⛵3〕─3─普天満宮洞窟に約3万2000年~1万8000年前の縄文人のたき火跡。〜No.7 

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 縄文人は、日本民族琉球民族アイヌ民族の祖先であり、漢族系中国人や半島系朝鮮人とは関係ない。 
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 2024年8月31日 YAHOO!JAPANニュース FNNプライムオンライン「3万年以上前の人類史を紐解く大発見があった普天満宮洞穴遺跡 更なる発見を求めて発掘調査始まる
 2024年4月、沖縄国際大学の考古学研究室による発掘調査で、3万年以上前に人類が火をたいた跡が見つかったことが発表され話題となった。
 【画像】3万年以上前の人類史を紐解く大発見があった普天満宮洞穴遺跡 更なる発見を求めて発掘調査始まる
 当時の人々はどのように生活していたのか。琉球列島の人類史の謎をひも解く更なる手がかりを探すため、再び普天満宮(ふてんまぐう)洞穴遺跡で調査が実施された。
 今回の調査は道具の発見を目指す
 「極めて冷静に話しているつもりだが、実習でそういう遺跡にあたること自体がなかなかないので、ものすごく興奮しています」と話すのは、沖縄国際大学の新里貴之准教授。
 2023年、沖縄国際大学・考古学研究室が普天満宮洞穴遺跡で実施した発掘調査で見つかったのは、3万2000年前から1万8000年前の人類が火をたいた跡や焼けた跡が分かる石(礫)など。
 これは、約3万6000年前の人骨が発見された山下町第一洞穴遺跡などと並び、沖縄県内でも最古級の人類の活動の痕跡で、沖縄の人類史を考える上で極めて重要な遺跡のひとつだと話題になった。
 しかし、鋭い石器を使って生活していた県外の旧石器文化のような“道具”はまだ見つかっておらず、3万年以上前に琉球列島の人々がどのように生活していたのか、その謎を紐解くために今回の調査では“道具”の発見を目指す。
 沖縄テレビ 小林美沙希アナウンサー:
 琉球八社※のひとつ普天満宮。ここにある洞穴で2024年も発掘調査が始まります
 ※琉球八社:琉球王国時代、「琉球八社(官社)の制」により王府から特別な扱いを受けた8つの神社
 普天満宮や市の協力も得て調査実現
 調査に参加するのは考古学研究室の学生たち。普天満宮洞穴は聖域のため、安全を祈願してから調査に臨む。
 沖縄国際大学 新里貴之 准教授:
 神域であり、聖域であるので、一切そういう発掘はできないところだったんですが、宮司さんのご協力や宜野湾市教育委員会の方も協力してくださって、2024年で3回目、3年目の調査になります
 普天満宮洞穴は、戦前までは本殿があった神聖な場所である。
 普天満宮 新垣義夫 宮司:
 調査はいいことだから、いま調査しているところまでは掘っていいよということで
 また新垣宮司は、「沖縄の古い縄文時代、あるいはそれよりもずっと前のものでもいいので、そういうものに興味のある学生が育つといいな」と調査に期待を込めた。
 2023年に続き調査に参加した学生もいる。
 沖縄国際大学3年 上原紫華さん:
 今回ここを掘るにあたって、みんなで協力して、また新たな発見があったらいいなと思っています
 沖縄国際大学3年 金城あいのさん:
 炉跡以外の人類の痕跡が見つかればなと思っています
 調査5日目に人骨や土器が出土
 2023年に発掘したところまで少しずつ掘り起こしながら、2024年は新しい地点も調べる。
 調査5日目、人骨や土器が出てきた。
 沖縄国際大学2年 屋良優吏さん:
 自分は2024年から発掘調査に参加するようになったんですけど、すごく興奮しましたね。こちらが本日見つかった骨です。具体的な部位とか、動物のものなのか人間のものなのか正直まだ分からないですけど
 さらに、掘り起こした土の中にも遺物がないか細かくチェックしていく。
 沖縄国際大学3年 並里美柚さん:
 貝と、あとは骨だと思われるものです
Q.骨を見分けるコツは...?
 沖縄国際大学3年 金城勇樹さん:
 「それっぽいな」と思ったら分かるというか。直感です
 沖縄国際大学3年 並里美柚さん:
 2023年の調査で私たちがすごい骨がいっぱい出る場所だったので、それでちょっと見分けられるようになったかなと
 洞穴内の調査地点からも骨が見つかった。
 沖縄国際大学2年 在原梨央さん:
 どこにあるか分からなくなったり、遺物を傷付けないようにするために、目印で竹串を刺しています
 すぐに掘り出さず、どの層のどの場所から見つかったか記録することも重要だ。
 沖縄国際大学2年 在原梨央さん:
 楽しいですね。自分は県外から来ているんですけど、沖縄の歴史などは特殊なので、特に考古学とかだと琉球列島は本土と歴史がだいぶ違うので、すごい興味が湧いてきますね
 3万年以上前の人類が火を焚いた痕跡
 そして洞穴入口付近の調査地点の全体に黒く広がっているのが、2023年に見つかったおよそ3万2000年前の木炭層。
 沖縄国際大学 新里貴之 准教授:
 あそこの台の部分が赤く見えるのが分かりますか?黒の下にあるので、3万2000年前の層の下に炉があるということになるんですよ。調査を下の方に進めていく感じなので、もっとさかのぼればいいですね
 新里准教授は、「考古学研究室のみんなでこの古い遺跡をどうにか解明できるように頑張りたいと思います」と意気込む。
 3万年以上前に琉球列島で人々がどのように暮らしていたのか。謎を解き明かすため研究は続く。
 (沖縄テレビ
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 ウィキペディア
 普天満宮(ふてんまぐう)は、沖縄県宜野湾市普天間にある神社。宜野湾市で唯一の神社でもある。
 現在の正式な社名は普天満宮となっているが、旧名「普天間宮」で記される事も多い。別称は普天満権現。一般的には普天満神宮と呼称される。琉球八社の一つ。
 祭神
 琉球古神道神と熊野権現とを祀る。慶安元年(1648年)刊の『琉球神道記』に「当国大社 七處アリ、六處ハ倭ノ熊野権現ナリ一處ハ八幡大菩薩也」、また別名である普天満権現については「濫觴亦知ラス、熊野ノ飛龍ト見ユ、東ニ当リテ瀑布アリ、其水霊也」と、祭神のことが記されている。
 熊野権現伊弉冉尊。速玉男命。事解男命天照大御神。家都御子神
 琉球古神道
 日の神。竜宮神(ニライカナイ神)。普天満女神(グジー神)。天神。地神。海神。
 由緒
 創建については往昔、普天満宮の洞窟(普天満宮洞穴)に琉球古神道を祀ったことに始まり、尚金福王から尚泰久王の時代(15世紀中半)に熊野権現を合祀したと伝えられている。現存する古い記録には万暦18年(1590年)の「普天満権現碑」があり、『琉球神道記』や『琉球国由来記』(正徳3年(1713年))、『琉球国旧記』(享保16年(1731年))にも普天満宮関係が記載されている。
 熊野信仰との関連では普天満宮熊野三山那智山飛龍権現に見立てて信仰されていたようである。さらに、近世沖縄における熊野信仰は琉球八社を始め、その分社、あるいは美津呂(びじゅる)、観音、霊石信仰とも習合しながら県内広域に伝播し、拝所(うがんじょ)としても数多く存在する。縁起伝承には首里桃原に出現した女神が普天満の洞窟に篭もったという伝承、その後洞窟より仙人が現れ「我は熊野権現なり」と神威を示さしたという伝承があり、又、中城間切り(現北中城村)安谷屋村の百姓夫婦や美里間切東恩納村の「当ノ屋(屋号)」に黄金(神徳)を授け苦難を救ったという伝承があり、「当ノ屋」ではそのお礼参りが続いている。旧暦9月は普天満参詣と言って、かつては中山王はじめ、ノロや一般の人々が各地より参集し拝礼の誠を捧げた。

 普天満宮洞穴
 社殿裏にある普天満宮洞穴は全長280mにおよぶ鍾乳洞で、洞穴内と周辺では沖縄貝塚時代前期後半以後(約3000年前)の遺物や、2万年前の動物の化石などが多数発掘されており、平成3年(1991年)3月1日に宜野湾市の名勝に指定された。現在、一部が無料で公開されている。
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 4月12日 沖縄 NEWS WEB「普天満宮の洞窟で県内最古級の炉の跡 人類活動の手がかりに
 沖縄県宜野湾市普天満宮にある洞窟の中から、火を使った「炉」の跡と見られる灰の塊が見つかりました。
 調査にあたった大学は、およそ3万1000年前の県内最古級の炉の跡で、当時の生活様式など人類の活動をさかのぼって調べるための貴重な手がかりになるとしています。
 宜野湾市にある沖縄国際大学考古学研究室の新里貴之准教授たちは12日、学内で記者会見し、市の登録文化財に指定されている洞窟「普天満宮洞穴遺跡」の発掘調査の結果を発表しました。
 それによりますと、去年、遺跡内5か所を調査したところ、ヒトやシカの骨、それに貝類や土器などが見つかったということです。
 さらに1メートルほど掘った場所からは、灰の塊と焼けた石が見つかり、灰の塊をどけると真っ赤に焼けた土が確認されたということです。
 この場所は、食べ物を焼いたり明かりをともしたりするために火を燃やすのに使った「炉」の跡とみられ、灰の塊に混じっていた木炭の年代を測定した結果、旧石器時代にあたるおよそ3万1000年前のものであることがわかったということです。
 炉の跡は沖縄本島南部の南城市のサキタリ洞遺跡からも見つかっていて、研究室では、この遺跡に並ぶ県内最古のものだとしています。
 研究室では今回の調査結果が当時の生活様式など人類の活動をさかのぼって調べるための貴重な手がかりになるとしていて、さらに調査を進めることにしています。
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 4月12日 琉球新報普天満宮洞窟に約3万2000年~1万8000年前のたき火跡 県内最古級の人類活動痕跡 沖縄
 普天満宮洞窟に約3万2000年~1万8000年前のたき火跡 県内最古級の人類活動痕跡 沖縄普天満宮本殿背後にある洞穴遺跡から出土した人骨や石灰岩、灰の塊など=12日、宜野湾市沖縄国際大学
 沖縄国際大学考古学研究室は12日、宜野湾市普天満宮本殿背後にある洞穴遺跡の発掘調査で、約3万2000年~1万8000年前の旧石器時代(後期更新世)の炉(たき火)跡が確認されたと発表した。調査では、焼けた礫(れき)や透明度のある結晶質石灰岩なども出土したほか、約1万1000年前の人骨片も確認した。同研究室の新里貴之准教授は「県内でも最古級の人類の活動痕跡が見つかった。沖縄の人類史を考える上で極めて重要な遺跡」だとし、継続的な調査に意欲を見せた。
 同研究室は2022年度から普天満宮洞穴内の発掘調査を実施しており、これまで貝塚時代前期(縄文時代)の文化まで確認していた。23年度にさらに下層を調査したところ、今回の発見に至った。
 同研究室は普天満宮洞穴について、南城市のサキタリ洞遺跡、石垣島白保竿根田原洞穴遺跡、徳之島下原洞穴遺跡、山下町洞穴遺跡とともに、約3~2万年前の旧石器時代を代表する遺跡の一つであると指摘。琉球列島における人類の起源の研究に資する遺跡であることが判明したと強調した。
 普天満宮は尚賢王(1644年頃)が参詣したとされる由緒ある神社で、琉球八社の一つとされている。1991年には宜野湾市指定文化財「名勝」に登録された。
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