293〕─1─アメリカは、韓国に対してFTAに基づき南極海での違法操業の苦情を申し立た。~No.872No.873No.874 終わり。 

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 2019年9月20日 msnニュース AFPBB News「米、FTAに基づき韓国に苦情申し立て、南極海での違法操業で
 © MARCEL MOCHET / AFP 南極海に注ぐ陽光(2007年7月1日撮影、資料写真)。
 【AFP=時事】米当局は19日、韓国の漁船が違法操業を行ったとして、「米韓自由貿易協定(FTA、通称KORUS)」の環境規制に基づき初めて韓国に苦情を申し立てた。
 米通商代表部(USTR)は、KORUSの条件に基づき、韓国側に環境に関する協議を求めていく考えだという。
 USTRは韓国を名指しで非難する政府報告書に言及し、韓国政府が「環境保護および管理対策に違反した漁業」の阻止を怠ったと明らかにした。
 米海洋漁業局(US National Marine Fisheries Service)も定期報告書の中で同日、2017年末、国際条約により南極海の漁場閉鎖が通知されたにもかかわらず、韓国の漁船2隻が違法操業していたと報告している。
 報告書によると、韓国当局は違法操業していた漁船を即時帰港させ、一時操業停止処分とする一方、罰金は科さず、違法操業による漁獲の押収も行わなかった。さらに、国際法違反の証拠はないとして漁船は不起訴とされた。韓国の国内法には漁船の違法操業による経済的利益を取り締まる是正手段が存在しないという。
 韓国側は米国との協議で、国内法を修正する必要性は認識していると述べ、改正を進めていると説明したという。【翻訳編集】AFPBB News
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🔮244)─2─日本社会は、金太郎飴的秀才を育て個性の強い天才を殺す凡人社会である。/〜No.496 *

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 日本社会は、大多数の努力しない凡人、少数の努力した秀才、極稀に生まれる天才や神童で更生されている。
 故に、日本人は特別な存在ではなく、特殊な才能もないし、取り立てて優秀でもない。
 日本を陰鬱に支配している空気・空気圧・同調圧力とは、秀才の劣等感と嫉妬心である。
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 中華儒教的に言えば、日本人は小人・侏儒・無教養・野蛮であって聖人・賢人、士大夫・読書人ではない。
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 日本の凡人は、必然ではなく、勢い・活きよい、偶然、幸運で生きていた。
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 2019年5月16日号 週刊文春「文春図書館
 私の読書日記 瀬戸健
 『天才』を殺さないために何をすべきか
 ……
 チャレンジするときに大切なのは前に進み続ける覚悟です。組織においては、それぞれの持っている才能にブレーキをかけず、最大限に発揮してもらうことが重要です。日本の組織は『出る杭』を打ってしまいがちですが、チャレンジの局面ではいかに『出る杭』に活躍してもらうかが大切になってきます。
 そんな関心から手に取った『天才を殺す凡人』(北野唯我 日本経済新聞出版社 1,500円+税)には、なぜ組織において『天才』の能力がつぶされてしまうのか。その答えが書かれています。世の中には『天才』と『秀才』と『凡人』がいる、と著者はいいます。三者のあいだにはコミュニケーションの断絶があるのです。凡人は天才が理解できずに排斥する。秀才は天才に嫉妬する。天才は秀才に関心がない。秀才は凡人を見下す。凡人は秀才を天才と勘違いする。天才は凡人に本当は理解してほしい。シンプルに言えば、これが『凡人が天才を殺す理由』なのだそうだ。
 私は、組織のなかで反対意見が出ることはすごく重要だと考えます。尖った意見に対しては、かならず反対意見がでるものですが、そのこと自体がそもそも『競争力の源泉』になるからです。『単純な値下げ』など、みんなが稟議(りんぎ)を簡単に通せるような施策は、他の会社でも『いいね』と言われるでしょう。そこに競争力は生まれません。しかし、反対意見が社内でも出るようなものは、他の会社でも反対意見が絶対に出る。その時点で、すでに競争力は生まれているのです。
 成果が出る組織というのは、本書で言われる『天才』、つまり能力ある人の『尖った意見』が多数決で殺されないような組織です。経営者は、彼ら彼女らがイキイキと活躍できる空気を作り出す必要があるでしょう。
 ……
 大切なのは、あらゆるところにいるこうした『振り切った』人材を生かすことです。
 ……
チャレンジしていくうえで、競争力を生み出す『価値』とはなんだろうか?
 ……
 思い出したのは、小学生のときに作った親へのプレゼントです。親の誕生日に『なんとかして喜ばせたい』と思った私ですが、なにせお金がありません。そこで私は、捨てられていたカマボコの板を使って箸置き作りました。箸置き以外にも、彫刻刀でオブジェのようなものをつくったこともあります。
 小さいころはみな『喜ばせの達人』だったはずです。手に入るものの中で一生懸命に工夫をしていた。それが大人になると、いつのまにか『お金で解決する』ようになってしまう。喜ばせの達人だったはずの人がクリエイティビティを失ってしまうことをすぎく残念に感じます。
 ……
 相手のことを思って『どうしたら喜んでもらえるかな?』と考える。そういった思いやりと、相手を思う時間こそが大切なのです。それが結果的に、お金で計れない代替不可能な『価値』になるのです」
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 日本は「出る杭は打たれる」で、その為にイノベーションは起き辛い、というより寄って集ってイノベーションを潰している。
 自分に気に入らないイノベーション潰し傾向は、高学歴出身知的エリートに強い。
 彼らの口癖が、「将来ある優秀な若者よ、怖れずにイノベーションを起こせ」である。
 日本の基本方針は、リスクを取らず、リスクを最小限にして、利益を得る、金儲けをする、事である。
 イノベーションは、既存の改良ではなく、凡人を否定し、既存を破戒し廃棄する事である。
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292〕─1─日本国憲法は、小銃使用の侵略船に対して放水で追い払う事を命じている。~No.869No.870No.871  

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 護憲派反戦平和市民、人権派、反天皇反日的日本人らは、国境を守る現場の日本人公務員(海上保安官自衛隊員)を見捨てようとしている。
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 2019年9月18日 産経新聞「海保長官「不測に備え」 大和堆の小銃威嚇巡り
 日本海大和堆(たい)周辺で8月、北朝鮮船とみられる高速艇が海上保安庁の巡視船に接近し、小銃で威嚇したことに関し、海保の岩並秀一長官は18日の記者会見で「引き続き不測の事態に備えるとともに、関係省庁と連携し大和堆周辺で操業する日本漁船の安全確保に万全を期す」と述べた。近くで操業していた日本漁船への接近はなかったとした。
 この問題では、日本政府が北京の大使館ルートで抗議。北朝鮮の外務省報道官は、8月に海保巡視船の「不法侵入」があり、自衛的措置で追放したとしている。海保によると、大和堆周辺の北朝鮮漁船の違法操業取り締まりでは、5月下旬以降これまで、延べ794隻に排他的経済水域EEZ)からの退去を警告。うち147隻に放水した。昨年の同時期は警告が1100隻以上、放水が370隻以上だった。」
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291〕─1─原発処理水、韓国がIAEAで懸念表明 日本側「理性的な議論を。~No.866No.867No.868  

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 2019年9月17日11:28 産経新聞原発処理水、韓国がIAEAで懸念表明 日本側「理性的な議論を」
 IAEAの年次総会で演説する韓国科学技術情報通信省の文美玉第1次官(左)と竹本IT・科技相=16日、ウィーン(共同)
 【ベルリン=宮下日出男】韓国の科学技術情報通信省の文美玉(ムンミオク)第1次官は16日、ウィーンで同日開幕した国際原子力機関IAEA)年次総会で、東京電力福島第1原発で増え続ける汚染水浄化後の処理水の問題に懸念を表明し、海洋に放水されれば、「もはや日本の国内問題ではなく、世界全体の海洋環境に影響を及ぼしうる重大な国際問題となる」と強調した。
 文氏はまた、IAEA福島原発や処理水の現状、環境への影響を現地調査する必要性を主張し、「その結果に基づき、汚染水処理の基準と方法を確立することが重要だ」と強調。日本には「実質的で透明」な対応を求めた。
 一方、日本の竹本直一科学技術担当相は16日、これに先立つ演説で、韓国への名指しは避けつつも、廃炉や汚染水対策に関して「事実や科学的根拠に基づかない批判を受けることもある」と指摘。IAEAがすでに調査した結果をまとめた報告書に基づく「公正かつ理性的な議論」を加盟国に呼びかけた。
 竹本氏は原発事故発生以降、在京外交団向けの説明会などを通じて国際社会には「透明性を持って丁寧に説明してきた」と説明。処理水の扱いについても、同様の取り組みを継続する意向を伝えた。
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 9月17日13:45 産経新聞「茂木外相「韓国は科学的根拠に基づく主張を」福島の汚染水処理で
 茂木敏充外相は17日の記者会見で、国際原子力機関IAEA)年次総会で韓国政府代表が東京電力福島第1原発で増え続ける汚染水浄化後の処理水の問題に懸念を示したことをめぐり、「韓国が事実関係や科学的根拠に基づく主張を行うよう改めて求めていく」と述べた。政府の対応に関しては「今後とも国際社会に対して透明性を持って丁寧に説明していく」と強調した。」
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 9月17日18:00 産経新聞「菅官房長官風評被害を及ぼしかねず極めて遺憾」 IAEAでの韓国の主張を批判
 会見に臨む菅義偉官房長官=17日、首相官邸(春名中撮影
 菅義偉官房長官は17日の記者会見で、東京電力福島第1原発で増え続ける有害放射性物質除去後の処理水をめぐり、韓国が国際原子力機関IAEA)年次総会で懸念を表明したことについて「韓国側の主張は事実関係や科学的根拠に基づかず、わが国に対するいわれのない風評被害を及ぼしかねないものであり、極めて遺憾だ」と強い口調で批判した。
 菅氏は在ウィーン国際機関日本国政府代表部大使から答弁権を行使して反論を行ったと説明。その上で「IAEA総会の機会などを通じて韓国が事実関係や科学的根拠に基づく主張を行うよう改めて強く求めていきたい」と強調した。「今後とも国際社会に対し、透明性をもって丁寧に説明していく」とも語った。」
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🔮244)─1─日本の歴史は少数のサイコパス日本人と多数の対人恐怖症日本人で動いている。/~No.495No.496 *

サイコパス (文春新書)

サイコパス (文春新書)

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   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 日本の歴史上、強烈な個性を持ったサイコパスは、第25代武烈天皇室町幕府第六代将軍足利義教織田信長である。
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 本郷和人「僕は(織田信長の)サイコパス説をとっています、多くの事象が、サイコパスだったことを裏付けてるんですけれど、一つだけ違うのは美に対する感覚。信長は美に関する意識が高いんですが、サイコパスって美を感じないんですって」
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 欧米が日本に強く求める規制緩和や市場開放とは、閉鎖的排他的日本と言うより対人恐怖的日本をサイコパス的基準で改造・改変する事である。
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 「和を以て貴しとなす」は、対人恐怖が根底にある。
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 日本民族日本人の行動原理は、自己内観の恥と穢れである。
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 2018年8月号 Voice「サイコパスに向く仕事
 リスクを低く見積もる恐れ知らずの人たち
 中野信子 聞き手:編集部
 なぜ経営者に多いのか
 31万部(2018年6月上旬時点、電子書籍含む)の大ベストセラー『サイコパス』(文春新書)。拝読して驚いたのは『サイコパス』にも善し悪しがある。という点です。本書ではサイコパスの定義を『尊大で、自己愛と欺瞞に満ちた対人関係を築き、共感的な感情が欠落し、衝動的で反社会的な存在』としていますが、必ずしも全員が犯罪者になるというわけではない。
 中野 本書ではわかりやすく『勝ち組サイコパス』『負け組サイコパス』と表現しましたが、サイコパスのなかには猟奇殺人など犯罪を行なって社会から脱落する人もいれば、政治家や経営者になって成功を収め、社会的に認められた人もいます。第六章で引き用した心理学者ケヴィン・ダットン氏の調査『サイコパスの多い職業トップ10』の1位は『企業の最高経営責任者』です。
 ──たしかに以前、放送されたBBCのドラマ『SHERLOCK ソーズン4』に『シリアルキラー(連続殺人犯)の実業家(カルヴァートン・スミス)』が出てきました。
 中野 ついにそこまで来ましたか。実際、世の経営者は殺人こそ犯しませんが、『社会的生命を断ち切る』という意味では、じつは『キラー的』要素をもっている。
 社長に求められる経営判断のなかには、下請け業者を切る、社員をリストラするなど相手の人生を左右する非常な行為が含まれます。普通の人は二の足を踏むような決断を迷わず即座に下せる人が、『名経営者』と呼ばれるわけです。そのとき、プラスに働くのが『共感的な感情の欠落』『リスクを低く見積もる』というサイコパスの性質です。
 サイコパスと呼ばれる人びとの遺伝子が人類史上、残ってきたのは、昔も現在もサイコパスを必要とする社会状況があるからでしょう。たとえば、サイコパス特有の『リスクや重圧に直面しても恐怖や不安を感じない』『平気で嘘がつける』などの性質は、裏を返せば『多くの人が忌避(きひ)し躊躇(ちゅうちょ)する仕事ができる』ということ。したがって、すべてのサイコパスが社会にとって有害というわけではありません。
 『勝ち組サイコパス』と『負け組サイコパス』の違いを脳科学から見ると、両者の差異は前頭葉にあります。勝ち組サイコパス前頭葉を見ると、『背外側(はいがいそく)前頭前皮質』と呼ばれる部分が厚い。では、この箇所が厚い人は何が違うのか。
 それは『長期の予見能力がある点』です。先ほど話したように、サイコパスは恐れ知らずで、共感性をもちません。ただし『いまこれをやってしまったら、あとで問題になるので控えておこう』という危機の予見はできるあけです。だからこそ、仮に『実業家のシリアルキラー』がいたとしたら犯罪は露見(ろけん)しにくいし、利用できる者は利用する、という冷酷な打算もできるでしょう。
 ──なるほど。それにしてもなぜ、経営者にサイコパスが多いのでしょう。
 中野 企業の経営者や政治家のように、人に指示を与えて動かし、収益や成果を上げる仕事に向いているのは『人をコントロールしたい』という欲求が強い人です。じつは他人に指示を与えて動かすというのは、人間の脳にとって負荷が重い。普通の人は『自分に決定権が与えられたら怖い』『責任を取りたくない』と思ってリスクとリターンを天秤に掛け、程よい仕事や立場を選ぼうとします。
 ところが、サイコパシー(サイコパスの度合い)の高い人は『共感が欠落している』うえに『リスクを低く見積もる』という性質があります。だから失敗して責任を取るリスクよりも『賞賛や注目を浴びたい』『人を支配したい』という欲求が勝ち、『社長になりたい』と思って経営者になるわけです。
 たまに『社長職を仕方なしに引き受けた』という話を聞きますが、嘘です。いま社長の座に就いているのは、基本的に『なりたくてなった』人。逆にいえば、『社長になりたい』『出世したい』と思わないかぎり、その人は出世せず、社長にもなれません。アカデミズムの世界でも、ただ漫然と『専門分野の研究に没頭していれば教授になれる』と思っている研究者は、やはり講師や准教授止まりの場合が多い。
 ──たしかに、目上や組織にアピールする努力を『面倒くさい』『ずるい』と思ってしまうタイプは日本人に多いですね。
 中野 とくに日本人でよく聞かれるのが『よい行ないをしていればいつか報われる』という言説です。しかし、この考え方は明らかに誤りでしょう。自分の仕事に注力していればいつか誰かが目を掛けて引き上げてくれるとか、ある日突然、幸運が舞い込んで人生に転機が訪れる、という思い込みはむしろ『呪い』としてその人の人生を縛っている。さらに、そうした考えは他人を駒として使おうとする人たちに利用されることにつながります。
 ──ブラック企業で黙々と働き、使い捨てにされる従業員などまさにそうです。
 中野 この『呪いの呪文』は、成功した人間が自分の地位を脅かすフォロワーを蹴り落とす場合にも使われます。カーレースゲームの『マリオカート』でいえば、トップを走る車が後続車のタイヤを滑れるために置く『バナナの皮』のようなもの。
 ──熾烈(しれつ)ですね。意欲溢れる勝ち組サイコパスと、凡庸なわれわれはどのように付き合えばよいのでしょうか。
 中野 一つの選択肢は、なるべく搾取されないように距離を置いて付き合うこと。または『この部分は叩かれても切られても構わない』というトカゲのしっぽや囮({おとり}ダミー)に当てる部分は、プライドを切り捨てて差し出す。その一方、本当に大事なものや傷つきやすい部分、やりたいことは隠して周囲にも絶対に話さない。サイコパスは必ず相手の弱点を嗅ぎつけ、弱みを握ってコントロールしようとしますから。
 もう一つの選択肢としては、相手の懐(ふところ)に飛び込み、人生丸ごとその人の成功に賭ける。カリスマを崇拝して従うことは脳の快感を伴いますし、生き方の一つとして必ずしも否定されるべきではない、と思います。
 民主主義のセキュリティホール
 ──経営だけではなく政治の世界を見ても、サイコパスは根を張っていますね。中野先生が『文藝春秋』(2017年3月号)で例に挙げたドナルド・トランプ氏など『大統領になりたい』『人をコントロールしたい』という意欲しか感じません。
 中野 実際、お目に掛かったこともないのに決め付けるのは僭越なのですが。サイコパスの特徴に、フィアレス・ドミナンス(恐れ知らずの支配性)というものがあります。これはトランプ氏だけに限らず、アメリカの歴代大統領は総じてフィアレス・ドミナンスが高い、という調査結果があります。日本人にお馴染みのジョン・F・ケネディ大統領は、歴代2番目の『恐れ知らずの支配性をもつ人格』だという。
 ──ケネディ大統領はベトナム戦争時、北ベトナムとの交渉案を蹴って戦闘の拡大を『決断』しましたね。結果は凶と出ましたが。
 中野 そう。問題はまさしく『即断・即決の結果が正しいとは限らないこと』です。私たちは『恐れを知らない』『支配性が高い』という二つの要素を備えた人物を優れたリーダーとして認識する傾向があります。人間の意識におけるセキュリティホール(コンピュータソフトがもつ脆弱性)のようなものがあって、長期的に見た判断の正しさより『即座に物事を決めそうだ』『この人の言葉に従っていればよい』と感じさせる人が有権者の支持を集めてしまい、政治指導者に選ばれることが多い。『この人なら迷わずに決断し、停滞した現状を改革してくれるのではないか』と。しかしその期待は往々にして裏切られるわけです。
 ──『男らしい』と思った交際相手が暴力を振るうように、やたらと『頼もしい』指導者も危ない。民主主義のセキュリティホールならではの落とし穴ですね。ちなみに、北朝鮮金正恩委員長をどのようにご覧になっていますか。
 中野 北朝鮮の場合は独裁体制なので、民衆の自発的な支持を集めることより、コントロールされた体制を維持することのほうが課題でしょうね。先ほど歴代のアメリカ大統領はサイコパシーが高い、と話しましたが、これは直接選挙制の大統領選挙という政治システムによるところが大きい。日本も直接選挙制が導入されれば、トランプ氏のような人物が選出される確率は高まるのではないでしょうか。
 サイコパスVS対人恐怖
 ──あくまで一般論としてですが、日本人よりアメリカ人のほうがサイコパスは多いのですか。
 中野 人種で決め付けることはできないけれども、統計的に見て勝ち組サイコパスも負け組サイコパスも欧米・白人の比率が高い、とはいえます。東アジアでのサイコパスの割合は少なく、日本の場合はアメリカの4分の1とも10分の1ともいわれる。だからこそ日本人の勝ち組サイコパスは目立つし、注目を浴びるチャンスも多い、ともいえるでしょう。
 一方、気になるのはグローバル化の影響なのか、日本でも負け組サイコパスの犯罪が目立ってきたことです。たとえばサイコパスは殺人を犯した際、人間を死に至らしめるレベルをはるかに超えた暴力を加えることがわかっています。2017年に9人の遺体を損壊・切断した座間市の殺人事件などを見ると、欧米化の波が日本にまで届いているような気もします。
 ──いままでの日本では、サイコパスより『鬱(うつ)』や『ひきこもり』が国民病として想起されますが、その傾向は変わってきたのでしょうか。
 中野 たとえば以前、日本で『対人恐怖』が喧伝(けんでん)された時代がありました。家から一歩出ただけで過度に緊張して動悸が止まらない、あるいは道行く人が全員、自分を見ているような気がして会社や学校に行けない等、現代では社会不安障害と呼ばれる症状です。
 じつはこの対人恐怖こそ、サイコパスの対極なのです。サイコパスの特徴の一つに、前頭前皮質のなかで『眼窩(がんか)前頭皮質』と『扁桃体(へんとうたい)』のつながりが弱いことが挙げられます。一方で対人恐怖は、両者の結び付きが強すぎる人のことです。
 ──まさに日米対極ですね。お話を伺っていると、サイコパスの人はアメリカ式の金融・不動産ビジネスに向いているように思われます。金融業は短期取引が多く、一度限りの関係も多い。対して日本は長期取引が多く、一度相手を騙したら信用を失ってしまう、という恐れがありますね。
 中野 日本では頭では人を出し抜こうと思っても、社会脳、いわば心情のの部分がそれを許さない。日本のように社会の流動性が低く、共同体色の強い社会では、サイコパスの生き残りが難しいのかもしれません。
 性格の化粧が剥がされるとき
 ──ところでサイコパスをはじめ、人間の性質は後天的に変えられるのでしょうか。
 中野 その点は、多くの人たちから質問や相談を受けます。たとえば『集中力がなく、飽きっぽい性格を何とかしたい』とか、逆に『物事に執着しすぎてしまう』『怒りっぽくてすぐ人間関係を壊してしまう』など、性格に関する悩みを抱えている人はたいへん多い。
 でも基本的には、人間の容姿が変わらないように、各人がもつ性質も大きく変わることはない、と考えていただいてよいと思います。ただし顔に化粧が施せるように、あるいは食事や睡眠などの生活習慣を変えて肌を改善できるように、私たちの脳はある種の『化粧』を性格に施すことで、違った印象を周囲に与えられます。
 この『性格の化粧』の機能を司るのが、まさに先ほど申し上げた前頭前野。とくに勝ち組サイコパス前頭前皮質が発達しており、性格を覆い隠す能力が飛び抜けて高い。彼らは日常生活のなかで、自分が『人間に見えるように』演じています。それは擬態といってよいほどの溶け込み方で、私たちが『隣にいるサイコパス』を見抜けない一つの要因となっています。
 たしかにサイコパシーの高い人は一見、人当たりがよく、短期的な業績を上げるには向いているのですが、長く付き合ううちに性格の化粧が剥げ落ち、ときどき『この人、人間じゃない』と感じるような振る舞いが顔を覗かせます。たとえば葬儀の参列時、不自然なほど過剰に悲しむなど、注意して観察していると『性格の化粧』がボロッと剥がれ落ちる瞬間がある。
 周囲にいる人の行動をよく見ると
 ──年齢によって性格が変わる、ということもありませんか。
 中野 たしかに、加齢の生理的要因によって人格の変容が起きることはありますね。
 私たちは一般的に『社会の』と呼ばれる、前頭前野に備わる能力のほとんどを使っていない、といわれます。また、若いうちは前頭前野そのものが未発達です。勝ち組サイコパスというのは、前頭前野の発達がピークを迎える30代後半から50〜60代までに社会で実績を上げた人である、といえるでしょう。おこからピークアウトして前頭前野の働きが衰えていくわけですが、当然、個人差があります。老いてますます冴(さ)え渡る人もいれば、『かつてはあんなに鋭かったのに』と思うほど残念な感じになってしまう人もいる。戦国武将でいえば、大友宗麟(義鎮、1530〜87年)あたりでしょうか。
 豊前筑前国(現在の福岡・大分県の一部)守護や九州探題となり、九州に加えて周防・長門国(同・山口県)まで影響力を及ぼしたのに、耳川の戦い(1578年)以降は敗戦また敗戦、そして謀反の嵐。最後は豊臣秀吉の軍門に下って豊後一国しか残らないという、まさに『残念な晩年』。
 中野 以前、東京大学史料編纂所本郷和人教授から『宗麟はキリスト教に帰依してからおとなしくなってしまい、晩年は女性にも執着を示さなくなった』と伺ったことがありかす。6万人といわれる大軍を編成して九州統一の気運が高まった際も、肝心の宗麟はムジカ(日向国=現在の宮崎県延岡市に新しく建てた理想の町)へ行って神に祈っていた、更年期障害によるとテストステロン(男性ホルモン)不足を窺わせるエピソードです。
 反対に、作家の岩井三四二さん曰(いわ)く『日本史上でもっとも成功したサイコパス』が徳川家康。有り難いことに本書を引用してくださり、次のように述べられています。『家康はうまく「律儀者」を装うことができ、三方ヶ原や小牧長久手といった、敵が何倍もいる危険な合戦に怯えることもなかった。また良心の痛みを感じないで、情け容赦なく豊臣家を滅ぼし、さらには平気で神になったりもしたのだろう』(『家康の遠き道』光文社)。
 ──サイコパスの成功者といえば織田信長を思い浮かべますが、家康もまた天下のサイコパスだった、と。
 中野 そうかもしれません。ただし戦国武将の精神分析は半分、知的遊戯のようなところがありますし、原則として面会もできずに『あなたはサイコパスです』と診断を下すことはできないのです。現実的には、周囲にいる人の行動をよく見て、彼らと自分との関わり方を探るのがよい、という結論になるのではないでしょうか」
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 少子高齢化による人口激減で日本民族日本人が減少して外国人移民(主に中国人移民)が増加すると、対人恐怖症の日本はサイコパスの日本に変貌する。
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 日本列島は対人恐怖症の世界で、中国大陸と朝鮮半島サイコパスの世界である。
 世界の常識から、日本が幾ら説明しても理解されず、中国や朝鮮・韓国が余り説明しなくても支持されるのはこの為である。
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 成功して出世するのは、サイコパス的人間であって対人恐怖的人間ではない。
   ・   ・   ・   
 対人恐怖症は、他人の目を気にする為に信頼と信用を信条とし、人前での公や徳を重んじる。
 サイコパスは、他人が気にならない為に嘘と詭弁が横行し、他人を押しのけて個や私を重んじる。
   ・   ・   ・   
 対人恐怖症の日本民族日本人は、人を人と思わない弱肉強食の中国大陸や朝鮮半島に恐れをなして日本列島に逃げ込み、サイコパスの中国人や朝鮮人との交流を拒絶した。
 日本民族日本人は、中国大陸や朝鮮半島に魅力も興味も感じず、商売で行き来しても移住したいと者もいなかった。
 日本列島と中国大陸・朝鮮半島は、モノとカネの流れはあっても、ヒトの往来はなかった。
 日本と中国・朝鮮は断絶していた。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人が中国大陸や朝鮮半島を見ていたのは、大陸や半島のさらに西にあるという天竺(インド)やガンダーラである。
 観念や屁理屈の、孔子老子の聖人君子の国ではない。
 日本民族日本人は、仏の国である極楽浄土への憧憬は中華の聖人君子の国よりも強い。
 日本民族日本人の情緒は、神道と仏教からなっている。
 中国人や朝鮮人の情理は、儒教道教からなっている。
 ゆえに、日本民族日本人と中国人・朝鮮人とでは、心情、心、精神は根本から異なる。
 日本国語には心情、心、精神を表現する語彙がなかった為に、儒教道教など中華の言葉、文字=漢字、言い回しを利用した。
 それが、和魂漢才である。
   ・   ・   ・  
 日本文化は、心の中に潜む「破壊衝動のサイコパス」を鎮める為に、精神修養として生み出されてきた。
 日本文化の心は、自然に包まれた、花鳥風月プラス虫の音そして苔と良い菌による1/fゆらぎとマイナス・イオンである。
   ・   ・   ・   
 中国と朝鮮は、人による地獄であった。
 日本は、自然による地獄であった。
   ・   ・   ・   
 日本で兇悪なサイコパスの暴走を抑え鎮静させ安定と秩序をもたらしていたのが、天皇制度、天皇家・皇室である。
 天皇制度のお陰で、日本では中国や朝鮮のような地獄のような大虐殺は起きなかった。
   ・   ・   ・   
 西洋世界では、サイコパスをねじ伏せる為に厳格で禁欲なキリスト教が利用された。
 だが、余りの厳格と禁欲を徹底した為に西ローマ帝国は滅亡し、暗黒の中世が西洋キリスト教文明圏を多い、異端者や異教徒への大虐殺が起きた。
 中世キリスト教会と白人キリスト教徒商人は、アフリカ人や日本人を奴隷として商売していた。
 宗教裁判。異端者尋問。魔女狩り。異教徒虐殺。宗教戦争
   ・   ・   ・   
 アジアで、古代人が生き残っているのは日本だけである。
 中国も朝鮮も古代人は生き残っていない。
 その意味で、アジアの古典が生活の中に生きて残っているのは日本だけである。
   ・   ・   ・   
 国民の民意による直接選挙制が、ヒトラームッソリーニを生み出した。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人の海洋民と欧米人・中国人・朝鮮人などの大陸人とは、同じ人間であっても違う。
 人間の違いは、差別を生むような身体機能的優劣や知識能力的賢愚ではない。
 外国人移民・難民(主に中国人移民)が増加すれば、日本は海洋的から大陸的に激変して、日本民族日本人の生存能力は無効になる。
 何故なら、生存闘争において海洋性は大陸性には勝てない。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人の祖先は、南方から仲間と一緒に小舟を漕いで日本に渡ってきた海洋民であった。
 日本民族日本人は、対人恐怖症である為に性善説である。
 海洋民の世界は、人が住めない海原で、動ける狭い小舟である。
 手漕ぎ小舟の指導者は、天候を読む調整型のまとめ役で水先案内である。
 日本民族日本人の生き方は、自然・運命に従う偶然と幸運である。
   ・   ・   ・   
 大陸人の祖先は、豊かで住み易い土地を見つける為に集団で武器を持って陸地を歩いて移動した。
 大陸人は、サイコパスであるがゆえに性悪説である。
 大陸人の世界は、人が住む草原で、歩き回れる広い大地である。
 大陸移動の指導者は、戦略戦術に長けた先頭を真っ先に駆け出す引率者である。
 大陸人の生き方は、自然・運命を切り開く勝者必勝、強者生存の必然でった。
   ・   ・   ・   
 日本的システムとは、対人恐怖である。
 大陸的システムとは、サイコパスである。
   ・   ・   ・   
 イジメや嫌がらせの陰険・陰湿は、対人恐怖症の特性である。
 惨殺や虐殺の残酷・苛酷は、サイコパスの特性である。
   ・   ・   ・  
 サイコパス世界の自殺は他人を巻き込む事が多い為に、アメリカでは銃乱射による無差別殺人の末に射殺される。
 対人恐怖症世界の自殺は他人との関わりを遮断する為に、人里離れた所で一人寂しく孤独に死んでいく。
   ・   ・   ・   
 年功序列、終身雇用、一括採用、一律昇給、事なかれ、前例踏襲、横並び、問題先送り、出る杭は打たれるなどは、「人に嫌われたくない、人に好かれたい」という八方美人的対人恐怖症が原因である。
   ・   ・   ・   
 対人恐怖症の日本民族日本人が、グローバル化する世界で生き残る為には、サイコパスとなって稼ぐ力・儲ける力という生きる力を急いで獲得するしかない。
 その為には、競争を激化させる多様性の高い社会を作る事である。
 その最適な手段が、外国人移民(主に中国人移民)の増加である。
 多様性が進む方角とは、共生ではなく競争であり、貧富の格差の拡大による社会の分断と破壊である。
 現代日本で流布している「多様性」とは、悪意を内に秘めた絵空事にすぎない。
   ・   ・   ・   
 日本が世界的な指導者になれないのは、大陸人のように人を奴隷として売買して儲けられない点にある。
 世界常識による、ローカルとグローバルの違いはそこにある。
 白人キリスト教徒商人は日本人を奴隷として売り、中世キリスト教会は日本人の奴隷を認めていた。
 日本の小作人や下男・下女、賤民や部落民は、社会的身分として差別されたとしても、人間性を否定された奴隷ではなかった。
   ・   ・   ・   
 冷酷・冷血なサイコパスは、共産主義者マルクス主義者)のレーニンスターリン毛沢東ら、ナチズムのヒトラーファシズムムッソリーニである。
 特に共産主義者マルクス主義者)は、血に飢えた狂人として、世界中で1億人以上を人民の敵・反革命分子として猟奇的に大虐殺した。
   ・   ・   ・   
 左翼・左派・ネット左派がサイコパスなら、右翼・右派・ネット右翼サイコパスである。


   ・   ・   ・   

サイコパスの真実 (ちくま新書)

サイコパスの真実 (ちくま新書)

まんがでわかる 隣のサイコパス

まんがでわかる 隣のサイコパス

サイコパス 秘められた能力

サイコパス 秘められた能力

🔮49)─1─孤独。「骨力」。日本は三元論と二項割合(二項比率)。強い絆と弱い絆。憂国の芸術。気力の思想。 〜No.103No.104 *  

執らわれない心  日本人の生き方の原点に立ち返れ!

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   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・   
 2017年12月号 Hanada「一定不易  加地伸行
 ……
 愚かな話である。なぜか。欧米の連中は、二項対立でものを考える。陰か陽か、善か悪か、生か死か・・・というふうに。そこから弁証法(二つの正反対の意見の対立や矛盾の論議から新しい考えを生みだしてゆく論法)という考えかたがうまれる。
 例えば二大政党という視点となる。その真似をしようというわけだ。明治以来の欧米猿真似である。
 しかし、われわれ東北アジア人の思考は、二項対立ではなくて二項割合(二項比率)なのである。例えば、陰と陽との二つが対立すると考えるのではなくて、全体を100としてパーセンテージで見るのだ。前回は陰が20%、陽が80%、今回は陰が10%、陽が90%というふうに、俗に言えば、あいつは悪い奴だが、いいところもある、というような見かた、それが日本人なのである。
 世には、時間と空間とという両物差しがあるが、その内の空間を軸に取って見てみると、われわれ日本人は二項割合で物を見る。その延長上からは、対立する二大政党といった観点は出てこない。一強多弱、あるいは二強(連合)多弱・・・となるのが自然なのである。
 もしも二大政党を理想とするならば、二項対立的に立憲民政党社民党共産党らが過半数近くにまで伸びなくてはならないが、そうなっていないではないか。つまり、日本人は、二項対立など望まない、いや思考の内にないのである。この心の深層を知るべきだ」
   ・   ・   ・   
 2014年11月27日号 週刊文春國分功一郎 『喫茶室』
 つながるための孤独
 最近、孤独ということに関心があります。世の中が絆とかつながりとか、コミュニティとかを強調するようになってきていて、それはもちろんすごく大切なことなんですけど、人間には自分と対話して、独りで自分を見つめなおす時間が必要だと思うんです。そのためにはきちんと孤独でいることができなければいけません。
 哲学学のハンナ・アーレントは著書『全体主義の起源』のエピローグで、寂しさ(ロンリネス)と孤独(ソリチュード)は違うと書いています。誰ともつながっていないという感覚に苛まれて、他人を追いかけ続けてしまう状態が寂しさですね。寂しさばかり感じてしまう人間は他人に依存する形になっちゃうんです。対して孤独とは、自分自身と一緒にいて自分と話をすることができる状態。一人で落ち着いていられる人間は誰かに依存しないので、その誰かと一緒にいられるのです。きちんとつながるためにはきちんと孤独でいられないといけないということですね。
 まあ孤独というのはちょっと格好つけた言い方で、わかりやすくいえば独りの楽しみ方を知っているということです。スピノザも、食べ物や香りなどの楽しみ方を知っている人間は賢者だと言っています。
 今はLINEやフェイスブックなど、何時でもどこでも誰かとつながっていられます。だからこそ孤独になる時間が必要で、たばこはその時間をうまく作ってくれるツールのひとつだと思います。
 人間は何もやることがないとそわそわしてしまいます。だからといって何かに集中すると、そのことでいっぱいになってしまう。すなわち人間が自分と対話して、ひとり
見つめなおす時間をもつためには、程よく何かをする必要があるんです。そこでたばこは、そのやらなきゃいけないことの量がちょうどいいんですね。
 僕にとっては吸って吐いてという自然な動作をいつもよりゆっくりするということだけ。そういう意味で、たばこはすごくうまく孤独を作り出す装置といえるのではないでしょうか。
 仕事を終えた後にひとりでじっと吸って反省したり思いを巡らせたり。人にそうさせる役割を果たしてきたことは、意外に大きいのではないかと思います」
   ・   ・   ・ 
 絆には二つあり、日本の絆は「弱い絆」で、中国や韓国・朝鮮の絆は「強い絆」である。
 仕事上の同僚や知人や地域内の顔見知りでは絆が弱く、家族・親族や友人の内での絆は強かった。
 絆が強いと、絆が拘束となり行動範囲を狭め、集団内での逸脱を許さず、援助を受ける事に抵抗感を抱かせる。
 その結果として、村八分が起きる。
 絆が弱いと、地域は緩い関係を保ち、他人に迷惑をかけなければ勝手気ままに行動し、気楽に助けを求める事が出来た。
 日本のムラ社会は、閉鎖社会である為に絆が強く、同調圧力が社会を支配していた。
  ・   ・   ・    
 福田恆存「祭日とその儀式は、人間が自然の生理と合致して生きる瞬間を、すなあち日常生活では得られぬ生の充実の瞬間を、演出しようとする欲望から生れたものであり、それを可能にするための型なのである。私たちが型に頼らなければ生の充実をはかりえぬのは、すでに私たち以前に、自然が型によって動いていたからにほかならぬ。生命が周期をもった型であるという概念を、私たちが、ほかならぬ自然から学び知ったのだ。自然の生成に必然の型があればこそ、私たちはそれにくりかえし慣れ、習然することができる」(『人間・この劇的なもの』)
 福田恆存「私たちがどれほど知的になり、開化の世界に棲んでいようとも、自然を征服し、その支配下から脱却しえたなどと思いこんではならぬ」
 「生の終わりに死を位置づけえぬかなる思想も、人間に幸福をもたらしえぬであろう」
   ・   ・   ・ 
 2015年5月号 『正論』
 執行草舟憂国の芸術 禅とは、首尾一貫した変形(deformation cohernte)である。それは、根源に横たわる一貫性によって我々に『異界』を呈示しているのだ。この世の本質でsる神秘を、現前化する。その腕力と善意が繰りか広げられる弁証法的深淵を、我々は見つめなければならぬ。異形の中に、真のいのちがあるのだ。
 禅とは、原始のもつ根源性と、その無限性を内在する。そして、それを現実世界に現成させようとする精神なのだ。原始を、己の身心に『生(なま)』で受け止めそれを喰らい尽くす。そのゆえに、禅の芸術は生命のもつ苦悩と悲哀が表現されることになるのだ。悲痛を見つめなければ、生の淵源はわからない。暗く深い、生の故郷へ到達することが出来ない。だから、禅は苦悩を愛する。苦悩がもたらす『祝福の魔力』を願う。そう、魔力なのだ。禅とは、非日常世界の体験に他ならない。つまり、魔を見る。この魔が、古代ギリシャにおいては、偉大なる『文字』を生んだ。生の淵源を知る者は、魔力を知る者でる。そこに禅と古代ギリシャの共振を私は見ているのだ。元来、人間の生はディオニソスの祭壇に捧げられている。それをフリードリッヒ・ニーチェは『ギリシャ的晴朗』(die griechischeHeierkeit)と呼んでいた。この生の悲哀のはて涯てに広がる真の『晴朗』こそが、禅の本質であろう。
 禅の書は、人間の心を無限に向かって開放して行くのだ。真実の禅の書には、その力がある。生命の価値は、自己独自の憧れに向かって生きることにある。その憧れの本質が、禅の書に表されているのだ。確かに、我々は不幸である。しかし、『我々は生まれたのだ。清澄(せいちょう)な日のために・・・』と謳ったヘルダーリンの心に、私は禅の本質を見るのだ。
 我々は、環境を超越しなければならない。そこに禅の神髄がある。禅の芸術は、それを示しているのだ。与えられた環境に埋没すれば、それは動物にすぎない。我々は、人間独自の在り方を求めて環境を超越しなければならないのだ。マックス・シェーラーが『世界開在性』(Weltoffenheit)と呼んだ『生の跳躍』を掴まねばならぬ」
   ・   ・   ・   
 2016年1月号 歴史通「武士への道 執行草舟 インタビュー樋渡優子
 気力の思想とは
 『お前の知らぬものに到達するために、お前の知らぬ道を行かねばならない』
 私はこの十字架のヨハネの言葉を旨として生きてきましたから
 ……
 人間にとって一番大事なものは何か?それはすべての飾りを取り去ったあとに残る生命の底力です。つまり、その気骨こそがその人の生命の根本だと・・・。それは、目に見えないが、生命や物質を貫徹して存在する『力』です。それを『気骨』と言う。特に船はしれがわかり易い。始めに竜骨(キール)が造られ、それに沿ってあらゆる骨組が造られていくのが船だからです。その骨組みの段階で、完成する船の良し悪しはすべてわかるそうです。骨組だけで、その船の『運命』がすべてわかると言うのです。その運命を暗示する『勢い』とも呼ぶべきものが、『骨力』なのです。平井社長はこれを海軍で仕えた平賀譲(ひらがゆずる)博士から聞いたそうです。平賀博士は日露戦争の頃からの海軍の技術中将で、日本が欧州から軍艦を買っていた段階から、〝戦艦大和〟という世界最大の軍艦を国内で建造するところまで、一人で持ってこられた偉大な人物です。海軍では平井社長の上司だったわけです。
 当時の感覚でいえば、軍艦はただの船ではありません。今のスペースシャトルと同じで、各国ともに最先端の科学技術の結集でした。平賀博士はつねづね『優れた軍艦は骨力が強い』、『軍艦の心臓とは骨力である』と説かれ、日本政府がイギリスのヴィッカーズ社から軍艦『金剛』を買ったときも、現地で見て、『この軍艦は骨力がある』と買い付けられたそうです。
 博士の予言どおり、『金剛』戦艦は主力艦として太平洋戦争が終わるまで沢山戦って、最後まで沈まなかった。日本が自前で軍艦を造るようになってからも、唯一の外国建造船として生き抜きました。
 ──骨力とはどこでわかるのでしょう。
 見ればわかると言うんです。そのかわり、計算でもなければ、科学技術でも造れない。理屈では説明がつかないので、自分で?(つか)むしかないのですが、この思想を平井社長からお聞きした際、私が子供の頃から生命力として考え続けてきたことが、骨力と結び付けました。そして、平井社長は、それを知る力こそが『愛』の力ではないか、それも強い『恋』の力ではないかと言っていたのです。平賀譲は、それを見る力は『祈る』から生まれる力と言っていたそうです。 
 ──具体的に説明していただけますか。
 骨力という言葉そのものは、古代中国の『晋書』に見えるものです。その中で、『書』の真の価値を見分ける方法として出てくる言葉です。つまり、いい書には『骨力』があるということです。書聖、王羲之(おうぎし)とその子、王献子を比べ、字は献子の方がうまいが、どうしても父にはかなわないものとして『骨力』が挙げられているのです。勢いというか、生命のようなものでしょう。しかし、それを『書』の技術ということで表している。だから、それは現世的な思想に結び付く考え方を必ず含んでいるのです。その中国思想の特色が、近代になっての技術に結び付いたのではないかと私は思っています。中国思想は徹頭徹尾、実利的であるところが一番の特徴、たとえば日本が仏教を正しく理解し、最も仏教が栄える国になれたのは、中国を経由したからでしょう。
 古代インド哲学は、ものすごく宇宙的で瞑想的でしょう?それをお経を中国語に直したり、天台宗などが哲学に変容させてから、日本へと伝来してきました。禅思想もインドだと、一生、山の上に座って瞑想して終わりですが、中国を経由して『禅』として日本に入ってきたことで、武士道へとつながって行きました。
 ──観念が実利的なものに?
 そうです。宇宙哲学がビジネスや戦争といった〝現実〟と融合することが可能になる。これは中国思想がもたらした作用です。
 明治までの日本人が明らかに骨太なのは、漢文の素養があったからです。漢文というのは中国哲学です。現世的で、道徳的で、人間を縛りつける。でも縛りつける分、思想に吹き飛ばされずにすむんです。
 ──そういえば、漢文には孫子韓非子、様々な兵学がありますが、インド思想には目立った兵法はないような。
 そうですね。だから、目に見えない生命の力やその生命が生きる運命の力を『骨力』という言葉で覚えることがすごく大事なのです。〝生命力〟と言ったのでは、インド的で放散してしまいますが、『生命力=骨力である』と言うと、現世にぐーっと入ってきます。骨力に技術的で現世的な力を持っている言葉なんです。
 私は20代の前半、平井社長からこの『骨力の思想』を学ぶことで、『現世』を手に入れたと思っています。大学生までさんざん勉強してきた文学、哲学、宇宙、生命が〝実務的なもの〟とはじめて結び付きました。
 ……
 名付けて『3パーセント 97パーセント理論』。これも平井社長に教えてもらいましたが、自分で名付けました。
 『何か問題にぶつかったときに、重要なことは100のうち必ず3しかない。残りの97から98はゴミみたいなものだ。人間というのは、どうでもいいものに気を取られているが、ある問題を乗り越えるために重要なのは100のうち必ず、2つか3つしかない。それに突進するのだ。その勇気だけが大切なんだ』という教えです。これは、逆に考えれば楽な考え方なんです。だってその2つか3つをやれば100すべてをやったのと変わらないということなんですから。この思想は、私は入りましたね。この思想だけで、私は今日まで好き勝手やって儲かり、かつ生きてもいます。
 ここで誰もが疑問に思うのは、『その2つ3つをどう見分けるのか?』ですが、平井社長は『その2つ3つの問題を選ぶのは簡単だ。お前が今日の今、このときに一番やりたくない、嫌だと思っていることが、その2つか3つなんだ』と。
 ──嫌なことから逃げるなと。
 そんな単純なことではありません。もっと奥が深い。まずは、逃げずに、その2つか3つを突き進んでやれということはあります。そして、それはその時、最もやりたくないことなのだということです。しかも、あとの97をやっている方が一番やっているように自分も感ずるし、はた目からもそう見えるそうです。そして、2つ3つの大切な事柄はそのほとんどが人の目に見えづらく、やっても怠けているようにしか見えないことも知らなければならないということなのです。
 また、『何かにぶつかったとき』というところがミソで、つまり選ぶとき、これだとは言えない。それぞれの状況によって違うのですから。
 ──2つ3つなら、全力で出来そうな気もします。
 平井社長いわく、『真面目な努力家というのは、97ばっかりやるけれども、逃げ道としてはそのほうが楽だからで、2つか3つをやっている人は、一見、やっていないように見えるが全員に共通していることだ。歴史的に重要なことを成し遂げた人を見ても、暇そうで、遊び人で、不真面目な奴だと周囲から見られている』と。
 ──忠臣蔵大石内蔵助ですね。
 うん、それは近い。なぜ暇そうに見えるかというと、その嫌いなことは、その人にとって嫌いなことだから、他の人には気付かれないんです。だから何もやっていないように見える。
 ──非常に個人的な問題が多いと。
 必ず個人的だから、共通の答えはないんです。〝一番嫌なこと〟としか言えない。ただ人生において何か問題にぶつかったとき、『俺はこれだけは死んでも嫌だ』と思う、その対象にこそ、恐れずにぶつかっていけとう教えなんです。
 私は死ぬほど読書が好きですが、ビジネス書はおろか、経営理論の本だけは一冊も読んだことがありません。私のビジネス哲学はこの『3パーセント 97パーセント理論』、ただひとつです。その他には、人物像として出光佐三の生き方があるだけです。」
   ・   ・   ・ 
 日本は、三元論で二項割合(二項比率)。
 欧米は、二元論で二項対立。
   ・   ・   ・   
 日本は、神・悪魔、男・女、善・悪、正・邪、美・醜、生と死、水と油、勝者・敗者、強者・弱者という断絶的に「分断させる」二元論ではなく、白と黒の間の灰色、完全と不完全の間の未完成、光と影の間の薄明かり、海と陸の間の渚といった橋渡し的に「つなげ」三元論であった。
 昔の日本人は、物事をハッキリさせる勇気がなく、何とか対立を避け、喧嘩しないようにする為に数多くの合間、中間、中性を設けて逃げ回った。
 日本人は、喧嘩が下手である。
 日本に世界のような息苦しさがないのは、イエスでもノーでもない、どっち付かずの曖昧な存在を数多く作り出したからである。
 気の小さい日本人は、物事をハッキリさせず中途半端に放置してきた。
 日本の特性は、我を張らない、欲張らない、執着しない、必要以上に欲しがらないという「まあまあ、なあなあ」の物事に拘らないという曖昧である。
 世界から「個性がない」と非難される、「適当」「ほどほど」「ちゃらんぽらん」「いい加減」である。
   ・   ・   ・   
 気の弱い日本民族は、人類が共有できる様な地球規模の普遍的絶対価値観としての、天地創造や人類誕生同様に、死後の世界としての「天国と地獄」を創る事ができなかった。
 ゆえに。日本文明の核である日本中心神話には、高天原に住む天つ神の天国と忌み嫌われたおどろおどろしい神々が住む黄泉の国はあっても、死んだ人間がゆく天国も地獄も存在しない。
 神道とは、常識を持った宗教の中で、非常識な異質の宗教である。
   ・   ・   ・    

   ・   ・   ・   

日本人の価値観 (異文化理解の基礎を築く)

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日本人の価値観 - 世界ランキングを読み解く (中公選書)

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日本人の価値観―「生命本位」の再発見

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🔮82)─1─西日本と東日本の違い。家構造・家族類型。日本史=二本史。 〜No.169No.170  *

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   【東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博】・
 日本は、寛容そして多様性や柔軟性をわざわざ求めなくても、古代から既に備わっている。
 その証拠が、純血種ではなく混血の雑種民族と言う事である。
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 2018年10月号 新潮45「二本史 家族人類学的ニホン考  鹿島茂
 1 東西日本で分かれる家族のかたち
 日本人の二つの〝住まい方〟で読み解くまったく新しい日本史。
 日本史は二本史?
 日本史にまったくの門外漢なのだが、アマチュアとして日本の歴史を考えただけでも、『日本史=二本史』として考えたほうが合理的な解釈ができるように思えることが少なくない。つまり、本来は二つの系統の歴史であるべきものが、またま日本列島という一つの地理的単位の中に併存してしまったため顕在的には一つの日本史のように見えるのだが、潜在的にはずっと二本の歴史のままでありつづけて今日に至っているということになるのである。
 といっても、この『日本史=二本史』という発想は私のオリジナルではいささかもない。日本の全国を自分の足で歩いた優れた歴史家や歴史小説家なら気づかないはずはなかった歴然たる事実なのである。
 たとえば、日本歴史学パラダイムを転換させた歴史家・網野善彦は講演『日本史の転換点としての中世──東国と西国』(『列島の歴史を語る』ちくま学芸文庫)の中で、こう述べている。
 『まず歴史学以外の分野、方言、言語、社会学等の学問研究の成果を見てみますと、日本のいろいろな問題を取り上げる場合に、≪東日本≫と≪西日本≫とに分けて考えておられることが多いのです。方言の面で≪東と西≫の間には大きな違いがある。これはもう、東国方言、西国方言の違いとして有名なことですし、民俗の面でも、端的に言って≪東日本≫はタテ社会、≪西日本≫はヨコ社会と言える。(中略)例えば、「宮座(みやざ)」というものが≪東日本≫にはほとんどないという現象や神社のあり方、家父長権は≪東≫に強くて、≪西≫のほうはずっと弱いとか、他にいろいろな事例を挙げることができます。(中略)このように、≪東と西≫の違いに目を向けていきますと、極論すれば、万が一ある外部的条件が整っていたならば、日本の≪東と西≫の社会はなにかの作用によって二つに分かれた民族になり、国家になってしまう可能性もあったのではないかと思えてくる。そう考えざるを得ないほどの相違が≪東と西≫にはあったと思います』
 つまり、網野善彦は、歴史の蓋然(がいぜん)線がどこかで別の仕方で交錯していたら、日本国は、二本の異なった歴史をもつ別の国となっていたかもしれないと考えているのである。
 もう一人、日本史は二本史だと主張している人に司馬遼太郎がいる。『この国のかたち』で展開される司馬史観を要約すれば、大きく二つのポイントにまとめることができる。一つは、開拓農民の素朴なリアリズムから出発した武家政権が、徳川幕府に至って宋学朱子学)の影響で硬直したタテ型構造に変質したという点。徳川幕府が東日本に置かれていたことから、この東日本的タテ型構造が公式的な(表面的な)一本目の日本となった。もう一つは、幕府から遠く離れた西日本には、土着的な平等主義が残存し、これがヨコ型構造を生んで、二本目の日本となった。幕末に至ってこれらの二本の日本は特殊なかたちで交差し、明治維新という革命を生み出す。これが司馬遼太郎の『飛ぶが如く』などで描き出した『日本史=二本史』の史観である。

 さて、以上で、二本を代表する歴史家と歴史小説家がともに『日本史=二本史』という史観を採用しているということはご理解頂けたかと思うが、しかし、そうなると、何も門外漢のお前が同じようなことを書き連ねる必要はないじゃないかとツッコミが入りそうなので、ここであらかじめ、この連載の目的をはっきりとしておくことにしよう。
 『日本史=二本史』である理由をその根源にまで遡って解明すると。いいかえると、日本史はなにゆえに二本史としてあり続けるほかはなかったのかという謎を考察すると、これが本稿執筆の動機なのである。
 この目的に到達するには、さまざまな手段・方法が考えられるだろうが、私は、エマニュエル・トッドによって確立された家族人類学の立場からこれに答えを出してみたいと考えている。副題を『家族人類学的ニホン考』としたのはそのためである。
 だが、家族人類学とはいったい何なのか?
 家族類型に還元
 家族を人間の生みだしたあらゆる要素の中で、変化を蒙ることの最も少ない恒常的要素と見なし、民族や国家、あるいは地域集団の無意識はここから演繹(えんえき)されるという立場に立つ。これが『学』として成立するのは、研究者が設定した分類基準により、家族が何通りかに分類されるばかりか、その家族類型の原初的な差異が、数千年後に大きな差異を引き出すという仮説が統計などで検証可能だからである。つまり、現実に観察される民族・国家あるいは地域共同体のメンタリティの違いなどは家族類型に還元して考えると非常に説得的な説明ができるのである。
 しからば、これまでの家族類型にはどのようなものがあったのか?
 最も分かりやすいのは、核家族と大家族(学術用語では拡大家族)という二分法である。その分類基準は、結婚した子供が親夫婦と同居するか否かというものである。同居しない場合は核家族、同居する場合は夫婦二組以上あるから拡大家族と呼ぶ。これはモルガンの『古代社会』に始まり、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』を経て現代にいたる最も常識的な家族類型である。
 第二の分類法は19世紀の社会学フレデリック・ル・プレーが提唱した三分類法に基づくものである。核家族(ル・プレーはこれを不安定家族と呼ぶ)はモルガンと同じだが、拡大家族が『直系家族』と『共同体家族』に分けられる。『直系家族』は親夫婦と子供夫婦一組が同居し、他の子供夫婦は家から出ていくタイプ、『共同体家族(ル・プレーの用語では家父長的家族)』は親夫婦と子供夫婦二組以上が同居するタイプである。
 第三は、エマニュエル・トッドがル・プレーの分類法を改良してつくった四分類法で、これは親子夫婦の同居・別居というタテ軸基準に加えて兄弟姉妹の遺産相続の平等・不平等という横軸基準に置く。すなわち、親子同居で兄弟平等の『共同体家族』、親子同居で兄弟不平等の『直系家族』まではル・プレーの分類と同じだが、これまで一分類しかなかった核家族が親子別居で兄弟平等の『平等主義核家族』と親子別居で兄弟不平等の『絶対核家族』に二分されたのである。トッドはこの四分類法を用いてヨーロッパを分類し、『共同体家族』はロシア型、『直系家族』はドイツ・スウェーデン型、『平等主義核家族』はフランス、スペイン、ポルトガル型、『絶対核家族』はイングランド・オランダ型とした。
 ところが、トッドは後に、言語学者のロラン・サガールの助言を容れて自説を全面的に修正し、近著『家族システムの起源 Ⅰ ユーラシア』では『母方居住』『父方居住』『双処居住』という三分類の基準を新たに加えて、別表に掲げたような十五分類の家族類型を提唱した。その眼目は、レヴィ=ストロール構造主義を捨てて、アメリカ人類学の伝播説を再評価することで、家族人類学を歴史と接続したことである。
 さて、以上、家族類型の分類法を簡単に説明したつもりであるが、しかし、意味のわからない専門用語の列挙が眠りを誘発することもまた明らかである。とくにトッドの十五分類は頭に入りにくい……
 ……最新のトッド理論で『父方居住』『母方居住』『双処居住』という分類基準への傾きが大きくなってきたことなのだが、日本の歴史を『二本史』として再考したいと考えているわれわれにとって、この新区分の導入が非常に大きな意味を持つということだ。なぜなら、これまで『直系家族』地域と単純に色分けされていた二本が『父方居住』『母方居住』『双処居住』という新基準の導入により、新しい色分けのもとに姿を現したからである。
 大ざっぱに言えば、東日本は『父方居住』地帯、西日本は『双処居住』プラス『母方居住』地帯に色分けできるのだが、……」
   ・   ・   ・   
 南北に細長い日本列島で、広い平野は少なく、大半は山や川で細切れのように狭い土地に分断・隔絶された住環境ゆえに、単純に一つの類型で日本国論・日本民族日本人論を表現できない。
 ハッキリと、日本国とはこういう国である、日本民族日本人はこういう人間である、と公言している日本人は信用するに当たらない日本人である。
 但し、外国人が世界基準で多少偏った日本国論や日本民族日本人論で自由に論じるのは構わない。
 そこで、明解にしておくべき事は、日本と中国・朝鮮・韓国とは完全に別物であり、中国・朝鮮・韓国の考え・基準では日本を説明できないし理解できない。
   ・   ・   ・   
 日本文明と中華文明(中国・朝鮮・韓国)とは、一衣帯水関係でない以上、切り離して考えるべきである。
 喩えれば、西洋キリスト教文明と中東イスラム教文明と言うところである。
 故に、日本と中国・朝鮮・韓国とは、フランスとドイツのような関係ではない以上、如何なる時代においても歴史を共有する事は不可能である。
 歴史の共通認識などはありえない。
 日本にとって朝鮮は見るべきのは少なく、強いて言えば高麗人参など幾つかの漢方薬の生薬と高麗青磁などの陶芸技法のみである。
   ・   ・   ・   
 日本民族日本人・琉球人・アイヌ民族・台湾先住民と同じ、南方系海岸モンゴロイドと北方系雪原モンゴロイドの混血児である縄文人の子孫である。
 日本民族日本人は、その中に西方系草原モンゴロイドの血が更に混じっている。
 日本民族日本人とは、混血の雑種民族である。
 中国人(漢族系中国人)と朝鮮人は、西方系草原モンゴロイドと北方系雪原モンゴロイドの混血であるが、西方系草原モンゴロイドの方が血が濃い。 
 琉球人(沖縄人)・台湾先住民とアイヌは、人類移動の歴史を見れば西方系草原モンゴロイド主流の中国人や朝鮮人とは縁が薄い。
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 フランスとドイツは、祖先を辿れば同じフランク族である。
 フランスは西フランク王国であり、ドイツは東フランク王国である。
 因みに、イタリアやオランダは中フランク王国であった。
 フランスとドイツの関係は、日本と中国・朝鮮ではなく、東日本と西日本そして日本民族日本人と琉球人・アイヌ民族・台湾先住民に近い。
 ガリア人・フランク人・ゲルマン人を根拠にすれば、スペイン・ポルトガルポーランドなどの東欧諸国を除くヨーロッパ半島の諸国フランス・ドイツ・イタリア・オランダなどは一つにまとまる事ができる。
 イギリスとスカンディナヴィア半島諸国・バルカン半島諸国は、大陸ヨーロッパの一員にはなれない。
 現代ギリシャは、古代ギリシャとは無縁ではあるが西洋文明の発祥地ゆえに無条件で大陸ヨーロッパに参加できる。
 ロシアが、大陸ヨーロッパの一員になれないのは当然である。
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 人類史・世界史・大陸史から見れば、日本には中国、韓国・朝鮮とひとつにまとまる共通性は少ない為に、中国を中心とした東アジア共同体構想・大中華共栄圏構想に参加する事は不可能である。
 もし、東アジア共同体・大中華共栄圏が成功するとすれば、日本が移民国家として中国人移民を大量に受け入れた時、つまり日本民族日本人を少数派にするか消滅させた時である。
 だが、少子高齢化による人口激減対策として外国人移民1,000万人計画を実行すれば、東アジアを中国中心の中華世界として統一できる。
 それは、アジア史・東アジア史どころか人類史・世界史・大陸史における快挙か悲劇である。
 日本嫌いの日本人にとって、慶事、喜ばしい事である。
 いずれにしても、日本民族日本人は、男性精子の劣化・老化と女性卵子の老化で生殖能力・繁殖能力を衰退させ消滅へと向かっている。
 つまり、日本列島で生殖能力と繁殖能力の旺盛な民族による新たな大移動が起きようとしている。
 日本に移住してくる民族とは、漢族系中国人である。
 中国系日本人が多数派になり、日本民族日本人が少数派になる。
 少子高齢化による人口激減が深刻化すれば、中国系日本人が爆発的に増加する。
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 日本が嫌いな日本人が増えれば、日本民族は死滅・消滅する。
 戦後の反戦平和歴史教育は、日本嫌いを量産する洗脳教育であった。
 反戦平和歴史教育とは、東京裁判史観(キリスト教史観とマルクス主義史観・共産主義史観)そして1980年代後半からの自虐史観(日本人極悪非道な重犯罪人史観)である。
 それは、天皇制度の廃絶と天皇家・皇室の軽視もしくは無視である。
 そうした反戦平和歴史教育で量産されているのが、高学歴出身知的エリートである。
 戦後の平和教育、つまり現代教育は、国民国家日本を一つのまとめ、日本民族日本人を一つに団結させていたきた伝統的家・家庭・家族を崩壊させる事に力を入れてきた。
 主体性を持った自立を絶対真理として、公より私、集団より個人でまとまりや団結を解体し、孤立化・孤独化して社会をバラバラに崩壊させる事であった。
 それが、日本社会に浸透したのが1990年頃からである。
 1995年の阪神淡路大震災や2011年の東日本大震災・第一福島原発事故における、政府や議会、政治家や官僚の対応に。
 そして、2018年のモリ・カケ問題における嘘と詭弁と改竄された公文書の提出などなど、恥じない高学歴出身知的エリート達。
 思慮分別なく傲慢になっている政権与党と無能無策で役に立たないていたらくな野党、そして無意味な正論を美辞麗句で並べ立てるが言葉に誠意や真意もないメディア。
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 人口激減対策として、外国人移民1,000万人計画が実施されれば、日本の伝統的家・家庭・家族は消滅して、外国由来の家・家庭・家族が日本で広まる。
 男性精子の劣化・老化と女性卵子の老化で生殖能力・繁殖能力が衰退し、日本民族日本人は死滅へと進んでいる。
 だが、それは日本人が自らに選択した事で自業自得と言うしかない。
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 歴史は繰り返さない以上、壊したモノ・壊れたモノは二度と再生できないし戻っては来ない。
 自然災害による住環境破壊は、必ず元に戻せる。
 だが、人災による自然破壊は、決して元には戻せない。
 つまり「覆水盆に返らず」である。
 ゲームセットは、一度切りで、やり直す事ができない。
 昔の日本人は、現代の日本人と違ってその事実を知っていた。
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 現代日本人は、江戸時代後期・幕末期の下級武士・庶民(百姓・町人)・賤民・部落民達とは別人である。
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 地球上には、人間や生物の移動を遮る境界・国境などは存在しない。
 人類史とは、滅亡する民族と勃興する民族が入れ替わる歴史である。
 日本民族日本人のみが、未来永劫、日本列島で生き続ける事はあり得ない。
 古い日本民族日本人は死に絶え、新しい日本民族日本人が生まれてくる。
 言い方を変えれば、人間のイノベーションである。
 世界は、死滅した古い日本民族日本人の新たに生まれた日本民族日本人も同じ日本民族日本人と見なす。 
 つまりは、在来種としての日本民族日本人でも、外来種としての外国系日本人・中国系日本人でも、日本国民日本人から見ればたいした意味がない以上どちらでも構わないのである。


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東と西の語る日本の歴史 (講談社学術文庫)

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