☷46〕─1─日本と韓国「歴史問題がどうも決着しない深い訳」。歴史戦と安倍談話。~No.106 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではない。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人の共産主義者無政府主義者テロリスト同様に昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
 韓国・朝鮮にとって、昭和天皇を惨殺しようとしたキリスト教朝鮮人テロリストは国民の英雄・民族の偉人である。
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 敵日の李氏朝鮮は、宿敵日本を攻撃して滅ぼそうとする大陸大国の清国(中国)やロシアに協力していた。
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 安倍晋三元総理は談話で、これからの日本人については、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としつつ、過去の歴史に真正面から向き合う必要はあるとした。
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 2022年9月17日 YAHOO!JAPANニュース「「韓国に怒ってる日本人」に多い、超残念な4大誤解
 「4億円を賠償せよ、元寇の謝罪」と言われても…
 ムーギー・キム : 『最強の働き方』『一流の育て方』著者
 韓国人に怒っている日本人
 日韓両国の文化の中で育ったムーギー氏が「なぜか行ったこともない韓国に大激怒している人に限って、よくある4つの残念な誤解」をご紹介します(写真: rainmaker/PIXTA
 「そっか、日本と韓国って」と検索したことがあるだろうか?
 「韓国へのイライラ、日本へのモヤモヤがいっきに解消する」「グローバルな視点で、確かな学術論文に依拠して書かれている」「爆笑エピソードが満載で、絶対にこの著者にしか書けない」と話題を呼び、『週刊ダイヤモンド』『PRESIDENT』等のビジネス誌の書評でも評価されているのが、新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』だ。
 著者は、『最強の働き方』『一流の育て方』などのベストセラーでもよく知られる、著作累計70万部のムーギー・キム氏。京都に生まれ、日韓両国の文化の中で育ち、フランス・香港・シンガポールで学び働いてきた。同書は、著者が「人生を通じて最も書きたかった1冊」という。
 以下では、そのムーギー氏が、「なぜか行ったこともない韓国に大激怒している人たちにありがちな、よくある4つの残念な誤解」について考える。
どちらの「研究結果」を信じるかは、あなた次第
 「そっか、日本と韓国って」と検索したら、韓国へのモヤモヤのすべてがクリアに解決するというのが、近頃の私の中での定説になっている。
 『京都生まれの和風韓国人が40年間、徹底比較したから書けた! そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。―― 文化・アイドル・政治・経済・歴史・美容の最新グローバル日韓教養書』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら)
 しかし、皆様そうなされないからか、日韓関係および私、ムーギー・キムへの誤解は根強い。
 前回のコラムに対しても、おそらく遺伝子研究のイの字も知らないだろう方々が、2012年の日本人類遺伝学会による発表や、2019年5月13日の国立科学博物館による発表に異を唱え、それはそれは得意げに「Y染色体D系統は、日本人が韓国人と別人種であることの証だ」などなどと1000件くらいの批判コメントを寄せられるのだ。これを読んだ私の開いた口は塞がらず、逆に閉じた瞼が二度と開くことはないのである。
 D系統の割合が日本は他の東アジアより高いというだけで、それでも韓国と同様にO系統が一番多いことなど細かいことを書くと果てしないので、やめておこう。人は所詮、信じたいことを信じる生き物だ(「それはお前のことだろ!」と数多くのブーメランがコメント欄で飛び交う姿が目に浮かぶ)。
 それでもネットのどこぞで目にした怪しげな「研究結果」か、2019年という最近の、我らが国立科学博物館の「研究結果」のどちらに信憑性を感じるかは、読者の皆様に委ねるしかないのだ。
 それにしても、この連載コラムを書けば書くほど、ネットで熱心にコメントを書き込んでくださる皆様と私との溝が広がっているのでは、と心配になっている。
 そこで、皆様の温かい、時に熱すぎる叱咤激励に感謝の気持ちを捧げつつ、今日も元気に、深すぎる教養コラムを書かせていただこう。
 →次ページ「国際合意」を守っていないのはどちら?
 日韓関係でよく問題になるのが、「韓国は国際合意を遵守していない」という議論である。
 「日本政府は合意を守っている。守っていないのは韓国のほうだ」と思っている人は多いだろう。しかし韓国では、日本の政治家こそ「国際合意を無視し、過去を蒸し返す」と思っている。
 こう書くと早くも大激怒されそうだが、念のため血圧を下げる薬を飲みながら、以下を読み進めていただきたい。
 【誤解1】
 「日本政府は国際合意を守っているのに、韓国政府が一方的に破棄してきた」
 1993年の河野談話や1995年の村山談話では、「戦争の悲惨さを若い世代に語り伝え」「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ」と語られた。
 ところが、実際には、その後のタカ派による長期政権の間に、慰安婦の記述などは大半の教科書から削除または削減され、「愛国心教育」が強化された。これで、合意を守っていると言えるだろうか?
 日本は政権がなかなか変わらないだけ
 「韓国は政権が変わるたびにコロコロ変わる」と言われる。しかし、日本はたんに政権がなかなか変わらないだけで、政権を担う勢力が変われば、外交政策歴史認識、約束ですら、コロコロ変わるのである。
 2015年の慰安婦合意では、「最終的かつ不可逆的に解決される」と相互に確認された。
 これは韓国側からすれば、日本政府や政権に影響のある政治家たちから、「慰安婦は嘘だった」などと、また村山談話に実質的に反する声が出てくることを牽制するものだった(ただし、私は慰安婦合意に対する韓国政府の対応を擁護するものではない)。
 →次ページ「軍艦島」も「元徴用工」も……
 2015年に世界文化遺産に登録された軍艦島に関しても、強制連行等について「犠牲者を記憶にとどめるために適切な対応を取る」と日本政府が国際的に約束している。
 しかしそれにもかかわらず、その約束が守られなかったことから、ユネスコから日本政府に遺憾決議が出されて、「合意を履行するように」という批判があったのである。
 また、元徴用工への慰謝料の支払い問題については、1965年の日韓基本条約での曖昧な合意が根底にある。日韓基本条約では、植民地支配の合法性・違法性に関して、日韓の間で合意はなく、棚上げされたのをご存じだろうか。
 その結果、「合法論」に依拠する日本政府の立場では、元徴用工に支払われたのは「未払い賃金」であり、併合は合法なので「慰謝料は不要」ということになった。
 しかし、「違法論」に依拠する韓国政府の立場では、未払い賃金は払われたが、慰謝料は払われていないという理解である。
 「正当性」と「合法性」は違う問題
 しかも韓国では、この日韓基本条約が結ばれたとき、民意を代表しない軍事独裁政権が、国民の反対を押し切ってこの問題を棚上げにしたのだった。
 日韓併合の実態や経緯に関する学術的証拠に関しては、長くなるので詳細は新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』に譲ることにする。
 ただし考えてみていただきたいのは、イギリスが清国に仕掛けたアヘン戦争も、侵略した側にとってみれば「合法」だった。
 アメリカによるイラク侵攻も、ロシアによるウクライナ侵攻も、やっている側としては「合法」という主張である。
 「正義」と「合法」、そして「正当性」と「合法性」は、また違う問題なのである。
 →次ページ「金をゆする」のが目的?
 次によく目にするのは、「日本から金をせびるために、歴史問題を蒸し返す」という言説だ。
 【誤解2】
 「韓国は、日本から金をゆするために歴史問題を蒸し返す」
 しかしながら、たとえば慰安婦合意で日本が拠出した10億円は、韓国の200兆円に迫るGDPの何%だというのだろうか(念のために言っておくと、20万分の1=0.00005%である)。
 韓国内でも、「そんなはした金を受け取って、こんな合意を結ぶのか! 全額返せ!」という議論が沸騰していたし、村山談話のときの民間からの寄付金に関しても、「国家賠償という性質ではないので、受け取るな!」という反発が強かったのをご存じだろうか。
 もし、いま問題になっている元徴用工への賠償で差し押さえられた資産を現金化したとしても、その時に得られる金額は全体的にはごくわずかだ。
 その後の経済紛争で生じる損失に比べれば微々たる金額であり、「経済的な観点からも、この現金化は合理的ではない」と韓国国内でも議論されている。
 では、韓国が求めているのは?
 韓国側の当事者が求めているのは、「お金」よりも「許し、前に進むための名分」であり、村山談話河野談話のときのように、あとでその趣旨を覆すような発言をしたり、骨抜きにされたりすることがない、「真心」すなわち「チンジョンソン(真の意志)」がこもった謝罪の気持ちなのである。
 ちなみに、日韓基本条約のときに日本から韓国に「経済協力金」が流れているが、その資金の使途は、特定の日本企業からの購入費用に充てられることになっていた。
 その後、毎年のように何兆円もの巨額の貿易黒字を日本が韓国からずっと獲得することの遠因になっていることも、理解しておきたい。日韓基本条約で、結果的に日本側も恒常的に儲けていたともいえるのだ。
 また、「大日本帝国」に占領され、かつ日本が負けなければ、朝鮮半島が南北に分断されることもなかったわけだが、その分断コストと統一コストは、どれほど巨額だろうか?
 これを鑑みたとき、日韓基本条約で払った金額ばかりに目を向けるのではなく、巨額の分断・統一コストにも目を向けた、歴史に対する謙虚さは必要であろう。
 →次ページ「元寇の謝罪をせよ!」と私に言われても…
 そして一番多い誤解にもとづく批判は、なんと「『元寇』のときに高麗は対馬を侵略した! 『応永の外寇』でも対馬を侵略した! 謝罪せよ!!」というものである。
 これらの怒りも「誤解」に基づくか、重要な文脈を省いてしまっている。
 【誤解3】
 「『元寇』と『応永の外寇』は朝鮮側起点の一方的侵略だったから、秀吉の朝鮮出兵も正当化でき、そもそも朝鮮側が悪い!」
 そもそも「元寇」では、高麗軍および三別抄(さんべつしょう/モンゴルへの服属を拒んだ高麗国軍の一部の勢力)が約40年にわたってモンゴル軍に対抗したおかげで、日本へのモンゴル(元)の襲来は大幅に遅れた。
 当初高麗は、モンゴルが日本を攻めれば自分たちが巻き込まれるので、日本にモンゴルに服属するよう遣いを送っていた。また、これとは別に三別抄は、モンゴルに対抗していたときに、日本に「モンゴルへの共闘」を呼び掛けた。
 鎌倉幕府はこの相反する状況を理解できず、幕府と朝廷で指揮系統が混乱していたこともあって、回答しなかった。
 そんな文脈のなか、当時の高麗王朝はモンゴルに対する姿勢で派閥争いがあったので、モンゴルをバックに高麗王朝に君臨しようとした忠烈王(ちゅうれつおう)が、フビライハンの歓心を買うべく自国民を犠牲にし、日本の大宰府攻めを進言したと言われている。
 これは、日本にとっては大迷惑だが、反モンゴル派の高麗人にとってもたまったものではなかっただろう。
 「元寇」から約150年後の室町時代にあった「応永の外寇」は、倭寇が朝鮮を襲い、これに対抗するために朝鮮軍が遠征したものである。
 そのどちらも、秀吉による朝鮮出兵や、明治政府による「日韓併合」を正当化する類のものでもないのだが、近年ネットで「元寇応永の外寇は朝鮮側起点の一方的侵略だったから、秀吉の朝鮮出兵も正当化でき、そもそも朝鮮側が悪い!」などという誤解がかなり広まっているので、念のため解説しておくこととした。
 それにしても、「元寇」や「応永の外寇」で、なんで私が非難されなければならないのだろうか。
 なんと筆者に「元寇」の賠償要求も!
 なかでも私に対する批判の中でも衝撃的なケースでは、「元寇のとき、高麗軍に私の先祖が4人殺されたので、1人1億円で合計4億円、筆者(つまり私)が賠償せよ!」というものもあった。
 さらに、比較的面倒見のいい私でも付き合いきれないのが、「刀伊(とい)の入寇」への謝罪要求だ。これ、1000年くらい前に中国大陸に住む北方民族の女真族(じょしんぞく)を中心とした海賊が攻め込んできたときの話だから、いくら何でも私には関係ないのではなかろうか。
 それでも、私が謝ることで気が済むのなら、謝罪いたしましょう。「刀伊の入寇、なんか知らないけど、ごめんね」。
 →次ページ最後の「大誤解」は?
 ここまでお読みくださったかたの中には、プンスカ激怒されている人もいらっしゃることだろう。「反日韓国人が、また嘘を垂れ流している!」と。
 ちなみに私は、「北朝鮮のスパイ」とも書かれている。「一人南北統一」で、八面六臂の大活躍ではないか。
 【誤解4】
 「ムーギー・キムは在日だから韓国批判はしない」
 しかし私は『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』では、韓国の擁護だけでなく、数多くの韓国批判も行っている。
 韓国側は、ぜひ次のような点をきちんと記憶すべきであろう。
・韓国は、戦後の日本からの経済協力がなければ、漢江の奇跡をあの速さで起こせなかった
・日本には、韓国が感謝すべき「有り難い人」がたくさんいる
・韓国は的外れな怒り方で自爆している
・当事者でもない今の若い日本人に、いつまでも謝罪を求めるのは的外れ
・過度な旭日旗批判は、私が見ても失笑ものの言いがかりに見える
・元徴用工への慰謝料は、日本に支払わせるべきでない
 他にも、高麗王朝の魂を元に売った忠列王は大迷惑などうしようもない人物だと思うし、ベトナム戦争での民間人虐殺にも、私は極めて批判的である。
 私はこれまでも、一部の韓国人にとっては私が「親日派嫌韓主義者」と批判されるようなこともたくさん書いているし、韓国人コミュニティの掲示板で私が猛批判をされることもある。
 日本と韓国双方に愛情を抱くからこそ書けた1冊
 私は重ね重ね、日本側の読者にさえおもねればいい一部の作家や、韓国側の読者さえ喜ばせればいい韓国の一部の政治家は、なんとラクな商売かと思ってきたものである。
 しかし、両国双方の読者に認知不協和を起こし、猛批判と罵詈雑言を受けようとも、両国の「言い分」と「誤解」をそれぞれ知っている私が、そして何よりも日韓両国を「自分の故郷」だと思って愛情を抱いている私が、「これを書かなければ誰が書くのか」という覚悟で執筆したのが、新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』である。
 今回のコラムをお読みくださったあなたは、「そっか、日本と韓国って」と検索しながらすっくと立ち上がり、「ムーギー・キムよ、見直した、その通りや!」とスタンディングオベーションをして、周りの人に奇異な目で見られているだろうか。
 それとも、「やはり『反日韓国人』とはわかり合えない。国際合意を無視した裁判所の判決を、私は忘れていませんよ?(ニヤリ) 国交断絶に限ります」とネットでコメントして、コメント欄を焦土にされているだろうか?
 その答えは、いま本コラムを読んでおられる、あなたのみぞ知る、である。
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 ムーギー・キム 『最強の働き方』『一流の育て方』著者
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 2022年8月15日 YAHOO!JAPANニュース「日本と韓国「歴史問題がどうも決着しない」深い訳
 「死ねば水に流す」日本「死んでも許さない」韓国
 ムーギー・キム : 『最強の働き方』『一流の育て方』著者
 日韓の歴史問題はどのようにすれば乗り越えることができるのでしょうか? (写真:Pangaea/PIXTA
 戦後77年目を迎え、日本を取り巻く外交環境は激変した。バイデン政権の意向もあり、韓国の新政権と岸田政権の歩み寄りが取りざたされる中、日韓の歴史問題はどのようにすれば乗り越えることができるのだろうか?
 これに答えるのが、「最強の働き方」「一流の育て方」などのベストセラーでもよく知られ、日本で最も有名な在日コリアンの1人である、ムーギー・キム氏。多方面から大きな反響を呼んでいる新著『京都生まれの和風韓国人が40年間、徹底比較したから書けた! そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。: 文化・アイドル・政治・経済・歴史・美容の最新グローバル日韓教養書』から一部を抜粋・再編集し、「日韓の責任観の圧倒的な違い」について考える。
 今回のトピックは…
 猛暑で身も心もメルトダウンしているのに、さらに熱く燃えさかっているのが、新刊『そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。』の発売を機に始まった本連載へのコメントだ。
 『京都生まれの和風韓国人が40年間、徹底比較したから書けた! そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。: 文化・アイドル・政治・経済・歴史・美容の最新グローバル日韓教養書』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします。紙版はこちら、電子版はこちら。楽天サイトの紙版はこちら、電子版はこちら)
やれレーザー照射はどうなんだ、ベトナム戦での責任はどうした、一方的な李承晩(イ・スンマン)ラインはどうなんだと、「私に言われても困る批判」のオンパレードである。
 しかしそれでも励みになるのは、温かい皆様の無言のサポートだ。またコメントで批判しておられる方も、内心徐々に私に好感を抱き始めていらっしゃるのだという微かな予感がある。そこで今日も元気にグローバル視点満載の、高教養コラムを提供させていただこう。
 戦後77回目の終戦記念日を迎える中、今回のトピックはズバリ「日本の政治家は過ち・失敗を極度に避けたがるので、失敗を認めるのが苦手だ」ということだ。それが、日韓の歴史問題がなかなか決着しない原因にもなっている。
 以下ではその背景となる、日本固有の文化的特徴を探っていこう。
 →次ページ「すみません」とすぐ謝る日本人が…
 韓国の立場からすると、「日本人は、日ごろはすぐに『すみません』と言うのに、歴史に関してはなぜはっきりと謝れないのか?」と、過去に無責任だと思われがちである。
 時折「謝罪」しても、核心の部分は曖昧にしたり、あとで「あの謝罪は間違っていた」みたいな発言をして、骨抜きにしたりもする(もちろんそうでない人やケースも多いので一般化はできないが、以下は全体的な政治傾向としてお読みいただきたい)。
 とくに「歴史問題」においては顕著で、具体的に言えば、連立政権でリベラル政党の社会党出身の首相だったときや、自民党内部でハト派が力を持っているときは戦時の植民地支配について「謝罪」したが、その後の長期タカ派政権では、いわゆる「村山談話」も「河野談話」も形式的には維持したものの、骨抜きにするような発言がたびたび聞かれたのは、ご存じのとおりだ。
 実際のところ日本人は、「個人的でささいなこと」あるいは「どう見ても自分がたいして悪くないこと」に関しては、すぐに「すみません」砲を放つ。
 しかし、重要なことや帰属集団に影響が及ぶことに関しては、責任回避傾向が強いように思えてならない。
 『「韓国が歴史問題にあんなにしつこい」深い理由』でも述べたように、韓国人は歴史問題に限らず、何事にもとにかく「真相究明」や「白黒つける」ことにこだわるのだが、それと比べると日本人は「水に流す」傾向が強いのだ。
 「過去にさかのぼってほじくり返すのは御法度」の日本
 日本では、死人に鞭打つこと、過去にさかのぼってほじくり返すことは御法度とされる。
 以前、あるモデルの女性が10年以上前に芸能界の大物に「枕営業」を持ちかけられたことを告白し、そのとき同席していた人気男性芸能人のことを批判して一瞬話題を集めた。
 しかし、そこでの視聴者の反応の多くは、「そんな昔のことをいまさら持ち出すな!」という「過去を持ち出すこと」への反発であった。
 同じ時期に韓国では、芸能人やスポーツ選手が子ども時代の行為を元クラスメイトにSNSで暴露され、再起不能なまでに批判されていたのとは実に対照的である。
 →次ページ「道徳的正当性」より「勝馬に乗る」現実主義?
 また、これは都合のいいときだけという気もするが、日本では「和を以て貴しとなす」ために、問題の白黒ははっきりさせずに、韓国とは逆に「水に流す」文化が強い。
 明治維新に成功したのも、地方の大名や天皇制の存在で政権交代が可能であったという背景も大きいが、時代が変われば過去は水に流して現実に適応することができたからということも一因であろう。
 「長いものに巻かれよ」「勝てば官軍」が日本の伝統文化?
 また、太平洋戦争では「鬼畜米英」と憎悪を募らせながら戦っていたのに、敗戦したとたんアメリカの忠実な「パートナー」となり、その後も超親米路線がずっと続いている。
 天皇が無条件降伏を告げれば、民衆も従う。GHQの軍政に対して、義兵闘争(朝鮮王朝末期、日本に対して朝鮮全土で起こった、数千回を数える民衆蜂起)みたいなものは日本では起きない。
 ここからは「水に流す」のみならず、「長いものには巻かれよ」「勝ち馬に乗れ」「勝てば官軍」という言葉があるように、よくいえば現実主義、悪くいえば過去にこだわらない国民性が見て取れる。
 これは結局のところ、平安時代末期から鎌倉時代(とくに承久の乱後鳥羽上皇隠岐〈おき〉に配流し、その直系をいったん廃位したとき)以降、700年近くにわたって武家支配が続いたことから、正義や道徳観念の議論ではなく、「最後は力あるモノに従わざるをえない」という現実的判断が染みついているのだろう。
 新羅(しらぎ)の時代から、高麗(こうらい)時代の仏教との併存期を挟みつつ1000年以上も儒教が続いた韓国では、道徳的・観念的な大義名分が重視されるが、武士道の国日本はそうではないのだ。
 おまけに特徴的なのが、「自発的に切腹することで許される」という独特の「責任観」(あえて、責任感ではなく)が深層にあることである。
 この責任観は「死んだら終わり、過去を問わない」という、日本の独特の死生観にもつながっているように思える。
 →次ページどんな悪い奴も「死んだら許される」?
 私がとある外資投資銀行で新入社員だったとき、当時の小泉純一郎政権で靖国神社参拝が繰り返され、中国と韓国が盛んに批判していたのだが、同僚の日本人が私に、
 「なぜ韓国人は、日本の文化に口出しをするんだ。死んだらみんな、仏様になるのが日本の文化なんだ!」
 と、別に私は何も言ってないのに怒られたものである。
 思えば、たしかに日本人は歴史上の人物に対して、優しい。知事だろうが首相だろうが、どれほど批判する人が多くても、亡くなったタイミングでは「あの人はすばらしい人だった」という報道であふれがちだ。
 韓国では、過去の「悪行」が徹底的に批判される
 これに対し、韓国で全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領や盧泰愚(ノ・テウ)元大統領といった軍事政権を担ったリーダーたちが亡くなったときは、「それにしてもひどい人だった」と言わんばかりに、彼らの「悪行」が改めて徹底的に批判されていたものである。
 この世を去ったあとも、元ソウル市長など有力政治家の墓に嫌がらせされることがあるのも、儒教国家ならではのしつこさではなかろうか。
 死後も先祖の魂は不滅であると長年考えられてきて、過去にさかのぼった道徳的責任追及にこだわるのが儒教国家・韓国だ。
 これに対して日本では、仮にどれほど暴言や失政が続いた人物であっても、没後に元東京都知事や首相経験者の墓が、こんな目に遭うことはないだろう。
 →次ページ「なぜしつこい?」「なぜ無責任?」
 もちろん、いまは本気で「先祖の魂は不滅だ」などと思っている人はめったにいない。それでも長年の民族的記憶に刷り込まれたメンタリティーは、無意識に思考パターンに影響を与える。
 現在でも韓国では儒教文化の影響か、「本来はこうあるべきだ」という観念論が強いのは、「過ぎたことは、もう仕方ないよね」と現実的な傾向が強い日本と対照的である。
 「武士道vs.儒教」が歴史問題を長引かせる
そんな国が、「過去は白黒つけずに水に流す」という武士道の国と隣国関係にあるとき、
 「なぜおまえはそうしつこい?」 「おまえこそ、なぜそう無責任なのか?」
という違和感につながるのは、やむをえないのかもしれない。
 「死ねば許す国」と「死んだくらいでは許さない国」との文化的違いが、そこにあるのである。
 では、この文化的違いからして、ヤフコメで大炎上するように、両国は永遠に相いれないので国交断絶したほうがよいのだろうか?
 その答えは、ヤフコメで私をボコボコにするのではなく、「そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか」と検索していただければ、韓国へのイライラ、日本へのモヤモヤが完全解消する偉大な第一歩となることであろう。
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 ムーギー・キム 『最強の働き方』『一流の育て方』著者
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安倍内閣総理大臣談話(あべないかくそうりだいじんだんわ)は、戦後70年を迎えるにあたって、2015年(平成27年)8月14日に第97代内閣総理大臣安倍晋三閣議決定に基づき発表した声明。安倍談話(あべだんわ)、戦後70年談話(せんご70ねんだんわ)として知られる。
 内容
 冒頭、歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないとの言葉から始まり、西洋諸国の植民地支配に言及し、その危機感を原動力として日本は近代化し、アジアで初の立憲国家となり、日露戦争における勝利がアジアやアフリカの人々を勇気づけたとの話から始まる。
 その後、日本が先の大戦に突入したことについて、欧米によるブロック経済が日本を苦しめたことに言及し、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みた結果であり、こうした経過の中で日本が進むべき針路を誤り戦争への道を進んで行ったとした。
 国内外で斃れた全ての人々へ哀悼の意を表明し、戦火を交えた国と戦場となった地域での犠牲や戦場の陰で深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいた事も忘れてはならないと言及した。
 先の大戦への反省として「何の罪もない人々に計り知れない損害と苦痛を我が国が与えた事実」について言及。「事変、侵略、戦争」と先に例を挙げた上で、「いかなる武力の威嚇や行使」も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない、「植民地支配」から永遠に訣別しなければならないとし、先の大戦における行為について「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」を表明し戦後一貫してアジアの平和と繁栄のために力を尽くしてきた歴代内閣の立場は、今後も揺るぎないとした。
 戦後に引揚者が日本再建の原動力になったことや、中国残留日本人が帰国したこと、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア各軍の捕虜が日本を訪れ、互いの戦死者を慰霊しているということを心に留め置かなければならないとした。
 寛容な心によって戦後に日本が国際社会へ復帰できたとして、和解のために尽くしたすべての国と人々へ感謝の意を表明した。
 これからの日本人については、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」としつつ、過去の歴史に真正面から向き合う必要はあるとした。
 最後に、これから日本は「積極的平和主義」をとり、世界の平和と繁栄のために貢献していくとしている。
   ・   ・   ・   
 日本記者クラブ
 取材ノート
 ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
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 「戦後70年談話」を巡る攻防 /安倍氏は「侵略」を認めた(小田 尚)2021年1月
 長期政権を築いた安倍晋三前首相が昨年9月に病気辞任した際、その功績の一つとして挙げられたのが2015年8月14日に発表された「戦後70年談話」だった。
 読売新聞の報道によれば、安倍談話のポイントは次の通りだ。
 ▽日本は先の大戦への深い悔悟とともに、事変、侵略、戦争を二度と用いず、植民地支配から永遠に決別すると誓った▽先の大戦の行為に「痛切な反省」と「心からのおわびの気持ち」を表明した歴代内閣の立場は揺るぎない
 ▽寛容の心で、日本との和解に尽力してくれたすべての国々と人々に感謝する▽日本は「積極的平和主義」の下で、世界の平和と繁栄に貢献していく
 個人的には、安倍前政権下では安全保障関連法成立を巡る攻防と並ぶ、最大級の政治イベントだったと思う。安倍談話に対する内外の評価が、国内政局や首脳外交に直結しかねなかったからだ。
 結果的に、安倍氏は当初の歴史観固執せず、各方面の声に耳を傾けて歴史を勉強し直し、国民を統合する方向に持っていった。そこには、報道や社説を挟んで首相官邸との駆け引きもあった。
 その意味で、70年談話に関わった兼原信克元内閣官房副長官補が雑誌「外交」2020年9/10月号のインタビューに応じ、こう語ったことには違和感を覚えた。
 「戦前から日本人が求めていた人種、宗教、民族などに関係ない自由で平等な国際社会が間違っていたわけではない。これが70年談話で示された新しい世界観で、国民には広く受け入れられた」
 「旧態依然の一部マスメディアが『四つのキーワード』云々という小手先の報道に終始して、談話全体の歴史観・世界観に踏み込まなかったことは残念だった」
■首相は「侵略」を避けたいのか
 確かに当時の報道は、読売新聞を含めて戦後50年の村山談話にあった「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」という四つのキーワードが70年談話に盛り込まれるかどうかに焦点を当てていた。
 だが、そうさせたのは、安倍氏だったのではないか。自分の談話に「侵略」と書くことに極めて消極的だったからだ。
 安倍氏は13年4月、国会で「侵略の定義は、学界的にも国際的にも定まっていない」と発言した。その年暮れには首相として初めて靖国神社に参拝している。
 15年4月20日のBSフジの番組では、安倍談話に「侵略」や「おわび」を盛り込むかを聞かれ、こう否定的な考えを示していた。
 「戦後50年の村山談話と60年の小泉談話と同じことを言うなら談話を出す必要はない。歴史認識については引き継ぐと言っている以上、もう一度書く必要はない」
 これに対し、読売は4月22日の社説に「首相は『侵略』を避けたいのか」との見出しを掲げ、「戦後日本が侵略の非を認めたところから出発した、という歴史認識を抜きにして、この70年を総括することはできまい」と指摘した。
 侵略の定義については、国際法上、様々な議論があるのは事実だが、少なくとも1931年の満州事変以降の旧日本軍の行動が侵略だったことは否定できない。
 日本が世界で初めて戦略的に戦闘機から爆弾を落とし、無辜の市民を殺害したことも、押さえなければならない。31年10月、石原莞爾が率いた関東軍による中国東北部・錦州爆撃である。
 これは民間人に対する無差別・無警告の空爆だった。日本は戦線不拡大を表明した後に、11機で25㌔爆弾を75回落としたという。空爆は上海、南京、重慶へ対象が広がり、重慶では3000人から万単位に死者を増大させている。
 無差別・無警告の空爆は、1936年3月、イタリアがエチオピア制圧に使用し、37年4月のドイツによるスペイン・ゲルニカ爆撃に及んだ。日本は、東京大空襲、広島、長崎への原爆投下という形で「報復」されたとも言える。
 日本は1952年のサンフランシスコ講和条約で、日本の戦争は違法な侵略戦争だったと認定した東京裁判の判決を受け入れて独立を果たした。こうした史実を踏まえないと、日本の侵略を否定する議論が出てきかねない。
■「歴史修正主義」の疑念晴らす
 安倍氏の手元には、読売新聞戦争責任検証委員会による『検証 戦争責任Ⅰ』『Ⅱ』(中央公論新社)もひそかに届けられた。
 最終的に、安倍談話には四つのキーワードがすべて入った。
 2015年8月15日の読売社説は、談話を受け、こう書いた。
 「『侵略』の客観的事実を認めることは、自虐史観ではないし、日本を貶めることにもならない。むしろ国際社会の信頼を高め、『歴史修正主義』といった一部の疑念を晴らすことにもなろう」
 「侵略」を認めたのは、戦後70年談話に関する有識者懇談会で座長代理を務めた北岡伸一国際大学長(当時)の存在も大きい。
 北岡氏は15年3月9日、都内でのシンポジウムで「たくさんの中国人を殺して誠に申し訳ない、ということは、日本の歴史研究者に聞けば、99%がそう言う。私は、安倍首相に『日本は侵略した』と言ってほしい」と語っている。
 これで北岡氏の身辺警護が強化されたが、その後も懇談会での議論をリードし、8月6日の報告書には「大陸への侵略を拡大し、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」と明記された。
 安倍談話には、日本が「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」もきちんと記されている。
 1000万人が戦死した第1次世界大戦後、世界は国際連盟を創設し、不戦条約を結んだ。戦争の違法化という潮流が生まれた。
 世界恐慌が襲い、欧米が植民地を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本は行き詰まりを力の行使で打開しようとした。
 日本は世界の大勢を見失い、満州事変、国際連盟脱退で新しい国際秩序への挑戦者になった。針路を誤って、敗戦した――と。
 こうした談話の歴史認識を、米国は高く評価した。中国、韓国は批判しても抑制的だった。
■国民のコンセンサスの契機に
 村山談話と小泉談話は「私」が主語なのに対し、安倍談話は自分の言葉で「おわび」していないという批判があったが、的外れだ。安倍談話は、直接話法と間接話法の二重構造になっている。
 直接話法の「深く頭を垂れ、痛惜の念を表す」は、2000年2月16日のドイツのヨハネス・ラウ大統領がイスラエル国会で演説した時、ホロコーストについて「謙虚に頭を垂れ、赦しを乞う」とした言葉を元にしている。
 間接話法としては、村山談話からの引用によって「我が国は」という主語で日本が先の大戦について「痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と明記した。これなら左派から中道まで広く安倍談話を支持できる。
 おわびはこれきりというのも重要だった。安倍談話には、戦争に何の関わりのない世代に「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」とあり、右派も納得した。
 安倍氏は、談話発表時の記者会見で「できるだけ多くの国民と共有できることを心掛けた」と語った。読売新聞世論調査では、談話への支持が不支持を大きく上回った。安倍氏はリスク・コントロールに成功し、政局を封印した。
 後日、首相官邸筋に「あの談話は、ほぼ読売―北岡のラインでまとめられた」と聞いた。
 振り返れば、安倍談話は、国内的には歴史認識を巡る左右の対立に一定のピリオドを打ち、国民のコンセンサスが生まれる契機と土台になり得たのではないか。
 おだ・たかし 1951年生まれ 78年読売新聞社入社 東京本社政治部長 調査研究本部長 専務取締役論説委員長 副社長・論説担当(グループ本社論説主幹)などを経て 2018年退職 調査研究本部客員研究員 国家公安委員会委員 17年から18年まで日本記者クラブ理事長
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 歴史的事実として、古代から日本民族と半島民族は敵同士であり、友好などなく、分かり合う事はない。
 それ故に、日本は鎖国を持って半島を日本から排除した。
 天皇朝廷が移民・難民として受け入れたのは、天皇への忠誠心と日本国への愛国心を持って命を捨てて貢献する帰化人であり、忠誠心や愛国心を拒否し貢献を拒絶した渡来人ではない。
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 日本を護るのは積極的平和主義の安倍談話であって、消極的平和主義の河野談話村山談話は日本を衰退させる。
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 古代から、日本は援軍を送って共に戦ってくれる同盟国を持たず、一国のみで、侵略してくる大陸国(ロシア、中国、その他)と大国に味方する半島勢力(朝鮮)と外敵の侵略軍に協力する国内日本人の3者と孤独に死闘を繰り返していた。
 大日本帝国・軍国日本は、内部から崩壊し、太平洋戦争・日中戦争大東亜戦争に敗北して、数百万人が死亡した。
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 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
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 日本に逃れてきた朝鮮半島の難民や移民達には、帰化人と渡来人の二種類がいた。
 帰化人は、天皇に忠誠を誓い、日本国の為に働いた。
 渡来人は、天皇への忠誠を拒否し、日本国の為ではなく自分の利益の為に働いた。
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 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子の軽はずみな戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
 渡来人の中国人や朝鮮人には、皇室に対する畏れはなく、天皇や皇族を殺す事に罪悪感はなかった。
 日本人の朝鮮人や中国人に対する偏見や嫌悪や差別はここから始まっている。
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