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日本民族は、黄河系漢族中国人や半島人との関係は薄い。
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2024年5月18日 MicrosoftStartニュース zakzak「八幡和郎 日本人の試練 日本人起源の認識が根本的に変わりそうな「三重構造説」理化学研究所など発表 進むヒトゲノム研究、弥生時代は前後期あった?
理化学研究所=埼玉県和光市
© zakzak 提供
日本人の起源について、従来の「縄文人・弥生人の二重構造説」に代わって、「三重構造説」が流行(はや)っている。国立遺伝学研究所や理化学研究所など、いくつかの集団の研究が発表されて、各系統の呼び方は定着していない。
弥生人は、日本語と初歩的な農業とともに3000年ほど前に来た北東アジア(東北)系と、もっと後に来た漢民族に近い東アジア(関西)系の、前期・後期に分かれて来たというのだ。私は「縄文・前期弥生・後期弥生」と呼んでいる。今後の学説は、この線に沿って精緻化していくと思うので、読者にも知ってほしいと思う。
これは、ヒトゲノムについての研究が、21世紀に入って進んだ影響が大きい。例えば、絶滅したとみられていたネアンデルタール人も、現代人の先祖の一部であることなどが分かった。日本人の起源についての認識も根本的に変わりそうだ。
縄文時代は1万6000年前あたりに始まったが、旧石器時代の日本人と同じかは不明だ。全盛期に30万人ほどだが、末期には数万人に減っていた。
そこに3000年前ごろ、満州の西遼河地方にいた民族が朝鮮半島や日本列島に南下した。この前期弥生人たちが日本語をもたらしたことがゲノム分析から明らかになった。日本語が、韓国・モンゴルなど広い意味でのアルタイ語系の文法を持つ謎が解ける。
その後、稲の水田耕作が、中国江南地方・山東半島・朝鮮半島沿岸を経由して九州にやってくる。これが、どの程度の移民を伴うものだったかは未解明だ。ただ、3世紀の古墳時代の開始以降も、奈良時代まで継続的に漢民族に近い後期弥生人が流入してきたことは間違いない。
歴史的に「帰化(渡来)人」と言われるのは、そのうち、4世紀の国家統一以降に渡来してきた人たちをいうが、それ以前の渡来人も含めた後期弥生人は、日本人の祖先の4~7割、前期弥生人が2~5割、縄文人が1割強らしい。
特に、北九州から関西にかけては後期弥生人が圧倒的である一方、東北では縄文人も2割くらいおり、前期弥生人の多さが目立つ。いわゆる蝦夷(えみし)は縄文人でなく前期弥生人が主体ではないかともいう。
縄文人比率は、沖縄・南九州の一部では3割くらいであり、アイヌは縄文人に弥生人やオホーツク系民族が混血したものらしいが、どのような経緯をたどってそうなったかは決め手がない。アイヌをめぐって、未解明なものをこうだと決めつけて政治的に利用するのは、いかなる立場でも考えものだ。
■八幡和郎(やわた・かずお) 1951年、滋賀県生まれ。東大法学部卒業後、通産省入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任し、退官。作家、評論家として新聞やテレビで活躍。国士舘大学大学院客員教授。著書・共著に『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか―地球儀を俯瞰した世界最高の政治家』(ワニブックス)、『日本の政治「解体新書」世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書439)、『民族と国家の5000年史』(扶桑社)、『地名と地形から謎解き 紫式部と武将たちの「京都」』(知恵の森文庫)など多数。
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日本人の平均寿命
縄文・旧石器時代は15歳前後。
弥生時代は18~28歳。
古墳時代は25歳前後。
飛鳥・奈良時代が28~33歳。
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日本列島の人口
縄文時代は約27万人。
紀元前2300年から紀元前1000年までの約1000年間で、8万人まで落ち込んだ人口はおよそ8倍の60万人
弥生時代は約60万人、
奈良時代には500万人と順調に伸びていったが、平安時代の700万人をピーク
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Science Porfal
縄文時代の終わりから弥生時代にかけて急激な人口減少があった DNA解析で判明
2019.06.25
縄文時代の終わりに急激な人口減少があった—。約2500年も前のこうした興味深い現象を東京大学の研究グループが現代の日本人男性のDNA解析から明らかにした。寒冷化により狩猟生活をしていた縄文人の食料が減ったことが原因らしいという。研究成果はこのほど英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された。
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日本列島とは、春夏秋冬、季節に関係なく、広範囲に同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
日本の自然は、数万年前の旧石器時代・縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
日本民族は、自然の猛威に耐え、地獄の様な環境の中を、家族や知人さえも誰も助けずに身一つ、自分一人で逃げ回って生きてきた、それ故に祖先を神(氏神)とする人神信仰を受け継いで来た。
日本人は生き残る為に個人主義であり、日本社会は皆で生きていく為に集団主義である。
日本の宗教・文化・言語は、こうして創られてきた。
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日本民族の人間性である価値観・人格・気質を作り出したのは、人間(他国・異民族・異教徒)の脅威ではなかったし、唯一絶対神(全智全能の創り主)の奇蹟と恩寵ではなく、自然の脅威と恩恵(和食)である。
つまり、日本人と朝鮮人・中国人は違うのである。
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コンサルタントコラム
「津波てんでんこ」を正しく理解しよう~災害に強い組織づくりへの第一歩~
所属 リスクマネジメント第一部 リスクエンジニアリング第二グループ
役職名 コンサルタント
執筆者名 加藤 真由 Mayu Kato
自然災害
2023年6月2日
「津波てんでんこ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「津波てんでんこ」とは、「津波が来たら、いち早く各自てんでんばらばらに高台に逃げろ」(岩手県HPより)という津波襲来時の避難に関する三陸地方の言い伝えである。2011年3月に発生した東日本大震災にて、従来から津波防災教育を受けていた岩手県釜石市の小中学生が、この「津波てんでんこ」の教えを実践した。これにより、多くの命が助かった事例は「釜石の奇跡」として大々的にメディアに取り上げられた。その一方で、「津波てんでんこ」は、その注目度の高さ故、言葉がひとり歩きした結果、「自分だけが助かればよい」という意味で誤解され、「利己的で薄情である」と批判された事例も見受けられる。津波被害から身を守り、災害に強い組織づくりをするためにも、まず「津波てんでんこ」という言葉の意味を正しく理解する必要がある。
京都大学の矢守克也教授は、「津波てんでんこ」は4つの意味・機能を多面的に織り込んだ重層的な用語であることを述べている(2012年)。
1つ目は、「自助原則の強調」である。「自分の命は自分で守る」という考え方は重要だとされている。しかし、単純に津波避難における「自助」の重要性にとどまるものではなく、自己責任の原則だけを強調するものではないことに注意が必要である。
2つ目は、「他者避難の促進」である。避難する姿が目撃者にとっての避難のきっかけとなり、結果的に他者の避難行動を促す仕掛けとなる。
3つ目は、「相互信頼の事前醸成」である。「津波襲来時はお互いに"てんでんこ"する。」という行動を、事前に周囲の他者と約束する。この信頼関係が共有されていれば、「てんでんこ」の有効性が飛躍的に向上する。
4つ目は、「生存者の自責感の低減」である。被災時には、津波で命を落とした他者に対して自責的感情に苛まれやすい。しかし、事前に他者と「てんでんこ」を約束しておくことで、「亡くなった人も"てんでんこ"した(しようとした)にも関わらず、それも及ばず犠牲になった」と考え、生存者の自責的感情を低減する可能性がある。
この4つの意味・機能より、「津波てんでんこ」という言葉には、自助だけでなく、共助の重要性を強調する要素が含まれている。加えて、一刻を争う津波避難時の行動原則だけでなく、事前の社会のあり方や事後の人の心の回復等にも大きな意味を持つものである。
東洋大学の及川康教授は、「津波てんでんこ」という言葉に対する考えを認識度別に調査した。その結果、「津波てんでんこ」に対する真の理解を得るためには、一義的・表面的な原義を提示するのみでは不十分で、適切な解説・解釈がなされる必要があることを示唆した(2017年)。
「津波てんでんこ」という1つの言葉から学ぶべきことは非常に多い。災害に強い組織を作るためにも、東日本大震災をはじめとした過去の災害を振り返り、1つの言葉をテーマに皆さんで深い議論を重ねてみてはどうだろうか。
以上
(2023年5月25日 三友新聞掲載記事を転載)
古川 崚仁 Ryoto Furukawa
氏名 加藤 真由 Mayu Kato
役職 リスクマネジメント第一部 リスクエンジニアリング第二グループ コンサルタント
専門領域 自然災害リスク/カーボンニュートラル/スポーツ・リスクマネジメント/イベント・リスクマネジメント/施設等(指定管理者)の安全管理