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2023年3月20日 YAHOO!JAPANニュース ALL REVIEWS「地中から出土する文字史料が語る古代社会とは?―『墨書土器と文字瓦: 出土文字史料の研究』
『墨書土器と文字瓦: 出土文字史料の研究』(八木書店)
日本全国から出土する墨書土器。その数は20万点に及ぶといわれている。全国の発掘調査により出土した多様な墨書土器・文字瓦を読み解き、東アジア漢字文化圏での事例など、多彩な論点から古代社会を再現する。
◆文字の歴史を明らかにするために
人類は、文字の使用によって、文明社会に入るといわれる。文字が発明される以前には、絵画や記号文などが存在し、個人・集団の意思表示の役割を担っていた。このように「話すこと・聞くこと」の段階から、さらに「書くこと・読むこと」が付け加わり、文明社会に到達するのである。
国家的支配が問題になる時期には、各種の情報を伝達し、蓄積するために文字は必要・不可欠な存在となった。書く(刻むことも含める)ためには、文字を書く紙・木材・土財・石材・金属などの素材(媒体)と、筆・ヘラ(篦)などの書く道具が必要となる。これらが文字関係の史・資料ということになる。
文字の歴史を明らかにするためには、文字そのものの考察のほか、文字関係の史・資料研究が必要となる。これらのなかには伝世品も存在するが、その多くは地中から出土する遺物である。したがって、もともと残存しやすいものと、しにくいもの、残存できないものとがある。
◇東アジア共通語としての漢字
さて、地球上では各地域で文字が発明されたが、日本列島では独自の文字を創りだすことはできなかった。しかし、中国大陸から海を隔てて東縁に位置する列島では、直接あるいは朝鮮半島を介して、中国で発明された漢字を受け入れることができた。そして、漢字文化圏に属することによって、中国で発展していた政治思想としての儒教や礼制度、そして漢訳仏典を通じて仏教などの宗教思想、さらに律令を受容して律令制国家を築くことができた。
漢字は、漢字文化圏である「東アジア世界」の共通語の役割を果たしており、漢字の取得によって東アジアの一員となる。列島と大陸とでは、そもそも使用される言葉の意味が違うばかりか、文法構造も異なっていた。しかし、漢字・漢語・漢文を利用することによって、自らの意思や国家意思を表現できるようになり、個人・国家間の意思伝達も可能となった。
◇20万点近く出土した墨書土器
日本古代では、世界的には希有ともいわれる正倉院文書が存在する。これは『大日本古文書(編年文書)』(東京大学出版会)として、刊行されている。ここには厳密にいえば、「文書」のほか、「帳簿・書類」などが含まれている。
地中から出土する文字史料(資料)としては、木簡が最大の史料群である。その数は五十万点近いといわれるが、奈良文化財研究所のデータベース「木簡庫」で公開されている。ただし、文字が判読できるものは限られている。古代史研究では、『日本書紀』『続日本紀』などの六国史や、『令集解』『類聚三代格』などの法令集を使うことが多い。しかし、編纂物であり、同時代史料としての木簡などとは、史料の性格に違いがある。
木簡についで多いのが、墨書土器(刻書土器を含む)であり、実際には20万点近いと思われる。本来ならば国家的機関によって集成し、データベースを構築するような研究業務である。こうした兆しがなかったため、我々のチームが主に文部科学省(日本学術振興会)の科学研究費の支援を受け、1999年(平成11)から、墨書土器のデータベース構築を進めてきた。当初は手探り状態であったが、現在は双方向性をもち、ネットワーク環境を利用した、オンラインによる日本墨書土器データベースを構築している。科研費という公的資金によって作成しているデータベースなので、原則的に公開するかたちで運用している。
そして第三に、文字瓦や紡錘車(紡輪)の類と漆紙文書である。それぞれ詳細な研究やデータの集成が行なわれている。文字瓦は、明治大学日本古代学研究所のホームページで公開している。紡錘車(墨書・刻書紡輪)については、高島英之「紀年銘刻書紡錘車の基礎的研究」(『日本古代の国家と王権・社会』塙書房、2014年)と本書第三部所収の「7 刻書紡輪」をあげておきたい。また、漆紙文書に関しては、古尾谷知浩『漆紙文書と漆工房』(名古屋大学出版会、2014年)に、漆紙文書の出土遺跡一覧と釈文集成が掲載されている。これらは地道な研究作業を通じて集成されており、出土文字史料としてはきわめて貴重なデータといわなければならない。
◇多様な墨書土器を読み解くために
本書『墨書土器と文字瓦―出土文字史料の研究―』は、出土文字史料のうち、木簡・漆紙文書を除き、墨書土器・文字瓦・紡錘車に照準をあてて編集した研究論集である。これまでは、墨書土器データベースの構築を中心に力を注いできた。古代史研究に資するためには、全国各地の墨書土器を集成し、ある程度のボリュームが必要と考えてきたからである。
ところが、毎年のように出土する墨書土器のデータ集成には、限りがない。データベースの構築と並行して、中間的なかたちでも研究総括が必要と考えるようになった。そのためチーム内で相談し、研究小括を成果として刊行しようということになったのである。
本書では、列島が漢字文化圏ということもあり、文字どおり東アジア世界を網羅しようと試み、中国・朝鮮半島・ベトナムに視野を拡げている。実際にも、中国・半島・ベトナムには墨書土器が存在しており、南京・慶州・ハノイの各博物館・研究所において実見してきた。現在のところ、墨書土器の点数は日本とは異なって少なく、研究者も限られている(ほかに魅力的な遺跡・遺物が多いということかもしれない)。
本書では、多様な墨書土器と文字瓦・紡錘車という史・資料を考慮して、全体を4部構成(第1部 出土文字史料としての墨書土器・文字瓦/第2部 日本と東アジアの墨書土器/第3部 墨書土器の諸相/第4部 遺跡のなかの墨書土器/附 墨書土器ガイド)として必要なテーマを設定した。我々のチームだけでは必ずしもカバーできないので、墨書土器・出土文字史料に精通している最適の研究者の協力を得ることにした。以上、収録した諸論考と、冒頭の口絵により、墨書土器・文字瓦の研究がより活発となることを願っている。
[書き手]
吉村武彦(よしむらたけひこ)
1945年生。明治大学名誉教授。日本古代史。
〔主な著作〕
『墨書土器と文字瓦―出土文字史料の研究―』(共編著、八木書店、2023年)
『律令制国家の理念と実像』(編著、八木書店、2022年)
『古代王権の展開』〈日本の歴史3〉(集英社、1991年)
『日本古代の社会と国家』(岩波書店、1996年)
『日本社会の誕生』〈日本の歴史1〉(岩波ジュニア新書、1999年)
『聖徳太子』(岩波新書、2002年)
『律令制国家と古代社会』(編著、塙書房、2005年)
『ヤマト王権』〈日本古代史2〉(岩波新書、2010年)
『女帝の古代日本』(岩波新書、2012年)
『古代山国の交通と社会』(共編、八木書店、2013年)
『日本古代の国家と王権・社会』(編著、塙書房、2014年)
『蘇我氏の古代』(岩波新書、2015年)
『大化改新を考える』(岩波新書、2018年)
『新版 古代天皇の誕生』(角川ソフィア文庫、2019年)
『明治大学図書館所蔵 高句麗広開土王碑拓本』(共編、八木書店、2019年)
『シリーズ古代史をひらく』全6冊、(共編著、岩波書店、2019-2021年)
『日本古代の政事と社会』(塙書房、2021年)他多数。
[書籍情報]『墨書土器と文字瓦: 出土文字史料の研究』
編集:吉村 武彦,加藤 友康,川尻 秋生,中村 友一 / 出版社:八木書店 / 発売日:2023年02月7日 / ISBN:4840622612
八木書店
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陰陽道や修験道の「呪符」も-墨書土器 解釈さまざま
「盈」と墨書きされた土師器皿(「県埋蔵文化財報告」94―1より
墨書土器というのは、書いて字のとおり、遺跡から出土する遺物のうち、墨書された土器のことを指している。書かれているのは、文字や記号がほとんどであるが、まれに絵や花押なども見受けられる。その意味するところは多様であり、さまざまな解釈が可能である。その一端を紹介してみよう。
古代の墨書土器の場合、「平安」「富」「福」といった、いわゆる吉祥文字が目につく。多気郡明和町に位置する斎宮跡からは、「水司」や「目代」など、使用役所や個人を特定するような墨書例も確認されている。中世の墨書土器の中にも、事例としては少ないが、個人名と考えられるものもある。しかし、最も多いのは、おそらく呪いや何らかの儀式などに際し、お供えなどを盛るために使用されたものであると考えられる。
このことは、吉祥文字の多さがよく示しているが、津市大里窪田町大垣内遺跡の、平安時代の井戸跡から出土した土師器皿には、刻書(墨ではなく、ヘラなどで削って書いたもの)で「饗」と書かれており、神への供物を思わせる。多気郡多気町上ノ垣外遺跡から出土した「盈」(みちる)と書かれた平安時代初めの土師器皿も同様の意味を持つ。また、平安時代末から鎌倉時代にかけてよく見られる「上」と墨書された器も、供物を「たてまつる」ことを意味すると見てよいであろう。実際、安芸郡芸濃町大石遺跡からは、個人名とセットになった「国枝上」(国枝たてまつる)と書かれた陶器碗も発見されている。
次に、刻書ではあるが、松阪市射和町鴻ノ木遺跡や同市朝田町堀町遺跡からは、星形や格子模様の入った平安時代の土器が出土している。星形は木・火・土・金・水の「五行」を、格子は臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の「九字」を示し、陰陽道や修験道に直結する記号、いわゆる「呪符」と見て間違いない。これらの「呪符」は、現在でも志摩地域の海女道具などに見られるものである。さらに、松阪市阿形町の遺跡からも、「乾」「坤」「艮」と書かれ室町時代の土師器の小皿が出土しており、同じく陰陽道に関わるものと判断される。
このほか、より実用的と考えられる墨書例もある。度会郡玉城町蚊山遺跡から出土した鎌倉時代の陶器碗には、「よね」と墨書されていた。個人名とも解釈されるが、当時の女性名として「よね」はあり得ないことから「米」のことと見て、耐久性と規格性の高い陶器碗が、計量のための升の代用にされた可能性が指摘されている。
同様のことは、花押の据えられた陶器碗にも言えることである。おそらく、鎌倉時代の領主や地主が、自分の花押を据えた陶器碗で、年貢の穀物等を計量させたのではないだろうか。
ちなみに、当時の領主らは、特に年貢納入の完了をもって、地域の顔役らを集めて饗宴を開くことがあった。先に挙げた大石遺跡では、鎌倉時代の領主層の屋敷跡と考えられる遺構から、「侍器」あるいは「僧器」と書かれた碗が複数出土しており、器の使用が社会的立場により区別されていた可能性があり、その関連が注目される。
ただ、このように墨書の意味やその器の用途をある程度特定できる例はさほど多くない。墨書土器の大部分を占める「○」や「×」などの単純な記号は、何を意味するのか。今後の課題である。
(県史編さんグループ 小林 秀)
問い合わせ先:三重県環境生活部文化振興課県史編さん班
〒514-0004 三重県津市栄町1丁目954 三重県栄町庁舎2階/電話:059-224-2057/ ファックス:059-224-2059
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墨書土器 ぼくしょどき
土器に文字を墨書したものと、人の顔を描いたもの(人面墨書土器)と2種類ある。
墨書文字には、坂田寺跡(奈良県明日香(あすか)村)下層出土の土器に「知識」と書かれた文字をはじめ、「掃守(かにもり)」「宇尼女ッ伎(うねめっき)」などと記された藤原宮跡(橿原(かしはら)市)発見の墨書土器群などが初現期のものと考えられ、7世紀代から10世紀代ころまで盛行するが、以後急速に衰退する。その内容は、官衙(かんが)名、寺名、官職名、地名、人名など所属・所有を示すもののほかに「鳥埦(わん)」「油坏(あぶらつき)」など用途を記したもの、また、「福饒」「平安」のごとく吉祥文字と考えられるもの、そのほかに公文書の下書きや手習い、戯(ざ)れ書きなどもある。しかし、一字銘や記号のものが一般的で、意味不明瞭(ふめいりょう)のものが非常に多いが、それらも以上の分類のいずれかに属するものであろう。これらのなかには、まれに片仮名、平仮名の文字もみられ、国字発達の跡を知る好資料であるとともに、紀年銘によって年代が判定されたり、「志太(しだ)」「大領」の墨字から志太郡衙跡との決定をみるなど、考古学研究上の重要な鍵(かぎ)となる場合がある。
人面を墨書した土器は、外側の器面を顔に見立て、輪郭を省略して耳、眉(まゆ)、目、鼻、口のみを描いたものが一般的であるが、なかにはひげをかくなどして表情に変化がある。一つの土器に一面もしくは二面、四面と偶数倍に描かれたものが多く、ときには底部にかかれる場合もある。時代は8世紀から11世紀に及ぶと思われるが、9世紀代ころまでが最盛期で、時代が下ると、薩摩(さつま)国庁跡発見のもののごとく、画法も意味も異なるものが含まれてくる。
出土分布は畿内(きない)に集中的であるが、広く岩手県南部から北九州に及び50か所内外の発見例(1985)が知られ、斎串(さいぐし)などとともに川、溝、池沼など水辺に多く検出される。10世紀に編纂(へんさん)された『延喜式(えんぎしき)』に、6月と12月に執り行われる「大祓(おおはらえ)」の宮廷儀式には、坩(かん)形土器を用いて川に邪気を祓(はら)い流す行事のあることが記されていて、状況がよく符合することから、道教的色彩の強い古代祭祀(さいし)に関連する遺物と考えられる。
[小出義治]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ウィキペディア
秋田県大仙市半在家遺跡(はんざけいせき)出土の墨書土器。
志太郡衙跡出土の「志太」墨書銘土器。
鳥坂寺跡出土の「鳥坂寺」銘墨書土器。
墨書土器(ぼくしょどき)とは、古代日本において、漢字などの文字や道教の符号などの記号・絵を土器の表面に墨で書き記したもの。広義では土器の焼成前後に篦や釘などを用いて記した刻書土器(こくしょどき)も含める。
概要
古代において製造・使用されたものが多く、木簡や漆紙文書、文字瓦とならんで貴重な出土文字資料となる。墨書は主に奈良・平安時代の土師器や須恵器に見られ、東海地方で焼かれた瓷器(灰釉陶器)にも存在する。組織や官職、地名、人名など、所有者に関する情報や目的・用途などが記されているものが多く、仏寺や祭祀・儀礼に関連したものや廃棄後に習書用に転用されたものなども含まれている。なお、須恵器よりも吸水性の高い土師器の方が墨との相性から習書用として用いられた。
中世・近世においても墨書・刻書された陶磁器は存在しているが、日本列島において儀式・信仰に関係する墨書土器は10世紀以降に姿を消す。墨書土器が姿を消す10世紀半ばには庶民の間に土俗性を有した浄土教が流行し、古代から中世にかけての信仰形態の変化が墨書土器が消失した要因であると考えられている。
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🌋4〕─2─「縄文人と弥生人に分断はない」教科書で習った定説覆す日本民族日本人のルーツ。~No.12No.13
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2023年3月17日 YAHOO!JAPANニュース ダイヤモンド・オンライン「「縄文人と弥生人に分断はない」教科書で習った定説覆す日本人のルーツ
縄文時代に南方からきた民族が「原日本人」であり、弥生時代には朝鮮半島から北方系の人たちがやってきて、混血となっていった――。義務教育で当たり前に習うことだが、最新の研究によれば不自然な点も見つかっている。宇山卓栄『世界「民族」全史 衝突と融合の人類5000年史』(日本実業出版社)より一部を抜粋・編集し、最新の事実をお届けする。
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● 本来、縄文人と弥生人に 分断はない
近年、遺伝子学の発達によって、われわれ日本人のルーツが明らかになるとともに、それまで有力視されていた学説が覆されています。
学校教育で、われわれは古代日本における縄文時代と弥生時代の区分を最初に習います。稲作がなかった時代が縄文時代、稲作が導入された時代が弥生時代であるという区分概念とともに、半島から渡来人がやって来て、弥生時代が拓かれたということを叩き込まれるのです。
そして、教科書や資料集の図版では、縄文人の顔と弥生人の顔の対比がビジュアルで示されます。太眉で目が大きく、厚唇で濃い南方系の顔が縄文人。細眉、一重瞼の細い目、薄唇で薄い北方系の顔が弥生人。しかし、この区分にはまったく根拠はなく、巧妙な印象操作を誘発するものでしかありません。
日本全国の縄文人骨の遺伝子を詳細に分析すると、縄文人が共通の単一民族の基層を持っていたのではなく、北方系から南方系まで、すでに雑多な民族の混合型であったことがわかってきています。
教科書や一般の概説書では、「二重構造説」というものが解説されます。この説では、南方からやって来た縄文時代の人々(前述の顔の濃い人々)を「原日本人」と規定し、弥生時代に北方系の人々(前述の顔の薄い人々)が朝鮮半島から日本に大量にやって来て、南方系の「原日本人」と混血をして、渡来系弥生人が誕生したとされます。
一方、渡来人は沖縄や北海道(アイヌ民族領域とされる)へはほとんど入らなかったため、これらの地域では、南方系の先住日本人の血統が保たれます。このように、日本人には「原日本人」と弥生人の2つの系列があるとされることから、「二重構造説」と呼ばれるのです。この説は1990年代に定説となっていきます。
「原日本人」の血統を残す沖縄と北海道の人々、つまり、琉球人とアイヌ民族は遺伝子上の近似性があるとされ、これが「二重構造説」の大きな論拠とされてきました。2012年の国立遺伝学研究所や東京大学の研究でも、両者は近似性があるという結果が出ています。
しかし、よくよくその調査の内容を見ると、遺伝子を提供した者がアイヌ民族である保証などはなく、遺伝子サンプル自体に問題があったといわざるを得ません。サンプルの対象となったのは「北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から提供を受けた血液から抽出したDNAサンプル」といった説明がなされ、提供者の平取町の居住者がアイヌ民族であるということを前提にしていますが、彼らがアイヌ民族であるという証拠があるのかは不明です。普通の日本人の遺伝子を拾っている可能性が高いでしょう(アイヌについては後述)。
一方、二重構造説に懐疑的な立場から最新の研究成果を数多く上げている国立科学博物館の篠田謙一副館長によると、「二重構造説では、アイヌ民族と沖縄の人々の近縁性を指摘していますが、両者のハプログループ(共通の染色体を持つ集合のこと)は大きく異なっていることもわかっています」とのこと(2019年)。つまり、遺伝子サンプルの採取の仕方、近似基準の取り方によって、結果が大きく異なるということが示されています。
いずれにしても、一般に流布している「アイヌ民族・琉球人近似説」は極めて怪しいものであることは間違いなく、それを論拠にしている「二重構造説」もまた、信用するに値しない破綻した説といえるでしょう。
● 「二重構造説」により 渡来人を持ち上げようとする意図
「二重構造説」は、縄文時代末期から弥生時代に渡来人が大量にやって来たということを前提にしていますが、そもそも、どのくらい大量だったのか、はっきりとしたことはわかっていません。それにもかかわらず、「二重構造説」は北方系の渡来人が先住日本人を急激かつ大規模に変化させたと主張しています。
さらには、この急激な変化が縄文時代の狩猟採集の生活を弥生時代の稲作生活に構造転換させた証拠であると説明され、朝鮮半島からの渡来人が稲作などの文明をもたらし、弥生の文明開花が可能になったのだという理屈が導き出されます。このように「二重構造説」はそもそも虚偽に満ちており、渡来人を持ち上げようとする何らかの意図が背後にあるのではないかとさえ疑いたくなります。
すでに縄文時代から、あらゆる系統の民族が漸次的に日本にやって来て、漸次的に多民族間の混血が進み、日本人が形成されていったと見るのが実態に即した捉え方です。特定の地域の特定の民族が日本人を劇的に変えたというような動的な変化などなかったことが最新の遺伝子研究からわかってきているのです。
民族の劇的な変化には、征服や戦争が必然的に伴います。大規模な陰惨な殺し合いがなければ、民族が別の型の民族へと上書きされることなどありません。日本では、縄文末期から弥生にかけて、そうした大規模な戦争が行なわれた形跡は見つかっていません。殺人用武器や兵器なども見つかっていません(中国などでは、頻繁に発掘される)。
かつて、弥生人の人骨が面長で、縄文人の人骨が丸顔であるとする発掘調査が報告されたことがありましたが、これも実は、部分的なサンプルだけを意図的に抽出したものに過ぎません。全体の人骨を俯瞰すれば、弥生が面長で、縄文が丸顔などという定型的な区分ができないことは明らかであり、特定の時期に民族が入れ替わったことはないとわかります。文明的にも、縄文時代末期の紀元前1000年頃に、稲作文化が漸次的に普及していき、弥生時代にそれが確立したのであり、その社会的変化と移行は長期におよぶ緩やかで静的なものでした。
縄文時代末期に、北方系の渡来人がやって来たということ自体は否定できません。彼らが日本に移住し、日本人や日本社会に同化していったことは間違いありませんが、それは「二重構造説」が言うような、急進的かつ大量なものではなく、日本の古代社会を根底から覆すようなものではなかったということを強調せねばなりません。
「二重構造説」が言う分断的な現象などなく、むしろ、「辺境残存説」とでも言うべき重層的な現象こそが実態に即していたと考えられます。日本の縄文人の遺伝子や文化が本州よりも、沖縄と北海道などの辺境で維持されやすかったというのは当然のことであり、前述の沖縄と北海道の人々(アイヌ民族ではなく、日本人)の遺伝子が近接しているという調査結果はこうした現象を反映したもので、アイヌ民族をも巻き込んだ「二重構造説」の誇大主張を補強するものではありません。
宇山卓栄
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2022年2月19日 ダイヤモンド・オンライン「元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国
山中俊之:著述家/国際公共政策博士
ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門
「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の”根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも”民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国
世界標準ではない日本の「血統主義」
2013年、現在の天皇陛下がまだ皇太子だった頃にスペインを訪問し、セビリア南西にあるコリア・デル・リオという街で植樹式を行いました。1613年に伊達政宗が派遣した支倉常長率いる慶長遣欧使節団の子孫を訪ねてのことです。
支倉は帰国していますが、そのまま現地に留まった日本人も数十人いたとされ、村には今もスペイン語で日本を意味する「ハポン」という姓の住民が暮らしています。
彼らが本当に日本人の子孫なのか諸説ありますし、400年も経っているのでヨーロッパ人の風貌をしています。しかしハポンさんたちは、「日本の血を引くサムライの子孫だ」と自認しているようです。
当時の次期天皇がハポンさんに会う日程を政府が組むというのは、日本人がいかに日本の血を大切にしているか、その象徴のように思えます。
日本は、世界では珍しい「血統」重視の国。国籍は血統にもとづいており、「同じ人種・日本の血」にこだわります。
日本生まれの日本育ちでも、姿かたちが黒人や白人だと「英語が話せるはずだ」と思い込んだり、差別の対象になったりします。血統主義だから「姿形が日本人と異なる=日本人の血が入っていないに違いない=外国人」と決めつけてしまいがちです。
また、テニスの大坂なおみ選手のように「姿形は違っても、日本人の血が入っているなら日本人」とみなされるケースもあり、これも別の形で表れた血統主義です。
「いくら他の国で生まれ育ったとしても、日本人なのだから日本語が話せるはずだ」という思いがあるから、彼女の母語である英語ではなく、あえて日本語で記者会見をさせたかったのでしょう。
日系ブラジル人に対して日本の労働ビザがスムースに出るのも、血統主義の影響です。しかし、彼らは「自分たちはブラジル人である」と自認していることが多いでしょう。
最近はずいぶん理解が進みましたが、かつては日系ブラジル人に対して、「えっ、田中さんって日本の名前だし、顔も日本人なのに、なぜ日本語を話せないんですか?」などと聞く人もおり、当惑する場面も多かったようです。
血統主義である日本では、国籍は一つ。大坂なおみ選手は日本国籍を取得しましたが、だからといって彼女のアイデンティティが「日本だけ」というのは、ずいぶんと狭いものの見方です。
自らが語るように黒人の血をひく女性であり、アジア系でもあり、アメリカ文化を持ち、ハイチと日本の血統を持つ多面的な存在が大坂なおみという人であり、国籍を日本にしたからといって、彼女の民族性をどれか一つに決めるというのは無理があります。
国籍というのは近代になり、国家というものができてから生まれたシステムにすぎません。
「二重国籍、多重国籍を認め、血統主義ではなく出生地主義をとる」という血統主義の国は日本以外にもありますが、世界全体を見渡せば、これが国籍の大きな潮流です。
また、日本の血統主義者には「血のつながり=同質性」と考える人が少なからずいるので、姿形が日本人と異なるハーフと呼ばれる子どもたちは、不要な悩みを抱える可能性もあります。
ハーフは、英エコノミスト誌で hafu として紹介されている和製英語で、日本における外国人差別の一環とも捉えられています。ダブルやデュアルといったいい方で肯定的に捉える動きも出てきました。
出生地主義で知られるアメリカは、仮に不法移民であっても、アメリカで生まれたらアメリカ国籍が取れるために、ダイバーシティ先進国。多様性を重んじる豊かな社会を作りたいのなら、出生地主義が有利といえそうです。
厚生労働省の人口動態統計によれば、2018年の日本の国際結婚は2万1852組。つまり、両親のどちらかが日本国籍ではない人は、増加傾向にあります。
日本の国際結婚カップルの多くは「日本人と中国人」「日本人と韓国人」で人種としては同じですが、今後は白人、黒人とのインターレイシャルな結婚も増えていくでしょう。
長らく血統主義だったからこそ、日本はこれまで意識してこなかった「人種」について、改めて学ぶ必要があるでしょう。
なぜいま、「民族」を学ぶべきなのか?
「ダイバーシティが重要」「世界の多様な価値観を理解すべき」……。このような声を聞くことが最近増えましたが、ダイバーシティやその前提となる多様な文化・価値観を理解するためには、民族について知っていることが重要です。
元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国
『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』山中俊之著、定価1760円、ダイヤモンド社刊
しかしながら、世界96カ国を巡り、様々な国や民族の人たちと仕事をしてきた私からすると、日本人の民族への理解――いわば「民族偏差値」は、世界最低レベルだと思います。
日本人は単一民族ではないものの、限りなく単一民族的です。みんな似ているし、争いはあまりないし、言葉もそう違わず、結婚・就職の差別も世界的に見ればとても少ない。
ただし、多様性がないから無知になり、発想が貧しくなります。多様であることが新たな文化を育み、イノベーションのもとになるのです。
元外交官が語る、日本は「血統」を大事にする世界でも珍しい国
ダイバーシティ・SDGsが重視されるこれからの時代に向けて、もはや「民族」は必須教養です。拙著『ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』では、「民族」を知るために必要な材料を揃えました。
言語、宗教、歴史、芸術文化を含む壮大なテーマではありますが、ビジネスエリートなど忙しい人たちのために、ポイントを絞ってお伝えしています。
本書を読めば、皆さんの民族への知識はおおいに深まるでしょう。「これまでとは“世界の見え方”がガラッと変わる」。そんな書籍に仕上がっています。皆さんの助けとなる1冊となれば、著者としてこれほど光栄なことはありません。
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2022年3月25日 ダイヤモンド・オンライン「人種・宗教・文化・言語…
「民族の分かれ目」はどのように決まるのか?
山中俊之:著述家/国際公共政策博士
ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門
「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の“根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも“民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
人種・宗教・文化・言語…
「民族の分かれ目」はどのように決まるのか?
Photo: Adobe Stock
文化・思想・政治に影響を及ぼす宗教
宗教とは、神または人智を超越した存在を認めて、教義や戒律を定めたもの。宗教は人々の文化、芸術、生活習慣、儀式、思想に多大な影響を与えてきました。
民族を定義する上で、宗教は欠かせない要素であり、特定の民族においては特に重要な意味を持ちます。
たとえば、イスラム教はアラブ諸国にとって法律や文化、生活と分かち難く結びついています。立憲君主制であるイギリスのエリザベス2世の場合は、国を治める主権は持っていませんが、イギリス国教会の最高権威者です。
また、ユダヤ教を信じる人はすべてユダヤ人(ユダヤ民族)であるとされています。イスラエルはユダヤ教・ユダヤ民族のための国。イスラエルにはアフリカ系ユダヤ人の移民が多く、私が最後に訪問したのは2018年ですが、訪れるたびに街に黒人が増えている印象があります。
彼らは2000年前にエチオピアその他のアフリカへと移住した同じユダヤ人の子孫とされています。
歴史のなかで他人種と結婚したり、環境に適応したりしたために姿形が違っているけれど、ようやくイスラエルに戻ってきた同胞である――この“ユダヤの血”は証明しようがありませんが、彼らはユダヤ教によって同じユダヤ民族になっているのです。
トルコとギリシャ、インドとパキスタンのように、「宗教の違いが国の分かれ目、民族の分かれ目」となっている国もあります。
オスマン帝国とギリシャは、宗教によって国・民族が分かれた非常にわかりやすい例だと思います(以前は「オスマントルコ」といわれていましたが、トルコではないため、「オスマン帝国」に改められました)。
かつてのオスマン帝国には、さまざまな言語・宗教の人がおり、皇帝はイスラム教徒で、その妻や母は多くの場合、元キリスト教徒でした。
今のロシアあたりから略奪されてきた美しい女性がハーレムで暮らし、皇帝に見初められて子どもを産む……。
生まれはキリスト教徒だったヨーロッパ系の人が、ハーレムで見初められたくらいのタイミングでイスラム教に改宗したようです。
そのため、歴代のオスマン皇帝の肖像画は、中東系というよりはヨーロッパ系の顔立ちをしています。
庶民の間でもイスラム教とキリスト教間の婚姻はありました。その結果、今のトルコのトルコ人は、日本人からするとヨーロッパ人との区別がつかない外見の人が多くなっています(これに対して中央アジアのトルコ系の人々はアジア系の外見の人が多くいます)。
このように多様だったオスマン帝国が滅び、近代のケマル・アタテュルクのトルコができた1923年、ギリシャとの間で住民交換の合意書が交わされました。
「イスラム教徒は全員、血統的にギリシャ系であってもトルコ人だからトルコに住む。キリスト教なら血統にかかわらずギリシャに住む」
つまり支配者たちは、宗教で人々を二国に分けたのです。その結果、お互いに征服したりされたりを繰り返してきたにもかかわらず、トルコにはあまりキリスト教徒がおらず、ギリシャにもイスラム教徒があまりいません。
両国に住む人々は、宗教によって違う「民族」になったということです。
言語が同じで文化や習慣がかなり近くても、宗教が異なるために異なる民族となり、そればかりか激しい紛争の火種となることもあります。その典型的な例がボスニア・ヘルツェゴビナの紛争で、同じ国で暮らす人たちが、宗教の違いで殺しあう悲劇が起きました。
繰り返しになりますが、宗教は言語・文化生活習慣と分かち難く結びついているので、時に民族紛争を生むほどに、民族を構成する上で欠かせない大きな要素といえます。
しかし、同じキリスト教であってもカトリックとプロテスタントの信者が半々に近いドイツ人が、プロテスタント系ドイツ人という民族と、カトリック系ドイツ人という民族に分かれているかといえば、そんなことはありません。
宗教は、民族を決める大きな要素だが、民族を決めるすべてではない、ということも同時に押さえておきましょう。
なぜいま、「民族」を学ぶべきなのか?
「ダイバーシティが重要」「世界の多様な価値観を理解すべき」……。このような声を聞くことが最近増えましたが、ダイバーシティやその前提となる多様な文化・価値観を理解するためには、民族について知っていることが重要です。
人種・宗教・文化・言語…
「民族の分かれ目」はどのように決まるのか?
『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』山中俊之著、定価1760円、ダイヤモンド社刊
しかしながら、世界96カ国を巡り、様々な国や民族の人たちと仕事をしてきた私からすると、日本人の民族への理解――いわば「民族偏差値」は、世界最低レベルだと思います。
日本人は単一民族ではないものの、限りなく単一民族的です。みんな似ているし、争いはあまりないし、言葉もそう違わず、結婚・就職の差別も世界的に見ればとても少ない。
ただし、多様性がないから無知になり、発想が貧しくなります。多様であることが新たな文化を育み、イノベーションのもとになるのです。
人種・宗教・文化・言語…
「民族の分かれ目」はどのように決まるのか?
ダイバーシティ・SDGsが重視されるこれからの時代に向けて、もはや「民族」は必須教養です。拙著『ビジネスエリートの必須教養 「世界の民族」超入門』では、「民族」を知るために必要な材料を揃えました。
言語、宗教、歴史、芸術文化を含む壮大なテーマではありますが、ビジネスエリートなど忙しい人たちのために、ポイントを絞ってお伝えしています。
本書を読めば、皆さんの民族への知識はおおいに深まるでしょう。「これまでとは“世界の見え方”がガラッと変わる」。そんな書籍に仕上がっています。皆さんの助けとなる1冊となれば、著者としてこれほど光栄なことはありません。
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🦉2〕─2─子供の幸福度は親ガチャで決まり、自己肯定感が低い大人にしない為に親ができる事。~No.3No.4
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2023年3月15日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「幸福とはなにか? 幸福度は「親ガチャ」で決まる
幸福を3つの資本で定義し、話題となった前著『幸福の「資本」論』からパワーアップし、さらに“合理性”を加えて、人生の成功について追求した橘玲氏の最新刊『シンプルで合理的な人生設計』が話題だ。「合理性」こそ最強の成功法則である、と語る橘玲氏の人生設計論の一部をご紹介しよう!
イラスト:chanwity / PIXTA(ピクスタ)
© ダイヤモンド・オンライン
「幸福」とはなにか?
「幸福に生きるにはどうすればいいのか?」という問いに答えるためには、「幸福とはなにか?」を定義しなければならない。これには哲学、心理学、宗教学などの膨大な議論があり、それに在野の知識人や素人が加わって百家争鳴の状態になっている。
ところがここに、脳科学・遺伝学からきわめて有力な説が、実験によるエビデンス(証拠)とともに現われた。それは次の2つにまとめられる。
① 幸福感には一人ひとりちがいがあり、それはおおよそ生得的に(遺伝+幼少期の環境で)決まっている。
② よいことがあれば幸福度は上がり、悲しいことがあれば幸福度は下がるが、長期的には、生まれもった幸福度に収斂していく。
幸福度は「親ガチャ」で決まる
これは、「『親ガチャ』によって幸福度が高いひとと低いひとがいる」ということであり、「幸福度の基本的な水準は大人になってからは(ほとんど)変わらない」ということでもある。人間について自然科学(現代の進化論)が明らかにした「不都合な事実」のひとつだが、だからといって絶望する必要はない。なぜなら、幸福とは相対的なものだから。
わたしたちはつねに、身近なひとと自分の境遇を比較し、喜んだりがっかりしたりしている。これは脳が上方比較を「報酬」、下方比較を「損失」と見なすからで、無意識のうちに、自分より恵まれた者を見ると痛みを感じ、劣った者と出会うと快感を得る。これも自然科学が発見した「不都合な事実」で、これが脳のOS(基本的な仕組み)である以上、仏陀のような偉人でなければ逃れる術はない。
ただしここには大きな皮肉があって、いい気分になるために自分より劣った者ばかりを集め、自分より優れた者を避けていると、長期的には幸福を破壊してしまう。あなたが会社の経営者だとして、どういうスタッフを集めればいいかを考えてみれば、このことは明らかだろう。
短期的な幸福と長期的な幸福の衝突
これは、「短期的な幸福(快感)と長期的な幸福(成功)が、しばしば衝突する」という話でもある。成功とは多くの場合、短期的な快楽を抑制することで長期的な利益を最大化することなのだから、「痛み」に耐えて、自分よりも優れたひとたちとつき合った方が成功しやすいだろう(とりわけ若者には、このアドイバイスは有効だ)。
幸福は相対的なものだから、現在の状態よりもすこしでも改善すれば、客観的にはどれほど不幸に見えても、主観的には幸せを感じることができる。わたしたちは“神の視点”から世界中のひとびとの平均値と自分の境遇を比較し、「幸福/不幸」を統計的に判断しているわけではない。脳のスペックの限界(進化的制約)から、幸福感は、会社や学校、あるいはママ友など半径10メートル以内の人間関係のなかから生じる以外にないのだ。
このようにして、社会的には成功していると思われていた芸能人が自殺してひとびとを驚かせる一方で、生活保護基準を下回る暮らしをしている「貧困専業主婦」が、「自分には家庭がある(子どもがいる)から幸せ」と思っていたりする。「幸福」の定義は一人ひとり異なり、客観的な基準などない。
そこで前著『幸福の「資本」論』では、「金融資本」「人的資本」「社会資本」を幸福の土台(インフラストラクチャー)として、この条件が(ある程度)揃った状態を「幸福」だと定義した。本人が「自分は不幸だ」と思っていても、3つの「資本」をもっていれば、それは「幸福」なのだ。
橘玲(たちばな・あきら)
作家
2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)など。最新刊は『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)。毎週木曜日にメルマガ「世の中の仕組みと人生のデザイン」を配信。
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3月15日 YAHOO!JAPANニュース 講談社with「わが子が将来、「自己肯定感が低い大人」にならないために親ができること
子が将来、自己肯定感が高い大人になるにはどうすればいい?
その多くの場合、養育環境で決まると言われている
こんばんは。人生や恋愛を上手くいかせたい女性のために本質思考をアドバイスする、リアライフカウンセラーの藤本シゲユキです。
【漫画】「勉強しなさい」を封印! 子どもが主体的に勉強しだすお小遣いの仕組み
自分の子どもが将来、自己肯定感が高い大人になれるかどうかは、多くの場合、養育環境によって決まると言われています。つまり、親の育て方が子どもの将来の自己肯定感を大きく左右するということです。
しかし残念なことに、日本は先進国でありながら、自己肯定感が低い人間が多いと言われています。自己肯定感の低さに加え、労働時間が長く日々の忙しさも相まって、心が貧しく余裕がない人も多いのが現実です。
では、将来心が豊かな大人になるための子育てとは、一体どのようなものなのでしょうか。
今回は、将来おおらかで心に余裕のある大人に育てるために大事な「子育ての環境」と「子育ての仕方」について解説していきます。
まず、子育ての環境についてですが、これは「夫婦仲ができるだけ良いこと」が大前提です。
かつての時代では、「ちゃんと両親がそろっていないと子どもがかわいそう」とよく言われていました。その結果、夫婦仲が悪いのに、我が子が18歳になるか成人を迎えるまでは、絶対に離婚しないという夫婦が多かったようです。
しかし、実はこの環境は子どもにとっては最悪で、いつも家の中が殺伐としているから、これではおおらかで余裕がある大人には育ちません。しかも両親の仲が悪いものだから、いつケンカになるか分からないので常に顔色を伺う状態になり、大人になってからも人の顔色を伺う癖が抜けなくなります。
さらに、小さい頃は「お母さんお父さん、ケンカしないで! 仲良くして!」と思っていたのが、次第に「鬱陶しいから早く別れて」に切り替わり、両親か、もしくはどちらかを毛嫌いするようになるのも特徴的です。
ですから現代では、夫婦仲が悪い状態で子どもを育てるなら、離婚して育てた方がはるかにましだと言う意見があるぐらいです。経済状況を含めて、状況は各家庭で異なるので一概に言えませんが、もう修復できないほどの関係だとしたら、父親か母親のどちらかは覚悟を決めて、一人で育てる道を選んでもいいのではないかと僕も思います。
おおらかな子に育てるためには、まず自分がおおらかであること
抑圧された環境で育つと、不健全な形でその反動がやってくる
そして、子どもがおおらかで心に余裕のある大人に育つためには、まず親がおおらかで心に余裕がないといけません。
いつもイライラして怒ってばかりで、何かあるとすぐ怒鳴る――
これでは、子どもも親と同じような大人に育ってしまいます。なぜなら、抑圧された環境にずっと身を置いていたせいで、その反動が大人になってから不健全な形で必ずやってくるからです。
たとえば体育会系の部活において、先輩の理不尽ないじめやしごきを経験した生徒が、自分がその立場になったときに、下級生に同じことをする傾向にあるのと同じようなものです。
実際、子育ての環境において、お金の大切さを説く人もいます。もちろんお金はないよりもあった方がいいのは間違いありません。ただ、お金はあるけれど夫婦仲が悪くていつも家が殺伐としているのと、お金はないけれど親が明るくおおらかなのだとしたら、後者の環境が子どもにとって良いと僕は思います。
頭ごなしに否定するのではなく、一緒に考える習慣を身につけたい
幼い頃に自主性を培えば、「失敗しても立ち直れる」大人になれる
次に、おおらかで心に余裕のある大人に育てるために大事な子育ての仕方について。
この方法は大きく分けて3つあります。
まず1つ目が、子どものことを否定しないこと。これは、子どものやりたいことや好きなことを否定しないという意味です。
言わずもがな、子どもの存在を否定するのは言語道断です。自分の思うような大人に育ってほしい親は、子どものやりたいことや好きなことを否定する場合がよくあるんですよ。否定度合いが強くなるにつれ、その子どもは自分のやりたいことや好きなことが分からない大人に成長していきます。その結果、やりたいことや好きなことを聞いたときに、自分の意見ではなく、親の意見がすり込まれているケースがあるんですね。
もちろん、道理に反する行為や、人を傷つけるような行いを子どもがやりたいと言ったときは肯定できません。しかし、それでも頭ごなしに否定するのはよくありません。まず、どうしてそれがやりたいのかを聞いた上で、それが本当は良くないことだと諭し、ほかに方法がないか一緒に考えてみる、こういう姿勢が大切なのではないでしょうか。
2つ目が、子どもの自主性を奪わないことです。
おおらかで余裕がある大人は生まれつきの気質もありますが、「自分で決めて選べる」ことを知っています。つまり、自分の人生は自分で創れることを知っているので、心が貧しくなり余裕がなくなってきたら、シフトチェンジすることができるんですね。
なぜそのシフトチェンジができるのか。それは親が子どもの自主性を尊重し、自分の頭で考えさせ、自分で決めて選ばせる教育をしてきたからです。
子どもの自主性を奪う親は、親が決めて子どもに選ばせません。過干渉な親だと、子どもを心配するあまり、なんでもかんでも先回りしてやってしまうという場合もよくあります。
親が子どもの自主性を奪う育て方をすると、積極性がなく、自分の頭で考えられない大人になってしまいます。その結果、今の自分が大丈夫かどうかが分からなくなり、それに伴い余裕がなくなっていきます。親がなんでも決めていたせいで、自分の考えや決断に自信が持てなくなるんですね。
しかし、自主性を尊重された子どもは、ときに失敗を経験し、頭を打ちながら成長するので、経験則で「生きる上でノーミスなんてありえない」と理解しています。
その中で、「失敗することもあるけど成功することもあるから、とにかくチャレンジしてみないと分からない」ということも理解しているので、経験値の多さによる余裕があるんですよね。「失敗しても別に死ぬわけじゃないから大丈夫っしょ」という考えの人が、例外なくおおらかで余裕があるのは、過去に失敗を多く経験しているからです。
子どもの感情を最大限汲み取る努力をすること
親が聞きたいことを聞くのではなく、まずは子どもファーストの会話を
最後の3つ目は、ちゃんと向き合うことです。
向き合うためには、子どもの感情をないがしろにせず、子どもにしっかり目を向ける。つまり、子どもの感情を親も汲み取ろうと、しっかりとコミュニケーションをとることです。
子どもの感情をないがしろにする親は、我が子が泣いたり怒ったりしているときに、「そんなことで泣かないの!」「怒ったってしょうがないでしょ!」というように、子どもの感情をなかったことにします。
逆に、子どもの感情を汲み取ろうとする親は、「それはつらかったね」「そりゃあ怒って当然だよ」というように、我が子が感じたことを否定せずに受け止めます。
コミュニケーションをとるときに気をつけたいのが、親が聞きたいことだけを聞こうとしないこと。
たとえば、「うちの子、学校ではちゃんとやってるのかしら?」と不安だからと言って、「学校でちゃんと勉強してるの?」とばかり聞いていては、子どもは「お母さんは自分には興味がなくて、ちゃんと勉強をしているかどうかだけ気になるんだな」と思うようになります。
しかし、「今日はどんな一日だった?」という聞き方で、子どもが話したいことに興味を向けて話すようにすると、その子は伸び伸びと自分のことを話せる大人に成長していきます。
ほかにも、子どもの言ったことに「ああ」とか「うん」という返事だけで済まさずに、何か一言でもいいので付け加えるようにすると、生き生きとしたコミュニケーションがとれるのではないでしょうか。
完璧な親はいないのだから、失敗したら子どもに謝る勇気を持とう
藤本シゲユキ氏
子に対して一人の人間として向き合う努力が親には必要
以上が、将来おおらかで心に余裕のある大人に育てるために大事な子育ての環境と、子育ての仕方になります。
今回の話をまとめます。
<子育て環境>
1 夫婦仲ができるだけ良いこと
2 親自身がおおらかであること
<子育ての仕方>
1 子を否定しないこと
2 子の自主性をできる限り尊重すること
3 子にちゃんと向き合い、感情を汲み取ろうとすること
子育ては大変なもので、おおらかで余裕があるお母さんお父さんでいたいのに、どうしてもそうできない場面もきっとあると思います。そんなとき、つい子どもに対してキツいことやひどいことを言ってしまう場合もあるかもしれません。
できればそんな事態は起こらない方がいいのかもしれませんが、完璧な大人も親もいませんから、そのときはちゃんと子どもに謝りましょう。
「親だから」「自分の方が年上だから」ではなく、子どもを一人の人間として扱い、自分の未熟さや不甲斐なさに関しては素直に謝る。
するとその子は、「お母さんは自分のことが嫌いで言ったわけじゃないんだ」と理解してくれるはずです。それもまた、子どもが将来おおらかで余裕のある大人になるために、大切なことではないでしょうか。
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🎍3〕─3─日本初の本格的な国造りの地はなぜ「飛鳥」の地だったのか。~No.7
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2023年3月10日 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「日本初の本格的な国造りの地はなぜ「飛鳥」の地だったのだろうか?
写真・図表:歴史人
古代日本には多数の「京」「宮」が存在した。多くの遷都を繰り返した結果である。そのなかでその始発点ともなった地が「飛鳥」である。なぜ飛鳥は古代日本の中心地になったのかをここでは紹介する。
■「飛鳥」とはどのエリアを指すのか?
飛鳥(あすか)とは、奈良盆地の東南部を占める地名であり、おおよそ現在の明日香(あすか)村の飛鳥川流域の一帯に、大和三山(耳成山・畝傍山・天香久山)のあたりを含めた地域を指している。古代から渡来人が多く居住していたとされ、いくつかある飛鳥の地名由来のひとつに、朝鮮半島からの渡来者が安らかに住むことができた土地を「安宿(あすか)」と称したことによるという説があるほどである。
飛鳥には、6世紀末から7世紀末にかけての約100年間、天皇の宮が多く置かれていた。具体的にいうならば、
・推古(すいこ)天皇…豊浦(とゆら)宮、小墾田(おはりだ)宮
・舒明(じょめい)天皇…岡本宮、田中宮、厩坂(うまやさか)宮
・皇極(こうぎょく)天皇…板蓋(いたぶき)宮
・斉明(さいめい)天皇…川原宮、後岡本(のちのおかもと)宮
・天武(てんむ)天皇…浄御原(きよみはら)宮
などがそれである。これらの宮を総称して、飛鳥京跡とか飛鳥古京跡とかといっており、宮のある一帯を飛鳥京とよんでいる。『日本書紀』などでは倭京(わきょう)と記述されていたりもしている。また、壬申の乱の際には、荒田尾直赤麻呂(あらたおのあたいあかまろ)が「古京」の守りを進言し、忌部首子人(いんべのおびと)とともにその守備にあたっている。
天武天皇の浄御原宮は、持統(じとう)天皇に継承されるが、持統天皇はのちに持統8年(694)にいたって、初の都城制を備えた藤原京へ遷都することになる。この間、宮が飛鳥を離れたのは、孝徳(こうとく)天皇のときの難波(なにわ)宮、天智・(弘文)の大津宮の約15年にすぎない。
■飛鳥に多くの宮が置かれた理由
飛鳥に長期間にわたって転々と宮が築かれた理由については、いくつかのことがいわれている。そのひとつは、防衛上の利点である。飛鳥は、大和三山や飛鳥川などが所在していて、軍事的に見て守りやすいのである。また、地形上では、風水上のこともいわれている。風水でいうと、北・東・西は山で囲まれ、北西から東南に向かって川が流れているのが吉とされる。これをたとえば、板蓋宮にあてはめると、北に天香久山、東に多武峰(とうのみね)、西に甘樫丘(あまかしのおか)をのぞみ、北西から東南に向かって飛鳥川が流れており、地形的に吉とされる。
また、当時、大豪族であった蘇我氏の影響もいわれている。蘇我氏は、氏寺である飛鳥寺などが立つ飛鳥が拠点であり、そこに宮を造らせたというのである。この点については、単に蘇我氏のみならず、巨勢(こせ)氏、阿倍氏、大伴氏などの有力豪族や東漢(やまとのあや)氏といった渡来系氏族の拠点とも近い場所にあることから、諸豪族のバランスがとれた地であったとも指摘されている。
さらに、交通の要地であったこともあげられている。飛鳥は、奈良盆地を南北に通る上ツ道・中ツ道・下ツ道といった古代における3つの大道に近い地である上に、盆地を東西に走る横大路にもさほど遠くなく東国や大陸への玄関口である難波へ行くのにも便利な立地にある。
これらの点から、いずれかひとつの理由からではなく、いくつかの利便性がからみ合って飛鳥という地域に宮が造られ続けられたのであろう。
監修・文/瀧音能之
(『歴史人』2023年4月号「古代日本の都と遷都の謎」より)
歴史人編集部
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☵40〕─4─韓国原発は福島第一原発より14倍多いトリチウム汚染水を垂れ流している。~No.326No.327 ㉑
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韓国・北朝鮮、中国の汚染水は、日本を直撃して甚大な被害をもたらす。
日本のリベラル派・革新派と一部の保守派の反原発派は、福島第一原発の合法的処理水放出に猛反対するが、韓国や中国が続けてる不法な放射性汚染水の垂れ流しには反対しないどころか黙認している。
自然破壊を行っているのは、韓国・北朝鮮、中国、ロシアであって日本ではない。
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2023年3月9日 MicrosoftStartニュース ダイヤモンド・オンライン「「通常時、韓国は福島第一原発より14倍多いトリチウムを放出」復興副大臣の激しい義憤
福島第一原発の処理水(トリチウム水)を貯蔵するスペースが今年の夏には限界を迎えるが、日本の周辺諸国からは海洋放出について懸念の声が上がっている。小島敏文復興副大臣に直撃インタビューすると、韓国原発の意外な実態が見えてきた。(イトモス研究所所長 小倉健一)
2023年2月28日、韓国・ソウルで行われた集会で、環境活動家たちが日本に対し、事故を起こした福島原子力発電所の放射能汚染水を海に放出する決定を中止するよう求めるパフォーマンスを披露した Photo:EPA=JIJI
© ダイヤモンド・オンライン
被害実態のない「風評被害」で
東北の農林水産品がダメージを受ける可能性
福島第一原発の処理水(トリチウム水)を巡って、大きな議論が巻き起こっている。処理水を貯蔵するスペースが今年の夏には限界を迎える一方で、中国・韓国・台湾など日本の周辺諸国からは懸念の声が上がっている。
例えば、こんな調査がある。東京大学の関谷直也准教授が2021年3月に、日本のほか、韓国やアメリカなど10の国と地域ごとに、20代から60代の男女、300人を対象にインターネットで行った。
・「海洋放出が行われた場合、福島県産食品の安全性をどう思うか」との質問に、「とても危険だ」と「やや危険だ」との回答の合計が日本は36%だった
・同じ質問に対し、日本以外の9カ国・地域はいずれも6割を超え、高い順から韓国93%、中国87%、ドイツ82%、フランス77%、台湾76%、アメリカ74%と続いた
・韓国や中国などの日本の近隣諸国で「いまでも日本政府は原発からの放射性物質の情報を公開していない」などという回答も5割に上った
処理水に含まれるトリチウムは、自然界にも存在し、処理水水準のごく微量であれば、人体に影響を与えないことで知られている。まさしく、被害実態のない「風評被害」によって、東北の農林水産品はダメージを受ける可能性があるのだ。
今後の政府対応について、海外への情報発信を担当する復興副大臣、小島敏文衆議院議員を直撃した。
東北の農林水産品が
様変わりしている
――2011年3月11日の東日本大震災から長い歳月が流れました。被災地の状況はどうなっていますか。
復興に当たって、インフラについてはほとんど整ってきた。さらに、福島国際研究教育機構(Fukushima Institute for Research, Education and Innovation、略称F-REI(エフレイ))を設立し、7年で1000億円程度の事業規模を想定しており、ドローンや先端農業、放射線医療の創薬などを研究することになっている。
東北の「生業(なりわい)」について、すべてが順調だったわけではないが、被災地にはにぎわいを取り戻してきた部分がある。例えば、気候変動によって、サンマがあまり取れなくなってしまった。漁獲高は年間30万トンあったものが現在では3万トンになってしまった。サンマの大きさも以前よりも細身になってしまっているようだ。しかし、代わりに、フグ、タチウオ、ワタリガニといった中国地方で取れていたような水産品が取れるようになった。
特定復興再生拠点区域外の福島県大熊町を視察する小島敏文復興副大臣(写真右)
© ダイヤモンド・オンライン
農産物については、東北のイチゴ、ハウスイチゴが世界的な評価を得られるようになっている。タイへの輸出が本格的に始まったところであり、今後は更に、仙台空港を使ってアメリカへの輸出なども宮城県・山元町などが中心になって進めているところだ。政府としても後押しできることはないかを考えているところだ。
懸念しているのは、住民の孤独・孤立だ。岸田文雄首相からは、「被災者に寄り添ってくれ」と指示を受けていて、どうしたものかと住民に尋ねたところ、「とにかく(東北へ)きて、実態を見てくれ」と言われた。
――東北が見離されてしまうのではないかという疎外感が進んでいるのかもしれませんね。
高齢化が進んでいることもあるが、住民一人ひとりの孤独、孤立が深まっていて、孤独死などが増えてしまっている。その中でも、女性はワイワイできる人が多いが、男性はプライドもあるのか、引きこもってしまう傾向にある。そこで、スカイプなどのパソコンのコミュニケーションツールを使って、人と会ったり、触れ合ったりできないかと働きかけているところだ。
また、これまで特定復興再生拠点区域だけだった、「空き家の撤去」「除染」といった国費による実施についても、拠点区域外においても可能になる。被災地で起業しようとしている人、生活をしようとする人が一人でも増えるよう願っている。
今回放出する処理水は、自然界で人間が受ける
年間放射線量の10万分の1未満のものを薄めたもの
――処理水の海洋放出を巡っては、周辺国から懸念の声が上がっている。政府としてどう対処するのか。
2011年の東日本大震災の発災以来、私は粘り強く周辺諸国へ福島県産の食品が安全であることを伝え続けた。台湾の桃園県以外の全地域の県知事を回って、「放射能の心配はありませんから、ぜひとも農林水産物を輸入してください」と直接お願いしてきた。それこそ、歩く広告塔となるべく、「原発の処理水は安全だ」とわかる資料を背広のポケットに入れて持ち歩くようにしている。ちょっと紙がボロボロになってしまっているが、いつでも取り出して説明を続けている。
印象的だったのは、蔡英文台湾総裁だ。前任の馬英九氏の任期では、一切、福島県産品を受け入れてもらえなかったが、蔡英文総裁が就任して、条件(放射能の検査証明)付きで輸入をしてもらえるようになった。香港も一部では同様に認められた。輸入に消極的なのは、韓国だ。
トリチウムは自然界にも存在しており、通常の原発稼働の際にも排出されるものだ。今回放出される処理水による放射線影響は、自然界で人間が1年間に受ける放射線量2.1ミリシーベルトの10万分の1未満でしかないレベルに薄めたものだ。健康への影響はない。
周辺国からの懸念があることを承知しているが、ただ、例えば、韓国の月城(ウォルソン)原発では、一年間に液体で31兆ベクレルのトリチウムを海洋や河川等に放出している。対して、福島第一原発が発災前に液体で排出したトリチウムは2.2兆ベクレルと比較するとごく少量だ。
――発災前の福島第一原発のおよそ15倍もの、トリチウムが排出されているのですね。
台湾は、福島県産の食品について、条件付きで輸入することを認めているが、残念ながら韓国へはいまだにできない状態だ。少し韓国は感情論になってしまっているかもしれない。徴用工問題解決の糸口が見えてきたことで、日韓の友好的ムードが醸成されつつあり、今後、粘り強く働きかけていきたい。韓国とは、処理水だけではなく、ウクライナ問題、北朝鮮問題などで手を携えていかなければならないはずだ。
――福島第一原発の処理水は、いつ海洋放出されるのでしょうか。
本年1月の関係閣僚会議において、本年春から夏ごろを見込むとしているが、政府として具体的にいつ放出するかを明かすことは現時点ではない。
――政府高官が、3月3日、私に対して、「春までに(パイプラインなど)海洋放出のための施設面での準備が整うことになる。もはや処理水を貯蔵するスペースに余裕はなく、梅雨明けには、処理水の海洋放出が行われる」と言明しました。
……決まっていることは、海洋放出をするために必要なパイプラインは、今春には完成する見込みである一方、秋頃には処理水を貯蔵するタンクがいっぱいになってしまうと言われていることから考えても、その間のどこかで、放出することになる。貯蔵する余力がない以上、スケジュールに余裕はまったくない。
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🗻3〕─5─弥生時代と古墳時代の境目。古墳人の父は「渡来系」母は「縄文系」。~No.10
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2023年3月2日16:30 YAHOO!JAPANニュース 歴史人「「弥生時代」と「古墳時代」の境目とは?
三世紀半ばの築造という説のある奈良県大市墓(箸墓古墳・著者撮影)。
近年、墳型やその外縁の研究が進み、弥生時代と古墳時代の境界線が揺れつつある。これはひとつの成果で大変喜ばしいことだが、墳型の変化はそのまま思想や政治状況の変化を示していることを考慮すると、実に重大な進展ではないだろうか?
墳墓の形状から考察する時代の「境界線」
研究の進展によって、古代の時代区分が見直される時期を迎えています。これは大変結構なことです。
以前は、弥生時代の始まりは紀元前3世紀で、終わりは紀元3世紀末もしくは4世紀と教えられていました。しかし、新たな発見や知見を勘案すると、現代では弥生時代の始まりは紀元前5世紀まで遡っています。
さらに「稲作文化」を最大の画期条件とするなら、土器から発見された籾の圧迫痕やその存在を示すプラントオパールの検出、炭素14年代測定法などから、絶対年代を紀元前10世紀とする説も出ています。
ただ一口に「稲」といっても、南洋系の陸稲とジャポニカ米の水稲に分かれます。今のところは「縄文時代晩期に陸稲はあったと思われるが、計画的な水稲栽培ではなかった?」という所に落ち着いているようです。
弥生時代から古墳時代への移行は、墳墓の形が重要な画期条件になっています。それは弥生墓とされる「墳丘墓」と、新時代を感じさせる「前方後円墳」築造の境目が画期となります。研究者は前方後円墳の編年を探り、絶対年代を突き止めようと努力します。
ただ、宮内庁管理の「天皇陵・皇后陵・陵墓参考地」は調査が禁止されています。つまり、考古学問上もっとも資料として必要な、大型前方後円墳の調査ができていないのです。しかし、以前にも紹介したように、考古学者は陵墓域外の外縁を調査して円筒埴輪列を発見します。
この埴輪の編年が完成して、ほぼすべての王墓級前方後円墳の造営順が判明しました。もちろん墳丘そのものや石室石棺などの学術調査が行われれば、もっと詳細な時代区分と重大な発見があるに違いありませんが……。
今のところ、最古級の前方後円墳は奈良県桜井市にある「大市墓(箸墓)」だと考えられています。その造営時期として最も早い説は、3世紀中葉としています。つまり西暦250年前後だとしているわけです。ということは、古墳時代の始まりは西暦250年ごろで、それ以前が弥生時代だということになります。
ほぼその時代に北摂山系(ほくせつさんけい)の中腹、大阪府高槻市御所の町に古墳が築かれました。おそらく現在の大阪地域でもっとも古い水田遺跡と環濠(かんごう)集落だと考えられる「安満(あま)遺跡」の首長墓ではないでしょうか。
以前ならこの墳墓は弥生墓とされて問題はなかったと思います。しかもこの古墳は前方後円墳ではなく長方形墳で、石槨(せっかく)を持たない直葬の土壙墓(どこうぼ)です。内部は割竹型木簡が埋葬されていて真っ赤に朱が塗られた立派な墓です。
そしてここから、とんでもないものが出土したのです。それは種類の違う5枚の青銅鏡でした。(次回につづく)
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3月5日 YAHOO!JAPANニュース 中国新聞デジタル「父は「渡来系」母は「縄文系」の人骨 広島県福山の地頭分津ノ尾古墳群から出土
石棺にふたをするように5枚の石がのせられていた(広島県教育事業団提供)
広島県福山市瀬戸町の地頭分(じとうぶ)津ノ尾の古墳群から、古墳時代半ばごろ(5世紀ごろ)に埋葬されたとみられる人物の全身骨格が出土した。当時としては異例の高身長である約170センチの40代男性は、父親が渡来系、母親が縄文系の形質をもつ人物であることが分かった。異なる文化をもつ人々がこの地で交流し、多様性のある共同体をつくっていたのか―。歴史ロマンをかき立てる。
【写真】福山の地頭分津ノ尾古墳群から出土した箱式石棺と男性の全身骨格
現場は北へ流れる瀬戸川に西面し、南北に延びる標高60~70メートルの丘陵。10メートル前後の円墳がある小規模な古墳群で、4世紀後半から5世紀ごろにかけての造営と推定される。国道2号バイパス建設に伴い、広島県教育事業団埋蔵文化財調査室が2019年から調査している。
人骨は第2号古墳の箱式石棺から発見された。地面を掘り、厚さ10~20センチの板状の石を長方形に並べ、上から石のふた5枚をかぶせていた。石の隙間に粘土を詰め、側面やふたの上は土で固めていたことから、保存状態が良好だった。もろ刃の鉄剣、刃が曲がった鉄鎌の副葬品が出土し、古墳時代半ばの埋葬と推定される。
これまで広島県内で出土した古墳時代の人骨は最大で身長162センチ程度で、今回初めてDNA調査を行った。調査を依頼された土井ケ浜遺跡・人類学ミュージアム(下関市)の松下孝幸館長(72)は「古墳時代で頭や歯の一部が残った事例は広島県内で多くあるが、170センチもの全身骨格は西日本でも見たことがない」と驚く。
高身長に加え、上下に長く彫りの浅い顔など人骨の形態から判断すれば明らかな渡来系だが、母系に遺伝するミトコンドリアDNAを分析すると、縄文系の形質を持つことが確認された。
「渡来系の人々が在地の人々と婚姻関係を結び、西から東へ向けて勢力を広げていった形跡がうかがえる」と松下館長。「新しい技術や文化が入り、当時の福山が相当進んだ重要な拠点の一つだった可能性もある」。核のDNA調査が今後進めば、父系の詳しい系統も明らかになるという。
中国新聞社
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2022-08-03
🗾7〕─4・B─縄文人(日本民族)バイカル湖畔起源説。〜No.32No.33No.34
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2021-11-19
🗻3〕─3─古墳人が日本に移民して古墳時代が始まり日本国が誕生した。日本語の原郷。蒙古斑。~No.8…
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2021-09-18
🗻3〕─1─新説。DNA解析。混血によって縄文人→弥生人→「古墳人」→現代日本人。~No.5
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2021-08-19
🌋14〕─2─埴輪作りと古墳造営は民の奴隷労働や強制苦役ではなかった。~No.56No.57No.5…
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2021-05-24
🗻6〕─2─韓国南部の日本式墓、主は5世紀に日本から百済に渡った傭兵。〜No.26
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☷24〕─2・B─韓国マスコミは天皇誕生日行事報道で悪意に満ちた記事を報じていた。~No.68
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関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。
・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・
韓国では、昭和天皇と皇族を惨殺しようとしたキリスト教系朝鮮人テロリストを国家の英雄として崇めている。
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2023年3月2日 MicrosoftStartニュース zakzak「「反日」感情を煽りたくてたまらない? 天皇誕生日行事の報道に見る韓国マスコミの手口 「ソウルに鳴り広がった日本国歌・君が代」…悪意に満ちた記事
韓国のマスコミは左も右も、「日韓関係を早期に正常化すべきだ」とする主張を建前として掲げている。しかし、個々の記事を見ていけば、何とかして韓国内の「反日」機運を高めたいという感情が渦巻いていることが透けて見えてくる。
在韓日本大使館主催の「天皇誕生日」(2月23日)を記念するパーティーが2月16日、ソウル市内のホテルで開催された。その報道は典型といえる。
在外公館が年に2日をナショナルデーとして、当該国の要人、第3国の大使らを招いて盛大なパーティーを催すのは外交慣例だ。普通は建国記念日や独立記念日、あるいは国王の誕生日、国軍創設記念日がナショナルデーとなる。実際の日取りは、当該国の行事日程などを見て調整する。
韓国も外交慣例に従い、開天節(=後世の史書に基づく檀君の即位日)と国軍記念日をナショナルデーとして、在外公館ごとにパーティーを催している。もちろん、日本でも開いている。
韓国のマスコミは長らく、この当たり前の外交慣例についての説明を(おそらく意図的に)怠ってきた。今年は一部の新聞が「外交慣例である」ことを伝えた。これは〝画期的な進歩〟だ。
しかし、多くの韓国人はまだ理解していない。だから、「日王(=韓国のマスコミは、天皇のことを、こう呼ぶ)の誕生祝賀行事」を伝えたニュースへの書き込みでは、「なぜ日王の誕生パーティーをソウルのド真ん中で開くのか、許せない」といった意見が幅を利かせるのだ。
今年のパーティーでは、初めて国歌「君が代」が流れた。韓国の国歌「愛国歌」も流れた。まさしく外交慣例だ。
しかし、「ソウルに鳴り広がった日本国歌・君が代」(韓国日報2月16日)との見出しは何だ。ホテルの閉ざされた会場でのことなのに…。そして、中見出しには「君が代は軍国主義・日本の象徴との主張も」とある。悪意に満ちた記事だ。
左翼紙ハンギョレ(2月16日)は「日本が過去の植民地支配に対してまともに反省していない状況で、ソウルの真ん中で『君が代』がはばかりなく流れることをめぐり、議論が予想される」と露骨に煽った。
事実上の国営通信社である聯合ニュース(同)は「行事があったホテルの前では反日市民団体らがデモを繰り広げた」と伝えた。保守系紙の中央日報(同)も同様に書いた。
会場となったホテル周辺は騒然たる状況だったかのように思えてくる。が、実際は「活貧団」という在来型の民族主義団体のメンバー5人が横断幕を広げて大声を上げただけだった。
野党・民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表は20日になってから、「尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の対日低姿勢・屈従外交を象徴する恥辱的な光景だ。今は解放前の日帝時代のようだ」と述べた(朝鮮日報2月21日)。
何という時代がかったコメントなのか。いや、韓国紙の見出しだけ眺めていたら、こういうコメントになるのは当然だ。
韓国のマスコミが、もう何段階か高い〝画期的な進歩〟をしない限り、日本側から見た「平穏な関係」の実現は難しい。
■室谷克実(むろたに・かつみ) 1949年、東京都生まれ。慶応大学法学部卒。時事通信入社、政治部記者、ソウル特派員、「時事解説」編集長、外交知識普及会常務理事などを経て、評論活動に。主な著書に『悪韓論』(新潮新書)、『反日種族の常識』(飛鳥新社)、『呆韓論』(産経新聞出版)、『韓国のデマ戦法』(同)など多数。
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