🎍38〕─1・③─なぜ「東方の夷国」出身の、無名だった空海が密教の後継者になれたのか。〜No.120 

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 2026年2月28日 MicrosoftStartニュース 現代ビジネス「なぜ「東方の夷国」出身の、無名だった空海が密教の後継者になれたのか?…空海入唐に隠された謎
 なぜ「東方の夷国」出身の、無名だった空海が密教の後継者になれたのか?…空海入唐 中国人は何を考え、どう行動するのか?
 講談社現代新書の新刊『ほんとうの中国 日本人が知らない思考と行動原理』では、日本を代表する中国ウォッチャーが鋭く答えています。
 本記事では、〈鑑真は「永遠の生命」が欲しかった!?…5回失敗、失明をしても日本を目指した「本当の理由」〉に引き続き、空海入唐の謎についてみていきます。
 ※本記事は、近藤大介『ほんとうの中国 日本人が知らない思考と行動原理』(講談社現代新書)より抜粋・編集したものです。
 空海入唐の謎
 仏教伝来についてのもう一つの疑問は、空海入唐の謎だ。
 弘法大師こと空海(774年~835年)は、鑑真が死去した11年後に讃岐国(現・香川県)で生まれた。郡司(現在の県知事に相当)の息子で、19歳で修行僧となった。無名の僧侶だった29歳の時(804年)、18回目の遣唐使船への乗船に成功し、入唐を果たす。船は福州に漂着し、同年暮れに長安に入った。
 翌年5月、密教の第七祖である青龍寺の恵果和尚を訪問。「門弟千人」と謳われた恵果和尚は初対面で空海の卓越した才覚を見抜き、即座に密教の奥義を伝授。灌頂(正統な継承者としての儀式)を行って遍照金剛の称号を与えたというのだ。
 それで空海は、20年の修行予定をわずか2年で切り上げ、帰国して高野山に真言密教の総本山・金剛峯寺を建立。弘法大師と仰がれ、日本の仏教界に君臨していくのである。
 空海についての謎は、なぜ「東方の夷国(文明の劣る国)」から大唐帝国の首都に学びに来た、中国語や梵語(サンスクリット語)もロクにできなかったに違いない正体不明の「私費留学生」の若者に、密教の権威が「後継指名」したのかということだ。
 現在の日本に状況を置き換えるなら、日本を代表する寺院が、発展途上国から日本に留学に来た無名の一若者に、「後継指名」するかという話だ。どう考えても、常識的にはありえないことだ。
 一つの推測としては、やはりカネ(所持していた砂金)の力である。前述のように、中国では密教ははやらなかったので、密教を説く青龍寺は当時、相当寂れていた。そのため、各国の留学生たちからカネを取って住まわせることで、かろうじて生計を立てていた。
 その中で、大宴会を開いたりして羽振りがよかった空海が、最も多く寄付を積み、後継者の称号と経典などを買い取った可能性がある。実際、恵果は空海と出会って約半年後に死去しており、いま伝わっているのは「空海の述懐」だけなのだ。『空海の風景』(司馬遼太郎著、中央公論社、1975年)ほかを読むと、空海の最大の才覚は、機を見るに敏な「目ざとさ」と、自己アピール能力にあった。同書でも「空海の謎」をいくつか婉曲的に示唆した上で、「謙虚な人ではなく、むしろ自讃する人であった」と論じている。
 実際、西安を訪れても、青龍寺は1980年代に日本が寄贈した桜の名所として知られ、「日中友好の証」として恵果空海記念堂が建っている。寺自体は空海の死の十年後の「会昌の廃仏」によって廃墟と化しており、すべては日中国交正常化の後に「友好の証」として再建されたものなのだ。
 私は別に、鑑真や空海の「偉業」に口を差し挟みたいわけではない。唐代の中国仏教というのは、いまの私たちが想像する以上に「現世」に片寄っていて、「生臭かった」ということだ。
 中国史上唯一の女帝である則天武后(624年~705年)が、みずからの肝煎りで再建させた洛陽南郊の龍門石窟にも足を運んだことがある。そこでも、則天武后は純粋な信仰目的というより、壮大な仏教芸術を使って自らの権力を鼓舞したのではないかと思えてきた。
 その後、宋代(960年~1279年)に入ると、寺院勢力が復活するが、やはり高利貸も兼ねていた。僧侶の身分証である「度牒」や、高僧の称号である「師号」、袈裟である「紫衣」までもが売買された。
 その一方で宋代には、仏教が儒教・道教と結びついて「三教合一」となり、中国独自の教義に変貌を遂げた。
 現代の中国は、周知のように共産党の一党支配下にあり、仏教が隆盛しているとはとても言えない。唯一、チベット自治区のチベット仏教が有名だが、彼らはむしろ弾圧されている。代わりに、中国共産党が「国教」のような存在になっている。
 それでも、意外なことに中国の富裕層に、チベット仏教のファンが多い。彼らのチベット仏教のイベントに同行したこともあるが、「あまりに殺伐としたいまの中国社会にあって、心が癒やされる」と、心情を吐露していた。
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 さらに〈10年で、半数の大富豪が「消えた」中国の現実…日本とは比較にならない、中国の「ハイリスク社会」〉では、中国の「ハイリスク社会」について詳しくみていきます。
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