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・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
日本民族は、日本列島の先住民である縄文人の子孫である。
民族宗教である日本神道の始まりは、縄文時代の宗教と文化にあった。
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マルクス主義的反宗教無神論に染まる現代日本から急速に縄文色が消え始めている。
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2026年2月8日 YAHOO!JAPANニュース ラブすぽ「日本史における火山崇拝と山岳信仰|ピラミッドやストーンサークルに秘められた古代の祈り
日本列島は北から南まで火山が連続する火山列島
火山の崇拝【日本史】
環太平洋諸国諸地域、とりわけ、日本列島は世界でも名立たる火山地帯として知られています。日本列島は北から南まで火山が連続する火山列島なのです。
火山は一旦爆発すれば、辺り構わず焼き尽くし、緑の沃野を焼き尽くしてしまうのですが、大人しくしていれば母なる原郷となる―。山は雲を起こし、雨を降らせ、水を蓄えて地下水となり、川となって川下に流れ下り、平野を潤すからです。
そこに例えようのない畏(おそ)れと限りなき感謝を伴う信仰心が芽生え、原始宗教とも言うべき山岳信仰が発生したのではないかと考えられます。ピラミッド(古代山岳祭祀遺跡)とストーンサークル(環状列石)は、そのシンボルとされたようです。
日本列島には自然の山を利用した半自然、半人工のピラミッドが多数あり、ストーンサークルも多数見られます。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』
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大地への刻印 土地を拓く 列島のなりたち
列島のなりたち
動かない陸地も、気候の変動に応じた海進・海退で拡大・縮小するが、それとともに植生が変化して人々の生活舞台が様変わりする。こうした環境の変化に応じて、人々の土地に対する働きかけも異なってきた。
わが国に人が住むようになったのは十数万年前であろうと考えられている。そのころから、日本列島は、大陸と陸続きになったり、今よりもずっと小さな島であったりという長い長い歴史のあと、ようやく現在の姿をとるようになった。約1万年前に最後の氷期を過ぎて、日本が列島として形成された後、気候の温暖化に伴い海岸線が内陸へと進んだ。これは縄文海進とよばれる海進で、約6,000~5,000年前にピークを迎え、現在の海面より2~4mも上昇した。現在の沖積平野の大部分は海中にあって、複雑に入り組んだ海岸線で区切られた浅い入江は、魚貝類のよい生棲地となった。このころの遺跡にはおびただしい魚の骨と貝殻がみられ、魚貝類が重要な食糧源となっていたことがわかる。今日では冷涼な中部山岳地帯以北も、そのころは暖かかったため、動植物が豊富で狩猟・採集を主とした縄文人の居住地は、平面的にも高度的にも拡がった。
稲作が渡来したのは、このような時期の後である。稲の栽培には温暖多湿な気候が適しているが、稲作が渡来した縄文晩期から弥生前期にかけては、後氷期のうち最も気温が低く、現在より稲作に対して条件が悪かったらしい。最も気温が低くなった時期は弥生中期の1世紀ごろとみられるが狩猟・採集ではもはや生活が維持できなくなり、生産力の高い水稲耕作に転換せざるを得なくなった。
この時期には、気候が冷涼な反面、海面が現在の水準より2m程度下がり、海岸線が後退して沿岸部に低湿な平地が出現した。これを弥生小海退という。土地改変の技術が未熟であった弥生人にとって、湿地が多いことは食糧生産の場が豊富にあることを意味している。このように、稲作にとって都合がよく、天水で耕作が可能となる土地があちこちに現れたため、気候が少し悪くてもそれを補って稲作が急速に拡大したのであろう。
弥生中期からは再び徐々に海進に転じ、10世紀ごろには海面の高さが現在の海面を越える高さまで上昇したとみられる。この海進は縄文海進よりもゆるやかで、また規模が小さかったらしい。
このころの開発は、条里制の施行とともに進んだが、復元された条里地割はほぼこの海進で上昇した海面以上の面に残り、それ以降陸地になった面にはない。また、かつて低地にあった集落が水害のない山麓や古い沖積地へ移動する現象がみられる。
縄文期の貝塚の分布と海岸線
貝塚の分布から、内陸まで海が入り込んでいたことがわかる。
貝塚の出土状況(千葉県加曽利貝塚)
晩氷期以降の気候と海面の変化
年平均気温と,海面の変化は並行し、現在の気温より相対的に暖かければ海面は上昇、寒ければ低下する。
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2月8日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「日本人を作った古代人、 「縄文人」が「1万年」も生き延びることができた「本当の理由」
潮書房光人新社
現代世界は戦争が絶えないが、なぜ縄文時代は1万年も平和が続いたのか。日本人の行動原理にどう影響を与えたのか。このほど刊行された「縄文の奇跡」(新野哲也著、産経NF文庫)が話題になっている。縄文の精神を受け継ぐ日本人と日本国家の歴史構造に迫った同書から一部抜粋・再構成してお届けする。
日本人を作った古代人、 「縄文人」が「1万年」も生き延びることができた「本当の理由」
© 現代ビジネス
火焔型土器に隠された日本人の美意識
日本各地で出土している縄文時代の深鉢形土器のうち新潟県の笹山遺跡から出土した「火焔型土器」は国宝に指定されている。精緻な形状は世人の驚嘆を集めているがとりわけ注目されるのが4つの把手とノコギリの歯のように見える口縁部で、火焔が表現されている。
岡本太郎が「これはなんだ」と目をむいた火焔型土器がユニークなのはゆらめく炎や火の神という、通常、目に映らないものが明瞭に表現されているところにある。4つの把手が火の神かどうかは主観にゆだねられるところだがノコギリの歯状の口縁部はどう見てもカマドからほとばしる火焔である。
炎は熱で、形ではない。形として見るにはこれを擬人化、神格化しなければならない。神格化というのは、神のしわざとして見るか、神の目で見るということで、酒井抱一の「風神雷神図屏風」や葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」、歌川広重の『大はしあたけの夕立』は、神の目でなければとらえられない空中からのパースペクティブ(視点)である。
風や雷、雨や波は自然現象でエネルギーである。これをモノとして描くには神の目を借りなければならない。事象や現象の背後に神、精霊のようなものを見るのが日本人の美意識や価値観、宗教観で、火焔型土器や土偶をからめていうとこれはアニミズムにつながる縄文の心である。
縄文人が1万年も生き延びることができた本当の理由
日本の古代遺跡は質量とも世界一である。縄文時代が1万年もつづいたばかりか世界最古の土器が1万6500年前(青森県大平山元遺跡)のもので、それが地球上にあらわれた最初の文明だったと思われる。
中国やインド、エジプトや中東(シュメール人)など大河流域からうまれた古代文明はせいぜい紀元前数千年前のものだが、縄文文明は1万7000年という桁外れに古い歴史をもっている。
縄文人が1万年も生きのびてきたのは、自然とともにあって、自然が規定した以上にヒトの存在が大きくならなかったからである。したがって森林が砂漠になることも戦争で国土を焦土にすることも、他者から奪うことも他者を暴力で支配することもなかった。ヒトが集団や自然の一部としてあるいは家族の一員として全体性と矛盾なく同一化していたからだった。
縄文人を進化させた「水の保存」技術
人類は火を利用することを知って、大きな進歩をとげたが、縄文人は、土器の発明によって水を自在に扱えるようになって、狩猟民族とは異なった道を歩みはじめる。水を保存し、移動させる土器が農業と海洋進出を可能にしたのである。
三内丸山遺跡の調査から、縄文時代、各種の農業栽培がおこなわれたことがわかってきた。そしてこれが、のちの陸稲・水稲栽培へつながってゆく。もう一つが海洋進出で、三内丸山遺跡から1メートル近いマダイや大型魚の骨が出土している。沖合漁業がおこなわれていたのは明らかで、その他、新潟県のヒスイ、岩手県のコハク、北海道の黒曜石がみつかっている。船団による地方遠征がおこなわれていたからであろう。伊豆七島の八丈島で縄文土器が発見されていることから、土器をつくった縄文人が、農業開拓者だった一方、海洋民族でもあったことがわかる。
1960年中頃、日本列島から6000キロメートルも離れた南太平洋のバヌアツ共和国で採取した土器のかけらが、日本の縄文式土器に似ていることに注目した篠遠喜彦博士がオックスフォード大学に分析を依頼した結果、土器がつくられたのは約5000年前で、ミクロパーライトという成分がふくまれていることから、青森県で焼かれた円筒下層式土器である事が証明された。また、エクアドル太平洋沿岸のバルディビアで数多く発見された土器が日本の縄文式土器に似ており、年代測定すると5500年前のものだという。
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2月7日 YAHOO!JAPANニュース ラブすぽ「日本列島の誕生と日本史の原点|大陸からの分離が縄文文化と日本人の本質を決定づけた
日本列島の誕生と日本史の原点|大陸からの分離が縄文文化と日本人の本質を決定づけた
乾燥した大陸性気候から湿潤の海洋性気候に一変。日本列島の誕生
日本列島の誕生【日本史】
地理的、地政学的条件は、その国の歴史と文化を規定すると言われています。それは単に攻めたり、攻められたりする出来事だけでなく、その国の成り立ちや国民の本性、本質までも規定するということです。
たとえば、わが国の歴史と文化を語る時、無視できないのが日本列島の誕生ですが、意外にもあまり意識化されることなく、簡単に見過ごされているのが現状です。
しかし、大陸と日本列島が地続きであった時には乾燥した大陸性気候が支配的であったのが、日本海(湖)に暖流(黒潮)が流れ込み、列島を大陸から切り離し、独立した島にしてしまったため、温暖性の湿潤の海洋性気候が支配する島に変わってしまった島に変わってしまったのです。
草花の植生や生息する動物・鳥類・昆虫、菌類に至るまで一変しました。お陰で食糧資源の豊富化をもたらし、縄文文化成立の基盤が形作られたのです。
出典:『図解 眠れなくなるほど面白い 日本史』
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2月7日 MicrosoftStartニュース ラブすぽ「神道の始まりはいつ?旧石器・縄文・弥生の信仰からルーツを徹底解明!
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神道の始まりはいつ?旧石器・縄文・弥生の信仰からルーツを徹底解明!
© ラブすぽ
神道の始まりは、いつ頃のことなの?
神道が古代から続く日本人の信仰であることは、誰もが認めることでしょう。しかし、古代といってもいろんな時代があります。日本人の信仰なのだから、日本人が日本列島に住むようになった時、というご意見もあるかと思います。現在の考古学の成果によると、旧石器時代後期*には、日本列島に人が住んでいたことがわかっていますので、この説に従えば、神道の起源も旧石器時代後期以前ということになります。残念ながら旧石器時代後期の遺物は少なく、当時の人々がどんな精神生活を送っていたのか、詳しいことはわかっていません。しかし、海外の事例なども考え合わせると、死への恐れや死者への追悼に基づく信仰はあったものと思われます。では、それが神道の起源なのでしょうか。
もしそうだとすると、旧石器時代後期に続く縄文時代の信仰も神道の祖先ということになります。土ど偶ぐうや土面、石棒、過剰なまでの装飾が施された土器などが縄文時代の信仰の特徴ですが、これらはわれわれが知る神道とはだいぶ違うように思われます。問題は縄文時代と弥生時代の間に起こった文化的断絶をどう考えるかです。弥生時代の信仰には穀物の神霊に対する信仰や、鏡・剣を祭祀具とすることなど、神道との共通点が多く見られます。縄文人の信仰は弥生人にも引き継がれて神道に流れ込んでいるのか、縄文文化を駆逐した弥生文化とともに神道が成立したのか。かつては後者の説が有力でしたが、近年は前者の説も注目されてきています。
神道の始まりはいつ?旧石器・縄文・弥生の信仰からルーツを徹底解明!
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【書誌情報】 『眠れなくなるほど面白い 図解 神道』 著:渋谷申博 「神道には教義がないって、本当なの?」「八百万の神々の中で一番偉いのは、誰?」「鳥はいないのに、なぜ鳥居というの?」 神道の起源から日本の神様、開運神社のご利益まで楽しくわかる! 古代から伝えられてきた日本の心──神道。その奥深い世界を57項目の素朴な疑問からズバリ解説します。
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