🗻111〕─1─元寇「幕府軍が一騎打ちでボコボコにされた」は本当か。「八幡愚童訓」~No.269No.270 

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 2021年6月21人 MicrosoftNews JBpress「元寇幕府軍が一騎打ちでボコボコにされた」は本当か
 © JBpress 提供 (写真はイメージです/Pixabay)
 © JBpress 提供 「蒙古襲来絵詞」に描かれた、元軍に突進する竹崎季長
 (花園 祐:上海在住ジャーナリスト)
 鎌倉時代を代表する歴史的な戦いといえば、1つは「承久の乱」(1221年)、そしてもう1つは、元軍(モンゴル軍)が九州に侵攻してきた「元寇」(1274年、1281年)で間違いないでしょう。
 特に後者の元寇は、中世日本における唯一の国際戦争であり、規模も近現代以前では最大級と言っていいほど大規模なものでした。なんといっても、中国大陸を支配するまでになった強大な軍隊が日本を攻めてきたのです。日本社会に与えた影響はきわめて大きく、後の鎌倉幕府崩壊の遠因にもなったと指摘されています。
 そんな日本人ならだれもが知る元寇ですが、近年に入り新しい発見や新説の発表が相次いでいます。それらの研究の進展に伴い、これまで半ば常識と見られていた定説が大きく覆される事例も出てきました。
 そこで今回から3回にわたり、歴史学者である服部英雄氏(九州大学比較社会文化研究院名誉教授)の著書『蒙古襲来』(山川出版社)を参考資料として、鎌倉時代の日本を揺るがした元寇について取り上げたいと思います。
 初回の今回は、1274年に起きた「文永の役」こと第一次元寇に関して、日本の武士の一騎打ち、そして元軍の残虐行為の有無を検証します。
 なお、中国王朝としての「元」朝の成立年は1271年ですが、本稿ではその前身となったフビライ・ハーン率いるモンゴル帝国も含めて「元」と総称しますのでご了承ください。
 一騎打ちなんてなかった?
 これまでの日本の歴史教育では、元寇に関して、元軍の兵器や戦術に鎌倉幕府軍は大いに苦戦させられたと教えてきました。その際、日本側の「一騎打ち」が通用しなかったとの説明もなされてきました。
 当時の日本の戦は、武士団の大将同士が戦闘前に名乗りをあげて一騎打ちで戦うスタイルだったのに対し、元軍は複数人がまとまって戦う集団戦法を採っていたという説明です。両者が戦ったら集団戦法の方が強いに決まっており、この戦法の差によって幕府軍はさんざん打ち負かされたと言われてきました。
 しかし、当時の武士が本当に時代錯誤な一騎打ちを行っていたのかについて、近年は疑義が唱えられるようになってきています。
 たとえば、実際に元寇で戦った竹崎季長(たけざき・すえなが)が恩賞獲得目的で戦闘の実態を描かせた「蒙古襲来絵詞」(もうこしゅうらいえことば)という絵巻物の描写とは一致しないのです。
 蒙古襲来絵詞の中に、文永の役竹崎季長本人が一騎で突進し、馬が元軍兵士に射殺される場面があります(歴史の教科書で見たことがあると思います)。この絵が、よく一騎打ち文化の証拠とされてきました。しかし蒙古襲来絵詞の別の箇所では、複数人の騎馬武者がかたまりとなって弓で射かける場面も描かれています。
 また蒙古襲来絵詞には、竹崎季長が家子郎党とともに行動している記述もあり、日本側も集団戦が基本であったことが伺えます。中国側の資料にも、幕府軍は四方から押し寄せて来たなどという戦況が描かれています。時代錯誤な一騎打ちで戦っていたという記述はみられません。
 根拠とされた史料は“トンデモ本
 では、なぜ幕府軍が一騎打ちをしていたと後世に伝わってしまったのか。服部英雄氏は、文永の役の重要史料とされてきた「八幡愚童訓」(はちまんぐどうくん)が原因であると指摘しています。
 八幡愚童訓とは、元寇が終わってから数十年後に書かれたとされる史料です。文永の役、特に対馬壱岐島における戦闘を描いた唯一と言っていい史料で、これまで両島における戦いに関する研究はほぼこの資料のみに依存してきました。先ほどの一騎打ち戦法の無力さに関する記述も、この八幡愚童訓を出典としています。
 しかし服部氏は、八幡愚童訓はきわめて信用性の低い史料であると断じています。事実関係をはじめ実態にそぐわない記述が多いからです。
 一例を挙げると、文永の役の戦闘期間について八幡愚童訓では「元軍の博多湾突入後、嵐に遭って即退散し、1日で終わった」というふうに記述されています。しかし服部氏の研究によると、他の史料では戦闘が少なくとも数日間は継続していたことになっています。また元軍の出発から帰還までの行程から計算してみても、即日退散したのでは日程がまるで合わないそうです。
 そもそも八幡愚童訓の記述は全体からして非常に怪しく、“トンデモ本”と言っても過言ではないような内容です。具体的には、幕府軍が元軍に散々に打ち負かされて退却した後、八幡神の化身である白装束の神兵30人が現れて元軍を追い返したので日本は守られたと書かれてあります。言うまでもなく、中国側の史料に神兵が出てきたなどという記述はありません。むしろあったら怖い。
 こうした信頼性に欠けるトンデモな内容にもかかわらず、八幡愚童訓は元寇における第一級史料として長年にわたり君臨してきました。その史料価値について、大正時代に疑義を唱えた学者もいたそうですが、その後の皇国史観もあってそうした声はかき消されてしまったそうです。
 「手に穴を開けて数珠つなぎ」は本当か?
 八幡愚童訓では、元軍の兵士が殺した日本兵の腸を食べていたなどと、元軍の残虐性を際立たせるような記述もみられます。しかし出典が出典なだけに、そんな記述を事実として取り扱うのは注意が必要でしょう。
 元軍の残虐性を示すエピソードとして、「対馬壱岐島で捕らえた女性の手のひらに穴を開け、ひもを通して数珠繋ぎにして船に括り付けた」という話も伝えられています。この話は日蓮宗の開祖である日蓮が書いた書状に書かれたものですが、逆を言うと、その日蓮の書状以外には一切見られない描写です。
 しかし、「手に穴を開けて数珠つなぎ」という描写は、やはりオーバーではないでしょうか。
 というのも、日蓮元寇以前に、仏法が栄えなければ日本は滅びると予言していました(立正安国論)。その後、元軍が現れると「ほら、言ったとおりじゃん」とばかりに自分の正しさを主張します。当時の日蓮は、言ってみれば元寇の脅威や恐怖を煽る側の立場であり、その残虐性を際立たせようとしたのは決して不思議ではありません。また、そもそも日蓮元寇の戦況を直接見ていません。伝聞でしか知らなかったということを踏まえると、上記の描写が事実であるかは疑わしいところです。
 元軍が日本の侵攻拠点として占領した対馬壱岐島で島民の虐殺を行い、島民を奴隷として本国に連れ帰ったことは、中国側史料にも記録されています。残虐行為があったことはほぼ間違いないでしょう。しかし「手に穴開け数珠つなぎ」に関しては、事実として扱うべきではないと思われます。
 今回は、近年になって見直されている文永の役に関する諸説について取り上げました。次回は、「弘安の役」こと第二次元寇について取り上げます。
 ・参考書籍:『蒙古襲来』(服部英雄著、山川出版社
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🎯4〕─23─慰安婦謝罪像、東京で展示を検討 韓国・平昌の私立植物園長。〜No.24 ③ 

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 … 韓国・平昌にある「韓国自生植物園」に設
 「慰安婦謝罪像」展示は「あいちトリエンナーレ2019」騒動の二の舞いになるのか。
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 天皇と日本が嫌いで韓国に協力する日本人達。
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 2021年6月20日16:07 MicrosoftNews 共同通信慰安婦謝罪像、東京で展示を検討 韓国・平昌の私立植物園長
 © KYODONEWS 韓国・平昌の「韓国自生植物園」に設置された少女像とひざまずいて謝罪する安倍前首相をモチーフとした像=19日(共同)
 【平昌共同】旧日本軍の従軍慰安婦問題を象徴する少女像と、その前でひざまずいて謝罪する安倍晋三前首相をモチーフにした像を設置している韓国の私立「韓国自生植物園」の金昌烈園長は20日までに、東京で両像の展示会の開催を検討していると明らかにした。日本の後援者を探している段階で、実現するかどうかは不透明だ。
 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で慰安婦問題を象徴する「平和の少女像」などに抗議が殺到し、企画展が中断された後、東京などで再び少女像の展示計画が進められていることが念頭にあるという。
 植物園は北東部、江原道平昌にあり、東京まで像を運ぶ計画。」
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2019-12-02
🎯4〕─14─「昭和天皇の写真をバーナーで焼き炎を踏み消す」映像が芸術作品とされる現代日本。〜No.15・ * 
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2020-07-27
☵16〕─10─韓国の良識。韓国の植物園に慰安婦像に謝罪する安倍首相像。~No.141
 2020年2月27日 産経新聞「「慰安婦像に謝罪する安倍首相像」 韓国の植物園が設置
 韓国・平昌にある「韓国自生植物園」に設置された少女像とひざまずいて謝罪する安倍首相をモチーフとした像(同園提供・共同)
 【ソウル=名村隆寛】韓国北東部の江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)にある「韓国自生植物園」が27日までに、慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像を園内に設置した。複数の韓国メディアが報じた。
 像は「永遠の贖罪(しょくざい)」と題され8月に一般公開される。韓国メディアによると、像を作成した彫刻家は「日本がぬかずき、われわれがいいと言うまで贖罪して初めて許しが考えられるということを形にした。安倍首相が(日本の朝鮮半島に対する)植民地支配や慰安婦問題への謝罪を避け逆の行動をしていることを刻み、反省を促す作品だ」と語ったという。
 同植物園の園長も「贖罪の対象を形にする必要があり、少女像(慰安婦像)と安倍首相で象徴させた」と説明している。ただ、この像をめぐって韓国国内ではネット上で称賛する声がある一方で、「外交的に非礼だ」「幼稚だ」との批判も出ており、賛否が分かれている。」
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 7月2811:53日 産経新聞「韓国の慰安婦に土下座像「日韓関係に決定的影響」 菅官房長官
 会見に臨む菅義偉官房長官=28日、首相官邸(春名中撮影)
その他の写真を見る(1/2枚)
 菅義偉(すが・よしひで)官房長官は28日午前の記者会見で、韓国北東部の江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)にある「韓国自生植物園」が慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像を設置したことについて「事実関係は確認していない」としつつ、「国際儀礼上、許されない」と強い口調で非難した。その上で「仮に報道が事実であれば日韓関係に決定的な影響を与えることになる」とも語った。
 同時に「韓国側に対し、慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決を確認した日韓合意の着実な実施を引き続き強く求めていく」と重ねて強調した。
慰安婦像に謝罪する安倍首相像」 韓国の植物園が設置」
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 7月28日13:46 産経新聞慰安婦に土下座像「逆の方向に荒立てる」 公明・山口代表
 会見で記者団の質問に答える公明党山口那津男代表=28日午前、国会内(春名中撮影)
会見で記者団の質問に答える公明党山口那津男代表=28日午前、国会内(春名中撮影)
 公明党山口那津男代表は28日の記者会見で、韓国北東部の江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)にある「韓国自生植物園」が慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像を園内に設置したことを批判した。設置の経緯は「詳細には存じ上げない」としながらも「(問題の収束とは)逆の方向で荒立てていくことを遺憾に思う」と述べた。
 山口氏は、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した平成27年末の日韓合意を念頭に、「それを覆すような動きが韓国側で起きている」と指摘。「問題解決にあたった双方の努力をよく受け止め、問題の収束に努力する必要がある」と強調した。
慰安婦像に謝罪する安倍首相像」 韓国の植物園が設置」
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 7月28日17:14 産経新聞「韓国の慰安婦に土下座像、立民・福山幹事長「極めて遺憾。強く抗議したい」 
 立憲民主党福山哲郎幹事長=15日午後、国会内(春名中撮影)
 立憲民主党福山哲郎幹事長は28日、韓国北東部の江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)にある「韓国自生植物園」が慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像を園内に設置したことを批判した。「報道が事実であるとすれば、極めて遺憾だ。強く抗議したい」と述べた。国会内で記者団の質問に答えた。
 同時に「日韓の二国間関係に非常に悪い影響を及ぼす。事実ならば、韓国政府に速やかに撤去するように求めていきたいし、日韓関係が決定的に悪くならないように善処を強く求めたい」とも語った。」
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7月28日18:03 産経新聞「韓国外務省「外国首脳には国際礼譲」 慰安婦に土下座像で
 韓国・平昌にある「韓国自生植物園」に設置された少女像とひざまずいて謝罪する安倍首相をモチーフとした像(同園提供・共同)
 【ソウル=名村隆寛】韓国北東部・江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)の「韓国自生植物園」に慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像が設置された問題で、韓国外務省報道官は28日の定例会見で、他国の首脳を礼遇するという国際慣例を考慮すべきだとの立場を示した。
 報道官は、事実確認の必要があるとした上で、「一般的に外国の指導者級の人に対しては国際礼譲がある」と述べた。また、問題の像は私有地にあることから、とりうる対応については「法を綿密に調べねばならない」と語った。」
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7月28日19:06 産経新聞「共産・志位氏「コメントしない」 韓国の慰安婦に土下座像で  
 共産党志位和夫委員長=28日午後、東京・永田町(春名中撮影)
 共産党志位和夫委員長は28日の記者会見で、韓国北東部の江原道(カンウォンド)平昌(ピョンチャン)にある「韓国自生植物園」が慰安婦像にひざまずき謝罪する安倍晋三首相を模した像を園内に設置したことに対し、「韓国政府としての行動ではないと認識している。コメントしない」と述べた。」
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 7月28日20:48 Microsoft News KYODO 共同通信社「韓国の謝罪像「安倍首相を侮辱」 日本政府が反発、ネットの声意識
 © KYODONEWS 「韓国自生植物園」に設置された少女像と、ひざまずいて謝罪する男性の像=28日、韓国・平昌(聯合=共同)
 日本政府は28日、安倍晋三首相を侮辱する像が韓国国内で建てられたとして、反発した。旧日本軍の慰安婦問題を象徴する少女像の前でひざまずいて謝罪する首相をモチーフにしていると受け止めたためだ。像設置をきっかけに、韓国を非難する声がインターネット上で拡大していることを意識した対応。
 この像について、政府は「日韓関係に決定的な影響を与える」(菅義偉官房長官)との立場を韓国側に伝え、今後の推移を見守る構え。韓国の文在寅政権がどう反応するかが焦点になる。展開次第では、慰安婦問題を巡る日韓対立が再燃することも予想される。」
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☵59〕─1─スペインで見つかった「独島の古地図」は韓国の嘘を暴く。~No.470No.471No.472 

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 2021年6月19日 MicrosoftNews zakzak「東京五輪HPの竹島地図、表示怠れば「領土放棄」の口実に 韓国側は民間の省略地図を悪用し根拠主張 金正太郎氏リポート
 英国で開催された先進7カ国(G7)首脳会議では、東京五輪パラリンピック開催に力強い支持が得られた。ところが、韓国政府や同国の国会議員は、東京五輪パラリンピックの公式ホームページの日本地図に島根県竹島(韓国名・独島)の表示があるとして、理不尽な削除を求めている。日本側が地図で竹島表示を怠るリスクについて、フリーライターの金正太郎氏が現地取材をもとに警鐘を鳴らした。
 最初にイチャモンを付けてきたのは、韓国与党「共に民主党」の次期大統領候補である李洛淵(イ・ナギョン)元首相と、丁世均(チョン・セギュン)前首相で先月末、「削除しなければ五輪ボイコットも辞さず」と主張した。
 韓国メディアが報じて話題となり、韓国外務省は今月1日、在韓日本大使館に抗議し、国際オリンピック委員会(IOC)に仲裁を求める書簡を送付した。IOCは「東京五輪組織委は『政治的意図ではない』と説明している」と門前払いしたが、韓国側は11日に仲裁の書簡を再送付して執拗(しつよう)に削除を求めている。背景には、「反日」を煽って、文在寅ムン・ジェイン)大統領の政策失敗から世論の目を背ける狙いが透けてみえる。
 竹島は、歴史的にも国際法上も日本固有の領土だが、韓国が1954年から不法占拠している。
 もし、日本側が公式ホームページに竹島を表示しなかった場合、韓国側は「領有権放棄の決定的証拠だ」と言い出すことは間違いない。現に、韓国ではそのような動きが確認されている。
 韓国政府系の学術団体が運営するソウル市内の啓発施設「独島体験館」には、「日本の独島関連地図」として、島根県の地図が複数展示されている。戦前に個人や民間会社、島根県が発行した地図で、いずれも竹島が表記されていないため、韓国側は「日本の領土権がなかった証拠だ」などと主張する根拠にされているのだ。
 そもそも、民間の地図は何を描いても自由で、国家間の領土権をめぐる論争では証拠にならない。25年に島根県が発行した「島根県家畜市場案内地図」では竹島が省略されているが、不法占拠の29年前に発行されたうえ、畜産業者向けの実用地図のため、日本海竹島を省略したことも理解できる。
 ただ、独島体験館では、これらをプロパガンダとして利用している。
 韓国側は「五輪ボイコット」をチラつかせて大騒ぎしているが、日本側がトラブルを避けて一歩でも引いたら、向こうは付け込んでくる。日本は官民とも、日本地図には「竹島表示」を徹底すべきだ。
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 6月20日07:05 MicrosoftNews NEWSポストセブン「文在寅がスペインで見せられて狂喜した「独島の古地図」は、むしろ「韓国の嘘」をあばく動かぬ証拠だった
 © NEWSポストセブン 提供 古地図に見入る文大統領は歴史をまるで知らなかった(EPA=時事)
 G7サミットでは記念写真にも入れてもらえず意気消沈の文在寅・韓国大統領は、そのあと訪問したスペインで、またもや勘違い発言で恥をかいた。同国の上院図書館を訪問して見せられた18世紀の『朝鮮王国全図』に、「鬱陵島」と「于山島」が朝鮮の領土として描かれていたことに小躍りし、「独島(日本領「竹島」の韓国名)が韓国の領土であることを示す貴重な資料と言える」と宣言したのである。韓国のメディアやネット民も大喜びし、「この地図を複製して持ち帰るべきだ」などと盛り上がっている。が、残念ながら文氏も韓国世論も無知すぎる。この地図は、むしろ逆に韓国の竹島不法占拠を裏付けるものだからである。
 例えば19世紀末に韓国で作られた『大韓地誌』などでも、于山島は韓国領と記されている。これまで韓国は、「于山島は独島のことであり、歴史的に韓国領だった」と同じ主張を繰り返してきたが、今回のスペイン所蔵の地図でも裏付けられたように、この于山島は日本の竹島とは全く別の島を指しているのである。『日本人が知っておくべき竹島尖閣の真相』(小学館刊)に詳しいが、数々の歴史書や古地図から、于山島は竹島のことではなく、鬱陵島のそばにある小島「竹嶼」を指すことが明白だからである。
 大韓地誌では、于山島は鬱陵島に寄り添う小島として描かれている。鬱陵島の北東3キロに現在も存在する「竹嶼」は、鬱蒼とした竹林が広がる周囲わずか1.5キロの小島で、現地には「竹島地区」と表示された看板も立っている。スイカ畑が広がるのどかな島である。一方、本物の竹島鬱陵島から南東に90キロ以上離れており、古地図に描かれた于山島とは完全に矛盾する。さらに今回見つかった地図では、于山島はなんと鬱陵島の南西側(朝鮮半島に近い側)に描かれており、これが竹島を指すというのはひどいこじつけである。ちなみに、韓国の古地図でも于山島が鬱陵島の西側に描かれているものが見つかっており、この間違いは古くからあったようだ。
 当の韓国側の文献を調べれば、文氏や韓国政府の嘘がますます明白になる。15世紀に朝鮮で編纂された『世宗実録地理志』には、于山島についてこんな記述がある。
 「于山、武陵(鬱陵島のこと)の二島、県の正東の海中にあり、相去ること遠からず。風日清明なればすなわち望み見るべし」
 于山島が「竹嶼」のことであれば、鬱陵島からわずか3キロの距離だから、天気が良ければ「望み見る」ことができるのは当然だ。一方、本物の「竹島」は90キロも離れており、望遠鏡がある現代ならいざ知らず、当時はよほど天気が良くても鬱陵島から見ることは困難だし、「遠からず」と表現される距離ではない。さらに、その少し後に作られた16世紀の地理書『新増東国輿地勝覧』には、鬱陵島から望む于山島について、「樹木やふもとの渚が歴々と見える」と記されている。竹島には樹木はないから、これが竹島の記述でないことは明らかだ。まして、90キロも離れた竹島の樹木や渚が「歴々と(ありありと)」見えるはずがない。また、18世紀朝鮮の文献を集めた『東国文献備考』にはこうある。
 「鬱陵、于山はみな于山国の地。于山はすなわち倭(日本)のいわゆる松島なり」
 少し説明が必要だ。日本では古くは鬱陵島を「竹島」(おそらく竹林に覆われていたことによる)と呼び、現在の竹島は「松島」と呼んでいた。韓国は上記の記述を「于山は独島のことだ」とする根拠にしているが、ねじ曲げた解釈にも程がある。素直に読めば、日本が松島(現在の竹島)だけでなく、鬱陵島、于山島までを支配していたことを指すとわかる。これも多くの文献からわかっている史実と一致しており、その後、明治政府が竹島を正式に領土とする際に、鬱陵島、于山島の領有を放棄するかわりに「松島」を領有し、その際に名称を「竹島」に変えたのである。さかのぼると、江戸時代にも朝鮮の要請によって徳川幕府鬱陵島に進出していた日本の漁民に渡航禁止を命じた記録がある。つまり、日本人はその頃までは竹島(当時は松島)はもちろん、鬱陵島や于山島まで進出して実効支配していたが、江戸・明治期に、鬱陵島と于山島は韓国に譲り、竹島を領有したのである。
 挙げればキリがないが、朝鮮側の文献をもう一つ。15世紀の歴史を記した『太宗実録』に、こう書かれている。
 「武陵島は周囲が七息(息は長さの単位で1息は約13キロ)で、傍らに小島がある。その田(畑のこと)は五十余結(結は面積の単位で1結は約1ヘクタール)で、入る道は人ひとりがやっと通れるくらいで、二人が並ぶことはできない」
 現在の「竹嶼」にも島に入る狭い道があり、その先にスイカ畑が広がっている。この記述からは、およそ600年前にはすでにこの小島が広く知られていたことがわかる。なお、本物の竹島には島に入る道などなく、畑になるような土地もなければ、前述のように樹木も生えない岩稜の島である。この記述が竹島を指したものでないことは言うまでもない。
 そして、明治時代に日本が正式に領土とした竹島は、戦後のどさくさに紛れて韓国の李承晩・大統領が不法占拠した。アメリカも公式文書で日本の領土であることを通告していたが、韓国は今日に至るまで占拠を続けている。そうした歴史や文献を知らないのか、知っていて嘘をついているのか、文大統領や韓国政府の蛮行は、ますますエスカレートしている。スペインで見つかった地図にも「于山島」が記述されていたことは、むしろ日本が国際社会に対して韓国の嘘を証明する動かぬ証拠となるだろう。
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 6月20日15:53 MicrosoftNews 東スポWeb「【東京五輪竹島表記問題がついにIOC本部に飛び火
 © 東スポWeb 韓国側の執拗な猛抗議で竹島表記問題はIOCへ飛び火
東京五輪ホームページにおける竹島(韓国名・独島)の表記問題が、ついに国際オリンピック委員会(IOC)の本部に飛び火した。
 韓国では東京五輪が近づくにつれて竹島表記問題への関心が高まる中、スイスのIOC本部前で韓国団体による激しい抗議活動が行われた。
 韓国紙「新亜日報」は「ローザンヌにあるIOC本部前で、従業員の出退勤時間に合わせて韓国人留学生や海外の同胞たちが集まって東京五輪の独島表記や、旭日旗を五輪の応援で使用できることに対応する集会が開かれた。IOCの政治的中立とオリンピック精神を守る責任ある姿勢を要求するスローガンが書かれたプラカードやパンフレットを使ってメッセージを伝えた」と報道。竹島表記の削除と旭日旗の使用禁止を強く訴えた。
 今回の抗議活動を主導した棒材輝氏は「IOCは五輪が日本の政治宣伝の舞台に変わるのを見ても知らないふりをしている。平昌五輪の時、IOCが日本の問題提起を受け止めてコリア統一旗の中にある独島を表記しないよう勧告したが、東京五輪のホームページで日本の領土として描かれた独島はなぜ知らないふりをするのか。日本の〝戦犯機〟を利用した応援にもなぜ沈黙しているのか聞きたい」と意図を語った。
 これまでは韓国内にとどまっていた抗議活動が、IOC本部にまで飛び火したことで今後大きな波紋を呼びそうだ。
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☵58〕─1─止まらない韓国の反日暴挙。左傾化する政界・官界・学界・法曹界の支配階級。~No.467No.468No.469 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 古代から、朝鮮(韓国・北朝鮮)は敵日・反日・侮日で日本との間に友好・善隣は存在しなかあった。
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 敵日派・反日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
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 2021年6月1817:12日 MicrosoftNews zakzak 産経新聞社「止まらない韓国の“反日暴挙” 誤り認めず詭弁を連発する背景に「官界の左傾化」による「運動圏文化」が影響か 政権人事に現れる文大統領の“贖罪”
 © 産経新聞社 止まらない韓国の“反日暴挙” 誤り認めず詭弁を連発する背景に「官界の左傾化」による「運動圏文化」が影響か 政権人事に現れる文大統領の“贖罪”
 韓国の「反日」暴挙が止まらない。東京五輪パラリンピック組織委員会ホームページの日本地図に、島根県竹島の表示があることにイチャモンを付けたうえ、韓国軍は15日、竹島周辺で軍事訓練を強行した。英国での先進7カ国(G7)首脳会議に合わせ、日韓両政府が簡略な首脳会談実施で暫定合意していたが、日本が一方的にキャンセルしたなどと「事実無根」の情報を流し、文在寅ムン・ジェイン)大統領が東京五輪の開会式に出席する意向という報道もある。隣国が自分勝手な「主張や批判、詭弁(きべん)」を連発する背景に、文政権下で加速した「官界の左傾化」が影響しているという。ジャーナリストの室谷克実氏が考察した。
  ◇  
 韓国の官僚の世界が、「運動圏」文化にヒタヒタと侵食されているようだ。韓国語で言う「運動圏」とは、従北左翼の過激な学生運動のことであり、そこに没頭していた人々を「運動圏出身者」と呼ぶ。
 文大統領も運動圏出身者だが、彼はある時期、司法試験を受けるため学業に専念した。
 日本の古い左翼用語を借りて説明すれば「肝心な時期に日和った」のだ。それが彼のコンプレックスになっていることは、「光州(クワンジュ)事件」の犠牲者に対する弔意表明の言葉などに明確に表れる。
 そうしたコンプレックスに対する、いわば「贖罪(しょくざい)」が、大統領府スタッフや、高級官僚に運動圏出身者を多数起用する人事になって現れている。
 運動圏とは、被逮捕歴が勲章として語られるような世界であり、彼らの多くは「資本主義的」な意味で言う“まともな職”に就いた経験がない。それは、「○○問題の専門家であり、市民団体の代表として実績を上げてきた」といった起用理由から透けてみえる。
 金大中(キム・デジュン)政権から本格化した、左翼系市民団体に対する政府の各種助成金-端的に言えば「左翼利権」で食べてきたグループなのだ。
 韓国の理論派集団は左も右も、李王朝の「両班(ヤンバン=最上級身分の支配階級)」に気脈が通じる。意識しなくても、朱子学の感覚を持つ。決して自分の誤りを認めない。失敗したら言い訳のための大義名分(=詭弁や虚偽)を考え出し、失敗を追及する者に罵詈(ばり)雑言を浴びせるのが彼らの得意技だ。
 韓国型の理論派は、自分が考える「本質」への取り組みが重要であり、他のことは些事だ。官僚は長年の経験を積み重ねてきて出来上がった「仕事の手順」を重視する。しかし、理論派からすると、その多くは「本質から外れた些事」に過ぎない。
 人は易(やす)きに流れる。上に立つ運動圏出身者が「そんなことはどうでもいい」と言えば、高級官僚も下級公務員も大部分はそれに従うのだ。
 日本政府の「福島原発処理水の海洋放出方針」に対して、韓国の政界・民間は大炎上した。「日本は全世界の人類に核攻撃を仕掛けようとしている」という激烈な非難もあった。これも、敵対者に対する非難は「たとえ話」を極限までエスカレートさせる運動圏文化の影響ではないかと私は思う。
 ■海洋放出「国際訴訟」発言の背景にも
 海洋放出方針をめぐっては、文大統領が「国際海洋裁判所への提訴」を口走ったことがあった。韓国政府は国際原子力機関IAEA)に“仲裁”を依頼した。こうした場合の“仲裁”とは、「あなた様の力で、悪い日本をぶっ叩いてください」という事大主義的な“制裁”の要請だ。
 大統領が口走った直後には、政府の内部研究会で「海洋放出は国際訴訟の対象にはならない」との結論が出ていたことが分かった。政府の別のタスクフォースでは、「海洋放出は科学的に見て問題ない」との報告書をまとめていたことも分かった。
 官僚機構がまともに動いていたら、大統領スタッフの中の誰かが、大統領にストップをかけただろう。研究会やタスクフォースの報告書は、大統領府に届かなかったのか。あるいは、スタッフが読まずに握りつぶしていたのか。運動圏文化の拡大と無縁のことなのだろうか。
 先日のG7首脳会議では、韓国の国営通信社が「日韓略式首脳会談を行うことで暫定合意していたが、日本側が一方的にキャンセルした」と報道し、加藤勝信官房長官が「そうした事実はまったくない」と強く抗議する“事件”があった。
 事の真相は…私には運動圏文化が絡んでいるとしか思えない。(室谷克実)」
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🗾23〕─2・B─縄文土偶は食用植物精霊像は日本中心神話と宮中祭祀に引き継がれた。~No.71 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 日本民族と中国人・朝鮮人が、異種異文である証拠が縄文土偶である。
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 縄文時代の宗教祭祀は日本中心神話と皇室の宮中祭祀の中に流れている。
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 縄文時代の宗教祭祀を認めない反宗教無神論マルクス主義史観。
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 2021年7月号 WiLL「歴史の足音  中村彰彦
 縄文の謎を解く卓見『土偶を読む』の衝撃
 縄文時代の遺跡から。素焼きの土器とともに土偶が発見されることはよく知られている。土偶とは土人形のこと。青森県つがる市・亀ヶ岡遺跡から出土した『遮光器土偶』、長野県茅野市・棚畑遺跡の『縄文のビーナス』、群馬県吾妻郡郷原の『ハート形土偶』などの写真は高校日本史の教科書にも載っている。
 では一体、縄文人土偶によって何を表現したのか。情けないことに、日本の考古学者たちはこの問題についてロクな答えを出せずに今日に至った。豊饒性を象徴する妊婦説、地母神説、目に見えない精霊説、宇宙人説などで、いずれもただの思いつきで定説にはほど遠い。
 ところが今年の4月下旬、この謎がみごとに解明した研究書が出版された。人類学者で竹倉土偶研究所を主宰する竹倉史人氏が、晶文社から出した『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』一千八百七十円。
 これは読まなければ、と思ってページを開いたら卓見とよく出来たミステリ以上の推理と論証の連続で、私は目から鱗が落ちる思いを幾度となく味わわされた。そこで今回は、近く考古学会の定説となるであろう竹倉氏の卓見いくつかを紹介しよう。
 なお縄文時代は1万6500年前に始まり、2350年前までの1万4000年あまりの長きにわたって続いたとされている。かつて縄文文化から弥生文化への移行は、狩猟採取(肉食中心)の時代から稲作(植物食中心)の時代への変化だと思われていた。
 しかし、青森県三内丸山遺跡などが発見された今日、縄文人は約5500年前の縄文中期から植物食の依存を強め、ヒエの野生種の栽培化、クリやトチノキの林の管理、マメ類の栽培などを始めたことが判明するに至った。
 一方、各地の縄文遺跡からシカやイノシシの角や骨が発見されるのは、縄文人が動物の霊に対する何らかの祭祀をおこなっていたことを物語る。ならば植物の霊に対する祭祀もあったはずなのに、その痕跡が見つからないのは何ゆえか。いや、すでに見つかっているのに、われわれがそれに気づいていないだけではないのか。このように思考した竹倉氏は、次のような仮説にたどり着いた。
 『土偶は当時の縄文人が食べていた植物をかたどったフィギュアである』
 これを実証するためには、どの土偶が何という植物に由来するのかを解説し、考古学的な裏付けを取らねばならない。本書では比較的よく知られた10種類の土偶が取り上げられているのだが、本稿ではそのうち3種類の検証過程を眺めてみよう。
 『遮光器土偶』は3200年前から2700年前までの約500年間、東北地方を中心に製作された。この土偶で注目すべきは、実はゴーグルを着けたような仮面ではなく、紡錘形にデザインされた四肢と腕の側部に造形された突起なのだ。突起はサトイモの側芽であり、土偶の頭部は親イモ、手足は子イモ、頭頂部のスペード形のものは子イモの葉、大きな目のように見える部分は子イモを取り出した後である。すなわち『遮光器土偶』はサトイモの精霊像であり、2700年前、忽然と姿を消したのは、気候の寒冷化が進んでサトイモ栽培が不可能になったためにほかならない。
 これと入れ違いに東北地方北部では、全身にびっしりと小さな三角形の刺突(しとつ)を施した『刺突文土偶』が出現する。このタイプは両腕の先がかならず捻(ねじ)れて向きが変わっている。この頃食べられはじめたイモ科の穀物の中で穂先が捻転(ねんてん)するのはヒエだけだから、これはヒエの精霊、刺突文はヒエ粒の表現だ。
 同時期に登場する『結髪土偶』に共通する特徴は以下のごとし。頭上に髪を結んだような造形があること、形から先の腕が細く帯状になること、上体が扇を開いた形状を呈(てい)すること、刺突文がある場合はヒエ粒より大きく、時には楕円形の粘土粒が肩に二列に貼付されていること。
 これはズバリ、イネの精霊であり、頭上の造形は稲穂ないし稲藁(いなわら)、上体の扇形は稲の実った稲株を横から見た形。帯状を呈する腕の先は細い稲の葉のアナロジーであり、大きな目の刺突文や粘土粒は稲先に実った米を示している。
 まことに快刀乱麻を断つが如き分析と総合の連続で、特に『遮光器土偶』の消滅と『刺突文土偶』『結髪土偶』の登場をサトイモの絶滅とヒエ・イネの栽培開始によって裏付ける手法には胸を打つほどの説得力がある。
 それししてもなぜ日本人は、1世紀以上も土偶の正体を突き止められなかったのか。この問題にも竹倉氏は答えを用意しており、
 『それは、ある一つの事実がわれわれを幻惑したからである。すなわち、それらの〈植物〉には手と足が付いていたのである』
 と書いている。これは『植物の人体化』と呼ばれるべき事象であり、氏が長く神話とアニミズムの研究をつづけるうちに発見した造形原理なのだという。この造形原理を適応すれば『今でも正体がわかっていない海外の先史時代フィギュアの謎を解くこともできる』そうだから、考古学ファンの端くれである私としては、氏の研究がさらに進展する日を楽しみにせずにはいられない。
 また考古学会にも一つ注文したい。それは、早く竹倉説を定説と認め、日本史の教科書に紹介してほしい、ということだ。竹倉説に則った土偶の読み解き方を教えられれば、少年少女たちが目を輝かせること請け合いである。」
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土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎
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 日本の歴史、日本国、日本民族は、石器時代縄文時代弥生時代そして古代日本・飛鳥時代奈良時代平安時代と1本の太い筋、血・命、心・身体で繋がっている。
 その太い筋の中に、琉球人(琉球民族)や蝦夷アイヌ人も存在している。
 つまり、縄文人を広義に解釈すれば日本民族琉球人(琉球民族)、蝦夷アイヌ人は血・命、心・身体を分け合った兄弟・姉妹である。
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 現代の高学歴日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がない為に、日本の歴史・日本国・日本民族が理解できない。
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 日本の歴史教育を支配してきたのは、日本共産党の影響下にあるマルクス主義日本学術会議であった。
 メディア報道機関における歴史特集も、反天皇反日マルクス主義記述が本論となっている。
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 日本国・日本民族は、ローカルな自然・科学・神話(崇拝宗教)の太い三本柱で支えられ、グローバルな信仰宗教・哲学・思想・イデオロギー(主義主張)は存在しないかあっても影が薄い。
 つまり、日本国・日本民族は自然中心と世間共同体で、世界は人中心と社会共同体である、という事である。
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 マルクス主義史観・共産主義史観、キリスト教史観、儒教史観や外国所縁の思想・哲学・イデオロギーでは、日本国・日本民族、日本文明・日本文化、日本そのものを説明する事は困難である。
 1980年代以降の現代日本を説明できても、それ以前の日本を古くなればなるほど説明できない。
 現代の歴史で説明できない事実が、①中世キリスト教会と白人キリスト教商人による地球レベルでの日本人奴隷交易、②江戸時代後期におけるロシアの日本侵略と東北諸藩の臨戦態勢、③日本陸軍によるシベリア出兵時における自己犠牲的ロシア人とポーランド人の子供救出、④日本人共産主義テロリスト・キリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇・皇族暗殺失敗事件、⑤昭和天皇東條英機松岡洋右松井石根ら、軍閥・軍部・陸軍によるユダヤ人難民保護・救済という人道貢献とA級戦犯の見せしめ目的でのリンチ的縛り首による処刑そして遺灰・遺骨を海上廃棄、の5つである。
 日本の歴史が正常に戻るには、5つの歴史的事実を正しく認識し嘘偽りなく正確に説明しない限りあり得ないし、説明できないうちは嘘の歴史教育を「洗脳」として子供達に教えている事になる。
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 日本文化とは、明るく穏やかな光に包まれた命の讃歌と暗い沈黙の闇に覆われた死の鎮魂であった。
 キリシタンが肌感覚で感じ怖れた「日本の湿気濃厚な底なし沼感覚」とは、そういう事である。
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 日本の文化として生まれたのが、想い・観察・詩作を極める和歌・短歌、俳句・川柳、狂歌・戯歌、今様歌などである。
 日本民族の伝統文化の特性は、換骨奪胎(かんこつだったい)ではなく接木変異(つぎきへんい)である。
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 御立尚資「ある禅僧の方のところに伺(うかが)ったとき、座って心を無にするなどという難しいことではなく、まず周囲の音と匂いに意識を向け、自分もその一部だと感じたうえで、裸足で苔のうえを歩けばいいといわれました。私も黙って前後左右上下に意識を向けながら、しばらく足を動かしてみたんです。これがびっくりするほど心地よい。身体にも心にも、そして情報が溢(あふ)れている頭にも、です」
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 日本の建て前。日本列島には、花鳥風月プラス虫の音、苔と良い菌、水辺の藻による1/f揺らぎとマイナス・イオンが満ち満ちて、虫の音、獣の鳴き声、風の音、海や川などの水の音、草木の音などの微細な音が絶える事がなかった。
 そこには、生もあれば死もあり、古い世代の死は新たな世代への生として甦る。
 自然における死は、再生であり、新生であり、蘇り、生き変わりで、永遠の命の源であった。
 日本列島の自然には、花が咲き、葉が茂り、実を結び、枯れて散る、そして新たな芽を付ける、という永遠に続く四季があった。
 幸いをもたらす、和魂、御霊、善き神、福の神などが至る所に満ちあふれていた。
 日本民族の日本文明・日本文化、日本国語、日本宗教(崇拝宗教)は、この中から生まれた。
 日本は、極楽・天国であり、神の国であり、仏の国であった。
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 日本の自然、山河・平野を覆う四季折々の美の移ろいは、言葉以上に心を癒や力がある。
 日本民族の心に染み込むのは、悪い言霊に毒された百万言の美辞麗句・長編系詩よりもよき言霊の短詩系一句と花弁一枚である。
 日本民族とは、花弁に涙を流す人の事である。
 日本民族の情緒的な文系的現実思考はここで洗練された。
 死への恐怖。
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 日本の本音。日本列島の裏の顔は、雑多な自然災害、疫病蔓延、飢餓・餓死、大火などが同時多発的に頻発する複合災害多発地帯であった。
 日本民族は、弥生の大乱から現代に至るまで、数多の原因による、いさかい、小競り合い、合戦、戦争から争乱、内乱、内戦、暴動、騒乱、殺人事件まで数え切れないほどの殺し合いを繰り返してきた。
 日本は、煉獄もしくは地獄で、不幸に死んだ日本人は数百万人あるいは千数百万人にのぼる。
 災いをもたらす、荒魂、怨霊、悪い神、疫病神、死神が日本を支配していた。
 地獄の様な日本の災害において、哲学、思想、主義主張そして信仰宗教(普遍宗教)は無力であった。
 日本民族の理論的な理系論理思考はここで鍛えられた。
 生への渇望。
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 日本の自然は、人智を越えた不条理が支配し、それは冒してはならない神々の領域であり、冒せば神罰があたる怖ろしい神聖な神域った。
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 現代の日本人は、歴史力・伝統力・文化力・宗教力がなく、古い歴史を教訓として学ぶ事がない。
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 日本を襲う高さ15メートル以上の巨大津波に、哲学、思想、主義主張(イデオロギー)そして信仰宗教は無力で役に立たない。
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 助かった日本人は、家族や知人が死んだのに自分だけ助かった事に罪悪感を抱き生きる事に自責の念で悶え苦しむ、そして、他人を助ける為に一緒に死んだ家族を思う時、生き残る為に他人を捨てても逃げてくれていればと想う。
 自分は自分、他人は他人、自分は他人の為ではなく自分の為の生きるべき、と日本人は考えている。
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 日本で中国や朝鮮など世界の様に災害後に暴動や強奪が起きないのか、移民などによって敵意を持った多様性が濃い多民族国家ではなく、日本民族としての同一性・単一性が強いからである。
 日本人は災害が起きれば、敵味方関係なく、貧富に関係なく、身分・家柄、階級・階層に関係なく、助け合い、水や食べ物などを争って奪い合わず平等・公平に分け合った。
 日本の災害は、異質・異種ではなく同質・同種でしか乗り越えられず、必然として異化ではなく同化に向かう。
 日本において、朝鮮と中国は同化しづらい異質・異種であった。
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 日本民族の感情は、韓国人・朝鮮人の情緒や中国人の感情とは違い、大災厄を共に生きる仲間意識による相手への思いやりと「持ちつ持たれつのお互いさま・相身互(あいみたが)い」に根差している。
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🗾43〕─3─沖縄・港川人は日本民族の祖先。琉球は日本民族の生誕の地。〜No.128No.129 ⑰ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 琉球人が先住民族であるのは、同族の日本人ではなく、異族である中国人や韓国人・朝鮮人である。
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 日本・日本人による、琉球・沖縄、琉球人・沖縄県民への偏見・差別は愚かな事である。
 自分と血の繋がった命・身体・心を分け合った祖先を貶し辱める穢れた現代日本人は、救いようのない、許し難い、遠ざけ排除すべき、下劣で低能でバカである。
 現代の日本人は、昔の日本人に比べて民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はない。
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 日本民族琉球民族は同じ血を引く同種同族である。
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 琉球民族日本民族は、宗教を大事にし、血の繋がった命・身体・心を分かち合う祖先を神として祀り仏として拝む人々である。
 琉球民族日本民族のローカル宗教とは、祖先神・氏神の人神崇拝宗教であって、グローバルな絶対神の信仰宗教ではない。
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 現代日本では、祖先が嫌いなキリスト教徒や反宗教無神論マルクス主義者による神殺しと仏殺しが進んでいる。
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 日本文明と琉球文明は、手漕ぎ丸木舟で航海する長江文明の流れを引く島嶼文明であり、草原大陸を軍馬で疾走する黄河文明や朝鮮文化とは縁が薄い。
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 沖縄県立博物館・美術館
 博物館特別展「港川人の時代とその後-琉球弧をめぐる人類史の起源と展開」にむけて (2)
 最終更新日:2016.08.31
 平成28年11月15日(火)より、博物館特別展「港川人の時代とその後-琉球弧をめぐる人類史の起源と展開」がスタートします。今回は、展示会の概要とみどころをご紹介します。
 沖縄では、日本列島の旧石器人を代表する港川人骨(約2万年前)が発見されていますが、石器などの遺物が発見されておらず、当時の人々の文化や生活の様子については詳しいことがわかっていませんでした。しかし、近年の南城市サキタリ洞遺跡(ガンガラーの谷内)の調査などによって、少しずつ当時の文化が明らかになりつつあります。
 この展覧会では、人類の起源と進化のあらましを紐解き、旧石器時代の日本列島と沖縄の出土品を比較しつつ、アジアの中での沖縄の旧石器人の特徴とその位置づけを紹介します。また、サキタリ洞遺跡をはじめとする、近年の沖縄における調査研究成果についても、わかりやすく展示します。さらに、旧石器時代以降、九州以北の日本とは異なる展開を遂げた沖縄の人類史についても、沖縄と日本各地の出土品を通してその特徴を紹介します。
 なぜ沖縄の旧石器人骨が注目されているのか、彼らはどこから来たのか、沖縄の旧石器時代の文化はどのようなものだったのか。さらに、日本の中でも最も南に位置する沖縄で発達した個性的な先史文化と、日本本土の旧石器文化縄文文化との類似点や違いについて、実物資料を通して紹介します。また、沖縄の南に広がる西太平洋の島々の文化についても紹介します。ぜひご期待ください。
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 2021年6月13日15:00 MicrosoftNews 琉球新報「<書評>『奇跡の島々の先史学 ―琉球列島先史・原史時代の島嶼文明―』 持続可能な祖先の営み
 © 琉球新報社 本書は琉球の島々の遺跡を俯瞰(ふかん)し、世界の島の先史文化と比較する著作である。そこでたどり着いた一つの結論が「島嶼文明」である。
 著者高宮広土は沖縄で生まれ、アメリカの大学で先史人類学を学んだ。1993年に北海道で大学教員生活をスタートさせ、2015年より鹿児島大学国際島嶼教育研究センターに移り、現在奄美大島を拠点に研究活動を行う。長年遺跡の土中に含まれる炭化した植物遺体の回収を行い、琉球列島におけるヒトの植物利用の歴史を明らかにしてきた。
 遺跡の調査成果はしばしば新聞でも目にする。しかし、その調査結果がどんな意味を持ち、評価されているのかについて紹介される機会は少ない。05年著者によって書き下ろされた前作『島の先史学』(ボーダーインク)は沖縄の先史時代を活写し、世界史的視点から評価した一書となった。しかし、刊行後批判もあった。そこで、『奇跡の島々―』はこれら批判を紹介し、自身の見解を述べるとともに、刊行後約15年の間の新たな発掘成果と研究によって構成される。
 島は一般にヒトが住みはじめるとバランスが崩れ荒廃するという。琉球列島の島々に遺る遺跡は、ヒトと自然が長きにわたって調和していたことを著者は強調する。旧石器時代には既にヒトが住み、数千年にわたって狩猟採集民が暮らし、狩猟採集社会から王国を形成する複雑な社会を誕生させた島は、世界にあまたある島を探しても存在しない「奇跡」と形容する。島と文明はいささか程遠い存在に聞こえる。しかし、持続可能な開発が求められる今だからこそ、自然と調和した島の暮らしこそ「文明」と呼ぶにふさわしいのかもしれない。
 本書には島々の地元研究者の名前がたびたび登場する。研究者としての真摯(しんし)な姿勢と地元沖縄に対する愛が、著者約30年の研究に奇跡的な出会いがあったのであろうことを想像させる。
 私たちの住む島の遺跡が、人類史に新たに加えられる一ページとなるか、本書を通し先史学が描く祖先のサスティナブルな営みにぜひ注目いただきたい。
 (宮城弘樹・沖縄国際大学准教授)
 たかみや・ひろと 1959年那覇市生まれ、鹿児島大学国際島嶼教育研究センター教授。主な著書に「島の先史学 パラダイスではなかった沖縄諸島の先史時代」「奄美沖縄諸島先史学の最前線」(編著)など。
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 6月13日18:00 MicrosoftNews 朝日新聞デジタル「日本人の祖先は「港川人」? 旧石器時代、DNAで解析
 港川人の顔の想像図=国立科学博物館提供、山本耀也氏作画© 朝日新聞社 港川人の顔の想像図=国立科学博物館提供、山本耀也氏作画
 沖縄県で約2万年前の旧石器時代の遺跡から見つかった港川(みなとがわ)人が、現代の日本人に遺伝的に直接つながる祖先だった可能性がDNA解析からわかった。日本人のルーツは、縄文人や大陸から渡来した弥生人による「混血説」が有力だが、さらに古い港川人までさかのぼることになる。総合研究大学院大や東邦大などの研究チームが、13日付の科学誌サイエンティフィック・リポーツに論文を発表する。
 港川人は、1970年に沖縄県で人骨が複数発見された。日本では数少ない旧石器時代の人骨で、出土した場所の地名から港川人と呼ばれる。身長は150センチ程度と小柄。肩幅は狭いが、下半身の骨格は丈夫で、荒れた土地を走るのに適していたとされる。
 日本人の起源は、約1万5千年前から約3千年前にかけて、北海道から沖縄まで広く居住していた縄文人と、その後に大陸から渡来した弥生人が混血したことがDNA解析などから裏付けられてきた。
 一方、縄文人より古くからいた港川人との関係はこれまで不明だった。というのも、出土した人骨や遺跡だけでは、港川人が別の土地へ移ったり、途絶えたりした可能性もあり、直接の祖先とは限らないためだ。港川人の顔の骨格が縄文人とあまり似ていないこともあり、論争になってきた。
 研究チームは、解析が比較的容易な細胞の小器官ミトコンドリアのDNAを分析する手法を採用。母から子に受け継がれるミトコンドリアDNAは、突然変異によって地域特有の痕跡を残すため、比較すれば集団の由来をさかのぼれる。
 保存状態がよく全身骨格が残る港川人1号(成人男性)の人骨からDNAを抽出して分析した結果、港川人1号は、現代日本人や縄文人弥生人に多く見られるタイプの祖先型の遺伝子を持つことがわかった。港川人の集団が、日本人の遠い祖先にあたることを示唆している。一方、分析した現代日本人約2千人の中に、港川人1号と同じ遺伝子の特徴を受け継ぐ直系の子孫はいなかった。
 港川人の遺伝情報を調べることに成功したのは今回が初めて。総研大の五條堀淳講師(自然人類学)は「日本列島のヒトの集団は、旧石器時代から現代に至るまで、遺伝的につながっていそうだとわかった」と話す。今後、研究が進めば、現代日本人の中から港川人の直系の子孫が見つかる可能性もあるという。
 五條堀さんは「旧石器人の人骨をさらに調べ、日本人のルーツの理解を進めていきたい」と話している。
 論文は以下のサイト(https://doi.org/10.1038/s41598-021-91357-2)で読むことができる。(石倉徹也)
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 先史沖縄/旧石器時代の沖縄
琉球列島の起源
 中国大陸の東、九州と台湾をむすぶ約1200kmにおよぶ琉球列島の、ほぼ中間から南の島々が沖縄県です。そして、大小146の島からなる沖縄県と、中国大陸との間には東シナ海が広がっています。
 約2億5000万年前から約1億3000万年前にかけての琉球列島は、まだ海底にありました。約1500万年から1000万年前ごろに陸地化して中国大陸や九州とつながると、ゾウやヤマネコ、シカなどが移ってきました。このことは、「生きた化石」とよばれるイリオモテヤマネコの生息や、アジア大陸や日本列島にすむ動物の化石が琉球列島から数多く発見されていることからもうかがえます。
 約1000万~200万年前には琉球列島は再び切り離され、約150万年前に中国大陸とつながりますが、約2万年前に3つの島嶼群に別れ、氷河期の終了で海水面が約100mほども上昇したあと、現在のような姿になったといわれています。
琉球列島の旧石器人と旧石器文化
 地球上に人類が誕生したのは、今からおよそ400万年前といわれています。日本では、群馬県岩宿遺跡から約3万年前の打製石器が発見されたのをきっかけに、旧石器時代の遺跡は全国でおよそ5000カ所も発見されています。
 このように、道具類が出土する旧石器時代の遺跡は全国でも多数発見されていますが、化石人骨の発掘例はきわめて少なく、旧石器時代の人類については具体的なことはほとんど分かっていませんでした。
 その旧石器人の全貌を明らかにしたのが、1967(昭和42)年、沖縄県で発見された港川人(みなとがわじん)でした。この化石人骨は、頭や手足のそろった完全なもので、年代測定の結果およそ1万7000年前の現世人類であることが分かりました。この発見によって、日本の旧石器人の容姿が具体的に説明できるようになり、旧石器人の研究を飛躍的に発展させました。
 沖縄ではこのほかにも、山下洞人(那覇市)・下地原人(久米島)・ピンザアブ人宮古島)などの旧石器時代の化石人骨が発見されています。
■山下洞人と港川人
 山下町第一洞穴遺跡は、1962(昭和37)年、那覇港に近い奥武山(おうのやま)の南側にある琉球石灰岩台地で発見されました。この遺跡から出土した化石人骨が山下洞人(やましたどうじん)とよばれるもので、約3万2000年前の、8歳ぐらいの女児と測定されました。
 いっぽう、1967(昭和42)年、沖縄県具志頭村(ぐしかみそん)港川の石切場から、シカやイノシシなどの化石とともに、約7体の化石人骨が発掘されました。
 こうして、発掘場所の地名にちなんで名付けられた港川人(みなとがわじん)は、年代測定の結果、およそ1万7000年前の人類であることが分かりました。頭や手足のそろった完全な旧石器人骨の発見は、日本はおろかアジアでもはじめてのことで、国際的に紹介されました。
 港川人は、北京原人や中国大陸南部の柳江人(りゅうこうじん)に似ているとか、現代沖縄人の遠い祖先であるといわれていますが、港川人のルーツはいまだに謎に包まれたままです。また、港川人が使用した旧石器などがまったく出土してこないため、この時代の生活形態はよく分かっていません。
 化石人骨と旧石器文化
 国内では、旧石器時代の化石人骨の多くが沖縄の島々で発見されています。それは、沖縄の琉球石灰岩洞穴(鍾乳洞)からにじみ出る地下水が、炭酸石灰分を多くふくみ、洞穴内の人骨を化石化するためです。
 いっぽう、遺跡が多く見つかっている関東地方の関東ローム層は、火山灰が堆積してできた酸性土壌なので、長い年月の間には人骨が溶けてしまいます。
 沖縄県内では現在までに洞穴が600余も確認されていますが、調査されないまま埋められたり、破壊されたりしている例も多くみられます。これらは、旧石器人骨が保存されている可能性もあるだけに、丹念な調査が望まれます。鍾乳洞の探検や発掘の進展によっては、化石人骨の発見が増加することは確実だと考えられているのです。
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 ウィキペディア
 港川人(Minatogawa people)は、約20000~22000年前に日本の沖縄県に存在していたとされている人類。
 概要
 港川人(港川1号)の化石(レプリカ)。国立科学博物館の展示。
 1967年から1970年頃、アマチュア考古学研究家の大山盛保により、沖縄県島尻郡具志頭村港川(現在の八重瀬町字長毛)の海岸に近い石切場で骨が発見され、東京大学鈴木尚により確認された(港川フィッシャー遺跡)。
 身長は男性で約153~155cm、女性は144cmと小柄で、筋肉質のしっかりとした体型ではあったようだが肩や腕の力は弱く、握力と咀嚼力は強かったことが骨から読み取れるという。
 この人骨は、石垣島白保竿根田原洞穴遺跡で約2万7千年前の人骨が発見されるまで、全身骨格の形で残っている日本の人骨の中で最も古いものであった。
 縄文人との関係
 かつて港川人は縄文人の祖先ではないかと考えられてきたが、2009年の研究で、港川人を縄文人の祖先とする考えに疑問を投げかけるような分析結果が出ている。港川人は現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いのではないかという説である。国立科学博物館海部陽介研究主幹によると、港川人は本土の縄文人とは異なる集団だった可能性がある。つまり、港川人は5万~1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来したことになる。その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたのではないかと述べられている。
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 デジタル大辞泉「港川人」の解説
 【港川人】
 昭和45年(1970)から昭和47年(1972)にかけて沖縄県具志頭村(現在の八重瀬町)の採石場で発見された数体分の化石人骨。更新世末期の約1万8000~1万7000年前のものとされる。石器などの人工物は見つかってない。のちの調査により、港川人は縄文人の祖先ではなく、アジア大陸の南方に起源し、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近いと考えられている。
 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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奇跡の島々の先史学

☵34〕─7─韓国側はIOCの五輪HPの竹島表記は「問題なし」の回答に激怒。~No.286No.287 ⑲ 

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 2021年6月11日09:58 産経新聞「IOC、五輪HPの竹島表記は「問題なし」 韓国側に回答
 【ソウル=時吉達也】東京五輪の公式ホームページ上の地図に韓国が不法占拠する竹島島根県隠岐の島町)が日本の領土として表示されているとして、韓国側が削除を要求していた問題で、国際オリンピック委員会(IOC)が竹島の記載に問題はないとする見解を韓国側に示したことが分かった。10日、韓国SBS放送などが報じた。
 報道によると、問題解決に向けIOCに仲裁を求めた大韓体育会(韓国オリンピック委員会)に対し、IOCは各国五輪委の連携などを管轄するジェームズ・マクラウド氏名義で回答。「東京五輪組織委員会と議論したが、(竹島)表記は単に地政学的な表示に過ぎず、政治的な宣伝とはいえない」とする内容だった。
 問題をめぐっては、韓国首相経験者でともに来年の大統領選への出馬の意向を示している李洛淵(イ・ナギョン)、丁世均(チョン・セギュン)両氏らが竹島表記が削除されない場合の「五輪ボイコット」に言及するなど、韓国内で反発が広がっていた。韓国外務省の報道官は8日、「不参加までは検討していない」との立場を示している。」
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 6月11日16:51 MicrosoftNews 東スポWeb「竹島問題でIOCが回答も韓国側は激怒 バッハ会長に再び書簡〝緊急発送〟
 © 東スポWeb IOC・バッハ会長(ロイター)
 東京五輪ホームページにおける竹島(韓国名・独島)の表記問題で、国際オリンピック委員会(IOC)が韓国側に「政治的宣伝ではない」と問題なしとする回答を行った。
 韓国のテレビ局「SBS」などによると、韓国政府はIOCに対して今回の問題の仲裁を求めていたが、IOCのジェームズ・マクラウド五輪連携局長の名義で「東京五輪組織委員会とこの問題を議論したが、独島の表記は単に地政学的な表示であるだけで政治的宣伝ではない」との内容で返答が送られてきたという。IOCが正式に今回の件は問題がなく、一切介入しないとの見解を示したわけだ。
 しかし、韓国側はこのIOCの対応に激怒。韓国紙「中央日報」は「韓国政府は受け入れられないという立場だ」と韓国側の反発を報道。11日に韓国政府が文化体育観光省の黄熙(ファン・ヒ)長官の名義でIOCのトーマス・バッハ会長に対して再び仲裁を促す書簡を〝緊急発送〟した。
 韓国政府は現在、東京五輪のボイコットは「検討していない」との方針を表明しているが、問題がこじれればまだまだ一波乱ありそうな雲行きだ。」
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