🗻3〕─5・A─弥生時代と古墳時代の境目。古墳人の父は「渡来系」母は「縄文系」。~No.10 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2023年3月2日16:30 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「「弥生時代」と「古墳時代」の境目とは?
 三世紀半ばの築造という説のある奈良県大市墓箸墓古墳・著者撮影)。
 近年、墳型やその外縁の研究が進み、弥生時代古墳時代の境界線が揺れつつある。これはひとつの成果で大変喜ばしいことだが、墳型の変化はそのまま思想や政治状況の変化を示していることを考慮すると、実に重大な進展ではないだろうか?
 墳墓の形状から考察する時代の「境界線」
 研究の進展によって、古代の時代区分が見直される時期を迎えています。これは大変結構なことです。
以前は、弥生時代の始まりは紀元前3世紀で、終わりは紀元3世紀末もしくは4世紀と教えられていました。しかし、新たな発見や知見を勘案すると、現代では弥生時代の始まりは紀元前5世紀まで遡っています。
 さらに「稲作文化」を最大の画期条件とするなら、土器から発見された籾の圧迫痕やその存在を示すプラントオパールの検出、炭素14年代測定法などから、絶対年代を紀元前10世紀とする説も出ています。
 ただ一口に「稲」といっても、南洋系の陸稲ジャポニカ米の水稲に分かれます。今のところは「縄文時代晩期に陸稲はあったと思われるが、計画的な水稲栽培ではなかった?」という所に落ち着いているようです。
 弥生時代から古墳時代への移行は、墳墓の形が重要な画期条件になっています。それは弥生墓とされる「墳丘墓」と、新時代を感じさせる「前方後円墳」築造の境目が画期となります。研究者は前方後円墳の編年を探り、絶対年代を突き止めようと努力します。
 ただ、宮内庁管理の「天皇陵・皇后陵・陵墓参考地」は調査が禁止されています。つまり、考古学問上もっとも資料として必要な、大型前方後円墳の調査ができていないのです。しかし、以前にも紹介したように、考古学者は陵墓域外の外縁を調査して円筒埴輪列を発見します。
 この埴輪の編年が完成して、ほぼすべての王墓級前方後円墳の造営順が判明しました。もちろん墳丘そのものや石室石棺などの学術調査が行われれば、もっと詳細な時代区分と重大な発見があるに違いありませんが……。
 今のところ、最古級の前方後円墳奈良県桜井市にある「大市墓(箸墓)」だと考えられています。その造営時期として最も早い説は、3世紀中葉としています。つまり西暦250年前後だとしているわけです。ということは、古墳時代の始まりは西暦250年ごろで、それ以前が弥生時代だということになります。
 ほぼその時代に北摂山系(ほくせつさんけい)の中腹、大阪府高槻市御所の町に古墳が築かれました。おそらく現在の大阪地域でもっとも古い水田遺跡と環濠(かんごう)集落だと考えられる「安満(あま)遺跡」の首長墓ではないでしょうか。
 以前ならこの墳墓は弥生墓とされて問題はなかったと思います。しかもこの古墳は前方後円墳ではなく長方形墳で、石槨(せっかく)を持たない直葬の土壙墓(どこうぼ)です。内部は割竹型木簡が埋葬されていて真っ赤に朱が塗られた立派な墓です。
 そしてここから、とんでもないものが出土したのです。それは種類の違う5枚の青銅鏡でした。(次回につづく)
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 3月5日 YAHOO!JAPANニュース 中国新聞デジタル「父は「渡来系」母は「縄文系」の人骨 広島県福山の地頭分津ノ尾古墳群から出土
 石棺にふたをするように5枚の石がのせられていた(広島県教育事業団提供)
 広島県福山市瀬戸町の地頭分(じとうぶ)津ノ尾の古墳群から、古墳時代半ばごろ(5世紀ごろ)に埋葬されたとみられる人物の全身骨格が出土した。当時としては異例の高身長である約170センチの40代男性は、父親が渡来系、母親が縄文系の形質をもつ人物であることが分かった。異なる文化をもつ人々がこの地で交流し、多様性のある共同体をつくっていたのか―。歴史ロマンをかき立てる。
 【写真】福山の地頭分津ノ尾古墳群から出土した箱式石棺と男性の全身骨格
 現場は北へ流れる瀬戸川に西面し、南北に延びる標高60~70メートルの丘陵。10メートル前後の円墳がある小規模な古墳群で、4世紀後半から5世紀ごろにかけての造営と推定される。国道2号バイパス建設に伴い、広島県教育事業団埋蔵文化財調査室が2019年から調査している。
 人骨は第2号古墳の箱式石棺から発見された。地面を掘り、厚さ10~20センチの板状の石を長方形に並べ、上から石のふた5枚をかぶせていた。石の隙間に粘土を詰め、側面やふたの上は土で固めていたことから、保存状態が良好だった。もろ刃の鉄剣、刃が曲がった鉄鎌の副葬品が出土し、古墳時代半ばの埋葬と推定される。
 これまで広島県内で出土した古墳時代の人骨は最大で身長162センチ程度で、今回初めてDNA調査を行った。調査を依頼された土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム下関市)の松下孝幸館長(72)は「古墳時代で頭や歯の一部が残った事例は広島県内で多くあるが、170センチもの全身骨格は西日本でも見たことがない」と驚く。
 高身長に加え、上下に長く彫りの浅い顔など人骨の形態から判断すれば明らかな渡来系だが、母系に遺伝するミトコンドリアDNAを分析すると、縄文系の形質を持つことが確認された。
 「渡来系の人々が在地の人々と婚姻関係を結び、西から東へ向けて勢力を広げていった形跡がうかがえる」と松下館長。「新しい技術や文化が入り、当時の福山が相当進んだ重要な拠点の一つだった可能性もある」。核のDNA調査が今後進めば、父系の詳しい系統も明らかになるという。
 中国新聞
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