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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本政府や国連そして世界も、アイヌ人は日本人ではなく異民族であり北海道の先住民族であると認めている。
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アイヌ独立派は、日本からの分離独立を希望し、北海道にアイヌ国やアイヌ自治区を求めている。
国内のエセ保守やリベラル左派と国外の中国共産党、北朝鮮、反天皇反日本の国際的共産主義勢力は、アイヌ独立派と琉球独立派を支援している。
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2024年7月11日 YAHOO!JAPANニュース 日本ファクトチェックセンター「北海道の先住民族はアイヌではなく縄文人?【ファクトチェック】
誤った投稿が拡散した
「北海道の先住民族はアイヌではなく、縄文人で大和民族である」と主張する言説が拡散しましたが、誤りです。日本政府も国連もアイヌを北海道の先住民族だと認めています。専門家も「日本が近代国家になる前から北海道の主要な住民」だと指摘しています。
拡散した投稿
2024年5月28日、「北海道の先住民族は縄文人です!アイヌじゃありません!」という文言と動画のついたポストが拡散した。このポストは7月10日現在、45万回以上の表示回数と750以上のリポストがある。
動画には「北海道はアイヌの物ではない!」という文言があり、作家の竹田恒泰氏が「アイヌは鎌倉時代にできた民族なので北海道の先住民族は縄文人なんです。何なら大和民族なんです」などと語っている。
日本ファクトチェックセンター(JFC)は、「北海道の先住民族はアイヌではなく縄文人だ」という言説について検証した。
検証過程
日本政府はアイヌが先住民族であると認めている
日本はアイヌが先住民族であると認めている
日本政府は、アイヌが北海道の先住民族であると認めている。内閣官房アイヌ総合政策室のウェブサイトの「アイヌ政策の概要」には、「アイヌの人々は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族です」とある。
2019年には「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現させるための施策の推進に関する法律」(アイヌ施策推進法)が成立。第1条に「北海道の先住民族であるアイヌの人々」と書かれている。
政府がアイヌを先住民族とした経緯
2007年9月13日、国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言(日本語訳版はこちら)」が採択され、日本政府も賛成した。
2008年6月6日、衆参両院で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択された 。決議後、「我が国が近代化する中で多数のアイヌの人々が等しく日本国民でありながら差別され、貧窮を余儀なくされたと言う歴史的事実を、政府として改めて厳粛に受け止めなければならない」と町村信孝内閣官房長官(当時)が表明している。
国連もアイヌを先住民族と認める
国連は、アイヌを先住民族と認めている(国連「State of the World’s Indigenous Peoples(世界の先住民族の現状)」39ページ) 。ここでは、日本の先住民族としてアイヌとともに「Okinawans or Ryukyuan(沖縄人もしくは琉球人)」も記述している。
国連では、映像コンテンツでも、日本の先住民族としてのアイヌを紹介している(AINU : Indigenous Peoples in Japan Web TV)。
国立アイヌ民族博物館 佐々木史郎館長インタビュー
JFCは、国立アイヌ民族博物館の佐々木史郎館長に「北海道の先住民族はアイヌではなく縄文人」という言説について取材した。
文化人類学者の佐々木館長は、拡散した言説における「先住民族」の定義が間違っていると指摘し、次のように話した。
「アイヌは日本が近代国家になる前から北海道の主要な住民でした。その近代国家による開拓政策、植民地政策、同化政策によってアイヌはいろいろな権利を奪われていきました。そういう過程を経た人々を『先住民族』と定義しているのです」
「ですから、近代国家となった日本が、北海道などにおいて具体的な政策を展開した段階で、アイヌがすでに北海道で暮らしていたということが、すなわち先住民族であるということなのです」
先住民族は縄文人?
北海道の先住民族は縄文人であるという主張はどうか。
「文化人類学からすると縄文人という『民族』はおそらく存在しないと考えます。縄文土器という言葉があります。縄を土器の器面に転がして紋様をつける、その技法は広い範囲に見られ、そのような技法を持ち、そのような土器を使う人々を広く「縄文人」と呼ぶことは可能かもしれません。しかし、その技法を共有していたからといって、民族としてのアイデンティティーを共有していたかというとそれは考えられません。縄文文化は時代ごとに、地域ごとに非常に多様だからです」
「幻想の縄文人という『民族』を創って、現代の大和民族あるいは他のどれか一つの民族の祖先だとするのは論理の飛躍があって、学術的には意味がないです。現代のそれぞれの民族のルーツが何千年もの間、不変であるということは考えられません。様々な集団が離合集散を繰り返してきたと考えるのが自然です」
アイヌ文化は鎌倉時代にできたわけではない
拡散した動画の中ではアイヌ文化は鎌倉時代にできたとも語られている。
「擦文文化のあとに13世紀にアイヌ文化が現れたというのも錯覚です。縄文と同様に、擦文も土器の文様から命名された時代を示す指標です。ただ、土器を作らずに、鉄鍋を使うようになった時代を『アイヌ文化(期)』と考古学上で呼んでしまったことから、民族が突然誕生したような誤解を与えているのです」
「考古学の最新の知見では、擦文文化から徐々に変化していって17世紀近世以降に見られるようなアイヌ文化に移行していく間に大きな人の入れ替わりはない。擦文文化を担っていた人たちが自分たちの文化を変えていく。変わっていった要因は本州や大陸との交易が飛躍的に発展したからです。擦文文化もその前の続縄文文化も、アイヌの祖先が担っていたはずです」
「ただ、こう言った歴史的な背景というのはアイヌが先住民族であるかないかという議論と直結するものではありません。先住民族であるかどうかは、近代国家が成立する過程でその住民(アイヌ)がどういう立場、境遇に置かれ、どういうことがなされてきたのかで定義されます」
判定
「北海道の先住民族はアイヌではなく縄文人」は誤り。日本政府も国連も北海道の先住民族はアイヌだと認めており、専門家は日本という近代国家が成立する過程で、すでに北海道に住んでいたアイヌがどのような境遇に置かれていたのか、という点が重要だと指摘する。
検証:宮本聖二
編集:古田大輔
判定基準などはJFCファクトチェック指針をご参照ください。検証記事を広げるため、X、Facebook、YouTube、Instagramでのフォロー・拡散をよろしくお願いします。
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3万5000年から3万年前以後 新人・現生人類(ホモ・サピエンス)=旧石器人(ヤポネシア人)は日本列島にたどり着き、上陸した、漂着した、流れ着いた。
縄文時代 1万2000年~2000年前。縄文人(日本土人)。
数千年前 揚子江流域民である弥生系渡来人が山東半島から朝鮮半島を経由し、続いて中国旧満州地方に住んでいた古墳系帰化人が朝鮮半島を経由して日本列島に移住してきた。
この時点では、まだ日本民族(和人)・琉球民族・アイヌ民族は生まれていない。
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日本土人である縄文人(日本土人)は、日本列島を中心に、南は琉球(沖縄)、北は蝦夷地(北海道)・北方領土、南樺太、千島列島その一部はカムチャツカ半島から北米大陸西北部太平洋沿岸まで、西は朝鮮半島南部、日本海(縄文人の海)を主要航路として手漕ぎ丸木舟で移動していた。
縄文人は、手漕ぎ丸木舟で北米大陸の太平洋沿岸まで移動していた。
中国や朝鮮では、朝鮮半島南部に住んでいた先住民の弥生系日本人を倭族と偏見を持って軽蔑し差別していた。
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