👪3〕─3─日本民族日本人の深層的精神風土はPTGであってPTSDではない。〜No.18 * 

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   ・   ・   {東山道美濃国・百姓の次男・栗山正博}・   
 災害対策は、江戸時代と現代日本とでは異なり、日本と世界とでも異なる。
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 日本のグローバル化、世界の常識化が、日本の常識を否定し廃棄しながら進んでいく。
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 2018年8月号 Voice「ニッポン新潮流
 現代社会 『役に立った危機』論  開沼博
 大阪北部地震に想う
 大阪府北部で震度6弱を観測した地震では、多数の住宅被害、ガスなどインフラの損傷、塀の倒壊による死者の発生など多くの被害が出た。
 一方、交通インフラの復旧、災害情報の共有、被災者等の支援については、大都市部にもかかわず、これまでの大規模災害に比して相対的にスムーズに進んだようにも見える。
 物理的な災害規模が局所的であってこともあるだろうが、阪神・淡路大震災東日本大震災、あるいはその他多くの災害によって、土木建設・工学的になされてきた対策、あるいは、行政、公共機関、メディア等がいかに対応すればよいか社会科学的に蓄積されてきた知見が生かされてきた結果だといっても良いだろう。
 『危機』は社会を崩壊させたり、それまでの順調な歩みから逸脱させたりするきっかけだと捉えられがちだ。つまり、メディを巻き込んで一大スペクタクル(見せ物)化するような規模の大災害・大事件=社会的な危機は『社会を壊す』イメージで捉えられることが多い。『ある災害(事件)さえなければ、こんな悲劇はおこらず、その後の苦難の道はなかったのに』といった語りとともに記憶された。
 しかし、こういった捉え方は一面的だ。たとえば、著名な米国の研究者、ジョン・ダワーの論文『役に立った戦争』は、戦時下に人や組織が国の名の下に巻き込まれ、整理されていった過程が、その後の高度成長を後押しする基盤となったことを指摘する。これは、他の論者によっても『1940年体制論』『総力戦体制論』などと概念とともに指摘されたことでもわかるが、危機が『役に立った』側面は、戦争に限らず、様々な分野に見受けられる。
 近代史におけるその象徴は、関東大震災後の後藤新平による大規模な都市整備だろう。後藤が整備した公共施設、道路網、公園等は現在にもそのまま生き続け、多くの人の役立っている。オイルショック後の省エネ技術の発達、阪神・淡路大震災後のNPO・ボランティアの行政への動員や地域メディアへの注目なども、日本社会の基盤構築に危機が『役に立った』系譜に位置付けられる。
 PTSDからPTGへ
 これらは長期的な『役に立ち方』だが、短期的な役に立ち方があることを示したのは、東日本大震災後に話題になったレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』(亜紀書房)だった。
 災害が起こると、平時には存在しえないほどの人びとの利他的な行動に基づくユートピアが立ち上がるという。いうまでもなく、災害は、人間を暴力やデマの流布(るふ)のなかで野蛮な存在に引き戻す側面ももつ。
 しかし、そんなパニックの一方で、つながりを求めて助け合い、自分や周囲の人びとを守らんとする欲望が社会の壊れた部分をつくり直そうとする。その自発的なユートピアは時間が経つなかで消えて行くが、社会にのこるものもあるだろう。自発的なユートピアのなかから、先に述べたような『役に立つもの』が形になり、制度化される『遺産』が出てくれば後世にも役立てられることになる。
 これは個人的な精神・心理のなかでも起こることだ。近年、PTGという概念が注目される。PTSD(心的外傷後ストレス障害)という概念は多くの人が知るところだろう。トラウマ(心的外傷)を受けたあとにその問題が持続し、その後の行動を制約し生活上の支障をきたすようななることを指す。
 一方、トラウマを受けたあと、そこから回復し、むしろそれをバネに新たな自分に出合う。これがPTG(Post Traumatic Growth:心的外傷後成長)だ。傷つき打ちのめされた経験があるからこそ得られる成長もあるとうい見方には、そういう経験をもつ人もいるだろう。
 『危機』は役に立ち、成長のきっかけとなる。無論、それは危機のネガティブな側面を無視することを促すおのではない。両者は両立する。個々人の経験など、ミクロに見ればそこに生きる人の悲劇や当初思い描いていた人生からの逸脱を、危機が生み出すのは間違いないことだ。ただ、マクロに見たとき、あるいは個々人の問題としても、危機がその後の足場になり、歩むべき地べたを固め、道をつくることも事実だし、それは教訓と呼ばれるものでもある。
 危機は社会ををつくる。危機を前にして、忘れるのではなく、忘れないように過度に悲劇性・逸脱性を煽り立てるのでもなく、そこから何を私たちが受ける事ができるか私たちはつねに問われている」
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 日本では、自然災害・天災が発生し庶民が被害を受けるのは「天皇の徳」が足りないからだと考えられていた。
 故に、歴代の天皇は、自然災害・天災が発生すると「朕の徳が足りないからだ」と天下に詔を発し、辛酸をなめさせた庶民に罪を認めて謝り、八百万の神々に自分の不徳を認めて謝り、今後は徳を積む事に精進すると誓って自然災害・天災を収めてくれる事を請い願った。
 天皇や皇族は、被災した人びとを慰め・癒やし・励ました。
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 それができるのは、最高神天照大神(女性神)の血を正統に受け継ぐ天皇と皇族だけであった。
 天皇家・皇室における皇統の正統性は、女性神の血を直系子孫として正しく受け継ぐ血筋である。
 それが、皇室神話・日本中心神話・天孫降臨神話、日本民族神話である。
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 天皇に即位できるのは、正統な皇統につながる皇族のみである。
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 権力者(将軍・大名、政治家・官僚)は、被災者に「不徳」を謝罪しないし、被災者を慰め・癒やし・励ます事はしない。するのは、被災者を救助し保護し救護し救援し、食料・水・医薬品を運び込み、被災地に機材を運び込んで一刻も早い復興・復旧を行う事だけである。
 阪神・淡路大震災時。村山富市首相は、「初めての事だから」と本音をもらして顰蹙をかった。
 東日本大震災時。菅直人首相は、被災地に入ったが、避難所の被災者から罵声を浴びて逃げるように東京に帰った。
 鳩山由紀夫首相は、「日本は日本人だけの日本ではない」として、日本国民から日本民族日本人を切り捨てた。
 日本国家は、いざとなったら日本民族日本人を棄民する可能性を秘めている。
 日本国民は、そうした危険性のある政治家を民主主義の選挙で当選させている。
 つまり、現代日本の世論・民意はそこに移りつつある。
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 被災者は、天皇・皇族を温かく受け入れその有り難さに涙したが、権力者は冷たくあしらい罵声を浴びせて追い返した。
 日本民族日本人は、目の前に存在しておられる天皇家・皇室と共に生きているという実感から「PTG」であって「PTSD」ではない。
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 天皇制度が廃絶され、天皇家・皇室が断絶すれば、日本民族日本人が命を捨てて守り受け継いできた全てのモノが消滅する。
 その事をしっかり理解する反天皇反日的日本人は、日本民族日本人を消滅させる為に、天皇制度を廃絶し、天皇家・皇室を断絶しようとしている。
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 四季によって様々な自然災害があり、四季に関係のない火山や地震に伴う二次被害としての津波や土石流などがある。
 人が居る事で発生する大火に、動物が居る事で蔓延する疫病など、
 一年中、天災や人災の災害が日本列島を襲い、日本民族日本人その中を逃げ回っていた。
 だが、そんな発狂しそうな過酷な自然環境の日本列島から逃げ出した日本民族日本人はいなかった。
 それどころか、朝鮮半島や中国大陸から多くの人々が難民として日本列島に逃げ込んできた。
 「人食い虎がうろついて人を襲っているような恐ろしい貧しい僻地でも、悪政・暴政を振るい人を苦しめている暴君の豊かな都よりはまし」、と言う事である。
 中華世界は豊かな都であり、日本列島は貧しい僻地であった。
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 繰り返される日本の災害は、いつも同じ場所で同じ状況で同じ被害を発生させるとは決まっていない為に、考え得る限りの対策を講じても被害は起きてしまう。
 つまりは、「後の祭り」であった。
 記録魔的な几帳面な江戸時代までの日本人は、後世の為に全てを公文書や私的日記に詳しく記録した。
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 世界では、「愛に満ちた絶対神は、悪人の上にも善人の上にも雨を降し、災難をもたらすが命までは奪わない」である。
 日本では、「神仏に関係なく、善人も悪人も関係なく全ての人間に災害が襲ってきて、今の災害を生き抜いても次の災害では助からないかもしれない。そうした自然災害が生きている限り何度でも襲ってくる」である。
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 世界で数億人と信者を獲得している普遍宗教は、自然災害は絶対神の天罰・神罰で、天罰・神罰で死ぬのは罪人・悪人である、と。
 日本民族日本人には、「自然災害は罪人・悪人に下される天罰・神罰」が理解できない為に、そうした神託を下す普遍宗教を拒絶し日本から排除した。
 キリスト教は、その厳格な不寛容さゆえに、日本で信者を獲得できず、弾圧・迫害され追放された。
 日本人の拒否反応で排除されたのは、中華儒教(中国儒教・朝鮮儒教)も同じである。
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 日本は、人を信じ切るお人好しの「性善説」が空気・空気圧・同調圧力として支配し、災害が発生しても暴動・騒動、略奪・強姦・放火などの犯罪地帯・無法地帯になる事はめったに起きなかった。
 世界は、人を信用・信頼しない人を疑う「性悪説」が支配し、災害が発生すると暴動・騒動、略奪・強姦・放火は日常茶飯事的に起き犯罪地帯・無法地帯となり、犯罪者はその場で射殺された。
 日本の常識は、中華(中国・朝鮮)の常識から逸脱しているし、さらには世界の非常識である。
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 日本民族日本人の歴史において、関東大震災における朝鮮人殺害だけが唯一例外の犯罪事件であった。
 中華(中国・朝鮮)世界など地球上では、人類史・世界史・大陸史の中には数え切れないほどウンザリするほどに発生している。
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 2018年8月号 Voice「瘋癲(ふうてん)老人が見た日本
 いまこそ『死の規制緩和』必要だ
 山折哲雄
 ……
 『家なき子』から『親なき子』の時代
 ……
 死の規制緩和
 私はここで、読者に提言したい。いまこそ日本に『死の規制緩和』が必要だ、と。死の緩和要件の第一は『90歳以上の安楽死尊厳死を認めること』。第二に『死の定義を変えること』です。
 日本文化を1000年の単位で見れば、仏教による無常観とともに、自殺への賢慮があらかじめ織り込まれていることに気付きます。『死生観』や『生きることは死ぬことと見つけたり』という言葉があるように、われわれは生と死を表裏一体に捉えてきました。
 英語やドイツ語、フランス語に同じ表現がないのは、『死後は天国か地獄に行く』と説くキリスト教の社会と生と死に対する考え方が根本的に異なるからです。キリスト教は自殺を悪と教える。その考え方が正しければ、江戸の近松門左衛門が描く心中物の世界は全否定です。しかし心中や情死を貫いた日本人の死生観は、浄瑠璃のみならず歌舞伎や文学の世界でもポピュラーなものとして受け入れられている。
 近代以降、文学者の自殺が多いのも日本の特徴で、北村透谷をはじめ芥川龍之介川端康成三島由紀夫、現代でいえば評論家の江藤淳氏や西部邁氏など挙げられます。
 とくに大事なことは、日本では文豪などの著名人だけではなく、市井(しせい)の人びとに至るまで、社会のなかに『涅槃願望』が横たわっている点です。
 ……
 ここで日本人はもう一度、『生と死の規範』について考え、自らの死生観を問い直さなければなりません。近代法の下で『人の死』とされる心肺停止や脳死の基準をもとに死を測るのは、やはりわれわれの伝統に馴染まない。
 たとえば、日本人は神話の時代から『殯(もがり)』を実践してきました。死者を本葬するまで棺(ひつぎ)に安置して一定の期間、生きているのと同じく扱う。それは『社会的な死と生理的な死と分ける』という意味もあるし、何よりも徐々に肉体が朽ちていく死の過程に接することで、プロセスとしての死を受け止められることです。
 殯をへることにより、かつての日本人は死が点ではなく、線で繋がっていることを感得しました。死ぬというのはただ一点の出来事ではなく、あくまでも生きることの延長線上にある。そう考えたとき、『自分がどう死ぬか』について無自覚でいられるはずがない。私は、90歳を超えた人間が自らの死に方を選ぶことは当然の権利であり、義務である、と考えます。
 ……
 しかし、そもそも『医』の本来の役割を考えれば、医療の本質とは『人間の苦しみを取り除くこと』にあります。医者が安楽死尊厳死を全否定するのは自己否定でしかない。さらに嘆かわしいのは、安楽死を認めない僧侶がいることです。よもや彼らは『引導を渡す』という仏語(ぶつご)があることを忘れてしまったのでしょうか。衆生(しゅじょう)を迷いから救い、成仏へと導くことは、仏教の本義にほかならない。
 ……
 落日を見つめる者たち
 先ほど『存在の軽さ』をめぐって挙げた3人のうち、最後の3人目で、なおかつ安楽死という主題に深く関わるのが、西行です。ここでは彼の有名な和歌を挙げます。

 願わくは花の下にて春死なむ
    そのきさらぎの諸月のころ

 西行の『涅槃願望』が表れている、といえるでしょう。彼もまた、芭蕉良寛と同じく『野ざらし』の死を是としました。さらに西行の場合、『そのきさらぎの諸月のころ(ブッダの涅槃の日、2月15日の満月のころ)』に『死なむ』ことをあらかじめ計画していた、と私は確信します(なお、西行の死は1日遅れて2月16日でした。これはブッダに遠慮したのかもしれません)。
 さらに西行からもう一首。

 山端(やまのは)にかくるる月をながむれば
    われも心のにしにいるかな

 夜通し念仏を唱えていると、暁(あかつき)方近くなって月が彼方の山の端に落ちていく。それを見ているうちに、自分の心までが月と一緒に西方浄土に飛んでいっている──西方に思慕を寄せる西行の浄土往生願望が溢れています。」
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 日本人が昔の日本人と変わったのは、1995年1月17日の阪神淡路大震災からである。
 日本人を昔の日本人と違う日本人にしたのは、神代からと信じられてきた日本民族の価値観を否定する、戦後のキリスト教価値観とマルク主義価値観による戦後平和教育とメディア関係者による偏向情報である。
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 戦後教育が日本人に叩き込んだのが、自分だけは大丈夫という「安全スパイラル」と言葉に出さなければ起きないという「エセ言霊信仰」である。
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 最後の人類であるホモ・サピエンスは、氷河期や大災害に襲われても、宗教的つながりで大集団を作り、助け合って困難を乗る超えて生き残った。
 ネアンデルタール人は、宗教的つながりを持たず、血縁的小集団で生活し別の血縁的小集団とは団結も連携もせずに生きて、そのゆえに助けてくれる仲間がなく孤立して絶滅した。
 ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスとの生存競争に負けて絶滅したわけでもなく、ホモ・サピエンスに殺されて死滅したわけでもなかった。
 だが、多様性や協調性を持った変わり者のネアンデルタール人ホモ・サピエンスと同居・雑居して、宗教を受け入れ、種を超えて乱婚して、ホモ・サピエンスに同化し溶け込んで消えた。
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 現代日本では、災害被害者を助けるのは政府の役目であり、政府は巨額の税金を投じて災害被害者を救済した。
 世界、特に西洋キリスト教文明圏では、災害被害者を助けるのはキリスト教会の役目で、教会は王侯貴族、政府、富裕層・資産家から多額の寄付金を集めて災害被害者を救済した。
 国家・政府の役目は、被災して混乱した状況を好機として侵略してくる近隣諸国を武力で撃退する事であった。
 故に、近隣諸国は全て敵というのが世界の常識である。
 中世キリスト教会は、絶対神の御名・絶対神の正義によって、味方・敵に関係なく、国境を越えて被災者を救済したが、救済範囲は同じキリスト教文明圏に限られ、異教国・異教徒は助けなかった。
 キリスト教原理主義は、十字軍を組織して異教徒と戦い大虐殺を行い、日本人やアフリカ人を家畜以下の奴隷としで大金を稼ぎ、同じキリスト教徒でありながら宗教裁判・異端審問・魔女狩りで罪も無いキリスト教徒(女子供に関係なく)を生きたまま焼き殺した。
 現代のキリスト教会は、中世キリスト教会とは違い、人種・民族・宗教に関係なく全ての被災者を救済している。
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 日本の自殺は、静かな自死として、1人の個人死や2人以上の心中・情死がある。
 世界の自殺は、騒々しい自死として、自分を死へ追い詰めた家族、他人、会社・組織、社会で大量殺人を行い、警察官か軍隊に射殺される事である。
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 反宗教無神論マルクス主義共産主義)は、イデオロギーを唯一絶対として共産党員とその家族しか救済しないかった。
 共産主義者は、人民の正義・人民の大義から意図的に自国で大量餓死者を出していた。
 レーニンソ連ウクライナで約300万人を餓死させ、毛沢東中国共産党大躍進政策で数千万人を餓死させた。
 そして、レーニン毛沢東も、スターリンヒトラーも、政敵・反対派を大量虐殺した。
 イデオロギーは宗教以上に、血も涙もない、人道を踏みにじる残虐非道な凶器であった。
 日本民族日本人が、宗教以上にイデオロギーを嫌い、哲学・思想、主義・主張を持とうしなかったのはこの為である。
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 江戸時代、御上である幕府や諸大名(各藩)が救済すべき被災者としは、税・年貢を納める百姓であり、無税の町人でなかった。
 御上から棄民扱いされた町民達は、御上の救済をあてにせず、共同で独自の救済策を実行した。
 江戸時代が西洋など世界と違う点は、そこにある。
 日本の公共心による共助・互助、互いに助け合うは、御上(幕府、大名・各藩)から棄民扱いされ公的な救助・救済・保護があてにならない所から生まれた。
 江戸の町が世界一の大都市となり、平和で安定・安全・安心できる豊な社会を作ったのは、以上の理由からである。
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 江戸の町は、人災の大火や天災の地震などに頻繁に襲われ、その都度、甚大な被害と夥しい犠牲者を出していた。
 だが、短期間で復興し、災害以前の生活を取り戻し、災害や犠牲者を忘れない為に活気のある賑やかな祭り、盛大な花火大会、威勢のいい相撲、華やかな歌舞伎や文楽浄瑠璃、幽玄を漂わせる能・能楽、ひょうきんで滑稽な狂言、笑いをもたらす落語や漫才、嘘を並べて楽しませる講談・浪曲など、数多くの娯楽を楽しんだ。
 泣き笑いの喜怒哀楽をもたらした娯楽の大半が、百姓・町人などの身分卑しい庶民の楽しみであった。
 日本の娯楽は、中華や西洋の娯楽とは違っていた。
 春が来れば桜の下でどんちゃん騒ぎの花見を楽しみ、夏が来れば河原などで夕涼みを楽しみ、秋は美味しい食べ物を腹八分目で味わい、冬は雪と戯れた。
 正月は神社や寺院に初詣に出かけ、春と秋のお彼岸でお寺に行き、春と秋の大祭は神社にお参りに行き、夏のお盆には先祖の墓参りをした。
 そこには、特定の宗教や宗派は存在しない。
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 日本民族日本人は、祖先神・氏神の人神信仰から、血のつながった御祖先を家神として祀った。
 日本民族日本人が最も安心できるのは、血と体、心と志、気概がつながっている「実の先祖」である。
 日本民族日本人の祖先に対する考え・想いは、中国や朝鮮とはまったく違うし、キリスト教マルクス主義共産主義)とも違う。
 日本民族日本人の宗教心は、縄文時代の宗教から途絶える事なく受け継がれた精神性である。
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 日本は生に溢れた明るい社会ばかりではなかった、子殺しとしての「間引き(水子)」や親殺しとしての「姥捨山」といった、死が隣り合わせの暗い社会でもあった。
 日本の宗教風土には、世界の宗教では考えられない「水子供養」や「道祖神崇拝」がある。
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 庶民の身の上を心配したのは、政治権力の幕府でもなければ、宗教権威の仏教界でもなく、道徳の体現者である日本天皇のみであった。
 故に、町の非人・エタなどの賤民や田舎の山の民・海の民・川の民などの部落民は、天皇家・皇室を護っていた。
 日本は、天皇家・皇室、万世一系男系天皇制度(男系女系の直系長子相続)がある限り盤石である。
 それ故に、キリスト教にとってもマルクス主義共産主義)にとっても、絶対に滅ぼさねばならない不倶戴天の敵であった。
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 日本の宗教は、キリスト教会のような救助・救済・保護活動をしなかった。
 日本仏教は犠牲者を弔い事しかしなかったし、日本神道八百万の神々に祈る事しかできなかった。
 日本人が、世界の非常識とも言えるほどに無宗教無神論者であり、如何なる宗教も無条件で呑み込んでしまうのもこの為である。
 自分を助けるのは、神も仏でもなく自分だけである。
 助かる為には、神に祈る事ではなく、走る事であった。
 走らない者は生き残れない、それが自然災害多発地帯の日本列島であった。
 昔から、日本民族日本人の骨身に自己責任・自己努力・自力救済がたたき込まれている。
 日本人は、如何なる神も信用していない以上、命を捨ててまで信仰を貫こうという強い意志はなかった。
 キリスト教が日本で信者を増やせなかったのは、この為である。


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