☲10〕─1─昭和天皇爆殺テロ失敗、警視庁前桜田門爆弾テロと第一次上海事変。昭和7年1月~No.21 @ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 *キリスト系朝鮮人テロリストや共産主義者らによる、昭和天皇や皇族惨殺計画。
 昭和天皇や皇族を、共産主義者やキリスト系朝鮮人テロリストらから守ろうとした治安維持法不敬罪
 現代日本は、治安維持法を非人道的悪法として否定している。
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 朝鮮人は中国人同様に同情されるが、日本人は同情されないどころか嫌われていた。
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 昭和(ヒロヒト天皇は、世界で最も嫌われた専制君主であった。
 軍国日本は、世界で最も敵が多い国であった。
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 世界は、
 昭和(ヒロヒト天皇朝鮮人テロリストや日本人共産主義者等によって暗殺されかけても、無関心であり、同情もしなかった。
 軍国日本が昭和(ヒロヒト天皇を守る為に戦争した事に正当性を認めないどころか、戦争犯罪として糾弾した。
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 特高憲兵隊は、昭和天皇暗殺を企てる朝鮮人テロリストや日本人共産主義者を弾圧し、計画、仲間、支援者、拠点などを聞き出す為に拷問した。
 国家元首にして大元帥昭和天皇を守ろうとした、治安維持法に基ずく弾圧は非人道的犯罪行為とされた。
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 治安維持法は、やむを得ない必要悪の悪法であった。
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 上海の大韓民国臨時政府
 韓国では「義を見てせざるは勇無きなり」との論語の行動規範に従って、人間の行動が「義挙」であるかどうかを評価している。
 抗日テロリストは問題なく「義士」とされ、自己犠牲的行動を取った者は「義人」と称えられた。
 反政府など権力や権威に立ち向かった者は、「烈士」といわれた。
 韓国では、反日無罪として、反日行動の全てが愛国心の発露として絶賛されている。
 韓国の歴史教育は、国家元首昭和天皇を暗殺しようとした朝鮮人テロリストを義士・民族の英雄として教えている。
 日本と韓国・朝鮮の歴史認識は、水と油の如く、友好の詭弁を弄しても交わる事は絶対にない。
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 だが。世界の歴史認識では、韓国・朝鮮の反日歴史認識は正当とされ、日本の民族中心歴史認識は偏狭しているとして否定されている。
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 国際社会は、朝鮮人テロリストによる国家元首昭和天皇暗殺未遂テロ事件を知りながら非難する事なく黙認し、逆に、現人神・昭和天皇戦争犯罪を認め戦争責任を追及している。
 世界中で、過去の専制君主の中で、昭和天皇は嫌われたいるトップテンに入っている。
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 国際世論は、日本の正当防衛も自衛も認めてはいない。
 裕仁天皇朝鮮人テロリストに命を狙われたのは、侵略戦争を命じた戦争犯罪者である以上、自業自得であると信じている。
 世界で、公人としても私人としてもヒロヒトに同情する声は存在しない。
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 一部の現代日本人は、朝鮮人テロリストによる昭和天皇暗殺テロを、植民地支配からの独立の為の英雄行為であったと認めている。
 そして、朝鮮人テロリストを処刑した事を非難している。
 彼らにとって、国家元首昭和天皇の命より朝鮮人テロリストの命の方が価値があると確信している。
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 1932年 白貞基は、昭和天皇暗殺テロを中断して、朝鮮人テロ集団を集めて自由革命家連盟を組織し、その後に黒色恐怖団と改称し抗日テロを実行した。
 朝鮮人テロリストは、日本や朝鮮で陰険な陰謀をめぐらして暗躍していた。
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 朝鮮農民は、上下関係を神聖視する儒教価値観から、自分より身分が低い賤民(白丁や奴婢など)を解放する衡平社運動に反対した。
 朝鮮人暴徒は、半島各地にある身分差別反対の諸団体を襲撃し、差別撤廃運動に参加している最下層階級出身者を残虐な方法で虐殺した。
 同時に、地域差別から南部の都市住民は、北部出身者を下等な人間として迫害した。
 現実社会の儒教は、身分の上位者が下位者を差別し虐待し、略奪し殺害する事を認めていた。
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 多摩川流域軍需品窃盗団事件。軍需品工場を荒しまわる組織的窃盗団、窃盗338件、104人検挙。
 犯人が、単なる日本人盗賊団なのか、日本人共産主義者なのか、反日朝鮮人朝鮮人テロリストなのか、それ以外の盗賊団なのか詳しい事は不明である。
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 新聞各社は、行幸する天皇を歓迎する目的で国民を動員する為に、事前に行幸順路と其の時間やお召し列車の発車及び通過時間など事細かな行程を発表していた。
 昭和天皇の暗殺を計画する朝鮮人テロリストにとって、新聞の皇室報道ほどありがたい情報はなかった。
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 穂積真六郎は、朝鮮総督府殖産局長に就任するや、朝鮮の将来の為に軍需産業ではなく民生産業の育成に力を入れ、一旗組的な内地資本を避け地元資本の充実に取り組み、中世農業社会から近代工業社会へと改造した。
 朝鮮人の利益の為なら、如何なる反対或いは妨害にも屈する事なく日本の国益を制限した。
 金完燮朝鮮人を心から愛し最後は朝鮮に骨を埋めようとしていた……穂積真六郎から真の朝鮮の国父らしい姿を発見した」
 朝鮮総督府は、なるべき朝鮮寄りの立場に立つ事を心掛けていた。
 朝鮮が日本の様に豊かになれば、朝鮮人反日感情を改めて日本人と親しくなってくれると信じてっていた。
 だが、全てが裏切られた。
 日本の朝鮮に対する配慮も思いやりも、一切が通用しなかった。
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 1月 アメリカ、ソ連、中国の三ヵ国は、大陸における日本軍の軍事行動を阻止し、中国市場での日本の影響力を弱める為に、スイスで秘密会議を開いた。
 1月8日 警視庁前桜田門爆弾テロ(東京義挙)。
 上海系朝鮮人テロリストは、新年恒例の観兵式から皇居に戻る大元帥昭和天皇を狙って爆弾テロを行うが、失敗した。
 日本のマルクス主義者と反天皇キリスト教徒は、軍国日本を転覆する為に、昭和天皇暗殺を計画する朝鮮人テロリストを支援していた。
 ソ連コミンテルンは、極秘に、反天皇マルクス主義者や反体制のアナーキストに活動資金を与え、日本を中国との全面戦争に追い込む様に指示していた。
 外国から金を貰う者は、自国を敵国に売り渡しても罪悪感を持たない。もっと多額の報酬を得る為に、自国の安全と同胞の命に関わる国家機密を敵国に流した。
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 国家元首昭和天皇暗殺未遂事件は、世界中に報道された。
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 1月9日 上海の中国政府系新聞『民国日報』は、「不幸にして僅かに副車を炸く……天皇暗殺失敗は東アジアの平和回復の挫折」という落胆記事を掲載し、朝鮮人テロリストによる天皇暗殺が失敗した事は残念であると報じた。
 日本政府は、国益として「国體」を守る為に、国家元首昭和天皇暗殺を支持する文言に対して中国側に厳しく抗議した。
 中国は、国際的反日世論を背景として、嘲笑うが如く、誠意なく、お座なりの対応で答えた。
 呉鉄城・上海市長は、抗日派の反発を予想される為に従いたくなかったが、記事を取り消し、謝罪し、責任者を処罰した。抗日派は、日本側の横暴で面子が潰されたとして激怒し、殺気だって日本人居留民を襲撃した。
 現人神・天皇に忠誠を誓う臣民・日本人は「不敬」であるとして激怒し、尊崇する大事な天皇を守り、祖国日本の体面を貫く為に復讐戦を誓った。
 第一次上海事変は、こうして避けられない「宿命の戦争」となった。
 中国や朝鮮は、自分中心主義の傲岸不遜から相手への配慮は一切せず、自分の面子と利益をゴリ押しした。
 日本は、補完共生主義から、相手の立場を考慮して一歩引きながら、遠慮がちに自分の体面と利益を守ろうとした。
 国際社会は、大陸の「中国の面子」を認めて尊重したが、島国の「日本の体面」は無価値として無視した。
 キリスト教系国際平和主義者は、中国との無益な戦争は回避すべきであると主張した。つまり、自国の国家元首であり「現人神である天皇の命」よりも「アジアの平和」と「罪なき民衆の命」こそ守るべきであると。国益・公益より、民益・私益であると。唯一の絶対神への敬虔な信仰を持つキリスト教徒は、異教徒の国家元首を認める気はなく、異教徒の国家元首の為に善良なキリスト教徒が犠牲になる事が許せなかった。
 朝鮮人テロリストを支援する反日キリスト教徒は、「人間にすぎない天皇の命」を虫ケラと同等の価値としか認めていなかった。キリスト教徒は、普遍的価値観の為に、全ての異教徒を改宗して異教を地上から根絶しようとしていた。
 上海のフランス租界は、朝鮮人テロリストの根拠地が租界内にあり、キリスト教会が彼らを庇っている事を知っていたが、治外法権を理由にして日本への協力を拒否した。朝鮮人テロリストは、上海臨時政府高官同様に、改宗して反天皇反神社のキリスト教会に通っていた。
 蒋介石夫妻や中国政府高官の多くも、欧米からの財政支援を受ける為にキリスト教に改宗していた。
 キリスト教会は、朝鮮人テロリストのアジトとなっていた。
 朝鮮人テロリストは、民族主義者であると同時に、キリスト教徒か、マルクス主義者であった。
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 1月18日午後4時頃 日本人僧侶襲撃事件。日蓮宗系の日本山妙法寺上海布教主任天崎啓昇と水上秀雄の僧侶2名と信徒3名 (後藤芳平、黒岩浅次郎、藤村国吉)の計5名の日本人が、托鉢寒行で楊樹浦を回り三友實業社(中国語版)タオル工場附近の馬玉山路で50〜60人の中国人により襲撃され、水上が租界内の外国人経営病院に収容された後24日に死亡した。
 1月19日・20日 三友實業社襲撃事件。19日深夜、日本青年同志会の32人が、僧侶を襲撃した職工達の会社であり、抗日運動の拠点として知られていた三友實業社タオル工場の物置小屋に放火した。20日未明、日本人の集団は帰り道の東華紡績付近で共同租界工部局警察の中国人巡警2名の誰何を受けると、巡警2名を威嚇して交番まで追跡し、応援に駆け付けた中国人巡警2名と乱闘になった。
 中国人巡警は身の危険を感じて発砲し、柳瀬松十郎が射殺され、北辻卓爾と森正信が重傷を負った。
 中国人巡警1名が斬殺され、1名が重傷を負った。
 1月21日 村井倉松上海総領事は、呉鉄城上海市長に対し僧侶殺害に関し、
 1,市長による公式謝罪、
 2, 襲撃者の逮捕と処罰、
 3,負傷者と死亡した僧侶の家族に対する治療費の保障と賠償、
 4, 全ての反日組織の即時解散、
 の4項目を要求した。
 1月22日 日本海軍は、交渉を有利に進めるべく巡洋艦2隻、空母1隻、駆逐艦12隻、925人の陸戦隊員を上海に派遣した。
 1月26日 中国当局上海市戒厳令を布告して、日本軍の攻撃に備えべく中国人地区全域に土嚢と有刺鉄線のバリケードの構築し、外国人住民に租界内への避難勧告した。
 1月28日午後 第一次上海事変。日本軍と中国軍は軍事衝突した。
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 昭和天皇は、国際社会で正式に認められた大日本帝国の皇帝・国家元首・国家元帥・最高祭祀王であり、その正統性から世界のトップリーダー10人の中でも上席を与えられていた。
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 政治的に、日本天皇に匹敵する国家元首はイギリス国王のみである。
 宗教的に、日本天皇に匹敵する聖職者はローマ教皇とイギリス国王のみである。
 日本天皇とイギリス国王は、政治権力・宗教権威・最高道徳において対等な関係である。
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 朝鮮人テロリストによる昭和天皇暗殺を例えれば、
 アイルランド人によるイングランド王暗殺、
 インド人によるインド皇帝兼イギリス国王の暗殺、
 イスラム教徒による、ローマ法王暗殺、
 である。
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 「暗殺」という漢字は、明治時代に日本で作られた和製新造語である。
 ちなみに「大統領」は、江戸時代に作られた和製新造語である。
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 天皇を敬愛し命に代えれも守ろうとする日本民族日本人にとって、昭和天皇を暗殺しようとする朝鮮人共産主義者は不俱戴天の敵であった。
 日本人の朝鮮人差別は、ここから生まれた。
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 日本天皇とその家族を守るのは、日本民族日本人と帰化人日本人だけである。
 その為に、カミカゼや玉砕など狂人的な攻撃を繰り返した。
 カミカゼや玉砕は、宗教や主義主張ではなく、民族的な心情というより、2000年守る続けた来た民族の怨念であった。
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 天皇皇后両陛下と皇太子同妃両殿下など現皇室直系皇族は、韓国政府が、昭和天皇暗殺未遂テロ事件に対して正式に謝罪し、歴史教育でその卑劣な犯罪行為を教えない限り、韓国(朝鮮)半島を訪問するべきではない。
 親天皇親日的な台湾を是非とも訪問するべきだが、反天皇反日的な韓国は絶対に訪問してはならない。 
 韓国政府は、昭和天皇を暗殺しようとした朝鮮人テロリスト集団の後継者であると自認しているからである。
 天皇皇后両陛下や皇太子同妃両殿下など皇族の訪韓を求める日本人は、朝鮮人テロリストによる昭和天皇暗殺未遂事件や皇族暗殺未遂事件を正当行為と認めている日本人である。
 天皇皇后両陛下・皇太子同妃両殿下など現皇室の皇族が訪問してはいけない国は、韓国(朝鮮)、中国共産党国家、ロシア(旧ソ連)の3ヵ国である。
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 {1989年1月7日 昭和天皇崩御
 韓国は、日本天皇を「日王」と最大限に軽蔑している。
 1月10日 朝鮮日報の識者論評「桜田門事件  万一この拳事が成功していれば、日本軍部の満州侵略戦争には歯止めがかけられていただろうし、昭和天皇をして汚辱に満ちた戦犯の汚名をかぶせる事もなかったかもしれない」
 韓国は、国家元首を殺害しようとしたテロ行為を称賛し、昭和天皇の名誉を守る為に殺害できなかった事を残念がっていた。
 韓国人・朝鮮人は、国家元首昭和天皇をテロで暗殺する事は当然の権利であると主張している。
 日本政府は同記事について抗議したかは不明であり、日本の報道各社は韓国の国民世論に配慮して沈黙を守った。
 両国の友好を重視する良心的日本人は、事実を知りながら当然の事として黙認した。
 韓国世論は、昭和天皇の葬儀に政府要人が参加する事に猛反対した。
 良心派日本人は、昭和天皇戦争犯罪者と認定し、最高命令決定賢者としての戦争責任と戦争犯罪国家日本が戦前・戦中に行った非人道行為の責任を追求している。
 彼らは、昭和天皇国家元首としての正当防衛も自衛行為も否定し、その命は、朝鮮人テロリストや共産主義者よりも価値がないと断罪している。
 国際世論は、祭祀王・昭和天皇の尊厳を否定する主張を認めている。
 事実。そうした論説の書籍が国内外に満ち溢れていて、昭和天皇を擁護する書籍が無いに等しい。
 戦前の日本仁は、天皇を中心とした「国體」は命を犠牲にしても守ろうとした。
 所詮。朝鮮人は、日本国籍を取得し、日本姓名を名乗っても、日本人にはなりきれなかった。
 韓国の正しい歴史認識は、国家元首暗殺テロを合法行為と認めている。
 韓国人は、昭和天皇を殺したいほどに憎んでいた。}
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 反日派の中国共産党政府と韓国は、国家元首昭和天皇暗殺未遂と日本国家への爆弾テロリストを英雄として讃えている。
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 2014年8月28日 msn産経ニュース「日本人爆殺実行犯の記念館、中国で再公開 「戦勝記念日」前に中韓共闘強化か[韓国]
 28日、一般公開が再開された中国・上海の尹奉吉記念館で、写真パネルをバックに記念撮影する韓国人の親子ら(河崎真澄撮影)
 【上海=河崎真澄】中国上海市魯迅公園(旧虹口公園)で、旧日本軍の要人らを1932年4月の式典時に爆弾で殺害した朝鮮半島出身の尹奉吉=ユン・ポンギル=(1908〜32)記念館の改装工事が終わり、28日から一般向けの公開が再開された。
 同記念館は、中韓の国交樹立から2年後の94年に開設されていたが、昨年からの魯迅公園改修に伴い、展示品を増やすため改装工事を約1年かけて行った。
 尹奉吉は、虹口公園での天皇誕生日天長節)式典に、上海派遣軍司令官として出席した白川義則陸軍大将ら7人を死亡させた「上海天長節爆弾事件」の実行犯。上海公使で後に外相となった重光葵が片足を失う重傷を負うなど多数の負傷者も出した。韓国で尹奉吉は、伊藤博文元首相を殺害した安重根(アン・ジュングン)に並ぶ“英雄”とされる。
 再公開の初日には、尹奉吉が左手に手榴弾、右手に拳銃を持つ写真パネルをバックに記念撮影する韓国人の親子連れや、尹奉吉が投げつけた弁当箱や水筒の形の爆弾レプリカなどを丹念に見る地元の入場者でごった返した。入館料は1人15元(約250円)。記念行事は行われなかった。
 記念館には、尹奉吉が事件当日、その後、大韓民国臨時政府主席となった金九(キム・グ)を訪ねて撮影したとされる写真や、2人がその場で交換したという懐中時計も展示され、金九の指示で爆殺が計画されたことが説明されている。また、尹奉吉に爆弾を提供したとされる中国人協力者の写真も展示されていた。
 中国が今年から国家法定記念日に格上げしている9月3日の「抗日戦勝記念日」を控えた再公開には、“中韓共闘”を強める狙いもありそうだ。1月には安重根の記念館も黒竜江省ハルビン駅構内に開設されている。」
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 2014年10月3日 中央日報李奉昌義士の「最後の写真」発見
 独立活動家・李奉昌(イ・ボンチャン)義士(1900−32)の「最後の写真」とみられる顔の写真が初めて見つかった。李義士が死刑を言い渡された1932年9月30日、朝日新聞が発行した号外に掲載された写真だ。この写真が掲載された10日後の10月10日、李義士は絞首刑に処された。
 尹奉吉(ユン・ボンギル)義士を記念する梅軒(メホン)記念館のユン・ジュ館長は2日、「梅軒・尹奉吉義士の資料を収集していたところ、日本でこの写真を発見した。李奉昌義士が残した写真は数枚にしかならない。この写真以後の写真は見つかっていない。李奉昌義士が残した最後の写真とみられる」と述べた。
 ??李義士は1932年1月8日、東京で裕仁天皇の行列に向けて手榴弾を投げた。宮内大臣の馬車がひっくり返ったが、義挙は失敗した。逮捕された李義士は東京刑務所に収監された。9月30日、東京裁判所で350人余りの警察が幾重にも囲んだ中で行われた裁判で死刑を言い渡された。その日に朝日新聞が発行した号外に李義士の横顔が掲載されている。10月10日の絞首刑で殉国する直前の姿だ。当時、李義士は未婚だった。
 ユン館長は「写真を見ても頬がこけていて、非常にやつれた顔だ。激しく尋問を受けたとみられる」と述べた。号外には李義士の生家の写真と東京の宿泊地に残した李義士の筆蹟の写真も同時に載せられた。
??李義士の義挙は尹奉吉義士の上海義挙、安重根(アン・ジュングン)義士のハルビン義挙とともに日帝時代「3大義烈闘争」に挙げられる。李義士はソウル龍山で生まれた。幼い頃、日本人が経営するパン屋の従業員として働いて虐待を受け、南満州鉄道会社で運転の見習いをしている時は「朝鮮人」と侮辱された。1909年の安重根義士の義挙に刺激された李義士は日本に渡った。日本語を習うなど6年間ほど日本に慣れた後、中国上海の臨時政府を訪ねた。秘密裏に白凡・金九(キム・グ)に会った李義士は自分の心情をこのように語った。
 「私はもう31歳です。今後さらに31年間生きるとしても、今より良いことはないでしょう。人生の目的が快楽なら、過去31年間に快楽というものはすべて味わいました。これからの永遠の快楽のために命を捧げる覚悟で上海に来ました。私に世の中を驚かせる聖業をさせてください」。
 白凡は李義士とともに安重根義士の弟の家に行った。李義士はそこで太極旗(韓国の国旗)を前に置き、両手に手榴弾を持ったまま天皇に対する狙撃を宣誓した。李義士の義挙は、日本の帝国主義が神格化した天皇の権威に深刻な打撃を与えた。当時沈滞していた上海臨時政府の独立運動に火をつけることになった。」
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 2017年3月1日 中央日報「女優ソン・ヘギョ、三一節に日本で歴史遺跡案内パンフレット配布
 海外の韓国歴史遺跡にハングル案内パンフレットを提供してきた女優のソン・ヘギョが、三一節(独立運動記念日)を迎えて「海外で会った私たちの歴史物語−東京編」案内パンフレット1万部を東京全域に配布した。
??ソン・ヘギョとともにプロジェクトを進めている誠信(ソンシン)女子大の徐敬徳(ソ・ギョンドク)教授側は1日、このように明らかにして「今回の案内パンフレットは韓国語および日本語で製作された。2.8独立宣言記念資料室や李奉昌(イ・ボンチャン)義士の投弾義挙地および殉国地、抗日団体『新幹会』東京支会の創立地など、東京内の私たちの歴史遺跡について全面カラーで詳細に紹介している」と伝えた。
 徐教授は「事実、2.8独立宣言記念資料室側に2年前から案内パンフレットを配置しようと粘り強く努力してきたが、なかなか許可が下りず、韓国の若い観光客が多く利用する東京内の民宿10カ所に備えつけることになった」とし「海外にある韓国歴史遺跡の保存状況は非常に良いとはいえない。だが、私たち国民がより多くの関心を持って遺跡を訪問することだけが、他国にある私たちの遺跡を守っていくことのできる最高の方法だ」と強調した。
 これについてソン・ヘギョは「このように小さなこと一つが、東京を訪問した韓国人観光客の役に立ち、海外に点在している私たちの歴史遺跡に少しでも関心がわくよう願う」と明らかにした。
 これまで2人は、重慶および杭州臨時政府庁舎、上海尹奉吉(ユン・ボンギル)記念館、LA安昌浩(アン・チャンホ)ファミリーハウスなど12カ所に案内パンフレットを寄贈してきた。また、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やトロント博物館(ROM)など、世界的な有名美術館にも韓国語サービスを利用できるように働きかけてきた。
 一方、ソン・ヘギョと徐教授は「海外で会った私たちの歴史物語−東京編」を始め、今後は内容を京都やウラジオストクなどにも拡大して、海外にある韓国の歴史遺跡に対する関心を引き続き喚起していく考えだ。」
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 2017年3月2日 中央日報「東京に韓国歴史遺跡案内パンフレット…ソン・ヘギョと徐敬徳教授、1万部配布
 女優のソン・ヘギョと徐敬徳(ソ・ギョンドク)誠信(ソンシン)女子大教授が案内パンフレット「海外で会った私たちの歴史物語−東京編」を1万部製作して東京全域に配布したと1日、明らかにした。三一節(独立運動記念日)を迎えてだ。
 韓国語と日本語で製作されたこのパンフレットには、2.8独立宣言記念資料室や李奉昌(イ・ボンチャン)義士の投弾義挙地および殉国地、抗日団体『新幹会』東京支会の創立地など、東京にある韓国の歴史遺跡が全面カラーで詳しく紹介されている。徐教授は案内パンフレットの企画を担当し、ソン・ヘギョは製作費を全額負担した。もともと徐教授はこのパンフレットを2・8独立宣言記念資料室に寄贈しようとしたが、当局の許可を受けることができなかった。その代わり、若い韓国観光客が頻繁に訪れる都内の宿泊施設10カ所に備えつけた。
 ソン・ヘギョは「このように小さなこと一つが、東京を訪問した韓国人観光客の役に立ち、海外に点在している私たちの歴史遺跡に少しでも関心がわくよう願う」とコメントした。2人は京都やロシア・ウラジオストクなどにある韓国歴史遺跡の案内パンフレットも作って配布する考えだ。 」
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 2017年4月27日 中央日報「【コラム】日本軍に爆弾投げた尹奉吉と韓中関係
 29日は梅軒(メホン)尹奉吉(ユン・ボンギル)義士(1908−32)の中国上海虹口公園義挙85周年となる日だ。日帝強占期間に踏みにじられた韓国人の心を晴らした快挙であることを知らない人はほとんどいない。25歳の青年・尹奉吉は85年前のその日、天皇誕生日を記念した日本軍首脳部に水筒型爆弾を投げた。1909年10月に安重根(アン・ジュングン)義士(1879−1910)のハルビン義挙に続き、大韓独立に対する熱望を表出した。
 尹義士は中国人にも大きな衝撃を与えた。中国国民党を率いた蒋介石(1887−1975)がそうだ。義挙の直後、「中国の100万の大軍もできないことを朝鮮の一人の青年がしたのだから感激だ」と述べた。尹義士に対する感謝から中国にあった大韓民国臨時政府を全幅支援したりもした。このような流れは1943年12月に韓国の独立が国際的に初めて合意されたカイロ宣言まで続いた。尹義士と中国の縁は今でも続いている。尹義士の故郷の忠清南道礼山郡(イェサングン)で毎年開催される「尹奉吉平和祭り」に中国は8年連続で参加している。29、30日の2日間行われる今年の祭りにも、ハルビン安重根記念館、ハルビン731部隊罪証陣列館の関係者ら4人が訪れる。細菌マルタ部隊など日帝の蛮行を説明し、北東アジア平和音楽祭など付帯行事にも参加する予定だ。
 しかし今年は少し違う。何よりも訪韓団規模が以前の半分ほどに減った。昨年は大韓民国臨時政府所在地の上海・杭州重慶記念館、安重根義士が殉国した旅順監獄の関係者など約10人が訪問した。その前も状況は似ていた。韓国のTHAAD(高高度防衛ミサイル)配備決定に対する中国側の反発という声が聞こえる。
 丈夫出家生不還−−。尹義士が故郷を離れてはるか上海へ向かいながら残した言葉だ。「男が家を出れば志を成し遂げるまで戻らない」と誓った。青年尹奉吉の決意を改めて感じる。「男が世の中を生きていくこと、その志は大きい」という安重根義士の「丈夫歌」も思い浮かぶ。個人はもちろん国際関係もそのような大きな志が重要だ。危機の北東アジア情勢を解決していくカギになる。日帝の欺まん策により韓国と中国の農民が流血衝突した1931年の万宝山事件が解決したのも、尹義士の義挙がきっかけになった。目の前の小利に両国の大利を縮小する中国の態度が残念だ。
 パク・ジョンホ/論説委員
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 親韓国派日本人は、両国の友好の為に皇室を政治利用し、今上天皇陛下がダメなら、皇太子殿下でもいいから、先帝・昭和天皇を暗殺しようとしたテロリストを国家の英雄として顕彰している韓国に送り出そうとしている。
 現皇室は、朝鮮人テロリストに暗殺されかけた「国家と民族の統合の象徴である祭祀王・昭和天皇」の家族である。
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