🎌2〕─5・A─日本の皇室と英国の王室、あえて優劣を論じると。~No.10 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2023年5月6日 YAHOO!JAPANニュース プレジデントオンライン「日本の皇室と英国の王室、あえて優劣を論じると?…「世界2大君主」が称賛を集めている理由
 ニュージーランドにおけるチャールズ皇太子の公式肖像画(2019年)(写真=https://gg.govt.nz/copyright-and-licensing/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)
 日本の皇室とイギリスの王室には、どんな違いがあるのか。評論家の八幡和郎さんは「日本の皇室のストイックさは世界中で評価されている。贅沢せず勤勉で、平和を愛好する、よい家庭人というイメージは、平成の両陛下において頂点に達したが、英王室の流儀に学ぶべきことも多い」という――。
 【図表】天皇系図
■君主の中でも英国王と天皇陛下は別格
 英国のチャールズ新国王とカミラ王妃の戴冠式が、5月6日にロンドンのウェストミンスター寺院で行われる。
 日本における天皇即位のご大典は、東洋の君主の継承儀式を残す唯一のものであり、英国王の戴冠式は、西洋伝統のキリスト教による即位式を代表する。
 現在、世界には30人の君主がいるが、そのなかで英国と日本の王室・皇室は抜きんでて格が高いものとされている。
 今回は、なぜこの二つのロイヤルファミリーがすごいのか、また、どちらがどんな点で上なのかを、最近、篠塚隆・前モロッコ大使と共著で『英国王室と日本人 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館)でも論じたので、そのエッセンスを紹介したい。
 英国王が優位であるのは、チャールズ国王が英連邦諸国のうち、カナダやオーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカなど15の国の元首を兼ねていることだ。
 また、インド、パキスタン、ナイジェリアなど56の加盟国からなる英連邦(コモンウェルス・オブ・ネーションズで「英」という意味はないので誤訳)の「象徴であり儀礼的指導者」でもある。
ビクトリア女王がうらやましがった「皇帝」の称号
 人口は、日本の人口1億2600万人が英国の6700万人をしのぐ。相互訪問のときなどは、この人口や経済の規模で比較するべきだろうが、君主である15カ国の合計が1億5000万人であることは、世界規模では無視できない。
 肩書では、日本の天皇はエンペラーと呼称され、格上で儀礼上も上位に置かれるとかいう人がいるが、公式序列は即位の順だけによる(※)。
 ※「世界でたった1人のエンペラーだから」ではない…天皇陛下が世界中から尊敬される3つの理由(2023/1/2)
 歴史的にも、上下関係はドイツ帝国内の皇帝とバイエルン国王などの場合に成立するだけであるし、格上かどうかも同じキリスト教国のあいだで問われるだけだ。だが、第1次世界大戦以来、「皇帝(エンペラー)」は少なくなって絶滅危惧種的な称号なので値打ちはある。
 英国のビクトリア女王は、親戚であるロシアやドイツの皇帝の肩書をうらやましがり、ディズレーリ首相がインド帝国を創設して女王を皇帝とした。署名も「VR」でなく「VI&R」とできるようにして喜ばれたから、やはりエンペラーの肩書は王様たちにとって値打ちがあるようだ(Vはビクトリア、Iはラテン語でインペラトリス:女帝、Rはレジーナ:女王。チャールズ国王の署名は「CR」だ)。
■「万世一系」の皇室は突出した存在
 歴史の長さでは日本の皇室がずばぬけている。紀元前660年2月11日に奈良県橿原市で日本建国があったというのは、少し割り引く必要がある。日向出身の神武天皇が建国したクニの領域は奈良盆地南西部だけで、大和統一は崇神天皇、日本統一は仲哀天皇の時と記紀にも書いてある。
 九州の王者が大和を征服したという神武東征のイメージは鎌倉時代以降のもので、古代人の歴史認識ではない。また、初期の天皇の寿命が長すぎるので、調整すれば、崇神天皇は三世紀で、神武天皇は紀元前後ということになる。
 ただ、畿内発祥の王朝が四世紀に日本を統一して以来、万世一系で継続しているという大筋を否定すべき明白な理由はないし、一部の人が邪推するように西暦600年頃に王朝交替があったとしても千数百年の歴史だ。
 しかも、男系男子継承という厳しい条件をクリアしているから、突出した存在だ。もし、フランスで十世紀から始まった王制が存続していたら、男系男子に加えて嫡出で維持されているから、世界のロイヤルファミリーのなかでライバルになったかもしれない。しかし、1789年のフランス革命で王政は廃止されたため、やはり日本の皇室、そして天皇陛下は現在の君主の中では別格だ。
■英国王室の歴史は1066年にさかのぼる
 イングランド王国は、829年にアングロサクソン七王国が統一されたのに始まり、1066年にフランスのノルマンディー公(ウィリアム1世)によって征服され、その子孫が現在の英王家だ。
 ウェストミンスター寺院を創建したのは、その2代前のエドワード懺悔王だ。ノルマン人の王も、イングランド王としての正統性の根拠としてアングロサクソン王朝との連続性を大事にしており、寺院の中央にあるエドワード懺悔王の霊廟(れいびょう)を中心とした区域で、塗油と戴冠からなる儀式を行うのは、『日本書紀』や『古事記』における出雲族からの国譲りの扱いと似ている。
 戴冠式で使われる王冠は聖エドワード王冠だが、女王がバルコニーに立ったり、国会で演説するときに使うのは、世界最大級のダイヤモンドをあしらった「大英帝国王冠」で、二つの王冠はロンドン塔で所蔵している。
 ロンドン塔は、ウィリアム1世が王宮として建設し、これとウェストミンスター寺院とがそろったことで、ロンドンがイングランドの首都として認知されることになった。
 その後は、女系相続が可能なノルマンディー公家の慣習に従って継承されており、王朝の名前は変わっても、一貫性が失われたことはない。
■女系でつないできたイギリス王朝史
 ノルマン家を嗣いだのは、プランタジネット家である。ヘンリー1世の外孫であるフランス貴族のアンジュー公(ヘンリー2世)が初代で、十字軍で活躍したりフランス王位を狙って英仏百年戦争を戦ったり、紅白のバラを紋章とする二つの分家が争う薔薇戦争もあった。騎士道の時代だった。
 テューダー家は、ウェールズ貴族ながら女系でプランタジネット家を継承するヘンリー7世が初代。海洋が好きで商業を重んじるウェールズの気風をイングランドにもたらした。
 しかし、エリザベス女王が未婚だったので、ヘンリー7世の女系の子孫であるスコットランドのステュアート王家ジェームス1世(メアリー女王の子)がイングランド王を兼ねることになった(アン女王の時に連合王国になった)。清教徒革命や名誉革命ののち、ジェームス1世の女系の曾孫であるドイツのハノーバー公が王位を継承した。このジョージ1世が英語を話せなかったことから、「君臨すれども統治せず」の原則ができた。
 ビクトリア女王のあと、夫の実家サックス・コバーク・ゴータ家を名乗ったが、第1次世界大戦でドイツが敵となったのでウィンザー家に改称した。エリザベス女王のあとフィリップ殿下のマウントバッテン家(デンマーク王家分家のギリシャ王家出身だが英国に帰化するときに名乗る)になるはずだったが、王朝名としてはウィンザー家、王族を離れたらマウントバッテン・ウィンザーという複雑なことになった。
■世界中から尊敬を集める皇室の「謙虚さ」
 英国王室より長く続いているのは、8世紀のヘルムード1世の血を引くスペイン王家(父祖はフランスのブルボン家になっている)と、10世紀のゴーム王の子孫であるデンマーク王家(グリュックスブルク家)だが、中断などが複雑なので、英国王室が実質的には欧州一の名門であることに異議あるまい。
 歴史以外にもう一点、日本の皇室が尊敬されているのは、ストイックさだ。贅沢せず、勤勉で、平和を愛好し、文化や科学を重んじ、よい家庭人というイメージは、平成の両陛下において頂点に達したし、謙虚さもそれに加わった。
 もちろん、平成皇室のスタイルは選択肢の一つに過ぎない。英王族は戦前の日本と同じように軍人として戦場に向かうし、女王だって軍服に身を固めて兵士たちを鼓舞した。
 海外の王室との交流で、日本の皇室は、謙虚にして好感度を上げているが、エリザベス女王は、毅然(きぜん)と国家としての誇りを背負って格上であることを見せつけ、侮辱されたとみるや、冷遇したり無礼さをリークしたりして成功を収めた。
■平成から不均衡な日英交流が続いている
 日英皇室・王室のやや不均衡な交流は考えものだろう。平成年間に両陛下が3度も訪英されたのに女王の訪日なし、2度の即位礼や昭和天皇の大喪にもフィリップ殿下やチャールズ皇太子を派遣されたという状況は、改善が必要だ。
 チャールズ国王の戴冠式に両陛下ではなく秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻が出席されることを残念がったり、英王室に失礼だとか言ったりするやからがいるが、アンバランスを甘受しすぎると世界から甘く見られる。
 また、昭和天皇が仰ぎ見るような高みから暖かいまなざしを国民に注がれたのに対し、平成の陛下は国民の近くに降り立ち勤勉でストイックに全力投球を続けられた。
 令和の陛下が家族を大事にし、国民にも負担をかけないということで公務やお出ましの量を整理されるなら、それもひとつの行き方である。皇室は普遍的にこうあるべきだというスタイルがあるわけでないから、令和の両陛下が平成の流儀と違うスタイルをとられることはかまわないと思う。
 ただ、それぞれのスタイルが世界や国民から議論され、理解されたうえで支持されなければならないのは当然だ。
■英国王室から学ぶ「世論との付き合い方」
 きらびやかな宮殿で豪華な接待をすることは外国の賓客を喜ばすし、その国民も自国の指導者が重んじられたと満足する。王族がファッションリーダーとなることを国民は喜ぶし、国際的な発信力にもなる。あるいは、新しい価値観を体現したような生き方を社会的に認知させることにも貢献すれば評価されることもある。
 ダイアナ妃の生き方には賛否両論があるが、人道支援やファッションのリーダーとしては素晴らしかった。日本でも、恋愛結婚が社会的に肯定されたのは、島津貴子さん(昭和天皇の第四皇女)の結婚が契機だったし、美智子さまと当時の皇太子殿下(現上皇陛下)の結婚は欧州王室での平民との結婚容認を後押しした。
 英国王室は、世論の批判に試行錯誤を繰り返しながら対応して進化してきた。SNSを活用した情報発信でも先行している。エリザベス女王は、批判に直接は答えないことを方針とする一方、敏感かつ迅速に反応されたし、チャールズ国王も同様だ。
エリザベス女王昭和天皇に会うために地球を半周
 日本では、マスコミによる皇室批判はなおタブーであるが、突然爆発して「みんなで渡れば怖くない」状態になるし、皇室の対応もスマートさに欠ける。戦前は宮中の人々、華族社会や政治家が皇室に諫言していたが、戦後はなくなり、マスコミも過度に慎重だ。
 しかも、昭和から令和まで一貫して、その時々の両陛下には遠慮があるが、皇嗣に対しては常に厳しい。上皇陛下も今上陛下も皇太子時代はひどく誹謗(ひぼう)されたのに、即位後はアンタッチャブルになった。
 (英国でも女王・国王には遠慮があり、他の王族に厳しいのは日本と同じであるし、さらに将来の皇位継承予定者に比べて弟などにはより厳しい。それへの不満が、ヘンリー&メーガンの反乱につながったが、日本と比べたら扱いに大きな差はない)
 しかし、対外的な君主としても、国民の模範としても適度にネガティブな意見も聴くことを必要としているのは、むしろ両陛下であるはずで、常に女王・国王のふるまいが報道され、議論される英国の方が健全だ。
 英国王室との交流でも、より突っ込んだ意見交換のできる関係を目指すべきだと思う。昭和天皇はジョージ5世から、エリザベス女王昭和天皇から懇切な助言を受けて、「このために地球を半周して来た」と喜ばれたと記録にもある。
■皇室・王室の存在をどう生かしていくか
 皇室外交は、両国の友好を深めるためにも重要だが、君主やロイヤル・ファミリーが友情を深め学び合いアドバイスを受けるのも大事な目的だ。
 権力から超越した日本の皇室と、封建領主の延長線上にある英王室は、違うテイストをもつが、現代社会で世襲君主制が共通してもつ価値や困難では共通しており、学び合うことは多い。
 トランプの4人の王様とともに最後まで生き延びるといわれた英国の王室だが、世論調査では共和制を望む人も増えている。一方、日本の皇室は、皇位継承者や皇族の減少に悩んでいる。
 しかし、皇室・王室の存在が日英両国の国際地位を高めるのにプラスに働いているのは間違いなく、それをどう生かしていくかは両国民にとっても大事な課題である。

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 八幡 和郎(やわた・かずお)
 徳島文理大学教授、評論家
 1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。

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