
 『韓国人に不都合な半島の歴史』 著者 拳骨たくみ「太宰府が4月16日に送った報告書が『朝野群載』(巻20)に記載されている。
 その記述によると、彼らは畠を食いつくし、馬や牛、犬の肉まで食べたという。年寄りから子供らはみな惨殺され、壮年の男女400~500人は船に乗せられ拉致された。
 ……
 高麗海軍による攻撃を受ける最中、賊たちは日本人捕虜たちを殺したり、す巻きにして海に投げ込んだりした。
 高麗は日本人を救出し、300人余りが助かったと生存者の供述書に書かれているが、この時点で拉致された人々の80%近くが死亡していることがわかる。
 ……
 一方の日本は、高麗に対して不信の念を強くしていた。
 権大納言藤原実資は、『賊は刀伊ということだが、捕虜を尋問したところ『高麗国が刀伊を防ぐために自分たちを派遣したが、刀伊に捕縛された』と答えている。数千もの賊がいて、なぜ捕まったのが高麗人だけなのか。賊は高麗人が嘘をついて刀伊人であるとしているのではないか』との見解を示した(『小右記』)。
 この不信感には先述したように、かつて新羅による海賊行為がしばしば見受けられたことで、裏で高麗が糸をひいているのではないかと考えられたからに他ならない。
 これらの事例からも、日本が韓国を古来から尊敬していたなどという話は、まったくの架空であることがわかるだろう。
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 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
 捕らえた捕虜で、元南宋人(中国人)は助けたが、蒙古人や高麗人は殺した。
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 虐殺から生き残った対馬壱岐・北九州の住民は復讐で怒り狂い、前期倭寇となって報復として高麗(朝鮮)や元・明(中国)を荒らし回り殺害・強奪・強制連行を行った。
 前期倭寇が行った残虐行為は、「目には目を、歯には歯を」の「相手の仕打ちに対して同様の仕打ちで対応する」という合法的正当行為であった。
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 1392年 李成桂は、主君の高麗王を裏切って殺害し、高麗王族を根絶やしにする為に女子供まで容赦なく虐殺して、主家の高麗王朝を滅ぼして半島を統一した。
 李成桂は、明帝皇帝に臣下を誓い、明国の属国になり、半島に於ける正当な唯一の支配者・統治者と認められ、その証として「朝鮮」という国名と民族名を下賜された。
 この後、独立国君主でない朝鮮国王は、新たに国王に即位する為には明国皇帝からの認可が必要とされ、明国からの皇帝勅使一行を王都の城門前まで出向き土下座して迎えた。
 朝鮮の小中華思想では、中華皇帝によって正当性を認められた朝鮮人を上位者とし、正当性を認められていない日本人を下位者とし、その偏見で日本人を野蛮人と軽蔑し見下して差別した。
 歴史的事実として、人種・民族・部族に対する偏見・軽蔑・差別・迫害・弾圧・虐殺において、最も激しいのは中国であり、次ぎに朝鮮で、日本は東アジアで最も少ない。
 朝鮮人や中国人は、性悪説として、気が強く傲慢で、嘘をつき人をよく騙す。
 日本人は、性善説で、気が弱くお人好しで、嘘をつかず人に騙されやすい。
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 1405年~1433年 明の永楽帝イスラム教徒で宦官の鄭和は、大艦隊を率いて南海遠征を行った。
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 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
 朝鮮軍、227隻、1万7,285人。
 島民114人を虐殺し、民家1,939戸を焼いた。
 対馬守護代宗貞盛は反撃し、朝鮮軍2,500人(一説では3,700人)を撃ち取り、日本側の戦死者は123人。
 朝鮮軍は、台風を恐れて全軍撤退し、事実上の敗走であった。
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 1428年 世宗大王は、日本からコメ作りや水車の製造など多くの事を学んだ。
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 後期倭寇は、対馬壱岐・北九州などに拠点を持っていたが、日本人は1割以下で、大半が中国人・朝鮮人南蛮人であった。
 日本人は、大陸や東南アジアとの正当な合法的交易で利益を上げていて、人が嫌う危険な海賊行為=倭寇で荒稼ぎするほど物好きではなかった。
 後期倭寇は中世のバイキングに似たところがあった。
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 豊臣秀吉朝鮮出兵・唐入り。
 1792年文禄の役、1797年~98年慶長の役。 
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 歴史的事実として、日本国内には中国や朝鮮のような血に飢えた盗賊・野盗・山賊・海賊のような兇悪な犯罪集団は少なかった。
 黒沢明監督の映画「七人の侍」の世界が日本の乱世であった。
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 民族を分けるのは、集団としての言語・文化・伝統・習慣・風習ではなく、共同体を一つにまとめる宗教であった。
 日本民族をまとめる宗教とは、天皇心神話である。
 天皇への畏敬・敬愛・崇敬そして忠誠が、「ある」者は日本民族帰化系日本人で、「ない」者は日本民族ではなく日本人・渡来系日本人である。
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 日本民族の、自然崇拝・精霊宗教は数万年前の石器時代縄文時代まで遡り、最高神・女性神の神の裔・天皇神話は数千年前の弥生時代古墳時代に原型があった。
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 ゾロアスター教拝火教)は、紀元前6世紀頃から始まった。
 エジプト文明の宗教・神話は、5000年前。
 メソポタミア文明の宗教・神話は、紀元前3000年頃。
 インド仏教教祖の釈迦の生没年は、紀元前463~383年、同560~480年など諸説ある。エジプト神話
 ユダヤ教は、紀元前4世頃に発展したと言われている。
 キリスト教は、イエス・キリストが紀元前4年頃から始めた。
 イスラム教教祖のマホメットは、570~632年まで生きていた。
 中華儒教孔子は、紀元前551~同479年に生きていた。
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 1847(弘化4)年 マルクスエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
 マルクス主義社会主義共産主義は歴史の浅い、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。
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