🎍51〕─1─古代から反中=知中・保守と崇中=親中=媚中・革新との死闘が続いている。~No.159No.160No.161 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   

 令和4年2月号 正論「岸田政権の対中姿勢を問う
 熱狂と冷却とを繰り返す日中関係 宮崎正弘
 米中対決は外交舞台で非難の応酬を繰り返すが、米国のGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)やウォール街親中派が多い。なにしろ頂点に立つバイデン大統領は、表向きの対決姿勢とは裏腹に心中は親中派だ。それゆえ米国の対中政策はジグザグを描く。
 米国の政治・歴史学界は中国政策に対して、従来の『関与』論から『封じ込め』へと流れが変わった。そればかりか一般米国民も急速に冷めた。こうした世論を背景に中国のスパイ網の摘発や留学生へのヴィザ制限、孔子学園閉鎖などが続いた。ウイグルにおける少数民族弾圧を『ジェノサイド』と決めつけたトランプ前政権の制裁路線をバイデン政権も継承し、西欧諸国も追随した。
 バイデン政権は『人権』が表看板だから、経済、交易、金融を別として、この線だけは譲れない。
 日本でも尖閣をめぐる中国海警の度重なる侵犯行為を目の前に反中感情が強まった。日中友好議員連盟は工作機関と米国が認定したため、林芳正外相は外相就任にあたり議連会長を辞任した。
 お互いが大量殺戮兵器を競い合っている以上、核戦争を回避するのは常識だから、米国は核軍縮交渉を中国と展開したい。
 去る11月16日に米中首脳会談がオンラインで行われた。案の定、成果はゼロに等しく、バイデン大統領にトランプのような迫力がなく、中国側に押されっぱなしだった。ジェノサイドは『内政干渉』でおしまい。台湾防衛は曖昧なまま、核軍縮交渉には応じなかった。

 こうした現状をみるにつけ、筆者は歴史を紐解いて、日本の対中姿勢は『熱狂』と『冷却』の繰り返しだったことを改めて認識したのだった。
 日清戦争直後から夥しい中国人が日本に留学に来た。第一号は汪兆銘魯迅蒋介石周恩来も。
 日本の政治家、運動家などは孫文を熱烈に支持した。ところが孫文ソ連の巧妙な策略に騙され、日本から離れた。
 戦後も日本は中国に惜しみない援助を与えた。新聞やTVは日中友好大切と獅子吼(ししく)し、外務省チャイナスクールが復活した。
 中国との関係はそもそも未知との遭遇だった。
 人づての伝聞をもとに『偽史倭人伝』が書かれた。しかし『倭』は侏儒(しゅじゅ)を意味し、邪馬台国卑弥呼に侮辱的な漢字を充てた(白鳥庫吉博士は『倭』は当時『イ』と発音した筈で北九州の伊都だろうと推定したが、この論議は長くなるので本稿では措く)。
 たしかに漢字の文献も政治システムの智慧も中国からもたらされた。仏典とともに仏像が日本に百済経由でもたらされたのは6世紀中葉である。書籍はサンスクリット語からの中国語への翻訳本だった。朝廷は当初、仏教を嫌い、仏像を難波の河に捨てた。
 この仏像を篤く信仰し、布教の支援を始めたのが新興勢力の蘇我氏だった。
 物部氏が廟議において仏教普及に反対した。物部氏ニニギノミコト以前に天孫降臨したニギハヤヒ随行した由緒ある近衛集団であり、王城を邪(よこしま)な外来思想が汚すことに反対だった。
 仏教は中国を経由したのであり、大和朝廷は外来思想に距離を置いた。また仏典の原典が恣意的に中国語に翻訳されると、漢語のもつドライさは原典が持つ情緒的な教えを正確には伝えない。つまり物部氏は『文化防衛』のために蘇我氏と対立したのだ。
 蘇我氏は多くの渡来人をい擁し、かれらは新田開発、溜池の造成、築堤(ちくてい)、殖産、とりわけ織物、窯業(ようぎょう)、交易にあたらせたため既存の豪族より財を扶翼し、朝廷と外戚関係を結ぶまでに勢力を拡大していた。
 この中国熱を冷ましたのが645年の『乙巳(いっし)の変(大化の改新の糸口)』だった。仏教擁護者の蘇我一族を討った政変である。
 ところが半世紀を経ずして隋の影響を受けた大宝律令が成立する。直輸入ではなく日本的咀嚼の後の定着である。つまり仏教信仰の蘇我氏は討ったが、仏教そのものは朝廷が信奉するところとなり、古代神道と混淆(こんこう)する日本的な神仏習合に発展したのだ。
 なにしろ寺の入口に鳥居があったり、神社の境内に寺があったりするのは一神教を奉じる外国では考えられないことだろう。
 乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足が主役。鎌足は蹴鞠の場で中大兄皇子接触に成功して昵懇となり、密談の場所が桜井の談山神社だった。宏大な敷地の内に南淵塾があった。古代中国の農村社会を規範として、農村共同体の再現が大化の改新の企てであったとすれば、乙巳の変に思想的影響力を持ったのは留学帰りの南淵請安である。
 崇仏派は、新興の豪族・蘇我氏。保守側の物部氏は敗北して表舞台から去ったが、蘇我氏中大兄皇子とに対立関係が続いた。異端を受け入れない大和朝廷の強い姿勢により仏教容認には時間がかかった。この時代は先鋭対立というより『共存』していた。
 仏教が決定的に優勢となったのは聖武天皇からである。乙巳の変から100年後の天平17(745)年に東大寺の大仏造営が開始され、奥州に金が算出したことに助けられ、7年後(天平勝宝4年)に開眼供養会が盛大に催行(さいこう)された。しかし東大寺を護る神として八幡神の神霊が分祀された。まさに神仏混在時代だ。
 昨今、日本では結婚式をキリスト教会、正月のお願いことは神社参拝、お寺の厄介になるのは墓参りと葬儀、戒名をいただく儀式だけになった。多神教混在というより、というより、これこそ山本七平が言った『日本教』であろう。
 親中派を一掃した天武天皇
 元明天皇の御代、まつりごとの中枢は蘇我氏の滅亡とともに最大の皇位継承者候補だった古人大兄皇子が消され、勝者となった中大兄皇子(のちの天智天皇)が主導した。
 天智天皇開明的だったが、祖国防衛には敏感だった。当時、朝鮮半島の南端は任那(みまな)であり、百済は日本の保護領と言って良かった。百済の王子が日本に亡命し、援助を求めたため天智天皇は出兵を決断する。
 それまでにも粛慎(みしはせ)の襲来、神功皇后新羅征伐、継体天皇任那4県の百済への譲渡などの経緯があったものの、本格的な対外戦争は白村江の戦いが初めてだった。
 白村江は『古代のノモンハン』ではなかったか。
 局地戦では負けたが、全体では五分五分だった。関東軍参謀だった辻政信が言ったように『負けたと思うから負けなのだ』。
 結果、日本は防衛に力点を移し、近江に遷都した。百済からは2,000名を超える知識人が日本に亡命した。新羅の背後に中国があった。崇中派はおおきく後退した。

 天智が崩御すると壬申の乱が勃発する。 
 大海人皇子天武天皇)は先手必勝とばかり吉野から抜け出し、伊勢から尾張、美濃で豪族らを糾合し、高市皇子を将軍に近江朝の大友皇子と交戦、西国の豪族を集めきれなかった近江朝を滅ぼした。天武天皇不破関関ヶ原)を先に抑えて勝利の足がかりを築いた。
 この『壬申の乱』は皇位継承の争いだけでではない。親中派の排斥という政略が基軸にある。大友皇子の側近は親中派だらけ、しかも大友皇子の母は舎人の娘だった。
 このとき『大友王子とその周辺の五大官、そしてブレインの亡命百済人のみによって運営されていた近江朝廷は、急速に親唐外交路線へと傾斜していき、対新羅戦用の徴兵を急いだ』(倉本一宏『内戦の日本古代史』、講談社
 いまでいう次官級、局長クラスの官吏数十人が渡来人だった。親唐派が政権をかため、誤った判断をしていたのである。
 壬申の乱に勝利した大海人皇子天武天皇)は防衛力強化の政策を採った。
 以下は天武天皇の勅(天武天皇13年)である。

 『凡(およ)そまつりごとの要は軍事なり。是を以て、文武官の諸人も、務めて兵を用い、馬の乗ることをならへ。すなわち馬・兵、あわせて当身の装束の物、務めて具に備え足せ』(日本書紀 巻29)(政治の中枢は軍であり、官も民も防衛を怠らず、兵器を常に手入れし、防衛鍛錬を日々忘れるな)
 
 さらに後日、天武天皇はもっと具体的な勅を発して曰く。

 『(高官は)人ごとに鎧一丁、太刀一口、弓一張、箭(や)一具。鞆(とも)一枚。鞍馬。勤冠より進冠に至までには、人ごとに太刀一口、弓一張、矢一具、鞆一枚。かくの如く予(あらかじ)め備えよ』(日本書紀 巻30。岩波文庫

 朝廷の『崇中派』の末路
 『藤原仲麻呂の乱』は保守の勝利となった。
 親中派というより『崇中派』の藤原仲麻呂を討ったのは、位階から律令までシナ風に染め上げるように仲麻呂が日本の政を麻痺させていたからだ。
 藤原仲麻呂は叔母でもある光明皇后に気に入られ、トントン拍子に出世街道を歩いた。
 中臣鎌足が『藤原』姓を賜り、鎌足の子である不比等が飛躍的に台頭し、その子の四兄弟が疫病で死ぬと、不比等の孫にあたる藤原仲麻呂の時代がやってきたのだ。
 光明皇后孝謙天皇を即位させたのち、皇太后となった。皇太后天皇の連絡通路、そのまつりごとの中枢を握る地位を確保するや仲麻呂天皇、皇太后、そして皇子を操り、政治を壟断(ろうだん)した。目標は唐の官位や律令、納税、戸籍など諸制度を積極的に取り入れて日本を唐風にすることにあった。
 官位や行政機関の部署の名称をすべて唐風に変えたため国風を重んじる保守派からは目の仇にされた。大国、文化先進国というシナへの誤解は日本の針路を大きく左右した。
 藤原仲麻呂は価値紊乱者であり太政大臣を『大師』、左右両大臣をそれぞれ『大博』『大保』、大納言を『御史大夫』という具合に改称した。
 日本独自の文化、伝統への斟酌(しんしゃく)は希薄で、藤原仲麻呂は当時の宮廷の保守主義の人々から疎まれた。藤原仲麻呂の前に立ちはだかったのは保守主義の持ち主、橘諸兄とその子、橘奈良麻呂である。橘諸兄光明皇后の異父兄、妻は藤原不比等の娘、葛城王と言われた。
 橘諸兄元正天皇の信頼が篤く大仏造営には反対したほど保守思想家だった。しかし讒言されて失脚した。息子の橘奈良麻呂も757年、仲麻呂の仕掛けた謀略に嵌(は)められ、『橘の乱』を引き起こそうとして、それを予想していたかのように藤原仲麻呂の反撃と鎮圧は迅速かつ過激だった。聖武上皇がみまかると、クーデター計画があったなどとして橘奈良麻呂以下、関与した443人を厳格に処刑し、ライバルの芽をしっかりと摘んだ。
 保守陣営はこのときの失敗で大きく後退を余儀なくされた。親中派が権力を押さえたのだ。
 『橘の乱』など、実際には反仲麻呂派が宴会などで不満を述べあい、軽い気持ちで軍を動かすなどと大言壮語し合った。兵の動員計画は杜撰(ずさん)を極め、詰めが甘かった。その計画を密告され、関係者が拷問され、大がかりな反乱計画がでっち上げられた。橘奈良麻呂の変はあっさりと鎮圧された。これによって奈良時代に保守思想は大きく敗れた。
 実力者の左大臣仲麻呂の兄である藤原豊成が左遷され、替わって仲麻呂が右大臣に出世し、翌年、てなづけてきた淳仁天皇が即位する。大和王朝は仲麻呂の天下となった。
 養老律令など諸制度をすっかり唐風に改めるという暴挙、しかも太政大臣としてほぼ独裁的に君臨し、淳仁天皇から恵美押勝の名を賜った。この名前の意味は『ひろく恵を施す美徳』、秩序紊乱者を『押しまくって勝った』ことに由来する。
 ……
 しかし仲麻呂政治で特筆しておくことがある。
 彼は崇中派というども国家安全保障には敏感でアジア情勢を的確に判断し、新羅への大軍の出兵を3年がかりで準備していた。
 実際に3万近い部隊編成も決め兵隊、装備も揃えた。400艘近い船団は筑紫に待機した。この新羅への出兵は、疫病の大流行によって阻まれ沙汰止みとなった。
 数年後に仲麻呂を討つことになるのが、意外なことに弓削道鏡が発議し、冷遇されていたエリート・吉備真備が軍事作戦を練った。
 真備は阿倍仲麻呂の同僚で唐に2回、留学した。仲麻呂の野望は潰え、一族は琵琶湖西岸で斬られた。
 遣唐使の廃止
 菅原道真は中国から学ぶもの少なく逆に遣日使は日本への亡命者ばかり。
 シナ風を絶ち、国風の確立こそ遣唐使廃止の目的だった。
 菅原道真はなぜ神となったのか。
 日本全土にある天神、北野神社の主神は菅原道真である。彼の最大の功績は遣唐使を廃止したことである。保守回帰を成し遂げた偉大な思想家として再評価が必要だろう。唐風に染まった日本文化を国風に戻し、保守回帰を成し遂げたのだから。
 遣隋使・遣唐使は294年間に22回派遣され、菅原道真の建言でよやく沙汰止みになった。
 第1回遣隋使が送られたのは西暦600年で、計3回派遣された(4回ないし5回との説あり)。614年の派遣で隋が滅亡したことを知り、次の遣唐使派遣は630年である。以後、838年まで続いた。894年にも派遣方針が固まっていたが、菅原道真が中止を建言した。
 ……
 国民は中国に冷たい目
 かくして熱狂のあとには冷却がくる。
 日本政府の軽はずみな経済外交、その中国依存に、米国は不信を募らせている。RCEP(地域的な包括的経済連携)とTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)だ。両方も加盟する日本、どちらにも加盟しないアメリカ。
 しかしRCEPは中国主導であり、アメリカは日本への不信感を増大させざるを得ないだろう。
 岸田政権は米国メディアから『中道からやや左』と位置づけられるが、米国の如くあからさまな中国敵視を避けている。
 ところが日本の民意は、どの世論調査を見ても『中国が好き』との回答は驚くほど少ない。財界の中国べったりを危険視する意見がとみに増えた。
 現在、大きな流れは日中冷却に向かっている。振り返れば田中角栄の訪中による日中国交回復から半世紀を閲(けみ)している。
 パンダ熱狂は急速冷凍庫のように冷めた。
 ムードは1989年6月4日の天安門事件で暗転し、中国礼賛だった日本のメディアは一斉に中国共産党の暴力を非難した。親中派だったチャイナ・ウォッチャーの多くが顔色を失った。
 以後、江沢民反日キャンペーンの徹底があって日中友好ムードはしらけ、2005年の反日暴動で国民の多くが中国への期待や希望を捨てたのではないか。親中国派議員らは口をつぐみ、崇中派は影響力を徹底的に失い、そのうえ尖閣諸島への中国海警の度重なる領海侵犯で、国民の多くは中国への怒りを抱くに至った。
 現在の日本に『令和の藤原仲麻呂』は居ない。
 しかし中国に毅然とした態度を示す『令和の菅原道真』も不在である。
 こんなときに岸田政権の外交が誤らないよう心ある政治家や有識者、在野の行動に期待したい。」
   ・   ・   ・   
 日本国内は、飛鳥時代から現代まで、多数派の中央・親天皇・民族・知中=反中・保守と少数派の地方・反天皇・反民族・親中=崇中=媚中・革新という二派で争ってきていた。
 親中は時代によって代わり、昔は古典の漢籍などを読んで中国に憧れる崇中派であり、現代は利益・金儲けの為に中国共産党に忖度する媚中派である。
 昔の崇中派が憧れた理想的中国とは、古代周王朝や異民族征服王朝の隋や唐であった。
 つまり、昔の聖人君主が徳治で治めた中国と現代の中国共産党が恐怖と暴力そして死で統治する中国とは別の中国である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人、特に高学歴の知的エリートや進歩的インテリには民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力はなく、そのため歴史が理解できない。
 その象徴的日本人が、中国共産党に忖度し中国の利益の為に行動して日本国の国益に損害を与えて恥じない親中国派・媚中派である。
   ・   ・   ・   
 ヤマト王権・日本天皇は、中国の侵略から日本国と日本民族を守る為に、地方に点在していた反ヤマト・反天皇勢力を切り従えて国内を統一した。
 が、反天皇・反民族・親中勢力は雑草の根の如く日本各地に残った。
 その雑草の根は現代日本でも存在し、反天皇反民族反日本のマルクス主義共産主義キリスト教が日本天皇の崩壊・日本国の破壊・日本民族の消滅へと栄養を補給して後押ししている。
 歴史的事実として、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストは昭和天皇や皇族を惨殺する為につけ狙っていた。
 日本の共産主義勢力を陰で操っていたのが、ソ連中国共産党であった。
 その流れが、リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、学者・教育者に流れている。
    ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本にとって中国や朝鮮は敵であって友好・善隣など存在しなかった。
 中国や朝鮮に存在するのは、敵日・反日・侮日であって親日・知日ではない。
 日本が好きな中国・中国人とは、孫子韓非子、秦の始皇帝漢の武帝項羽と劉邦三国志の英雄豪傑、ジンギスカンなどごく少数の皇帝や武将と軍師、孔子孟子老子荘子などの数えるほどの思想家、王羲之杜甫李白、白楽天などの数少ない文人墨客、鑑真、玄奘三蔵法師などほんの一握りの高僧名僧などで、それも唐の玄宗皇帝御代までの古代に集中している。
 古代中国と中世・近代そして中国共産党が支配する現代中国とは別の中国で、古代中国の生命溢れた息吹は現代の中国には存在していない。
 つまり、日本人が憧れる中国とは大昔に死んでしまって現代には残っていない幻想に過ぎない。
   ・   ・   ・   
 中国共産党は、結党以来変わる事がない邪悪な敵日である。
 中国軍は、日本に対して復讐戦・報復戦を計画して軍備拡大を進めている。
 中国の教育は、反日洗脳教育を徹底している。
 中国共産党と中国軍の正統性は、抗日戦争に勝利した事である。
 中国共産党や中国軍は、数多くのスパイや工作員を日本国内に潜伏させ活動している。
   ・   ・   ・   
 仏教はインドで誕生し、儒教は中国で成立した。
 正統性男系父系天皇は日本国と日本民族の為に、仏教を受け入れて信仰し、儒教を敬して遠ざけた。
   ・   ・   ・   
 日本独自の神仏混在が見える化したのは、聖武天皇によって創建された東大寺の守護神に宇佐の八幡神を神霊として分祀した事である。
 神の裔である正統性男系父系天皇の御威光によって、外来仏が在来神より上位の神格である事が確定し、仏教が日本における唯一正当な宗教権威である事が承認された。
 ゆえに、日本民族の宗教は日本教天皇教である。
 それは、祖先神・氏神を人神として祀る崇拝宗教である。
 日本民族は、多神教崇拝宗教の信徒であって一神教信仰宗教の信者ではない。
   ・   ・   ・   
 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
   ・   ・   ・   
 天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者とは、日本民族であり、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少ない。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、日本と中国との友好・善隣は斑鳩・飛鳥・奈良・平安初期の中でもごく限られた短い時期にしか存在しない特殊・特異な関係である。
 むしろそれよりも長い時期、日本と中国は敵国同士で、小国日本は大国の中国が仕掛けてくる軍事侵略を恐れ警戒していた。
 中国の日本侵略に進んで協力していたのが、狡猾で陰険な朝鮮であった。
 日本に向かって微笑みながら「友好・善隣」を語り、にこやかに握手を求めてくる中国人は陰険な人間として警戒すべきである。
 それが、中国共産党員や中国軍軍人であればなおさら信用しない事である。
   ・   ・   ・   
 隋は、高句麗を幾度も侵略したが失敗して滅亡した。
 唐は敵日の新羅と連合を組んで、親日・知日の百済高句麗を滅ぼし、日本への侵略を企てていた。
 中国は、古代から周辺諸国への侵略を繰り返し、虐殺と強奪を繰り返す犯罪大国で、平和な時代は新たな侵略戦争を行う為の準備期間にすぎなかった。
   ・   ・   ・   
 現代の親中国派・媚中派は、中央の政権与党である保守とリベラルに多く存在し、国際社会で顰蹙を買った平成元(1989)年の天安門事件後の関係修復と同じな愚行を行おうとしている。
   ・   ・   ・   
 中国共産党は、結党以来変わる事がない敵日・反天皇であり、日本人共産主義者テロリストの昭和天皇や皇族の暗殺に陰で少なからず関与していた。
   ・   ・   ・   
 日本国内には、中国共産党・中国軍のスパイ・工作員が多数潜伏して活動し、彼らに協力する日本人も相当数存在する。
   ・   ・   ・   
 日本の戦争は、外国からの日本侵略と天皇殺害に対する合法的正当防衛としての積極的自衛戦争であった。
 自衛とは、ロシアの軍事侵略、キリスト教の宗教侵略、アメリカの軍事侵略、ソ連コミンテルン中国共産党によるイデオロギー侵略であった。
 そして、日本人共産主義者テロリストとキリスト教朝鮮人テロリストによる昭和天皇と皇族の暗殺失敗と、大陸系渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)による第32代崇峻天皇を暗殺である。
   ・   ・   ・   
 日本民族にとって、中国人と朝鮮人天皇殺し・神殺し・仏殺しの、冒してはならい穢してはならない尊き存在に対する「畏れ」を知らない、バチ当たりな、心が穢れた非人間であった。
 例えれば、イエス・キリストを殺したユダヤ人である。
 それ故に、日本は中国と朝鮮に対して偏見を持ち差別してきた。
 ユダヤ人のイエス・キリスト殺しは、聖書における信仰宗教であった。
 渡来人(外国人移民)の第32代崇峻天皇暗殺は、歴史的事実である。
 日本民族は、命を捨てても天皇を助け皇室を護ろうとするが、決して天皇を殺し皇室を滅ぼそうとはしない。
 歴史的事実として、権力闘争・政争で、天皇に即位する前の皇族は殺害され天皇を退位した上皇法皇島流しにあったが、日本民族日本人によって殺された天皇は誰もいない。
   ・   ・   ・   
 歴史的事実として、古代から、日本は被害者であり、中国や朝鮮は加害者であった。
   ・   ・    ・   
 古代から北九州や西中国地方には、日本天皇への忠誠を拒絶し反旗を翻し日本国から独立する為に、中国大陸や朝鮮半島の敵日勢力と手を組み軍事支援を得て天皇に対して反乱を起こそうと企む反ヤマト王権勢力が存在していた。
 ヤマト王権は、国内外に数多くの敵と戦いながら日本統一を行い、天皇の下で日本を一つにまとめいた。
 天皇制度国家日本を取り巻く環境は、昔も現代も同じで、むしろ現代の方が悪化している。
 日本は、古代と同じように中国(中国共産党)、韓国・北朝鮮そしてそこに現代ではロシアが加わった4か国対日包囲網の中に存在している。
 そして、国内外に反天皇反民族反日的日本人達が暗躍している、彼らはマルクス主義者(共産主義者)とキリスト教徒、その他である。
   ・   ・   ・   
 親日派知日派は、古朝鮮百済高句麗、古新羅渤海
 反日派・敵日派は、統一新羅、高麗、李氏朝鮮大韓帝国
 韓国は反日派・侮日派であり、北朝鮮は敵日派・嫌日派である。
 日本人にとって朝鮮人とは、信用・信頼できる友・友人ではなく、頼もしい親友ではなく、命を預けて共の戦って生きる戦友でもなかった。
 いつ何時、寝首を掻きに来るか判らない、安心しているといきなり後ろから突然襲ってくる、油断も隙もない敵であった。
   ・   ・   ・   
 592年 渡来人の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)は、大臣(おおおみ)の蘇我馬子の軽はずみな戯れ事を真に受け第32代崇峻天皇を暗殺し、馬子の娘を略奪して妻とした。
   ・   ・   ・   
 668年 草薙剣盗難事件。新羅の僧沙門道行は、尾張熱田神宮に祀られた御神体である「草薙剣」(三種の神器の一つ)を盗んで新羅に逃げ帰ろうとした所を捕らえられた。
   ・   ・   ・   
 668年~780年 新羅は、朝貢の為に遣日本使を30回以上送った。
 新羅は、対唐(中国)政策として日本天皇に臣下の礼をとって忠誠を誓ったが、それは本心ではなくウソであった。
 つまり、朝鮮半島には信用・信頼、信義・道義など存在しない。
 日本にとって朝鮮は、親日・知日ではなく友・友人、親友、戦友にもならず、反日・敵日・侮日として油断も隙もない恐ろしい「寝首を掻きにくる敵」であった。
   ・   ・   ・   
 724年~749年 聖武天皇の御代では、日本各地で自然災害と西国で反乱が多発し、夥しい人々が犠牲となった。
   ・   ・   ・   
 811(弘仁2)年 弘仁新羅の賊。新羅船3隻は、新羅海賊船団20隻以上を手引きして対馬を襲撃した。
   ・   ・   ・   
 813年 第52代嵯峨天皇新羅の漁民と海賊の船団110人は、肥前の五島などに上陸して襲撃し、島民100人以上を殺害し、日本人を拉致して行った。
 五島の島民は、新羅人9名を殺し、多くを捕らえて役所に突き出した。
   ・   ・   ・   
 820年 弘仁新羅の乱。
 天皇への忠誠を拒否した新羅系渡来人700人以上は、駿河遠江の2カ国で分離独立の反乱を起こした。
   ・   ・   ・   
 869年 貞観の入寇。新羅の海賊。
   ・   ・   ・   
 870年 太宰少弐・藤原元利麻呂は、「新羅と通謀して謀反を企てている」との告発で捕縛された。
   ・   ・   ・   
 893(寛平5年)および894年 寛平の韓寇。新羅の海賊は熊本、長崎、壱岐対馬を侵略。
   ・   ・   ・   
 898年と899年に、大規模な反天皇武装蜂起を起こした。さらに各地で、幾つかの反日暴動を起こしていた。
   ・   ・   ・   
 906年 延喜の新羅の賊。
   ・   ・   ・    
 997(長徳3)年 長徳の入寇。高麗の海賊の侵略。
   ・   ・   ・   
 1019年 刀伊の入寇満州騎馬民族女真族による北九州侵略。
   ・   ・   ・   
 文永の役(1274年)と弘安の役(1281年) 元寇。元(中国)・高麗・旧南宋連合軍による日本侵略。
 高麗軍は、日本人を虐殺し、子供約300人を強制連行し戦利品として忠烈王に献上した。
 日本人の子供たちは奴隷にされ、生きて日本に帰る事はなく異国で死んだ。
   ・   ・   ・   
 1419年 応永の外寇世宗大王李氏朝鮮軍による対馬侵略。
   ・   ・   ・   

☱目次〕─14─大正。朝鮮から日本への民族大移動。3・1独立暴動。関東大震災。朝鮮人テロル。~No.1 * 

   ・   ・   ・
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
   ・   ・   ・   
 日本人は、歴史が嫌いであり、歴史が理解できないし、歴史を学ぼうとはしない。
   ・   ・   ・   
 朝鮮人は、貧しい朝鮮から豊かな日本へと民族大移動を始めた。
   ・   ・   ・   
大正:1912年7月30日~1926年12月25日。
2018-09-16
☱2〕3〕─1─キリスト教朝鮮人テロリストは、日本国内に潜伏した。第一次世界大戦に参戦。大正2年~大正6年~No.2No.3No.4No.5No.6・ @ 
2018-09-17
☱4〕5〕─1─東京・朝鮮YMCA会館と2・8独立宣言。米騒動。シベリア出兵。大正7年・大正8年 ~No.7No.8No.9No.10No.11・ @ ① 
   ・   ・   ・   
日本統治下における朝鮮の近代医学と公衆衛生。
2020-06-16
☱6〕7〕─1─日本は朝鮮の疫病感染爆発を封じ込め朝鮮人の生命を守っていた。〜No.12No.13 
   ・   ・   ・   
朝鮮のスペイン風邪
日本における感染爆発は、人口約6,500万人で感染者約2,300万人。死者38万人~46万人。
世界では、総人口のおよそ3割にあたる5億人が罹患し、2,000万人~4,500万人が死亡。
2020-04-03
☱8〕─1─スペイン風邪で日本は善意から朝鮮人を助けた。大正7年~大正9年。〜No.14No.15・ 
  ・  ・  
朝鮮のコレラ流行
2020-05-08
☱9〕10〕─1─大正8年のコレラ日本陰謀説。英字紙による反日フェイクニュース。〜No.16No.17No.18No.19・ ② 
   ・   ・   ・   
3・1独立暴動(万歳事件)。
2018-09-18
☱11〕─1─3・1独立暴動(万歳事件)。上海のフランス租界で大韓民国臨時政府樹立。斉藤実総督暗殺テロ未遂事件。大正8年。~No.20No.21・ @ 
2019-11-22
☱11〕─2─ローマ法王大正天皇に連帯を求めて3・1独立運動で日本にエールを送った。〜No.22No.23・ ③ 
   ・   ・   ・   
朝鮮人の民族大移動。
2018-09-19
☱12〕─1─貧困朝鮮人の日本への大移動開始。日本政府と朝鮮総督による移動阻止・密航取り締まり強化。大正9年~No.24No.25・ @ ④ 
   ・   ・   ・   
2020-03-28
☱13〕─1─尼港事件。日本人を虐殺した朝鮮人パルチザン。大正9(1920)年。〜No.26 
2020-05-26
☱13〕─2─尼港事件殉難者百回忌追悼法要と関東大震災朝鮮人犠牲者供養祭。〜No.27 ⑤ 
   ・   ・   ・   
日韓の犠牲者、皇族・梨本宮方子。
2018-09-20
☱14〕─1─日韓の架け橋・内鮮一体の犠牲になった皇族・梨本宮方子の悲劇。~No.28No.29・ @ 
2019-01-05
☱14〕─2─慶州ナザレ園の李方子。在韓日本人妻達と混血児は、日本国家から見捨てられ、韓国人家族から悲惨な仕打ちを受けていた。~No.30o.31・ @ ⑥ 
   ・   ・   ・   
朝鮮人テロル。
2018-09-21
☱15〕16〕─1─皇太子裕仁殿下欧州外遊中暗殺未遂事件。東京市電運転手連続殺傷事件。朝鮮総督府爆弾事件。大正10年~No.32No.33No.34No.35・ @ 
2018-09-22
☱17〕─1─田中義一軍事参議官爆殺未遂事件。親日派晋王子毒殺疑惑。日本国内に反日朝鮮人地下抵抗組織は80以上あった。大正11年~No.36No.37・ @ 
2020-05-23
☱18〕─1─日本人海賊による大輝丸事件。大正11(1922)年~No.38No.39 
2021-08-12
☱19〕─1─河合栄治郎は尹潽善との日本の朝鮮支配正当論争で英国聴衆の賛同を得た。大正11年。~No.40  
2018-09-23
☱20〕─1─日本警察と憲兵隊は、朝鮮人テロリストの摂政宮裕仁皇太子暗殺計画情報を得て警戒を強化した。義烈団。大正12年~No.41No.42・ @ ⑦ 
   ・   ・   ・   
関東大震災
2018-09-24
☱21〕─1─関東大震災。上海のキリスト教朝鮮人テロリストは、皇族を暗殺するべく大震災後の東京に潜入した。大正12年9月~No.43No.44No.45・ @ 
2018-09-28
☱21〕─2─自然災害被災地で犯罪行為を行う民族と行わない民族。~No.46・ @ 
2021-03-05
☱21〕─3・A─関東大震災地震兵器、朝鮮人惨殺。日本におけるデマ・流言飛語と陰謀論。~No.47No.48 
2021-09-01
☱21〕─3・B─マスコミの取材手法は今も同じ」関東大震災で最悪の"朝鮮人デマ"。~No.47No.48 
2018-09-25
☱21〕─4─虎ノ門事件。摂政宮裕仁皇太子暗殺謀議事件。二重橋爆弾事件。テロリスト集団=韓人愛国団・義烈団。大正12月9月25日~大正14年~No.49No.50No.51・ @ ⑧ 
   ・   ・   ・   
2018-12-07
☱22〕─1─アジアの女性解放。朝鮮人女性は日本から、中国人女性はアメリカから学んだ。~No.52No.53・ @ 
2018-09-29
☱23〕24〕─1─大正天皇崩御昭和天皇即位。朝鮮人の日本密航という大移動が本格化した。昭和元年・大正15年~No.54No.55No.56No.57No.58・ @ ⑨ 
   ・   ・   ・   

☰目次〕─13─明治。極東アジアの戦争原因は朝鮮であった。日清戦争。日露戦争。ハーグ密使事件。日韓併合。~No.1 * 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
朝鮮半島地政学
大国に囲まれた朝鮮の生き残り戦略。
2018-08-16
☰32〕─1─朝鮮は、敵対する両陣営を戦わせ、傍観し、勝った陣営に臣下を誓い生き残る。~No.86No.87No.89No.90・ @ ⑫ 
   ・   ・   ・   
明治時代。
 ロシアの日本侵略は、江戸時代後期から始まっていた。
 日本は、ロシアの侵略から母国日本を軍事力で守る事を国家戦略とし、その勝敗・生死・運命の鍵を握っていたのが朝鮮半島であった。
 その為に、朝鮮を中国から独立させ、世界一の陸軍を持つ世界帝国のロシアと共に戦い、運命を共にする親日派朝鮮政府を作る必要があった。
 日本海軍は、ハワイ王国を滅亡させたアメリカを主敵として警戒していた。
  ・  ・  
朝鮮半島は東アジアの火薬庫である。
2018-08-20
☰33〕34〕─1─李氏朝鮮王朝内紛が、極東アジアの戦争の原因となった。明治新政府の国書。~No91No.92No.93No.94・ @ 
2018-08-21
☰35〕36〕─1─征韓論。日朝修好条規(江華島条約)。華北の大旱魃親日派金玉均は開化派を旗揚げした。明治5年~No.95No.95No.96No.97・ @ 
2020-01-22
☰37〕38〕─1─19世紀のドイツ製地図に竹島。日本領記載。明治13年。〜No.98No.99No.100No.101・ 
2018-08-22
☰39〕40〕─1─壬牛軍乱。朝鮮人暴徒は、日本の外交官や民間人を惨殺し、女性は強姦してから虐殺した。甲申政変。清国軍の大虐殺。明治15年~No.102No.103No.104No.105・ @ 
2018-08-23
☰41〕42〕─1─天津条約。閔妃の陰謀。大阪事件。巨文島占領事件。朝露密約。甲午改革。大院君の王位簒奪計画。明治18年~No.106No.107No.108No.109No.110No.111・ @  
2020-07-04
☰43〕─1─日韓併合の原因をつくったのは朝鮮国王・髙宗であった。日本が恐怖した露朝密約事件。~No.112 ⑬ 
  ・  ・  
2018-08-24
☰44〕─1─福沢諭吉は、残虐な朝鮮人に絶望して『脱亜論』を発表した。『学問のすすめ』。~No.113No.114No.115・ @ 
2018-08-25
☰44〕─2─大日本帝国の戦争・植民地支配・軍国主義の煽動者は福澤諭吉であった。皇室論。帝室論。尊王論。~No.116No.117No.118・ @ 
2018-07-07
☰44〕─3─ハングル普及に貢献した日本人。~No.119No.120No.121・ ⑭ 
   ・   ・   ・   
日清戦争
欧米列強は清国を「眠れる巨人」としてその軍事力を恐れていた。
清国に味方した朝鮮人
イギリスなど西欧諸国は清国の勝利を確信していた。
2019-03-22
☰45〕─1─甲午農民戦争東学党の乱)。No.122No.123No.124・ * 
2018-08-26
☰46〕─1─朝鮮は、宗主国清国の軍事力を利用して敵国日本を滅ぼそうとした。明治27年~No.125No.126No.127・ @ 
2018-08-27
☰47〕48〕─1─日清戦争。新興弱小国・日本は、世界的植民地帝国・清国と戦った。明治27年7月23日。~ No.128No.129No.130No.131No.132No.133・ @ ⑮ 
   ・   ・   ・   
三国干渉。
ロシアの軍事力を利用した朝鮮人
2018-08-28
☰49〕─1─三国干渉。閔妃は、日本とロシア帝国を戦わせる為に、日本が所有する朝鮮利権を剥奪してロシア帝国に譲渡した。明治28年~No.134No.135No.136・ @ 
2018-08-29
☰49〕─2─閔妃殺害。清露反日攻守軍事同盟。高宗は、ロシア帝国ウェーバー公使と反日密約を結び保護を求めた。明治28年10月8日~No.137No.138No.139・ @ 
2018-08-30
☰50〕─1─朝鮮国王は、ロシアの軍事力で日本に対抗する為にロシア公使館に逃げ込んだ。大院君の逝去。明治30年~No.140No.141No.142・ @ 
2018-08-31
☰50〕─2─明治30(1897)年 日本人漁民による日本領竹島でのアシカ猟。~No.143No.144No.145No.146・ @ 
2018-09-01
☰51〕─1─高宗皇帝は、親日派の開化派や独立協会を弾圧して日本協力者の一掃を図った。明治33年~No.147No.148No.149・ @ 
2019-05-25
☰52〕─1─お人好しの日本人は遭難した朝鮮人を助けた。韓国船遭難救護の碑。四仁伴載船。明治33年〜No.150No.151No.152・ 
2018-09-02
☰53〕─1─ロシア帝国大韓帝国の許可を得て日本侵略の為の軍事基地及び軍港を建設した。明治35年~No.153No.154No.155・ @ ⑯ 
   ・   ・   ・   
日露戦争
常識的軍事知識を持つ者は日本の完敗を予想し、日本の消滅を予言していた。
ロシアに味方した朝鮮人と中国人。
ロシアなど白人世界と敵対する中東イスラム圏やインド・東南アジアは日本にエールを送った。
日本とロシアの戦争は、白人世界と非白人世界との人種間戦争であった。
2021-01-31
☰54〕─1─大韓帝国は日本国とロシア帝国を戦争させるべく暗躍していた。~No.156No.157 
2019-10-06
☰55〕─1─日露戦争の勝利は日英同盟締結と大韓帝国の国際的地位確定でった。〜No.158No.159No.160・ 
2018-09-03
☰56〕─1─大韓帝国は、日本に対して敵対的中立を宣言し、日本軍の機密情報をロシア軍に流していた。明治37年~No.161No.162No.163・ @ 
2018-09-04
☰56〕─2─大韓帝国は、日韓議定書を取り交わしたが、反日工作として李承晩を密かにアメリカに派遣した。明治37年2月10日 ~No.164No.165No.166・ @ 
2018-09-05
☰56〕─3─朝鮮人義兵は、ロシア軍に協力するべく朝鮮半島で暴動を起こし、日本軍の補給を妨害した。竹島問題の発生。明治38年~No.167 No.168No.169・ @ 
2018-09-06
☰56〕─4─桂・タフト秘密協定。ポーツマス条約成立。日本を救った日比谷公園警派出所焼き討ち事件。明治38年6月。~No.170No.171No.172・ @ 
2021-11-14
☰56〕─5─タフト・桂秘密会談。日韓併合は米国が承認したから。〜No.173No.174No.175 * 
2018-09-07
☰56〕─6─朝鮮人義兵は、再度ロシアと清国の軍事介入を誘うように内戦を拡大した。明治38年10月。~No.176No.177No.178・ @ ⑰ 
   ・   ・   ・   
ハーグ密使事件。大韓帝国の裏切り。
2018-09-08
☰57〕─1─大韓帝国は、腐敗と堕落で統治能力を失い、放漫財政で巨額の借金を作り国家として破綻していた。明治39年~No.179No.180No.181・ @ 
2018-09-09
☰58〕─1─ハーグ密使事件。伊藤博文は、日本を滅ぼす大国を探した大韓帝国の裏切り行為に激怒した。明治40年~No.182No.183No.184・ @ ⑱ 
   ・   ・   ・   
 アメリカは、日本を仮想敵国と認定し対日戦準備を始めた。
 アメリカ・キリスト教会は、朝鮮半島での布教を行う為に反日朝鮮人に接近した。
   ・   ・   ・   
日韓併合反日朝鮮人テロリスト集団。
戦争をする勇気のない者・惨めな卑怯者はテロ犯罪を起こし、正義の戦い、聖戦と詭弁を弄す。
2018-09-10
☰59〕─1─反日朝鮮人は、高宗を強制退位させた日本に激怒して内乱を起こした。明治天皇暗殺予告事件。明治40年7月~No.185No.186No.187・ @ 
2018-09-11
☰60〕─1─在米朝鮮人秘密結社「共立協会」のテロリストは、日本寄りの外交顧問スチーブンスを暗殺した。明治41年~No.188No.189No.190・ @ 
2018-09-12
☰61〕─1─日本国民は、元勲・伊藤博文を暗殺したテロリスト安重根を憎み朝鮮人を嫌悪した。明治42年~No.191・ @ 
2021-08-11
☰61〕─2─安重根の生涯がバレエに。~No.192No.193 
2018-09-13
☰62〕─1─幸徳秋水明治天皇暗殺計画。日韓合邦。朝鮮王族は皇族待遇と皇族費を得た。創氏改名。明治43年~No.194No.195No.196・ @ ⑲ 
   ・   ・   ・   
世界は、東アジアの平和と安定そして近代的発展の為に日韓併合を容認した。
2019-10-07
☰63〕─1─日本は、桂・タフト協定、安重根処刑、日韓併合で朝鮮・韓国に謝罪する必要はない。〜No.197No.198No.199・ ⑳ 
   ・   ・   ・   
明治天皇は最終決定権者として日清戦争日露戦争日韓併合を裁可した。 
2018-09-14
☰64〕─1─明治天皇崩御。朝鮮の障害者差別文化、伝統的舞踊「病身舞」、民族的葬祭「高麗舞」。明治43年10月~No.200No.201No.202・ @ 
2018-09-15
☰65〕─1─世界から、日本国皇帝・第122代明治天皇崩御に寄せられた弔辞と賛辞。明治45年・大正元年。~No.203No.204No.205・ @ ㉑ 
   ・   ・   ・   
 朝鮮が日本と違う道を進み、近代化ができないどころか、国家を失ったのは、世界が弱肉強食で無慈悲で非情・残酷、非道徳・不条理でドス黒く動いているという国際認識が理解できなかった事にある。
 現実世界とは、正義の名の下に「日本人とアフリカ人を奴隷として売り買いして金儲けしたいた」そういう世界である。
  ・  ・  
 国家存亡の危機にあった日本は、朝鮮が味方になって戦ってくれれば戦友として運命を共にしたが、侵略国(ロシアと中国)に味方して攻撃してくるのであれば朝鮮を敵と見なして攻撃し、攻撃してなおも敵対するのであれば滅ぼすしかない。
  ・  ・  
 朝鮮人は「話してくれなければ分からない」と言う。
 時間を掛けて、複雑な話しを噛み砕き簡潔に単純明瞭に優しい言葉で懇切丁寧に話さなければ理解できない相手など、相手にできなかった、むしろ相手にする価値がなかった。
 それが、日本と朝鮮との関係であった。
  ・  ・  
 朝鮮人は、日本を下等国家と軽蔑し、日本人を劣等・無教養・野蛮人と差別した。
  ・  ・  
 明治と大正・昭和の違いは、朝鮮や中国に配慮・思い遣り・忖度したかどうかである。
 明治時代は、エゴイストとして、日本ファーストで振る舞い、日本が生き残る対ロシア戦略から中国と朝鮮に10の内9の要求を、武力をちらつかせ強圧的に突きつけた。
 大正時代と昭和時代は、国際協調から、中国の言い分を尊重し、中国人の思いを考慮して、譲歩できる範囲で譲歩して10の内4の要求した。
   ・   ・   ・   

💦目次〕─12─ウソの朝鮮半島文化。ウリジナル、ウリマラ、ケンチャナヨ。パクリ農産物の無断栽培。~No.1 * 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・    
 当ブログは、歴史の定説を恣意的に書き替える為に作成している歴史修正主義民族主義のブログである。
   ・   ・   ・   
2020-05-17
💦2〕─1─自賛・人類最古の文化。100万年前の朝鮮半島古代史。~No.2No.3No.4・ 
   ・   ・   ・   
ウリナラ文化
2017-10-29
💦3〕─1─韓国のウリジナルとはあったら良いなという架空の創作物語。~No.5No.6No.7・ @ 
2019-03-27
💦3〕─2─韓国の嘘ウリジナルウリナラ文化を増やす為に日本から奪えるモノは容赦なく奪う。桜。〜No.8No.9No.10・ 
   ・   ・   ・   
2021-09-05
💦4〕─1─韓国文化の模倣文化。法律無視のご都合主義。~No.11No.12No.13・ 
   ・   ・   ・   
2017-09-06
💦5〕─1─韓国修正版河野談話。日本から文化財を強奪する韓国窃盗団。中国共産党の『愛国主義教育実施要綱』。1993年~No.14No.15No.16・ @ 
   ・   ・   ・   
2017-10-22
💦6〕─1─反日無罪・愛国無罪反日韓国ドラマ。2015年10月~No.17No.18No.19・ @ 
   ・   ・   ・   
2021-11-09
💦7〕─1─日本の高級ぶどう また“パクリ” 韓国で無断栽培 驚きの言い訳。~No.20No.21No.22 
2022-01-17
💦7〕─2─韓国に流出した日本産イチゴ、現地メディアは〝自国産〟と意気揚々に報道。~No.23No.24No.25 
   ・   ・   ・   
 朝鮮文化は、黄河文明・中国文化の亜流であって、日本文明・日本文化とは異質である。
   ・   ・   ・   
 朝鮮半島諸王家は、黄河流域漢族中国語(漢語)を公用語として受け入れた。
 公用語は、元王朝ではモンゴル語に、清王朝ではモンゴル語と定められた。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、天皇神話の大和心を秘めたヤマト言語=和語・倭語・日本国語を溺愛し、キリスト教の西欧語と儒教の漢心を秘めた漢語(中国語)の公用語拒絶を貫いた。
   ・   ・   ・   

(目次)。個人情報関連緊急告知・No.2。補足・No.1。 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 当「nisikiyama2-14(栗山正博)」は、無料公開ブログですが、ひとり孤独に作成している有料ブログです。
 掲載記事の8割近くは、雑誌、新聞、Microsoft・News、ウィキペディア、インターネット・ニュース、インターネット・情報、その他、手に入る情報からのコピペ、つまり他人の説・論・話を集めてまぜこぜにしてした「練り物記事」に過ぎず、公開されている情報を無許可で掲載している「違法性のある如何わしい」記事で、作成者のオリジナル性は乏しい。
 そして、作成者は素人で専門家ではなく、深い考えのないまま興味本位で作成しています。
 その時の思い付きで書き殴り、読み返すいとまもなく、よって訂正・修正する事なく先へと暴走している為に誤字脱字、思い違いが各所に多く存在します。
 詳しくはプロフィールに。
   ・   ・   ・   
 緊急告知・No.2
 当ブログ作成者は来年2月に65歳で定年退職となり無職となります、人生100年時代を生きる為に再就職先を探しますが、運良く給料と就労時間の良い条件で再就職ができたとしても実際は忙しく仕事に追われてブログ作成の時間が得られないかもしれず、運悪く再就職ができなければ僅かな年金収入では高額な有料ブログを維持できなくなります。
 また、幾つかの持病を持つ身であり健康面にも不安を抱えていますので、今後ともブログ作成を続ける気力を保てるのかも分かりません。
 よって、6つのブログの中で1つでも新しい記事が、半月以上追加されない時は作成不能状態で、1ヵ月以上ない時は絶望状態で、3カ月以上ない時は死亡して終了と思って下さい。
 また、当ブログは有料ブログですので2~3年分の入金を絶やさずにしていますが、ブログ作成者の不慮の死により入金できなくなれば何年後にはブログ記事は崩壊します、どう崩壊するかは分かりませんが、後継者も共同作成者もいませんのであしからず。
 所詮は、家族なし、子供なしで、蛍光灯の下でひとり孤独と無縁でブログを作成している老人です。
 運良く新しい仕事が見つかりますように、神頼み。
 ブログは死ぬその時まで続けたいと思います。
 当ブログが、日本国と日本民族の役に立ちますように、心から願っています。
                   令和3年10月8日
   ・   ・   ・   
 補足1
 職場が令和4年3月31日に別の場所へと規模を縮小して移転する事になり、職員の人員整理が行われ、ブログ作成者も解雇になり無職となります。
 ひっそりとブログを作成するには良い職場でしたが、残念です。
 失業が確定した今、再就職先を探しています。
 今年65歳になって年金受給世代になったのですが、年金だけでは老後生活が苦しく、その上、資料を買い漁り有料ブログを維持すると老後資金を圧迫するので、老後とブログの二頭の資金を稼ぐ為に何らかの仕事を見つけるしかありません。
 このご時世、今までのようにブログを作成しながら金を稼げる、そんな都合の良い職場はそうそうなく、その為に今後のブログ作成は今までのようには続けられなくなる可能性があります。
 何歳まで生きられるかわかりませんが、差し当たって70歳までの5年間働いて資金を貯める必要があます。
 運良く、好条件の職場に再就職できればよく、運悪く、条件が悪い職場であれば今までのようにブログを作成できなくなる可能性があります。
 そのさいはご理解をお願いします。
                  令和4年1月18日
   ・   ・   ・   

💦7〕─2─韓国に流出した日本産イチゴ、現地メディアは〝自国産〟と意気揚々に報道。~No.23No.24No.25 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 2022年1月11日 MicrosoftNews zakzak「韓国に流出した日本産イチゴ、生産者が激白「契約前にすでに流通」 現地メディアは〝自国産〟と意気揚々に報道 「新品種育成」まで権利及ばず
 © zakzak 提供 韓国の「雪香」の元になった日本産「章姫」(萩原和弘さん提供)
韓国の農産物市場で、〝自国産イチゴ〟がシェアトップになったと発表された。現地メディアは意気揚々と報じるが、その品種、元はといえば日本産だ。農林水産省は、制度上、問題視はしていない立場だが、日本のイチゴ農家関係者は夕刊フジの取材に「韓国側と契約を交わす前に、すでに流通していた」と述べた。
 韓国農村振興庁は3日、韓国産のイチゴ品種の普及率が昨年9月時点で過去最高の96・3%を記録したと明らかにした。朝鮮日報(日本語電子版)は「日本品種のイチゴが韓国市場から消えた」などと伝えた。
 だが、韓国産としてシェアトップの「雪香(ソルヒャン)」は、日本の「章姫(あきひめ)」と「レッドパール」をかけ合わせてできた品種だ。
 農水省が、国内育成品種の海外への流出状況についてまとめた資料によると、1996年に章姫の育成権者が韓国の種苗業者に、98年にレッドパールの育成権者がそれぞれ韓国の生産者に対し、期間限定、契約者のみ利用可などの条件で許諾した。
 ところが、両品種が韓国で育成者の許諾を得ず広く増殖・栽培され、2006年ごろにシェアが計8割超となった。その後、日本の育成権者と韓国の生産者協会の協議が決裂すると12年に両品種をもとにした雪香などが韓国で品種登録されたという流れだ。
 農水省の輸出・国際局知的財産課種苗室は「批判があることは承知しているが、知的財産権の制度上、新品種を育成するために利用することは権利が及ばない」と話す。
 では韓国に日本産イチゴが渡った当時、どのような状況だったのか。
 章姫が品種登録されたのは1992年で、静岡県のイチゴ生産者、萩原章弘さんが20年以上もの年月をかけて品種改良し、誕生させた。当時を知る息子の和弘さんは、韓国で雪香が普及していることについて「いいイチゴができればいいが…」とした上で、次のように話す。
 「最初に韓国へ渡った経緯は分からない。購入されたのか、勝手に苗を持ち出されるかして渡ったのだろうが、契約などは交わしていない。その後、韓国で流通していることが分かり、許諾を出した方がいいというアドバイスも受けたため、韓国側に生産の許諾を出したと亡くなった父から聞いた。ただ第三者の生産を許可したかまでは分からない」と振り返る。
 日本では改正種苗法が2021年4月に施行され、ブランド果実などの種や苗木を海外へ不正に持ち出すことは禁じられている。
 現在、章姫のブランドは静岡市のイチゴ園「ベリーランドあきひめ」で和弘さんの後継者の息子が守っている。和弘さんは「品種登録から30年になるが、現在でも残っているということはそれだけ皆さんに愛されているからだと思う。今後も残していきたいし、人気が続いてくれればと思っている」と語った。」
   ・   ・   ・   

🎍16〕─3─聖徳太子の第1回宗教改革とは日本の仏教国家化と仏教寺院の総合病院化であった。~No.48No.49 

   ・   ・   ・   
 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 2022年1月20日号 週刊新潮「夏裘冬扇 片山杜秀
 今こそ聖徳太子
 福沢諭吉の前、1万円札の肖像画聖徳太子だった。『日本書紀』の記述に従えば、太子は西暦574年に用明天皇の子として生まれ、622年に斑鳩宮でなくなった。用明の妹、つまり太子にとっては叔母になる推古天皇の御代の政治を、ハイティーンから約30年、とりしきったという。
 はて、太子は何をしたか。いちばんに604年、太子が30歳の年の、十七条憲法制定だろう。第一条は『和を以て貴しとなす』。日本の古代の政治が如何に不和に満ちていたかが窺い知れる。そうでなければいきなり和を叫ぶはずはない。すると古代の豪族たちを不和に導いた最大の原因は何か。やはり外来文化の問題だろう。太子が13歳の年、渡来人を束ねて仏の教えを広めようとする国際派の蘇我馬子と、日本伝統の神々を奉ずる国粋派の物部守屋とにあいだに戦が起き、馬子が勝利した。太子はというと、父方の祖母と母方の祖母も共に馬子の姉妹。明らかに国際派で仏教派だった。十七条憲法の第二条はこうだ。『篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり』。太子は、推古天皇蘇我一族と手を携え、仏教の国教化路線に邁進したと思われる。
 なぜそこまで仏教に?当時の朝鮮半島では百済新羅高句麗が三つ巴。日本は常に微妙なかじ取りを迫られていた。一方、中国大陸には隋という統一王朝が出現。中国と言えば一に儒教だが、隋は例外的に仏教を最重視した。半島の3国も仏教が強い。日本が東アジアで存在感を高めて行くには、価値観の共有は必須だった。
 しかし、もっと差し迫った理由もあった。蘇我馬子用明天皇も、仏教に帰依したきっかけは、重い病気に罹ったからという。治療のために仏僧を招きたくて信仰に向かった。そもそもこの時代の仏教を今日の感覚で狭義の宗教と考えてはいけない。渡来人を主とする当時の仏僧とは、レオナルド・ダ・ヴィンチのような人たちだった。数学にも天文学にも土木建築にも美術にも音楽にも通じていた。もちろんインドや中国の医術にも!何しろ薬を調合できた。渡来層とは現代のファイザーやモデルナに相当した。
 7世紀の日本は、東アジア情勢に首を突っ込み、半島や大陸との人の往来も活発にした。結果、新しい疫病が次々と伝来し、神道と結びついた従来の医療では対応できなくなっていた。一種の医療崩壊である。しかし、物部守屋大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)に祈ることこそが相変わらず医療と考え、渡来僧の新医術を異国の妖術として排斥した。異人を追い払い、鎖国して人の往来を減らすことこそ肝要と信じていた。蘇我馬子と戦争に及んだ大きな理由だろう。
 その後の日本を率いた聖徳太子は、たとえば四天王寺を『四箇院(しかいん)の制』に従って建立したという。仏に祈る敬田(きょうでん)院、薬局の施薬(せやく)院、治療院の療病院、入院施設の悲田院がセットになってこそ寺という思想だ。寺とは総合病院だった。
 一方、太子の外交とは二枚腰三枚腰であった。百済とも新羅とも高句麗とも隋とも、なるかけ仲良くしようとした。けれど、太子が逝くと、対外強硬派の中大兄皇子天智天皇)と中臣鎌足蘇我氏を滅ぼし、百済に肩入れして、隋の後継王朝の唐と新羅の連合軍に、白村江で敗れ、すわ亡国かと、防人(さきもり)を動員したりの大騒動になる。
 今年は太子の没後1400年。彼ほど現代日本に示唆を与える歴史的人物が他に居るだろうか。角を立てまいと四苦八苦する東アジア外交と、新時代に合わせた医療体制作りが、太子の政治の2本柱なのだから。……」
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力がなく、恩知らずであり、恥知らずであり、日本民族が持っていた惻隠の情などない。
 つまり、現代の日本人は数万年前の石器時代の日本列島で生きてきたヤポネシア人の子孫である日本民族とは言い難い。
 そして、武士・サムライでもなければ、百姓や町人などの庶民でもなく、その子孫でもなく、よって武士・サムライ及び庶民を語る資格はない。
   ・   ・   ・   

 日本大百科全書(ニッポニカ)「聖徳太子」の解説
 聖徳太子 (574―622)
 飛鳥(あすか)時代の政治家、また宗教的思想家。厩戸(うまやど)皇子、豊聡耳(とよとみみ)、上宮(かみつみや)王ともいう。父は橘豊日(たちばなのとよひ)皇子(用明(ようめい)天皇)。母の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后が、池辺雙槻宮(いけのへのなみつきのみや)の庭を歩いているとき、厩戸の前で皇子を出生したので「厩戸」の名がつけられたという。明治時代の歴史学者久米邦武(くめくにたけ)は、キリストの生誕に類似することに注目し、唐の都長安(ちょうあん)に流行していたキリスト教の一派景教(けいきょう)(ネストリウス派)の知識を天智(てんじ)・天武(てんむ)天皇のころ大唐学問僧が日本に持ち帰り、太子の誕生説話に付会したのであろうと推定した。「豊聡耳」の名は、太子が聡明(そうめい)で訴訟裁定に優れた能力をもつことにちなみ、「上宮」の名は、その宮が父用明天皇の宮の南、上宮の地にあったことによる。なお「聖徳」の名は、もっともポピュラーであるが、仏法を興隆した太子賛仰の意味を込めて、太子の死後用いられたもので、法起寺(ほっきじ)塔の露盤(ろばん)銘に「上宮太子聖徳皇」とあるのが初見である(706年造営)。
  593年(推古天皇1)に、聖徳太子は推古(すいこ)女帝の皇太子となった。大臣(おおおみ)の蘇我馬子(そがのうまこ)は、大連(おおむらじ)の物部守屋(もののべのもりや)を滅ぼし、さらに崇峻(すしゅん)天皇を殺して、権力を振るっていた。皇太子は通例、次期皇位継承者であるが、聖徳太子の場合、天皇家の危機にあたり、国政を担当する任務が与えられており、したがって「摂政(せっしょう)」に比重が置かれていたと解される。聖徳太子は政治をゆだねられて執政の座につき、一方推古天皇は、不執政の座に上った。「天皇」の称号が、これまでの「大王(おおきみ)」にかわって用いられるのは、推古朝のころとされているが、自らは動かず、しかも天界のもろもろの星の中心に位置する北極星をさす「天皇」の称号は、不執政の座を表すのに適切であったと考えられる。
   [田村圓澄 2017年8月21日]
 太子の政治目次を見る
 蘇我馬子の建立にかかる飛鳥の法興寺(ほうこうじ)(飛鳥寺)は、596年に完成し、高句麗(こうくり)僧の慧慈(えじ)(?―623)、百済(くだら)僧の慧聡(生没年不詳)をはじめ、多くの僧が入った。仏法興隆について、聖徳太子と馬子とは協力することができた。こうして太子は大和(やまと)の斑鳩(いかるが)に法隆寺を建てるが、蘇我氏の建てた法興寺と、「仏法興隆」の文字を分かち合っていたことが注意される。
 太子には3人の側近があった。高句麗の慧慈、百済系と思われる覚哿(かくか)(生没年不詳)、それに新羅(しらぎ)系渡来氏族である秦河勝(はたのかわかつ)であった。慧慈は仏教の、また覚哿は儒学の師であったが、秦河勝を含め3人の側近は、東アジアの国際情勢について太子に説明することができたであろう。高句麗百済新羅朝鮮半島の三国は互いに争っていたが、聖徳太子の側近としてこの3人はバランスがとれていた。
 執政の座にある聖徳太子にとって、蘇我馬子との関係には少なからぬ困難があった。601年に斑鳩に宮をつくり、ついで磐余(いわれ)の上宮から斑鳩に移ったのは、馬子の本拠である飛鳥から離れ、しかも難波(なにわ)(大阪)に通ずる新しい拠点を確保することにより、独自の外交、内政を展開するためであったと考えられる。
 589年(崇峻天皇2)に隋(ずい)は中国大陸を統一したが、太子は、600年、607年、608年、614年の4回、隋に使者を送った。使者の任務は、辞を卑(ひく)くして中国の皇帝から政治支配権の確認を求めた5世紀の倭(わ)の五王とは異なり、文物、文化の移植にあった。したがって長期留学の学生、学問僧も同行したが、大陸文化の本格的な移植はこれらの留学生に負うところが多かった。
 603年に冠位十二階が制定された。家柄によって身分が決まる氏姓制度にかわり、個人の力量、才能によって地位を決める冠位十二階制は、昇進も可能であり、後の官人の位階制の始まりとなった。冠位十二階の施行に続いて憲法十七条を制定した。冠位十二階が、天皇制の下での官人貴族の序列化であるとすれば、憲法十七条は、官人貴族の服務規律であり、道徳規範であった。
 聖徳太子が目ざしたところは、天皇を中心とする中央集権国家体制の確立であった。推古朝の政治について、聖徳太子蘇我馬子との二頭政治であるとか、あるいは馬子の主導によって国政は推進されたとする見解があるが、572年(敏達天皇1)に蘇我馬子が大臣となって以来、とくに画期的な政策を断行したことがなく、聖徳太子の在世中に内政・外交の新政策が集中している事実から考えれば、推古朝の政治は太子によって指導されたとみるべきである。それだけに太子と馬子との対立は不可避であった。
   [田村圓澄 2017年8月21日]
 太子の仏教目次を見る
 太子の父用明天皇は、仏教帰依(きえ)を表明した最初の天皇であったが、その願望は実現しなかった。用明天皇の仏教受容は、病気の平癒を期待したのであり、いわば現世利益(げんぜりやく)を仏教に求めたのであるが、太子の仏教受容には、現世利益を求める傾向も、鎮護国家を求める呪術(じゅじゅつ)的要素もなく、仏教を人間の個人の内面的・精神的なものとの関連において理解しようとするものであった。太子の仏教理解を示すものに憲法十七条があり、太子のことばとして伝えられる天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)に載せられた「世間虚仮(せけんはこけなるも)、唯仏是真(ただほとけのみこれまことなり)」と、舒明(じょめい)即位前紀に記された「諸悪莫作(もろもろのあしきことをばなせそ)、諸善奉行(もろもろのよきわざをおこなへ)」とがある。また推古天皇のために経典を講義したときにできたという法華(ほけ)、維摩(ゆいま)、勝鬘(しょうまん)の『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』があるが、この『三経義疏』については、太子の著作であるか否か、また太子の著作であるとして、どの部分が太子の独自の解釈であるかは、なお検討を必要とする。
   [田村圓澄 2017年8月21日]
 太子信仰目次を見る
 622年(推古天皇30)2月22日に、聖徳太子斑鳩宮で亡くなった(紀は前年2月5日没)。49歳であった。遺体は河内(かわち)の磯長(しなが)の墓地に葬られた。墓は大阪府南河内郡太子町の叡福寺(えいふくじ)境内に現存する。太子を思慕する人々により聖徳太子信仰が形づくられるが、半跏思惟(はんかしい)像が亡き太子のイメージを表した。釈迦(しゃか)の前身である悉達(しった)太子の像であった半跏思惟像は、聖徳太子像と重なった。そして8世紀には、太子は「日本の釈迦」と仰がれることとなる。鎌倉時代およびそれ以前に成立した太子の伝記・絵伝は、現存のものだけでも20種を超える。それらは、時代を下るにしたがって内容を豊富にし、伝記としての体裁を整えるが、統一的完結的なまとまりをもつ最初の伝記である藤原兼輔(ふじわらのかねすけ)の『聖徳太子伝暦(でんりゃく)』において、その太子像は荒唐無稽(こうとうむけい)な異聞奇瑞(きずい)で満たされている。
   [田村圓澄 2017年8月21日]
 『田村圓澄著『日本仏教史 第1巻』(1982・法蔵館)』▽『田村圓澄著『聖徳太子』(中公新書)』
   ・   ・   ・   
 第1回宗教改革は、聖徳太子推古天皇である。日本は、仏教色を強め儒教色を弱めた。
 日本が選んだ仏教は、インド仏教・中央アジア仏教から分かれた長江流域系(道教色)中国仏教、百済仏教(親日・知日)、高句麗仏教であって黄河流域系(儒教色)中国仏教・新羅仏教(反日・敵日)ではなかった。
 第2回宗教改革は、聖武天皇光明皇后である。
 第3回宗教改革は、空海最澄である。
 第4回宗教改革は、親鸞である。
 第5回宗教改革は、徳川家康・秀忠で、キリスト教禁止と日本人奴隷交易破壊である。それは、キリスト教会とイエズス会による宗教侵略の阻止であった。
 日本は、完全なる仏教国になったが、仏教勢力は幕府の強権的統制下で政治の場から排除されていた。
 以上は、日本の仏教化が目的で、神道縄文時代からの神話物語を崇拝するだけで経典・聖典による教えはなかった。
 第6回宗教改革は、日本の無宗教化で、国家神道はお辞儀拝礼宗教行為であって信仰宗教ではなかった。
 明治新政府は、政治から宗教・国学を排除する為に西洋の哲学と啓蒙思想、中国の儒教を利用した。
 仏教に対して廃仏毀釈神道に対して神社合祀令。
 第7回宗教改革は、敗戦後にGHQ、マルクス主義者・共産主義者キリスト教会が政教分離と信教の自由そして反宗教無神論と反天皇反民族反日本を広める為に行った。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的エリートや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
   ・   ・   ・   
 昭和天皇「本土決戦を行えば、日本民族は滅びてしまう。そうなれば、どうしてこの日本という国を子孫に伝えることができようか。自分の任務は祖先から受け継いだ日本を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらいたい、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらう以外に、この日本を子孫に伝える方法はない。そのためなら、自分はどうなっても構わない」(1945年8月10日聖断)
 天皇にとって民(日本民族)は「大御宝(おおみたから)」である。
 仁徳天皇「私はすっかり富んだ。民が 貧しければ私も貧しい。民が豊なら私も豊ななのだ」(かまどの逸話)
   ・   ・   ・   
 天皇・皇族・皇室を戦争をして命を捨てても護ろうとした勤皇派・尊皇派・天皇主義者とは、日本民族であり、身分・地位・家柄・階級・階層が低い、下級武士、身分低く貧しい庶民(百姓や町人)、差別された賤民(非人・穢多)、部落民(山の民{マタギ}・川の民・海の民)、異形の民(障害者、その他)、異能の民(修験者、山法師、祈祷師、巫女、その他)、芸能の民(歌舞伎役者、旅芸人、瞽女、相撲取り、その他)、その他である。
 日本民族には、天皇への忠誠心を持つた帰化人は含まれるが、天皇への忠誠心を拒否する渡来人は含まれない。
 身分・地位・家柄の高い上級武士・中流武士や豪商・豪農などの富裕層・上流階級には、勤皇派・尊皇派・天皇主義者は極めて少ない。
   ・   ・   ・   
 日本列島には、自然を基にした日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話・天皇神話が滲み込み、その上に石器時代縄文時代弥生時代古墳時代日本民族が住んできた。
 日本民族は、ヤポネシア人、石器人・日本土人縄文人弥生人(渡来人)、古墳人(帰化人)が乱婚して混血して生まれた雑種である。
   ・   ・   ・   
 正統男系父系天皇制度は、数千年前の弥生時代古墳時代に、ナラの有力豪族達が集まって弥生の大乱を鎮め平和と安定、幸せと豊かさの為に話し合って作り上げた制度であった。
 日本は正統男系父系天皇制度のお陰で陰惨な虐殺に次ぐ虐殺という、中国や朝鮮の様な思想地獄、西洋や大陸の様な宗教地獄、ソ連中国共産党共産主義諸国の様なイデオロギー地獄は起きなかった。
   ・   ・   ・   
 1847(弘化4)年 マルクスエンゲルスは、プロレタリア革命を広める為に共産主義者同盟の綱領を起草して、共産党宣言を行った。
 マルクス主義社会主義共産主義は歴史の浅い、反宗教無神論の新しいイデオロギーである。
   ・   ・   ・   
 リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者は、女性天皇女系天皇即位に賛成し、天皇制度を正当女系母系天皇制度への変更を求めている。
 自民党内でも、正当女系母系天皇制度においても女性天皇女系天皇即位に賛成する政治家が多数派である。
 日本国内において、正統男系父系天皇男制度を護って女性天皇女系天皇即位に反対する日本人は少数派である。
   ・   ・   ・   
 現代の日本人は、昔の日本人・日本民族とは別人のような日本人である。
 戦後民主主義教育を受けた高学歴な知的インテリや進歩的インテリ、特にマルクス主義者・共産主義者といわれる日本人の多くは民族的な歴史力・文化力・伝統力・宗教力が乏しいかない為に、日本民族の歴史・宗教・文化が嫌いである。
 現代の国際常識、世界正義は、男女平等、女性権利の向上、フェミニズムジェンダーで、正統性男系父系天皇制度は悪とされている。
   ・   ・   ・   
 昭和7(1932)年 ソ連コミンテルンは、社会ファシズム論から日本共産党に対し32年テーゼ「日本に於ける情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」を送った。
 「帝国主義戦争の内乱への転嫁を目標とする日本共産党」に、暴力革命勝利の為の「統一戦線戦術」を命じた。
 日本人共産主義者は、人民の正義の為に昭和天皇や皇族を殺すべく活動を本格化させた。
   ・   ・   ・   
 三十二年テーゼ
 1932年5月コミンテルン執行委員会西ヨーロッパ・ビューローによって決定された「日本における情勢と日本共産党の任務に関する方針書」のこと。日本の支配体制を絶対主義的天皇制とみなし,きたるべき日本革命は天皇制を打倒し,地主制を廃止するブルジョア民主主義革命であり,社会主義革命はその次の段階とする二段階革命論の立場を明確にした。日本では河上肇翻訳で同年7月 10日『赤旗』特別号に掲載され公にされた。同種のものには 27年,31年のものがある。これらのテーゼは当時の日本の経済理論,社会主義運動理論に大きな影響を与え,活発な論争を引起した。
 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
   ・   ・   ・    
 日本の歴史には3種類あって、1,日本民族の民話・伝承・寓話・宗教によるローカルな神話物語、2,アフリカを源流とする科学的根拠のグローバル人類史、3,記録が残る正史による人物英雄伝説である。
 ローカルな神話物語とは、古事記日本書紀を正統根拠とする日本神話・民族中心神話・高天原神話・天孫降臨神話、つまり女性神天照大神最高神とする天皇神話である。
 それが、皇国史観であった。
 グローバルな人類史には、科学的経験的正当性はあっても宗教的合理的正統性はない。
 神話物語・人類史・英雄伝説の3つを持つのは、民族としては日本民族琉球民族アイヌ民族だけで、国家としては日本国だけで、その歴史に正当性を裏書きしているのが正統な天皇の神格である。
 その意味で、日本は特殊で特別であるが、日本国と日本人が優れているとは無関係である。
 天皇は日本を統一して日本建国宣言の詔を発していない為に、日本には建国年と建国記念日は存在しない。
   ・   ・   ・   
 天皇の存在意義とは、国内においては国家と国民統合の象徴であり、国外においては日本国と日本民族の信用の源泉である。
 日本円貨の信用も、日本の国家、政府、日銀、国民ではなく天皇である。
   ・   ・   ・   
 日本国憲法が、日本国と日本国民の国際的信用を保証してはいない。
 そもそも、日本国憲法を保証しているのは天皇である以上、正統な天皇の承認なくし日本国憲法の正当性はない。
 日本において、数万年の石器時代縄文時代及び数千年前の弥生時代古墳時代から受け継いできた歴史・伝統・文化・宗教における天皇の正統性は、1946年成立のキリスト教マルクス主義共産主義によって書かれた日本国憲法の正当性の上位にある。
 戦後民主主義教育を受けた日本国民や外国人日本国籍保有者が、日本国憲法における国民主権で自分達が日本国の国際的信用を責任を持って保証すると宣言した所で認められない。
   ・   ・   ・   
 天皇の正統性とは、最高神の女性神を神聖不可侵にして絶対不変の根拠とする、民族宗教、神話物語、血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇制度である。 
 天皇の正当性とは、イデオロギーで作成された憲法・法律を根拠とする、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇制度である。
 現代日本の国民世論の90%以上が、正統性の男系父系天皇制から正当性の女系母系天皇制度への制度変更を要求している。
   ・   ・   ・   
 日本民族が崇拝してきた八百万の神々が正統な神である事を保証しているのは、最高神・女性神の血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天天皇の神性である。
 つまり、民族宗教、神話物語でる天皇神話である。
 近代の憲法や法律の宗教法人法が認定する神仏には、合憲・合法に基づいた正当性がっても、神性・神聖の正統性はない、つまり金儲けの為に作られたウソの神仏である。
 当然、非民族神話、非崇拝宗教、非血筋・非血統の非家世襲万世一系を排除した女系母系天皇には神仏を認め保証する神力はない。
 日本の八百万の神々は天皇家の祖先神である伊邪那岐命イザナギノミコト)と伊邪那岐命イザナミノミコト)から生まれた、それが天皇神話である。
   ・   ・   ・   
 日本の天皇制度は、閉じた王家として、即位する正統必須条件は、日本民族であり、民族宗教、神話物語で語られる最高神・女性神からの血筋を神聖不可侵の絶対根拠とする血筋・血統の家世襲万世一系の男系父系天皇家・皇室の家族・一族のみである。
   ・   ・   ・   
 日本は建国物語として、世界のいずれの国とも違い、特殊・特別で、神の宗教的民族神話と人の科学的民族伝説の二つを持っている。
 神の宗教的民族神話とは、古事記日本書紀を正統根拠とする天皇神話、つまり天皇の祖先である女性神最高神として崇める高天原神話・天孫降臨神話・諸神話である。
   ・   ・   ・   
 日本民族は、数万年前の石器時代縄文時代から日本列島に住んでいた。
 天皇家・皇室は、数千年前の弥生時代古墳時代に、内戦や争いを避け平和と安定を取り戻す為にムラ論理で、古代の有力豪族達による長老者会議において衆議の結果として「天皇下駄論」・「天皇人身御供説」・「天皇生け贄説」で作られた、責任を押し付けて逃げるという無責任な生存論理である。
 その神聖不可侵の裁可者・天皇という地位を護る為に考え出されたのが、「政治的無答責の君主」、つまり政治権力も宗教権威も持たない天皇の権威つまり「天皇の御威光」である。
 祖先と国と民族に対して重い責任を負うのは、益荒男・日本男児の責務であって、手弱女・大和撫子ではなかった。
 故に、日本天皇は、最高神の女性神による民族神話、神話宗教、血筋・血統の家世襲万世一系で受け継ぐ事で正統性を与えられていた。
 つまり、民族神話で正統と認められた宗教的万世一系の男系父系天皇制度とは、数万年生きてきた日本民族の歴史的叡智の結晶である。
   ・   ・   ・   
 天皇下駄論・天皇人身御供説・天皇生け贄説とは、日本民族にとって面倒な事や厄介な事を困った事を「否応もなく」天皇と皇族に引き取って貰う事である。
 つまり、押し付けられる損な役回り・貧乏くじを嫌だと言わず拒否せず無条件に「引き受けて貰っている」、「やって貰っていただいている」、という事である。
 それが、天皇の御威光、天皇の権威、天皇の御稜威・大御心である。
 日本民族天皇・皇族・皇室を護ったのは、「責任逃れをする為に犠牲を強要していた」からである。
   ・   ・   ・   
 日本国・日本民族を1つにまとめている3つの力が存在している。
 1つ目が武力の政治権力、2つ目が経済力の宗教権威、3つ目が文化力=畏れの天皇の御威光・権威・御稜威・大御心であった。
 日本の歴史において、政治権力と宗教権威は人間の強欲・私欲・個人欲で栄枯盛衰を繰り返し目まぐるしく入れ替わっていたが、その中で文化力の天皇の御威光だけは変わらなかった。
   ・   ・   ・   
 世界の王侯貴族は他国からの軍人征服者であったが、日本の天皇は民族の伝統・文化・宗教の権威者であり保護者であった。
   ・   ・   ・   
 祖先霊・祖先神・氏神の人神信仰は、命と魂、血と身体、遺伝子とDNAを受け継ぐ事である。
   ・   ・   ・