👪14〕─1─西洋脳は、人間対応として計算された戦略脳である。~No.78No.79No.80No.82 @ ③ 

「自然」概念の形成史―中国・日本・ヨーロッパ

「自然」概念の形成史―中国・日本・ヨーロッパ

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 西洋脳=大陸脳=男性脳=人間対応。
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 西洋脳は、開放的で、人間対応として合理的論理的科学的計画的な計算された戦略脳である。
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 西洋の人格、価値観、言語は、少ない自然災害及び戦争と平和の中から作りだされ発達してきた。
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 狩猟遊牧民の2人は、獲物を巡って争う事はせず、協力してより獲物を狙った。
 狩人は、獲物を独り占めにするように単独行動はせず、仲間と獲物を分け合う為に協力して大きな獲物を仕留める。
 皆と行動を一緒にする為に、信頼の友情を大事にし、助け合っていた。
 当然、そこに個性が生まれた。
 単独行動する時、個性など無意味であった。
 個性は、皆と一緒にいて個人を識別する為に必要であった。
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 西洋などの人形劇の人形は、演者が物語の為に自由に操る木偶の坊である。
 日本の人形増瑠璃の人形は、演者が物語の為に血を通わせ情を持たせ心を吹き込み人間として扱う相手である。
 故に。使えなくなった人形は、西洋などはゴミとして捨てるが、日本は霊魂を持った疑似人間として供養して燃やした。
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 古代文明は、例外なく大河流域で農業と牧畜を生業として誕生し、食糧増産と共に人口は正比例的に増えた。
 農業に適した肥沃な土地は少ない為に、増えすぎた人間は食糧生産に適した土地を求めて内陸部や辺境地へと移動した。
 無人の土地であれば、入植して開墾した。
 原住民がいれが、占領して支配し、原住民を奴隷として使役して農作を作らせ税を課した。
 人の移動によって、村は国家となり帝国へと発展し、人口は増加して征服者と奴隷という超える事のない絶対的階級が生まれた。
 ヒトとモノの移動によって、知識の蓄積と生産技術の発展で文明が誕生した。
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 ヨーロッパから中東、中央アジア黄河までの内陸気候地帯は、少雨で気候変動が少ない乾燥した土地の為に陸田直播きの小麦栽培が適していた。
 朝鮮は、この部類に属している。
 インドから東南アジア、揚子江、日本までの海洋気候地帯は、多雨で気候変動が多く湿潤の土地の為に水田潅漑のコメ栽培が適していた。
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 広大な農地に対して労働者が少ない所では、資本集約型として、生産財・資本財である牛や馬などの家畜を効率よく使って食糧を増産した。
 そこには、土地所有権を絶対化した大規模農家の地主や領主が生また。
 少数の富裕者と多数の貧者という、雲泥の差による貧富の格差は自然の事であった。
 狭い土地に対して労働者が多い所では、労働集約型として、家畜を使わず全ての人が協力して食糧を生産した。
 そこには、土地所有権は流動的で中小規模農家の集合体であるムラ共同体が生まれた。
 ムラ共同体における負担は公平・平等で、多くを生産して多く稼ぐ者は多くを負担し、少なく生産して少ない稼ぎの者は少ない負担をした。
 公平・平等を大原則とする以上は、仕事をせず遊ぶ呆ける怠け者は許さなかった。
 だが、歳を取って働けなくなった者、病気や怪我をして動けない者など、正当な理由が或る者は、相互扶助で助け合った。
 生産力の増大のシステムとして、前者は機械による産業革命で、後者は人による勤勉革命であった。
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 東洋と西洋の違いは生産していた農作物により、東洋は栄養価の豊富な土地で稲作を西洋は栄養価の乏しい土地で麦作を行った事による。
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 日本人と西洋人の性格や思考の違いは、生活環境によって生まれた。
 西洋は、安定した気候で、自然災害が少なく、日々を楽しく牧歌的に生きられた。
 日本は、不安定な気候で、一年中何らかの自然災害に襲われ、精神的にも肉体的にも非力を自覚させられていた。
 日本の価値観と西洋の価値観は、根本から全てが異なる。
 外見上の人間は同じでも、内面では異なる。
 コミュニケーションが大事として、幾ら話し合っても理解はあり得ない。
 「心を開いて話し合えば同じ人間として理解できる、相手の気持ちになれば分かり合える」とは、半分正しく半分嘘である。
 人ができるのは、傲慢に相手を理解し取り込んで一体化する事ではなく、謙虚に相手を了解し相対して受け入れる事である。
 中国や朝鮮は、日本ではなく西洋に近かった。
 日本の常識は、世界の常識とは違い、世界の非常識である。
 世界都市では、他人が、モザイク的に居住区ごとに住み分けていた。
 ムラ社会では、他人は、開いてる家に棲みつき、耕されていない土地を耕した。
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 城塞都市の中には、自然は存在しないが、広場・公園が作られていた。
 城外の自然は、悪魔や魔物が住む恐ろしい暗黒空間であった。
 自然は、憎み破壊すべき存在であって、愛し守るべき存在ではなかった。
 人間と自然は、敵対する関係にあった。
 城塞都市は、自然を必要とせず、拒絶し遠ざけて近づけなかった。
 そして、見える周辺地域の外にある田舎や地方を切り捨てた。
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 城塞都市の宗教は、一つの神のみを信仰していた。
 多神教は、城塞都市には向かない。
 城塞都市は、単一化・画一化され多種多様は害悪である。
 城塞都市の中心にあるのは、一つの、王宮か宗教施設である。
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 都市は中心で、田舎・地方は周辺である。
 王宮・宗教施設は中心で、庶民の居住地区は周辺である。
 中心は富を独占する為に、周辺から搾取する。
 中心と周辺には、超えられない壁としての差別が存在する。
 中心の城塞都市は生き残る為ならば、周辺の田舎・地方を平然と滅ぼす。
 西洋国家とは、城塞都市である。
 城塞が国境である。
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 気候変動が少なく自然災害の少ないと社会気候変動が激しく自然災害多発地帯の社会では、自ずから法則やルールが異なる。
 前者がグローバルなら、後者はローカルである。
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 世界がグローバルで画一化に向かう時、ローカルは消滅する。
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 日本の思考は、人と自然の多様・複雑な関係を重視した戦術的である。
 西洋の思考は、人と人の単一・単純な関係を重視した戦略的である。
 自然に対して、日本思考は逆らわず従おうとするが、西洋思考は屈服させコントロールする。
 日本の思考と西洋の思考は、別物で交わる事はない。
 西洋思考がグローバル・スタンダードになっても、日本思考がグローバル・スタンダードになる事はできない。
 日本の思考が、日本特有の八方塞がり的な自然災害多発地帯に生きる術であるからで、自然災害の少ない地域では通用しないからである。
 西洋の思考は、自然災害の少ない地帯の生きる術であるから、誰にでも理解されやすい。
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 日本人は、油断すると大被害を被る数多くの自然災害に対応する為、一分一秒まで拘って時間に厳格であり、持って逃げられるような大きな物を嫌い小さな物を好み、虚飾や無駄を省いて縮小させ、細部まで寸分狂いなく正確に徹した。
 それほどまでの緻密で息苦しいまでに神経質に拘り抜いたのは、命の危険を伴った避けようもない自然災害多発地帯で生き残る為の智恵であった。
 世界は、日本人の事細かさに拘る精神状態が異常に見え、理解できない。
 2000年近く、日本列島の凶暴な自然の中で生きてみなければ分かる事はできない。
 日本の価値観や法則が、グローバル・スタンダードになる事はない。
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 人間の、表層の性格は生まれた家族環境や成長する地域環境で変化したが、古層の性格は自然環境や文化環境で形成された。
 西洋は、ヨーロッパ大陸の自然環境とキリスト教文化環境で、絶対真理を信じて人と人が死闘を繰り返して歴史を作ってきた。
 日本は、日本列島の自然環境と神道文化環境で、相対真理を信じて人と自然が何とか折り合いを付けながら共に生きてきた。
 世界史は戦争と平和の歴史であるが、日本史は自然災害と災害復興の歴史である。
 世界には、数百年前の歴史的石造りの建物がそのままの形で残っているが、数百年続く伝統ある民間商社は少ない。
 日本には、数百年続いている老舗商店が数多くあるが、数百年前の歴史的木造建物は数えるほどしかない。
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 西洋のリーダーとは、強いリーダーシップを持って人民の先頭に立って導くカリスマ的な指導者である。
 日本のリーダーとは、ムラ人の意見を平等に聞き、ムラ人との利害や損得を公平に調整し、ムラ人と全員を話し合って一つにまとめる調整能力の高い長老である。
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 欧米人は、動物虐待としてスポーツ・ハンティングやスポーツ・フィッシングを娯楽として楽しんでいた。
 世界中で大金を払って狩りを行い、仕留めた後は記念品として持ち帰り、剥製にして飾り自慢し、毛皮にして大金を稼いだ。
 動物を殺すのは、食文化として食べる為ではなく、伝統文化として楽しむ為であった。
 欧米人の娯楽によって、多くの動物が絶滅した。
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 西洋史とは、戦争と平和の歴史である。
 日本史とは、自然災害と被災地復興の歴史である。
 戦争の歴史は、他人を充てにせず、信用せず、頼らず、自分一人で闘う歴史である。
 戦争において今日の味方は明日は敵になり、戦場において今日の戦友が明日は殺し合う相手になる。
 鉄砲の弾は、時より後ろから撃ち込まれる。
 自然災害の歴史とは、他人を充てにし、信用し、頼り、他人と助け合い庇い合い慰め合う共同作業の歴史である。
 自然災害において、敵も味方もない、人種も民族も関係なく、全ての者に甚大なる被害をもたらす。
 日本が西洋の近代歴史学を正統歴史学として受け入れた時、民族中心の自然災害史を民俗史として切り捨てた。
 言語も、又同様である。
 西洋語は、戦争の中で、自力で運命を切り開き、何としても勝つという強い意志・信念で意図的に発達した。
 日本語は、自然の中で、何とかして助かりたいという念いと助からないかも知れないという想いから、無意識に近い感じで生まれた。
 合理的な西洋語は世界共通語になっても、情緒的な日本語は世界共通語にはなれない。
 西洋語がグローバルなら、日本語はローカルである。
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 中国史や韓国史朝鮮史は、西洋史に近い。
 日本史には、中国史や韓国史朝鮮史との共通性は存在せず、同時に共感し合う歴史認識も存在しない。
 三ヵ国の歴史が全くの別物である以上、歴史の一本化は太陽が消滅しない限りあえない。
 日本の歴史は、中国や韓国・朝鮮とは関係なく、日本人が日本民族中心で書くものである。
 中国や韓国・朝鮮の意見など聞く必要もなく、彼等が主張する三ヵ国共通の歴史認識など受けいる事なく拒絶して当然である。
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 需要と供給の大原則から、生産される食糧で養育可能な人口に合わせて自然に増えた。
 アジアはの人口増加は稲作により、ヨーロッパの人口減少は小麦栽培による。
 人間の価値は、人口の少ない地域で高まりった。
 人口が少なければ、人は貴重な人材・労働力として市場での価値が上昇する。
 人権思想は、人口の少ないヨーロッパで生まれたが、城塞都市の外で生活する農民は農奴として奴隷のように扱われた。
 人口が少なく遊牧生活をしている、中東では人道も人権も生まれなかった。
 人道や人権に最も縁遠かったのが、人口が多い中国であった。
 「人は、蟻のように大地から大量にわいてくる」
 同じ人口が多かったインドは、全ての人に仕事を与え富をもたらす事で社会の安定化を図っていた。
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 ヨーロッパの土地は、栄養価の乏しく成育が悪い痩せた土地が多く、毎年同じ作物を植えると連作障害が起きやすかった。
 小麦を収穫した農地は、翌年には羊などを放牧し、その翌年には休耕して地力を蓄えた。
 つまり。主食である小麦は、3年に1回しか収穫できなかった。
 中世ヨーロッパ世界でも、貧しい家庭は沢山の子供を生んでいたが、食糧不足による飢餓と栄養失調による体力・免疫低下で死亡して人口は増えなかった。
 食糧増産ができないヨーロッパで、マルサスの『人口論』が生まれるには必然性があった。
 ペストの大流行と宗教戦争で、2,000万人から3,000万人が死亡してヨーロッパ人口は激減した。
 そして、絶対真理による異端審問や魔女狩りによる宗教裁判。
 イスラム教圏に保存されていたギリシャ・ローマの古典思想が中世ヨーロッパに逆輸入されて、ヨーロッパは生まれ変わった。
 不幸な死やとんでもない災難は誰にでも例外なく訪れる事から、「全ての人は絶対神から与えられた平等の権利を有している」という人権思想が生まれ、キリスト教会が持っていた宗教的絶対権威を否定した。
 ヨーロッパ世界を支配していたのは、国王や国家ではなく領主や地主であった。
 領地の境界線はあっても国境はなく、戦争の勝敗や経済的理由から絶えず変更されていた。
 領主や地主は、より多くの利益を得る為ならば、国王を裏切り、他国と同盟を結んだ。
 ヨーロッパ世界は、表面的には国と国を分ける国境はあっても、実体としては無いに等しかった。
 故に、一ヵ国で一つの言語ではなく、国の中に数多くの地域語、部族語、家族語が氾濫していた為に公用語が必要であった。
 結果的に。西洋人は自然と数カ国語が話せるようになり、別段語学力が優れているわけではなかった。
 農奴扱いされていた農民達も、待遇が悪かったり不当な税を取る領主や地主を見限り農地を捨て、国境を超えて他国の領主や大地主の農地へと移住した。
 当時の庶民は無国籍人として、キリスト教信仰を唯一の手がかりとして、キリスト教会を頼って国家も国境も関係なく自由にヨーロッパ内を移動していた。
 個人主義の彼等は、隣人が自分と違う言葉を話し、違う生活文化で生活しようとも、自分に危害を加えなければ無関心であった。
 契約社会は、土地を持つ領主と農地を借りる農民という縦の関係が重要であって、同じ領内に住む人間の横のつながりは稀薄であった。
 領主や大地主は、流れてきた農民を農地に縛り付けて逃がさない為に言語ではなく宗教を利用し、「領主の信仰がその土地の信仰」として、同じ宗派を信仰しない者は犯罪者として公開処刑した。
 宗教は、政治の一つの道具に成り下がり、最も凶悪な凶器となった。
 人の権利は、中世において農地と農民の関係から曲にも保障されたが、少数の労働者が工場で大量生産するという産業革命により貧富の格差が広がって否定された。
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 鉱物の発見。
 鉱物を採取し、加工して道具を作る事で、文明が生まれた。
 鉱物から武器や道具を作る事で、政治権力が生まれた。
 鉱物から儀式の道具や装飾品が作られる事で、宗教権威が生まれた。
 鉱物から貨幣が造られて、経済活動が活発化して富が生まれた。
 鉱物を求める事で、貿易が生まれた。
 鉱物を加工する事で、より優秀な技術が生まれた。
 より硬く優れた鉱物として、石から銅へ、銅から錫へ、そして鉄を得る事で人類は文化的進歩を遂げた。
 貴重な鉱物として、石から金銀そしてプラチナ。ダイヤモンドからルービーやサファイア翡翠など。
 人類最古の道具は、260万年前のアフリカで発見された硬い石英やケイ岩で作られたオルドヴァイ型石器群である。
 人類の全てはアフリカの大地から始まり、火と鉱物の発見で肉体的進化を止め、文字と言語による脳的発展を遂げた。
 宇宙の誕生と共に元素が生まれ、宇宙空間と地球で元素が複数に集合し、化学組成と結晶構造による規則正しい原子配列で鉱物が作られた。
 地球には、地球で生まれた鉱物と宇宙で生まれた地球外鉱物が多種多様に存在する。
 現在、地球上には約5,000種類の鉱物が存在し、今も新しい鉱物が天然鉱石は自然環境で人工鉱石は工場や研究所で作られている。
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 上野国久「家族は人の価値観形成に大きく影響するから、共通した家族制度を持つドイツと日本の社会的価値観と組織的行動に類似性があるのは当然だとしても、経験的には両者には明らかな違いもある。日本は、話し相手と聞き手の間に言葉で表現される内容以上の相互理解が前提の、いわゆる高文脈文化(high-context cultures)の社会であるのに対して、ドイツは、話し相手と聞き手の間の相互理解が言葉によって表現される情報によって完結するのが前提の低文脈文化(low-context cultures)の社会であると言われる。ドイツ企業で働く日本人はその違いを実感するはずである。日本人の合意形成に至るまでの意思疎通と決定の手続きが、ときには暗示的に、ときには曖昧に進めるのに対して、ドイツ人のそれは、対極的なまでに明示的であり、明解である」
 「フランスの社会と企業組織においては暗黙知として共有されたものが、ひとたび原則、規則、規格、基準、規程などの形式的で明示されると、ドイツと同じように、あるいはそれ以上に厳密かつ厳格に守られる」(『ホンダ、フォルクスワーゲンプジョーそしてシトロエン3つの国の企業で働いてわかったこと』)



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ヨーロッパ中世の自然観

ヨーロッパ中世の自然観

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 創文社
  • 発売日: 1998/06
  • メディア: 単行本