🏹63〕─1─秀吉の朝鮮出兵。世界で日本人は売れたが朝鮮人は売れなかった。~No.201No.202No.203 

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 中世キリスト教会・イエズス会などの修道士会による、日本やアジアへの宗教侵略。
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 2023年5月5日5:00 YAHOO!JAPANニュース「豊臣秀吉だけではなかった。イタリア人商人カルレッティが行った奴隷売買
 足枷。(写真:イメージマート)
 『デイリー新潮』には、韓国旅行者が大阪城の秀吉像に“中指”を立てた記事があった。こちら。実は豊臣秀吉配下の武将だけでなく、イタリア人商人カルレッティも人身売買を行ったので、紹介することにしよう。
 イタリア人商人カルレッティの『世界周遊記』には、朝鮮人奴隷を売買した模様が書かれている。さらに同書によると、朝鮮半島では多くの朝鮮人奴隷が相当な安値で売買されていた事実が記されているので、以下、紹介しよう。
 カルレッティは、5人の朝鮮人奴隷を約12スクードで買った。その後、彼らにキリスト教の洗礼を受けさせるとインドのゴアへ連行し、4人を自由人として解放した(理由は後述)。残った1人はイタリアのフィレンツェまで連れて行き、アントニオと名乗らせてローマに住まわせた。
 ところで、カルレッティが買ったアフリカ人奴隷は、1人が100スクードだったが、朝鮮人奴隷は5人で約12スクードだったので、1人が約2.4スクードである。朝鮮人奴隷がいかに安かったか理解できるだろう。
 カルレッティは、買ったアフリカ人奴隷をコロンビアで180スクードで売り、80スクードも儲けた。こうして転売を繰り返し、カルレッティはかなり利益を得た。では、なぜ安値の朝鮮人奴隷をたくさん買わなかったのか。その理由は、同書に書かれていない。
 考えられることとしては、朝鮮人奴隷は高値で取り引きされず、それゆえ安値だったと指摘されている。安値で朝鮮人奴隷を買っても、道中で彼らに食料を与える必要がある。余分な経費が掛かるのだ。
 カルレッティがインドのゴアで4人の朝鮮人奴隷を解放したのは、転売の見込みが立たなかったのかもしれない。つまり、朝鮮人奴隷には、奴隷市場における商品価値が乏しかったと考えられる。その理由は想像するしかないが、やはりアフリカ人奴隷のほうが屈強だったからだろうか。
 男性のアントニオ以外の4人の性別は明らかではないが、男性と推測されている。当時のポルトガル男性の独身者は、正式な妻を持つことなく、日本などのアジア諸国で女性の奴隷を購入し、妻の代わりにすることが珍しくなかった。ポルトガル男性が女性奴隷を購入したことは、諸書に見える。
 カルレッティが購入した朝鮮人奴隷が女性ならば、本国だけでなく途中の東南アジアの諸国で、ポルトガル人に高値で売れたに違いない。つまり、途中で朝鮮人奴隷を手放したのは男性だったからで、高値で売れないと諦めたからだろう。
 いずれにしてもカルレッティは、奴隷売買で大儲けしたので、秀吉以上のすごい男だったようだ。
 主要参考文献
 榎一雄『商人カルレッティ』(大東出版社、1984年)
 記事に関する報告
 渡邊大門
 株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
 1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・中野校講師。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社、『戦国大名の戦さ事情』柏書房など多数。
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 朝鮮人は、儒教の事大主義・小中華主義・人種差別主義から歴史的文化的伝統的に陸続きの大国である中国人やモンゴル人などの遊牧民族の奴隷にはなるが、海の外の白人や日本人の奴隷にはならない。
 それが、朝鮮半島のDNAである。
 奴隷にされた事で、中国人や遊牧民には無言であるが、日本や白人に対しては罵詈雑言であるが、白人にはキリスト教徒になって無言である。
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 中世キリスト教会・イエズス会などの修道士会は、明国(中国)をキリスト教化して、スペインの植民地にし、中国人を白人キリスト教徒の奴隷にする為に、秀吉と武士団を明国侵略に利用しようとしていた。
 白人キリスト教徒商人は、教皇の勅許とスペイン国王・ポルトガル国王の裁可を得て日本人や朝鮮人を奴隷として売って、売り上げの一部を中世キリスト教会とイエズス会などの修道士会に寄進していた。
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 5月4日 MicrosoftStartニュース「なぜ韓国旅行者は大阪城の秀吉像に“中指”を立てたのか。秀吉が行った恐るべき所業
 渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
 豊臣秀吉像。(写真:イメージマート)
 『デイリー新潮』には、韓国旅行者が大阪城の秀吉像に“中指”を立てた記事があった。こちら。そこには、文禄・慶長の役豊臣秀吉が行った蛮行が原因なので、解説することにしよう。
 文禄元年(1592)、日本軍が朝鮮半島に上陸すると、常陸佐竹氏の家臣・平塚滝俊が肥前名護屋城佐賀県唐津市)で留守を務める小野田備前守に書状を送った(「秋田県公文書館所蔵文書」)。その書状には、乱取りの一端が書かれているので、次に関係部分を示しておこう。
 高麗で2・3の城を攻め落とし、男女を生け捕りにして送ってきた。(朝鮮人の)首を積んだ船があるようだが、私は見たことがない。男女を積んだ船は見た。
 この記録は、朝鮮半島で捕らえた男女を日本に連行したことを示しており、日本軍が朝鮮で乱取りを行った証になろう。続きでは、朝鮮人の首を積んだ船もあったようだが、滝俊は見たことがないという。朝鮮人の首は、日本の将兵が軍功の証として、日本へ送ったものである。
 敵兵の首を取るのは序の口で、朝鮮半島では日本軍により残酷な行為が行われた。慶長3年(1598)10月に泗川新城で戦いで、島津軍は明・朝鮮の連合軍に勝利した。
 戦後、島津軍は城の外に大きな穴を掘って、討ち取った敵兵3万3千7百人を埋めたという。そして、その死体から鼻だけを削ぎ取り、塩漬けにして日本に送ったのである(『島津家記』)。敵兵の耳や鼻を削いで、持ち帰る際に塩漬けにしたのは、腐敗を防止するためだったと考えられる。
 本来、軍功を証明するには、敵兵の首を持ち帰るのが普通だったが、代わりに耳や鼻を削ぎ持ち帰ることもあった。朝鮮出兵で持ち帰った耳や鼻を供養したのが耳塚(鼻塚)であり、京都市東山区の豊国神社前にある。
 『本山豊前安政父子戦功覚書』には、「男女生子も残らず撫で切りに致し、鼻をそぎ、其の日々塩に致し」と記されている。つまり、安政は男女や生まれたばかりの赤ん坊も残らず撫で切りにし、鼻を削いで毎日塩漬けにしたというのである。
 文禄・慶長の役の知識を持つ日本人は、どれだけいるのだろうか。日本と韓国の友好関係を深めるためにも、こうした史実を詳しく知る必要があるだろう。この記事は、そのごくごく一部に過ぎない。
 記事に関する報告
 渡邊大門
 株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
 1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校・中野校講師。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社、『戦国大名の戦さ事情』柏書房など多数。
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 日本には、大航海時代の中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人による日本人奴隷交易(被害者として)と日本軍部・陸軍・A級戦犯によるポーランドユダヤ人難民(数万人)をホロコーストから守ったという人道貢献(実行者として)を世界記憶遺産に申請する資格・権利がある。
 これは、日本国家ではなく、生きている日本民族日本人としての責務である。
 日本人奴隷交易とA級戦犯の人道貢献には、その事実を証明する・裏付ける公文書・古文書・キリスト教会報告書など歴史的証拠が国内外に数多く残っている。
 もし、日本の申請が認められないというのならば、ユネスコとイコモスによる世界遺産世界文化遺産・世界記憶遺産には存在意義はない、無意味・無価値という事である。
 日本人奴隷交易の責任の一端は、乱取りで捕らえた日本人を奴隷として外国人に売った日本人にもある。
 A級戦犯が有罪となって見せしめ的リンチ縛り首で処刑にされた罪状は、政治家・官僚・軍人として戦争を始めた平和に対する罪であって、拷問・虐待・惨殺・虐殺を行った人道に対する罪ではなかった。
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 武士は、敵が自分より強者・巨大で戦えば必ず負けると分かっている絶望的状況にあっても、体面・名誉・プライドの為に戦うと決断したら「勝敗は時の運」と思い定め、死を覚悟し、「肉を斬らして骨を斬る」の捨て身の戦いを「正々堂々」と奇策や奇兵を駆使しておこなった。
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 日本の戦争史において、小国・少勢・小部隊・弱者・不利な者が大国・多勢・大軍・強者・有利な者に対して行う、油断を突く・虚を突くという奇襲・騙し討ち・不意打ち・夜襲は卑劣な戦術ではなく道理にかなった戦術である。
 日本軍が戦った対外戦争である、日清戦争日露戦争、シベリア出兵そして満州事変、日中戦争、太平洋戦争はすべてそうといえた。
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 西洋キリスト教文明国からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷もしくは人間以下の家畜、自由に殺してかまわない獣であった。
 バチカンローマ教皇は、改宗した日本人キリシタンを奴隷にする事は禁止したが、改宗を拒む異教徒日本人を奴隷とする事は認めた。
 つまり、中世キリスト教会は日本人奴隷交易を「神の御名」によって容認・公認していた。
 心ある善意な宣教師達は、全知全能の神から与えられた「神聖な使命」として、日本人を奴隷から救う為に積極的に布教活動を行い、数十万人の日本人をキリシタンに改宗して「神に愛される自由人」に引き上げていた。
 それが、中世キリスト教会が説く「隣人愛の信仰」であり唯一絶対神の御言葉である「福音による救済・恩寵・奇蹟」であった。
 豊臣秀吉徳川家康江戸幕府は、その事実を知り、日本人奴隷交易を禁止する為に元凶となっているキリスト教邪教として禁教とし、非人道的なキリシタン弾圧をおこなった。
 が、その歴史的事実がハッキリしているにもかかわず、現代日本歴史教育は「日本人奴隷交易」を否定する事なく黙認している。
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 日本とくに日本民族では、マルクス主義共産主義無政府主義による人民革命は起きない。
 もし人民革命が起きるとすれば、日本人から日本民族が消滅もしくは少数派となり外国移民の日本国民に入れ替わるもしくは多数派になったときである。
 何故なら、マルクス主義共産主義無政府主義とは反天皇反民族反日本だからである。
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 庶民にとって、領主・大名・主君が誰であったも関係ない。
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 戦国時代は、悲惨で、酷たらしい地獄であった。
 武士・サムライが、百姓を嫌い差別し「生かさず殺さず」の支配を続けたのには理由があり、戦国の気風が残っていた江戸時代初期に斬り捨て御免が横行していたには理由があった。
 日本は、誰も助けてくれないブラック社会であった。
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 日本の庶民(百姓や町人)は、中華や西洋など世界の民衆・大衆・人民・市民とは違って、油断も隙もない、あさましく、えげつなく、おぞましく人間であった。
 町人は、戦場を見渡せる安全な高台や川の反対岸などの陣取って、酒や弁当を持ち込み遊女らを侍(はべ)らせて宴会を開き、合戦を観戦して楽しんだ。
 町人にとって、合戦・戦争は刺激的な娯楽で、武士・サムライが意地を賭けた喧嘩・殺し合いは止める必要のない楽しみであった。
 百姓は、合戦が終われば戦場に群がり、死者を弔う名目で死者の身包みを剥ぎ裸にして大きな穴に放り込んで埋め、奪った武器・武具・衣服などを商人に売って現金化し、勝った側で負傷した武士は助けて送り届けて褒美を貰い、負けた側の負傷した武士は殺し或いは逃げた武士は落ち武者狩りで殺し大将首なら勝った側に届けて褒美を貰った。
 百姓にとって、合戦は田畑を荒らされ農作物を奪われる人災であったが、同時に戦場荒らしや落ち武者狩りでなどで大金を稼ぐ美味しい副業であった。
 合戦に狩り出された庶民は、足軽・雑兵以下の小者・人夫・下男として陣地造りの作事を強要されるが、合戦が始まれば主君を見捨てて我先に一目散に逃げ、勝ち戦となれば勝者の当然の権利として「乱取り」を行い、敵地で金目の品物を略奪し、逃げ遅れた女子供を捉えて人買い商人に奴隷として売った。
 百姓や町人らの合戦見物・戦場荒らしは死者への敬意や死体の尊厳を無視するだけに、古代ローマ時代の剣闘士が殺し合うコロセウムより酷かった。
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 武将は、足軽・雑兵、小者・人夫・下男による乱取りを黙認していた。
 乱取りで捕まった女子供は、各地の奴隷市で日本人商人に買われ、日本人商人は宣教師を通じて白人キリスト教徒の奴隷商人に売って金儲けをしていた。
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒奴隷商人は、日本人を奴隷として買って世界中に輸出して金儲けしていた。
 日本人奴隷を生み出していたのは、乱取りを行った百姓達であった。
 一説によると、日本人奴隷として輸出した人数は、ポルトガル商人が5万人以上で、スペイン商人は不明である。
 これが、南蛮貿易に隠された暗黒史である。
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 反権力・反権威・反体制的な庶民は、社会秩序に反逆する野伏せりや悪党であり、そして天皇を命を捨ててでも守ろうとした勤王派・尊皇派であった。
 その代表的人物が、楠木正成であった。
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 現代日本人は、潔くカッコイイ武士・サムライの子孫ではなく、乱取りをし日本人を奴隷として売って大金を稼いでいた庶民の子孫である。
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 日本人は、悪人、罪人である。
 故に、親鸞はそうした救われない哀れな日本人は阿弥陀仏阿弥陀様)が救ってくださると、「悪人正機説」で他力本願を説いた。

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