🎍34〕─2・C─なぜ平安京には「城壁がつくられなかった」のか。~No.110 

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 2024年6月21日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「【古代史ミステリー】なぜ平安京には「城壁がつくられなかった」のか?
 桓武天皇像(ColBase)
 桓武天皇によって行われた、平安京遷都。平安京は、古代中国の都市を参考に碁盤の目状につくられた。しかし、長安などと違うのが、城壁がつくられなかったという点である。平安京はどの程度、中国のコピーだったのだろうか?
■何度も炎上し、皇居が内裏外
 天皇の居住空間である平安宮こと「内裏」が造営されたのは、延暦年間(782~806年)のこと。内裏を取り囲む官庁街に相当する「大内裏」には、周囲を大垣(築地)と呼ばれる土塀で囲った朝堂院・豊楽院をはじめとする、いわゆる二官八省の建築物が建ち並んでいた。
 これらは、建築史用語でいう「礎石建物」で、柱などを支える礎石を用いた、当時最先端の中国風建築だったことが発掘調査で判明している。
 しかし、大内裏内部の中央東寄りに位置する南北約300m、東西約200mの敷地にあった天皇の住まいにあたる「内裏」では、礎石を用いずに地面を深く掘り下げ、その穴に柱を立てた、古代日本風の「掘立柱建物」の様式が変わらずに用いられていた。
 平安京の内裏では、長岡京の建物を解体した時に生じた造営資材が効率的に再利用されたようだ。これは平安京に限った話ではなく、以前の都でも頻繁に見られた現象ではあるが、跡地からは瓦などが数多く出土しているが、木材も使用されたと考えられている。
 平安時代の内裏は、頻繁に火事による被害を受けた。天徳4年9月23日(960年10月16日)の全焼後も、何度も炎上を繰り返し、当初は再建が試みられたものの、11世紀以降、ついに天皇大内裏の外に住まいを公的に移した。
 大貴族たちの広大な屋敷の一角に天皇が間借りするという、いわば仮住まいを「里内裏」と呼んだが、それが天皇の公邸となったのだ。かつての大内裏や内裏は荒廃し、現在の京都市街地の地下に埋もれている。
長安など中国都市のような城壁をつくらなかった
 平安時代の内裏・大内裏は現存しないが、平安京の造営開始時、これらの建物と同時期に成立したとされる神泉苑などの殿舎の配置から、内裏・大内裏でも敷地の中央部に正殿が建てられ、正殿に左右対称となるように他の殿舎を作るという中国風の建築美学が取り入れられていたと考えてよいだろう。
 一方で、内裏や神泉苑は、後にいわゆる「国風文化」のひとつである建築様式「寝殿造り」の原型だとする考え方もある。ただ、こうした左右対称の配置こそを最高の美とする大陸由来の価値が、10世紀頃の「寝殿造り」様式の完成時期においても厳密に受け継がれていたのかには諸説ある。
 平安京長安など中国都市とも違うのは、羅城と呼ばれる城壁が、都の周辺に張り巡らせられないままだったことだ。それゆえ、平安京にはどこからでも入ることができるのだが、羅城門などの大きな門だけは、儀礼的な観点から作られたというのは興味深い。これもある意味、日本の独自性という意味で「国風文化」といえるだろうか?
 堀江宏樹
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👪3〕─5─日本人の国民病を生む「悪しき文化」。有休取得や産休は罪悪感。〜No.20No.21 

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 2024年6月20日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「イタリア人精神科医が見た、日本人の心身をむしばむ「悪しき文化」とは?
 パントー・フランチェスコ
 © ダイヤモンド・オンライン
 日本人はさまざまな場面において感情抑制・抑圧傾向が、かなり強い。だが、この相手の気持ちを慮り「察する」日本人の精神性が心身を蝕んでいる。日本人が抱えがちな苦痛に対してどのように対処すればいいのだろうか。精神科医のパントー氏が「適応障害」と診断したCさんのカウンセリングを通して、日本人の「察する」文化について解説する。※本稿は、パントー・フランチェスコ『しあわせの処方箋(Tips)~イタリア人精神科医 パントー先生が考える~』(あさ出版)の一部を抜粋・編集したものです。
 「今、何を感じているの?」
 自分の感情を取り戻そう
 Cさんは不安が強く、過換気発作と不眠症、意欲低下で受診しました。
 最近、上司に叱られたり、結婚相手になじられるのが辛く、日常生活において喜びを感じないといいます。
 自分の気持ちが理解されていないと思うけれど、自分の気持ちなんて伝えてもしょうがない、価値なんてないのではとも訴えます。
 Cさんは「自分」と「周り」の感情がぶつかり合えば、一触即発の今の状況が、さらに激化してしまうと思っているのではないでしょうか。
 そもそも、自身の感情を伝えようとしないのは、「自分には価値がない」「自分が劣っている」という先入観によるものだと思われます。
 ただ、その感情の抑制と抑圧こそが、Cさんの辛さに拍車をかけています。
 上司に対して無口になるからこそ、叱られる。
 結婚相手から見れば、自分に対して無関心というふうに、映っていることでしょう。
 まず、Cさんは自分が何者であり、何を感じているかを理解する必要があります。
 感情を抑制・抑圧している人は、自分の感情と同律する歯車が「錆びついて」いることも多いため、「お腹が空いた」「疲れた」「眠い」などの簡単なことから、自身との感覚をつなぐ橋を修復してみましょう。
 五感を認識するだけで、「自分」と「周り」の区別を取り戻すことができることも多いのです。
 感情の抑制と抑圧が
 早期の死に関与する
 近年メンタルヘルスケアにおいて、感情調節の役割が重要視されるようになっています。
 感情調節とは、「自分の目標を達成するために、情動反応、特にその集中的・時間的特徴をモニタリングし、評価し、修正する外発的・内発的プロセス」と定義されています。
 要するに、健康的に自分のポジティブな感情・ネガティブな感情と向き合える能力、また、困難な感情に適応的に対処する能力といえます。
 感情調節能力には、正しい感情表現能力も含まれます。
 自身の感情を調節するには、まず「自分」と「周り」の隔たりを理解しなければなりません。「周り」の感情を誤って「自分」の感情にしてしまうと、いつの間にか居場所をなくす恐れがあるからです。
 「自分の感情を知って、取り扱う」ことができないと、「周り」と合わせるために自身の感情を否定、抑制、抑圧してしまいます。
 感情抑制とは、他のことを考えたり、物事を我慢したりすることによって、苦痛となる感情を意図的に回避することと定義されます。
 一方、感情抑圧とは、否定的な感情を意識的に収めると定義されています。
 感情抑制・抑圧ともに、行動レベルでは、健康的な感情表現の代用として過食、過剰な睡眠、過剰な出費などの不健康な対処行動を誘発するとされ、生理学的レベルでは、ストレスに対する自律神経反応性が高いことなどが報告されています。
 つまり、神経内分泌の調節異常は、ストレス過程や習慣的な健康被害行動によって誘発されるにせよ、感情抑制・抑圧は多くの慢性疾患の進行やがん、ひいては早期の死に関与していることが示唆されています。
 感情を表に出さない日本人は
 心身ともに疲弊しやすい
 筆者の目からすると、日本人はあらゆる場面において感情抑制・抑圧傾向が、かなり強いように感じます。
 一方で、日本人のコミュニティサンプルでは、感情抑制・抑圧のレベルが低いほど健康状態が悪くなり、日本人のがん患者では、そのレベルが高いか低いかよりもむしろ中程度であるとの、研究データもあります。
 「では、日本人の場合は感情を抑制・抑圧しても問題ないのでは」──と思われたでしょうか。
 残念ながら、それには賛同できません。
 私たち人間は、周りの承認がある程度必要な生き物であり、その社会のルールを重んじたほうが恩恵を受けやすくなります。
 つまり、日本社会の場合は、自分の感情を押し殺しても、周りと合わせるほうが、安心感にもつながり恩恵がもたらされるというわけです。
 日本での診療を通じて見ても、度を過ぎる感情抑制・抑圧はあちこちでほころびが出て、心身ともに疲弊するケースが少なくないようです。
 また、自分の感情を他者に開示したがらない人は、他者から共感的な反応を引き出しづらくなります。
 とはいっても、日本人にとっては「自分の感情を表に出す」というのは、なかなか難しいことでしょう。
 では、どうすればいいのでしょうか?
 感情表現は、基本的に対人的な活動です。
 ただ、他者とそこまで関わる自信がないときには、書く練習を通じて表現力を高めて、感情表現を改善することをすすめます。
 たとえば、相手に言えなかったことを、メモ帳に書いて発散してみるのも方法の一つです。
 感情を開示することによって、健康への重荷を軽減、または緩和する効果があります。
 実際に、支持的表現療法の研究では、感情抑制・抑圧とそれが引き起こす苦痛を軽減できることが示されています。
 支持的表現療法のような治療は、生存に影響を及ぼすかどうかにかかわらず、苦痛を軽減することによって、生活の質を改善する可能性があるといえます。
 「察する」文化が
 心身を蝕んでいる?
 Cさんは感情表現が、悩みの大部分を占めています。
 日本の「察する」という文化もあって相手の気持ちを読み取り、彼らの気持ちを踏みにじらないために、最善の配慮をしています。
 ただ、この思いやりこそ、自身の感情表現を蝕んでいる可能性があります。
 相手が怒るだろう、不愉快だろうと思うと、自分の気持ちを伝えるのをあきらめて、溜め込んでしまいます。
 日本人は禁欲的傾向があり、また「より大きな善のため」長期主義的傾向も強く、一時的な感情の満足を遅らせがちです。
 この考え方は、さまざまな健康被害につながる可能性があります。
 自己開示をしにくい
 日本人の国民性
 感情の評価理論では、感情は(内的または外的)刺激事象の、知覚された性質に基づく一連の評価を通じて引き出され、区別するとされます。
 悲しみ、怒り、恐怖のような否定的感情は、目標の妨害/不快──つまり、望ましくないことが起こったときの、評価によって特徴づけられます。
 「ごめんなさい」と相手に言ったときに怒りの顔で見られたら、「まずい」と感じるでしょう。そのことです。
 ここで、怒りは常に社会規範違反の強力な社会的シグナルとなるため、国や文化的な違いは認められないのではないかと、思われるかもしれません。
 しかし、怒りの表出がそれほど支持されない文化では、怒りは規範違反のシグナルとしてそれほど強力ではない可能性もあります。
 調和を目指す日本の場合、怒りはもちろんルールを破ったシグナルにはなりますが、むしろ沈黙(無視)のほうが、より負の感情と連携していることが多いでしょう。欧米の場合は積極的な怒りで相手を責める傾向があるようです。
 他者との関係性を
 保つための「表情」
 日本の社会では、感情は自身のアイデンティティーの表出というよりも、他者との関係性を保つためのツールとして解釈されます。
 このため、わかりやすさではなく「察し」に基づき、「空気」の解釈=空気を読むということに任せる部分も多いのです。
 相互依存性が高い民族は、集団主義的関心や調和の維持にとらわれており、怒りの表現など、否定的感情への関心が低い傾向があるとされています。
 否定的な感情を避ける傾向がある日本人は、否定的な感情から遠ざかろうとする場合、心的・物理的など、いろいろな意味で他者と距離を置こうとすることになります。
 つまり、健全なぶつかり合いで解決できる関係性の問題でも、解決されないケースがままあります。
 隠された相手の感情まで
 「察する」日本人の能力
 どの文化の中でも感情の幅、認識されている感情の類は、ほとんど変わりません。
 しかし、感情の解釈は文化により異なり、感情強度の判断においても(たとえば悲しみといっても、軽い寂しさから絶望まで幅が存在する)、民族間で異なります。
 アメリカ人は、相手の感情を察するよりも(外的ディスプレイ)示している感情を高く評価し、日本人ははっきり表示されていない感情でも認識するわけです。
 アメリカ人は強度に関係なく、すべての表情に対して、内的経験に対する外的ディスプレイの評価を誇張する可能性があります。
『しあわせの処方箋(Tips)~イタリア人精神科医 パントー先生が考える~』 (あさ出版) パントー・フランチェスコ
 © ダイヤモンド・オンライン
 一方、日本人は外的表示と内的経験の強弱を区別できます。その結果、外的表示に対する内的経験の推定評価が高くなるのかもしれません。
 いわゆる「察する」というもので、実際には、どれくらい悲しんでいるのか、程度をもっと正確にとらえるのです。
 表情から相手の内面的な世界を、かなり正確に把握する日本人は、素晴らしい能力を持っていると言えるでしょう。
 集団主義的な文化圏の人々は、場面に応じて表情を弱めるという表示規則を認識しているため、人が実際に示している以上のことを感じていると仮定して、他人の表情をより「読み取る」可能性があることを示唆しているのです。
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 6月18日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「日本人はなぜ有休取得に罪悪感?イタリア人精神科医が提案する「解決策」が納得だった!
 パントー・フランチェスコ精神科医
 日本人はなぜ有休取得に罪悪感?イタリア人精神科医が提案する「解決策」が納得だった!
 会社への貢献が最優先される社会において、過労のサインを自らキャッチすることは難しい。だが、長期的に社会に貢献するためには休むことも大切だ。休まずに働き続けるとどのような健康上のリスクがあるのだろうか。精神科医のパントー氏が、働きすぎによる不安と過剰なストレスに悩むHさんのカウンセリングを通して、日本人の働き方に警鐘を鳴らす。※本稿は、パントー・フランチェスコ『しあわせの処方箋(Tips)~イタリア人精神科医 パントー先生が考える~』(あさ出版)の一部を抜粋・編集したものです。
 理由もわからずパニック
 突然涙が出てくることも
 Hさんは、クリエイティブ業界で働く30代の会社員です。
 元々このキャリアを目指しており、仕事に不満もなく、毎朝元気いっぱいで出勤していました。
 ですが、1週間前、おばあさまが他界されたときから、調子が悪くなりました。
 出勤中、電車でパニックとなり、息が荒くなる。血が頭に上り、周りはまるで現実ではないように見える。
 心臓発作なのではないか、脳卒中なのではないかと心配になるほど、症状が激しく次の駅で降りて、駅員さんの助けを求めました。
 それが何日も続き、なんとか立ち直って出社できた日もあれば、体調不良で帰宅をせざるを得ないときもありました。
 また場所を問わず、突然涙が出てくることもありますが、理由がわからないといいます。
 心と体のサインを無視しない
 健康なエゴイズムを持とう
 会社への貢献が何より最優先されている社会において、過労のサインを自らキャッチするのは難易度が高いことといえます。
 「体が悲鳴をあげている」という表現があるくらい、身体的にも相当辛くならない限り、皆さん無理してがんばっていらっしゃるのではないでしょうか。
 Hさんが体験したのは、不安と過剰なストレスによる精神的な負担です。
 この場合、速やかに休職しないと症状が慢性化してしまい、うつ病、不安障害など、長期にわたる、後遺症を残す障害に進展してもおかしくないと伝えました。
 ただ、そこまで説明しても、休みを取るにはためらいがあるようです。
 長期的かつさまざまな視点でみても、今、休んだほうが好きな仕事を長く続けられるし、社会に貢献することができると説明しました。
 また、「好きな仕事なのに、なぜこんなことになってしまったのか」というのが、Hさんにとっては不可解だったようです。
 この場合、電池がたとえとして、わかりやすいのではないかなと思います。
 私たちは、電池だとします。
 ストレージには限りがあり、それを使い尽くしたら、どれだけがんばりたいと思っても、物理的にエネルギーがないということになります。
 実際に私たちは、エネルギーが尽きてしまいそうなときに、常に心と体からサインが出ているはずですが、それを無視してしまいがちです。
 理由はさまざまですが、私たちの健康より、特により大きな価値があると感じたときに無理する傾向があるようです。
 ただ、そもそも、その体と心がなければ、他に貢献できる機会がなくなると心からわかれば、もっと上手く、賢くエネルギーキープできるようになるはずです。
 それは怠惰ではなく、健全なエゴイズムです。
 そのエネルギーを保存することで、長期にわたって社会に貢献できると、忘れないようにしましょう。
 うつ病で「やっと休める」は
 切迫した社会問題である
 日本では近年、休職と自殺率が増加しており、労働者が精神的にも身体的にも大変な状態であることが、複数の研究者から指摘されています。
 長時間の労働に伴う負担は、日本社会に過労死という大きな打撃を与えました。
 過労死は、海外には日本特有の職業性突然死と思われています。
 仕事に伴う燃え尽きとストレスが原因とされ、脳卒中や心臓発作、さらには故意の餓死があげられています。
 封建時代の日本では、武士の切腹が戦いに敗れたとき、あるいは責任をとるための正当な処置と考えられていた経緯もあり、自殺は多くの日本人にとって、自由意志による行為として「正当化」されていました。
 しかし、欧米の社会と親密になることで、うつ病など精神疾患との関係など、新たな概念で自殺を考えるようになり、「過剰労働による自殺は過労死だ」と認識されはじめたのです。
 シカゴ大学とマッギル大学で研修を受けた医療人類学者で、現在、慶應義塾大学文学部人文社会学科教授の北中淳子氏(博士)は、自殺と過労の関係の社会的な認識の変化について次のように語ります。
 100年以上にわたって、自殺は個人の自由な行為で、「ロマンチックな覚悟」であったのが、多大な社会的プレッシャーや抑うつ状態から生じるという、新しい概念の登場でその認識は一変しました。
 ロマンチックあるいは理想主義的な考え方から、広範な社会的医療化に繋がる問題としてシフトされたのです。
 欧米の労働者も長時間労働なのに
 日本より過労死リスクが低いワケ
 では、日本の労働者は他の国と比較して、本当により過労死が多いのでしょうか?
 メランコリー親和型(秩序に対するこだわり、ルールに忠実性をもち、献身的な人、真面目で責任感がかなり強い)性格のうつ病の患者さんの多くが、仕事に熱心で、几帳面、徹底的、正直、時間を守る、正義感、義務感、責任感の強い、社会適応力のある、いわゆる「模範的」な社員であることは、かなり前より指摘されてきました。
 他人から賞賛され、信頼できると思われがちな人ですが、強い責任感の裏に大きな苦悩が潜んでいるといえます。
 日本社会が模範社員のような「理想的」な人物像を追いかけ、「模範的」な社員を作り、結局メランコリー親和型性格を持つ人たちを「生み出している」のではないかと、北中淳子氏は指摘しています。
 過労、残業があたりまえな社会においては、職場は「すべての存在」を占めているとも言えます。
 このような社会的な責任を課された人々は、しばしば、過剰な責任感、完璧主義、社会的圧力の持続を必要とする仕事の成功によって、自分自身の存在意義を定義します。
 最終的には、このような「モデル」社員の鎧にひびが入り、仕事への期待に応えられずに、うつ病になってしまうケースは少なくありません。
 北中淳子氏は、うつ病患者の多くは自分を追い詰めている社会的な関わりや義務からの逃避として、うつ病に肯定的な意味を見出そうとしていることを示唆しています。
 つまり、うつ病になることで「やっと休める」。
 日本人はここまで追い詰められていることを、切迫した社会問題として認めざるを得ないでしょう。
 欧米の労働者も多くは長時間労働をしていますし、期待以上の働きをすることで賞賛されることももちろんあります。
 では、なぜ過労死の危険性が日本ほど高くないのでしょうか。
 一つは過大な責任を負わされることが少ない、というより過大な責任を負いそうになったときに、どうせ抱えきれないとすぐに認識し、不満があっても心に溜め込まず、表現することが多いことがあげられます。
 また、終身雇用で会社に縛られることが多い日本の労働者とは異なり、過度なプレッシャーがかかったら仕事を変えることができます。
 日本のような長時間労働は、心を蝕みます。
 ある程度規制は設けられても、職場と過労に誘発されている抑うつ状態と不安障害のケースを考えると、まだこの根深い社会的な問題は消えていないでしょう。
 有給休暇を取らなければ
 健康に大きな悪影響がある
 日本では長時間労働のほかにも、有給休暇を取りづらく、取ることに対して罪悪感を感じる人が、多いのではないでしょうか。
 一方、欧米人は有給休暇を取ってあたりまえで、罪悪感を感じる人は皆無といえます。
 取得しなかった有給休暇は、労働者が事実上雇用主に寄付したお金であり、本人の経済的損失はもちろん、実は健康にも大きな悪影響があります。
 日本は集団主義的な要素が残存しており、階層的な社会といえます。
 社員一人ひとりが同僚のために貢献していて、有給休暇を取ると自分の役割を放棄しているようにも、感じてしまいます。
 一方、欧米社会は個人主義の要素が強く、階層的ではありません。
 そのため、個人の目標のために、同僚に負担をかけていると考える人はほとんどいません。
 これは〈役割の違い〉に起因していると、筆者は考えています。
 日本の役割分担は高度に専門化されており、Aさんがいなくなると、Aさんの代わりに勤務を補える人は少ないかほとんどいません。
 書影『しあわせの処方箋(Tips)~イタリア人精神科医 パントー先生が考える~』
 『しあわせの処方箋(Tips)~イタリア人精神科医 パントー先生が考える~』(あさ出版
 パントー・フランチェスコ
 一方、休暇と休みを頻繁に取る欧米の職場においては、役割は柔軟性があり「よろず屋社員」が一般的です。
 欧米のように、「予備のスペアを持つ」という発想は、「休みが取れない」「休みを取ることに罪悪感を感じる」という感情を、覆す手の一つになるかもしれません。
 また、仕事から離れることの利点は、一日程度、あるいは勤務中の短い休みにも当てはまります。
 つまり、仕事から離れる時間(短時間、中時間、長時間)は、健康維持に不可欠であり、一年のうちで複数の長期間休暇、一週間における休み、一日における休憩時間、オフ時間は、交互に相殺できるものではなく、どれも取得できる環境が肝心となるといえます。
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☵57〕─4─韓国人研究者による「嘘の慰安婦神話」崩壊。日本は何をするべきか。~No465No.466 

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 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
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 2024年6月19日 MicrosoftStartニュース zakzak「「嘘の慰安婦神話」崩壊させよ 強制連行・性奴隷説を論破、韓国人研究者が激白 徹底駆逐のため日本は何をするべきか
 慰安婦運動の「嘘」を徹底説明した朱氏(左) =15日、東京都新宿区
 © zakzak 提供
 慰安婦運動の事実的誤りを徹底検証し、噓を暴いた著書『反日種族主義 「慰安婦問題」最終結論』(文芸春秋)を出版した韓国人研究者、朱益鍾(チュ・イクチョン)氏が来日し、東京で講演を行った。「強制連行」「性奴隷」という間違った言説をファクトに基づいて否定した朱氏は議論を通じて、日本や韓国に広がった「噓の慰安婦神話」を完全崩壊させる必要性を強調した。
 「韓国では慰安婦が何かについて、『強制連行』『性奴隷』説以外の話が公の場に出てくることはない。みんな『触れたら大変なことになる』と考えて、触れないようにしている。慰安婦研究者や慰安婦運動家が噓をついてきたことに関する議論がされていない」
 朱氏は15日、東京都内での講演後、夕刊フジの直撃にこう激白した。
 韓国社会では考えられなかった「強制連行」「性奴隷」説を論破した画期的な著書を出した朱氏は講演で、日本と韓国の「合作」によって「噓の慰安婦神話」が広がったという背景を明かした。
 慰安婦運動の構造を「韓国側からは挺対協(現正義連)による運動、日本側からは研究者、社会運動家によって作り出された理論、つまり日韓の分業制で慰安婦運動が盛り上がることになった」と説明。ただ、「『連れていかれた慰安婦になった人が少女だった』『強制連行された』などというのは、(元慰安婦の)おばあさんたちの証言だけで、客観的な証拠は何もなかった」と語った。
 『反日種族主義 「慰安婦問題」最終結論』(文芸春秋
 © zakzak 提供
 講演では、「強制連行」「性奴隷」説があり得ない根拠についても詳しく説明が行われた。
 日本統治下の朝鮮の女性が中国戦線の慰安所に行く場合は、身分証明書や親権者承諾書、戸籍謄本などが必要で、「家族の同意がなければこういう書類は発行してもらえなかった。誘拐や物理的な暴力、軍人に威嚇されて連れていかれたということはあり得なかった」と語った。
 慰安婦の実態については「性奴隷というのは成立しないと思う。彼女たちは前借り金でお金をもらって、それを働きながら返していく『年季契約労働者』といえる」と話し、現在の価値で1億~2億円もの貯金をした慰安婦がいた事例も紹介した。
 史実に基づかない慰安婦運動は日本政府にも影響し、ずさんな調査で日本軍の関与と強制性を認めた1993年の「河野談話」が生まれた。
 日韓関係に今も影を落とす「噓の慰安婦神話」を徹底駆逐するため、日本は何をするべきなのか。講演後に尋ねると、朱氏は「日本政府がなぜ噓に引っ張られていったのかについて、日本国内で議論が必要だ」と語った。
 関連するビデオ: 元慰安婦ら「屈辱外交」と抗議 日韓首脳会談の直前に… (テレ朝news)
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 5月20日 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「少女像、ドイツが解決図る方針 韓国側、撤去の動きと反発
 ドイツ・ベルリン市ミッテ区に設置された少女像=2020年11月(共同)
 【ベルリン、ソウル共同】ドイツの首都ベルリンに設置されている従軍慰安婦の被害を象徴する少女像について、ベルリンのウェグナー市長は16日に東京で上川陽子外相と会談し「変化を起こすのが重要だ」と述べ、解決を図る方針を示した。ドイツ政府などと協議しているという。ベルリン市が20日までに発表した。日本政府は撤去を求めている。
 設置したベルリンの韓国系市民団体「コリア協議会」は、撤去へ向けた動きだとして「日本政府の圧力に屈した」と反発。一方で韓国外務省当局者は20日、設置は「追悼や教育の意味で地域と市民社会が自発的に進めたものだ」とし「民間レベルの活動に韓日両国の政府が関与するのは望ましくない」との考えを示した。
 日本側は岸田文雄首相が2022年、来日したドイツのショルツ首相に撤去に向けた協力を直接要請していた。
 少女像は、コリア協議会が20年にベルリン市ミッテ区に区の許可を得て設置した。台座には英語で「第2次大戦中、日本軍は少女や女性を強制連行し性奴隷にした」と記された。
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 6月19日 YAHOO!JAPANニュース 中央日報日本語版「ベルリン少女像設置4年ぶりに撤去の危機…管轄区役所「許可延長不可」
 少女像
 ドイツのベルリンに設置された「平和の少女像」が4年ぶりに撤去される危機にある。
 聯合ニュースによると、ベルリン市ミッテ区役所は18日、少女像と関連し「特別許可が一度延期されてからは文言を修正する条件で容認している状態。この協議が失敗しこれ以上許可を延長できない」と明らかにした。
 【写真】ベルリン・ミッテ区モアビートに設置された平和の少女像
 ベルリン少女像の碑文には第2次世界大戦当時に日本軍がアジア太平洋全域で女性を性的奴隷として強制的に連れ去り、こうした戦争犯罪の再発を防ごうとキャンペーンを行う生存者の勇気に敬意を表すという説明が含まれている。正義記憶連帯が寄贈したとも記されている。日本はこのうち「性的奴隷」などの表現が事実と異なると主張している。
 ベルリンの平和の少女像は設置過程から日本の強い反対を受けた。在独市民社会団体コリア協議会が2020年9月に1年の期限でベルリン市ミッテ区モアビートに少女像を設置すると、日本政府はミッテ区役所に強く抗議した。ミッテ区役所がこれを受け入れ碑文の内容を事前に知らせていない点を問題にして設置2週間後に撤去命令を下したが、コリア協会がこれに対し訴訟を起こし区役所は撤去命令を保留した。
 その後少女像特別許可を2022年9月28日まで延長した。その後は事実上法的根拠なく公共の場所に設置された少女像を裁量で「容認」しているというのが区役所の立場だ。
 区役所は「2024年9月に容認期間が満了すればコリア協議会が区役所の撤去要請を受けることになるだろう」と明らかにした。
 これに対しコリア協議会は「文言と関連し区役所がまともに協議を要請したことはない。いまからでも文言修正をはじめとして協議する準備はできている」とした。
 ベルリン少女像存続問題は先月東京を訪問したベルリン市のウェグナー市長が「これ以上一方的表現があってはならない」として撤去を示唆してふくらんだ。市民団体は管轄区役所の行政に市が干渉すべきでないと反発してきた。
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 6月19日 MicrosoftStartニュース Record China「ドイツ・ベルリンの慰安婦像が撤去の危機、区庁が碑文の文言を問題視=韓国ネット「当然の結果」
 19日、韓国・毎日経済によると、ドイツのベルリン市に設置されている旧日本軍の慰安婦を象徴する「平和の少女像」が撤去の危機に瀕している。
 © Record China
 2024年6月19日、韓国・毎日経済によると、ドイツのベルリン市に設置されている旧日本軍の慰安婦を象徴する「平和の少女像」が撤去の危機に瀕している。
 記事によると、ベルリン市ミッテ区庁は18日(現地時間)、少女像について「特別許可が一度延長され、その後は碑文の文言を修正する条件で認めている状態だったが、この協議が失敗に終わったためこれ以上許可を延長できない」と明らかにした。
 少女像の碑文には「第2次世界大戦時に日本軍はアジア・太平洋全域から女性を性奴隷として強制連行した」「このような戦争犯罪の再発を阻止するために活動する生存者たちの勇気に敬意を表する」などの内容が記されている。
 ミッテ区庁は20年9月に少女像が設置されたときも、碑文の内容を事前に知らせなかった点を問題視し撤去命令を出した。しかし、少女像を設置した在ドイツ市民団体「コリア協議会」の仮処分申請により保留された。ミッテ区庁は少女像の特別許可を22年9月28日まで延長し、その後は公共の場に設置された少女像を裁量で容認しているという。ミッテ区庁は「24年9月に容認期間が満了すれば、コリア協議会に撤去を要請する」との立場を示した。
 一方、コリア協議会は「碑文に関して区庁から正式に協議を要請されたことはない」「今からでも、碑文の修正などを協議する準備はできている」と話したという。
 この記事を見た韓国のネットユーザーからは「日本のロビーに負けたのか」「韓国の外交部は何をしているの?」「韓国政府は知らんぷり」「韓国政府の立場を聞いてみたい」「日本は政府が積極的に動いている。韓国は政府が積極的に日本をサポートしている。撤去は当然の結果」など、韓国政府への不満の声が数多く上がっている。
 一方で「早く撤去して。他国に迷惑をかけないで」「なぜ少女像を世界中に設置しようとするのか。『私たちかわいそうでしょ』とアピールしているようで恥ずかしい」との声も見られた。(翻訳・編集/堂本)
 関連するビデオ: 元慰安婦ら「屈辱外交」と抗議 日韓首脳会談の直前に… (テレ朝news)
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 6月19日 YAHOO!JAPANニュース 共同通信「伊、公有地に慰安婦少女像設置 韓国団体が22日に除幕式
 イタリアでの少女像設置について発表する韓国市民団体、正義連の李娜栄理事長=19日、ソウル(共同)
 【ソウル共同】旧日本軍の従軍慰安婦だった女性らを支援する韓国市民団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)は19日、イタリア西部サルデーニャ島の公有地に慰安婦被害を象徴する少女像を設置し、22日に除幕式を開くと表明した。正義連によると、欧州の公有地に同様の像が設置されるのは2020年のドイツ・ベルリンに次ぎ2カ所目。
 正義連は昨年12月、地元自治体に設置を提案し、議会は今年1月に承認した。これを受け、観光客も多く訪れる海辺に今月中旬に設置したという。碑文は慰安婦問題を「大勢の女性を拉致して性奴隷にするなど、ホロコーストユダヤ人大量虐殺)に匹敵する犯罪」と明記。
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 6月19日 6:12 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「韓国も日本も真実に基づかない運動に騙されてきた――韓国の歴史学者が実証研究で明らかにした「慰安婦問題」の真実
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 「日本軍慰安婦問題」は、長年、日韓の間で大きな問題とされてきた。この問題をめぐって、しばしば激しい反日運動が起きたことも記憶に新しい。しかし、韓国の歴史学者、知識人の間で、植民地時代の朝鮮について、実証的な研究を行い、それまでの反日的な歴史観は間違いだったことを論証する人々が現れた。
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 それが一冊にまとまったのが李栄薫編『反日種族主義』である。そのメンバーの一人である著者の朱益鍾氏は、反日運動の核のひとつであった慰安婦問題を取り上げ、膨大な資料に基づき、「慰安婦問題」の事実を明らかにした。その最終結論ともいえる『 反日種族主義「慰安婦問題」最終結論 』(文藝春秋)より、プロローグを一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く)
 「反日集会」の参加者が激減
 二〇一九年の光復節【編集部注:8月15日。1945年のその日、日本の統治から脱した、として韓国では祝日に定められている】前日である八月一四日水曜日、ソウル市の温度計は摂氏三五度まで上がっていた。その日の正午、ソウル市鍾路(チョンノ)区にある日本大使館の前で開かれた第一四〇〇回水曜集会【編集部注:慰安婦問題に対する日本政府の公式謝罪及び金銭的・法的賠償を要求して開かれている集会。1992年1月8日から毎週水曜、日本大使館前で行われている】の現場はさらに暑かった。
 二万人を超える参加者たち(集会主催側の推計)が四車線の道路を埋め尽くし、「日本政府は、日本軍慰安婦が国家の政策として行われた戦争犯罪であることを認めろ」「日本政府は被害者たちに謝罪しろ」と熱っぽくスローガンを叫んだ。その一カ月余り前から、いわゆる徴用賠償判決をめぐる日韓の衝突が起きていた。大統領民情首席秘書官職から退いたばかりの曺国(チョグク)法務部長官候補は、日本に対抗し竹槍を持てと煽動し、「行きません、買いません」という日本への旅行の忌避や日本商品の不買運動が広がり、商店の棚から日本のビールが姿を消すなどの、まさに反日の暴風が韓国中に吹き荒れていた。
 それから三年七カ月経った二〇二三年三月一五日の水曜集会には、二〇人余りの参加者が本来の集会場所から離れた所に集まった。一方、彼らを批判する反日銅像撤廃及び慰安婦法廃止を目指す運動家たちの集会には、それより遥かに多い九〇人余りが集まった。反水曜集会が水曜集会を圧倒したのである。その間、いったい何が起きていたのか。
 実証研究がベストセラーに
 二〇一九年夏、韓国の幾人かの知識人たちが『反日種族主義』という本を出し反日の暴風に立ち向かった。編著者の李栄薫(イヨンフン)教授は生涯をかけた経済史研究を通し、朝鮮後期の資本主義萌芽論や日本による植民地収奪論などの韓国史学界の虚構の歴史認識を打ち壊した。さらに朝鮮王朝がなぜ衰亡したのか、植民地化とともにどのように近代文明が導入されたのか、独立後の大韓民国の驚くべき発展がなぜ成し遂げられたのか等を徹底して事実に基づき究明した。彼は後に続く学者たちとともに、当代の韓国人たちの間に広がっていた反日種族主義を打破しようとした。
 筆者も執筆に加わったその本は、韓国人が植民地時代に対して持っている歴史認識というものは作り出された話、すなわち虚構(フィクション)であることを痛烈な筆致で暴露した。今日多くの韓国人たちは、帝国主義下にあった日本が、旧韓末【編集部注:大韓帝国末期】の混乱期に朝鮮の領土だった竹島(韓国名は独島(トクト))を奪い取り、土地調査事業の過程で朝鮮人を虐殺し、土地を奪い、米を収奪し、朝鮮人数百万人を労働力として強制動員し、かつてアフリカで行われた奴隷狩りさながらに朝鮮の少女たちを銃剣で脅して連行し、日本軍の性奴隷にしたと信じている。この本は、このような韓国人の近現代史認識は根拠のない作り話であり、この嘘の話を鵜呑みにしている韓国人たちが日韓関係、更には米韓関係を破綻させているのが現在の大韓民国の危機の根源であると喝破した。
 この本に対し、反日種族主義に染まった学界と言論界に従事する者たちが悪意に満ちたとげとげしい非難を浴びせかけてきたが、一方で本に共感する人々も多かった。この本は学術教養書としては異例の一一万部以上の超ベストセラーとなった。
 慰安婦運動内部で次々不正が発覚
 二〇二〇年五月には、慰安婦運動を牛耳(ぎゅうじ)ってきた正義記憶連帯(以下「正義連」とする)の前理事長・尹美香(ユンミヒャン)による後援金横領疑惑が暴露された。驚くべきことに暴露したのは、尹美香と手を結び慰安婦運動の顔ともなっていた元慰安婦の李容洙(イヨンス)だった。彼女は、尹美香が元慰安婦たちを利用して集めた国民からの寄付金を私的に流用し、更には私欲にかられて国会議員にまでなったと批判した。このことはすぐにソウル市と政府から支援金を貰っている慰安婦運動組織・正義連と、その前身である韓国挺身隊問題対策協議会(以下「挺対協」とする)の会計不正及び寄付金橫領疑惑へと広がった。
 警察による捜査が進んでいた六月、この横領疑惑の内幕を知る麻浦(マポ)区にある慰安婦センター「平和のわが家」の管理所長が謎の自殺を遂げた。文在寅(ムンジェイン)政府の検察はその年の九月、尹美香を業務上横領、詐欺などの疑いで起訴した。しかし、文在寅が任命した金命洙(キムミョンス)大法院長【編集部注:日本でいえば最高裁判所長官】のもとにある地裁は二年半にもわたるモタモタ裁判の末、二〇二三年二月、一七〇〇万ウォンの横領のみを事実として認め、一五〇〇万ウォンの罰金刑を宣告した。尹美香はこの判決で免罪符を得たかのように意気揚々としていたが、九月の二審判決では懲役一年六カ月、執行猶予三年を言い渡された。(略)
 慰安婦運動家らが主張し、その間、大多数の韓国人が信じてきた慰安婦の物語は、果たして本当なのかという懐疑が広がり始めた。朝鮮人少女は本当に日本の官憲に強制連行されたのか、彼女たちは本当に慰安所で報酬も貰えず日本軍に集団強姦され、日本の軍人と業者に暴行拷問されたのか、そして本当についには日本軍が敗走する戦場に捨てられ虐殺されたのか、と。
 事実と食い違う証言
 実のところ、慰安婦運動に関わる韓日の慰安婦問題研究者たちの行ってきた研究自体が、その運動の真実性に疑問を抱かせるものだったのである。一九九〇年一一月の挺対協の結成、一九九一年八月の元慰安婦・金学順(キムハクスン)の最初の証言、一九九二年一月の水曜集会の開始から今に至る三〇年余りの間、慰安婦関係の資料が数多く発掘され、それらを分析した研究が多数出された。そして、その大多数の研究者は、結論として一様に「慰安婦は強制連行された性奴隷だった」と主張してきたが、彼らが資料の分析を通して実際に示した事実はその主張とは食い違っていた。
 強制連行、強制動員の客観的証拠はなかった。日本の軍人や官憲に強制連行されたことが客観的資料により明らかにされた慰安婦は一人もいなかった。性奴隷であったことは事実として立証されておらず、「私たちがなぜ性奴隷なのか」と反発する元慰安婦もいた。慰安婦運動家たちができるのは、「被害者がまさか噓をつくわけがない」「被害者の涙が証拠だ」と元慰安婦たちの証言の肩をもつことだけなのである。
 日本軍による強制連行、虐待、暴行を語った元慰安婦の証言。しかし、それらの証言をあらためて検証すると――? へ続く
 朱 益鍾/ノンフィクション出版
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 6月19日 YAHOO!JAPANニュース 文春オンライン「日本軍による強制連行、虐待、暴行を語った元慰安婦の証言。しかし、それらの証言をあらためて検証すると――?
 『反日種族主義「慰安婦問題」最終結論』より#
 朱 益鍾12時間前
 「日本軍慰安婦問題」は、長年、日韓の間で大きな問題とされてきた。この問題をめぐって、しばしば激しい反日運動が起きたことも記憶に新しい。しかし、韓国の歴史学者、知識人の間で、植民地時代の朝鮮について、実証的な研究を行い、それまでの反日的な歴史観は間違いだったことを論証する人々が現れた。
 それが一冊にまとまったのが李栄薫編『反日種族主義』である。そのメンバーの一人である著者の朱益鍾氏は、反日運動の核のひとつであった慰安婦問題を取り上げ、膨大な資料に基づき、「慰安婦問題」の事実を明らかにした。その最終結論ともいえる『反日種族主義「慰安婦問題」最終結論』(文藝春秋)より、プロローグを一部抜粋して紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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 辻褄の合わない慰安婦証言
 挺対協が関わる慰安婦証言集の中から、「慰安婦」キム・ウィギョンの証言をかいつまんでみてみよう。
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 一九一八年、京城(編集部注:現・ソウル)の太平(テビョン)通りで生まれたが、家は貧しかった ……二〇歳になった一九三八年の春だったか秋だったか、二人の日本の軍人が、私が一人でいる家に来た。彼らは「軍人たちの所に行こう」と噓をつき、汽車の駅に私を連れていった。
 そして馬を載せる貨車に八人の女性と一緒に乗せられた。京城の女性、全羅道の女性、慶尚道の女性など、みな捕らえられて来たのだった。……
 突然汽車が止まったと思ったら、一群の日本軍が汽車に押しかけてきて、無理やり貨車の戸を開けた。汽車には全部で三〇人余りの女性たちが乗っていたが、日本軍は私たちをみな野原に引きずり出し輪姦した。女性たちが死に物狂いで反抗すると、日本軍は刀で威嚇し銃床でなぐり始めた。私はなぐられ、身体中傷だらけになり血まみれになった。幾人かの女性は逃げようとしたが、むやみやたらに銃で撃たれ弾に当たって死んだ。……
 汽車は南京の、とある河の北側に到着した。私たちは馬小屋で過ごしたが、数日間は食べるものもなく飢えるしかなかった。私たちは昼は日本軍の服を洗い、夜は日本軍に蹂躙された。この部隊はときには数百人にもなった。……
 南京に一年ほどいたが、その後、車に乗せられて部隊について回り、宣昌(二年)や長沙(四年)に移った。……日本の軍人たちがお金をくれたが、日本が負けるとそれには何の価値もなくなった。(韓国挺身隊研究所 2003年)
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 私には理解しがたい証言である。日本の軍人が白昼に京城のある民家に押し入り「軍人たちの所に行こう」と言って女性を引っ張っていった、そうやって引っ張っていった女性たちを汽車に乗せ、遠く中国にまで連れていった、そして、どこかで汽車が止まると、別の日本軍が束になって押しかけてきて女性たちを強姦し、逃げる女性たちは銃で撃ち殺したというのである。女性たちが逃げたとしても、軍人だったらたやすく捕まえられたはずで、せっかく遠くまで連れてきた女性たちを、そんなに簡単に銃で撃ち殺したりするだろうか。そもそも、苦労して女性たちを引率してきた側の軍人たちは、押しかけてきた側の軍人たちが彼女たちを銃で撃ち殺したりしても、指をくわえて見ていたのだろうか。年老いた元慰安婦が辻褄の合わない話をするというのは、ありがちなことではあるが、この証言を採録した者が何の事実確認作業もしなかったというのは、私にはまるで理解できない。
 理解しかねるのは、有名な慰安婦運動家の李容洙の証言も同じである。一九九三年に刊行された初の慰安婦証言集で李容洙は、友人の母親から、友人と一緒に良い所に仕事に行くよう提案され、こっそり家出したと証言している。日本人の男から赤いワンピースと革靴を貰い、とても嬉しくて彼についていったという話だった。李容洙は一九九二年八月一五日に放送されたKBSテレビの「生放送 女性、私は女子挺身隊」という番組でも「私はそのとき一六歳で、貧しくてボロしか着られず、ろくに物も食べられずにいたのだけれど、誰だったか赤いワンピース一着と革靴一足を持ってきてくれました。それを渡されながら行こうと言われ、それを貰って、そのときは何も知らずに、いいよと言ってついてゆきました」と証言していた。
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 ところが後日、李容洙は、日本の軍人や官憲に強制的に連れてゆかれたと証言を変えた。特に二〇〇七年二月一六日の米国議会の聴聞会では、「軍人と女の子が入ってきて肩をこう摑み、片手で口を塞ぎ、背中に何かを突きつけながらそのまま連れてゆきました、夜に」と証言した。米国議会の聴聞会という重要な席でようやく、それまで口にできなかった真実を述べたのか、それとも、あまりにも重要な場だったので意図的に噓をついたのか。このことについて慰安婦運動家たちは、何の言及もしようとしない。
 透き通った目で資料を読む
 慰安婦がいかなる存在だったのか知っていた同時代の人たちは、慰安婦を日本による植民地支配の被害者とはみなさなかった。韓日請求権交渉においても、慰安婦は韓国側の被害事例として提起されなかった。日本軍慰安婦が存在していたときから四〇年余りが経ち、その記憶を持つ人たちがいなくなると、新たな慰安婦の物語が作られ始めた。
 道ばたで、村の井戸ばたで、あるいは我が家で日本の軍人や官憲に捕まえられた朝鮮人少女が、 日本による侵略戦争の戦場に引っ張ってゆかれ慰安婦にさせられた。朝鮮人少女は日本軍の性の慰み者として酷使されたばかりでなく、日本の軍人に虐待され暴行された。そしてついには日本の敗戦時、その少女らはふるさとに帰れず虐殺された。運よく生きて帰ってきた少女らは、後日おばあさんになってようやく慰安婦の実態を告発し、日本を糾弾した。
 この慰安婦の物語は、強制動員された徴用工の物語とともに韓国人に強烈な反日感情反日主義を呼び起こした。自分の姉妹が、娘が日本軍に連れてゆかれて性の慰め者になったとしたら、どうして怒らずにいられるだろうか。この物語を作り出し慰安婦運動を主導した挺対協、正義連は、ついに政府の対日外交まで牛耳るに至った。その結果、二〇一〇年代末の慰安婦運動と徴用 工運動は韓日関係を破綻状態に追い詰めた。
 歴史の真実を明らかにしようとする幾人かの勇気ある歴史家たちが、慰安婦の真実を語り始めた。そしてまた、慰安婦運動家たちの間の内輪揉めによりその黒い内幕も一部露わになった。ついに真実の時間が訪れた。慰安婦関連資料はその間、とてつもない量にまで蓄積された。反日の色眼鏡をはずし、透き通った目でこれらの資料を読みさえすれば、日本軍慰安婦制がどのようなものであったのか、きちんと把握できる。さあ、一緒に日本軍慰安婦制の内幕を探る旅に出よう。
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☷39〕─2・B─外国人労働者にとって韓国は日本よりも賃金や文化は魅力的である。~No.98 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 外国人の人材や労働者は、働き先として差別主義者の多く低賃金で奴隷のように働かれるブラックな日本よりも韓国や中国を選ぶ。
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 2024年5月18日 MicrosoftStartニュース 東洋経済オンライン「外国人労働者が日本を働き先として選ばない理由 日本よりも韓国が賃金も文化も魅力的という現実
 西垣 充
 日本以上に外国人にとって魅力的な就労国はある。その現実に日本は気づき、来てもらう努力が必要だ(写真・Fast&Slow/PIXTA
 © 東洋経済オンライン
 「近所のレストランに行ったら、席は空いているのに着席できず長時間待たされた」「ホテルの宴会需要はあるが、人がいなくて受注できない」「介護施設の入居依頼があるものの、入居者がいないフロアがあるほど人が足りない」
 こういった言葉がよく聞かれるようになりました。レストランや介護施設では、配膳ロボットなど自動化を駆使したところもありますが、業務すべてを任せるまでには至っておらず、やはり人手に頼らざるをえない現実があります。
 そして、人を募集しても集まらない。結果、利用者に不便をもたらし、企業には売り上げ減につながるという状況が相次いで発生しています。
 2030年には63万人の外国人労働者が不足
 総務省統計局の発表によれば、2023年10月1日現在の総人口は1億2435万2000人で、前年に比べ59万5000人減で、13年連続で減少しています。
 出生数から亡くなった人の数を引いた「自然増減」では83万7000人減、17年連続減少していますが、一方で「転入・転出」による人口の増減、すなわち「社会増減」では、24万2000人増で、2年連続の増加となっています。増加要因をみると、日本人は2000人の増加ですが、外国人は24万人増となっています。
 2022年3月31日、独立行政法人国際協力機構(JICA)の研究機関である「緒方貞子平和開発研究所」は、「2030/40年の外国人との共生社会の実現に向けた取り組み調査・研究報告書」を発表しました。
 この報告書は、日本がさらなる経済成長を達成するため、2030年と2040年時点での外国人労働者を送り出す国の人口動態と産業構造の変化・労働市場を予測。そのうえで、将来の外国人受け入れに関するものです。
 この報告書によれば、2030年時点で必要な外国人は419万人ですが、実際に外国人の労働供給の潜在力からすれば63万人が不足すると見通しています。
 なぜ不足するのか。その要因としては、労働者を送り出すアジア各国が経済成長していくことで日本との賃金格差が縮小することや少子化が列挙されています。一方で、日本国内では「日本人だけでも成長を達成することができるのではないか」といった声も多いと感じています。
 この報告書は国籍別の来日外国人労働者を予測していますが、ベトナムは2030年までは大きく増加するが、それ以降はほぼ横ばいで推移。一方、カンボジアミャンマーは2030年以降も大きく増加すると報告しています。
 この報告書は2022年3月に発表されたものですが、その1カ月後の同年4月時点でのアメリカドル・円相場は115円前後。現在(2024年5月)時点では、160円に迫るレートで推移しています。
 来日外国人労働者の主な目的は「お金」です。自国で働くよりも稼げるから海外で働く。これが現実です。
 そのため、日本で稼いだお金を自国通貨に計算して「いくら稼げたか」が大切で、当然円安になればなるほど、日本円建ての給料は同じでも自国通貨に換算すれば目減りします。となると、日本で働く意欲が減退し、日本を就労先として選択することにも影響を及ぼします。
 ミャンマー人にとって日本は人気があるが…
 今後、外国人が日本で本当に働くのか、との不安もあります。2030年以降も日本で働く外国人として大きく増加するとされているミャンマーは、2021年2月1日にクーデターが発生し、国内経済が低迷して雇用情勢が悪化。そのため、海外に就職先を求める若者が急増しています。
 ミャンマー国内で求人し、海外就労する手続きを行う「送り出し機関」は2020年11月時点で285ありました。2023年3月時点では547。うち日本への送り出し許可を持つ企業は445と拡大しています。
 ミャンマー労働省によれば、日本に紹介した実績があり、実際に稼働している日本向け送り出し機関は142と見ていますが、それでも日本を就業先として選んでいる人気ぶりがわかります。
 関連するビデオ: “無許可でも働ける” オーバーステイなどの外国人65人派遣か「金を稼ぐ目的」社長らを書類送検 (読売テレビニュース)
 2023年12月、全世界で一斉に行われた「日本語能力試験」(日本語を母国語としない外国人の日本語力を測定)には、ミャンマー人は中国に次いで2番目に多い約10万人が受験しました。
 ベトナムでは約3万人、ネパールでは約3500人であり、ミャンマーでの日本人気は目を見張るものがありますが、だとしても、手放しに喜べる状況ではありません。
 ミャンマー労働省によれば、2022年4月から2023年3月まで、ミャンマーから海外へ正式に就労を申請した人数は20万8311人。うち日本は1万5010人と全体の約7%にとどまっています。トップはタイの約13万人、次いでマレーシアの約4.2万人で、3番目に多いのが日本です。
 ただ、日本の人気が低いというわけではありません。そもそもの求人数が少ないことに加え、語学力を求められるため、ある程度勉強ができる層が日本を目指します。同じような状況は、韓国にも当てはまります。
 2022年4月から2023年3月中の数字では日本より少ないですが、韓国政府は早くからミャンマー政府と労働者受け入れの契約を行っており、2008年からEPS制度(低熟練外国人労働者の受け入れ制度)を開始し、ミャンマー人労働者が合法的に韓国に入国し始めました。
 当時、ミャンマーでは「サフラン革命」と呼ばれる大規模なデモがあり、デモを取材していた日本人ジャーナリストの長井健司さんが銃撃され死亡し、日本でも報道されました。そのような大混乱の最中に、ミャンマー政府と韓国政府が労働者に関する「2国間契約」を結んだことには大いに驚いたものでした。
 「日本より韓国に親近感がある」
 EPS制度はEPS-KLT(韓国語試験)に合格した人々に韓国で働く機会を与えるものです。これは、ある程度の日本語力が求められる人でなければ日本に行けないという点で、日本と韓国は「新たに語学を学んで渡航しようとする人材層」はまるっきり被ってしまっています。
 日本とミャンマーは歴史的に深いつながりがありますが、ミャンマーでも韓国ドラマやK-POPなどの「韓流」の人気は根強く、とくに若者にとっては強い親近感を持つ国になっています。そのため、韓国での就労を目指しEPS-KLT受験者が急増しています。
 2024年3月19日から始まったEPS-KLTの申し込みには、朝4時の申請開始時間に間に合わせるため、前日の午後6時から受験者が並び始めるなど、連日すごい人が殺到しました。正式発表はないものの、地元メディアによれば10万人をはるかに超えたとの報道があります。
 「日本語検定試験を受験した友人が、今回の韓国語テストにも受験していた」と私が経営する会社の社員からも聞けるほどの人気です。私の会社が運営する日本語学校には、日本での就労を目指して随時300人ほどが学んでいますが、最近入学する生徒に「なぜ日本語を学び始めたのか」と聞いたことがあります。
 日本に行きたい理由を聞くために質問したのですが、実は「当初は韓国語を勉強しようと思ったが、韓国へ行ける人数が少なかったので日本を選んだ」と話す生徒もたくさんいたほどです。
 では、ミャンマー人にとって、日本と韓国はどのように捉えているのでしょうか。
 どちらで働くにも、それぞれの言葉を覚えなければなりません。一般的に、ミャンマー語と日本語は文法がほぼ同じで覚えやすく親和性も高いとされています。
 実は韓国語やモンゴル語も、その点では同じ言語です。日本語は韓国のハングルと比較すると、「カタカナ」や「漢字」など覚えるものがたくさんあり、日本語学習者のやる気を削ぐことがあります。
 文化面では、アニメなどを通じて日本の文化を知る機会はあるのですが、仕事の特殊性や会社の成り立ちがよく伝わっているわけではありません。一方、韓国ドラマやK-POPは生活に入り込んでおり、実際の韓国人の生活や文化が浸透し「親しみやすい国」という印象を相対的に持つ人が多いとも言えます。
 最低賃金:日本8.5ドル、韓国9.5ドル
 労働面でも、例えば税制からいえば、日本で働く外国人は、働いて一度退職して帰国するとそれまで納付していた5年分の年金が返ってくるという還付制度があります。これは、外国人を採用している日本企業から「なんとかならないか」と相談をよく受ける問題で、就労から5年経つと辞める人材が多いということです。
 企業からすれば、5年も働いてようやく育ってきたところで退職されてしまうというデメリットが大きい。一方、韓国ではミャンマーと租税条約を結んでいることもあり、ミャンマー人からすれば年金に加えて納税した金額の多くの部分が還付されていると聞きます。5年近く韓国で働いたミャンマー人によれば「100万円相当が帰国後に還付された」と話していました。
 このように、海外で働く人にとっては「賃金」がどうなのか、が一番のポイントになるのはいうまでもありません。日本と韓国の最低賃金アメリカドルベースで比較すると、2018年を境に韓国が日本をすでに上回り、2022年には日本の8.5ドルに対して韓国は9.5ドルと差が開いています。
 海外就労を希望するミャンマー人にとって、韓国のほうがお金が稼げるという事実はとても魅力的です。日本では「韓国は給料はよいが、職場環境が悪いから」という声をよく耳にします。
 しかし、一部ではそういったブラック企業があるかもしれませんが、韓国で働くミャンマー人は日本同様、その現場の様子は母国ミャンマーSNSなどで細かく伝わっており、職場環境や仕事内容も理解したうえで韓国を選んでいるようです。
 私が経営する日本語学校では、全生徒に次のように伝えるようにしています。
 「日本では1年で100万円を貯金できるかもしれません。10年働けば1000万円になります。今の皆さんにとっては大金ですが、今のミャンマーで1000万円で何が買えるでしょうか。ヤンゴン郊外の小さなアパートがやっと買えるぐらいです。それを買えば何も残りません。日本に行って少し給料の高いところに転職しても、例えば1000万円が1500万円になれば金額は大きいと感じるかもしれませんが、一生お金に困らない金額にはなりません。目の前の賃金に惑わされず、長い人生の中で自ら稼げるようになるよう、日本で働き、生活してほしいと願っています」
 日本を理解してもらう努力こそ必要
 日本の厚生労働省は「賃金引き上げ特設ページ」を公開するなど、ベースアップを推進していますが、現実的に賃金を上げることは企業にとって簡単なことではありません。
 日本で働く魅力や生活を、ミャンマーをはじめ海外の方々にもっと知ってほしいのですが、日本人が思っているほど海外の人たちは日本を知りません。日本の国際交流基金など、日本の魅力を伝える活動を行っている機関はありますが、韓国に比べれば予算が1桁も2桁も違うと聞きます。
 日本のことを理解していないような外国人を受け入れるだけでは、日本国内でも受け入れを理解されず、ひいては治安の悪化にもつながりかねません。日本の魅力を理解し目的意識をしっかり持った外国人に日本を選んでもらえるような努力を、日本も十分にすべきではないでしょうか。
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🌋6〕─2─SDGsは約2000年前の弥生時代からすでに日本に存在していた。~No.18No.19 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 日本列島とは、春夏秋冬、季節に関係なく、広範囲に同時多発的に頻発する複合災害多発地帯である。
 日本の自然は、数万年前の旧石器時代縄文時代から日本列島に住む生物・人間を何度も死滅・絶滅・消滅させる為に世にも恐ろしい災厄・災害を起こしていた。
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 2024年6月16日 YAHOO!JAPANニュース 山内琉夢歴史プレゼンター「2030年に地球が限界?弥生時代から続いてきた私たち現代人が意識すべきこと
 豊島株式会社 PRTIMESより
 地球環境に負荷をかけ続けている現状のまま2030年を迎えてしまうと、さまざまな社会問題が発生するとして世界中が警鐘を鳴らしていることはご存知でしょうか。
 これは「気候変動」、「大気汚染」、「水質汚濁」、「海洋汚染」などの地球環境問題に加えて、国際紛争の影響による差別や貧困などが要因だとされています。
 上記のような問題を解決すべく、2015年に国連サミットで採択されたのが持続可能な開発目標こと通称「SDGs」です。
SDGsについて
 鳥取県立むぎばんだ史跡公園の展示物 弥生時代のイメージ画像
 SDGsとは、経済・社会・環境の3分野に分けて問題視されている対象について、国際間で協力して解決しようというもの。リサイクルやリユースといった形で、すでに私たちの生活に溶け込んでいるものもあります。
 日本で初めてそういった概念の存在が確認されたのは、驚くべきことに約2000年前の弥生時代のことでした。
 鳥取県立むぎばんだ史跡公園の展示物 弥生時代のイメージ画像
 当時の日本は稲作などの食糧生産が始まったばかりでしたが、弥生時代を生きる人々はさまざまなものを利用・再利用して日々の暮らしを豊かにしていたのです。
 例えば、弥生時代で食料の保存や調理に利用された「弥生土器」にも、SDGsの要素が取り込まれていました。それは、食べたあとの貝殻や余ったロープを使用して施された幾何学的な文様です。
 このほかにも、食器として貝殻や石を活用したり、食料であったアワビから真珠を取り出してネックレスとして利用したりしはじめたのもこの頃だといわれています。
□中世以降に芽生えたリサイクルの精神
 平安時代の美女 小野妹子
 SDGsの一環でもある「リサイクル」の精神が人々のあいだで芽生えたのは、奈良時代平安時代のことです。
 この頃には再生紙(古紙)が利用されはじめ、江戸時代にもなると古着や古布が利用されるようになります。
 また、明治時代にはリサイクルが産業として発展し、昭和・平成には空缶や空ビン、アルミや紙など様々なものが再利用されるようになりました。
 さらに近年では、年間523万トン(※)も排出されるフードロスの問題が指摘されていますが、廃棄食料を活用する様々な取り組みやビジネスも拡がってきており、それらの取り組みに注目が集まっています。
 ※農林水産省及び環境省「令和3年度推計」
 豊島株式会社 PRTIMESより
 今回は、このようなフードロス問題にファッション業界からアプローチする「豊島株式会社」に取材を敢行。さらにフードロス問題以外にも、様々な切り口でSDGsへの取り組みを実施しているとのことで話を聞きました。
□豊島株式会社とは
 豊島株式会社 PRTIMESより
 天保12(1841)年に創業した豊島株式会社(以下、豊島)は、初代・豊島半七が綿の仲介人として商いを発足させてから183年間続いている老舗企業です。
 現在では綿花の売買をおこなうほか、生地や糸の開発・売買、アパレルブランドの OEM(製造のみの委託)からODM(開発、設計、製造までの委託)といった事業にまで幅広く携わっています。
 そんなファッション業界の全ての工程に携わってきた豊島は、洋服製作が様々な面で環境に負荷をかけてしまうことにいち早く着目。ファッション業界に携わる企業の責任として、30年前から木材由来のサスティナブルな素材を扱ったり、19年前からはオーガニックコットンの普及を進めるプロジェクト「ORGABITS(オーガビッツ)」をスタートするなど、サステナブルファッションの推進に注力しています。
□オーガビッツ
 豊島株式会社 PRTIMESより
 「ORGABITS(オーガビッツ)」とは、オーガニックコットンを通して、みんなで“ちょっと(bits)”ずつ地球環境と社会に貢献しようという想いから2005年に始まったプロジェクトです。
 コットンの原料である綿花は、効率よく栽培するために大量の除草剤や殺虫剤、化学肥料が使われており、このような栽培方法は土壌汚染や農場周辺の健康被害として深刻な問題を引き起こすこともありました。
 一方のオーガニックコットンは、時間や金銭が嵩むといった問題はあるものの、手作業での除草や害虫駆除を行うことで、地球環境や生産者に負荷をかけない、自然循環に沿った栽培が可能となっています。
 ただ、こういった手間がかかる分、オーガニックコットンを使用した洋服の価格が高くなってしまう中、オーガニックコットンの使用量100%にこだわるのではなく、オーガニックコットンを10%以上使用して作られた商品を100倍の人に届ける、という逆転の発想のもとでORGABITSを発足。さらに、ORGABITSを導入したアイテムの価格にはオーガニックコットン農家やNPO法人を支援するための寄付金が含まれているなど、一枚の服を通して日常的に参加できる社会貢献活動としても輪を広げています。
□フードテキスタイル
 豊島株式会社 PRTIMESより
 豊島では「ORGABITS」のほか、繊維素材が地球環境に与える影響に配慮した持続可能な素材開発に努めています。
 その一環として、色や形が悪いために廃棄されてしまう野菜や果物を洋服の染料として生まれ変わらせるサステナブルなプロジェクト「FOOD TEXTILE(フードテキスタイル)」を立ち上げました。
□現代人が意識すべき課題
 豊島株式会社 PRTIMESより
 今回紹介したプロジェクトのほかにも、豊島株式会社はビーチクリーンアップ活動で回収した漂着ペットボトルを繊維に生まれ変わらせる「UpDRIFT(アップドリフト)」というプロジェクトにも取り組んでいます。このプロジェクトの下、環境問題について考える・取り組むきっかけを提供することを目的とし、2022年11月に「大阪の修学旅行生達との石垣島でのビーチクリーン活動」を実施。本活動の記録として、材料の一部にUpDRIFTの糸が使用された、学生たちがオリジナルでデザインしたアパレルやグッズを作成しました。
 こういったイベントは、これからの地球を背負うことになる学生たちにとって、様々な環境問題を学ぶことができるすばらしい機会になるでしょう。
 また学生たちだけでなく、地球の環境問題を考えることは現代を生きる私たちの使命ともいえます。かつての先代たちが積み重ねてきたSDGsの精神について、今一度考えてみるのもいいかもしれません。
 山内琉夢
 歴史プレゼンター
歴史ライターとしての活動経験を持ち、今までに32都府県の歴史スポットを巡ってきました。実際に現地へ行くのが難しい方に向けて、取材した歴史スポットについて紹介します。また、歴史に興味をもったことがなかった方にも楽しんでいただけるよう、歴史偉人の意外な一面や好きな食事・おやつの紹介など、ワクワクするような内容をお届したいです。
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☵57〕─3─反日種族主義。反日従軍慰安婦運動の背後に北朝鮮。~No.464 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2024年6月15日 産経新聞慰安婦問題「最終結論」韓国の朱益鍾博士、虚偽を広げた人に「責任をとってもらいたい」
 「嘘の歴史に振り回された慰安婦運動時代の終焉」と題して講演する朱益鍾博士=15日午後、東京都内(原川貴郎撮影)
 『反日種族主義「慰安婦問題」最終結論』(文芸春秋)を出版した韓国の朱益鍾(チュイクチョン)博士(経済学)が15日、東京都内で講演し、慰安婦を巡る「強制連行」や「性奴隷」といった言説は「捏造(ねつぞう)」だとした上で、日韓の研究者や活動家らを念頭に「約30年の一世代の間にいろんな詐欺の話を広げた人たちは責任をとってもらいたい」と語った。
 【表でみる】慰安婦問題をめぐる経過
 朱氏は講演で、日本の植民地下の朝鮮の女性が中国戦線の慰安所に赴く場合は、親権者承諾書や戸籍謄本、印鑑証明書など家族の同意がなければ発行できない書類が必要だったことを指摘。拉致や物理的な強制連行が「実際にはあり得なかった」と説明した。
 さらに慰安婦は「年季労働者」で、前借金の返済後は売り上げの50~60%を得ていたことや、現在の価値で1億~2億円の貯金をした慰安婦がいたこと、終戦前に朝鮮に帰還していたことなどを説明。「性奴隷という説は成立しない話だ」と語った。
 また朱氏は、朝日新聞が、韓国・済州島で「慰安婦狩り」をしたとする吉田清治という人物の証言を報道したことが、慰安婦問題が「爆発的に広がる原因となった」ことや、朝日がそれらの報道を2014年に「ようやく訂正した」ことを紹介。その上で強制連行、性奴隷説を広げた人物として吉見義明中央大名誉教授や戸塚悦朗弁護士の名前を挙げて「朝日は過去の過ちを認めたが、彼らに過去の発言や主張の過ちを認めることはできるのでしょうか」と語った。
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 2022年11月22日 YAHOO!JAPANニュース ZAKZAK慰安婦運動の背後に北朝鮮か 日本大使館前の少女像守る「大学生団体」は従北政党メンバー 韓国人ジャーナリストが欺瞞性を激白
 どうなる日韓関係
 少女像を守ろうと座り込む若者たち。メディアは当時、「大学生団体」と紹介していた=2020年6月24日、ソウル
 韓国人ジャーナリストが、慰安婦運動の欺瞞(ぎまん)性を激白した。ソウルの日本大使館前に設置されている「平和の少女像」を守る活動を行っていた「大学生団体」が、「従北」の政党メンバーだと明らかにしたのだ。朝鮮半島の赤化統一に野望を燃やす北朝鮮が日米韓の連携を崩す材料の一つとして、慰安婦運動を利用している可能性があるという。
 「北朝鮮はいまだに統一をあきらめていない。韓国の安全保障を支える日米との協力関係を崩すことで、自分たちの目標を達成したいと思っている。その方法の一つが慰安婦運動だ」
 韓国で慰安婦運動の問題点を追及するフリージャーナリスト、朴舜鍾(パク・スンジョン)氏は夕刊フジの取材に対し、北朝鮮の狙いをこう読み解いた。
 慰安婦運動と北朝鮮の関係について話す朴舜鍾氏=16日、東京都文京区
 朴氏は今月16日に東京都文京区で行われた「慰安婦問題を巡る 日韓合同シンポジウム」に参加し、慰安婦運動の問題点を語った。
 今年5月に発足した尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は日本との関係改善を模索するが、いわゆる「徴用工」と慰安婦の問題が高いハードルとなっている。韓国で事実に目を背け、2つの問題で反日を叫ぶ勢力があるからだ。
 朴氏が明らかにしたのもそうした動きの一端だ。2020年6月、「反日行動」と称する団体が、日本大使館前にある慰安婦を象徴する「平和の少女像」の前で座り込みを始めた。団体のメンバーは自分たちの体と像をひもで結び、「少女像を守ろう」と訴えた。
 一見義憤に駆られて行動を起こしたようにも映る団体について、韓国メディアは「学生団体」「大学生団体」などと伝えた。ところが、朴氏が団体メンバーの素性を調べたところ、「民衆民主党」という政党に所属していることが分かった。
 同党について、「思想的基盤は主体思想で、いわゆる『従北』だ。政党活動は主として在韓米軍の撤退運動などに当てられている」と朴氏。その前身は「自由統一と民主主義のためのコリア連帯(コリア連帯)」という団体で、北朝鮮の思想やスパイの浸透を取り締まる韓国の国家保安法に基づき、「利敵団体」にされているという。
 だが、なぜ北朝鮮が従北団体を使って慰安婦運動を後押しするのか。朴氏は慰安婦問題について「日朝国交正常化交渉を前に有利な環境を造成する目的で引き起こされ、今は日韓両国の国民を互いに歯向かわせる機能をしていると理解するのが妥当だ」と分析。日韓友好のため、日本人と韓国が慰安婦問題の「真実」に目覚める必要性を強調した。
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 2020年1月17日 YAHOO!JAPANニュース 産経新聞「「韓国は民主国家として未熟」親日・韓国人ユーチューバー激白! 留学中に反日洗脳から解放、「『韓国の歴史教育はウソだった』と確信した」
 WWUK氏は、韓国海軍によるレーダー照射事件で、祖国のウソに激怒したという
 日韓の歴史を見直し、熱烈な日本愛を語る韓国人ユーチューバーの動画が話題となっている。WWUK(ウォーク)氏は、オーストラリア留学中に、祖国の異常な「反日教育」から目覚め、現在は日本で暮らしている。文在寅ムン・ジェイン)政権の狂気や、歴史の真実に迫った投稿に対し、同胞から「お前を殺すためにナイフを買った」「夜道に気をつけろ」などと殺害予告も受けている。「両国の未来のために、脅しには屈しない」というWWUK氏を直撃した。
 ◇
 WWUK氏は中学生時代、留学先のオーストラリアで日本人と知り合い、自分が学んだ日韓の歴史に疑問を持った。
 「インターネットなどで調べるうち、『日韓併合』や『竹島問題』などについて、韓国の教育とはまったく違う歴史的事実が次々に出てきた。最初は半信半疑だったが、世界の資料にも当たって、『韓国の歴史教育はウソだった』と確信した」
 その後、日本の文化や価値観に魅力を感じ、両親を説得して日本の高校を卒業し、日本の専門学校で学び、ゲーム楽曲などの制作会社で働いた。
 「日本で十数年暮らしたが、『理想の国』そのものだった。日本人は細かなところまで配慮が深く、『親しき仲にも礼儀あり』という考えを持つ。治安も良く、平和で、日本人の人柄と国柄に、ひかれた」
 ユーチューバーとなり、最初は日本語でエンタメ分野を中心に投稿していた。だが、一昨年12月、韓国海駆逐艦による海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件が発生した。韓国政府の対応に「自分の中でカチンときた」「まるまる目に見えるウソが、いつもよりひどかった」と怒りを覚えた。
 そこで、時事問題や日韓の歴史も積極的に取り上げるようになり、日本の視聴者には大いに注目・支持された。
 WWUK氏の動画(WWUK TV)には、「韓国人から炎上 レーダー照射事件」「韓国人が徴◯工真実暴きます」「徴用工 嘘またもバレる」「韓国終了? 赤化統一近いかも」「韓国国会議長 天皇陛下に謝罪要求…韓国国民の反応和訳」「Kメディアが旭日旗を批判するも K民は意外な反応!?」「放射能を理由に東京五輪をボイコット」などと、実に興味深いタイトルが並んでいる。
 一方、韓国語では発信していないが、韓国の視聴者から「それでも韓国人か」「売国奴!」「(スーパーに)包丁と果物ナイフが安く売っているな」「集団でお前を刺すことを考えると、楽しみだ」「刺されるのはお前が先か、ソウルにいるお前の親が先か」「お前の住所は特定している」などと、殺害予告のコメントが書き込まれるようになった。
 WWUK氏は、身に危険を感じて、日本の警察に被害届を提出した。「こうした脅迫行為を、韓国人が平気ですると思われるのは悲しい」と語る。
 投稿動画をめぐっては、途中から「慰安婦」や「韓国」「文在寅」などの言葉が、「NGワード」として投稿制限に引っかかり始めたという。抗議が集中するためとみられるが、韓国人のWWUK氏に「韓国」がNGとは皮肉であり、ネットの異常さを感じる。
 史上最悪とされた日韓関係は、中国・成都で昨年12月24日に行われた日韓首脳会談を経て、関係改善が期待されている。
 だが、文大統領は14日に行った年頭の記者会見で、いわゆる「元徴用工」問題について、「最も重要なことは被害者の同意を得ることだ」「日本側も修正意見を出すべきだ」などと妄言を炸裂(さくれつ)させた。日韓の請求権問題は、1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決」しているのにだ。
 WWUK氏は「韓国は民主国家として未熟だ。『国家間の約束は守る』という自覚がない。両班(ヤンバン)という特権階級がいた時代、奴隷扱いされた庶民はお金に対する執着が強い。日本はこれまで韓国を甘やかし、つけ上がらせてきた。今後も、安倍晋三政権のような強い姿勢を維持すべきだ」と指摘した。
 卑劣な脅迫を受けながら、WWUK氏は今後も発信を続けていくという。彼を突き動かすものは何なのか。
 「日本の若者にも、左派メディアや自虐教育の影響か『日本が悪いことをした』と潜在的に考える人もいる。そういう人たちに、日韓の真実の歴史を伝えたい。実は、韓国人の中にも、文政権の突出した『反日政策』に冷めている人は多い。反発も強いだろうが、いつか韓国人にも韓国語で発信したい。韓国の若い世代に正しい情報や歴史を伝えることで、日韓の未来をつくっていきたい」
 ■ウォーク 韓国・ソウル生まれ。中学2年生の途中でオーストラリアの中学校に留学・卒業した後、日本の高校と音楽専門学校を卒業する。日本のゲーム音楽などを手掛ける制作会社に3年間勤務。現在は、日本でユーチューバーとして、日韓の真実の歴史について発信している。「WWUK TV」のチャンネル登録数は約29万人。著書に『韓国人のボクが「反日洗脳」から解放された理由』(ワック)。
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☱11〕─2─ローマ法王は3・1暴動を鎮圧する日本にエールを送り天皇に連帯を求めた。〜No.22No.23 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 ローマ教皇は、宗教的絶対権威者として、旧教のみの最高位の聖職者で、使徒ペテロの後継者として全カトリック教会を統率している。
 教皇無謬説(きょうこうむびゅう せつ)。地上での教皇の至上権を護る為に、信仰と道徳に関して語る教皇の言葉は無謬であるとされている。
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 教皇ベネディクト15世と謁見し「バチカン天皇との連帯」の伝言を聞いたのは、摂政宮裕仁皇太子(後の昭和天皇)である。
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 バチカンローマ・カトリック教会は、反宗教無神論革命を広める悪魔のイデオロギーであるマルクス主義共産主義と戦う日本国と昭和天皇を支持していた。
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 キリスト教朝鮮人テロリストは、日本人の共産主義者無政府主義者テロリスト同様に昭和天皇と皇族を惨殺すべく付け狙っていた。
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 日本の大陸戦争は、ソ連コミンテルン中国共産党・国際的共産主義勢力から天皇・国家・民族を守る為の積極的自衛戦争であった。
 歴史的事実として、日本は被害者であって加害者ではい。
 日本軍は、戦場で敵兵とゲリラ・便衣隊・民兵を数百万人殺す戦争犯罪をおこなったが、同じ戦場の災害地では敵国の一般人や兵士を被災者として数千万人助ける人道貢献もおこなっていた。
 32年テーゼ。
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 バチカンは、満州事変を支持し満洲帝国を独立国家として公式に承認し、カトリック教徒が靖国神社を参拝する事を許し、そして反宗教無神論者から靖国神社を守った。
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2019年11月22日 三・一独立運動で日本にエール 法王は天皇に連帯を求めた 「軍服の修道士 山本信次郎」
 三・一独立運動で日本にエール 法王は天皇に連帯を求めた 「軍服の修道士 山本信次郎」
 ローマ法王の38年ぶりの来日を機に、『坂の上の雲』にも登場しながら、これまで知る人ぞ知る存在だった愛国のクリスチャン軍人、山本信次郎(1877~1942年)の初の本格評伝が出版された。本紙客員論説委員・皿木喜久著『天皇と法王の架け橋 軍服の修道士 山本信次郎』(産経新聞出版)。カトリック教徒の海軍軍人として日露戦争を戦い、昭和天皇の側近として「バチカン」との架け橋となった人物だ。同書の中から、昭和天皇が皇太子時代に訪欧した際、朝鮮半島での「三・一独立運動」をめぐり、当時のローマ法王が皇太子に連帯を求めた秘話を抜粋した。ネットでのご購入はこちらへ。
●124代と258代、初めての出会い
 大正10(1921)年7月15日夕、皇太子・裕仁親王殿下の姿は、イタリア・ローマ市のテベレ川右岸のローマ法王庁にあった。
 いうまでもなく、後の昭和天皇である。まだ20歳になったばかりだった。陸軍正装に身を包み、初々しさを漂わせておられた。
 皇太子はこの年の5月から、イギリス、フランスなど欧州各国を歴訪中で、ローマ法王庁は、その最後の訪問地だった。
 ローマ法王庁が「バチカン市国」として、正式に独立するのはこの8年後のことだが、世界中の信者約3億人(当時の推定)というカトリックの総本山であることに、変わりはなかった。
 皇太子とその供奉員(お供)たちの一行を乗せた車は、サンダマン内廷の入り口に着いた。法王庁で最も有名な聖ピエトロ大聖堂の北側、バチカン宮殿の一角、法王の居室がある建物である。
 軍旗を持った儀仗兵が整列して出迎え、軍楽隊が「君が代」を演奏した。
 3階にある法王の居間まで階段を上っていく途中では、甲冑(かっちゅう)で身を固め、長槍を持ったスイス兵たちが先導し、一行はまるで中世のヨーロッパに来たような錯覚にとらわれた。
 居間の前に着くと、法王ベネディクト15世が部屋から出てきて、一行を出迎えた。法王は我が子のように、皇太子の手を握り書斎に招きいれる。
 7年前の1914年、法王に選ばれたベネディクト15世は66歳。西洋人としては短躯で、「慈愛に満ちて穏やかな」といった歴代法王のイメージとは異なり、鋭い眼光の持ち主だった。
 終わって間もない第一次世界大戦中に、和平をうながす回勅を出したり、戦後のヴェルサイユ条約の内容を批判したりした。表情さながらに、国際政治に対して、鋭い発言をしている法王だった。
 書斎に招かれたのは皇太子殿下と、「輔導(ほどう)」役として訪欧に同行している皇族の閑院宮(かんいんのみや)載仁(ことひと)殿下、それに供奉員中、唯一人のカトリック教徒である山本信次郎海軍大佐だった。
 山本はこのとき43歳。海軍兵学校から海軍大学を卒業したエリート軍人であり、日露戦争では旅順港閉塞作戦や日本海海戦にも参戦した「歴戦の雄」だった。だがそれより、山本の名が知られたのは「海軍一のフランス語つかい」「国際通」としてだった。
 少年時代、カトリック系の暁星中学で学び、洗礼を受けるとともに、寄宿舎で4年間、フランス人修道士らと寝食をともにするうちに、ナチュラルともいえるフランス語の語学力を身につけた。
 日本海海戦にさいしても、連合艦隊秋山真之(さねゆき)参謀とともに、降伏したロシア艦隊の艦船に乗り込み、フランス語で降伏条件の交渉にあたった。
 またカトリック信者だったことから、イタリア大使館付海軍武官時代は、ローマ法王庁内に太いパイプを築いていった。
 大正8(1919)年暮れ、皇太子にフランス語を「御進講」するため、東宮御学問所に御用掛として入っており、そのままフランス語通訳などとして訪欧に供奉していたのだった。
 その山本のフランス語の通訳により、皇太子と法王との会話はスムーズに進んでいった。
 「天皇陛下から、よろしくとの伝言があります」
 「ありがとうございます。陛下のご病状はいかがですか」
 この後、互いに土産物の贈呈が行われる。
 第124代の天皇となる皇太子殿下と、第258代の法王。建国以来、世界に冠たる伝統を誇る日本の皇位継承者と、キリストの弟子、ペトロ以来2千年近く、綿々とその地位を受け継いできたローマ法王との、初めての出会いだった。
 法王はここで「珍田(ちんだ)さんもお入りください」と、書斎の外に控えていた供奉長の珍田捨巳(すてみ)を招き入れた。
 珍田は駐米大使などを務め、「日本語よりも英語がうまい」といわれた外交官である。朴訥(ぼくとつ)とした人柄もあって、供奉長に選ばれていた。
 ■朝鮮独立運動で日本にエール
 皇太子の訪欧の過程を詳しく記録している『昭和天皇実録』は、このとき法王が語った内容について、多くを記していない。
 だが通訳にあたった山本信次郎は、帰国直後の9月5日、東京女高師で「東宮殿下の教皇庁御訪問」と題して講演(謹話)を行い、詳細に触れている。それによると、法王からは、儀礼的なものを通り越して、相当にきわどい政治的な発言が飛び出していた。
 法王がまず取り上げたのが、2年前の大正8(1919)年3月に起きた朝鮮半島での「三・一独立運動」だった。
 日本は明治43(1910)年、韓国を併合、ソウルに朝鮮総督府を置いて、朝鮮半島を統治下に置いた。
 当時の日本には、韓国を併合する合理的理由があった。だが当然のことながら、朝鮮人のこれに対する反発や、独立を求める声は強かった。それが表面化したのが「三・一独立運動」だった。
 3月1日、ソウルのパゴダ公園に集まった約2万人の学生や労働者が「独立宣言書」にあおられ、市内をデモ行進したのが、始まりだった。暴動は朝鮮半島全土に広がり、日本人の警察官などが殺害された。
 朝鮮総督府は武力鎮圧に乗り出し、同年5月ごろまでにはほぼ収まった。日本は武断政治を敷いてきた長谷川好道(よしみち)総督を更迭するなどして、事態の鎮静化につとめた。
 だがなお、独立派が海外で暴動を起こす気配があった。
 今回の皇太子訪欧をめぐっても、寄港する香港で、独立派の暴徒が皇太子を狙っている、とのうわさが流れた。
 珍田らは、皇太子の又従兄で体つきが似ている小松輝久(てるひさ)侯爵に、山本信次郎をつけて、皇太子のダミーとして先に上陸させた。その後に皇太子自身が秘かに艦を降りるという作戦をたてたのだった。
 つまり、日本にとっては重大な問題だったのだが、法王が話題にするとは、日本側にとって、意外だった。
 「この独立運動で、プロテスタントの牧師が、教会の地下室で不穏文書の印刷をさせたとか、暴徒に金を与えたといったことがあった。しかも彼らの『愛国運動』に加わらないと、非国民視され、いろいろと迫害を蒙(こうむ)ったにも関わらず、カトリック教徒はついに、これに参加しませんでした」
 「カトリックの教義教理は、確立せる国体、政体の変更を許しませんから、かかる結果をみたのです」
 「過激思想、社会主義等の険悪なる思想が社会を風靡(ふうび)しつつある今日、これに有効に抵抗しつつあるのは、わずかにカトリック教会のみであります。従って秩序を重んぜらるる日本と、カトリック教会とが、ともに手を携(たずさ)えて進むことも度々ありましょう」
 現代でもそうだが、極東の中でも、朝鮮半島キリスト教勢力が強い。「三・一独立運動」をめぐっても、プロテスタントの指導者らが加わっていたことや、カトリックが、独立運動とは一線を画していたことは、研究者の多くが認めている。
 だが、東洋の情勢についての法王の情報収集力と、緻密な分析には、山本らも舌を巻いた。
 さらに4年前起きたばかりのロシア革命を念頭に置いたように、「反共産主義」を明確に打ち出し、日本に連帯を求めた。この発言に、皇太子が力強く感じられたことも、間違いないだろう。
 ■誰も持ち得なかった「国際感覚」
 皇太子一行はこの後、法王庁国務省のガスパリ長官の案内で、宮殿内の大広間に向かった。そこにはフランス、スペイン、ブラジルなど各国の駐バチカン大使、公使など約50人が待っており、皇太子に拝謁した。
 皇太子やその一行は、法王庁の「ひと声」でこれだけ多くの外交団が集まるところに、ローマ法王の力を思い知ることになった。
 この法王庁訪問からちょうど60年後の昭和56(1981)年2月、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世が日本を初めて訪問した。
 皇居で法王と会見した昭和天皇
「(60年前のバチカン訪問は)大変いい思い出になっております」と、お礼を述べられた。これに対しヨハネ・パウロ2世は
 「日本は道義を重んじる立派な国で、大変尊敬しております」と応じた。
 昭和天皇は、この年の9月2日の記者会見でも、この法王庁訪問について触れられた。
 開戦直前の「杉山メモ」に関する質問に対しての、お答えだった。「杉山メモ」とは、当時の陸軍参謀総長杉山元が重要会議の中身を、参謀本部の部下に記録させていたもので、戦後に単行本として出版されている。
 その「杉山メモ」の昭和16年11月2日の項には、前日の国策再検討連絡会議について、東条英機首相らが昭和天皇に報告したさいの天皇の次の発言が記されていた。
「時局収拾に『ローマ』法皇(ママ)を考えてみては如何かと思う」
 記者から、この発言の真意を尋ねられた昭和天皇はこう、答えられた。
 「ローマ法王は世界の各国と深い関係があるし、その機関は平和的な機関ですから、平和に関する問題を解決するためにはこの機関と連絡することが必要だと思いましたので、それを東条総理に話したのです」
 さらにこう述べられている。
 「私はすでに、最初にヨーロッパを訪問してローマ法王と会ったときから、ローマ法王を尊重して、その機関と連絡をとりたいと常に考えておりました」
 昭和天皇は、同じ昭和16年10月13日にも、内大臣(戦前、天皇の側近として仕えていた職)の木戸幸一に対して、こう語られた。
 「開戦するにあたっては、戦争終結の手段をはじめから充分に考えておく必要がある。それにはローマ法皇庁との使臣の交換等、親善関係の方策をたてておく要がある」
 開戦直後には、そのお言葉通り、バチカン市国使節(公使)を派遣するよう、東条に事実上の指示を出されている。
 ローマ法王の影響力を重視、外交に生かそうという、恐らく日本人の誰も持ち得なかった世界観、国際政治観は、感性が柔らかい20歳のときに法王庁を訪れた経験から生まれたものだったのだ。
 だが、皇太子の法王庁訪問は、最初から予定されたものではなかった。むしろ急遽(きゅうきょ)企画されたものだった。
 ここで時計の針を4カ月余り戻してみたい。
 ※この記事は、『坂の上の雲』にも登場しながら、これまで知る人ぞ知る存在だった愛国のクリスチャン、初の本格評伝『天皇と法王の架け橋 軍服の修道士 山本信次郎』(皿木喜久著、産経新聞出版)の序章から抜粋しました。ネットでのご購入はこちらへ。
 ■皿木喜久(さらき・よしひさ) 産経新聞客員論説委員。昭和22(1947)年、鹿児島県生まれ。京都大学文学部卒業。産経新聞社入社、大阪本社社会部、東京本社政治部、特集部長、論説委員長などを経て平成27(2015)年退社。現在、産経新聞客員論説委員新しい歴史教科書をつくる会副会長。主な著書に『大正時代を訪ねてみた』(産経新聞ニュースサービス)、『紅陵に命燃ゆ』(産経新聞出版)、『子供たちに伝えたい日本の戦争』『「令和」を生きる人に知ってほしい日本の「戦後」』(いずれも産経NF文庫)、『明治という奇跡』(展転社)。共著に『新聞記者 司馬遼太郎』(文春文庫)など。
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 松本佐保『ローマ教皇昭和天皇』(角川新書)
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 松本佐保『バチカン近現代史 : ローマ教皇たちの「近代」との格闘』(中公新書 ; 2221)
 内容
 フランス革命以降、「政教分離」を推進する近代国家の登場で、ローマ教皇は領土や権威を失っていく。20世紀に入り、教皇はイタリア政治に介入し続け、ムッソリーニの思惑もあり、バチカン市国が成立する。その後バチカンは、「反宗教」の共産主義を常に敵視。ナチスに秋波を送り、戦後は米国に接近、「人権外交」を繰り広げ、それは「東欧革命」に繋がった。本書は、カトリック総本山バチカンの生き残りを賭けた200年を描く。
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 昭和天皇、日本軍部が戦った敵とは、共産主義マルクス主義)勢力とアメリカ・プロテスタント諸派であった。
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 バチカンは、日本の味方であり、天皇のよき理解者であった。
 ローマ・カトリック教会と日本・天皇は、反宗教無神論マルクス主義共産主義勢力(ソ連コミンテルン中国共産党日本共産党、その他)の邪悪な攻撃から世界平和、善良な人々、宗教・信仰、良心、道徳、倫理、生命、尊厳、権利、自由、博愛などを守る為の神聖な協力関係にあった。
 ローマ教皇は、若き皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)に期待した。
 だが、キリスト教朝鮮人テロリストと日本人共産主義者テロリストは、ヒロヒト皇太子を惨殺する為につけ狙っていた。
 ローマ・キリスト教は、日本皇室神道とは敵対していなかったどころか、むしろ古き伝統文化を維持してきた素晴らしい民族宗教であるとして敬意を持って尊重していた。
 皇室神道を否定する者は、ローマ教皇の意思とバチカンの決定に逆らう者である。
 戦後、靖国神社を守ったのは敬虔なカトリック神父であった。
   ・   ・   ・   
大正:1912年7月30日~1926年12月25日。
2018-09-16
☱2〕3〕─1─キリスト教朝鮮人テロリストは、日本国内に潜伏した。第一次世界大戦に参戦。大正2年~大正6年~No.2No.3No.4No.5No.6・ @ 
2018-09-17
☱4〕5〕─1─東京・朝鮮YMCA会館と2・8独立宣言。米騒動。シベリア出兵。大正7年・大正8年 ~No.7No.8No.9No.10No.11・ @ ① 
   ・   ・   ・   
日本統治下における朝鮮の近代医学と公衆衛生。
2020-06-16
☱6〕7〕─1─日本は朝鮮の疫病感染爆発を封じ込め朝鮮人の生命を守っていた。〜No.12No.13 
   ・   ・   ・   
朝鮮のスペイン風邪
日本における感染爆発は、人口約6,500万人で感染者約2,300万人。死者38万人~46万人。
世界では、総人口のおよそ3割にあたる5億人が罹患し、2,000万人~4,500万人が死亡。
2020-04-03
☱8〕─1─スペイン風邪で日本は善意から朝鮮人を助けた。大正7年~大正9年。〜No.14No.15・ 
  ・  ・  
朝鮮のコレラ流行
2020-05-08
☱9〕10〕─1─大正8年のコレラ日本陰謀説。英字紙による反日フェイクニュース。〜No.16No.17No.18No.19・ ② 
   ・   ・   ・   
3・1独立暴動(万歳事件)。特権階級両班(ヤンバン)による暴動。
2018-09-18
☱11〕─1─3・1独立暴動(万歳事件)。上海のフランス租界で大韓民国臨時政府樹立。斉藤実総督暗殺テロ未遂事件。大正8年。~No.20No.21・ @ 
   ・   ・   ・   
朝鮮人の民族大移動。
2018-09-19
☱12〕─1─貧困朝鮮人の日本への大移動開始。日本政府と朝鮮総督による移動阻止・密航取り締まり強化。大正9年~No.24No.25・ @ ④ 
   ・   ・   ・   
2020-03-28
☱13〕─1─尼港事件。日本人を虐殺した朝鮮人パルチザン。大正9(1920)年。〜No.26 
2020-05-26
☱13〕─2─尼港事件殉難者百回忌追悼法要と関東大震災朝鮮人犠牲者供養祭。〜No.27 ⑤ 
   ・   ・   ・   
日韓の犠牲者、皇族・梨本宮方子。
2018-09-20
☱14〕─1─日韓の架け橋・内鮮一体の犠牲になった皇族・梨本宮方子の悲劇。~No.28No.29・ @ 
2019-01-05
☱14〕─2─慶州ナザレ園の李方子。在韓日本人妻達と混血児は、日本国家から見捨てられ、韓国人家族から悲惨な仕打ちを受けていた。~No.30o.31・ @ ⑥ 
   ・   ・   ・   
朝鮮人テロル。
2018-09-21
☱15〕16〕─1─皇太子裕仁殿下欧州外遊中暗殺未遂事件。東京市電運転手連続殺傷事件。朝鮮総督府爆弾事件。大正10年~No.32No.33No.34No.35・ @ 
2018-09-22
☱17〕─1─田中義一軍事参議官爆殺未遂事件。親日派晋王子毒殺疑惑。日本国内に反日朝鮮人地下抵抗組織は80以上あった。大正11年~No.36No.37・ @ 
2020-05-23
☱18〕─1─日本人海賊による大輝丸事件。大正11(1922)年~No.38No.39 
2021-08-12
☱19〕─1─河合栄治郎は尹潽善との日本の朝鮮支配正当論争で英国聴衆の賛同を得た。大正11年。~No.40  
2018-09-23
☱20〕─1─日本警察と憲兵隊は、朝鮮人テロリストの摂政宮裕仁皇太子暗殺計画情報を得て警戒を強化した。義烈団。大正12年~No.41No.42・ @ ⑦ 
   ・   ・   ・   
関東大震災
2018-09-24
☱21〕─1─関東大震災。上海のキリスト教朝鮮人テロリストは、皇族を暗殺するべく大震災後の東京に潜入した。大正12年9月~No.43No.44No.45・ @ 
2018-09-28
☱21〕─2─自然災害被災地で犯罪行為を行う民族と行わない民族。~No.46・ @ 
2021-03-05
☱21〕─3・A─関東大震災地震兵器、朝鮮人惨殺。日本におけるデマ・流言飛語と陰謀論。~No.47No.48 
2021-09-01
☱21〕─3・B─マスコミの取材手法は今も同じ」関東大震災で最悪の"朝鮮人デマ"。~No.47No.48 
2023-08-03
☱21〕─3・C─関東大震災と福田村惨殺事件。大正12(1923)年9月6日。~No.47No.48 
2023-08-08
☱21〕─3・D─昔の福田村事件と将来の首都直下地震南海トラフ巨大地震、富士山噴火の共通性。~No.48 
2023-08-21
☱21〕─3・E─関東大震災での災害デマは日本民族の「不安遺伝子」が原因であった。~No.48 
2023-08-31
☱21〕─3・F─関東大震災100年:朝鮮総督府「殺害された朝鮮人813人」~No.48 
2023-09-01
☱21〕─3・G─関東大震災朝鮮人を殺した日本人もいれば助けた日本人もいた。~No.48 
2023-09-04
☱21〕─3・H─関東大震災での「朝鮮人虐殺」の責任者は誰なのか。~No.48 
2023-11-01
☱21〕─3・I─福田村事件。日本人同士による虐殺の原因は部落民差別、人間差別である。~No.48 
2023-11-15
☱21〕─3・J─日本人自警団の自然災害時における危うい「正義」の行使。~No.48 
2023-12-26
☱21〕─3・K─関東大震災朝鮮人虐殺100周年」。日本に謝罪を強要する韓国。~No.48 
2024-01-31
☱21〕─3・L─関東大震災における中国人・朝鮮人虐殺事件は労働・雇用問題が原因であった。~No.48 
2018-09-25
☱21〕─4─虎ノ門事件。摂政宮裕仁皇太子暗殺謀議事件。二重橋爆弾事件。テロリスト集団=韓人愛国団・義烈団。大正12月9月25日~大正14年~No.49No.50No.51・ @ ⑧ 
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 反宗教主義(はんしゅうきょうしゅぎ、英: Antireligion)とは、宗教に反対する思想のことである。ヨーロッパではフランス革命を機に政治の実際の政策に登場するようになり、マルクスがそれを評価したことで、その後の社会主義にも反映されていった。
 ただし無神論に基づく棄教運動もあれば、理神論に基づく古い宗教の改革運動もあり、内容は一概には言えない。
 マルクス主義と反宗教主義
 一部のマルクス主義者は宗教に対して否定的な立場をとることがある。実際、ロシア革命以降、ソ連アルバニア中華人民共和国などの共産主義国家において、政策として宗教が弾圧され、聖職者が殺害されたり教会が破壊された。
 その根拠としては、カール・マルクスが、宗教を阿片になぞらえたことが挙げられることがある。マルクスの『ヘーゲル法哲学批判序論』(1843年)に「宗教は悩める輩のため息、心なき世の情であり、またそれは魂なき場の魂である。宗教は民衆の阿片である」とあるが、この文章に先立ち、ドイツの詩人でマルクスの親友でもあるハインリヒ・ハイネ1840年の著作『ルートヴィヒ・ベルネ回想録』第4章に「苦しむ人々のため苦い盃に、甘く眠りを誘う数滴、つまり精神の阿片を、愛と希望と信頼の数滴を注ぐ宗教万歳」という文章がある[3]。またそのハイネに先立ちノヴァーリスの断章集『花粉』(1798年)に「彼らが宗教と呼ぶものは、ただ阿片のように、心を掻き立て、気を鎮め、弱さからくる痛みを和らげるよう作用するのみである」[4]との文章がある[5]。
 この阿片については『ヘーゲル法哲学批判序論』に痛み止めである旨の記述もあり、当時の緩和医療での疼痛などの痛み止めとして使用される医薬品の意であり、「麻薬」を強調したものではなかった。
 マルクスが宗教を阿片になぞらえた1840年代当時、阿片を違法薬物として見る見方は一般的ではない(例として、反ドラッグ法の制定は1875年である)。マルクスは宗教を批判もしたが、それは支配層の支配の維持に宗教が利用されているという指摘であり、宗教が「痛み止め」として民衆の精神に与える効用は部分的に肯定している。阿片になぞらえたことをもってマルクスが宗教を完全否定したと解釈するのは後の時代の歪曲である。
以上の見解は日本共産党がたびたび公表しているものである。
 マルクスの宗教批判と唯物論の核心部分は『ヘーゲル法哲学批判序論』において、フォイエルバッハの宗教批判を念頭に、「ドイツの理論がラディカリズムである明白な証明、したがってその理論の実践的エネルギーの明白な証明は、その理論が宗教の決定的な、積極的な揚棄から出発したところにある。宗教の批判は、人間が人間にとって最高の存在であるという教えでもって終る。」の箇所にある。ヘーゲルは『歴史哲学講義』において「宗教のはじまりは、人間をこえたものが存在するという意識にあります」とする。フォイエルバッハマルクスの主張は理論的に宗教の存在の余地を許さないものであり、ただ現世においては「幻想的幸福」としての宗教が民衆に必要とされているという現状を認めることが宗教を阿片になぞらえることの真意である。 さらに「幻想的幸福」である宗教を揚棄し、「現実的幸福」を要求する社会の実現のためには「プロレタリアートが従来の世界秩序の解体を告げる」のであり、「哲学がプロレタリアートのうちにその物質的武器を見いだすように、プロレタリアートは哲学のうちに精神的武器を見いだす」としてマルクスは革命の主体としてのプロレタリアートを措定し、武力による革命を肯定している。
 日本共産党は宗教界への浸透を意図しており、宗教界においては注意が必要である。
   ・   ・   ・   
 1989年1月7日 天皇のご逝去に際して
 常任司教委員会 諸文書 日本司教団関連文書
 神父様、修道院長様
 第二バチカン公会議は、他宗教との対話を推進するよう教えています。この精神をもって、神道を正しく理解し、神道の教える正しい宗教心に対して尊敬を払うことは大切ですが、日本古来の神道と、明治以降、特殊なかたちで天皇制と結びついた「国家神道」とは明確に区別して考えなければなりません。
 国家神道の時代には、日本人のみならずアジア諸国の人々までが天皇とその国に対する絶対の従順を強いられましたが、このように、人間や人間の作った制度を絶対化することは、それがいかなるものであっても、私たちとしては認めることはできません。
 敗戦後、新憲法のもとで、主権は国民のものとなり、天皇は、国の象徴、国民の統合 の象徴とされました。
 しかし、過去のいまわしい時代に逆もどりする危険を絶えずはらんでいます。司教団 は、1980年、靖国神社の国営化に関する法案が国会に提出されるという状況において、それに反対する意思を公にしましたが、それは、この危険を感じていたからですし、今もそれを感じています。
 そこで、昭和天皇の逝去、新天皇の即位に際しては、次の点に配慮していただければ幸です。
1.教会として、天皇個人の永遠の安息を祈ることはふさわしいことです。
2.教会は、現行憲法における天皇制の是非について一つの立場をとりません。したがって、日曜日のミサを追悼ミサにしたり、特別の行事をしたり、政府、自治体、地域、各種団体などの行事にカトリック教会として名を連ねたりしないことが望ましいです。
3.しかし、信徒に対しては、具体的な行動について指示をせず、各自の良心の判断と心情を尊重してください。
4.なお、教区司教の指示があるときは、これに従ってください。
  民族の固有の文化、伝統、生活習慣を尊重し合わなければなりません。民族的な 統合秩序を持つ共同体としての国家の存在を認めることも大切です。しかし、少数であっても日本に住む他の民族の方々とともに生きていく道を探すことが日本 のこれからの課題です。
 昭和天皇の葬儀、新天皇の即位、それをめぐっての政治、社会の動きの中で、被 造物を神格化したり、相対的なものを絶対化したり、特殊なものを普遍化したりすることのないよう注意しましょう。そして、すべての民族、国家とともに世界 の平和に貢献する決意を新たにしましょう。
 昭和天皇のご逝去に際して
 日本カトリック司教協議会
 常任委員会
   ・   ・   ・   
 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部
植民地期朝鮮における宗教をめぐる「眼差し」 —宗教政策・植民地布教・学知—(川瀬 貴也)
 本論文は、日清戦争の前後から一九三〇年代までの朝鮮において、日本の諸宗教(特に仏教とキリスト教)がいかなる「植民地布教」活動を行ったのか、そして統監府・朝鮮総督府の宗教政策はいかなるものであったのかという問題意識を中心に据えつつ、当時の日本人、特に宗教家や学者などが構築した「朝鮮人像」「朝鮮宗教観」がいかなる性質を持ち、当時の社会や政策と絡み合って、いかなる影響を日本人・朝鮮人の双方に及ぼしたのかを探る試みである。このことは、日本人が「朝鮮」という「他者表象」を通じてどのような「自画像」を描き出したのかという問題と言い換えることも可能であろう。
本論文の構成は以下の通りである。
 第一章においては、日本の統治機構(統監府・朝鮮総督府)の宗教政策の法令の性格を分析しつつ、同時に日本仏教の朝鮮布教を―特に真宗大谷派を中心に―考察していく。日本が「植民地帝国」になっていく過程で、日本仏教もその範図に足跡を残したのである。本章においては彼らの残した「言説」を追うことで、当時の日本の仏教者の「朝鮮観」「朝鮮人観」を解明することを試みる。この作業は換言すれば「帝国」の一臣民であった彼らの自画像の一端の解明でもあるだろう。
 第二章では、日本キリスト教の朝鮮に対する「眼差し」を、主に各宗派の機関誌に掲載された言説を検討・再構成することによって明らかにする。日本キリスト教も、第一章で取り上げた日本仏教同様、帝国日本の版図が広がるのに従い、その活動領域を広げていったが、実は日清・日露戦争のころから、「帝国」的な欲望が胚胎していたことがその論説から読み取れる。本章ではそのような日本キリスト教が内在させていた「欲望」のありかと、それに対抗するいわば「反主流派」との論争を、植民地期朝鮮における最大の布教宗派であった日本組合教会内部に見る。そして、それと対照するべく、教派を離れて個人伝道をしていた人物を取り上げ、その植民地伝道の性格を問う。一九三〇年代後半、「神社参拝決議」によって戦時下協力体制下に入るまでの日本キリスト教会及び朝鮮キリスト教会の動きも追跡する。
 第三章においては、日本人の「眼差し」に貫かれていた朝鮮人の「主体性」を問う。具体的には、一九一九年の三・一独立運動時に逮捕された天道教幹部たちの「声」を裁判記録から拾い、彼らがどのような文明観、宗教観、国家観、対日観などを内面化していたかを再構成する。彼らの「反応」を通じて我々は、当時の朝鮮人の「宗教」や「文明」をめぐる言説のアリーナでの「葛藤」の一端を知ることができるだろう。
 第四章では、京城帝国大学教授であった高橋亨の言説を追い、朝鮮人、朝鮮宗教に対する「眼差し」のあり方、そしてその学知の生成現場を考察する。植民地における「学知」の形成は植民地研究の大きなテーマであるが、本論文においては、本章で、その「典型例」と目される高橋亨の学問の性格について検討する。我々はそこに「原住民」を表象する際に、宗主国人のいかなる「欲望」が刻印されるかを見ることになるだろう。
 第五章においては、「心田開発運動」政策というイデオロギー政策を中心に考察を進める。この政策は、戦時期総動員体制直前に国民統合を図るべく企図された政策の一つと思われるが、本章ではその性格と実態を、主に総督府に動員された当時の学者、知識人、宗教家の言説を引用することによって明らかにしていく。また、心田開発政策を朝鮮総督府の宗教政策の一翼を担った運動として捉え、当時の宗教観や日本人の朝鮮人観も視野に入れつつその特徴を剔出する。また本章の後半においては、それに続く総動員体制下の言説を概観する。
 「宗教」をめぐる様々な立場の人々の「声」を取り上げ、その声が重なり合う「場」としての「植民地朝鮮」を設定すること。その「多声的な現場」の再構成が、本論文の最終目的である。
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 日本共産党
 3・1独立運動とは?
 〈問い〉 戦前の朝鮮半島で起こった三・一独立運動とは、どんな運動だったのですか。(兵庫・一読者)
 〈答え〉 三・一独立運動とは、一九一九年三月一日のソウルでのデモ行進をきっかけに、朝鮮半島全体に広がった、日本の植民地支配からの独立を求める大衆的な示威運動です。
 三月一日、ソウルのパゴダ公園(塔洞公園)で集会が開かれ、朝鮮の独立と朝鮮人民が自由民であることを宣言した「朝鮮独立宣言書」が読み上げられました。この「独立宣言書」には日本の留学生の運動も影響を与えています。そして「独立万歳」の叫びとともにデモの隊列がソウル市内に繰り出しました。当時ソウルには、かつて韓国皇帝だった高宗の葬式に参加する人々が集まっており、これらの人々も合流して行進は数十万人にふくれあがりました。その後五月まで各地で大規模なデモ行進などが展開され、参加者は百万人とも二百万人ともいわれます。
 日本の天皇制政府は、憲兵や警察、軍隊を動員して発砲など武力で弾圧し、武装した民間人も刀剣などでデモ行進に襲いかかり、多くの人々が虐殺されました。村人らを教会におしこめて、銃撃したうえ放火し殺害した「堤岩里事件」などはその一例です。故郷で集会を組織し十六歳で獄死した、ソウルの梨花学堂(現在の梨花女子大学)の女子学生、柳寛順など多くの犠牲者が語りつがれました。
 日本は一八七六年、武力による威嚇で朝鮮に不平等条約をおしつけると、王妃の閔妃虐殺など内政干渉をし、朝鮮が一八九七年に国号を大韓としてからも、「保護条約」おしつけで外交権などを奪い、一九一〇年にはソウルを軍隊で包囲し、併合条約調印を迫って韓国を併合して、朝鮮総督府を置きました。三・一独立運動を弾圧した後も、一九四五年まで植民地支配を続けました。
 現在、パゴダ公園には、三・一運動を描いたレリーフが置かれています。
 (博) 〔2002・2・28(木)〕
   ・   ・   ・   
 しんぶん赤旗 日本共産党
 2014 とくほう・特報
 日本の侵略戦争
■第4回■ 「韓国併合」と植民地支配 (下)
 湧き起こった「独立万歳」
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写真
 (写真)柳寛順ら多数の人びとが獄死した西大門(ソデムン)刑務所正面跡。現在は近代の韓国史を伝える歴史館になっている=ソウル
 韓国の民衆の独立運動は、日本による「併合」後も、地殻変動のエネルギーが蓄えられるように消すことはできませんでした。
 全半島に三・一運動
 その頂点に位置するのが、1919年3月1日にソウルで始まり、全半島にひろがった「三・一独立運動」です。1917年のロシア革命の成功、その指導者レーニンアメリカ大統領ウイルソン民族自決の理念を主張したこともこの三・一(サミル)独立運動や中国での抗日の五・四運動に影響しました。
 19年1月、日本の侵略にさまざまな抵抗を試みた前皇帝・高宗(コジョン)の死を一つのきっかけとして、朝鮮民族あげての独立運動が一挙に湧き起こりました。民族宗教ともいうべき天道教キリスト教、仏教の指導者が「独立宣言」を起草。ソウル市街の中心部にあるタプコル公園で、学生代表がその宣言文を朗読、読み終えると「独立万歳」(トンニップ・マンセー)の声が高々と上がり、太極旗を持った人びとが隊列を組んで街中に出て行ったといいます。
 同公園の石碑に刻まれた宣言文は次のように始まります。
 「われわれはここにわが朝鮮国が独立国であること、および朝鮮人が自主の民であることを宣言する。これをもって世界万邦に告げ、人類平等の大義を明らかにし、子孫万代に教え、民族自存の正当なる権利を永遠に有せしむるものである」
 在日韓人歴史資料館館長で歴史家の姜徳相(カン・ドクサン)氏はいいます。「三・一運動憲兵政治の支配のもとで、いわば入れ物の水がいっぱいになってあふれでるようにして起きたもの。同時に、第1次世界大戦末期のロシア革命や中国革命の進行、ウイルソン民族自決権の宣言にも影響をうけています。被抑圧民族の解放という世界史の歩調と足並みをそろえる方向に展開したのです」
 (写真)独立を求める民衆と日本憲兵の弾圧を描いたタプコル公園のレリーフの一つ。写真は、慶尚南道の普州でのキーセン(妓生)の行進
 非暴力・女性の活躍
 三・一独立運動は非暴力の運動でした。当初、この動きを察知できなかった総督府はうろたえましたが、にわかに軍隊を出動させ、武器を持っていない行進者に銃剣を向け発砲しました。なかでも凄(せい)惨(さん)を極めた事件の一つに堤岩里(チェアムニ)事件があります。ソウルの南にあたる水原(スウォン)地方の運動を鎮圧するために派遣された日本軍は独立運動に参加した人びとを「訓示する」といってキリスト教会に集め、建物に火を放ちいっせい射撃で皆殺しにしました。29人が犠牲になりました。
 三・一独立運動では女性がめざましく活躍しました。その一人、柳寛順(ユ・グァンスン)は“朝鮮のジャンヌ・ダルク”といわれます。当時、梨花学堂(現梨花女子大学校)に在学中の16歳の少女でしたが、休校にされると郷里の天安(チョナン)にもどって市場で人びとと独立行進をしてその先頭に立ちました。憲兵の発砲で両親は死亡、彼女は首謀者として逮捕され懲役刑に。しかし「日本人にわれわれを裁く権利はない」と法廷・獄中闘争をやめず、度重なる拷問がもとで、西大門(ソデムン)刑務所で18歳の生涯を閉じました。
 タプコル公園では各地の独立運動の群像が10枚のレリーフになり、その姿を伝えています。
 三・一運動後のたたかいは、朝鮮と国境を接する「満州」間島での独立運動、中国・上海での臨時政府などに引き継がれます。
 「戦時動員」「皇民化
 民族あげての三・一独立運動などによって、日本の植民地支配は一歩後退を余儀なくされ、従来の「憲兵警察政治」(武断統治)を、親日派の育成を含む「文化政治」に改めることになります。
 しかし、1931年の「満州事変」、37年の日中全面戦争が起きるとその文化政治も続けられなくなり、「戦時動員体制」、野蛮なファシズム体制へと転換します。この体制は、日本への米輸出を増大させ韓国の人びとを疲弊に追いやった「産米増産計画」などの物資面にとどまらず、労働力・兵士の確保に及びました。労働力不足になった日本の炭鉱、鉱山、軍事施設などに多数の朝鮮人労働者を強制的に動員したこともその一環です。その数は百万人以上といわれます。
 ソウルの「朝鮮神宮」をはじめ各地に2000以上の神社をつくり天皇崇拝の参拝を要求するなど「皇民化政策」をすすめました。その具体化として日本語の「国語常用」、「創氏改名」、「色衣奨励」(韓国の伝統的な白い衣装から色の着いた衣装に替える)をすすめました。
 1936年に関東軍司令官から朝鮮総督になった陸軍大将・南次郎(のちにA級戦犯)は、朝鮮での徴兵制実施、昭和天皇行幸を目標にかかげ、小学校での朝鮮語の廃止など「内鮮一体化」の名で民族抹殺政策を推進しました。
 姜徳相氏は「日中全面戦争の開始以降はとくに、『校門は営門(兵営の門)につうじる』として小学校での日本語教育を徹底して、長ずれば日本の兵士になれるようにした。私も中学生で日本の必勝を疑わなかったし陸軍幼年学校を希望していた。少国民教育は恐ろしい効果を持っていました」といいます。
 韓国・朝鮮では徴兵制によって44年から終戦まで、40万人の青年が日本の軍人・軍属としてアジア・太平洋戦争に動員され、そのうち2万人が犠牲になりました。(樋口雄一『戦時下朝鮮の民衆と徴兵』総和社
 また、日本軍の統制と監督下で「慰安所」がつくられ多くの朝鮮人女性が本人の意思に反して軍「慰安婦」となることを強制されました。日本政府が慰安婦制度の真実を正面から認め、「河野談話」が表明した痛切な反省と心からのおわびにふさわしい行動をとることが求められています。
 1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾し連合国に降伏した日、韓国にとっては植民地支配から解放され、民族の独立を回復する「光復」の日を迎えました。ソウルの街は歓喜に沸き、「万歳」(マンセー)、「万歳」の声が響きわたりました。
  (山沢猛)
   ・  ・   ・  
 カトリック中央協議会
 日本カトリック正義と平和協議会会長談話「3・1独立運動100周年を迎えて」
 2019/03/05
 諸文書 日本司教団関連文書 諸外国司教協議会文書 日本カトリック正義と平和協議会
 日本カトリック正義と平和協議会会長談話
 「3・1独立運動100周年を迎えて」
 今年の3月1日は、日本からの独立を求め朝鮮半島全土で人びとが立ち上がった3・1独立運動から100周年です。1919年3月1日、日本の植民地下ソウル・パゴダ公園で宗教指導者らを中心に独立宣言書が発せられ、数万人の市民がソウル市内を「独立万歳」の叫びを挙げながら行進しました。この動きは朝鮮半島全土に波及し、200万人の人たちが立ちあがったといわれます。
 この3・1独立運動に象徴される朝鮮半島の人たちの植民地支配からの独立・解放への血のにじむ闘いと抵抗の精神は連綿と受け継がれ、近年のキャンドル行動や南北平和に向けた運動にも引き継がれているといえるでしょう。
 韓国司教協議会会長談話
 ところで、韓国カトリック司教協議会会長を務めるキムヒジュン大司教は、2月20日に3・1運動100周年について「3・1運動の精神の完成は真の平和」というタイトルの談話を発表しました。そこでは「100年前に多くの宗教者が独立運動に参加した歴史的事実を、私たちは覚えています」としながらも「しかし、その歴史の現場でカトリック教会が自分のなすべき役割を果たさなかったことを告白します。…韓国カトリック教会は、時代の兆候を正しく見ないまま、民族の苦しみと痛みを無視し、捨ててしまった過ちを慚愧の思いで省察し反省します」とされます。独立宣言書の作成には、天道教(15人)、プロテスタント(16人)、仏教(2人)が参加しましたが、そこにカトリック者の名前はありませんでした。それは「朝鮮王朝後期における過酷な迫害を経験して、ようやく信仰の自由を得た韓国カトリック教会は、当時、困難で骨の折れる時期を過ごしました。それゆえ、外国の宣教師で構成される韓国カトリック指導部は、日帝の強制併合に伴う民族の苦しみと痛みについても、教会を維持して信者を保護しなければならないという政教分離政策を掲げ、解放を宣言しなければならぬ使命を無視したまま、信者の独立運動への参加を禁止し」たからであり、さらに「後には、信者に日本の侵略戦争に参加することや神社参拝を勧告することまでし」たと言われます。
 しかしながらキム大司教は「私たちは、3・1運動の精神を受け継ぎ、お互いの相違が差別と排斥ではなく、対話の出発点となる世界で、戦争の不始末を越えて、真の懺悔と赦しとして和解をなす世界を作ろうとします」、「韓国カトリック教会は、過去を反省して、信仰の先祖たちに恥ずかしくない子孫となり、朝鮮半島に真の平和をもたらし、さらにアジアと世界の平和に貢献することができるように祈り、絶えず努力します」と強調します。
 日本の責任
 ひるがえって今年の3月1日は、私たち日本のカトリック教会にとっても、歴史を直視し、朝鮮半島を初めとするアジアの人々と平和をいかに築くのかを問い直すべき日でしょう。日本のカトリック教会は、植民地時代の韓国カトリック教会に大きく関与しましたし、日本の侵略戦争への協力を信者に促したことについても責任があります。さらに1945年に植民地から解放された後の朝鮮戦争と南北分断の根源にも、明治以来の日本の侵略政策という歴史があります。
 現在また、政治において日韓政府の間は緊張していると言われますが、私たち日韓のカトリック者は、同じ平和の福音のもとに集うイエス・キリストの弟子・兄弟姉妹として、日本の過去の加害の歴史を見つめながら、文化・宗教など市民によるさまざまな交流を深めていくことがたいせつです。それが100年前に朝鮮独立運動に立ち上がった人々、そして現在、朝鮮半島と東アジアの平和を祈り願う人々に対して、私たちが今果たすべき応答ではないでしょうか。
 普遍的呼びかけとしての3・1宣言書
 3・1宣言は、次のように呼びかけます。
 「日本は、朝鮮との開国の条約を丙子年(1876年)に結び、(朝鮮を自主独立の国にするという約束は守られず)そこに書かれた約束を破ってきた。しかし…わたしたちは、自分たち自身をはげまし、立派にしていこうとしていて、そのことを急いでいるので、ほかの人のことをあれこれ恨む暇はない。…日本の政治家たちのために、犠牲となってしまった、現在の不自然で道理にかなっていないあり方をもとにもどして、自然で合理的な政治のあり方にしようとするということである。
 …ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。過去のすべての歴史のなかで、磨かれ、大切に育てられてきた人間を大切にする精神は、まさに新しい文明の希望の光として、人類の歴史を照らすことになる。新しい春が世界にめぐってきたのであり、すべてのものがよみがえるのである。酷く寒いなかで、息もせずに土の中に閉じ込もるという時期もあるが、再び暖かな春風が、お互いをつなげていく時期がくることもある。いま、世の中は再び、そうした時代を開きつつある。そのような世界の変化の動きに合わせて進んでいこうとしているわたしたちは、そうであるからこそ、ためらうことなく自由のための権利を守り、生きる楽しみを受け入れよう。そして、われわれがすでにもっている、知恵や工夫の力を発揮して、広い世界にわたしたちの優れた民族的な個性を花開かせよう」(外村大・東京大学教授訳)。
 すなわちこの独立宣言書は、日本を非難断罪するためでなく、差別や民族の自己決定権を奪い取る植民地主義の克服という、より崇高な人類普遍の理想実現への呼びかけ・招きです。そしてこれは韓国・朝鮮の人びとのみならず、100年後の今を生きる世界のすべての人にとっても、記憶し、想起されるべき内容を含んでいます。
 それゆえ、私たち日本のカトリック教会信徒も、韓国カトリック教会とともに、この「宣言書」のめざす地平を見つめ、国家よりも人類、またキリスト者として、東アジアと世界の平和と人間の尊厳を尊重し合っていく人間の歩みを前進させることを祈り求めましょう。
 2019年3月1日
 日本カトリック正義と平和協議会会長
 勝谷太治司教
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 クリスチャン新聞
 【予告】それは、日本で起きた 新年特集 2・8独立宣言と3・1独立運動から100年2018年12月21日 【予告】それは、日本で起きた 新年特集 2・8独立宣言と3・1独立運動から100年2018-12-21T10:39:30+09:00お知らせ, ニュース
 2019年は「東アジアの年」になりそうだ。すでにいくつかの国際的なキリスト教団体で東アジア規模での集会が企画されている。100年前、日本をめぐる問題で、朝鮮では3・1独立運動、中国では五四運動が起きた。特に3・1独立運動については、その「導火線」となった2・8独立宣言が日本で宣布された。署名者にはキリスト者もいた。逮捕者が出たが、吉野作造大正デモクラシーに関わった日本の知識人、キリスト者が支援した。同宣言宣布の舞台となった、東京・千代田区の在日本韓国YMCAを訪ねた。
 2019年1月6、13日号(2018年末発行)で紹介します。
 〈紹介する記事〉
○ それは、日本で起きた 2・8独立宣言の舞台 在日本韓国YMCAを訪ねる
○日韓で2・8、3・1集会
 【東京】3・1独立運動100周年記念 特別講演会(明治学院大学 キリスト教研究所、 国際平和研究所共催)1月26日
 【東京・大阪・韓国】2・8独立宣言100周年記念国際シンポジウム(在日本韓国YMCA2・8研究会主催)▽東京=2月9日、▽大阪=2月15日、韓国=1月22日、ソウルで開催予定
○2・8研究会座長・李省展氏に聞く
 二項対立超え、世界視野で学びを
 「現代も聞くべき内容がある」
3・1独立運動と日韓、そして東北アジア
 寄稿 李清一(イ・チョンイル、在日韓国キリスト教会館名誉館長)
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 【関連記事】
○100年迎える3・1独立運動と2・8独立宣言を学ぶ。在日韓国YMCAで研究会とシンポ2018年11月28日
○南北・東北アジア平和共同体構築に向け日韓協力 大韓赤十字社 朴庚諸会長大阪で講演2018年11月26日
○寄稿 新しい東アジアの状況展開とキリスト教 朝鮮半島の南北首脳会談、米朝首脳会談を考える 徐正敏(明治学院大学教授、同キリスト教研究所所長)2018年7月1日
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 ウィキペディア
 三・一運動(さん・いちうんどう、サミルうんどう、朝: 삼일운동)は、1919年(大正8年)3月1日に日本統治時代の朝鮮で発生した大日本帝国からの独立運動
 独立万歳運動(どくりつばんざいうんどう)、己未独立運動(きびどくりつうんどう、기미독립운동)とも。日本では、朝鮮騒擾事件(ちょうせんそうじょうじけん)、萬歳騒擾事件(ばんざいそうじょうじけん)、万歳事件(ばんざいじけん)、三・一独立運動(さん・いちどくりつうんどう、サミルどくりつうんどう)とも呼ばれる。
 現在の韓国では肯定的に評価され、3月1日を「三一節(朝: 3·1절)」として政府が国家の祝日に指定しており、同日には現職大統領が出席して演説を行う記念式典が開催されるなどしている。
 逆に北朝鮮では、「失敗したブルジョワ蜂起」と否定的な評価をしているなど、今なお敵国同士である南北での認識に差がある。
 概要
 第一次世界大戦末期の1918年(大正7年)1月、アメリカ合衆国大統領ウッドロウ・ウィルソンにより"十四か条の平和原則"が発表された。これを受け、民族自決の意識が高まった李光洙ら留日朝鮮人学生たちが東京府東京市神田区(現:東京都千代田区神田駿河台)のYMCA会館に結集し、「独立宣言書」を採択した(二・八宣言)ことが伏線となったとされる。この時の「二・八独立宣言書」は金瑪利亜(金マリア)によって日本から朝鮮に運ばれた。一方民衆では、スペイン風邪の誤った対応のため民心は悪くなり、日本が朝鮮王を毒殺したという噂が広まった。これに呼応した朝鮮のキリスト教、仏教、天道教の各宗教指導者ら33名が、3月3日に予定された大韓帝国初代皇帝高宗(李太王)の葬儀に合わせ、行動計画を定めたとされる。
 3月1日から3月14日までの間に、鎮圧に軍も出動し、朝鮮人の死者数千人、負傷者1万数千人がでている。一方、日本人死者10人、 負傷者15人が出ている。
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 提岩里教会事件(ていがんりきょうかいじけん)[1]は、1919年4月15日、日本統治下の朝鮮京畿道水原郡郷南面提岩里(現在の華城市郷南邑提岩里)で、三・一独立運動の最中に生じた事件。暴動を指揮した29名の朝鮮人が殺害された。
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