🎍26〕─2・①─『日本書紀』 が示す日本の国家形成における真実とは。日本は神話の国。~No.79 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 神話物語を正統とする男系父系天皇制度は、数千年前の群雄割拠による弥生の大乱を鎮めて平和に治める為に有力古代豪族達が談合し話し合いで生み出した大家族主義制度であった。
 神話物語の最高神は、高天原の支配者である天皇家の祖先神である女性神天照大神伊勢神宮祭神)である。
 エセ保守とリベラル左派の皇室改革である非世襲非血統の正当女系母系天皇家は、日本創生の神話物語には存在しない。
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 『日本書紀』は、中国皇帝や朝鮮国王の中華帝国世界に対して、日本天皇・日本国・日本民族の独立宣言であった。
 日本列島を中国大陸・朝鮮半島から切り離す為に、ヤマト王権ヤマト大王を中心とした統一国家という物語を正統化する為に作り話をでっち上げた。
 もし、創作建国神話を作らなければ、日本国は媚中派や親朝鮮派の日本人の裏切りで中華帝国か朝鮮王国の一部として消滅していた。
 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではなかった。
 古代の日本・中国・朝鮮は、敵国同士であって友好などは存在しなかった。
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 宗教の日本伝来と言っても、好戦的なキリスト教イスラム教と平和的な仏教とでは全然違う。
 日本神道と仏教は寛容な多神教で、キリスト教イスラム教は不寛容な一神教である。
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 日本は、戦国時代に「キリスト教伝来」として中世キリスト教会・イエズス会伝道所群による宗教侵略を受け、江戸時代後期から「近代文明への夜明け」としてロシアの軍事侵略という脅威にさらされてきた。
 明治新政府は、キリスト教の宗教侵略とロシアに軍事侵略から天皇・国・民族を守る為に、後期水戸学から軍国化と神話化の二本柱を国策とした。
 明治後期からはマルクス主義無政府主義、大正時代はマルクス主義共産主義によるイデオロギー侵略が、日本の脅威となった。
 国柄の核としたのが、「天皇は現人神」とする正統男系父系天皇神話である。
 正統保守とは、正統男系父系天皇を国體として護持である。
 国家存亡の脅威に対して作られたのが、国家神道靖国神社であった。
 そして、日本の大陸戦争は積極的自衛戦争であった。
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 中国と朝鮮は、ロシアによる日本侵略に協力し、ロシア軍を手引きしていた。
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 日本人の共産主義者無政府主義者のテロリストは、キリスト教朝鮮人テロリスト同様に昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
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 2023年12月22日 YAHOO!JAPANニュース「『日本書紀』 が示す日本の国家形成における真実とは?
 朝鮮半島で唐と新羅が激しく争っていた7世紀半ば、日本は先進国である唐に習いながら、中央集権国家を着々と整えていました。
 この改革の舵取りをしていたのは、持統天皇と側近である藤原不比等でした。
 前回の記事「【飛鳥・奈良時代の日本】 なぜ唐を意識せざるを得なかったのか?」では、「天皇」の号や「日本」という国号、また「藤原京」などについて見てきました。
 【飛鳥・奈良時代の日本】 なぜ唐を意識せざるを得なかったのか?
 今回の記事では、日本の国家建設における集大成とも言える、日本の歴史書日本書紀』に焦点を当てたいと思います。
 『日本書紀
 画像:『日本書紀』の写本。奈良国立博物館蔵 public domain
目次 [非表示]
 『日本書紀』の執筆者
 中国の歴史書を踏襲
 『日本書』から『日本書紀』へ
 『日本書紀』の信憑性
 天皇を正統化するための神話
 『日本書紀』の執筆者
 日本の古代史を伝える重要な文献として『古事記』と『日本書紀』があります。
 『古事記』は712年に完成し、国内の豪族向けのPR書として「天照大神天皇家の先祖とし、出雲の大国主が国を譲った」という物語を伝えています。
 720年に成立した『日本書紀』は、日本が唐に劣らず古くから立派な国であることを示す公的な歴史書になります。
 言語学者である森博達の研究によると『日本書紀』は、持統天皇文武天皇のときに書かれた文章を比較すると、文字の使い方に明らかな違いがあるそうです。前者は渡来人が書いた漢文で、後者は新羅に留学した日本人の漢文と推定されるそうです。
 この驚くべき説は大きな話題を呼びました。
 中国の歴史書を踏襲
 中国の歴史書は「紀伝体」と呼ばれる形式で記述されています。
– 「本紀」 – 皇帝の業績
– 「志」 – 地方や国土、文化について
– 「世家」「列伝」 – 臣下や人民の業績
– 「表」 – 年表や家系図
 上記の記述スタイルは、司馬遷の『史記』に始まり『漢書』『後漢書』と受け継がれ『明史』に至ります。
 当初は『日本書紀』も『日本書』として計画され、『風土記』はそのための下調べだったと考えられています。
 天武天皇の時代に『日本書紀』の編纂は開始され、約40年続きました。720年に藤原不比等が亡くなると「本紀」に相当する部分が完成したとされていますが、実際には中断ではないかと指摘されています。
 『日本書紀
 画像:藤原不比等 public domain
 『日本書』から『日本書紀』へ
 また当初の計画だった『日本書』は「(本)紀」が付け加えられて『日本書紀』となったという説もあります。
 「本紀」は、皇帝や君主の統治に関する年代記を意味し、その治世下での主要な出来事や政策を年代順に記述します。
 したがって『日本書』に「紀」が付け加えられたことは、天皇の統治に関する内容を足して、より包括的な歴史書としての性格を持ったことを意味します。『日本書』から『日本書紀』への変更によって『日本書紀』は、日本の皇室や国家の歴史を詳細に記述する公式記録としての性格を強めたと考えることができます。
 日本の歴史を見ると『日本書紀』のような大事業が完成するのはレアケースです。未完成品であっても天皇に関する形式的な記録さえあれば、対外的には十分だとされたのでしょう。
 『日本書紀』の信憑性
 『日本書紀』は神武天皇から始まりますが、初期の記述は簡潔で天皇名もシンプルです。この特徴は歴史書としては一般的であり、過去の記述ほど薄く、最近になるほど詳細になる傾向があります。
 旧約聖書も最近の出来事から過去を投影した構成になっています。「ノアの箱舟」に関しては、バビロン捕囚時にメソポタミアの洪水伝承を取り入れた創作という説があります。
 また『帝紀』と『旧辞』が「乙巳の変」で焼失したエピソードには奇妙な点があります。『帝紀』と『旧辞』は、聖徳太子が編纂したと言われる歴史書です。
 なぜライバルの蘇我蝦夷が二つの歴史書を所持していたのかは不明ですが、事実上の最高権力者が蘇我氏だったことが関係しているかもしれません。「焼けた以上、新たに歴史を書き変えても良い」という口実のために生まれた伝承である可能性も考えられます。
 中国などでも「歴史は勝者が記述すべき」という意識が強いため、蘇我氏のエピソードにもそうしたメッセージが含まれているかもしれません。
 天皇を正統化するための神話
 『日本書紀
 画像:持統天皇 public domain
 『日本書紀』には、天武天皇から聖武天皇に至る王朝を正統化する逸話が多数入っています。藤原不比等の意図によるものでしょう。
 持統天皇は息子である草壁皇子が亡くなった後、草壁皇子の息子である文武天皇を即位させました。当時15歳という異例の若さであり、前例がほとんどありませんでした。
 そこで藤原不比等の指示によって、異例だった文武天皇の即位を正当化するため「高天原神話」が創作されたのだろうと考えられています。天照大神が自らの孫である瓊瓊杵尊(ニニギ)に位を譲ったという物語です。「天照大神が孫に位を譲ったように、持統天皇文武天皇に譲ったのだ」とできるからです。
 文武天皇が707年に早世すると、文武天皇の母が元明天皇として即位しました。
 このとき文武天皇の子である首皇子(のちの聖武天皇)はまだ7歳と幼かったため、元明天皇が代行することになったわけです。元明天皇の時代に平城京遷都など、重要な国家体制の整備が進められています。
 そして724年、聖武天皇は24歳で即位しました。
 この時点において、天皇号の制定、「日本」の国号制定、平城京への遷都、服飾・律令の整備、『日本書紀』の編纂など、日本は国家としての体制が整いつつありました。
 そのため約30年ぶりに遣唐使の派遣を再開し、唐に対して国家体制の確立をアピールすることができたのです。
 上記のような歴史から、日本は国家として本格的なスタートを遂げることができました。
 飛鳥・奈良時代とは「日本」という国家が誕生する、大きな契機となった時代だと言えるでしょう。
 参考文献:
 森 博達(1999)『日本書紀の謎を解く − 述作者は誰か』中央公論新社
 出口治明『0から学ぶ「日本史」講義 中世篇』文藝春秋
 村上俊樹
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 2024年11月20日7:04 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「大日本帝国は「神話国家」だった…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」を支配していた「虚構」の正体
 歴史家・辻田真佐憲さん
 神武天皇教育勅語万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか?
 【写真】大日本帝国は神話国家だった…日本人が知らない戦前を支配した「虚構の正体」
 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。
 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
 ※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
 大日本帝国は「神話国家」
 では、戦前とはなんだったのか。本書は、神話と国威発揚との関係を通じて、戦前の正体に迫りたいと考えている。
 大日本帝国は、神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家だった。明治維新は「神武天皇の時代に戻れ」(神武創業)がスローガンだったし、大日本帝国憲法教育勅語の文面は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の神勅を抜きに考えられないものだった。
 また、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)は神功(じんぐう)皇后に、台湾で陣没した北白川宮能久(きたしらかわのみやよしひさ)親王日本武尊(やまとたけるのみこと)に、日本軍将兵は古代の軍事氏族である大伴氏(天忍日命の子孫)になぞらえられていた。
 そして大東亜戦争(本書では歴史上の用語としてこれを用いる)で喧伝されたスローガンのひとつは、神武天皇が唱えたとされる八紘一宇だった。
 それ以外にも、国体、神国、皇室典範万世一系、男系男子、天壌無窮の神勅、教育勅語靖国神社君が代、軍歌、唱歌など、戦前を語るうえで外せないキーワードはことごとく神話と関係している。
 もっとも、神話が重視されたといっても、大日本帝国政府が神社を縦横無尽に操り、プロパガンダをほしいままにしていたなどと主張するつもりはない。戦前の宗教政策は一貫性に欠け、おおよそ体系的なものではなかった。
 それでも、神話は戦前に大きな存在感をもっており、モニュメントやサブカルチャーなどで参照され続けたのである。いわゆる国家神道をめぐるこれまでの議論は、政府や軍部の動きにとらわれすぎていたのではないか。
 本書ではそのような「上からの統制」だけではなく「下からの参加」も視野に入れて、神話と国威発揚の結びつきを考えたい。
 いうなれば本書は、神話を通じて「教養としての戦前」を探る試みだ。そしてこの試みはまた、今後の日本をどのようなかたちにするべきか考えるヒントになることも目指している。
 戦前の物語を批判的に整理する
 そのため本書は、細かな事実をあげつらって、神話の利用を解体してそれで事足れりとする立場にも与しない。国家はなにがしかの国民の物語を必要とするからである。
 たしかに、国民国家は近代に成り立ったものであり、虚構にすぎないといえばそうだろう。だが、現在の国際秩序はその虚構をベースに動いているのであって、これを否定したところで無政府状態のカオスを招来するにすぎない。
 そもそも虚構というならば、人権も平等も皇室制度も貨幣も共産主義もすべて虚構である。そんなことをエビデンスやファクトなどのカタカナを振り回して、あらためて指摘しても意味がない。むしろわれわれが本当に考えるべきなのは、そのなかから適切な虚構を選び、それをよりよいものに鍛え上げていくことではないか。
 戦後民主主義の永続・発展を望むにせよ、21世紀にふさわしい新しい国家像を描くにせよ、自分たちの立場を補強する物語を創出して、普及を図るしか道はない。このような試みが十分に行われていないから、戦前の物語がいつまでたってもきわめて中途半端なかたちで立ちあらわれてくるのだ。
 「感染症」を終わらせるためには、怖い怖いと「自宅」に立てこもるのではなく、積極的に「ワクチン」を打たなければならない。
 そこで本書では、「原点回帰という罠」「特別な国という罠」「先祖より代々という罠」「世界最古という罠」「ネタがベタになるという罠」という5つの観点で、戦前の物語を批判的に整理することにした。
 批判的というのはあえて述べるまでもなく、物語にはひとびとを煽動・動員するリスクもあるからである。
 このような物語の構造を知っておくと、今日、軍事的な野心を隠さない他国、たとえばロシアや中国の動きを読み解くときにも役立つかもしれない。戦前的なものの再来は、なにも現代日本だけで起きるとは限らないのだから。
 また、北朝鮮の指導思想(金日成金正日主義)と日本の国体思想はしばしば類似性を指摘されるけれども、その比較をたんなる印象論で終わらせないためには、国体思想の核心を正しく掴まなければならないだろう。
 もっと身近なところでは、神話の知識はときにサブカルチャー作品の読解にも役立ってくれる。
 昨年(2022年)公開された新海誠監督の『すずめの戸締まり』は、明らかに天の岩戸開き神話が元ネタのひとつになっているし、主人公の岩戸鈴芽が宮崎県と目される場所より船に乗り、あちこちに立ち寄りながら東に進むストーリーは、神武天皇の東征をほうふつとさせる。その意味するところは、しかし、神話を知らなければ掴みようがない。
 いずれにせよ本書は、過度な細分化で物語を全否定するのでもなく、かといってずさんな物語でひとびとを煽動・動員するのでもなく、両者のあいだの健全な中間を模索することで、目の前の現実に役立てることをめざしている。
 この目的のため、本書では、銅像や記念碑などの史跡も積極的に取り上げた。現地に足を運んで、歴史を五感で味わってもらいたいからだ。歴史を一部の専門家やオタクの専有物にせず、また右派や左派のイデオロギーの玩具とせず、ふたたび広く教養を求めるひとびとに開放してその血肉としてもらうこと。それが新しい時代のとば口に求められていることだと筆者は強く信じている。
 さらに連載記事<戦前の日本は「美しい国」か、それとも「暗黒の時代」か…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」の「ほんとうの真実」>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
 辻田 真佐憲(文筆家・近現代史研究者)
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 11月16日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「美しい国」か、それとも「暗黒の時代」か…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」の「ほんとうの真実」
 辻田 真佐憲文筆家
 近現代史研究者プロフィール
 神武天皇教育勅語万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 
 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。
 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
 ※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
 定まらない日本の自画像
 われわれはいま、新しい時代のとば口に立っている。
 明治維新から太平洋戦争の敗戦までは77年。敗戦から2022(令和4)年までもまた77年。戦前と戦後が並び、現代史が近代史をはじめて凌駕しようとする、これまでにない事態が目の前に開かれつつある。
 いつまであの敗戦を引きずっているのか。憲法だって見直していいではないか。もういい加減「普通の国」になろう──。
 近年、そういう声が徐々に高まっているのもゆえなきことではない。日本はもはや、アジアに燦然と輝く卓絶した経済大国ではなく、(そこで生活するものとしては忍びないことではあるものの)中国の後塵を遥かに拝しながら緩やかに衰退する斜陽国家になりつつあるのだから。
 さはさりながら、われわれはみずからの国のありかたについて、かならずしも明確なビジョンがあるわけではない。
 戦前と戦後を分かつ戦争の名称はその象徴だ。さきほど太平洋戦争ということばを便宜的に使ったけれども、これとて、けっして定まったものではない。
 かといって、当時の名称である大東亜戦争はいまだ政治的に忌避されやすく、左派やアカデミズムの界隈が好むアジア・太平洋戦争(かつては15年戦争だった)もいかにも妥協の産物にすぎない。
 もっとも中立的なのは「さきの戦争」「さきの大戦」だろうが、このぼんやりとした表現は、われわれの定まらぬ自画像にぴったり一致している。
 このような状態だからこそ、われわれは過ぎ去ったはずの「戦前」にいつも揺さぶられている。まるで亡霊に怯えるように。
 「新しい戦前」と「美しい国
 2022年末、タレントのタモリがテレビ番組「徹子の部屋」で2023年がいかなる年となるかと問われて、「新しい戦前」と答えて話題になった。
 筆者は「素人がなにを」とあざ笑う狭量な専門家に与しない。数百万もの視聴者を相手にしていた人間の感性はときに鋭いものだ。
 とはいえ、戦前ということばはたやすく使われすぎてもいる。なんでも戦前と認定しながら、あまりに戦前を知らない。残念ながら、歴史を生業とする物書きでもしばしばこの陥穽にハマっている。
 現在と戦前の比較は、類似のみならず差異にも注意を払うべきである。なんでもかんでも戦前認定することは、かえって戦前のイメージを曖昧にし、貴重な歴史の教訓を役立たないものにするだろう。
 わかりやすい例として、「安倍晋三東条英機のような独裁者だ」という批判を考えてみよう。よく耳にした比較だが、かならずしも適切とはいいがたいものだった。
 大日本帝国憲法のもとでは首相に権限が集中しにくく、かえって軍部の暴走を招いた面があった。根っからの軍事官僚で法令の条文に固執した東条もこれに苦慮しており、陸軍大臣参謀総長などを兼任することで、なんとか自らのもとに権限を集めようとした。
 独裁者と呼ばれたゆえんだが、それでもかれは、戦時中に首相の地位を追われてしまった。
 戦後、このような戦時下の反省もあって、首相にさまざまな権限が集約されたのである。そのため、この傾向を戦前回帰と呼ぶのはあまりに倒錯している。
 筆者はここで、同じく2022年、凶弾に斃たおれた安倍元首相が唱えた「日本を取り戻す」「美しい国」というスローガンを思い出さずにはおれない。それはときに戦前回帰的だといわれた。
 だが、本当にそうだっただろうか。靖国神社に参拝しながら、東京五輪大阪万博を招聘し、「三丁目の夕日」を理想として語る──。そこで取り戻すべきだとされた「美しい国」とは、戦前そのものではなく、都合のよさそうな部分を適当に寄せ集めた、戦前・戦後の奇妙なキメラではなかったか。
 今日よく言われる戦前もこれとよく似ている。その実態は、しばしば左派が政権を批判するために日本の暗黒部分をことさらにかき集めて煮詰めたものだった。
 つまり「美しい国」と「戦前回帰」は、ともに実際の戦前とはかけ離れた虚像であり、現在の右派・左派にとって使い勝手のいい願望の産物だったのである。これにもとづいて行われている議論が噛み合わず、不毛な争いに終始せざるをえないのは当然だった。
 このような状態を脱するためには、だれかれ問わず、また右派にも左派にも媚こびず、戦前をまずしっかり知らなければならない。
 さらに連載記事<大日本帝国は「神話国家」だった…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」を支配していた「虚構」の正体>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
 *本記事の抜粋元・辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)では、「君が代はなぜ普及したのか?」「神武天皇によく似た「ある人物」とは?」「建国記念の日が生まれた背景とは?」……といった様々なトピックを通じて、日本人が意外と知らない「戦前の日本」の正体を浮き彫りにしていきます。「新書大賞2024」で第7位にランクインした、「ためになる」「わかりやすい」と話題のベストセラーです。
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 11月16日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「神武天皇」は本当に存在するのか…日本人が意外と知らない「日本人の起源」をめぐる「神話」の真実
 辻田 真佐憲文筆家
 近現代史研究者プロフィール
 神武天皇教育勅語万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 
 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。
 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
 ※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
 関心が高まる神武天皇
 これにくらべるとあまり知られていないものの、2022(令和4)年3月には、古屋圭司衆院議員が「神武天皇今上天皇は全く同じY染色体であることが、『ニュートン誌』染色体科学の点でも立証されている」とツイッターで発信して一部で話題になった。
 あたりまえながら、染色体は実在の人物にしかないので、これは神武天皇の実在を前提としていることになる(そもそも科学雑誌『Newton』は同趣旨の論文掲載を否定している)。
 いや、天皇だって祖先をたどっていけば誰かにたどりつくのだから、そのひとりが神武天皇だという反論もあるかもしれない。
 だが、縄文時代弥生時代、どこかの竪穴住居に住んでいた人物Xはただの人物Xなのであって、八紘一宇の理念を唱えたとされる神武天皇とイコールではない。モデルとなった人物が仮にいたところで結論は同じだ。なんともずさんだが、この手の実在論は根強く存在する。
 政治家の発言に限らず、近年、神武天皇にじわじわと関心が高まっている。国立国会図書館のデータベースで検索すると、神武天皇と冠した本は、2010年以降で60件ヒットする。1980年代は8件、90年代は12件、2000年代で17件にすぎないにもかかわらず、だ。
 また令和に入ってからだけで、神武天皇像が岡山県笠岡市に、神武天皇の記念碑が三重県熊野市に、それぞれひとつずつ建てられている。ゆかりのある神社で、神武天皇の顔ハメパネルにまで出くわすこともある。戦前のひとがみたら、驚嘆するしかないだろう。
 スピリチュアル化する神武天皇
 神武天皇はときにスピリチュアルな文脈でも顔を出す。
 安倍昭恵夫人は、安倍元首相銃撃事件を受けて「神武天皇にゆかりのある奈良の大和西大寺で(引用者註、安倍元首相が)亡くなったんだから、それが意味することがすべてなの。そういう運命にあったのよ」と述べているといわれる(加藤康子「幼馴染が語る総理と母、洋子さん」『月刊Hanada』2022年11月号)。
 神武天皇に注目するのが悪いといいたいのではない。神話や日本人のルーツに関心をもつことは、けっして責められるべきことではない。憲法などにそこで示された理念を盛り込むことも、内容によってはかまわないだろう。
 ただ、われわれが神話をよく知らないことをいいことに、政府や与党に手垢にまみれた八紘一宇を唱えだされても困ってしまう。かえって神話をないがしろにするような、いい加減な神武天皇実在論の横行も困りものだ。
 現在でも、建国記念の日日本サッカー協会JFA)のマークなどは神武天皇と関係している。その記念碑や史跡が地域振興に用いられている例も少なくない。2020(令和2)年11月、JRの宮崎駅が神話にもとづいて、西口を高千穂口、東口を大和口と改称したことをどれくらいのひとが知っているだろうか。
 日常の延長線上にあるからこそ、神話を神聖不可侵にせず、かといって毛嫌いしない。いま、それぐらいの適度な距離感が求められているのではないか。
 そんな距離感を手にするために、まずは神武天皇をめぐる歴史からひもといてみたい。
 さらに連載記事<戦前の日本は「美しい国」か、それとも「暗黒の時代」か…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」の「ほんとうの真実」>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
 *本記事の抜粋元・辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)では、「君が代はなぜ普及したのか?」「神武天皇によく似た「ある人物」とは?」「建国記念の日が生まれた背景とは?」……といった様々なトピックを通じて、日本人が意外と知らない「戦前の日本」の正体を浮き彫りにしていきます。「新書大賞2024」で第7位にランクインした、「ためになる」「わかりやすい」と話題のベストセラーです。
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 11月16日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「あの「神武天皇」が江戸時代まで忘れられていたという「衝撃の事実」
 日本人が知らない「戦前の正体」
 辻田 真佐憲文筆家
 近現代史研究者プロフィール
 神武天皇教育勅語万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 
 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。
 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
 ※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
 血湧き肉躍る建国神話
 そもそも神武天皇はいかなる人物だったのか。その足跡は、現存もっとも古い日本の史書である『古事記』と『日本書紀』(両者はまとめて記紀と呼ばれる)に記されている。
 この記紀はたいへんユニークな書物で、同じ奈良時代に編纂されたにもかかわらず、ときに大きく神話の内容が異なっている。そこで、ここでは共通する部分をかんたんに取り出してみよう。
 神武天皇、本名イワレヒコ(神日本磐余彦尊)は、祖先より代々、九州南部を拠点にしていた。ところがある日、政治を執り行うのによりふさわしい大和に政治の中心を移そうと決意した。
 船団を率いて出発したイワレヒコは、途中、九州北部や中国地方のあちこちに立ち寄りながら瀬戸内海を東に進み、大阪湾に上陸した。しかし、地元の豪族であるナガスネヒコ長髄彦)に阻まれて、兄のヒコイツセ(彦五瀬命)が重傷を負うなど大きな痛手を受けてしまう。
 そこでイワレヒコは、あらためて船に乗り、紀伊半島に迂回して熊野に上陸。そこから険しい紀伊山地を越えて、南より奈良盆地に入った。こうしてようやくナガスネヒコを打ち破って、橿原宮(かしはらのみや)で初代天皇に即位した。
 『日本書紀』ではこの即位の直前、「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)とせむ」と述べたとされており、後世ここから八紘一宇ということばが作られた。
 細かいことを抜きにすれば、神武天皇の物語はこんなところである。パッと読む限り、ゲームやマンガの題材になりそうな血湧き肉躍る建国神話である。
 実は忘れられていた神武天皇
 ところが、その主人公である神武天皇は、信じがたいことに、幕末までかならずしも重んじられていなかった。忘れられた存在だったと表現する研究者までいる。
 その証拠に、江戸時代まで京都御所にあった天皇家の仏壇(御黒戸)には、神武天皇の位牌がなかった。あったのは天智天皇と、その子孫である光仁天皇桓武天皇以降の天皇のものばかり。神武天皇を含む初期の天皇たちは、祖先供養の対象から外されていたのだ。
 たしかに、『日本書紀』には壬申の乱(672年に発生した古代最大の内戦)のときに、天武天皇神武天皇陵に馬や兵器を供えたとの記述が残っている。ただ、平安中期に醍醐天皇の勅命で編まれた律令の細則『延喜式(えんぎしき)』をみても、神武天皇陵はほかの天皇陵にくらべて特別な扱いを受けていない。
 それどころか、中世になるとその所在は行方不明になってしまった。神武天皇陵が現在地に定められたのは幕末だし、今日のように整備されたのは近代以降。神武天皇とその皇后ヒメタタライスズヒメ(媛蹈韛五十鈴媛命)を祀まつる橿原神宮も、明治になって創建された。
 神武天皇が軽んぜられた理由ははっきりしない。その存在が記紀にしか残らず、没年も『古事記』では137歳、『日本書紀』では127歳と、あまりに不自然だったからだろうか。これにくらべると、平安京遷都を実現した桓武天皇(その父が光仁天皇、曽祖父が天智天皇)ははるかに身近に感じやすい。
 いずれにせよここで重要なのは、なぜ幕末になって神武天皇が急に思い出されたのかだ。先回りしていえば、それは明治維新に都合がよかったからにほかならない。
 さらに連載記事<戦前の日本は「美しい国」か、それとも「暗黒の時代」か…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」の「ほんとうの真実」>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
 *本記事の抜粋元・辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)では、「君が代はなぜ普及したのか?」「神武天皇によく似た「ある人物」とは?」「建国記念の日が生まれた背景とは?」……といった様々なトピックを通じて、日本人が意外と知らない「戦前の日本」の正体を浮き彫りにしていきます。「新書大賞2024」で第7位にランクインした、「ためになる」「わかりやすい」と話題のベストセラーです。
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 11月16日 YAHOO!JAPANニュース 現代ビジネス「「これは革命ではない」…明治政府が「神武天皇」を利用した「驚きの真実」
 日本人が知らない「戦前の正体」
 辻田 真佐憲文筆家
 近現代史研究者プロフィール
 神武天皇教育勅語万世一系、八紘一宇……。私たち日本人は、「戦前の日本」を知る上で重要なこれらの言葉を、どこまで理解できているでしょうか? 
 右派は「美しい国」だと誇り、左派は「暗黒の時代」として恐れる。さまざまな見方がされる「戦前日本」の本当の姿を理解することは、日本人に必須の教養と言えます。
 歴史研究者・辻田真佐憲氏が、「戦前とは何だったのか?」をわかりやすく解説します。
 ※本記事は辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書、2023年)から抜粋・編集したものです。
 革命ではなく原点回帰
 1853(嘉永6)年のペリー来航で、日本は大きな転換期を迎えた。圧倒的な軍事力と科学力を背景に、世界をその軍門に下らしめてきた西欧列強が、ついに北東アジアにまで押し寄せてきたのである。
 このままでは、日本も植民地にされてしまう。それなのに、徳川将軍家の幕府は内憂外患に対応できていない──。
 危機感を覚えた志士たちは、政治体制を抜本的にあらためるため、天皇に注目した。
当時、衰えたといっても、泰平の世を260年余にわたって築いてきた徳川将軍家の権威はまだまだ大きかった。そんななかで「新しい政治を」と訴えたところで、「なんでぽっと出のお前らが」と反発される恐れがあった。
 そこで天皇を押し立てるとどうなるか。
 「いやいや、日本はもともと天皇の国だった。歴史をみたまえ。平安京に都を遷したのは桓武天皇。そのまえに大化の改新をやったのは天智天皇。その祖先は──神武天皇だろう。政治改革といっても、原点回帰するにすぎない。だいたい将軍だって、天皇より任命されているぞ」
 こう言い返せるわけである。なかなか強力なロジックではないか。
 そのため、明治維新の「維新」は英語でRestorationと訳されている。王政復古という意味だ。すべてをひっくり返す革命=Revolutionではない。少なくとも、明治維新はそういう体裁をとり、みずからの正当性を獲得しようとしたのだ。
 「神武創業」という巧妙なロジック
 新政府の発足宣言でも、さっそく「神武創業」の文字が使われた。1867(慶応3)年12月、最後の将軍・徳川慶喜による大政奉還ののちに出された、「王政復古の大号令」である。
 つぎにその一部を引用する。原文はむずかしいので、「神武創業」の文字を確認するだけでもかまわない。
 諸事、神武創業の始にもとづき、搢紳(しんしん)・武弁・堂上・地下(じげ)の別なく、至当の公議を竭つくし、天下と休戚(きゅうせき)を同じく遊さるべき叡念につき、おのおの勉励、旧来驕惰(きょうだ)の汚習を洗ひ、尽忠報国の誠をもつて奉公いたすべく候事。
 明治天皇は、神武天皇の時代にもとづいて、出自や階級に関係なく、適切な議論を尽くして国民と苦楽をともにするお覚悟なので、みなもこれまでの悪習と決別して、天皇と国家のため努めなさい──。大略そう述べられている。
 神武創業の文字は、国学者・玉松操の意見で入れられた。かれは、公家から新政府の最高指導者のひとりとなった、岩倉具視の知恵袋だった。原案では「総ての事中古以前に遡回し」だったから、これでグッと印象が変わってくる。たかがスローガン、されどスローガンだ。
 とはいえ、武家政権の中世をキャンセルして、天皇中心の古代に戻るというだけならば、べつに天智天皇桓武天皇をモデルとしてもよかったのではないか。そう思った読者はとても鋭い。まったくそのとおりで、ここにトリックが隠されている。
 神武天皇の時代はあまりに古く、政治体制についての記録がほとんど残っていない。本当に出自や階級に関係なく議論していたかといえば、はなはだ疑わしい。
 しかしだからこそ、都合がよかった。ほとんど白紙状態ゆえに、新政府は「これが神武創業だ!」と言いながら、事実上、好き勝手に政治を行えるからだ。つまり「神武創業」は、「西洋化」でも「藩閥政治」でもなんでも代入できる魔法のことばだったのである。
 現在でも、「これが本来の日本の姿だ!」と言いながら、たんに自分の思い描いた勝手な国家像を押し付けてくるものがいる。たとえば、夫婦同姓。日本の伝統などと言われるが、じっさいは明治以降に一般化したものにすぎない。
 われわれは右派・左派問わず、このような原点回帰というロジックにとても弱い。「神社の参道真ん中を歩くのは伝統に反する!」と言われるとハッとしてしまうし、「これがマルクスが言いたかったほんとうの共産主義だ!」と喧伝されるとかんたんに転んでしまう。
 「本来の姿に帰れ」という掛け声には、なにかやましいものが紛れ込んでいないか、つねに警戒心をもたなければいけない。
 さらに連載記事<戦前の日本は「美しい国」か、それとも「暗黒の時代」か…日本人が意外と知らない「敗戦前の日本」の「ほんとうの真実」>では「戦前の日本」の知られざる真実をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
 *本記事の抜粋元・辻田真佐憲『「戦前」の正体』(講談社現代新書)では、「君が代はなぜ普及したのか?」「神武天皇によく似た「ある人物」とは?」「建国記念の日が生まれた背景とは?」……といった様々なトピックを通じて、日本人が意外と知らない「戦前の日本」の正体を浮き彫りにしていきます。「新書大賞2024」で第7位にランクインした、「ためになる」「わかりやすい」と話題のベストセラーです。
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