☴6〕─5・B─金丸訪朝団。盧泰愚政権「日朝進展を制止」。~No.28 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・     
 自民党社会党合同の金丸訪朝団は、北朝鮮による拉致事件情報がある中で北朝鮮を訪問した。
 リベラル派・革新派そして一部の保守派やメディア関係者、左翼・左派、反米派・反安保派、反自衛隊派、護憲派人権派、反天皇反日的日本人達は、北朝鮮による拉致事件情報はウソで、韓国の謀略であると否定していた。
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 2019年9月14日 日本経済新聞「金丸元副総裁の次男団長の訪朝団、北朝鮮入り
 【北京、平壌=共同】日朝関係改善に取り組んだ故金丸信・元自民党副総裁の次男、信吾氏(74)を代表とする訪朝団約60人が14日、北京から空路、北朝鮮平壌に到着した。19日まで滞在。金丸信氏生誕105年となる17日には祝賀会を予定しており、朝鮮労働党や外務省の高官と面会する可能性もある。
 信吾氏は、北京国際空港で記者団に対し「日朝の懸案事項は多くあるが、解決には国交正常化が一番の近道だ」と強調。前提条件なしで日朝首脳会談開催を目指すとの安倍晋三首相の提案に対する北朝鮮側の評価も聞きたいと語った。政府や自民党からのメッセージは預かっていないとした。
 代表団は地元山梨県の関係者や在日本朝鮮人総連合会朝鮮総連)関係者ら。金丸信氏は1990年に超党派で訪朝し、故金日成主席と会談した。信吾氏は秘書として当時の交渉にかかわった。信吾氏は昨年10月に訪朝した際には宋日昊・朝日国交正常化交渉担当大使と会い、意見交換した。〔共同〕」
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 2021年3月29日 JIJI.COM 時事ドットコムニュース「盧泰愚政権「日朝進展を制止」 90年の金丸訪朝で警戒強める―韓国外交文書
 北朝鮮を訪問し、金日成主席(中央)と握手する自民、社会両党訪朝団の金丸信・元副総理(左)と田辺誠社会党副委員長(右)=1990年9月、平壌
 【ソウル時事】韓国外務省は29日、1990年前後の外交文書を公表した。それによると、90年9月に自民・社会両党のいわゆる「金丸訪朝団」と北朝鮮金日成主席が発表した「3党共同宣言」に基づき日朝国交正常化交渉が始まったことを受け、韓国の盧泰愚政権(当時)は警戒を強め、交渉を遅延させる内部方針を策定していた。
 3党共同宣言は、早期の国交樹立や補償をうたった。韓国側が日本に慎重な対応を求めたことは知られているが、政府方針として日朝進展を制止しようとしていたことが裏付けられた形だ。
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 3月30日 MicrosoftNews 時事通信盧泰愚政権「日朝進展を制止」=90年の金丸訪朝で警戒強める―韓国外交文書
 © 時事通信 提供 北朝鮮を訪問し、金日成主席(中央)と握手する自民、社会両党訪朝団の金丸信・元副総理(左)と田辺誠社会党副委員長(右)=1990年9月、平壌
 【ソウル時事】韓国外務省は29日、1990年前後の外交文書を公表した。それによると、90年9月に自民・社会両党のいわゆる「金丸訪朝団」と北朝鮮金日成主席が発表した「3党共同宣言」に基づき日朝国交正常化交渉が始まったことを受け、韓国の盧泰愚政権(当時)は警戒を強め、交渉を遅延させる内部方針を策定していた。
 3党共同宣言は、早期の国交樹立や補償をうたった。韓国側が日本に慎重な対応を求めたことは知られているが、政府方針として日朝進展を制止しようとしていたことが裏付けられた形だ。」 
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 2014年8月10日 産経新聞マスゲーム高麗人参酒で“接待”攻勢 金丸訪朝団、24年目の真実
 【山本雄史のだんじり正論】
 約2万人のマスゲームで「人文字」をつくり、列車の座席にはあらかじめ酒とつまみを用意しておく。突然のスケジュール変更で最高指導者に会えるという「特別感」を演出する-。
 今から24年前の平成2年9月。自民党社会党の国会議員団、外務、通産などの各省庁の担当者、新聞やテレビの報道陣ら約90人が、日本航空の特別チャーター機北朝鮮を訪問し、盛大な“歓待”を受けた。自民党訪朝団の団長だった金丸信元副総理の名前を取って、後に「金丸訪朝団」と呼ばれることになる一行は、謎のベールに包まれた北朝鮮の実態を目の当たりにした。
 筆者は先日、本紙オピニオン面の企画「ニッポンの分岐点」の取材で、金丸訪朝団参加者から当時の体験談や目撃談を聞くことができた。8月2日付で記事化されているが、盛り込めなかった部分を紹介する。
 そもそも、なぜ与野党の国会議員がこぞって北朝鮮を訪問したのか。それは、当時と現在とでは時代背景や国際情勢が全く異なっているからだ。
 平成2年当時の日本国内では、北朝鮮による日本人拉致事件の認知度は極めて低く、政府も国会も世論も全くといっていいほど関心を示していなかった。政府が初めて具体的に拉致事件に言及したのは昭和63(1988)年。梶山静六国家公安委員長参院予算委員会で「おそらく北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と答弁したが、大きなニュースにはなっていない。
 むしろ、北朝鮮との国交正常化を歓迎する空気が国内にはあった。時は東西冷戦の末期、国際情勢が激変する中、ソ連との関係が悪化し、中国とも疎遠となった北朝鮮は、東アジアでの孤立を恐れ、日本に接近しつつあった。日本と早く国交を結び、「戦後賠償」という名の経済援助を得ようというのが北朝鮮の目的で、日本の政治家たちも、その機運、流れに乗った節がある。
 そもそも、金丸訪朝団の最大の目的は、北朝鮮に拘束されていた漁船「第18富士山丸」の日本人船長らの解放だった。この交渉は最終的に金丸氏ら訪朝団が道筋をつけ、船長らは翌10月に無事に解放されることになる。
 だが、実はそれ以上の大きな動きが訪朝団の滞在中に起こる。金丸氏と社会党訪朝団の団長だった田辺誠副委員長の2人が、金日成主席と会談し、日朝の国交正常化を前提とした政府間の交渉開始で電撃的に合意したのだ。友好親善を目的とした議員外交が、いきなり政府間の国交正常化交渉にまで発展するという前代未聞の出来事だった。
 繰り返しになるが、北朝鮮は「戦後賠償」という名の「経済援助」を日本から引き出そうとしていた。北朝鮮の狙いは最初から明確だった。自分たちの「土俵」で訪朝団を歓待して好印象を持ってもらい、国交正常化に向けた地ならしをする。何よりも、自民党最大の実力者である金丸氏を徹底的に籠絡(ろうらく)する-というものだった。
 案の定、北朝鮮の術中に金丸氏ははまってしまう。訪朝団が平壌に着いた翌日の夕方(平成2年9月25日)、金日成スタジアムには約2万人が集まり、壮大なマスゲームを披露する。「金丸信先生と田辺誠先生の引率する日本使節団を熱烈に歓迎する!」という人文字の迫力はすさまじく、一行の心は、徐々に北朝鮮に寄っていってしまう。マスゲームの人文字はすぐにできるものではない。北朝鮮は、事前に入念な練習を重ねていた。
 産経新聞政治部記者として、金丸訪朝団に同行取材した自民党北村経夫参院議員の証言によると、金丸氏はマスゲームにいたく感動し、涙を流し続けたという。
 北朝鮮滞在2日目の夜。マスゲームの興奮が冷めやらぬまま、宿泊先に戻った一行は突然、平壌から遠く離れた北朝鮮有数の観光地・妙香山へ連れていかれる。
 「偉い人に会えるかもしれません」
 北朝鮮側は国会議員らにこうささやいた。この局面で「偉い人」といえばただ1人、最高指導者で最高権力者の金日成主席である。
 ともあれ、移動は突然で、一部の議員以外はよく事情のわからないまま、役人も報道陣もまとめて列車に押し込められ、妙香山へ向かった。だが、土壇場でのスケジュール変更は何か特別なことが起こるではないかという期待感を持たせるには効果的だった。しかも、列車内の座席には酒やつまみが載せられていて、いつのまにかあちこちで酒盛りが始まったという。
 当時、運輸省の国際航空課長として訪朝団に同行した笹川平和財団の羽生次郎会長は「今思うと、訪朝団全体が(誘拐や監禁された被害者が、犯人に好意を持ったり、同情したりする)ストックホルム症候群のような状況だった」と振り返る。
 平壌から遠く離れた、通信手段がほとんどない環境に連れていかれ、事実上の“監禁”状態にあった一行は疲れ果てて眠りにつく。冷静に考えてみると、この時点ですでに一行は北朝鮮の術中にはまっている感がある。そして翌朝、一行はついに金主席と面会することになる。
 首に大きな丸いこぶがあり、声は田中角栄元首相を彷彿(ほうふつ)とさせるダミ声だった。78歳ながらも血色はよく、180センチほどある大きな身体。東アジアの独裁国家の最高権力者の迫力は満点だった。
 国会議員ら一行は昼食会(午餐会)に招かれた。金主席は、朝鮮料理が並ぶ円卓を回っていく。羽生氏はその時の様子をよく覚えていた。
 「金日成の声は『ゲラゲラ、ゲラゲラ』ってというダミ声でね。われわれのテーブルまできて、1人1人高麗人参酒を注いでいった。私がちょっとだけ口をつけると、金日成は真横でニコニコしてるんだけど、随行役が怖い顔をして、『ぐっと飲め』という動作をするんだ。酒はまずいんだけどね(笑)」
 昼食会が終わると、ほどなくして一行は平壌に向かった。
 だが、金丸氏の姿が見当たらない。北朝鮮側が「金主席がゆっくりお話をしたいと言ってます。1人で残ってくれませんか」と金丸に打診していたのだ。金丸氏はその申し出に自分の判断で応じ、妙香山にもう1泊した。
 これが、後に日本外交史上、大きな問題となる「金・金会談」である。
日本側の通訳も、外務省の担当者もいない中、金丸氏と金主席は密室で計5時間近くも会談した。記録が全く残っていないため、会談の詳細な中身はいまだに明らかになっていないが、金丸氏が金主席にほれ込んだのは明らかだった。訪朝団の滞在最終日の9月28日にに発表された自民党社会党朝鮮労働党の3党による共同宣言には、日本の「償い」という言葉が盛り込まれた。後世に大きな禍根を残したこの言葉には、金丸氏の意向が反映されていた。 訪朝団の事務総長だった石井一前参院議員は「金日成なりのジェスチャーだった。要は、社会党は信用していない、あんた(金丸氏)を信用しているんだと。金丸氏はそれでファンになってしまった」と回顧する。北朝鮮は、政治家の心をくすぐるのがうまかったといえる。
 今回の取材では、金丸訪朝団の滞在中に「喜び組」が登場したという証言はなかった。ただ、金丸訪朝団前に平壌入りした自民、社会両党による先遣議員団のメンバーの一部は、ひそかにゴルフやカラオケを楽しんだという。
 日朝関係は、拉致被害者の安否再調査をめぐり、厳しい交渉が続いている。北朝鮮核兵器を開発して国際社会を敵に回し、弾道ミサイルを頻繁に撃ち、東アジアの安全保障を常に脅かしている。こんな国とかつて国交正常化が近づいたという事実にただ驚くばかりの取材だった。」
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