🗾9〕─3─まつろわぬ民が不服従の民として成敗されたのはなぜ。日本統一の事実。〜No.46 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではない。
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 敵の敵は味方
 天皇への忠誠心と日本国への愛国心から見ると、天皇を暗殺した渡来人はまつろわぬ民であり、天皇を守った帰化人は服従の民であった。
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 ヤマト王権・大和王朝は、中国大陸や朝鮮半島の敵の侵略から日本を守る為に国内のまつろわぬ民を滅ぼし地方の神として閉じ込め、一つの王権・一つの神権で日本を統一した。
 日本は統一される事によって、中国世界の戦争と大虐殺に巻き込まれる事なく、朝鮮社会のような亡国地獄と亡国の民から救われた。
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 古代から、日本国内には敵国(中国・朝鮮)に味方して日本を滅ぼうとする過激派反天皇反民族反日的日本人が存在していた。
 それは、数千年経った現代日本でも変わる事がない。
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 2024年9月3日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「地元では「神さま」なのに… ヤマト王権に迫害された「まつろわぬ民」の悲運とは 呪術廻戦にも登場する「両面宿儺」の正体【古代史ミステリー】
 岐阜県高山市丹生川支所の入り口にある両面宿儺像 /撮影藤井勝彦
 人気マンガ『呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)』にも登場する両面宿儺。実は、『日本書紀』にもその名が記された実在の人物であった。2つの顔を持つ異形の人と恐れられる一方で、その実像は王権にとってまつろわぬ山岳民族であった。
■2つの顔と手足を有する異形の人
 両面宿儺(りょうめんすくな)といえば、今流行りの人気マンガ『呪術廻戦』に登場する、最凶最悪の「呪いの王」の「宿禰(すくね)」を思い浮かべる人が多いだろう。4本の腕と、両眼の下にもう一対の眼を持つという異形の呪術師で、女性殺害を嬉々として行う残虐な人間として描かれている。そのおぞましさはもちろん、極め付けである。
 ともあれ、この『呪術廻戦』に登場する宿儺、4つの腕と眼を有するなど、いかにも作り話めいている。そのため、この漫画独自のキャラクターと思われがちだが、実のところ、千数百年前に実在(?)したとされる歴史上の人物である。その名も様相も、かの『日本書紀』に、ちゃ~んと記されているのだ。それが、仁徳天皇65年の条。正確な年数は定かではないが、おそらく5世紀初頭のことと思われる。
 それによれば、飛騨国岐阜県北部)に、「体が一つで二つの顔」を持ち、「それぞれ手足がある」という異形の人間が現れたという。「力が強く敏捷」で、「剣と弓矢を駆使して人民を略奪するのを楽しみにしていた」とまでいうから、かなり豪腕な人物(あるいは勢力)だったのだろう。
 体の特徴として、「ひかがみ(膝の後ろの窪み)」や「かかと」が無いと記されているところから、これを「すね当て」や「草履(ぞうり)」に見立て、それを使用する山岳民族とみなされることもある。皇命に従わなかったため、「和邇氏(わにうじ)の先祖・難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わして殺させた」と締めくくっているところから鑑みれば、かの土蜘蛛(つちぐも)同様、王権にまつろわぬ地方勢力を、退治すべき賊あるいは鬼と見なして殺戮(さつりく)したものと推測できそうだ。
天孫族が海人族に指図して山岳民族を駆逐?
 一方、退治した側の武振熊といえば、応神天皇の対抗勢力であった忍熊王(おしくまのみこ/応神天皇の異母兄)討伐時にも登場する人物である。この時の摂政は神功皇后(実在したとすれば4世紀中~後半に活躍か)だから、神功皇后応神天皇仁徳天皇の3代にわたって仕えていたことになる。
 二倍年歴(春と秋に年が変わるとの見方)を考慮したとしても、半世紀以上、征夷大将軍として活躍し続けたという超人的な御仁ということになる。その真偽はともあれ、その先祖とされるのが、奈良県天理市和爾(わに)町あたりを拠点としていた和邇氏で、安曇氏(あずみうじ)と同族の海神族(かいじんぞく)と考えられている。となると、天孫族(てんそんぞく/ヤマト王権朝鮮半島から渡来か)が海人族(武振熊、中国江南から渡来か)に指図して、山岳民族(両面宿儺、縄文系の土着民か)を駆逐した…との図式が想定されるのだ。この辺り、日本民族の誕生そのものを暗示しているかのようで、興味深いものがある。
■不服従の民として成敗されたのはなぜ?
 その両面宿儺のことであるが、ヤマト王権によってまつろわぬ民として成敗されたとはいえ、地元での受け取り方は、当然のことながら、正史に記された人物像と大きく異なっている。伝承地とされる岐阜県高山市丹生川町では、「人々を世の苦しみから救う」救世観音の化身とまで讃えられているのだ。同町にある千光寺は両面宿儺が開山したとされる寺院で、江戸時代の仏師・円空が彫ったとされる両面宿儺像が祀られている。
 それにしても、なぜ仏として崇められるようになったのか? その理由の一つが、実は彼自身が退治される側ではなく、人々を苦しめていた鬼を退治した側であったことに由来する。高山市内西南にそびえる位山、ここを住処として、七儺(しちな)と呼ばれる鬼が人々に危害を加えていたという。これを天皇の命によって退治したのが両面宿儺であったというのだ。
 奇妙なことに、この位山を神体山とする高山市一之宮町の水無神社に、鬼として恐れられていたはずの七儺の頭髪が神宝として祀られている。神宝とは本来、祭神ゆかりの宝物のこと。それなのに、退治したはずの鬼の遺物をなぜ神宝として崇めるのか、首を傾げてしまうのだ。もしかしたら、同じ山岳民族の中でも、王権に従属的であった民と、あくまでも抵抗し続けようとした民がいた、その表れといえるものなのかもしれない。
 その内部抗争を考える上で、重要な役割を果たしてくれそうなのが、5世紀前半に築造されたと見られる亀塚古墳(直径70mの円墳)だろう。一説によれば、この古墳こそが、両面宿儺の埋葬地だったとされる。仁徳天皇の命によって征伐されたと思われる時期も、ほぼ一致している。
 この古墳からは、朝鮮半島で産出された鉄で作られた甲冑(かっちゅう)が出土しているが、鉄製の甲冑を所持しているところから、相当強大な勢力を有した支配者であったことがわかる。想像をたくましくすれば、強大な勢力を有していた両面宿儺なる地方豪族が、王権に征伐されて滅ぼされたのではなく、早くから王権側に与して、同族内の抵抗勢力を押さえつけていたのではないか? その抵抗勢力というのが七儺だったとすれば、この七儺こそが、鬼と蔑まれて征伐された悲運の民だったというべきなのかもしれないのだ。
 ちなみに、二人の人間が結合した状態で生まれてくることは、現実問題としてあり得る事象だ。結合双生児と呼ばれ、5~20万人に一人の割合で生まれるといわれている。とすれば、『日本書紀』に記された両面宿儺も、実在の人物だった可能性が高そうだ。
 また、現実にはあり得ないが、複数の顔を持つ仏像としては、観音菩薩の変化身(へんげしん)とされる十一面観音がよく知られている。正面に柔和な顔(柔和相)が三つ、左右に怒った顔(忿怒相/ふんぬそう など)がそれぞれ三つ、後ろに笑顔(大笑相/だいしょうそう)が一つ。そして頭上に仏の顔(仏相)が一つ、合わせて十一の顔を有している。
 なお、長野県安曇野に伝わる鬼伝説に魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)が登場するが、こちらは八つの顔を持つ鬼ではなく、多くの盗賊団を率いる首領のことを象徴的に言い表したもの。その妻・紅葉鬼神(もみじきしん)共々、田村利仁こと坂上田村麻呂に討伐されたことになっているが、もちろん、伝承の域を出るものではない。
 藤井勝彦
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 2021年2月8日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「虫けらのように扱われ、惨殺… ヤマト王権に従わなかった人々の蔑称・「土蜘蛛」
 藤井勝彦
 身丈が短く、手足が長かったという葛城の先住民の実像
 「源頼光の四天王土蜘蛛退治」一勇齋國芳筆/東京都立中央図書館
 『鬼滅の刃』に登場する鬼の中でも、特に奇怪な姿で登場するのが、那田蜘蛛山(なだぐもやま)に住む鬼一家の父である。顔そのものが蜘蛛という異形の姿で、父とはいえ、その実、末っ子の累(るい)に知性まで奪われて操られるという、悲しい運命に生きる鬼であった。また、累の兄は、胴体が蜘蛛という、これまた異形の鬼。姉に至っては、掌から繰り出す繭で獲物を仕止めて溶かして食べるという恐ろしさであった。一家の前世がどのようなものであったのかについてはあまり語られていないが、累自身、家族が元の姿に戻ることを嫌ったというから、幸せとはほど遠いものだったに違いない。
 それはともあれ、虫としての蜘蛛は、容姿の醜さもあって、古今を問わず忌避(きひ)される存在であったと思われるが、歴史を振り返ってみれば、生身の人間でありながらも、まるで虫けら(蜘蛛)のごとく蔑まれた者たちがいたことも事実である。
 実は、日本最古の歴史書とされる『古事記』や『日本書紀』に、土蜘蛛と呼ばれた不運な民のことが記されているのだ。ヤマト王権の黎明期の動向を記したとされる「神武天皇紀」や「景行天皇紀」「神功皇后紀」などに、その名が頻繁に登場する。天孫族(てんそんぞく)なる王権の支配者たちが各地を制覇するにあたって、まつろわぬ土族ばかりか、山中の窟などにひっそりと住まう民までこう呼び捨て、無慈悲な殺戮(さつりく)を繰り返したのである。
 大和国の高尾張邑(たかおわりむら・奈良県葛城市)をはじめ、碩田国(おおきたのくに・大分県)の鼠の石窟、直入県の禰疑野(ねぎの・大分県竹田市)、高来県の玉杵名邑(たまきなむら・熊本県玉名郡)等々、枚挙にいとまがないほど、その居処が記されている。いずれの民も、王権に従わなければ有無を言わさず殺されたわけだから、襲われた方としては、恨んでも恨みきれない思いがあったはずである。
 南方からやってきた縄文人
 ちなみに、前述の「神武天皇紀」に記された高尾張邑とは、葛城山(かつらぎさん)の麓に広がる地域であるが、そこに住む人たちのことを、「身丈が短く、手足が長かった」と記している。おまけに「侏儒に似ている」とも。この侏儒(しゅじゅ)とは、中国の歴史書魏志倭人伝」にも国名として登場する名で、倭国の南4千里にあったという。
 一説によれば、種子島のことと見られているが、それが正しいとすれば、葛城に住む人たちも、種子島同様、南方からやってきた人たちであったことがわかる。温暖な南の地(おそらく中国南方及びそれ以南)からやってきた縄文人も、身丈が低く手足が長かったと推測されているところからすれば、土蜘蛛と呼ばれた葛城の先住民も、この縄文人の特色をそのまま受け継いだ人たちだったのかもしれない。同地に鎮座する葛城一言主神社の境内に、彼らが埋められたという土蜘蛛塚なるものがあるが、幸せに暮らしていた彼らの怨念が渦巻いているような気がしてならない…というのは、考えすぎだろうか。
 「土蜘蛛退治」一勇齋國芳筆/国立国会図書館
 時を経るにつれておぞましい妖怪に進化
 さて、ここからは生身の人間ではなく、鬼(妖怪)としての土蜘蛛のお話である。史実として無念のうちに惨殺されてしまった人たちが鬼として生まれ変わったのかどうかは定かではないが、中世に流布された説話集や戯曲などに、鬼としての土蜘蛛(つちぐも)が登場する。代表的なのが、『平家物語』の「剣巻」である。そこでは、土蜘蛛ならぬ山蜘蛛の名で登場。全長4尺(約1.2m)もの巨大な蜘蛛の姿で現れる。日本を魔界にしようと暴れまくったということからすれば、王権に従おうとしなかった史実としての土蜘蛛のことを、王権側の視点から派手に書き換えたと見られなくもない。
 ともあれ、この妖怪退治にあたったのが、藤原道長などに仕えた源頼光(よりみつ)であった。頼光といえば、酒呑童子(しゅてんどうじ)退治でも活躍した武人。この勇猛な武人が、あろうことか、熱病に冒されて、ひと月も寝込んだという。床に伏していると、どこからともなく身長7尺(約2.1m)もの怪僧が現れて、頼光を縄で絡めとろうとしたとか。頼光がこれに気付いて、名刀・膝丸で斬りつけたものの、素早く逃げられてしまった。残された血痕をたどったところが、北野天満宮裏手の塚であった。早速これを掘り進むや、前述の巨大な蜘蛛が潜んでいたというわけである。頼光がこれを串刺しにして河原に晒すや、病もすっかり回復したとのことであった。
 ちなみにこの説話は、後世尾ひれが付いて、見上げるばかりの巨大な蜘蛛として語られるようになる。さらには、蜘蛛の首を刎(は)ねたところ、腹の中から何と1990個もの死者の首が転がり出たというばかりか、脇腹からも数えきれないほどの子蜘蛛が這い出してきたとの凄まじい話として語られるようになっていった。
 このように、時代が経るにつれて、その奇怪さが増していくものの、元をたどれば、単なる善良な民であったのではないかと思えてくるのだ。『鬼滅の刃』に登場する鬼たちも、もしかしたら元をたどれば、そんな人たちだったのかもしれない。体制に飲み込まれることを良しとせず、ただひっそりと暮らしていたかっただけなのに、蔑まれた挙句、命まで奪われてしまう。何とも、非情としか言いようのない話なのである。
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 西洋キリスト教文明国からすれば、日本人はアフリカ人同様に奴隷もしくは人間以下の家畜、自由に殺してかまわない獣であった。
 バチカンローマ教皇は、改宗した日本人キリシタンを奴隷にする事は禁止したが、改宗を拒む異教徒日本人を奴隷とする事は認めた。
 つまり、中世キリスト教会は日本人奴隷交易を「神の御名」によって容認・公認していた。
 心ある善意な宣教師達は、全知全能の神から与えられた「神聖な使命」として、日本人を奴隷から救う為に積極的に布教活動を行い、数十万人の日本人をキリシタンに改宗して「神に愛される自由人」に引き上げていた。
 それが、中世キリスト教会が説く「隣人愛の信仰」であり唯一絶対神の御言葉である「福音による救済・恩寵・奇蹟」であった。
 豊臣秀吉徳川家康江戸幕府は、その事実を知り、日本人奴隷交易を禁止する為に元凶となっているキリスト教邪教として禁教とし、非人道的なキリシタン弾圧をおこなった。
 が、その歴史的事実がハッキリしているにもかかわず、現代日本歴史教育は「日本人奴隷交易」を否定する事なく黙認している。
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 歴史的事実として、天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者・攘夷論者とは、日本民族であり、学識と知識などの教養を持たない小人的な、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士・野伏せり・悪党、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民{海女、海人})、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、相撲取り・力士、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持ち命を犠牲にして天皇を守ろうとした「帰化人」は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否し自己益で天皇を殺そうとする「渡来人」は含まれない。
 儒教の学識と知識などの教養を持つ、身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少なく、明治維新によって地位を剥奪され領地を没収された彼らは反天皇反政府活動に身を投じ自由民権運動に参加し、中には過激な無政府主義マルクス主義に染まっていった。
 江戸時代、庶民は周期的に伊勢神宮への御陰参りや都の御所巡りを行っていた。
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 同じ儒教価値観で卑賤視され差別される部落民や賤民(非人・穢多・散所{さんじょ}・河原乞食・他)とでは、何故・どういう理由で偏見をもって差別されるかが違う。
 マルクス主義共産主義階級闘争史観やキリスト教最後の審判価値観では、日本の部落民や賤民を解釈できないし説明できない。
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 現代の部落解放運動・同和解放運動が対象とする被差別部落民は、明治後期以降の人々で、それ以前の人々ではない。
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 戦後のマルクス主義者・共産主義者は、反宗教無神論・反天皇反民族反日本で日本人を洗脳すべくメデイア・学教教育・部落解放(同和解放)運動などへの支配を強めていった。
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 少数の高学歴出身の裕福資産家・AI強者 vs. 多数の低学歴出身の貧困労働者・AI弱者。
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 近代日本の主敵は、白人キリスト教のロシアとロシア人であった。
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