☯18〕19〕─1─朝鮮は、中国に倣って朱子学の正統派儒教で実学を否定し技術を軽視しモノ作りを潰した。~No.45No.46No.47No.48No.49No.50 @ ⑦ 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・  
 朝鮮儒教では、職人は娼婦と同じ人間以下の下等人間とされた。
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 平成29年1月号 正論「折節の記 高山正之
 ……
 ヒトは学び、進歩していくものだと思っていたが、そうでない国もあると筑波大学古田博司教授は言う。例えば韓国。どんどん退行して古代に戻っている。
 任那があったころは日本から技術が入った。だから前方後円墳が残るが、時が経つと退行する。
 室町時代、彼らは日本にきて紙の漉(す)き方、メッキの仕方、田んぼの水車の作り方を学びにきた。日本人は親切に教えたが、次ぎに来た時はもう忘れていた。
 どんなに教えても技術を卑しむ国柄のせいで、結局、水車もできず、樽も作れなくなった。
 明治、日本人が行ってみたら土器しかなかった。古代、縄文の昔に退行していた。
 そんな国を仕切っていたのが科挙をパスした両班だった領地を貰い、その年貢で食っていた。ただ末代までとはいかない。孫までの三代に限られる。
 その間に子か孫が科挙を通ればそのままだが、それはまずない。
 だから三代の間に末代まで食っていけるように領民から搾れるだけ絞る。朴泰赫『醜い韓国人』には年貢を払えない小作人の両足を縛り、その間に棍棒を入れて抉(こじ)り、足を折る両班が描かれる。
 そんな文化果つる地を米国は日本に押し付けた。
 日本は鉄道を敷き、学校を建て、人の道を教えた。戸籍も作り、名なしだった女に名を付けた。女の名に縁がないからみな良子とか百恵とか日本風の名になった。
 おかげで日帝支配36年の間、両班が拷問権をよこせと騒いだ3・1騒ぎを除いて、この国はずっと平和で、死刑もなかった。
 日本が去ったあと、この国はすぐ退行して拷問も虐殺も悪いことすべてが復活した。
 今、南半分は韓国と名乗り、5年制の大統領が統治する。両班の時代、三代は稼げたのが5年に縮まったので大統領の一族郎党は短期間に両班以上のあくどさで搾取する癖がついた。だから大統領引退後みな捕まるようになった。
 ……
 古田先生曰く。あの国とは『教えず、助けず、関わらず』でいけ。少なくとも日本のメディアが騒ぐ話じゃあない。
 ……」
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 2017年1月号 SAPIO「技術貧国 サムスンスマホ、開発8分で停止したリニア
 実学者を次々に斬首した朝鮮儒教が韓国を〝モノ作り〟のできない国にした 藤原修平
 サムスンスマホの連続発火事故は、韓国製品の粗雑さを国際社会に再認識させた。韓国はなぜまともな〝モノ作り〟ができないのか。在韓ジャーナリスト・藤原修平が考察する。
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 8月下旬以降、韓国・サムスン電子製のスマートフォン『ギャラクシーノート7』の発火が世界で相次いだ。製造元のサムスン電子は9月にリコールを発表し、中国製のバッテリーを交換。それでも発火が続いたため、10月11日に生産・販売を中止した。
 だが、騒ぎは収まらなかった。10月半ばまでには旅客機への同機種の持ち込み禁止が全世界に拡大。米韓では損害賠償を求める集団訴訟が進められ、今後、米国では厳しい制裁が科せられるとの見方もある。
 米・豪・ニュージーランドでは、サムスン製洗濯機の爆発事故も多発している。11年3月から16年4月までに製造された機種では、米国で700件以上の異常が当局に報告され、肩やあごを負傷したケースもあった。
 サムスン製品にこうした事態が続くのは、同社が大きく成長する過程で〝モノ作り〟を軽視してきたからに他ならない。韓国駐在の日本人技術者が指摘する。
 『サムスンは世界中から寄せ集めた製品で自社製品を作ることを得意とし、巨大な利益を得てきた。そうした社風では部品の細かい不具合を十分に把握しきれない。不具合のある部品が他の部品に影響し、大事故に繋がることもある』
 サムスンの〝トップダウン〟経営も、モノ作り軽視の社風を後押ししている。
 10月11日付ニューヨークタイムズは『(サムスンでは)製品の技術がどのようなものか理解している上層部から命令が下される』と報じた。そうした環境では、モノ作りに必須となる『技術の継承』という考えは生まれてこないだろう。
 言うまでもなく、モノ作りの屋台骨となるのは技術力だ。だが、韓国では中小企業や町工場の技術、熟練工が一向に育たない。
 なぜなら韓国の大手メーカーは、外国製の目新しい技術や精度の高い部品が登場すると、それまで取り引きのあった町工場をあっさりと切り捨て、そちらに乗り換えてしまう傾向が強いからだ。そこでは優秀な技術や職人が育つはずもない。大手メーカーと町工場の職人が長年かけて信頼関係を築き、切磋琢磨しながらより精度の高い製品を作り上げる『メイド・イン・ジャパン』と大きく異なる点だ。
 国力誇示が最優先
 自前の技術を持とうとしない風潮は、サムスンだけでなく韓国製造業の隅々に浸透している。
 12年5月18日に打ち上げられた人工衛星の『アリラン3号』は、光学技術でドイツなどから支援を受けたにもかかわず、韓国メディアの多くが『純国産』と報道。
 しかも、当時の韓国はロケットを打ち上げる技術が不十分で、アリラン3号が打ち上げられたのは日本の種子島宇宙センター、打ち上げを担当したのは韓国で〝戦犯企業〟とされる三菱重工だった。だがテレビ報道は、『韓国、宇宙時代を開けるか?』(聯合ニュース)や、『我が国の技術を世界に見せつける』(YTNニュース)と意気揚々だった。
 韓国の技術開発は、国力を世界に誇示することを最優先する。その目的が達成できるのなら、日本だろうがどの国だろうが、『外国の技術を利用して当然』という発想がある。
 その上、利用した他国の技術を『自前』と言い切ってしまうから、韓国社会は『自国の技術は世界有数』という錯覚に陥ってしまう。技術者もまた、自分たちの力を内外に誇示できれば社会から賞賛と厚遇を受けられるため、それに甘んじ開発意欲を失ってしまうのだ。
 このように、国力誇示の技術ばかりが重視される韓国では、安全に対する技術者の〝怠慢〟も目立つ。
 雨漏りやリコールが後を絶たない現代自動車、04年の開業以来、すでに3度の脱線事故を起こしている高速鉄道KTX・・・。庶民の足も不安だらけだ。
 さらに、〝世界で2番目に実用化〟と謳われた仁川空港周辺を走るリニアは、2月に開業初日に走行中の列車が突然停止。その3週間後には電気ケーブルから火災が発生した。また、仁川地下鉄2号線は7月の開業初日に6回停止し、その後も運転遅延が相次いでいる。8月7日には脱線事故が発生し、これが『模擬訓練』として国土交通部に虚偽報告され問題化。安全より体裁重視の体質が露呈した。
 働いたら負け
 このように、韓国で見掛け倒しの技術ばかり育ってしまうのは、朝鮮時代に技術全般が軽視されていたことの名残りである。
 朝鮮王朝で儒教が最も重んじられていたのは有名な話しだが、朝鮮儒教は哲学的な『空理空論』ばかりを追求する特徴がある。そのため朝鮮王朝では、技術や技能の探求を排除し、否定する傾向が極端に強かった。
 とはいえ、技術が重んじられた時期が全くなかったわけではない。秀吉の朝鮮出兵文禄・慶長の役)で苦い経験をした朝鮮では、17世紀中盤に『実際に役立つ学問が必要』として、武器などを含む〝モノ作り〟の技術を集結する学問、『実学』が登場した。この実学が脚光を浴びたのは、文禄・慶長の役から実に200年後、朝鮮王の正祖が日本からの侵略に備え、都の南方に強固な軍事的要塞を建てようと決したときだ。その要塞が現在、水原市に残る世界遺産の華城である。
 1793年の設計から竣工までわずか3年で要塞を築き上げた実学者は、王朝に重用された。ところが1800年、正祖が突然没すると、王町内で儒学者復権。1801年の春までに、王朝の実学者はことごとく島流しや斬首され、歴史の表舞台から消されていった。
 その後、朝鮮では実務を知らず、儒教の空理空論に走る者こそが、両班(支配階級)となり力を揮った。
 『働いたら負け』という朝鮮社会のその仕組みは、今の韓国社会に受け継がれている。『技術を知らずに指令を下す上層部』を持つサムスンの体制は、その縮図でもあるのだ」
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 韓国は、中国同様に、日本からの多額の借款・投資と戦犯企業の技術支援で、経済を興し、国を発展させ、国民を豊かにした。
 現代の韓国と中国は、日本からのヒト・モノ・カネの支援のお陰である。
 が。日本の恩義に対して仇で答え、後ろ足で砂をかけ、難癖をつけてカネをふんだくっている。
 所詮、中国と韓国は、儒教中華思想に基ずく華夷秩序による傲岸不遜の忘恩の国である。
 苦境に陥って困った時、反日の態度をがらりと変え知日となり、友好を口にして柔やかに微笑みながら媚びを売るように日本にすりよってくる。
 韓国や中国には「面子」はあっても、日本のような苦境に陥ったら他人に頼る事なく意地でも自力で独力で困難を乗り越えようという「意地」や「気概」は稀薄である。
 結局は、恥も外聞もなく日本に支援を求めてくる。
 日本が駄目ならアメリカに、アメリカが駄目ならイギリスとEU諸国に、国内で問題解決するのではなく外国に依存した。
 韓国の自国自慢は、外見の見栄えのみを取り繕った張り子の虎、張りぼてに過ぎない。
 「恨」と「怨」という韓国・朝鮮の精神文化は、中身のない、実体を伴わない、空虚から生まれている。
 日本には、韓国や中国を見習うべき点も、韓国や中国から学ぶ所もなかった、が、その自惚れが日本の凋落を招いた。



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